連載小説
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7:ワタシだけなんだ。[海和尚]
アクアリウム。

ゆったりと揺蕩う生き物達が彩る、ゆったりとした空間。

そんなキラキラと光る水面に照らされる、青年が一人。



『金魚鉢の金魚の気分になったことはあるか』



中々無いような質問だと思う。

しかし

この青年はきっと、生々しい程の経験談を語ってくれることだろう。



この境遇に、疑問を持てば、の話だが。



彼はまさに、鉢に入った金魚である。

アクアリウム。

それは彼を包む鉢でもあった。





アクアリウムに入れられているのは、彼の方だった。





***




彼は永いこと、ここにいる。

時間がどれ程経ったのか

目覚める前はどこにいて、何をしていたのか

既に定かではない。



見渡さずとも解るのは、立方体の部屋。

おおよそ7〜8メートル四方の空間に

ガラスで出来たテーブルと椅子が置いてあり、

布団が一式敷かれ、

出口へ続く下り階段が一本、伸びている。

天井には透明な通気孔が一つ。

窓や照明は無い。


そもそも

壁、床、天井に至るまで、全ての面が透明なのである。


時間、という概念を置き去りにしたような空間だった。

常に柔らかなセルリアンブルーの揺らめく光に照らされ、数少ない家具たちは淡く光を反射し、存在を示している。

周りは様々な海洋生物が、自由気ままに過ごす。

聞こえるのは、通気孔の静かな息づかいと、階段から聞こえる、控えめな波の囁きだけ。

下り階段は扉へ続く代わりに、周りを満たす水底へと続いていた。



彼にとっては、それが日常であり、既にそれらへの疑問はとうに感じなくなっていた。


***


彼がベッドに寝そべり、ぼう、と海月の流れる様を眺めていると、背後から水の滴る音がした。

「おかえり。」

「ただいま。何見てるの?」

「海月が揺られてるなって。」

「うん、揺られてるね。」



それは数秒の沈黙かもしれないし、数時間の沈黙かもしれない。

彼も彼女も、時間という些細なものは、気にならない。



魚の群れが、腹を光らせながら横切った。

「魚って、なに考えてるのかな。」

「きっと、なにも考えてないよ。」

「そっか。」

「きみは、何を考えてたの?」

「ううん、何も考えてない。」

「じゃあ、魚と一緒だね。」

「そうかもね。」



色鮮やかなウミウシが、体をゆっくり波打たせている。



「ねえ。」

「ん?」

「ワタシのこと、考えることはある?」

「...そう、だね。考えることはあるかも。」

「そっか。なら、きみはワタシのこと以外、何も考えてないんだね。」

「そうかも。」



二人は昔からそうしていたように、生まれたままの姿で抱き合い、繋がっていた。

彼女の甲羅を下にして、彼は覆い被さっていた。



「ワタシは、一人で起き上がれないの。」

「うん、知ってる。」

「ワタシを起こせるのは、きみだけなんだ。」

「そうだね。」



互いの心音が、部屋に新しい音に加わる。

互いの脈動が、身体にこの世界で唯一の刺激を送り合う。



「ワタシは、海でも息が出来るの。」

「うん、知ってる。」

「ワタシの息を止められるのは、きみだけなんだよ。」

「うん。」



いつものように、

彼は彼女の首に、手を伸ばす。

その細い首を

愛でるように

その指を深く回し

ゆるゆると絞める。

彼女の喉元から


ひゅう


と、僅かに気道を通う、空気の抵抗を感じる。

彼にとって、今はその音が、世界の全てだった。



何秒、何分、何時間か分からない沈黙が続いた。




目元には薄く雫を湛えながら

穏やかで、恍惚とした笑みを浮かべる彼女に、ゆるりと繋がりを締め付け、擦り上げられ

彼は穏やかに精を流し込んだ。



どのぐらいの時間、流し込んだかなんて、分からない。

激しさはない。

あるのは、暖かい海に流されるような心地良さだけ。

互いに静かに

眠る直前の夢見心地のように

曖昧な快楽に身を任せた。






***





ぼう、と水底の景色を見つめる彼に、彼女は特に視線を向けるでもなく、話しかけた。

「ねえ。」

「うん。」

「きみは、海では息を出来ないよね。」

「そうだね。」

「きみに息をさせることが出来るのは、ワタシだけなんだ。」



キラキラと、アクアリウムを照らす光が揺らめく。

二人の「狂気」という概念は、

既に揺らめく水の奥

見えない底に、沈んでいた。
19/03/10 22:48更新 / スコッチ
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■作者メッセージ
ご希望:TAT様

慈愛と被虐に満ちた種族と言うことで、
海中の静かな狂気、をイメージしてみました。

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