連載小説
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TAKE9 サプライズ・白き覚醒
「……!」

 覚醒。
 俳優"得刃リン"こと本名"志賀雄喜"が目覚めると、そこには見慣れぬ光景が広がっていた。

「……どこだ、ここは」

 身を起こし、辺りを見渡す。
 白を基調とした、やけに高級そうな洋風の寝室。
 窓から差し込む日差しからして、夜明けを少し過ぎた辺りだろうか。
 時刻を確認しようにも、部屋には時計が見当たらない。

「ともかく、床を出なければ……」

 ベッドを包むシーツと掛布団の触り心地はまさに極上で、その気になれば何時間、或いは何日と眠り続けていられるかもしれなかった。
「なんだこれは……ワーシープのウールか、でなければバロメッツのコットンでも使ってるのか?」
 だとしたらこの触り心地や、触れているだけでやたらと眠りたくなるのも頷けるというものだろう。
 然しそれでも、男は誘惑に抗い床を出る。室温は床の中と大差なく、よって出るのも躊躇わずに済んだ。

「よ、と……ぉぉ……」
 ふらつく足取りで床に立ち、そこで改めて自分の身なりを視認する。
 薄手の生地で作られた、病衣か湯着のような何かしらの衣類。甚兵衛と言えなくもないデザインだが、それにしてもやけに頼りない。
「いつの間に着替えさせられたんだ……ご丁寧に下着まで……」
 想像しようとするだけで寒気がしたので、詳しくは考えないことにした。とにかく今は状況を分析し、把握することが第一だ。

「財布もスマートフォンもない……当然か」
 相手の意図など知る由もないが、どの道こうして見知らぬ場所に連れ込む以上、連絡手段や金銭など逃走の手助けになるようなものは没収するのが普通だろう。
「だが身体に違和感らしい違和感もない……いざとなれば抵抗することも考えなきゃならんな、拳で」

 ベッドを離れ、ぐるりと部屋の中を見渡す。内装はシンプルで、生活感を感じない。
 さりとてモノがないわけではなく、幾らかの家具やインテリア等は見受けられる。
 先程まで寝ていたベッドの他、部屋の中央にはガラス製のテーブル、壁に据え付けられた洗面台と鏡、窓際には小ぶりな観葉植物の鉢植え……等々。
 中でも一際目を引くものは……
「テレビ……か? でかいな……」
 壁の窪みへ嵌め込むように設置された、余りに巨大な薄型液晶テレビ。
 家電に詳しくない雄喜だが、それが上等な高級品であることだけは理解できた。

「まあ、暢気にテレビ見てる場合でもないな。一先ずこの部屋の中は粗方調べたし、そろそろ外に出てみるか」
 未だ未知の事柄ばかりだが、それも含めて調べねばなるまい。意を決した雄喜はドアノブへと手をかける。
 ドアに鍵などはかかっておらず、すんなりと外へ出ることができた。
「何が起こっても不思議じゃない。用心しなくては……」

 ドアの向こうは、やはり高級感のある白い廊下。照明の光は淡く、優しくも幻想的な雰囲気を醸し出す。

「未知の異界へ来たみたいだな」
 廊下をゆっくりと進みながら、雄喜はふと呟く。暫くすると階段に差し掛かり、自分が今まで二階に居たことに気づく。
「いや、思えば窓から見える景色は二階のそれだったかもしれん……まあどっちでもいいんだが」
 緩やかな階段をゆっくりと下っていく。その最中、ふと彼は空腹感を覚える。
「食い物でも探すか……と言って、食えるものがあればいいけども」
 無ければないで耐えることもできる。
 だが何が待ち受けているかもわからない以上、如何なる状況にも対応できるようコンディションを整えておくに越したことはない。

 階段を下りた先に広がるのは、やはり高級感溢れる白い空間。
 淡い光に包まれた大広間は幻想的で、暖気と微風の所為であたかも屋外にいるかのような錯覚すら覚える。
 そしてやはり、モノがない。
 あっても広い部屋の片隅に彫像や鉢植えが少し置いてある程度。
「……出入口はあそこか」
 見たところそこまで頑丈には作られていないらしい。いざとなればあそこを突き破って脱出する必要もあるだろう。
「ま、その辺りは後々考えるとして……先ずは奪われたものを取り返すのと、できるなら腹ごしらえもしなくては」
 とは言うものの、雄喜は内心この屋敷の中で食事にありつけるなどとは到底考えていなかった。
「世の中何事もそう都合よく進むわけないんだよなぁ。寧ろ不都合の方が多いくらいだし……」
 雄喜は思案する。
「……多分今こうしてる間にも、僕をここへ連れて来た奴らは僕のことを監視して『これから自分がどうなるんだかも知らずに暢気なもんだぜあのマヌケ』とでもせせら藁ってるんだろうな。
 油断させた所へ罠にかけ、生きたまま切り刻まれて臓器を競売にかけられるか、はたまた鏡を見るまでもなく生きているのが嫌になるようなゴミみたいな姿に改造されるか……何をされるかわかったもんじゃない」
 未知への不安かストレス故か、はたまた死期が近いからか、雄喜は無意識にネガティブな言葉ばかり口にするようになっていた。
「いっそこのまま何もせず考えることもやめてしまえば……んん?」
 ほんの、刹那。
 宇宙空間で岩になった天才の末路を思わせる手の込んだ自殺を試みようとした雄喜の嗅覚が何かを感じ取る。"何か"と言っても嗅覚である以上それは匂いなのであるが……
「なんだ、この芳香はっ……一気に腹が減るっっ……!」
 それは幽かに熱を帯びた、野菜の出汁と肉汁の匂い。
 腹の虫が悲鳴を上げて暴れ回るような空腹感に苛まれ、雄喜は思わず顔をしかめる。
(も、最早空腹感を通り越して……腹痛っっっ!)
 こうなってくるともう『何もせず考えることをやめる』など到底不可能である。追い詰められた雄喜は選択を迫られる。
(選択肢は三つ……。
 一、それでも気合と根性で考えるのをやめて餓死を待つ。
 二、匂いの届かない範囲まで逃げる。もしくは屋敷の出入口を破壊して脱出する。
 三、いっそ罠にかかって死ぬ前提で匂いを辿る。いざという時には自殺する)
『軒並みろくでもないんだけど頭大丈夫かこいつ』とでも突っ込まずにはいられないような選択肢ばかりである。
(字面だけを見れば最も簡単なのは第一の選択肢だ……がっ、空腹感で集中力を維持できない以上故意にやろうとするのは至難の業っ……!
 だったら第二の選択肢はどうだ? 屋敷から脱出してしまえばこの地獄から抜け出せる。窓の外には緑があったし、運が良ければ何かしら食えるものくらいはあるかもしれん……が、そこまで動けるだけの体力がそもそもあるかどうかというと、多分ない。
……とすると残るは第三の選択肢、か。
 この匂いを辿って進む……この時点で断言できる行動はそれだけだ。その先に何があるかはわからない。
 だが集中力も体力もない今、最早選び得る選択肢が第三のそれしかないこともまた事実……)

 ともすれば進むしかない。意を決した雄喜は料理らしき謎の匂いを辿って歩き続ける。
 程なくして、匂いの発生源があるらしい部屋に辿り着いた彼が目にしたものは……

(……飯だ)

 全体的に白い部屋、そのテーブルの上に置かれた彩り豊かな料理の数々。立体映像か食品サンプルではないかと疑いもしたが、それらは全て正真正銘紛れもなく純粋に食物であった。

 然しそれでも尚、雄喜は疑い続ける。

(いや、待て、だから何だ。食えるからどうした。
 それで罠じゃないと断言していいのか。いいわけないだろ。飯に毒や変な薬が入ってるかもしれない。
 手をつけることで作動する何かしらの罠が仕組まれていたり、誰か他の奴に喰わす料理の可能性だって捨てきれない。安易に手を出せばどうなるやら……

 いや、待て待て。それこそ"だから何だ。罠だからどうした"って話だろうがよ。毒? 薬? 罠? 他者とのトラブル? それがどうした。何の問題がある。元々第三の選択肢を選んだ時点で最悪自殺するつもりなんだし、何が起こったって関係ないだろ。
 どうせ追い詰められてるし、ここから脱出できたとして寿命なんてそう残ってないからじきに死ぬし……)

 よって、彼の取るべき行動は一つ。

「……頂きます」

 目の前の料理を、冷めないうちに完食することだけだった。



「……ご馳走様でした」
 五分足らずで料理を完食した雄喜は、ただ淡々と、心を込めて感謝を述べる。
「……どれも最高に美味かったな。本当に美味かった。
 本当はもっと詳細な味の感想を述べるべきなのかもしれないが、ただ"美味かった"以外に言葉が見つからない。我乍ら語彙が貧弱になったもんだ」
 自嘲気味に呟く雄喜は、そこでふと思う。
「……そういえば、食器はどうすればいいんだ。洗い場に持っていくのが筋なんだろうが――
「ご心配なく。此方で片付けておきますわ」
「……!?」
 背後から声をかけられ、背筋が凍る。
 屋敷の者に見付かったか。罠と仮定している以上覚悟はしていたが、それでもいざ実際見付かったとなると恐怖せずにはいられない。物腰と口調は丁寧だが、だから安全だなんて言えるわけもない。
 そして何より雄喜は、話しかけてきた声に聞き覚えがあった。独特な声というわけでもないが、さりとてこの声を聞き間違うとも考え難い。
(いや、然しだとしても聞き間違いという可能性もある。今の僕は弱っているからな、記憶や聴覚だって鈍っているかもしれない。何より彼女が僕に敬語を使うことがまず在り得ない……そう、在り得ないんだ……)
 内心言い聞かせながら、雄喜は意を決して振り返り……絶句する。

(そんな……まさか……)

 雄喜の背後に佇んでいた声の主。
 それは彼がよく知る人物であった。

(何故、何故だ……何故彼女がここに、そんな恰好で佇んでいるっ……!?)

 その女はまさに魔物であった。
 体高1.6メートル前後、全長約5メートル弱。女人型の上半身に対し下半身は細長くうねる。

(在り得ない……普通、在り得ないだろこんなっ……!)

 骨格構造はラミアめいているが表面に鱗は見られず、また身体の各所に鰭条と鰭膜から成る鰭を持つ。
 即ちその魔物は、マーメイドである。

(何かの間違いか……いや、もうそんなことはないだろう……いやそもそも状況が全く飲み込めんわけだが……


 何故、プロデューサーがこんなことにっ……!)


 そう、背後から彼に声をかけてきた魔物とは、特撮番組『呪卍』プロデューサーの鰻女郎、渡部満その人だったのである。
 しかもどういうわけなのか、目の前の彼女はメイド服を着ている。
 それもかなり本格的な、袖と裾の長い上品なデザインのエプロンドレスである。
 露出は控え目乍ら彼女の抜群なプロポーションを隠せてはおらず、結果として"主や客人を欲情させない"というメイド服本来の機能を果たせているとは言い難い。
 一体何故、渡部満ともあろう女がそんな恰好をしているのだろうか。雄喜は困惑しながらも、意を決して口を開く。
「何があったんですか、プロデューサー……これは一体、どういうことです?」
 問い掛けられた満は少し不思議そうに首を傾げ、何かを理解したように言葉を紡ぐ。 
「ああ……そういえばご主人様は何もご存知なかったのでしたかしら。
 申し訳ございません。順を追って説明させて頂きますね」
(ご、ご主人様ぁ!?)
 満の口から出たのは、これまた何とも衝撃的な単語であった。
 相手は中堅乍らも数多の名番組を手掛け業界に名を馳せる名プロデューサー。対する自身はそこそこ人気とは言え未だ若手の裏方俳優。
 立場の差は歴然であり、敬語を使い下手に出るべきは自身の筈である。
 にも拘わらずこの鰻女郎は、事も在ろうに目下の相手へ敬語を使うばかりか、その相手をご主人様などと呼び従僕の如く振る舞っている。
 これは雄喜にとって実に異常な状況であった。
 例えるならば、かのサバトを率いるバフォメットが下位派閥所属の魔女かファミリアに、
 或いは魔王家三女"ハートの女王"が不思議の国の民らに頭を下げ下手に出るのと同じことという認識であった。

 などと述べれば読者諸氏は
『流石に卑屈になり過ぎ』
『精々本社の社長会長と地方事業所の所長程度の力関係では?』
『前者は兎も角後者の状況はまず絶対に在り得ない。ガイドライン違反ばかりの図鑑二次創作同人に健康クロス氏の販売許可が下りる方がまだ現実的だ』
……とでも思われるかもしれないが、然し志賀雄喜とは元々そういう男であり、その卑屈なほどの謙虚さと真面目さもまた彼が芸能界で生き残れた要因の一つであった。

「……ご主人様、って、何ですか……?」
「何と申されましても……ご主人様は、ご主人様ですわ。それ以上でもそれ以下でもなく……その点も踏まえてしっかりとご説明致します」
「……」
 徹底して侍従になりきる満に、思わず雄喜は閉口する。一先ずここは彼女に説明して貰った方がいいだろう。それ以外に最適解が思い浮かばない。
「質問等ありましたらお気軽にどうぞ……」
 そんな彼の心情を気取ったかのように、満はあくまでも従僕然とした物言いで淡々と説明し始める。

「それは遡ること十数日前……新しくお迎えしたサルバトールモニターの為、ケージを自作していた時のことでした」
(またオオトカゲか……別に構わんが、よくまあスペースがあるもんだな……)
「私めのスマートフォンに、さるお方からの着信がありました。
 そのお方は仰有いました。『俳優得刃リン、即ち志賀雄喜の命が危ない。彼を救うべく力を貸して欲しい』と……」
(……なるほど、大体察した)
 雄喜は早々に一連の事態の真相を察したが、念のためにと黙って満の話へ耳を傾ける。
「そうしてこちらの屋敷に集められた我々はかの方々より説明を受けました。
 曰く『身も心も弱り果てた彼には癒しと快楽が必要であり、貴君らには各々何かしらの役を演じて頂く。役とは屋敷の主に仕える使用人であり……」
「……主とは志賀雄喜である、と?」
「その通りでございます。そして私、渡部満はご主人様のお世話を任されし三人のメイドが一人……」
「だからそんな格好と喋りなわけですね。
 現時点、僕と貴女の関係は俳優とプロデューサーではなく屋敷の主とそのメイド……その点を意識して主を演じろ、と」
「その通りでございます」
「なるほど理解しました。然しそれなら僕にも事前に説明くらいして欲しかったですね。ろくに説明も受けず無理矢理拐われた挙げ句いきなり主役だ何だと、混乱するったらない」
「その様に思われるのも無理からぬ事でしょう。然しかの方々に曰く、当時のご主人様はあまりに危険な状態であり、早急に対処せねばならず説明の暇もなかったとの事」
「なるほど、だったら贅沢言っちゃいけませんね……」
「はい。ただ我々の間では『本音としては単に驚かせたかったからだろう』という説も有力なのですが」
「……どうしてこの流れでそういうこと言うんですかねぇ」
 ともあれ雄喜は、満からの説明を受けて安堵していた。一先ず酷い目に遭うことはないらしい。
 寧ろこの屋敷の面々は、どうやら先の短い自分にせめて幸せな余生を過ごさせるという目的のもと集められたのだそう。ならばその厚意に全力で甘えるのみだ。
(プロデューサー……今はメイドの渡部さんだが、彼女の話に出てきた"かの方々"というのは十中八九ボスとチーフのことだろう。
 僕の正体と寿命の件を知ってるのはまず殆ど事務所の関係者だけだし、この屋敷が何時どういった経緯で建てられたんだか知らんが内装も含めて相当な金がかかっているのは紛れもない事実。
 あの夫婦は身内のため、事務所のためとなったら財布の紐がマーチヘアの股ほども緩くなるからな……いつも思うがよくもまぁあんな金の使い方してて破産しないもんだ……)
 思案しつつ、雄喜はふと疑問を抱く。

(……"屋敷の主"って、何をすればいいんだ?)
21/09/07 13:26更新 / 蠱毒成長中
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