連載小説
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8:黒い嫉妬の池[ショゴス]
混沌より出でし魔物娘、種族はショゴスのフォーカリア。通称カリア。

彼女は魔界から人間界へと移り住み、夫の業務サポートと、家事をこなしている。

夫、渋谷 将吾の職業は、個人のタクシードライバーだ。


「いろんな人を乗せて、いろんな所へ行くのが好きだ」


そう言って日々真剣に業務を行う将吾。
そんな姿に、いつしかカリアも惹かれていた。

(彼女の身体で出来た)無線機から、声が聞こえる。

『ちょっと休憩するよ。大体15:00ぐらいまで。』ザザッ

珍しい。

そう思ったが、普段は働き過ぎるきらいのある彼だ。
それが最近は、将吾自ら休息を取ってくれる。

やっと分かってくれたかと、カリアは内心ほっとした。

「畏まりました。どうぞごゆっくり。」

車載GPSは、繁華街の外れを指していた。


***


カリアは此処に来てから、随分と家具を更新した。

ベッド、テーブル、ソファ、花瓶(割った為)、一部食器類(割った為)...

大体緑色をしている。

彼女は緑色が大好きだ。
自身の名前も、植物の種類から付けたぐらいだ。
いつか、部屋を全部緑に出来たら...

などと夢想しながら、平和な午後を過ごしていた。






ここまでは、平和な日常だったのだ。






カリアが服の片付けを行っていると、

ヒラリ、と、夫のスーツから何かが落ちた。

ああ、ちゃんと纏めて置いておかねば、紛失の元だ。

そう思いカリアは

『株式会社▼▼ 古谷 巧』

の名刺と

『"また来てネ♥️" オトハ  〜素人人間専門店●●〜』

のカードを机に置いた。

そして次のワイシャツへと手を伸ばしそうになった所で、カリアはピタ と止まった。

「...おや...?」

彼女の身体に青みがサッと差した。

そして見間違い?と、机に置いたカードを見る。

「またきてね、おとは、しろうとせんもんてん...」

思わず、自分の視覚がおかしくなったのでは?と、声に出して読み上げてしまった。

カリアは、そのカードの意味を、何度も何度も見直して、追い付かない頭で考えた。


またきてね...?


ま  た  ?


少しの間、呼吸を忘れていた。
店の名前を調べてみる。

フリック入力がいつも以上に上手くいかず、何度も訂正しながら。

いかにも、といった風の、いかがわしいサイトが表示される。



「この、住所」

ゆっくりと、振り返る。



『休憩中』の彼の、車載GPSが指す場所と、手元のスマホが指す住所の距離は、

50mも無かった。





***




私は、ドーマウスのモモカ。

今日は事前に、家事をトモヤさんがやってくれたので、絶賛お昼寝中。

大好きな旦那様のトモヤさんはお仕事中だから、少し寂しいけど...

左隣の、ショゴスの奥さんが洗濯物を干す音と、

右隣の、キキーモラの奥さんが洗い物をする音をBGMに、

お気に入りのチーズ型のクッションを抱きかかえながら、うとうとしていた。





刹那。





私の体は跳ね起き、キキーモラさん側の壁に張り付いていた。

「はぁ...っはぁ...っ...!?」

激しい動悸と共に、何が起きたのか、頭を整理する。

本能。

本能が、反射的に身体を動かしたんだ。

何?なんなの?

ショゴスさん家から?



今の、"殺気"?



最近トモヤさんの買ってる漫画に、「覇気だけで敵を倒す」みたいなのあったけど

やられる側は、こんな気分なのかな...


パリン


壁の向こうから、食器の割れる音が聞こえた。

恐らく、お隣の奥さんも、同じ状態なんだろうな。

キキーモラさん家に避難させてもらお...。

と、とりあえず、パンツ履き替えなきゃ...ちょっと漏らしちゃった...


......


「安藤さああん怖かったよおおう!!...あ。」

「あ。」

お隣さん家に駆け込むと、パンツ履き替え中のキキーモラさんが、そこにいた。




***




渋谷 将吾は、それこそウキウキとした面持ちで、帰路についている所だった。



彼女にはバレてないだろうか。



そんな不安だけがあるが、何、妻はそれでも大丈夫だろう。

「カリア、今から帰るよ。途中、帰り道同じお得意さん乗せるから。」

『...畏まりました。』ザザザザッ

「...カリア...?」

将吾は違和感を感じた。 

いや、"違和感程度にしか"感じないぐらいに、鈍感な男だった。

普段のカリアは解りやすい分、助けられている節がある。
しかし、最後の乗客は違った。

「ヒッ」

「ん?どうしました?」

「いや、どうしましたって...渋谷さん、大丈夫なんですか...?」

「???...まぁ、なんとかなるでしょ!」

アッハハハと笑う将吾だが、乗客の顔は強ばっていた。



そのまま駐車場に車を停め、アパートの階段を登った辺りで



流石に能天気な彼も気付いた。



なんだか、おかしい。



生暖かい、湿った、息苦しい空気。


兎に角、進むしかあるまい。

コツ、コツと進んでいると、

ガチャリ...

通り過ぎようとした扉が開く。



内心、ビクッとした。

中からキキーモラの奥さんが覗いていた。

「こ、こんばんはー?」

「「......あの」」

何故かお隣さんのドーマウスの奥さんまで一緒に居る。

悲哀に満ちた顔で見つめられた後、

「「生きて、くださいね」」

とだけ言われた。


え?何?この状況。

すごく怖いんだけど。



***



ドアノブに手をかけた。

生暖かい。

扉を開ける。


普段は毎日、『お帰りなさいませ』と声をかけてくれる妻が見当たらない。

そして、この、なんだ?

夏の熱帯夜のような。

生ぬるい、生物の口の中のような。

湿った、重く熱を持った空気。

「おーい、カリア?」

廊下を歩き、キッチンを見たとき...戦慄した。

「な、なんだこりゃ!?」


ぼとり、ぼとり。

重みのある水音。

上の食器棚から、『黒い何か』が、染み出して落ちていた。

シンクの排水溝に入るでもなく、真っ黒い水溜まりを作っている。



「カ、カリアさーん...?」

恐る恐る、廊下を進む。


窓辺の花は、重油のようなものに埋もれていた。



これは、彼女の身体だ。


将吾は直感した。

彼女の身体は、日用品から家具まで、色んな物を生成できる。

そして色彩や質感も自由自在なのだ。

本人そのものの体色すら、普段は深緑に染めている。

感情によって、色も変わっていた。

楽しいとき、嬉しいときは、緑が明るくなる。

悲しいとき、驚いたときは青くなる。

恥ずかしい時は、赤くなる。

そして、黒くなる時は...。



しかし、ここまで黒くなるほど、彼女が怒っているのを見たことがないし、怒らせるような事をした覚えがない。


もはやこれは、黒と呼ぶにはあまりに、光を反射していない。

それに周りの家具達が、火災の跡地のように、ドロドロの黒い不定形の塊になってしまっている。


壁にかけていた絵画が、絵の具の仕事を忘れたかのように、下にドロドロと溶けて垂れていた。



奥の寝室の扉を開ける。

「うっ...!!」

蒸し暑い。

殺人事件の現場のような黒い飛沫が、そこかしこに飛び散っている。


ベッド"だった"所には、

大きな『黒い池』が出来ていた。

ごぽ、ごぽ、しゅう、しゅう、と泡をたてている。



「カリアさーん?なんか、ご機嫌、ナナメかなー??アッハハハ...?」

塊が、こちらを見た。


大きな一つ目。

怪しく黄色い光を放つ、大きな眼球が、塊から浮かび上がってこちらを視認した。


その瞬間、背中に強い衝撃が加わった。


「でっ!?ちょ、ちょいちょいっ危なっ!!危ないって!!」

沸騰する黒い池に頭から突っ込みそうになる。

インキュバス化して多少上がった筋力を総動員して、後ろから襲ってきた相手を押し退けようとする。


ふにゅり。

なにか、触り慣れたものが手に収まった気がした。

「か、カリア!?」

「お帰りなさいませ、ご主人様。」

そこにはスッキリと括れた身体以外、なにも身に付けていないと"思われる"、カリアの姿があった。

"思われる"と濁したのは、彼女の身体がブラックホールのように黒一色で一切光を反射しておらず、全体の輪郭でしか分からなかったのだ。

なおもグイグイ将吾の身体を池に向かって押しながら、いつもの挨拶をするカリア。


しかし、将吾は悟った。

あ、これ常連さんの言ってた『ハイライトがバイバイした眼』ってヤツだ。


「ふふ、ふ、ふ!お待ちしておりました。」

「と、とりあえず落ち着こう!な!如何にもやばげな液体に晒されんのは流石に勇気要るから!!」

「大丈夫ですよ。他の女にご主人様を渡すぐらいなら、その身、溶かしてヒトツになる方が良う御座いませんか?」

「今!ねえ今溶か...溶かすって言った!言ったよね!?」

「ちょっとした"ろ過"で御座いますよ。」

しれっと言う。

「ろ過て!!」

「ふふ、ふふ、ふ、ふ!!ワタクシとヒトツになれば...あんな人間の娘など忘れて、ずっと、ずっと、一緒で御座いますよ!」



ジュウウ



靴下のかかとが一瞬で焼け溶けた。

「アッツゥイ!!ねぇ!?カリアさんや!?また内緒で車のパーツ注文したのは謝るから!!てか、人間の娘って何の事さ!?」

「...あくまで、シラを切る、と。」


背後の熱が更に上がった気がした。


ひらり。

右下が少し焼け爛れたカードが、目の前に取り出された。


「なんだこ...れ...ぁ」


気まずそうに、将吾は視線を反らす。

反らした先にも黄色く光る眼球があった。


「ほう、ほう、ほう。」

チリチリと服が熱で焦げて行くのが解る。

身体を押すカリアの手からも、じわじわと熱が伝わってくる。


「さて。ご主人様。」


肩のあたりからゴポゴポと沸騰した泡を立ち上らせながら、隠すことの無くなった狂気の目を将吾に向ける。



「何か、申し開きは御座いますか?」



あー、とか、うー、とか、

普段と打って変わって歯切れの悪い将吾。


「...なにも言い残すことは無い、と。」

「わあああ熱い熱い!!分かった!分かった!言うよ!!」


観念したように将吾はへたり込んだ。



***



「...今、なんと。」

「預かり物なんだよ、あのカード...。」

正座のまま、説明する将吾。

少しでも変なことを言うと、背後の池が文字通り全部溶解してしまいそうな、そんな状況。

彼には真実を語るしか道はなかった。

「中島さんっていう常連さんがね?昔、通ってたらしいんだ。それで、ふと内ポケットを見たときに、このカードが入ってた訳。」

ふむふむ、とカリアは頷く。

どうやら、聞いてくれる体制にはなったみたいだ。

「んで、あそこの奥さん、中島さんが何かヤマシイ事があると、すーぐバレるんだと。降りる直前だったから、んじゃ私が預かっときますわーって、預かっちまった、て訳...カリア?何してんの?」

スマホで撮影したカードの画像を、誰かに送信しているようだった。

『高音様』と、書かれていたような気がした。


「お気になさらず。それでは、最近のご休憩や、繁華街への頻繁な停車は、何だったのですか?」


「あー、まぁ分かるよね。...魔界の道具屋さんで、これを選んでたんだ。」


小さな箱を差し出す。

カリアが開けると、そこには。

「首飾り...で御座いますか。」

「一年なんだ。君が此処に来てから。」


キラキラと光る、アンモライト。

光の加減によって、虹色に輝いていた。


「......」

無言、だが。

体は鮮やかな緑と赤のマーブルになっている。

というか、めっちゃプルプルしている。


「...ありがとう、御座います。」

「こちらこそ、ありがとう。君のお陰で人生楽しく過ごせてるんだから。」


家具達は何事も無かったかのように、元に元に戻っていた。


「...と、言うわけで、ごめんね?変な心配をかけちゃって。」

「こちらこそ、取り乱してしまい、申し訳御座いませんでした。」

「サプライズのつもりが、こっちが不意討ち貰っちゃったよ!アッハハハ!...んじゃ、夕食の準備でも...うぉ!?」

ぐい、と、正座の体制に戻される。

「ふふ、ふ、ふ。まだお話は終わっておりませんよ?」

「え?...あ」

焦ったが故の自爆に、今さら将吾は気づく。

「さて...二度目、で御座いますか。」

また、部屋の温度が上がった気がした。

「い、いやー、あのパーツ、限定ものでさ...アハハ...」

「ヒトツになろう、などはもう申し上げません。...しかし、ここは一つ、"お灸"を据えねばなりませんね。」シュウウ

「アッツゥイ!!ごめん、ごめんて!!」

「今回は、逆転などさせませんよ?ご主人様。」

あ、これ、本気のヤツだ。


部屋の緑達が、少し明るく、それでも熱く、泡立った。
19/03/11 23:50更新 / スコッチ
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■作者メッセージ
「ご、ろ、う、さん♪」
「おうどうした高音ハイライトがどっか鈍行で出掛けちゃってるぞー?」
「この写真、なーんだ♪」
「こ、このカードは!?」
「ギルティ」
「ぐわああああああああ!!」


***



「課長、今日は貧血でお休みだって。」
「...あー。」


***


アホの子ショゴスさんの本気。

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