連載小説
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TAKE10 白き志賀邸のご主人様
「自由……か」

 白い屋敷のさる爽やかな一室。
 減り行く寿命を感じながら、俳優は椅子に腰かけ回想する。


 あの後『主人の役を与えられたはいいものの何をすればいいかわからない』という疑問を、雄喜は素直に満へぶつけてみた。
 するとメイド姿の細長い回遊魚は『何かをしなければならないという事はない。強いて言うなら休息をとり、心身を癒すことに専念してほしい』と答えた。
 付け加えて『一定のルールを守りさえすれば何をしても自由。ただくれぐれも無理はせず、可能な限り使用人を頼るように』とも言われ、事前に回収されていたスマートフォンや財布を返却して貰ったのだった。

「屋敷内での動き方については、確かスマートフォンにアプリが入っていると言っていたな……」

 満から言われた言葉を思い出し、雄喜は早速スマートフォンを起動する。
 バッテリーがかなり減っていた筈の端末はしっかりと充電され、傷だらけだったケースや保護フィルムも新品に交換されていた。
 画面を見れば『志賀邸らくらくガイド』なるアプリが入っている。

「志賀邸……か。本来の僕ん家はこんな豪邸じゃないんだがな……」

 中を確認してみると、屋敷内の詳細な見取り図や各部署・使用人――を、演じる者たち――への連絡先、屋敷で過ごす上での諸注意や大まかなタイムスケジュール表など様々なものが入っている。

「なるほど、これは地図アプリのようなものか? こっちは使用人のアイコンをタップすると連絡が行くようになっているわけだな。至れり尽くせりじゃないか。
 まさかこのアプリもボスやチーフがわざわざ今回の為に作……るだろう、なあの二人なら。自作なのか外注なのかまでは知らんが」

 雄喜は誤操作をしないよう慎重に画面を操作していく。
 本当に色々な機能を兼ね備えているものだと感心する彼は、その中のあるものに興味を抱く。
 それは……
「……『屋外散策案内』?」
 読んで字の如く、屋敷周辺の平原や森林を画像付きで解説する、一種の観光ガイドのようなものだった。
 その内容というのがまたかなり充実していて『使用人同伴の上限られた範囲内乍ら様々なことができる』といったような表記が見受けられる。
 元来動物好きで、休日は自然の中で野外料理を楽しむこともある雄喜にとって、それらの内容はとても魅力的なものだった。
「……屋外、行ってみるか」
 椅子から立ち上がった雄喜は、ふとそこで自分の身なりを再認識する。
 下着の上から淡い色合いで薄手の甚兵衛めいたものを着ただけという、最低限の服装。どう考えても部屋着であり、外出には不向きであろう。
「というか、注意事項に『常時適切な服装を心がけるように』ってあったしな。まずは外出許可申請、っと……」
 アプリで使用人に連絡を入れ外出許可を取った雄喜は、続けて出される指示に従い部屋を出る。
 外出の為着替えるにしても、専用の更衣室を用いなければならない為である。




「さて、ここが更衣室の筈だが……」
 案内されるまま雄喜が入ったのは、更衣室と呼ぶにはかなり広々い個室であった。
 一応更衣室というだけに幾つかの姿見は確認できるが、クローゼットやタンスが見当たらない。
「どうやって着替えろと? 壁の中に衣装が……という気もしたが、壁の中には空洞の気配すらないし……ここは一度どこかに連絡を入れるべきか――
「お待たせ致しました、ご主人様」
「!」
 スマートフォンを起動しようとした雄喜の耳に、これまた聞き慣れた声が飛び込んできた。
 満ではない。彼女より少しばかり若く、また僅かに中性的。そして小刻みに聞こえる幾つもの足音……となれば。
(……砂川さん?)
 向き直ればやはり、エプロンドレス型のメイド服――満のそれとは全体的なカラーリングが異なる――に身を包んだギルタブリル、砂川克己が何やら箱の積まれた台車を押しながら現れた。
 どうやら自分の世話を任された『三人のメイド』の二人目は彼女のようだ。
「こちらが外出用のお着替えになりますわ」
「なるほど、このケースの中に服が入っているわけですね」
「はい。お召し物については気候・気温やご主人様の体調などの諸事情を考慮し予め此方で候補を絞り込ませて頂いております。アプリの専用画面からお好きなコーディネートをお選びください」
(専用画面……って、本当にあるんだな。なんかもうまんまゲームのキャラクター選択画面というか)
 各種コーディネートに一々変な名前――例として『笑顔を守るための二千の絶技』や『神話の特異点-英雄電鉄終着駅-』、『いざショータイム-宝玉に託す最後の希望-』に『気高く清き彼は生来の王なれば』など、素面で考えたとは思い難いものばかり――がついていたり、
これまた必要なのかどうかわからないやたら凝った解説文、更には外見や機能性など無駄に項目の多いレーダーグラフ等……妙な方向性での力の入れようが尋常ではなかった。
(とは言え、実際着た場合どうなるかの3Dモデルが出てくるのはいいな。……データやバッテリーが心配ではあるが)
 そんなこんなで雄喜は数ある中から『獣の剛腕未来を拓き、やがて見出した夢掴む』という黒い薄手のロングコートなどから成る渋めのコーディネートを選び取る。
 解説文には『狼のような野性味とゴリラのような力強さを持つ男の普段着。やりようによっては動物たちのリーダーになれるかも』という文章があった。
(本当によくわからない……この解説文に何の意味が……まあいい。春とは言えまだ肌寒さもあるだろうし、何にせよこういう服装の方が安定するというものだ)
 かくして雄喜は外出用の服装を選んだ旨を克己に伝え、彼女から服を受け取ろうとしたのだが……彼を待ち受けていたのは何とも予想外の展開であった。
 というのも……

「畏まりました。ではまず寝間着の方、脱がさせて頂きますね」
「え」

 困惑する雄喜を尻目に、克己は甚兵衛を脱がしにかかる。

「ちょ、待っ、砂川さん!? 何やってんですか!」
「何って……おかしな事を聞くのですねご主人様。着替えのお手伝いに決まってるじゃありませんか」
「はぁ!? え、いや、そのくらい自分でやりますよ子供じゃないんですから!」
「そう仰有られましても、ご主人様のお世話をするのが我々メイドの務めですし、何より規則ですので……」
「き、規則っ!?」
「はい。『メイドは主の世話に徹せねばならない。主はメイドの世話を原則拒んではならない。抵抗する場合メイドはある程度の強硬手段も許可される』と」
 雄喜は思った。『なんだそのとんでもない規則、聞いてないぞ』と。
 だが直後に『アプリの隅々まで目を通していなかった自分にも落ち度はあるし、仕方ない』と考え割り切ることにした。
「……ああ、確かありましたねそんな文面が。わかりました、ではお願いします。
……因みに僕が抵抗した場合の強硬手段とは?」
「そんなにも酷いことは致しませんわ。ただ少し……ほんの少しだけ私めの毒など使わせて頂くかもしれませんけれど」
(……それはわりと酷いことと言えば酷いことだと思うんだが)
 何せ魔物の中で最強とされるギルタブリルの猛毒である。死なないにしても刺されないに越したことはないだろうと、雄喜は心から思った。

 さて、かくして雄喜は着替えを克己に任せざるを得なくなってしまったわけであるが……なんというか、問題はここからであった。
 というのも……
「では、失礼して……」
 克己は寝間着の甚兵衛に、というか甚兵衛越しで雄喜の身体へ指を這わせる。
 じっくりと凝視しながら、ゆっくりと指で、薄布越しに身体をなぞる。その視線、手つきはやけにいやらしく、雄喜は内側で昂るものを抑え込むのに必死であった。
(落ち着け……冷静になれ……勘違いするなよ、志賀雄喜……確かに彼女は魔物。肉欲のまま番いの雄を求める異形だが、とは言ってこの程度で僕に気があるとか、そんな風に思い込むのは早計だ。
 彼女たちとて雄なら誰でもいいというわけじゃなく、自分好みの雄と結ばれたいと思っている筈だ。
 僕に今こうしていやらしく触れているのは、ボス辺りの考えた"脚本"での彼女に与えられたのが偶然そういう"主へのスキンシップが過剰なメイド"の役だったとかそういう可能性もないわけじゃないし……)
 こじつけじみた強引な憶測であることは彼自身よく理解していた。
 然し一方、克己の目つきや手つき、態度は一概にただ単にいやらしく淫靡なそれとも言い難く『あくまでも偶然』『独身男性を前にした魔物ならば自制できてもこの程度』との主張もさほど問題ない程度だったのも事実であった。
 克己の出す指示に従って体を動かしながら、雄喜は考える。
(もし僕に気があるのだとしたら、もっとストレートで過激な行為に及んだって不思議じゃない。いやまあ前に撮影現場で抱き着かれたこともあったが……あれもどこまで本気かはわからんしな。
 魔物というのは得てして性に大らかだというから、あの程度はスキンシップという可能性もある。
 それに恐らく、彼女だって事前にボスから僕の余命のことは聞いている筈だ。『得刃リンはもう長くない。せめて幸せな余生を過ごさせてやって欲しい』とでも言われたんだろうさ。何よりすぐ死ぬような男を番いに選ぶ魔物なんてさほど居まい。居たとしてその中にギルタブリルは含まれちゃいない筈だ。
……そうだとも。今だってもう僕にとってはこれ以上ないくらいの贅沢な状況なんだから、これ以上何かを望むなんて贅沢ってもんさ)
 などと脳内で勝手に結論を出している内にどうやら着替えは終わっており、鏡を見れば黒を基調としたシンプル乍らも野性味と力強さを感じさせる装いに身を包んだ自分の姿があった。
(……"動物たちのリーダー"とやらになれるかどうかはわからんが、仮にそうなれないまでも自ら未来を切り開き夢を掴めるだけの強さを得られた……ような、気がする)
「とてもよくお似合いですわ、ご主人様っ」
「ありがとうございます。では、僕はこれで」
「はい、行ってらっしゃいませ」

 克己に見送られながら更衣室を後にした雄喜は、そのまま外出に同伴する使用人との待ち合わせ場所へ向かう。



「確かこの辺りなんだが……お、あそこだな」
 広大な屋敷の中を進むこと数分弱。指定された出入口へ行けば、そこでは何やら荷物の準備をしているらしい"使用人"の姿を見かける。
 それは雄喜にとってとても見覚えのある人物で……
「日野原さん」
「おお、ご主人様! ちょうどよい所へ。たった今外出の準備が整った所でございますよっ」
「ありがとうございます。然し荷物、それなりに凄いですね……」
「それはもう。ご主人様に不自由のないよう入念に準備致しましたから」
「重ね重ねありがとうございます。……そういえば外出の際には使用人が同伴すると規則にありましたが、日野原さんが同伴して下さるので?」
「いえ、僕は荷物の準備とお見送りの担当です。外出時への同伴及び荷物持ちはメイドの方の担当ですからねぇ」
「あぁ、確か三人いるとかの」
「ええ。ご主人様の身の回りのお世話は基本的にあの方々に担当して頂いております。今は待機しておられますが、そろそろ待機場所の出入口ですし見えてくる頃かと……」
 日野原の言葉通り、出入口では雄喜の外出に同伴するメイドが待機していた。
 満でも克己でもないその三人目のメイドとは……
「お待ちしておりました、ご主人様っ」
「ほぉ、メイドの三人目は貴女でしたか……」
 読者諸兄姉ならば恐らくお察しであろう、ホルスタウロスの小田井真希奈であった。
 服装はやはりエプロンドレス型の丈の長いメイド服。露出は控え目乍ら生地越しにもはっきりと自己主張し続ける豊満極まりない乳房のインパクトは、寧ろ露出が控え目であればこそ絶大と言えた。
(落ち着け……撮影中を思い出せ……大丈夫だ、意識さえしなければ……)

 かくして真希奈同伴のもと、雄喜は屋敷の外へと足を踏み出すのであった。



(なんてことだ……)
 雑木林の中を進みながら、雄喜は感嘆する。
(この静けさ、心地よさ……どこまでも心が安らぐのを感じる……)
「いい場所ですよねー、ここ。空気が澄んでて、微風が気持ちいい……」
「ええ、本当に……外出してよかったなと心から思いますよ……」
 荷物を背負った真希奈と共に、涼しく爽やかな林道を進む。
 従者とは言え荷物持ちを女性に任せるのは気が引けたが、代わりに持つと言えば『主従以前に弱っている方に重いものを持たせるなんてできないから』とやんわり断られたので彼女に任せることにした。
(……ホルスタウロスは筋力に秀でた魔物と言われるから大丈夫だと信じよう……それにしても本当に居心地がいいな、ここは)
 余りの安らぎに、雄喜は『今この瞬間に寿命が尽きてもきっと後悔はない』とすら思った(直後に『傍らの真希奈がショックを受けるから』と内心前言を撤回したが)。

 暫く進み続けた所で二人は少し開けた場所へ出る。
 陽光に照らされたその場所はどこか幻想的な雰囲気であり、中央辺りには樹齢百年ほどと思しき広葉樹が主の如く鎮座している。
「いい雰囲気だ……あたかも異界に来たかのような……」
「ですねー。ほんと、ゲームのグラフィックみたいな感じで」
 その後、二人は揃って空腹ということもあり、広葉樹の根元で真希奈が荷物の一つとして持参した弁当を食べることに。
 ピクニックシートを広げた上に透明なパラソルを立て、ある程度の安全衛生面に配慮しつつ飲食物を用意していく。
「これまた豪勢な……」
「美味しそうですよねー。厨房の方々に用意して頂いたんですよ」
 朝食同様、彩り豊かな西洋料理から成る弁当箱の中身は宛ら食材によって形作られた巨大な美術品。
(或いは"宝石箱"か)
 平成の時代にブームを引き起こしたさるグルメリポーターの言葉を思い出す。確か料理を褒める時に『宝石箱』とか『IT革命』とか色々と言っていた気がする。
(グルメリポーター……か。やってみたかったよなぁ、できそうにないけど)
 最早どう足掻いても叶えようのない夢を思い描く。
 思えばスーツアクター、そしてスタントマンとして多くの作品で体を張ってきたが、やがて吹き替えの仕事を任されたり、ドキュメンタリーやバラエティに出演することもあった。
 俳優として、タレントとして、平和な世界で人々が自分を必要としてくれるという事実は、志賀雄喜という男にとって掛け替えのないものとなっていた。

(叱られたり励まされたりしながら必死で頑張ったデビュー作の『狩場』……。
 仕事に慣れてきた頃に舞い込んできた『クズリ』での出世……。
『魔界學園』じゃ、ボスのせいで吹き替えまでやらされて、必死で台詞覚えたっけなあ……。
 正直あの時は自信なかったけど、後々知り合ったPamonの斑田社長から『うちは家族全員魔界學園のファンで、特に娘はデストロ先生大好きなんだよ』って言われた時は嬉しかったっけ……。
 あの後、ちょうど数日後が娘さんの誕生日だって聞いたボスが『誕生祝いにデストロの着ぐるみ着て社長の家に行け』とか無茶苦茶言い出して、
 しかも社長やチーフまでノリノリだったから断るわけにもいかず、準備して娘さんの誕生パーティにデストロの格好で参加して……あの時の彼女の嬉しそうな顔は今も忘れない……)
 雄喜は俳優としての日々を思い返し感傷に浸る。

 バラエティ番組で図らずも司会者と意気投合したこと、
 情報番組のコメンテーターとして自分なりの正義を語ったら炎上したこと、
 炎上の中でも擁護・共感してくれる人々が少なからず確かにいたこと、
 自分の演じたキャラクターを主役に据えた二次創作漫画の完成度の高さに感動したこと、
 仲の良かった共演者の結婚式でスピーチを任されたこと、
 デビュー作『狩場』で公私を問わず世話になった監督の急逝、
 交友のあったお笑いタレントが不祥事から仕事を失い乍らも決死の努力で芸能界に返り咲いたこと、
 ネットで活躍する大物動画投稿者の企画にゲストとして呼ばれたこと、
 初めての海外ロケ番組で赴いた南国の風景と、そこで暮らす人々、取り分け寺院を仕切っていた老僧侶から聞いた言葉……
(そして『呪卍』での日々……他にも挙げきれない程多くの思い出がある……その中に息づく人々から受け取った数多くの想いや熱意は、未だ僕の中に息づいている……。
 勿論、普段からお世話になっているボスやチーフ、事務所のみんなだって例外じゃない……多くの人に慕われ、愛され、僕は今までやって来れたんだ……)
 だが、その日々がじきに終わりを迎えるという現実が重くのしかかる。
 未来に思いを馳せ、夢や希望を抱こうとも、それらが成就することはない。何故なら自分は遠からず死ぬからだ。避けようのない必然。
 頭では理解していても、受け止めきれない宿命に、雄喜の頬を涙が伝う。
「ご、ご主人様!? どうなさいました!? どこか具合でも悪いですか!?」
「……いえ、すみません。特に不調とか、そういうことではないのです。ただ、昔のことを思い出してしまいましてね……僕はなんと幸せ者なのだろう、と」
「そ、そうでしたか……何かあったらすぐに言って下さいね?」
「ええ、わかりました。……心配をかけてしまい申し訳ない」
「そんな、謝らないで下さい。従者とは主に頼られるもの、ご主人様が癒され満たされることこそ私達従者一同の本懐なんですから」
 そう言って、真希奈は弁当箱の中からサンドイッチを取って差し出してくる。具は野菜とハムだろうか、冷めて尚芳香が鼻腔を通り抜け食欲を掻き立てる。
 早速それを受け取り、喰らう。丹念に咀嚼し嚥下すれば、胃と魂に一口分の幸福が入ったような、そんな気がした。
「美味しいですか?」
「ええ、とても……小田井さんもどうぞ」
「よろしいのですか? では、有り難く頂きますね」

 かくして二人は、爽やかな雑木林の中で和やかな昼食を楽しむのだった。
21/07/29 21:58更新 / 蠱毒成長中
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