連載小説
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黒剣戦士と囚われた翼 -1-
 翌日。朝一のミサよりも早く、フェムノスは再び教会を訪れた。
あらかじめ連絡が回っていたのか、日が昇るか登らぬかという時間にもかかわらず、すぐにコルナーのもとに通される。場所は昨日と同じ、教会の裏手に設けられた馬車用の出入り口だ。

「はい、という訳で今日からこの馬車は貴方の物です。オメデトウ!
 ・・・・あ、時に馬車の運転をしたご経験は?」
「ある。問題ない」
「それは良かった。それでは、また何時かご縁があればまた会いましょう。
 貴方に神の御加護があらんことを・・・・」

 やけにサッパリとした手続きを終え、コルナーはそう締めくくって深々と礼をした。
普段の様子はチャラついている彼ではあるが、こういった所作は驚くほど様になっている。伊達や酔狂で教会騎士の副隊長などと名乗っているわけではないらしい。
そんな彼の様子を横目に視界に入れて、フェムノスは早々と馬車に乗り込んで手綱を引く。パシン、と一度革紐が馬体を叩き、馬車は緩やかに動き出した。

「縁があれば、な」
「ええ、御縁があれば」

 そんな奇妙な挨拶を交わして、フェムノスは馬車の速度を上げていった。まだ人通りもまばらな通りを抜けて、ガタガタと石畳を鳴らす音を残しつつも、すぐに彼の姿は見えなくなる。
















・・・・その姿も音も、完全に消えたのを見計らってコルナーは顔を上げた。

「ふ〜、真面目な対応ってのも疲れますねえ・・・・まったく、隊長もこういう面倒事を僕に押し付けないで欲しいですよ。
 ・・・・あー、でもなー、あの人、傭兵嫌いだしなー。あの人なら絶ッ対に怒鳴り散らすだろうなー。
 それで後処理とかを全部僕がやる羽目になるんでしょうねぇ・・・・うっへ」

 一人寂しく独り言をこぼし始めるコルナー。一人っきりだというのに、身振り手振りまで交えて雄弁に愚痴をこぼしている。寂しい。
・・・・と、そんな彼に寄り添うようにして影が一つ現れた。馬だ。コルナーの白銀の鎧と見事なコントラストを成す、漆黒の毛並みをもった馬。よく手入れされているのか・・・・否、これは元が素晴らしいのだろう。その馬は、一目見れば思わず手を伸ばしたくなるような美しい毛並みをしていた。まるで星空の闇を融かしたような色合いだ。

 この美しき青毛馬は、コルナーの愛馬である。
『彼女』は、愚痴をこぼす主人の方に心配そうな目を向けていた。

「おや、慰めてくれますか。それはどうもありがとう。・・・・ところで、また抜けだして来ましたね?
 そんなにお仕置きが欲しいのなら、言ってくれればいつだってお相手しますよ〜」

 お仕置き、と聞いて彼女は半歩身を引いた。
それを見たコルナーはさも満悦気に笑い、冗談だと手をひらひらと横に振る。
そしてポロッと、何でもないことのように彼は言った。

「ま、それは兎も角として、いい厄介払いが出来ました。
 いや〜、空の馬車が走ってきたからなにかと思ったら、まさか主人が積荷ごとマタンゴになっていたとは予想外。ちゃんと聖掃したから大丈夫だって言ってるのに、誰も乗ろうとしないんですもん困っちゃいましたよ!」

 愉快愉快と、手を叩きながら笑うコルナー。
ブルル・・・・と彼女が低くいなないたのは、そんな主人の様子を見てタメ息でもついたのだろうか?
彼の他には馬しかいないこの場所で、コルナーはケラケラと道化じみた様子で笑い続けていた。



 XXX XXX XXX XXX XXX



 所変わって、ここはアロンド市からカント=ルラーノへと向かう街道の上。
ようよう朝日が差し込み始めたこんな時間、街道を行くのは二頭引きの馬車が一台あるばかりで、ガランとしている。
その一台の御者台に座るのは、フェムノスだ。彼は、背にあの巨大な鉄塊を負ったまま手綱を握っている。
その速度は、なかなかに早い。元は行商人が使っていた馬車である。積荷が彼自身と、その彼がひとりで持ち歩けるような数週間分の食事やその他雑貨のみであるのだから、当然と言えば当然。
しかしそれとは別に、彼の操縦技術が達者であるというのもあった。しっかりと、その両の手で馬の歩みを操っている。















 ガラガラと規則正しく車輪を鳴らし続けるフェムノスの馬車。
・・・・その後方から、同様の音が二倍ほど早いテンポで迫ってきていた。

「そこの馬車ァ!止まりな!」

 野太い男の声が続く。
フェムノスはチラリと後ろを見て、音の正体を確認する。
一頭引きの荷馬車。質素な作りだが速度が出る。荷は積まれておらず、代わりに茶色の革鎧を着た男が3人。鎧は冒険者向けの市販の物・・・・どこかの正規軍というわけでも無いらしい。
では、何か?

「さっさと止まって、大人しく荷を渡しやがれ!」

 確定、賊。
即座にそう結論づけて、フェムノスは彼らに一応の勧告を出す。

「朝早くご苦労。残念だが、この馬車に俺の飯以上の荷は無い。
 他を当たった方が良いだろう」
「ざけてんじゃねえ! んなご立派な馬車に荷の一つもねぇだ〜?
 んな、バカな事があるかってんだ!」

 彼等は馬車の速度を更に上げ、フェムノスの馬車と横並びになると、思い思いの武器を構えた。今この瞬間にでも斬りかかってきそうだ。
どうやら平和的解決には失敗したらしい。フェムノスは無感動な冷たい目で、そう判断を下した。まあ、元より話が通じるとも思っていたわけでも無い。
彼のその後の行動は迅速だった。

 まず、手綱を引き一瞬だけ馬の速度を落とすと、コートの内ポケットに滑らせていた手がナイフを投げ打った。

「がっ…げ、ごぼ!」

 投げられたのは柄のない、刃だけのスローイングダガー。
ナイフはほぼ直線を描き、盗賊の一人の喉仏に深々と突き刺さった。その男はとっさに抜こうとしたが「かえし」の付いた刃はそう簡単には抜けず、無理に力を入れた瞬間に喉の肉ごと削げ落ちた。
彼はそのまま馬車から転がり落ち、傷ついた頸動脈が噴水のように鮮血を撒き散らす。
数秒もない一瞬の内に巻き起こされた凄惨な光景。それに残る二人が怯んだ瞬間、彼等の命運は決した。なにか黒い大きなものが彼らの視界を二分し、そのままプッツリと、何も見えなくなる。
後には、ガラガラと無人の荷馬車だけが走って行った。


「・・・・上物というのも考えものか」

 居合のように振り抜いた黒剣を背負い直し、フェムノスが呟いた。呟いた、が、だからと言って何が出来るわけでもない。
彼は改めて御者台に座って、早めの朝食にと乾パンを一つかじりながら、小さく鞭を振るって馬車の速度を元に戻す。
さしたる重石も無い馬車は面白いように加速していった。















 街道を更に一里ほど進んだ。道は緩やかな下りに変わり、曲線の少ない道は地平線まで見渡せる。
そんなだだっ広い視界の中、道先の遠くで何者かが争っている姿が見えた。何台かの大きな馬車を中心として、数十人ほどの者たちが剣を打ち合わせていた。

「む?」

 その様子を見て、フェムノスは馬車の速度を上げた。
もとより道の先にて繰り広げられていた闘争劇、数分とかからず馬車は彼を現場へと運びつける。

 近づいて見れば、それが野盗に襲われる行商隊だったのだと分かる。
行商側にも護衛はいたらしいが、多勢に負勢。既に何名もの鎧を着た男達が倒れ、事切れている。多くは矢傷によるものらしい。おそらく奇襲を受けたのだろう。
クロスボウによる狙撃で護衛の数を減らし、同時、隠れていた野盗達が武器を手に躍り出た・・・・といった所だろうか。それで大きな間違いは無さそうである。
後手に回る事を余儀なくされ、数においても負けている。地の利も無い。守備手の不利は明瞭だった。

 おおよその状況判断をしている内に、既に彼はその現場までの距離を数十メートルまで減じていた。フェムノスはそこで馬に止めるように命じ、減速しつつも未だ走り続けていた馬車から迷いなく飛び降りて、野盗達の方へと駈けた。
馬車の出す騒音を隠しもせずに近づいたのだ、気付かれていない方がおかしい。何名かの野盗は彼の馬車の方に狙いを変え、抜け駆けを狙おうとしている。
一番最初に目に入ったのは、クロスボウを構え、矢を放ってきた男。まっすぐに走ってきたフェムノスに向け、矢は狙いを違えず迫り来る。悪くない腕前だ。事切れている護衛の男たちを見るに、おそらく矢には毒が塗ってある。

    ガキンッ!

 しかしフェムノスは、それを意にも介さない。
鋼鉄の鎧すら砕く力を持つはずのクロスボウの矢を、その背に負った大剣で弾き上げる。如何に強大な貫通力があろうと、横合いから細い箆を叩かれれば力の向きは容易く変わる・・・・とでも言いたげな曲芸じみた芸当だった。矢を放った男の目が驚愕に見開かれる。
その隙に、フェムノスは矢を弾くために振り上げた剣を、そのまま近くにいた野盗の一人へと振り下ろす。咄嗟に受けようと掲げた斧の柄ごと、その野盗は袈裟懸けに両断されてしまった。
そして怯んだ男がクロスボウの次弾を装填するよりも、フェムノスが投げたナイフがその男の喉を引き裂く方が早い。それは別の方向からフェムノスに狙いを定めていた別の男も同じだった。

「積み荷一つで手を貸そう、返答は!」

 一瞬で三人分の死体を量産した男は、肺腑を震わせて声を張った。
何も彼は、慈善事業(ボランティア)で野盗を殺したわけではない。彼は傭兵である。


「だ、誰かは知らんが構わん! 頼むから、こいつらを追っ払ってくれぇえ!」

 答えたのは豚のように肥えた男だ。馬車隊の中央、一際豪奢に作られた幌から身を乗り出し、潰れた声を張り上げている。
もはや毒々しいと感じるほど光り輝く装飾品に、汗を吸って変色しだした絹衣。人目で「ああ、この人偉いのな」と分かるような格好の彼は、おそらくこのキャラバンの商隊長だろう。
旅行中の貴族かとも考えたが、どちらにせよこの中で地位の高い場所にいる人間であるだろうことは確かだ。
その彼の言質がとれたなら、十全。

 それからのフェムノスの動きは迅速だった。
目の前で仲間の体が2つに別れ、まだ怯みから立ち直っていない男を一刀に唐竹割りにする。その返り血を浴びながら、正面からこちらに近づいてきた二人の男に向けてナイフを一本ずつ。その成果が確認されるよりも先に、後ろから斧を振り上げて近付いてきた男の一撃をステップを踏んで回避。その勢いで振り上がった剣によって、斧の男は背骨を断ち切られてその場に崩れ落ちた。ほぼ時を同じくして、喉の動脈を断たれた二人の男が斃れる。
フェムノスの動きは止まらない。瞬きするほどの時間にそれだけの事をやってのけ、すぐさま次の行動に移っている。
長大な刃を横に、平らな側面部を肩に担ぐように構えると、身を低くし突如として駆け出す。大股に二歩、三歩・・・・瞬く間に距離を詰め、未だ守備隊の奮闘する混戦の中心へと身を躍らせた。何人かの野盗がこちらの様子に気づき近付いた。フェムノスは駆け出した体勢のまま、彼らとは反対の方へ倒れるように大きく体を捻った。ブォン・・・・と重厚な風切り音と共に、横薙ぎに払われた刃は周囲に群がっていた野盗たちをまとめて斬り払っていく。
・・・・止まらない。その勢いを利用して大きく方向転換をした彼は、まるで速度を落とさぬまま付近で戦っていた守備隊の援護に回る。刃金を打ち合い火花を散らすその横合いから、正確に野盗の男の腕を切り落とした。守備隊の男が感謝の言葉を告げようとした頃には、既に姿がない。フェムノスは別の野盗の元へと、その凶悪な鉄牙を向けていた。
近くにいる者から順に、一人ずつ・・・・或いはニ、三人をまとめて、その漆黒の鉄塊の血錆へと変えていく。


 この虐殺劇が終るまでに、秒より上の時間は必要無かった。
数十人はいた野盗たちを正しく瞬く間に斬り伏せたフェムノスは、赤く濡れた巨剣を大地に刺し置いて、心なし先程よりも顔を青くさせた商隊長のいる馬車の方へと歩み寄った。

「約束通り、積み荷を一つ頂いていく」
「え・・・・あ、ああ、分かった。だ、だが一つだけだ! 一つだけだからな!?」
「解っている」

 フェムノスは商隊長の喧しい声に簡潔に答え、馬車の中へと上がる。
血と泥で汚れた土足のままだったが、それを咎められる者は一人としていない。商人達は勿論、護衛の兵士達までもが戦々恐々と身を震わせていた。
そんな彼らの様子は別として、幌の中はまるで何処かの王家の宝物庫のようだった。商隊らしいというフェムノスの予想は正しかったようだ。
どうもかなり大きな商社の物らしく、載せられている品々も半端なものがない。仕舞っておくケースからして上等な宝石が惜しげも無くあしらわれた、アクセサリーなど宝飾類。上位の教会騎士に与えられるような荘厳な作りの武具。輝くほどに純白の絹布や、貴族御用達の高級嗜好品などetc. etc...
この中の商品一つだけでも、市井の者なら真っ当な生活を十年は送れるほどの金額となるだろう。これは確かに、あの肥えた商隊長が「一つだけ」と強調したくなる気持ちが分かる。

 だが彼はそんな高級品達には目もくれずに、馬車の奥深くへと踏み込んでいく。どうやら隅の方にひっそりと積み込まれていた何かに目を付けたようだ。
「何か」などと表現したのは、それが大きな黒布に覆われており、立方形のシルエットしか解らないためだ。その布自体も豪奢な金糸の刺繍があしらわれていて相当に高級感に溢れているのだが、彼は特に感慨もなくその布を剥ぎ取って、隠されていたその中身を確認した。

「これが良い」

と、彼は小さく呟いた。

「な…いや、だがそれは・・・・!」
「積荷一つ、契約に相違はないだろう。これを頂いていく」

 隠されていたその「それ」は、聖銀で作られた檻と、その中に繋がれた美しい魔物であった。
檻には所々に魔術文字が刻み込まれている。恐らく魔封じの術法の類だろう。文字によって魔物の身体能力を人のそれと同程度に抑え込む、そういう芸当の出来る一族がいると聞いたことがある。
そういった実用用途から離れた目で見た檻自体の装飾も、光るものがある。格子棒の一つ一つにすら蔓草をあしらった文様が刻まれ、それらがまるで額縁のように、中に封じられた魔物娘の美しさを一層引き立てていた。

 囚われていた魔物はハーピーの一種だ。
羽は青が基調の鮮やかな物、そこに鈎爪の無い所を見るとセイレーンだろう。
腰に届かないくらいの長い茶髪はよく手入れされていて、僅かな風でサラサラと揺れた。
魔物の実年齢など分かった物ではないが・・・・見た目十二、三。かなり年若い固体に思える。
足先の爪は削られ、足首には金属球の繋がった鎖が巻きつけられている。この商人達の行いかは解らないが、誰かに「商品」として仕立て上げられたのは確かなようだ。
何か薬でも嗅がされているのか、彼女は深いまどろみの中へと落ちていて、その瞳の色を伺うことはできない。しかし、小さくうずくまるように眠る彼女の、その俯いた表情は、幻想的なまでに儚く、美しい。

「これが良い」
「だ、だがそれは王都の神聖職人にオーダーメイドで作らせた檻で・・・・」
「檻は要らない。報酬は商品一つと言った。中の娘だけを頂いていく」

 フェムノスは報酬として彼女を要求した。
一切の変化のない声音と、これまた動きの乏しい表情。その上、顔の下半分は濃紺色のスカーフで覆い隠されている。
そんな人間味の欠ける、何を考えているのかまるでさっぱり解らない男を、このすっかり動揺し、恐怖しきってしまった商隊長がどうこう出来るとも思えない。
しかし彼の示す「これ」に余程の価値が有るのか、それでも果敢に商隊長はごねてみせたが、フェムノスは人形にしか見えぬような無表情で――十数人ほどの盗賊達を一分とかからず斬り殺していった時と同じ表情で――彼の言葉をザックリと遮り、きっぱりと言い放った。
もとより商人達に交渉の余地など無い。既に「傭兵」は十分以上に働いてしまったのだ。事後承諾で無いぶん、むしろ善良な方だと言ってもいい。ここで意固地に断ったところで、商人たちには損しか無いだろう。具体的には・・・・彼らの命とか、その辺りの。

「ぐ、ぐぐ・・・ぬぅ・・・・しかし、だがしかし、だが・・・・・・くっそう!
 分かった!分かった! 商談成立だ!!」

 ただでさえ汗ばんだ顔に、冷や汗と脂汗まで浮かべて、口惜しそうに商隊長は叫んだ。それでも未練は断ち切れていないのか、檻と・・・・それに繋がれた美しい羽を持つ魔物を恨めしそうに見つめている。
そういった主人の様子は他所として、小間使いらしき少年が檻の鍵を開け、未だ目覚めないセイレーンの少女を姫君を扱うように丁寧な手つきで抱き上げ、フェムノスへと差し出す。
その足に繋がれた鎖がジャラリと鳴り、その先の鉄球までピンと張られる。

「確かに」

 彼は小さく頷いて彼女を受け取ると、その細い腰に手を回し、脚を前に肩に担ぐような形で抱え上げる。かなりの重量の有りそうな鉄球は、特に苦でもなさそうに彼の手のひらに収まっている。
そのまま行商隊の馬車を後にした彼は、地面に刺していた剣を抜き、そのまま引きずりつつ、肩の上で眠る彼女を揺らさないように静かな足取りで自身の馬車へと戻っていった。
後ろの方では先ほどの小間使いの少年が、悔しそうに歯噛みする商隊長を、どうどうとなだめている。



 XXX XXX XXX XXX XXX



 日はとっぷりと沈んでいる。これ以上馬車を進ませるのは、視界的にも馬の体力的にも無理だ。
丁度近くに小川の流れる街道の一角で馬車を止め、フェムノスは街道脇で即席のキャンプを作った。焚き火を前に、川で釣った魚が焼きあがるまでの間、地図を開いてフェムノスは考える。
目的のカント・ルラーノ交易都市には、まだまだ遠い。馬車の足でも、今日を含めて後三度はこうして夜を凌がなければならない。食料は十分以上のものを用意しているし、飲料水やその他の必需品にも余裕がある。しかし、慣れぬ馬車旅だ。自分の身一つで旅をしていた時では思いもよらない様なアクシデントで行く手が遮られるかもしれない。そしてそれを解決せねばならぬのは、馬車の持ち主である彼に他ならないのだ。


 焚火に新たな木をくべる。新しい木に遮られ、少し火が小さくなった。だが少し経てばこちらにも着火して、また元の大きさに戻るだろう。
思考を止めて、端から順に黒ずんで炭に変わっていく焚き木の様子を、フェムノスは何と無しに見つめていた。

 そのまましばし・・・・そして、考えた所で仕様がないか、と彼は思索に区切りをつけた。
どうせ突然に馬車の車輪が壊れたなどした時は、彼の手には余る。その時は潔く馬車を手放して、徒歩でどちらかの街を目指さねばならない。どうせタダ同然で手に入ったものであるし、彼にはその選択肢は別に惜しいとも思えなかった。

   カチャ…

 そこまで思考をまとめた所で、そんな小さな音が彼の耳に入ってきた。馬車の幌の中からだ。
どうやら、お姫様のお目覚めらしい。
丁度良く焼けた小魚を一口で腹に収めて、彼は馬車の方へ声を向けた。

「起きたのか?」

 ・・・・・・。
返事が返って来る様子は無い。だが、ガサゴソといった音は止まないままだ。
少々怪訝に思いフェムノスは馬車の中を見に行く。すると確かに、彼女は起きていた。
目覚ましにか小さく首を振るって、ボンヤリと辺りに目を向けている。彼女が眠らされたのが街であれあの馬車の中であれ、周囲の様子が眠る前と大きく変わっていたからだろう、彼女は少しだけ首を傾げる。そして視界にフェムノスの姿を見つけると、パチクリと目をまばたかせた。
それで幾らかの状況を察したのだろう、新しい主人を前に、彼女は恭しく頭を垂れる。
どうやら「商品化」した人間の腕は確からしい。

「いい・・・・顔を上げろ」

 面倒そうにフェムノスは言う。
それから、彼女の目の前まで行くと、片膝を立てた胡座で腰を下ろした。
このセイレーンの少女には彼の意図がよく解らないようで、小首をかしげたまま彼を見つめるその目には、仄かな疑問の色が見えていた。
その視線も、向ける感情も真っ直ぐなのに、その瞳はひどく濁っているように思える・・・・


「名前は?」

 フェムノスが問う。
しかし彼女は何も言わない。
ただ少し、首を左右に振るった。

「・・・・言葉は分かるか?」

 彼女は小さく頷く。・・・・それだけだ。それ以上のリアクションは無い。
彼女は真っ直ぐに、どこか濁ったような瞳を彼に向けつづけている。

 ・・・・セイレーンの多くは、快活で陽気な性格をしたものが多い。
そのせいか、彼女達の歌もアップテンポのものが大多数。故に聞くものは躁状態になってしまうのだ。
だが彼女は、今この場にいるこの個体は、ひどく物静かだ。
元よりそういう性格なのかもしれない。それなりに大きい確率で、「商品化」の上でそんな性格に変わったとも考えられる。
いずれにせよ、彼女はセイレーンという種族からは考えられないほど無口であった。

 無口であるというのは、フェムノスも同じだ。
彼も相当に無口で、それ以上に無表情だ。今でこそ食事の後であるから口元のスカーフを取り払って、存外に若々しい素顔をさらしているが、表情が無いことに変わりはない。
表情筋の動きといえば、言葉を放つための最低限の口の動きと、時折行う「まばたき」が精々だ。

 しかし少女の無口さ、陰鬱さは、それに輪をかけて異常な物だった。
しっかりと目を開けているのに、眠っているようにボヤけた表情。まるで曇りガラスのようにかげった瞳。そんな顔で、何か不思議そうにしながらまっすぐに目の前の男を見つめている。




 ふと何かに気付いて、フェムノスは少女に質問を投げかけた。
声音は、相も変わらない単調でぶっきらぼうな物。聞きようによっては、苛立って怒ったようにも取れる。

「お前、口が利けないのか?」

 その質問に、少女の肩がビクリと跳ねた。
拍子に足元の鎖がジャラッ!と大きな音を立てる。
曇りガラスの目が、怯えたようにつむられる。・・・・それは僅かながらも、彼女が初めて見せた感情の動きだった。
だがそんな反応も一瞬で、すぐに彼女は表情を元に戻してしまう。瞳に落ちた怯えの色も、すぐに流れて行ってしまう。
そして彼女は深く、俯くように深く頭を下げて頷いた。肯定したのだ。

「そうか」

フェムノスは無感動な声で、少しの相槌を打つ。

「すまない」

 それから、短く謝辞の言葉を続けた。
別に頭も下げなければ、すまなそうな声音を使うでもない。普段通りの、感情のない声だ。
そんなフェムノスの言葉に、セイレーンの少女は、今度は小さく首を横に振る。「別にいい」とでも言いたいのだろう。


 暫時、沈黙の時間が流れる。
互いに無言で、ただ目だけはまっすぐに互いを見据えている。
遠なりにパチパチと音を立て続ける焚火だけが、この場で一番明るかった。





「お前の食事だ。口に合うかは解らんが、腹に入れろ」

 彼はそう言って馬車の隅に置いていた袋を開くと、中身を適当に見繕って、幾つかの乾燥食品を取り出していく。
同じく袋から取り出された木皿の上に、スコーンのようなコロコロとし小さめのた乾パンと、ナッツ類、それと何種類かのドライフルーツが乗せられていた。馬車旅の食事としてはかなり上等な方だろう。

 彼女は自分の体の前で羽先を合わせ、頭を垂れる。
音は発せられなかったが、「いただきます」と言いたいだろうとは分かる。
特に淀みも違和感も感じないその所作から見るに、こういった行儀の良さは彼女の自前のものなのかもしれない。

 彼女が食事に手を付けるのを見てから、フェムノスは音も無く立ち上がる。
そのまま彼女に背を向けて、炎の番をしに馬車から出て行こうとした。
・・・・ちょうど御者台に足を掛けたところで、彼は振り向いて声をかける。

「聞くのを忘れていた。 お前、名は何という?」

 問い掛けに対して、彼女は少し悩んだ様子を見せる。
声のない彼女では、Yes Noでは答えられない質問は難しい。小さく顔を動かして、何かを探し始めた。
そしてどうやら望みの品は見つかったようで、彼女の視線は先程フェムノスが集めてきた薪に合わせられる。
視線の意味に気づいたフェムノスがそれを幾らか投げてよこすと、彼女は鎖の巻かれていない方の足を器用に使って、それらを一つの形へ並べていく。


 『No 12』


 それらは、そのように並べられていた。
セイレーンの少女は、再びフェムノスの方に視線を持って行く。
これ以上木片を重ねる気は無いらしい。どうやら彼女は、そのように呼ばれていたようである。

「それが名か?」

 彼の質問。彼女は小さく頷いて答えた。
だが『コレ』が名前などと呼べる物でないとは、さすがの彼とて気付いている。



「ならば、今からお前はリエンだ。次からそう呼ぶ」

 少しの間を置いて、フェムノスは告げた。変わり映えの無い淡々とした声。
それだけ言うと、彼は自身の所有物となったセイレーンの少女・・・・リエンに背を向けて馬車から飛び降りる。
残されたリエンは、ただボーッとした表情で、フェムノスが視界から消えた御者台の方を見ている。
その濁りきっていた瞳が、ほんの少しだけ輝きを取り戻していたのは、幌に長い影を落とす焚火の揺らぎが映っただけだろうか?
14/03/15 00:26更新 / 夢見月
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■作者メッセージ
昔上げていた物に、少し手を加えて上げるだけ……そう考えていた時期が、私にもありました。
見れば見るほど昔の自分の拙さが浮き彫りになり、手直しを加える内に文章量が八割ほど増しました……orz
まあ、その分、以前のものよりは大分マシに…マシに……なってたら良いなあ

ともあれ、今回はここまで。
第四話にしてようやくネームドの魔物娘が登場しました。本当に大丈夫かこの物語!?
次回は今週末か、来月あたりに上がる予定です。予定は未定。アテにしてはいけません。

ではでは、皆さま良い夢を〜

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