連載小説
[TOP][目次]
TAKE8 彼、退院!
「……得刃のヤツ、倒れたって……
 病院に担ぎ込まれたが、意識が戻んねえらしい……」
「……」
 予想外の展開に絶句する武田。
 手にしたグラスが滑り落ち、床で割れても気付かない。
 それだけ彼にとって、得刃リンが倒れたという事実は衝撃的であった。
「――武田ァ!」
「ぅおっ!? お、おお、すまねえ……唐突にとんでもねぇコト聞いちまったもんで……俺らしくもねぇよな」
「いや、そうなる気持ちはわかるぜ。あの得刃が突然ぶっ倒れて意識不明なんて、冷静で居られる方が妙ってもんだ」
「全くだ――つかマジお前なんでそんな冷静で居られんだよ!? 得刃がやべぇんだぞ!?
 撮影スケジュール相当響くじゃねーか! 最終回の撮影まであと何日だと思ってんだ!」
「バカ野郎俺だって内心相当焦ってんだよ。つーか最終回に得刃の出番はねえだろ落ち着け」
「いや脚本にグラハイドラの出番あっただろ出鱈目言ってんじゃねーよ!」
「あのへんは過去に撮った映像加工してそれっぽく流すって話だったろ!」
「あれ、そうだっけ?」
「お前なあ……打ち合わせの内容ぐらい覚えとけよ……」
「悪い悪い。まあそんならとりあえず撮影の方は大丈夫……だとしても得刃の奴が心配ったらねーよ!
 向こうはどう思ってんだか知らねぇけど俺ぁ撮影クルーみんな家族みてぇなもんだと思ってんだぜ!? 心配しねー方がどうかしてらぁ!」
「ああ、そりゃ俺も同じだ。だからこそ今から見舞いに行こうってんじゃねえか」
「お、おお! そうだ見舞いだ! こんなとこで言い合ってる場合じゃねえ!」
 慌てて立ち上がった武田は、財布から適当に万札数枚を取り出してばん、とカウンターに叩き付ける。
「そういうわだからよマスター、代金ここ置いとくぞ! 足りねえ分はツケといてくれ!
 オラ急ぐぞ氷室っ! モタつくな!? 急いでタクシー拾わねえと……」
「おい武田、大丈夫か? 無茶すんな、結構飲んでんだろ? お前まで怪我されたらたまんねぇぞ」
「うっせー! 大事な役者が意識不明って時に傍へ駆けつけねえ監督がどこに――
「待ちなタケさん」
 ふらつく足取りで氷室の手を引き慌てて店を出ようとする武田を呼び止めたのは、バーのマスターである初老の男。
「ヒーさんの言う通りだ、そんな状態でアスファルトの上歩いたら危ないぜ。急いでんならタクシーよりいいアシを貸してやろう」
 そう言ってマスターは店の奥へ入っていった。






「監督っ、先生」
 リンの搬送された病院の広大なロビー。
 到着した武田と氷室を出迎えるのは、コートを羽織った人間の青年とボーイッシュな龍の二人組。どちらも現場の裏方を支えるスタッフであった。
「おう、桐生に赤楚か」
「すまねぇ、遅くなった」
「いや十二分に早かったっスよ。マジ何で来たんだってぐれーの」
「ああ、マスターの嫁さんからバイク借りてな。自動運転で空飛んで来た」
「いや自動運転で空飛ぶって……それ本当にバイクですか?」
「なんでも改造しまくった代物らしいぜ。ほれ、マスターの嫁さんグレムリンだから。
 で、得刃は?」
「はい、こちらっス!」
 そんなこんなで武田と氷室はスタッフ二人に案内され、リンの病室へたどり着く。
 病室には柳沼夫妻をはじめとするオーマガトキプロダクションの面々や『呪卍』で共演する幾人かの役者たち、またプロデューサーの満をはじめとする何人かの裏方たちも集まっていた。
「得刃っ」
「大丈夫か?」
「……武田、監督……それに、氷室先生……」
 点滴を打たれながらベッドに横たわるリンは、幾らか衰弱していたものの二人が想像していたほどの重体ではないようだった。
 聞けば、二人が来る何分か前に意識が戻り、会話もできるようになったという。
「ご心配をおかけして、すみません……まさかこんなことになろうとは……」
「気にするこたぁねぇ。何が原因かにもよるがまあ多分お前の所為じゃねえさ」
「お前の分の撮影だって終わってるんだ、そう気に病むな。それより意識戻って良かったぜ……調子はどうだ?」
「はい……元々、頑丈だったからか……或いは点滴のお蔭か、さほど苦しくもなく……先生方曰く、何日か入院して、検査も行うと……」
「そうか。しっかり休めよ?」
「現場の方は俺らに任せとけ。お前は余計なことは一先ず忘れて、元気になることだけ考えてりゃいいんだからな」
「……ありがとう、ございます……」


 かくして原因不明の体調不良から入院を余儀なくされたリンであったが、彼の治癒力たるや尋常ではなく、一晩寝て目覚めた翌朝にはほぼ退院して問題ないほどに回復していた。
 それでも用心した医者は念のためにと彼を休ませ、合間合間にあれこれと検査を受けさせた。意識を失い倒れた原因を探る為である。

 手始めに行われた問診にてリンは『未だに記憶が曖昧だが、突然意識を失って倒れたのは確かと思われる。と言うのも、自分には倒れたという自覚すらなかった。例えるなら、いきなり電源を切られたか、老朽化した機械が動作を停止するような感覚だった』と述べている。
 ともすれば、その発言内容に合致する症例から具体的な病名の一つでもわかりそうなもので、実際リンの担当医師は彼を蝕む病について複数の病名を候補に挙げていた。

 そして医師は候補を絞り込み、可能なら病を特定してやろうと意気込み更なる問診と検査を行った。
 然しそんな医師の努力も空しく、問診の結果分かったのは『候補に挙げた何れの病も、リンの身体を蝕むことはあり得ない』という無情な真実のみ。また身体のあちこちをくまなく検査しても、候補に挙がった如何なる病の証拠も出てこない。しかもその癖リンはすこぶる健康であった。

 この結果を知った医師は『あれだけのことがあって何ともないとか何だよ。あいつどっかのだぁりんクンかよ』と思ったとか思わなかったとか。


 結局、異常のない人間を入院させておくわけにもいかないということで病院側はリンを退院させる決定を下さざるを得なかった。正直な所『不調の原因を特定できないまま、ただ健康そうに見えるからという理由で患者を退院させるなど言語道断』というのが病院側の本音ではあった。だが実際、ある意味で『手の施しようがない』とあっては最早諦めるしかないのが現実である。
 取り分け件の医師などは『人事は尽くした。天命を待つのみ』と己に言い聞かせ、然し何時またリンが倒れるかもしれないという恐怖に怯えながら半年もの間過ごすことになってしまったのだった。


 またこれは全くの余談乍ら、特撮番組『呪卍』の最終回が放送されたのは、ちょうどリンの退院から一週間が経過した日であった。





「のう、兄上よ……」
 芸能事務所オーマガトキプロダクション社屋内、社長室。
 同事務所の社長を務めるバフォメットの柳沼朱角は、同事務所の代表取締役であり夫のインキュバス、彗星に神妙な面持ちで話しかける。
「……なんだい、朱角?」
「儂、嫌な予感がするんじゃ……」
「……嫌な、予感?」
「うむ。そりゃあもう、嫌な予感じゃ。これでもかというほど、尋常でないほどに嫌な予感じゃ……」
「具体的にどんな予感、というか、何に関する予感なのか、教えてくれるかい?」
「ええぞ……とは言うてものう、なんというか、直接答えるとなると、二の足を踏んでしまうんじゃがのぅ……」
「そうか。此方としては、きっと重要な事柄だろうから早く言って欲しいと思っているんだけど……然し君のその気持ちもよくわかるからな……。
 じゃあ、こうしよう。僕が質問をするから、君はそれに対して何かしらの答えを言って欲しい。『イエス』や『ノー』程度でも構わないし、言えるのなら具体的な答えを言ってもいいから」
「うむ、すまんの兄上……」
「構わないさ。仮に立場が逆だったとしたら、君もきっとそうしてくれただろうからね。
 では、早速質問だ。……朱角、君の言うその"予感"……君自身に関係のあることで間違いないね?」
「いきなり核心じゃのう……確かにそうじゃ。この"予感"、儂自身が深く関わっておる」
「わかった。では次の質問だが……"予感"とは君自身だけでなく、僕ら……オーマガトキプロダクションの面々にも関係があることだね?」
「……如何にも。この件は断じて儂個人だけに留めてよい問題ではない。兄上をはじめ、事務所に所属する全員が深く関わっておる……」
「なるほど……次の質問に行こう。
……事務所の全社員が深く関係するというその"予感"……事務所に所属する特定個人に関することと考えて間違いはないね?」
「その通りじゃ……儂の"予感"とは、オーマガトキプロダクションのある社員に関すること……。
"その社員が現在、最悪の状態にあるかもしれん"というものじゃ……」
「ほう、それはまた……只事ではないね……では問おう。君の言う"最悪の状態"とは、命に関わることだ……というのは、単なる僕の考えすぎかな?」
「……否、じゃ。兄上の考えすぎなどではない……」
「そう、か……」
「おお、そうじゃとも……最早二の足など踏まぬ。儂自ら語ろう。
 この儂、オーマガトキプロダクション社長柳沼朱角の"予感"とは……

 弊社所属タレント、得刃リンへ死が迫りつつあるのではないか……という、の」
「……」
 朱角の発言に、彗星は押し黙る。そして彼は思った――『ああ、やはりそれか』と。
「どうせ……と言っては何じゃがその表情、兄上も気付いておるのじゃろう? 得刃が――志賀が唐突に倒れたあの日、あの瞬間に」
「……気付かない筈がないさ。彼から最初に話を聞いたその瞬間から、片時も忘れなかったことだ。
 そうだ……いつかはこうなることを、覚悟していた。
 彼と出会い、彼の全てを知ったその時に、彼本人からだってしっかりと警告されていたんだからね……『何時か、確実にその日はやってくる。それは"必然"だ』と……」

 彗星は思っていた。志賀雄喜の死は回避のしようがなく、甘んじて受け入れなければならないと。
 何故なら彼は、自分たちと出会った時点でそうなる運命にあったのであり、それこそが彼にとっての必然なのだと。
 一方で、その運命を受け入れたくない、雄喜を喪いたくないという願望もまた彼の内にあった。
 だが彗星は諦観する。自分の願望がどれほどに強かったとしても、所詮それは単なる願望に過ぎないのだ。
 この世の中には、"できること"と"できないこと"がある。それが現実というものだ。その現実は、甘んじて受け入れなければならないのだと、そう思っていた。
 そしてまた、そう思っているのは自分だけではない。妻の朱角も覚悟を決めているのだと、だから先程からずっと黙り込んでいるのだと、そう思い込んでいた。




 然し


「……兄上よ」


 彼の願望が、


「仮に……」


 所詮単なる"願望"に過ぎないように


「そう、あくまでも仮にじゃが……」

 
 彼の"思い込み"は、


「志賀を待つ死の運命、覆せたりせんかのぅ?」
 所詮単なる"思い込み"に過ぎなかったのである。





「……」
 夕暮れ時、さる町外れの海岸。
 波の音だけが響く静寂の中、何をするでもなく佇むのは、俳優の得刃リンこと本名、志賀雄喜。
 予定より明らかに早い退院から早二週間。良くも悪くも芸能界絡みの騒ぎが多いおかげか自身の入院が騒がれることもなかった彼はここ最近、人気のない野山や海岸へ赴いては、特に何もせずに過ごすということが多くなっていた。
「……」
 彼の様子は、傍目からすれば和やかで、長閑にも見えたであろう。然し当人の内に長閑さだとか、安らぎのようなものはない。
 あるのは絶望と虚無感ばかり。
 その理由は最早語るに及ばず。自らに迫り来る死という不可避の現実に打ちのめされたからに他ならない。
「哀れだな」
 虚空を眺め、自嘲気味に呟く。
「『いつ死んでもいいように全力で生きよう』などと……調子のいいことを抜かしておいて、いざ実際に死期が迫ればこの有様……いっそ滑稽、か」

『いつ死んでもいいように全力で生きよう』
 柳沼夫妻と出会う以前、芸能とは無縁の職に就いていたから頃の口癖だった。
 前職が常に死と隣り合わせだった雄喜は、日常的にこの言葉を自分に言い聞かせ、命がけの仕事を全力でこなしてきた。
 絆を深めた仲間たちとの死別も一度や二度ではなかった。数多の悲劇や苦境を乗り越えた自分は強く成長している筈だ。支えてくれる大勢の期待を背負って現場で働けている。仕事のできる男になれた事実は、成長を裏付ける確証なのだと思った。
 だからきっと死ぬときも、例えば誰もが憧れる物語の主役のように、清々しい気分で居られるだろうと、そう思っていた。

「そして、あの日が来た」

 その日、彼の勤め先が壊滅した。
 当時敵対していた同業者との争いにより社屋は跡形もなく崩壊、上層部を含めた多くの構成員が命を落とした。
 雄喜は思った。自分もここで死ぬのだろう。然し彼は、悲観も絶望もしない。
 なぜなら勤め先と運命を共にすることは、彼にとって本望ですらあったから。
 こんな結末も悪くないな。そう思ってリンは戦地へ赴いた。全力で生きて、死ぬために。

「だがあの日、僕は死ねなかった」

 それは何たる偶然か。背負うべきものを喪って尚生き続けるしかない運命は雄喜を絶望させ、自殺への意欲すら奪った。
 死を諦めた彼はその後、紆余曲折を経て二人の男女と出会う。
「それが、ボスやチーフとの……オーマガトキプロダクションとの出会いだった」
 得体の知れない自分を保護してくれたその男女――事務所の経営が軌道に乗り始めた頃の柳沼夫婦――に、雄喜は恩義を感じた。
 この方々の為に残る生涯の全てを捧げなければと、そう決意した。

 幸いにも雄喜には、嘗ての勤め先から授かった数多の力があった。それらを上手く仕事に活かすことで、彼は唯一無二の男優として大成した。
 然し一方、彼の力は持ち主の寿命を縮める恐るべき代物でもあった。
「だから、覚悟しなきゃいけなかったんだ。その時はいつか必ずやってくることを。
 ボスやチーフ、事務所の皆にもその辺りの事情は包み隠さず全部話して……だから、死ぬときも平気だって、そう思ってた。
 けど、それはただの思い込みでしかなかった……現に今こうして死を恐れ、死を拒んでいるのがその証拠だっ……死にたくない、まだ生きていたいと、浅ましくもそんな風に思っている……。
 死の運命を受け入れてなんかいない……平和な日常に毒されたか? 自分が何者か忘れたか? 自分の本質を見失ったか?

……違う。違うんだ、きっと。
 確かに平和な日常を過ごす内、少なからず影響は受けただろう。役者としての仕事はやり甲斐があって楽しかった。辛いこと苦しいことも多かったが、それも含めて最高の日々だった。
 だが本来のの自分自身がどういう存在なのか忘れたことはないし、自分の本質が役者なんかじゃないということだって自覚してる……。
 なら何故? 何故僕は死を恐れ、死を拒んでいる? 死を前提に生きることが当たり前なのに、何故?」

 導き出されるのは、ただ一つの単純な結論。

「僕は元々、そういう奴だったんだ……それだけ……ただそれだけのことだ。
 勿論嘗て過ごした日々を全否定なんてしない。あの頃だって僕は、大勢の人々の役に立ち、大勢の人々に愛され、慕われていた。命がけで、血生臭くても、楽しく充実した日々を過ごせていた。それは紛れもない事実だ。仕事で死ぬなら本望ってのもきっと本心だったんだ。
 けど……それでもやっぱりきっと僕は、本当はあの仕事に向いてなかったんだ……最初の段階で間違えていて、それ以後ずっと無理をして、でも間違いを正そうともせず、働けるんならそれでいい、役に立てるんならそれでいいと無理を押し通して、上手くやっているフリをしていただけなんだ……。
 じゃあ役者が天職かと言うと断言はできないけど、前の仕事よりはずっと向いてた筈で、ボスもチーフも最高の上司ならオーマガトキプロダクションだって最高の勤め先だった。
 僕が前よりずっと幸せに暮らせていたのはそういうことだったんだ……。

 ああ……死ぬのは嫌だ。もっと沢山の映画に出たい……
 いいや映画だけじゃない、ドラマやCMにだって出てみたい……」

 気付けば雄喜の声は震え、目からは涙が流れ出す。

「生きてやりたいことが、山ほどあるのにっ……!」

 力強く立ち上がり、水平線に向かって叫ぶ。夜空に響く叫びは、まさに彼の本心であった。
21/07/29 21:59更新 / 蠱毒成長中
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33