連載小説
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貧乏傭兵と炎精霊 -1-
 一人の男が、草原に寝転がっている。
四方五里、見渡す限りの大草原だ。
時は夕。空は芸術的な暮れの色に染まっている。

 そんな大自然のど真ん中、彼はポツンと一人寝転ぶ。
旅のお供のリュックサックを枕に、くわえタバコの灰色の煙をくゆらせて、燃えるように紅い空をまっすぐに見つめている。


 彼の名は、ハールリア・クドゥン。
出身はここより遥か遠い、カッサ・デーヤと呼ばれる大陸西南の一地方。
彼は旅人であり、秀才的な剣士でもあると同時、天才的な魔法使いだ。
ハールリアは自身を傭兵と称しているが、多くの者は彼をそのようには認識していない。
一度戦場に立つ彼の姿を見たものは、彼の異名と共にその本質を理解する。

 『炎霊華葬のハールリア』、若き華炎の英雄と。

 彼の扱う火炎の魔術は、壮絶の一言に尽きる。
緻密な操作のもと演舞する極温の炎。それは全てを飲み込む破壊であり、見るものを幻想に誘う美麗なるアートでもある。それは敵方に取っては畏怖すべき兵器であり、味方から見ればこの上なく力強い切り札だ。
その燃え盛る中心で指揮者のように佇み、涼やかに笑うハールリアの姿に人々は心奪われ。圧倒的でありながら、暴力的でない強さを示す彼に、憧憬と畏怖の念を示して。人は彼を、英雄と呼ぶのだ。


 熟練の将兵の数々が彼と肩を並べて戦ったことを栄誉とし、多くの国王が彼を自国に引き入れようと躍起になった。
だが彼は、一時的に雇い入れられる事はあっても、専属として働いた事は一度もない。彼の気が向くままに、様々な軍、様々な戦場を渡り歩き、未だ定住地を持たない。
待遇に不満があったのか、はたまた単に旅が好きなだけなのか・・・・何にせよ、彼は今もフリーの状態だった。







 そんな旅を幾年も続けて、遂に彼の旅路は大陸の東端に到達しようとしている。
十五で故郷を離れた彼も、もはや二十三。少年が青年に変わるだけの時間が経っていた。
そんな一つの旅の節目。旅する天才は、どこまでも続く紅い空を見上げ・・・・一体何を思うのだろう?

「腹、へったぁ・・・・」

・・・・なんとも情け無い限りである。
そんな彼を嗜めるかのように、小さな声がガナリたてた。

(もう、あんなコトするから!)

 幼子のような高い声だ。
声はすれども姿無し・・・・囁き程の大きさの怒鳴り声だけが、ハールリアの耳に響いていた。
それにさしたる驚きも示さず、彼は声の主に言葉を返す。

「けどさ、フィーリ。元々あの仕事の報酬は僕に入る物じゃないって契約だったろう?
 雇い賃は前払い。給金は仕事時間に正比例。しょうがないよ」
(そっちじゃない! 地図とかそういう旅の荷物一式、全部街に置いてきたじゃない!
 なんであの傭兵さんと一緒に街に戻らなかったかなぁ・・・・)
「・・・・あ〜」
(あ〜、じゃない! これから一体どうするのよ!?)

 声だけの相手と、特に問題なく繰り広げられていく会話。
しかし、本当に相手がいないわけではない。ハールリアの視線を追ってみると、今はそれが真っ直ぐ空に向いてはおらず、それよりも手前、揺れる煙の少し下、タバコの先を見ているのが分かる。
その先端に灯る、呼気と共に大きく赤くなる小さな炎を見ているようなのだ。

「まあ、なんとかなるんじゃない? とりあえず、次の目的地の新王都までは一本道らしいしさ」

 ハールリアがそう言った途端、僅かだったタバコの火がフッと揺らめき、急に膨れ上がる。
あっという間にテニスボールほどの大きさになったそれはタバコから離れ、ユラユラと宙を漂いだした。
それは薄ぼんやりとした輪郭のヒトガタとなると、先ほど聞こえてきたものと同じ、幼子の声を発した。

「何言ってのさ、バカご主人!
 その次の目的地まで、徒歩だと二週間はかかるんだよ!?」
「うっげ!? ・・・・そんなに有ったのか」
「ご〜主〜人〜〜!!!」

 そんな物理法則を無視して宙に浮き、言葉を放ち、あまつさえ感情すら露わにするものが、ただの炎であるわけがない。この炎の塊は火の元素精霊、イグニスだ。
そしてこの、ハールリアからフィーリと呼ばれているイグニスは、彼の旅の相棒でもある。
・・・・そう、彼は魔術師であり、同時に精霊使いでもあるのだ。

それも今時珍しい「純モノ」の精霊を連れた。



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「うお〜、腹減った〜! 飯切れた!!」
「その台詞、もう十五回目だよ。
 まったく何でこんな基本的な所で迂闊なのかな〜!」

 延々と続く街道をカント=ルラーノに向けて歩きながら、ハールリアとフィーリは口喧嘩を続ける。・・・・いや、口喧嘩というのも可笑しな表現か。
大した距離でないから大丈夫とか、すぐ戻ってこれるだろうから問題ないとか、そういう理由でほとんど食料を持ってきていなかったハールリアを、幼い精霊が半ば呆れながら叱り飛ばしている。
しかしまあハールリアには、その気になれば辺りの獣でも狩って夕飯にする程度の能力はあるだろうから、互いにそう深刻なものとは捉えていないようだ。

「お、ラムレーズンみっけ!」

 手に持つ麻袋を覗き込み、子供のように声を上げる炎霊華葬。
これで数ある国々を震撼させた英雄なのだというから・・・・居たたまれないというか、何か浮かばれない気分になる。
そんな主が情けないやら何やらで、フィーリも大きく息を吐き出す。

「・・・・そんなんだから、未だに恋人の一人も出来ないんだよ」
「うっせーやい」

 相方の憎まれ口に、コツンと拳を振るうハールリア。
・・・・といっても、相手は炎の塊のような物。
呆気なく素通りして革製のグローブが少し煤けただけだった。

「で、これからどうするのさ。次の街までずっと野宿する気?
 それに、地図もないんだから、お水切れたりしたら大変だよ・・・・?」
「ん〜、まあ、どうにかなるんじゃない?」
「なんとかってさ・・・・はぁ」

 などと二人が話をしていると、ガラガラガラ…と遠くから馬車を引く音が聞こえてきた。
ハールリアが振り向いて見てみれば、真っすぐ続く街道の上、こちらに向かって走ってくる二頭引きの幌馬車を見つけた。
商人のものか旅人のものか、どちらにせよ今の二人にはまさに渡りに船だ。フィーリが嬉しそうに声を上げる。

「あ、丁度いいじゃない。載せてもらおうよ」
「オーケー異議なし。 どれ、取り合えず路銀を確認・・・・おおぅ」
「・・・・ねえ、ご主人? 何やら、物凄ーく嫌な予感がするんだけど」
「大変だフィーリ、なんと財布が」
「それ以上言うな! このバカご主人!!」

 今度はフィーリの方がトボけた相方に拳を振るった。
小さな体の一部を拳の形に整えて、子供のようなポコポコパンチを見舞う。
見た目は微笑ましい。が、炎で出来た体でそんな事をされては堪ったものではない。

「ちょっと待って、フィーリそれ、結構洒落になんない!」
「うっさい、このドジ! 甲斐性無しのバカご主人!!」

 微妙な出来の罵倒と共にフィーリはポカポカと自分の主人を殴り付ける。
さすがに火力調節はしてあるようで服やら何やらが燃える事はないようだが、それでも火傷くらいなら出来てしまいそうな熱だ。
ハールリアはひいひい言いながら、それでも何処か楽しげに殴られている。
まあ、仲が良いのはいいことだ。


 そんな素人漫才をしている内に、馬車はすぐ近くまで来ていた。
それなりに広く整備された街道とはいえ、ど真ん中でバタバタと走り回る人間がいては通る訳にも行かないのだろう。
御者の男が馬車を下り・・・・そこで気付いて、声を上げる。

「ハールリアか?」
「ん? 確かに僕はハールリア・クドゥンだけど・・・・って、ああ!?」

 声を掛けてきたのは、黒いコートに身を包んだ若い男だった。
深青色のスカーフで下半分を隠されたその顔は、ハールリアには覚えのある物だった。
縁は奇なもの、などとは良く言ったものだ。ハールリアは心の底から驚いたような声を上げる。

「フェムノスじゃないか! こんな所でどうしたんだ?」
「どうした、は此方のセリフだ。何をしている」
「あ〜・・・・いやぁ、ちょっとね」

 と、バツが悪そうに頬を掻くハールリア。
隣で浮かんでいたフィーリがそんな主を無言でドツく。

「ぅ熱ッつ!?」
「ふん、だ」
「む?」

 その光景を見て、フェムノスが訝しんだ声を出す。
物理法則を無視して浮かび、ひとりでに動き、あまつさえ言葉まで発した炎を目にして、さすがの彼も驚いたらしい。

「その赤い小さいのは何だ?」

「んっな!?」
「ああ、ほら、ちょい落ち着けフィーリ」

 ひどくぞんざいな物言いにフィーリがカチンと声を荒げて怒りの意を示した。その火球のような体からボゥ、とフレアが吹き上がり、今にも彼に向かって飛び出して行ってしまいそうだ。
相棒がそんな危険物になる前にハールリアはやんわりと間に手をやって制しつつ、フェムノスのかけた問いに答える。

「こいつは俺の相棒のフィーリだ。炎の精霊を見るのは初めてかい?」
「炎の精霊? ・・・・そうか、未熟者の方か」

 合点が行ったようで彼は頷く。
フィーリの怒りは更にボルテージを上げた。

 ――彼の言う「未熟者」とは、魔物化していない精霊の事だ。
今の世で、よほど学のあるものでもない限り精霊というものを正しく認識している人間などいない。
精霊との関与が薄いような地方での一般認識では、魔物化による実体化と魔力の増強などの事実などから魔物としてのイグニスの方が「成体」、そうでない薄ぼんやりとした姿しか持たない純粋な精霊を「幼生」と考えられている。
それに純粋な精霊というものは普段は炎や風、水、土などの、それそのものとして存在しており、目にする機会など無いに等しい。感じ取れと言われても、自然そのものである彼女らの行いは相当注意深い者でもない限り「普段と何が違うのか?」となってしまいがちなのだ。
高い才覚を持ったものならば精霊の声を解し、今のハールリアのように自身を介して周囲にその存在を知らしめることもできるが・・・・昨今の情勢では人と契約を交わした精霊は多かれ少なかれその契約主との関係から「魔物の魔力」の影響を受けており、やはり一般大衆の見知った「精霊」というものは半ば以上魔物化した姿のものばかりなのである。

 フェムノスも、そんな元来の炎の姿を忘れてしまった人間の一人であるらしい
別に不思議なことでもないし今までも散々遭ってきた事だ。残念ではあるが、よくある事。嘆く程でもない。
ハールリアは一つ溜め息をついて、相変わらず今にも飛び出しそうなフィーリを遮りながら言う。

「違うよ、フェムノス。こっちの姿が本物だ。
 よく見るのは、みんな魔物になっちまった連中だよ」
「そうだったのか、すまない」
「そんな淡々と言われても謝られてる気がしない!」
「おい、フィーリ・・・・」
「すまない」
「こっの!」

 フェムノスの反応が余程腹に据えかねるらしい。
フィーリの炎の揺らぎは大きくなり、熱量も上がっていく。
どんどんと剣呑な雰囲気になっていく二人(なっているのは片一方)の間に入ったのは、やはりハールリアだった。

「はいはい、ブレイクブレイク。
 すぐ熱くなるのは、らしくて良いけど、あんまし余所様に見せてやるなよ」
「う〜・・・・」
「唸らない唸らない」

 どうどう、とフィーリをなだめつつ、閑話休題。
元の目的を思い出したハールリアが言った。

「・・・・そうだフェムノス。
 突然で悪いけど、その馬車に乗せてもらえないか?」
「馬車?」
「そう、馬車。思った以上に王都が遠くてね、徒歩だとシンドイんだ」
「ふむ」

 ハールリアの言葉に、フェムノスは顎に手をやり、しばし何か考える素振りを見せる。
そして十五秒ほどしてから、一言。

「金は?」「無い!」

 炎霊華葬は潔かった。
返答にはコンマ一秒の間すら無い。
素晴らしい反応速度だ!
・・・・フィーリが再び無言で主をドツく。


「〜〜〜〜〜!!!」


 ハールリアは無言で叫ぶという、中々珍しい芸当をやってのけた。
どうやらフィーリの一撃には、先程までフェムノス相手に蓄積されていた怒気も含まれていたらしい。
結構な熱量の込められたパンチは、彼のマントの焦げ穴を一つ増やした。先程ポカポカやられた程度では焦げ一つ付かない防火マントであるにも関わらず、である。
ハールリアの感じた熱が如何程のものか、推して知るべし。

「分かった、乗っていけ」
「まぁ、普通はそうだよなぁ・・・・って、何!?
 僕は一文無しだぞ! 良いのか、フェムノス!?」

 フェムノスの答えが心底意外だったらしく、ハールリアの返答は当てが外れてノリツッコミとなってしまった。
彼にとって・・・・いや、多くの人間の認識の上では、傭兵とは金銭や損得の絡まない所では動こうとしない人種である。なにせ金のためなら幾らでも自身の命を危険に晒すような連中なのだ。
時と次第によっては商人などよりもよほど業突く張りだろう。

 実際、それは今回にあっても概ね正しい。
何故ならフェムノスも単なる人情などでハールリアを乗せる気ではなかったからだ。
付け加えるようにして、フェムノスは言葉を続ける。

「但し。金銭の代替として、幾つかの条件を提示する」
「な、なんだ…?」

 思わず身構えてしまうハールリア。
フェムノスが無表情、無感動の声音のまま交渉を始めたからだろう。
こういった時の彼は何処か人形じみた恐ろしさがある。そうなったフェムノスを見たのはこれが初めてだが、ハールリアはそんな風な事を考えた。



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(まさか、魔物とはねぇ・・・・)


 フェムノスの言った頼み事。
それの遂行のためにハールリアは馬車に入り、少しだけ驚いていた。

 まず第一に、馬車の中が想像以上に空きスペースだらけだった点。見た目からして頑丈そうな牽引馬も二頭いる立派な馬車である。それにも関わらず馬車に積み込まれていたのは、先ほどまでハールリアが失くしたと困っていたような旅に最低限必要となる物が隅の方に置かれるばかり。それと、年若いハーピー種が一匹。それだけなのだ。

 そして、第二がこのハーピー種。
――カント=ルラーノまで連れて行く代わりに連れの喉を見てほしい。
そう条件を提示したフェムノスの言う『連れ』とは、この寝袋と丸めた麻袋を集めて作った即席ベッドの上で眠る少女の事なのだろう。
あんな人形じみたほど感情の見えない人間でも色恋事に感心はあるのだなと驚くなり色々と邪推するなりもしたが、目下彼の問題は彼女が「魔物娘」である一点だった。
ハールリアは、有り体に言って魔物嫌いである。恨みを持っているわけではないが、どうしても好きになれないのだ・・・・

 彼の今までの旅は長いものだった。
その中で精霊使いとしての自分と同業者――火の精霊と契約を結んだ人間も何人か見てきた。
彼等、ないし彼女達が契約していたのは皆揃いも揃って魔物化したものばかり・・・・。
愛欲に溺れ、自身ですら無意識の内に堕ちていく精霊達の姿は恐怖だった。
肉欲に誘われるまま、少しずつ狂っていく契約者に・・・・生理的な嫌悪を覚えた。
性欲に狂い、乱れ、穢れていく・・・・そしてそれを至上の幸せと疑わない、そのオゾマシサ!


 カチャ…


 ハールリアがその魔物を見ていると、どうも彼女は目を覚ましてしまったらしい。逃走防止のためだろう、足首にきつく巻きつけられた鎖が小さな金属音を鳴らす。
目覚めた魔物は自身の翼を小さく広げ、隠れるように顔の前に持っていった。すぐに隠れてしまったが、その表情には確かに怯えの色が浮かべられていた。
彼は何となしに・・・・程度のつもりだっただろうが、僅かながら殺気立ってしまっていたのかもしれない。


(怖がらなくって良いよ。
 ご主人、魔物嫌いだけど・・・・理由もなしに手は出さないから、安心して?)

 誤って馬車を燃やさないように、と姿を消したままのフィーリが小さな声を出す。
それを聞いてその魔物は少し警戒を解き、すまなそうに頭を下げた。驚いた様子がないところを見ると、以前にもこういった風に精霊と話したことがあるのかもしれない。もしくは、魔物の五感だとこの状態のフィーリでも知覚できるのかもしれない。
フィーリの声に少しだけ警戒を解き、まだ多少の怯えを残しながらもこちらを見上げてくる彼女の姿を見て、ハールリアは何やら複雑な顔をしていた。

(貴方、ハーピーの仲間だよね。なんて種族なの?)

 フィーリが問うが、彼女は答えない。
ただ小さく首を横に振っただけだった。
・・・・代わりに、御者台のフェムノスが答える。

「羽に爪が無い。足の関節の数が人と変わらない。
 多分、セイレーンだろう」
(多分って・・・・お連れさんでしょう?)
「手に入れたのは昨日だ」
(手に入れたぁ!?)
「報酬」
(こっの――魔物だって物じゃ無いんだよ!)
「知っている」

 何となく噛み合っていない感じの会話。
怒っても直接的な発散が出来ないためか、苛立っているフィーリ。
フェムノスは――言うに及ばず。何を考えているかすら掴めない。

 そんな二人の様子を見て・・・・いや、聞いてか。
セイレーンの少女は小さく羽ばたいて、フェムノスの後ろへと居場所を移す。
言い争いが始まったのを見て、とりあえず少しでも見知った人間の近くへ行こうとした結果だろう。

(ありゃ・・・・えっと〜、ゴメンね?
 あ、そうだ。あなた名前は?)
「リエンだ」
(何でアンタが答えるのよ!)
「こいつは声が出せない」
(――え?)

 それって・・・・と、思いがけなかった言葉にフィーリは絶句してしまう。
彼女とてハールリアと共に幾年も旅を続けてきた身だ。セイレーンという魔物がどういう習性を持って、どんな性格をしているのかくらいは知識があった。

 セイレーンが声を出せない?
あの何時、何処であっても歌っているような――歌うことが生きがいのような魔物が、声を失う?
それは一体どのような気持ちで、一体どんな地獄なのだろう。
・・・・心優しい火の精霊は、そんな彼女の置かれた世界を感じて絶句した。

「それで、連れの喉を見て欲しい、ね」
「ああ、頼めるか?」

 ハールリアが納得したように声を上げる。
声に多少の苛立ちはあるが、先程までの雰囲気と比べれば大分柔らかかった。
そんな空気の違いに気付いているのか、いないのか。フェムノス声は愛も変わらない無感動な――もしくは呑気な――物だった。

「解った・・・・診よう。
 一応確認するけど、乗り賃はそれだけかい?」
「治せるようなら治してくれ」
「了解。やるからには手を尽くそう」

 何か腑に落ちたようで、ハールリアは診察を始める。
ひょっとすると相方であるフィーリが悲しんだのを悟っての判断かもしれない。
いずれにせよ彼の魔物嫌いも極端なものでは無い。言い方は悪いが・・・・子供がノラ猫に引っかかれて、猫嫌いになったような物だ。



 XXX XXX XXX XXX XXX



「・・・・はい、診察終わり。もう動いていいよ」

 カチャン…


 数刻後、どうやらハールリアは大体の当たりを付けたらしい。
彼の言葉に続き、「少し動かないでくれよ〜」という彼の言いつけを律儀に守っていたリエンが動きだす。――診察中は、本当に僅かな身動ぎ一つしていなかった。

(ご主人。この子、治せそう?)

 心配そうにフィーリが尋ねる。
こういった言葉を掛けるのは本来ならばフェムノスの役目なのだろうが、生憎彼にそういった甲斐性は無い。
御者台に座って彼等に背を向けたまま「どうだった?」と、結果だけ聞いていた。
フィーリが再び眉根を――眉はないが、彼女の苛立ちが大きくなったのは確かなようだ。室温が少し上がっている。

「呪術系の魔術の類。多分【シールズ】だね。
 継続的な呪いだから、元を絶たないと意味が無い。肉体に「声が出ない状態」が健常だと誤認させてるんだ。
 だから薬も魔法も効果は薄いよ。分かりやすく言うと・・・・ほら、いくら回復魔法を使っても、人間に虫みたいな手足が増えたりはしないだろ?」
(なら、その元を何とかすれば良いんじゃないの?)
「そう。この場合だと、媒体・・・・術を維持するための魔術式が書きこまれている物を壊せば呪いも解けて普通に声が出るようになるはずだ。
 術自体結構複雑だし、常に心身に作用する術だけに【オヒャクドマイリ】みたいに遠隔でってわけにも行かないから、媒体は彼女からそう離せない」
(じゃあ、それを壊せば!)

 希望を見出だしたようなフィーリの声。
だが、ハールリアは力無く首を左右に振った。

「ダメっぽいね・・・・」
(どうして!)
「媒体は、どうも彼女の声帯そのものらしい。
 さっき口を開けてもらって見てみたら、喉の奥の方に火傷痕みたいに黒い文字がチラッと見えた。
 ・・・・あれを壊すんなら、喉笛ごと掻っ切る気でやらないと駄目だろうね。
 術者は大層底意地の悪い人間らしい。残念だけど、お手上げだよ」

 お手上げをアピールしているらしく、手を頭の上でブラブラとさせるハールリア。
その事実に、心優しい炎精霊は力無い声で(酷い・・・・)と呟いた。
当事者である筈のリエンは、御者台に座るフェムノスの後ろからボーッと空を見上げていた。
無気力とも、呑気とも取れる行動だ。

「魔力供給は」
「うん?」

 御者台から前を見ながら・・・・つまりハールリア達に背を向けたまま、フェムノスが問うた。

「そういった継続的に効果を発揮する術式には、何処かから魔力を注ぎ続ける必要がある筈だ。
 見たところ、そいつには飢えている様子も無い」
(飢えって・・・・)
「精にだ」
(解ってるわよ! わざわざ言い直さないでよドアホ!!)

 この男は・・・・と、再び怒りの念を燃やし出すフィーリ。
どうもフェムノスは口を開く度にフィーリの怒りを買っているようですらある。
十中八九無意識なのだろうが――それはそれで余計に質が悪い。
フィーリの有りもしない歯が噛みしめられる音が聞こえて来そうですらある。

 だが、その一方でハールリアは少々難しい顔をしていた。
何か真剣に考えているようで、ブツブツと言葉が漏れている。
そうして暫くして考えが纏まったらしい。
「ちょっと失礼…」と、リエンの服を捲り上げる。

 おへそ辺りに手を回し、そこから脇腹、背中へと。
ぺたぺたと撫で回しながら肩甲骨の辺りまで・・・・

「痛っ!? ちょっ、フィーリ!勘弁!!」
(うっさい! このエロご主人!)

 そこまで手を伸ばした所で、突然ハールリアが苦しみだした。
傍目には一体何が起こっているのか解らないが、ひぃひぃ良いながら馬車内を駆け回っているハールリアの様子と言葉からして、どうもフィーリから何やら被害を被っているらしい。
当事者のリエンはボーッとその様子を見るばかりで、特に気にもしていないようだ。魔物らしい羞恥心のなさからか、あるいは・・・・

「あいたたた・・・・フェムノス、見つけたよ。言った通りだ。
 背中にあった。右の肩甲骨辺りを中心に、殆ど背中一面――ああ、フィーリは見ない方がいい」
「ご苦労ハールリア。少し運転を変わってくれ。
 リエン、少し見る」

 フェムノスの問いに、リエンは小さく頷く。
カチャカチャと鎖を鳴らしながら御者台の後ろまで来ると、フェムノスに背中を向けた。
隣ではフィーリの魔手から解放されたらしいハールリアが急に言われた任務をまっとうするため、すっ飛んできて手綱を握っている。どうもこの英雄、かなりいいように使われているようだ。


 フェムノスがリエンの服を捲り上げる。その先にあったソレは・・・・惨かった。
焼き印。そう、これは、そう呼ばれるものだ。
もう何年も陽にあたっていないような、新雪のように白い素肌に刻み込まれた、赤く爛れてベロベロに剥けた火傷跡。痛々しく剥がれた皮。爪などよりもよほど硬くなったそれは、下手に引っ張ると肉まで削げてしまいそうだった。
・・・・随分と深い火傷だ。芯まで焼けて、皮下組織まで死んでいる。しかも、一朝一夕に刻まれたものでもないらしい。一応、商品としての価値を保つために消毒などは施されたようではあるが、これは「わざと痕が残るように粗く」治療されたのだろう・・・・そこにあるのは、痛々しさを保ったまま治ってしまった傷痕があった。
これでは、治癒呪文を用いたとしても一生消えることはあるまい。先程ハールリアが説明した【シールズ】と同じだ。彼女の身体にとっては、もはや治った傷なのだ。治癒の力を施されても、これが癒されることはない。

 そしてそれは、ただの火傷痕ではない。
背中の、肋骨のある範囲ほぼ全域を覆う円の形に刻まれたそれは、複雑な文様を描く魔方陣を形作っていた。
見る目のある人間が見れば、そこに渦巻く魔力の胎動に気付くだろう。
おそらくこれが彼女が飢えていない理由なのだろう。周囲に漂う魔力を吸収して、喉の術式の維持に回している・・・・といった所か。

「なるほど」

 呟きと共にリエンの服を下ろすフェムノス。
そして、そっと…服の上からその古傷を撫でた。
それは単に衣服のシワを伸ばしただけなのかもしれない。
感情を表に出さない彼は、表情ばかりか細かな所作ですら人間味がないほど無機質だ。
それでもそこに優しさや慈しみを見出すのは、人情というものだろう。


「悪いね・・・・これは僕じゃ何も出来ないや」
「気にするな」

 暗い顔のハールリア。
釣られてかリエンも申し訳なさそうに項垂れている。
相変わらずフェムノスは無表情で、その声は興味すら無いといった具合に無感動だ。
馬車の中に気まずい沈黙が訪れる・・・・


(おかしいよ・・・・)


 フィーリが呟く。
ハールリアの警告通り、彼女はリエンに刻まれたグロテスクで悪趣味な魔方陣を目にしていない。
しかしだからと言って何も察せないほど、彼女は鈍くも愚かでもない。むしろ鋭敏過ぎるほどの感性でリエンの置かれている状況の、その殆どに気付いてしまっていた。

(おかしい、おかしいよ!)
「・・・・フィーリ、気持ちは分かるが」
(この子が何かしたの!? なんでこんな酷い事されなきゃいけないのよ!!)
「セイレーンの声は人を狂わせる。性奴として扱う上で、それでは不都合だと判断されたのだろう」
(!? こっの!!!」

 フェムノスが放った一言が、再びフィーリの神経を逆撫でる。
ついに自制が効かなくなってフィーリは怒りに任せて実体を取り、怒りの叫びと共にフェムノスに向かって突進した。
この無配慮に過ぎる大馬鹿者を・・・・!

 怒りのせいか小さな灯火のようだった姿は、今や業々と燃え上がるスイカほどに大きな火球となっている。
その焔は相当の高熱を持っているようで幌内の気温が一瞬にして数度上昇した。
彼女は殺気こそ放ってはいないが、こんな熱量、人間の一人くらいは簡単に炭化させてしまえるだろう。
そんな破滅的なエネルギー量。ただの人間が当たってしまえば、決して生きてはいられまい。


 そんな物騒極まりない炎の弾丸は、ハールリアが止める間すらなく飛び立ってしまった。
しかしそれが、フェムノスを焼いてしまうことはなかった。彼のすぐ後ろまで来た所で、フィーリは急に動きを止めてしまったのだ。

 彼女の目の前には、その行く手をはばむように鮮やかな青い翼があった。
フェムノスの隣にいたリエンがその翼を広げ、割り入るように彼の背をフィーリから守ろうとしたのだ。無意識のまま無遠慮な言葉を放ってきたフェムノスに、一番怒っていい立場の――むしろ悲しんでもいい境遇にある彼女が――その彼を庇おうとしていた。

「なんで・・・・」

 フィーリが勢いを失った声で呟く。
その声は震え、今にも泣き出しそうでもあった。

 リエンは彼女の正面へ座りなおし、小さく、けれど何度も首を横に振る。
それからそっと、自分の羽でフィーリを包んだ。チリチリと羽先が焦げ付くのも構わず、その小さな体を柔らかに包み込む。
リエンの足首に結わえられた鎖が、チャリ・・・・と、どこか寂しい音で鳴った。

「構わないって・・・・そう言いたいの?」

 …コクン

 茫然としたフィーリの問い。リエンは小さな頷きで答える。
フィーリの炎は彼女の想いと同じように急に小さくなっていって、もう熱量もほとんど落ち切っていたが、それでも彼女を抱くリエンの羽はチリチリと僅かずつ焦げ付いていく。
もしもフィーリが涙を流せたなら泣いていたかもしれない。

「・・・・ったく、フィーリ!」

 ボリボリと頭を掻いて、ハールリアが手の早い相棒へ声をかける。
その声でリエンが翼を抱擁をほどいて、フォーリもそこから隙間からはい出るように彼の元まで戻っていった。

「うん・・・・ごめんね、ご主人」
「謝る相手が違うだろ?」
「そうだね、ごめんリエンちゃん。・・・・ついでに馬鹿フェムノスも」
「こら、フィーリ!」
「問題無い。気は済んだか?」
「・・・・やっぱりムカつく」

 やんわりと咎めるハールリアと、素直なフィーリ。
相変わらずのフェムノスというホノボノとした、コントのような会話。
再びフェムノスの横に座ってボーっと様子を見ていたリエンの顔には、僅かな微笑みが浮かんでいた。



 XXX XXX XXX XXX XXX



「カント=ルラーノだ。そろそろ着くぞ」

 早朝。路傍の草が朝露に濡れる時間。
一行を載せた馬車は、長く続く街道となだらかな坂の向こうに目的地の姿を見た。
十数メートルもの高さを誇る石造りの城壁に、所々から伸びる更に高い物見櫓。
その重厚な物々しい作りは、モル=カント聖王国が一大軍事国家である事を如実に語っていた。

「ん・・・・もうそんなか、すまん寝ちまってた」
「問題無い。客人はゆっくりしていろ」
「悪いね」

 眠そうな声――実際寝ぼけているハールリア。
そんな彼をあしらって、フェムノスは鞭をしならせる。
ガタゴトと足音を響かせて、馬車はそのラストスパートを駆けていく。
14/03/15 00:46更新 / 夢見月
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■作者メッセージ
今回はハールリアについて。
続く叙事詩は群像劇を目指しているのですが、彼はまたその中核を担う1人なのでこれからもスポットが当たっていくだろうかと思います。

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