連載小説
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第百十一話・Scarlet love songB
スポットライトが灯る。
真っ暗闇に浮かび上がるのは褐色肌のリザードマンが一人。
眩しい光の中、彼女は恐々と瞼を開く。
静かに、伏せ気味に開かれた瞳は真っ直ぐに暗闇を見詰めていた。
そして、まるで初めからそのようにプログラムされていたのか、初めからそういう役割であったかのように、彼女は重々しく語り辛い過去を語るために口を開いた。
「……………あの人は、私に誇りとは何かを思い出させてくれた」
褐色のリザードマンは誰に聞かせるでもなく語りだした。
観衆などいない。
それでも彼女は語り続けるのである。
「………あの人に出会うまで、私は犬でした。圧倒的な数の暴力に屈し、今日を生きるために昨日を忘れ、一族仲間たちを虐殺した木偶たちに媚を売る情けない、本当に惨めで卑しい犬。私は何もしなかったのです。ロウガ様のようにすべてを敵に回してでも、後々まで悪鬼羅刹、果ては魔王などと呪われ続けようとも誰かを愛する覚悟も、私は何もかも持ち合わせていませんでした。………ですが」
身体が揺れて、彼女の長い髪が顔を隠す。
表情は見えず、ただ紅を塗った唇だけが妖しく闇に浮かぶ。
「………ですが、私の世界は変わりました」
紅色の唇がまるで微笑んだように優しく歪んだ。
「ロウガ様の悪名が、ノエル様の優しさが、そして龍雅の言葉が」



あの人は、龍雅は私に多くを語りませんでした。
それが今生の別れだと、私にも彼自身にもわかっていたはずなのに、私も龍雅も敢えてお互いをあまり見合うこともなく、多くを語り合うこともありませんでした。
でも、それで良かったのです。
あの人は、他の誰でもない。
あの人は、紅龍雅なのですから。
その最期を、誰もが涙するようなロマンスで塗り潰してはならないのですから。
ええ、『さようなら』も『死なないで』もいらない別れ。
ただ『御武運を』と心の中で手を合わせて祈るだけ。
何と悲しくて、幸福な別れ。

「某(それがし)の失態に御座る」

そう言って、新帝都へ向かう移民団の足を止めさせると、龍雅は私も同乗していたノエル様の馬車の前を遮るように立ち塞がるとそう言い放った。
敵騎兵集団が早々に迫り来る。
龍雅はそれを『失態』と言って謝罪を述べたのでした。
けれでも彼は謝罪しているというのに、平伏すでもなく悪びれるでもなく、あまりにも堂々としているものだから、私は彼が何だか可笑しいやら可愛いやらと、今が非常に危うい状況であることも忘れて微笑ましく思えてしまいました。
「失態、とは如何に」
私の代わりに言葉を発したのはノエル様でした。
帝位を退いたとは言え、普段は気丈なノエル様も心得違いな私と違って、龍雅の真剣な表情に呑まれてしまったのか、不安を隠し切れず心なしか声が震えておりました。
「我が見通しの甘さに」
「それは失態ではない」
ノエル様の反論に龍雅は首を横に振りました。
「ノエル、それは違う。あまりに酷すぎる失態だ。予見出来ていたはずなのだ。ヒロ・ハイルが騎兵を動かさば、かの者尋常ならざる速度を以って大移民団の背後を突くということは、すでに予見出来ていたはずなのだよ」
見通しの甘さからノエル様を、兵士たちを、幾万もの帝国の民たちを、そして私とお腹の子を危険に晒してしまったと彼は悔やむのですが、その表情には後悔の念と同時にどこか嬉しそうで楽しそうな、そんな真逆とも言える感情が浮かんでいるのを私は見逃しませんでした。
「……俺はかの男を育てすぎたやもしれん」
「…………敵将ヒロ・ハイルをか?」
「…敵将ではないさ。かの者、うまくいけば連合軍……否、ひょっとするとヴァルハリア教なる一大思想を内部から破壊する劇薬になってくれるかと思えたのだが、劇薬どころか俺の思惑をも超える名将…いやそれよりも、あっさりと『王』へと続く道を踏み出してしまったかもな」
今度ははっきりと歓喜の表情を龍雅は浮かべた。
「……………龍雅、少し不謹慎ですよ?」
「おお、そうか……そうかもな…」
私が軽く嗜めると、彼は先程よりかは幾らか済まなそうな表情をした。
そして深い溜息を吐くと、今度は一転して感情が読み取れない、まるで人間ではなくなってしまったかのような顔付きになると、先程までの砕けた物言いではなく強い口調で言葉を発したのです。
「ノエル、悪いがもう一度勅命を使うぞ」
「………構わんが」
「結構………伝令、誰ぞあるッ!」
龍雅の声を聞きつけ、鎧を着けた帝国兵が慌てて駆け寄り跪きました。
「これに!」
「勅命である。我、神聖ルオゥム帝国皇帝・紅龍雅が名において、諸将士卒万民尽くに命ずる。新帝都オルテへと向かう足を速めよ。無駄な荷駄を捨て去り、必要最低限の物資のみを持って息が切れても尚走れと下知せよ。遅れし者、拒む者あらばこの紅龍雅が手で斬って捨てる」
一瞬驚いたような表情をした兵士でしたが、彼は龍雅の真意を汲み取れたらしく、一瞬の心の動揺をあっさりと鎮めるとすぐさま踵を返し、馬に跨って走り去っていきました。
実際には『遅れる者は斬る』と伝わらなくとも良い。
大事なのはその前の文言、『息が切れても尚走れ』ということ。
これで、諸将や帝国の民に生き残る目が出来たのです。
「……これで良い」
「どういうことだ、紅帝」
「これで良いのさ、ノエル。『遅れる者は斬る』と発したのはお前ではなく俺だということが大事なのさ。俺はいざとなれば冷酷な勅を発する、お前と違って暖かな太陽のような存在ではないということさ。それで良いんだよ……陛下」
陛下、彼はノエル様をそう呼んだ。
「……陛下は、そなただ」
「いや、陛下はあなただ。ノエル・ルオゥム皇帝陛下」
真っ直ぐに、彼はノエル様を見詰めていた。
「天に二つの日輪なく、一国に二人の皇帝はいらぬ。俺はここに来てようやく自分の役割がわかったような気がする。俺はアルフォンスを、あなたを守るためにここに導かれたのだと思う。それは命のみならず、延々と続いていくであろうあなたの名誉を、俺が見ること叶わぬ娘の未来を守るために」
「何を……何を言っている…!」
ノエル様は理解している。
それでも理解してしまえば、すべては終わってしまうのです。
それ故に理解してはいけない、理解出来ないふりをしていたのです。
「………………龍雅」
だからこそ、私はノエル様の代わりに言葉を掛けました。
理解出来ないふりは、今度は彼の名誉を傷付けてしまうから。
「……………可笑しいものですね。いざ何か言おうと思ったのに、何も出て来ない」
「………俺にも覚えがある。そんなものさ」
ノエル様が縋るような目で私を見ていました。

止めてくれ

止めてくれ、と懇願するような目でノエル様が見ているのです。
しかし、それではいけないのです。
「……………………何を言っても、あなたは行ってしまうのですね」
「……ああ、今度こそ負ける訳にはいかんからな」
そう言って龍雅は笑った。
死と猛りが混ざり合ったような笑顔。
ああ、そうなのですね。
あなたも、そうだったのですね。
あなたも、大事な何かを何一つ守り切れずに敗れた人だったのですね。
「………ふふ」
「何か可笑しいかな?」
「…ええ、とっても」
これが可笑しいと言えぬ訳はありません。
だって、私たちの心の深い部分で繋がっているものを、こんな時になって気付いてしまうのですから、こんなにも情けなくて、こんなにも悲しくて、こんなにも可笑しいこと、笑ってしまわないと勿体無いような気がしてなりませんでした。
「…………どなたか」
私の薙刀を持って来ていただけませんか、と馬車の外に声を掛けると、甲冑を着込んだ体格の良い若者が、重そうな素振り一つ見せずに私の薙刀を大事そうに抱えて来てくれました。
私は彼に礼を述べて受け取ると、そのままその薙刀を龍雅へと差し出した。
「私は身重故に共に行かば足手纏いとなってしまいます。……ですが、どうか私の代わりにこの薙刀を戦場の供にしていただけないでしょうか」
「アルフォンス!」
そうじゃない、とノエル様は声を荒げた。
ノエル様は何とお優しい方でしょうか。
そして私は何と冷たい女なのでしょうか。

龍雅はヒロ・ハイルを迎え撃つためにこの地に残るのだというのに。

「違う……違うだろ…」
そのままノエル様は泣き崩れました。
悔しさに馬車の床板を叩き続けているノエル様の背中を優しく撫でて差し上げる。
今の私には、そんなことしか出来ない。
「アルフォンス、ありがたく頂戴する。そして……」
私の薙刀を受け取ると、龍雅は背中に背負った大太刀の紐を解いて私に差し出した。
「これを受け取ってくれ。いつの日か、我が子が元服した暁に手渡してやってくれ。我が願い叶うならば、その日がこの太刀が二度と抜かれぬ穏やかなる時代であること、そして我が子が血の染みた太刀などに無縁な無垢なる姫であることを祈る」
「………そうですね、あなたにもしものことがあった場合にのみ」
「……ああ、もしものことがあったらな」
わかっている。
お互いに嘘吐きだということを。
もう二度と二人で笑い合える日は来ないのだということを。
「………そういえばアルフォンス、俺はお前に勝ったというのに、一度もその権利を行使したことはなかったな」
「……そうでしたね。お互いあれから色々ありましたし、私はあなたに愛も夢も誇りも何もかも与えられっ放しで、私からあなたには何一つして差し上げられませんでしたね」
「…………ならば」


……………………………。

…………………………。

………………………。

……………………。

暗転 再び視界は真っ暗な闇へと染まる。
カンッ、という小気味の良い音と共に再びスポットライトが灯ると、そこには鮮やかな藍色の鞘に納まった長大な太刀を抱き締めた褐色肌のリザードマンが微笑んで佇んでいた。
スポットライトの光の中、愛しい人に寄り添うように褐色肌のリザードマンは、恋人を抱き締めるようにそっと優しく抱き締め、かつての愛し愛された思い出を確かめるかのように太刀の鞘をそっと頬を摺り寄せる。
「……………あの人は言いました」
そうして再び誰に話すでもなく、彼女は言葉を紡ぎ出した。
「あの戦が終わった暁には、二度と剣を取ってはならぬ。あの人はそう言いました。リザードマンである私に剣を取るな、というのもなかなか酷い話ですね。しかし、あの人はこう続けました」

右手に美しい花を、左手には愛しい我が子の手の平を

「……………あの人は、もう旅立ってしまいました。私もいずれは彼の下へ、誰もが辿り着く遥か遠い地平へ旅立つ日が来るのでしょう。翼に蒼い花を散りばめて、私たちは還っていくのです。すべてが灰になるその時まで、永遠が色褪せても尚、私はあの人が掛けてくれた幸せな呪いと共に歩き続けるのです」

彼女はそう言って、深い溜息と共に天を仰ぐ。
その表情は微笑んでいるようでもあり、泣いているようでもある。
そんな曖昧な表情を浮かべたまま、彼女はスポットライトの光から遠ざかるように深く濃厚な暗闇の中へ、それはまるで役者が舞台から降りていくように一歩一歩音も立てず静かに消えていくのであった。
やがて暗闇が彼女の姿を完全に隠してしまう。

後に残ったのは、五月蝿いくらいに不気味な静寂だけ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――



褐色肌のリザードマンの消えた舞台。
程なくして彼女を照らしていたスポットライトも徐々に細く小さくなっていき、ついには闇に飲み込まれていくように完全に消えてしまい、再び静かな闇の世界になってしまった。
何も見えず、何も聞こえない。
濃密な闇の世界ではきっと誰もが暗闇の重たさに動くことすら敵わない。

舞台の上に再びスポットライトが灯る。

その眩い光の中で年の頃五十程、波打つ金色の長い髪が天から降り注ぐ光に輝き、歴戦の将であるかのように純白の軍服を着こなした女が、上等そうな椅子に気だるそうに座って本を読んでいた。
なめし革の張られた如何にも高級そうな本。
何の文章も、何の挿絵もない真っ白な分厚い本。
ただただ黙して語らず、時折綺麗な指でページを捲る以外は身動き一つせぬまま、女はその何も書かれていない真っ白な本を微笑みを浮かべて、丁寧に丁寧に1ページにかなりの時間を掛けながら読んでいる。
「………余は後悔しているのだよ」
唐突に女はこちらを見ないまま、本に目を落としたまま口を開いた。
後悔している、と弱々しく言っているものの、その言葉の端々には隠し切れない知性と揺るぎない覇気が宿っており、その外見からも女がそこいらに満ち溢れている凡庸な人物ではなく、稀代の英傑とも真の貴種とも言える存在であることが窺い知れる。
「あの時………余がもっと強く引き止めていれば…、などと夢想家の如くな。時は戻らぬ、過去にいくら思いを馳せたとて、所詮昨晩見た夢の如く儚いものだというのに…。貴様もそう思うだろう、女王よ」
女は本から顔を上げると、眩しい光の外の暗闇に語りかけた。
女王、と呼ばれた人物は暗闇の中から姿を見せず。
そこに、誰かがいるのだろうか。
「…………貴様も王ならばわかるであろう。何年何十年経とうとも理解したくない別れ、失いたくない人を奪われたこの喪失感を。………人間はな、執念深いのさ。貴重な短い一生の中で、後悔と懺悔を何度も何度でも一生繰り返して、消えない傷を抱えたまま生き続ける」
女は重たい本を閉じると、吐き捨てるように呟いた。
「………余は理解したくない」



「……龍雅ッ」
ノエルは叫んでいた。
まるで身体中の声を絞り出すような悲痛な声で男の名を呼んだ。
「何か、何か策があるのだろう……いや、そうなんだな…。きっとそうに決まっている。お前はあらゆる状況を逆転出来る男だ。きっと追手をも退ける起死回生の策を用意しているんだ………頼むよ…、そう言ってくれよ…」
馬車の床を叩きながらノエルは泣き叫ぶ。
嘘でも良いから、策があると言ってほしかった。
嘘でも良いから、追手も軽く蹴散らせると言ってほしかった。
しかし、龍雅は無言で首を振るばかり。
「悪いな、今回ばかりは俺もお手上げだ」
安心させてやることは出来ない、と龍雅はノエルに頭を下げた。
全兵力を挙げて迎撃したとて寡兵であり、非戦闘員である民を率いているのだから、例えヒロ・ハイルを迎撃出来たところで、背後を突かれる形になる同盟軍の被害は甚大であることが予想されるのである。
紅帝・紅龍雅には二つの選択肢が残されていた。
第一は早期撤退。
尋常ならざる神速の行軍で迫り来るヒロ・ハイル率いる騎兵団は、もう数時間もすれば新帝都へと退く諸将万民の目に、否応なしに残酷な死を連想させる土煙を映させるであろう。
ならばそうなる前に龍雅は将兵と帝国民を切り離し、雲霞の如く群れを成す民たちを囮とするという非情なる決断をし、例えルオゥム戦役では敗北を喫しようとも、後にセラエノ戦役と呼ばれた戦いに備えて兵力を温存すべきであったと、後世の多くの歴史家は口を揃える。
実はこの後世の歴史家とまったく同じことを、内通者としてヴァルハリア教会・旧フウム王国連合軍参謀の地位に就いていたハインケル・ゼファーも、彼の腹心であるクロコの口を通じて龍雅に伝えられていたのだが、龍雅の武士としての誇りがそれを選択しなかった。
「ノエル、我が勅命に従い給え。お前たちは民と共に力の限り逃げよ。特に策などと上等な呼び名ではないが、『トリニの関』まで行かば帝国にもセラエノにも大きな勝ち目が生まれる」
『トリニの関』とは新帝都オルテへと通じる最大の関所であり、ヴァルハリア教会領側における最終防衛ラインであったクスコ川を失った現在では、神聖ルオゥム帝国における新帝都を守護する最重要にして最強の拠点である。
龍雅は、命を賭けることを選択した。
守るべきものがあるから。
そして今度こそ守り抜きたいからこそ命を捨てることを選んだのである。
「…………何故だ」
ノエルは顔を上げないまま、半ば叫ぶように龍雅に問う。
「……恐ろしくはないのか。大事な者を残して、必ず死ぬとわかっていながら何故平然としていられる。私は嫌だ、お前が死ぬのが嫌だ!お前が死ぬと我が友が悲しむ、顔で泣かずとも心で泣く!」
「…………そうだな、アルフォンスを泣かせてしまうな」
「それだけか!?アルフォンスだけじゃない、イチゴも、ダオラも、リンもレンもサイガも、お前に関わってお前によって変わった者たちすべてが涙に暮れるんだぞ!!そいつらだけじゃない、私も……!」
ガバッとノエルが顔を上げながら叫んだ。
目は赤く充血し、涙が止め処なく流れ続けている。
「………死ぬのは、確かに怖いな」
「それなら…!」
「だがそれ以上に喜びに震えている」
龍雅の放ったその言葉にノエルは息を呑んだ。
その言葉には、死にに行く者の悲壮感など微塵もなく、むしろ心地良い秋風のようなある種の爽やかさと、すべてを焼き尽くす真夏の太陽のような熱い高揚感が込められていた。
「愛する者たちのために命を賭けることは、不思議と怖くない。幸運なことに俺には命を賭けるに値する御方が四人もいる。我が主たる沢木上総乃丞義成…いや、今は狼牙。それに我が伴侶たるアルフォンス、生まれ来る名もなき我が娘、そしてノエル・ルオゥム。御方々がために果てるは武士として、男として誉れである」
そう言って龍雅は自分の髪を掴むと腰の太刀を抜き放つ。
そのまま長めの茶筅髷の根元に刃を当てると、ノエルがあっという間もなく『シュン』という小気味の良い音を立てて、自分の髷を切り落としてノエルへと差し出した。
「……ノエル、これを受け取ってほしい。お前はただの援軍の一武将、帝国軍にとっては一客将でしかないにも関わらず、今日この日まで絶対の信頼を寄せてくれたこと、感謝しても感謝し切れぬ恩がある。大太刀はアルフォンスと娘のために渡してしまった。だからこれを、俺の遺髪を受け取ってくれ」
「私は…!」
受け取りたくない、そうノエルは声にならない声で叫んだ。
わかっているよ、と龍雅も言葉に出さないまま微笑みで彼女に応える。
「今の俺には、こんなことでしかあなたへの想いに応えられない」
「……………っ!?」
それは完全な不意打ちだった。
後に当時を懐かしむように語ったノエルはそう言った。
「俺は幸せ者だよ。沢木の如く二人の女性に愛され、尚且つこうして愛する者たちに命を惜しまれている。ならば俺の取るべき行動は何か。愛する二人の女がために、ここは一番武者働きをせねばなるまい」
恐々とノエルは龍雅から差し出された手を握る。
そしてその手の中から龍雅の髪を受け取ると、まるで幼子が初めて何かを貰った時のように、『私が貰って良いのか』と戸惑った表情でアルフォンスを見上げていた。
アルフォンスもコクリと頷き、
「……ノエル様だからこそ、よろしいのです」
とノエルに微笑みかけて、そう答えたのだった。

本当はアルフォンスこそが泣きたかっただろう。
本当はアルフォンスこそが龍雅を止めたかっただろう。

それでも最後まで笑顔を絶やさず、龍雅の名誉を重んじたアルフォンスを後々までノエルは、自分には決して手に入れることの出来なかった強さだったと、ノエル自身の臨終間際まで語ったという。
「………一応預かっておくぞ。だが必ず生きて私の下へ再び帰ってくるんだ。そうでなければ、私はあなたを永遠に『皇帝』として祀り上げる。それが嫌なら帰って……来て…。私と……アルフォンスのところに………お願いだから、絶対に死に急ぐようなことはしないで…」
それは偽らざるノエルの本心であり、彼女自身の『ルオゥム』の人間として長年被ってきた『尊き者』という仮面を脱ぎ捨てた素顔であった。

誰よりも誇り高く、誰よりも家族を愛し、誰よりも愛に飢えて

「承知仕った。もしも生きて再びお目に掛かることあらば、御身を不要な心労を与えた詫びとして、この頭禿げるまで何度でも遺髪をくれてやりましょうぞ」
「……ふ…ふふふ…、それでは年に二度程いただこうか」
ツルツルの坊主頭を想像させるようなおどけた仕草を龍雅がすると、それが可笑しかったのかノエルは泣きながらではあったが、ようやく笑みを浮かべて、龍雅に優しく語り掛けた。
「それで良い。いずれの身分、いずれの種族であれ、やはり、女子は笑顔が美しい。それでは…………お退きあれ、陛下。陛下より下賜された剣は御守り代わり持って行くぞ」
「ああ………………任せたよ、陛下。どうか、御武運を」

……………………………。

…………………………。

………………………。

……………………。

舞台は再び暗転して、真っ暗闇に沈む。
カンッ、という音と共に先程のリザードマン同様に、強いスポットライトの光が女を捉え、老いて尚美しいその姿を闇に浮かび上がらせた。
「……後悔の連続だったのさ。愛する人を止められない自分の無力さ、何も出来ないまま南へと敗走する屈辱、最愛の友一人守れない自分自身への怒り。女王よ、人間はな、お前たち以上に複雑怪奇なのさ。どうすることも出来ないことを『運命』だなんて言葉で慰める術を知っているくせに、何度でも何度でも馬鹿みたいに『もしも』を繰り返す」
女は暗闇の向こうの『何か』に冷ややかな言葉を送る。
だが暗闇の向こうにいる『何か』は何も答えない。
「しかも性質の悪いことに分かり合えない。女王、余はお前たちと付き合うようになってわかったが、人間同士というのはとことん分かり合えないものなのだよ。だからあの戦いから始まった戦争はまだ続いているし、戦う理由が見出せないくせに、まだ『神』なんて不確かなものを持ち出す連中もいる」
足を組んで椅子に座ったまま、女は自分の髪をまるで煩わしいと言わんばかりに片手で掻き揚げると、忌々しそうな鋭い目付きで自分の足下に視線を移した。
「……命を惜しむな、名を惜しめ。あの人が自ら先陣を斬る時は、兵士を鼓舞すると同時に、自分にも言い聞かせるようによく言っていた言葉だ。我々の騎士道に通じるというジパングの武士道の思想らしいな。確かに勇敢だった。あの姿に我々が何度勇気付けられ、何度その姿に憧れたかわからない」
だが……、と女は吐き捨てた。
「死んだら、そこで終わりだ。あの大馬鹿者の不忠者め、私とアルフォンスとの約束を早々に破って死んでしまった。だから余は罰を与えた。あの人を永遠に、例え何度色褪せようとも輝く軌跡を残し、人々の心に生き続けられるように。皇帝ではなく、新たな時代に人々が思い描く『神』として」
意地悪だろう、と女は自嘲気味に笑う。
「……余も、狼牙王も、彼も、死んだらお終いだ。なのに何故、あの人は死ぬとわかっていながら微笑んで戦場に向かえたのか。二度と会えないとわかっていながら、何故アルフォンスは微笑んで見送れたのか…」

私には…………理解出来ない……

私は………理解したくない…


13/06/04 00:38更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんは、宿利京祐です。
今回はそこそこ早い更新と相成りました。
ついに紅龍雅、最後の瞬間へのカウントダウンが始まりました。
色々伏線脱線が御座いましたが、
なるべく(おいw)全部回収出来るように頑張りたいと思います。
次回は物語の都合上、再び人間だけのスーパーおちんちんランド
もといスーパー男子校タイムになりますので御注意くださいませ。

それでは最後になりましたが、
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
また次回お会いしましょう(^^)ノシ

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