連載小説
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♥ワン・ステップ・クローザー
 自分が瀬戸際に立たされていることをようやく理解できたのは予備校の模試の点数が前回よりも下がっているのに愕然とした時で、ちょうどはるさんとの同棲を始めて一週間ほど経った頃だった。
 元々頭の良いほうの人間じゃなかったから、それまでの大学受験に対する周囲の熱意に充てられただけの受験勉強で点数がかさ増しされていたんだと思う。勉強は嫌じゃないし、テストは楽しいもんだと思っていたからこその点数。周囲に教えてもまぁまぁという反応を引き出す程度の、中の上は狙えるかなワンチャンあるだろ、って程度の点数だったのに。
 原因ははっきりわかってるし、理解してる。傾向と対策。それは今の俺にとって、はるさんに対して必要なものだ。実行できるかどうかは、二対八の比率で俺の不利だけど。

 ただ落ち込んでいるだけだとしても、無情にも時間だけは過ぎていくもので。
 エレベータを降りて、だるい身体を引きずって家まで歩いていく。あと二時間足らずで日付が変わるってくらいの頃に帰宅するのが予備校後の習慣になっているのは、彼女と同棲を始めたあとでも変わらなかった。
 乗り換えだとか急行停車だとかをするくらいには大きな駅がここの最寄り駅なもんで、駅周辺には今通っている予備校以外にもいくつかの予備校がある。今通っているところを選んだ理由は、もう覚えていない。友達に誘われたから、みたいなふわっとした理由だったはず。
 勉強しなきゃマズいだろうなって傍観者じみた危機感だけはその時からずっと変わらない。いやヤバいんだけど。
 鍵を取り出してロックを外し、鍵をしまいながら家に入る。玄関の電気を点けて靴を脱ぎつつ、

「ただいまー」
「おかえりーっ」

 このやり取り、一週間経ってもまだ少し恥ずかしさが残ってる。いや、一週間で慣れたら勿体無いと思うけど。それに、恥ずかしい以上に精神的な疲れが吹っ飛ぶ気もする。
 ピンクのもこもこふわふわした寝間着に身を包み、表情に喜色を湛えて玄関までてってこ歩いてくるはるさん。俺におかえりと言えることがたまらなく嬉しいというのが、いつもこうして笑顔でいてくれる理由らしい。言われた時めっちゃ照れた。

「お疲れ様、鷹見くん。お風呂先に入らせてもらっちゃった」
「別にいいって、家事してもらってるんだから。俺もさっさと入っちゃおう」
「入っちゃってー。ふふ、私の出汁がでたお湯をじっくり味わっていってね」
「デーモンが浸かったお湯ってどっかの温泉にありそうだよね」
「心の肩こりによく効きますよー」
「それ、心か肩かどっちだよ」
「両方で」
「両方かー」

 こういうの夫婦漫才っていうんだろうなぁ、とぼんやり思いながらも、どうにもはるさんは常日頃からボケに走るのを止めずにはいられないみたいだし、俺だって彼女とこうしてふざけるのは楽しいんだ。どうせ誰も見てないしな。
 荷物を自室に下ろし、青いチェストから換えの下着と寝間着を取り出す。しっかりきっちり折り畳まれているのは、これらが全部はるさんの手で洗濯と日干しだけでなく畳んで収納されていることを意味する。一人暮らしの頃と比べると家中が見違えるほどに、はるさんは家事に徹してくれていた。
 まあ、今までは俺が家事をてきとうにやってただけなんですが。


 脱衣所で脱いだ服を洗濯機に放り込み、さっさと浴室に入る。はるさんと同棲を始めてから変わったところは、浴室だって含まれている。浴室内に満たされている、フローラルな花の匂い。はるさん専用のシャンプーとリンスの匂いだ。聴いたことない名前の花、ってだけでなんだかオシャレに感じてしまう。
 初めてはるさんの後に風呂に入った時は、普段彼女と接している際に香ってくる上品で甘い匂いの元はこれだったのか、と感心してしまった。流通しているものの中でもそこそこお高めのお値段だけど、これじゃないとダメらしい。
 彼女はいつも、この匂いと共にそばに居てくれる。そういうわけでまあ、既に条件反射を植え付けられている下半身が反応してしまうんだな。男ってのは悲しいくらいに単純なんだ。はるさんもたぶんこれを狙って先に入るんだろうし。
 愚息を無視しながら髪と体を洗って流し、湯で満たされた浴槽に入る。一人しか入れない狭い浴室内なので、未だにはるさんと混浴したことはなかった。エロいとか以前に狭すぎってなると思う。

「ふぅ……」

 全身を湯に浸け、体内に溜まった疲れを息にして吐き出す。しあわせだ。
 こうして体を温めている間はすることもないので、風呂タイムは決まって顔を天井に向けて思考を巡らすようにしている。いつもはろくでもないことを考え、テスト勉強の時は暗記問題の復唱をしていた。そして今は、はるさんと試験のことを考える。

「あ゛〜〜〜……」

 家に帰ってからはずっとはるさんと遊んだりいちゃついたりしているせいで、自宅学習が疎かになっていた。今まではそれに薄々気づいていながらも、自慢の逃げ癖のおかげではるさんとの時間を止められなかったわけですが。
 でも、それが実態として牙を剥いてきた。部屋にある鞄の中には模試の結果が入ってる。以前より目に見えて低下した点数。これ、めちゃくちゃやばいんだよな。今回だけならただ不調だったのかなーで済むかもしれない。だけど次の模試で元の点数以上に戻らない場合、それどころか更に点数が下がった場合は。

「めんどくせー……」

 途端に鎌首をもたげる、いつもの逃げ癖。はるさんという逃げ道ができて、頻繁に彼女を頼ってしまっている。勉強は嫌じゃないけど、好きでもない。でもはるさんは大好きだ。優先度は勉強の方が高い。けれど、足ははるさんの方を向いてしまう。当たり前だよなぁ。
 献身的な恋人という存在は、受験生にとっては毒性の強い甘味だ。止められない止まらないってやつ。はるさん中毒。用法用量を守れない。
 簡単に思いつく対策なら、はるさんから遠ざかること。予備校にいる時間を多くして、勉強時間を確保する。ていうかたぶん、これ以外に誘惑を断ち切る方法はないんじゃないか。ないな。
 俺の意思はとても弱い。ポッキーレベル。だけどどうにかして自分を律さなくちゃ、父に申し訳なくて。

「……あったけーなぁ」

 そういえば今どうしてるかな、父さん。湯気を発する水面をぼーっと眺めながら、あんまり交流のない実父の顔を思い出そうとしてみた。







 いつものようにはるさんが用意してくれていたバスタオルで身体を拭き、いつものようにはるさんが用意してくれていた歯ブラシで歯を磨いて、十分髪も乾かしたところで寝室に入る。同棲生活早々にパターン化してしまってるのは彼女が甘やかしてくるおかげです。

「〜〜♪」

 そしていつものようにはるさんが俺のベッドに腰掛けていて、今日は鼻歌混じりでスマホを弄っていた。彼女はいつでも上機嫌そうだけど、スマホを弄ってるところは普段そんなに見ない。せいぜいが料理レシピサイトを見る時とか、あとは家族に連絡を取ってる時とか。
 寝る用意を整えた以上、もう寝る以外にすることはない(勉強してもはるさんに邪魔されるし)。ベッドに近づいていき、はるさんの隣に腰を下ろす。途端、ふんわりと香る匂い。さっきまで浴室の中で包まれていたあの匂い。

「何見てるの?」
「ちょっとお母さんとね。うちのお母さんもお父さんも過保護だから、頻繁に大丈夫かーって送ってくるんだよー」

 困っちゃうよね、と言いながらも満更じゃなさそうなはるさんの笑顔に、何かがちくりと心に刺さる。それから逃げるように、はるさんの背中に抱きつく。

「ん、もう……♥ ちょっと待ってねー」
「んー……」

 柔らかくて暖かい。ツヤのある黒紫の髪に顔を埋め、深呼吸する。はるさんの匂いが気道を通り、肺に満たされていく。口から漏れる大きな吐息。それなりに重度なはるさん中毒ですね。
 何事かをフリックで文章にして送ってからスマホをスリープさせたはるさんはサイドチェストの上にスマホを置いて、

「ばふーん」
「おわ」

 振り返りもせずにそのままベッドへ倒れこんだ。背中に抱きついてる俺はそれに引っ張られて一緒に倒れ、はるさんを後ろから囲う形になる。十センチほどはるさんの方が背が低いので、満足行くまではるさんの髪の匂いを堪能できるというわけだ。
 彼女の脇の下から通した腕を、はるさんは愛おしげに撫でてくる。

「鷹見くん」
「んー」
「家族の話をしていいですか」
「……ん」

 その声の調子は普段と変わらないものだけど、この状態はいつもと違った。彼女は面と向かって話すことを好む。どちらかというと、誠実さを示すんじゃなくて単に顔が見たいだけっぽいけど。
 こうしてはるさんがいつもと違うことをする時は、だいたいはこっちを気遣ってくれている時。その度に、ああやっぱりはるさんには勝てないな、と思い知らされている。今もだ。

「前にも言ったと思うけどね、私のお父さんとお母さんってすごく仲が良いんだ」
「うん」
「二人とも、私をちゃんと育ててくれて、親子愛っていうのはちゃんとあったと思う。躾だってきちんとしてくれたし、花嫁修業だって教えてくれたし」
「……」

 ああ、これ嫉妬か。胸中のちくちくするものの正体が今わかった。ベタだよなあ。我ながら。

「でもね、本当に両親の夫婦仲が良くて。二人一緒の時はずっといちゃいちゃしてるし、頻繁に二人でデートしてるし、もちろん私も遊びに連れてってくれたりしたけどね?それでも、なんていうか……なんだろ。こういうのなんて言うんだっけ」
「……疎外感?かな」
「そそ。それそれ。二人の間で私って邪魔なんじゃないかなって思うこと、子どもの頃からずっとだったよ。きっと私がいなければ二人はもっといちゃいちゃできるし、いつ親から邪魔者扱いされるかわからなかった」
「でもはるさんのこと溺愛してたんでしょ?」
「本当よくわかんないよね。二人ともすごい親ばかっぷりしてきて、私と遊ぶ時だって私よりはしゃいでるし」
「えっ、はるさんより?」
「何その反応はー」

 むぎゅ、とはるさんは腕をつねってくる。ギブギブ。

「あのね鷹見くん、私って家だとかなりお淑やかだし外出てもクールビューティなんだからね。どう見ても高嶺の花。ふふん」
「前世の話?」
「――あの世に送ってあげてもいいんだよ」
「ごめんなさい許してください」
「まったく。お母さんへのラインも事務的だし、友達からは物静かで上品な感じって言われるし。常に隙のない完璧美女なんだからねー」
「……」

 ファーストインプレッションを思い出してみる。彼女はずっと親しみやすくて優しくて、甘い匂いをしていた。上品さは、一貫して彼女の属性に含まれてる。それでも少なくとも物静かではないと思う。彼女は俺と話すことを好み、よく笑い、豊かに感情表現を見せてくれている。
 って、ことは。

「鷹見くんにだけだもんね」
「……ずるいなぁ」
「ふふ♥」

 後ろからぎゅうと抱きしめ、より一層密着する。さっきまで心のなかでもやもやしていたモノは、いつの間にかどこへやらへ吹っ飛んでいた。俺より彼女は恵まれてるだろうけど、その彼女は俺にだけの顔を見せてくれてる。比重は後者のほうが大きい。
 本当に、彼女には勝てない。この世で最も心地よい敗北感だ。
 それでね、とはるさんは言葉を続ける。

「私にも、お父さんお母さんみたいな恋人同士になれる相手がいればこの寂しさもどうにかなるのかなーって、ずーっとぼんやり思ってた」
「ぼんやり……」
「うん。ぼんやり」

 ちょっとぼんやりしてみる。さっきからけっこうぼんやりしてる気がする。一日の疲れと、はるさんの匂いで。
 俺は家に誰も居ないことで一人になる寂しさ。彼女は親が二人で求め合っているのを横から見ていることで一人になる寂しさ。これって一見違うようで、実際は同じものなのかもしれない。
 孤独による孤立。集団の中での孤立。実際は俺も彼女も、不自由ない親からの援助があった。けれど、俺も彼女も自分は一人なんだと思っていた。自分の視界は、他の人には見えない。
 そんなことを、ぼんやり考える。

「ラブラブで、ずっといちゃいちゃできる相手。初恋同士。寂しそうな人。そんな相手を夢見てた。お父さんお母さんの影響だけどね」
「……俺は、一目惚れ……なのかな」
「デーモンの全力チャーミングだったからねー」
「そっからはるさん自身に一目惚れしたんだから、何でも結果オーライでしょ」
「ふふ、結果オーライだね。デーモンってね、普通はこんな出会い方しないんだよ」

 俺の片手を、はるさんは両手で包む。彼女の表情は見えない。だけどその手から感じる温もりは、俺の気持ちと同じみたいだ。

「召喚とかお見合いとか、そういうのが普通なんだ。私だって召喚陣に呼び寄せられそうになったし、お母さんにお見合いの相手の写真を見せられたりしたし……」
「会わなかったんだ」
「うん。だって、なんか……そういうのとは、違くて。誰かの力で相手と出会うんじゃなくて、自然に出会う……みたいなのが、いいなーって思ってた」
「ああ……わかる、かも。合コンとかは、俺も嫌だし」
「そうだよね。さあ出会いに行くぞー、って気合い入れるのは乙女としてはノーだもん。……わ、我ながらロマンチストだね?」

 若干肩を縮こまらせながら、ぼそりと呟くはるさん。自分で言った言葉が相当恥ずかしかったのか、耳がほんのり赤くなっているのが見える。可愛い。
 片手をはるさんのお腹から上げて、ぴんと尖った耳を優しく撫でる。反射なのか、ぴくぴくと跳ねるのが可愛らしい。

「そういうはるさんの考え方のおかげで、俺たち出会えたんだから。恥ずかしがらなくていいよ」
「もぉー……ばか。ん、くすぐったいよ……♥」

 もじもじと身体を揺する彼女の言葉には、若干ながら濡れた含みがあるような気がした。はるさん、耳も弱点なんだ。俺以外に知らない彼女についての事が増えていく度に、得も言われぬ満足感が増えていく。
 耳から更に上へ手を動かし、はるさんの頭頂部を慈しみを持って撫でる。綺麗な髪に傷をつけないように、そっと優しく。

「えへ。鷹見くんの撫で方、ラブがあるね」
「ら、ラブって……」
「恥ずかしがらなくていいよーだ」
「こいつめ」
「うぎゃあっ!お腹は反則!」

 へその辺りのむにむにしたお肉を揉む。引き締まってるように見えるけど、腹筋がほとんどないせいで脂肪ばっかりなんだよな、はるさんのお腹。和む。

「ふふ……私ね、こうして君といるだけですごく楽しいよ。今まで寂しかった部分が、鷹見くんで埋め合わされていく……って言ったらオーバーかな」
「オーバーじゃないよ。俺もそう思うし」
「……鷹見くん、本当スケコマシみたいだよね。どこでナンパの仕方習ったの」
「はるさんに出会う前は硬派な方だったんだけどなぁ……」
「責任転嫁はダメでーす」

 ぺしぺし、と平手で俺の手の甲を叩いてくる。お腹を一揉み。大人しくなる。

「むぅ……真面目な話します」
「お、うん、はい」
「私はね、私が私をここに居ていいと認めることが出来る場所が欲しかった」
「……」
「お父さんもお母さんも、私を大切に育ててくれてたけどね。それでも育つに連れて、二人の仲を邪魔したくないって思う気持ちが強くなってね。私は、私が実家にいることを認めることができなかった」

 魔物娘という大まかな分類に共通する心理、というものを一週間前に行った図書館の蔵書で読んだことを思い出した。
 曰く、彼女たちはメスしか存在せず、人間の男性の精が彼女たちにとって一番の栄養となる。それ故に、彼女たちは番った人間の男性を自分の命よりも大切に強い愛情を持って扱うようになる。そして、番いができた魔物娘の周囲に存在する魔物娘は、その関係を何よりも後押しし、尊重する。
 はるさんもそういうことだろう。彼女の両親という番いの存在を尊重したいがために、自身が両親の妨げになっているかもしれないと思い至って自己嫌悪していた。
 だけど同時に、本能的に両親の庇護は必要なわけで。

「自分の居場所を認められなくて、でも過保護の親を心配させたくない気持ちはあって、板挟みになって辛かった。どうすればいいのかな、やっぱりお見合いに行かなくちゃいけないかな、って悩んでた、けど」
「うん……」
「はいここで問題です。そんな時に、夜の公園のベンチで寂しそうな背中してる男の子がいたら、どうしますか」
「……そいつに近づいて、話しかけて、人助けする」
「大正解。二問目、ててん。私と鷹見くんの出会いって、一般的に何と言うでしょう」
「え……」

 思考の空白。俺とはるさんの出会い。なんて言うか、って、それはたぶん――

「……運命」
「……」

 愛おしげに呟くはるさんの声が、やけに耳朶に残留する。心臓が響くように痛い。
 俺の言葉を待たずに、はるさんは話を続ける。

「これは私が思うこと、なんだけどね。恋人関係って、その時その時は近い距離にいても、同じくらいの寂しさじゃないとうまくいかないよね。寂しくない人と寂しい人でも、寂しい人ともっと寂しい人でも、うまくいかない」
「あ――」
「運命、だね?えへへ」

 自分の帰りを迎えてくれる人が欲しい。
 自分で自分の居場所として認められる人が欲しい。

 双方向に需要が釣り合った、まるで奇跡的な繋がり。同じ寂しさを持った二人だから、同じ寂しさを持つ相手の寂しい気持ちを埋め合わせることが出来る。
 自分の貧弱な語彙だと、この状態を言い合せる言葉は他に見つからなかった。

「だからね、鷹見くん。私は鷹見ゆうきって人を愛してる」
「ぅ、……」
「好きが溢れて、どうしようもない。どうしようもないくらいに愛してる」

 はるさんを抱きしめる両手に、はるさんの両手が重なる。零さないように留めるために、しっかりと指を絡めた握り方。

「私を必要としてくれる鷹見くんが、私にとって必要不可欠になってる。鷹見くんを甘やかしたい私は、鷹見くんに甘やかされてる」
「……なんか、永久機関っぽい」
「愛の永久機関だねー♥」

 どちらかから入力された愛というエネルギーは、増幅した出力で相手へ入力されて、更に増幅されて出力されて、ぐるぐるとコール・アンド・レスポンスを繰り返す。
 恥ずかしすぎて特許出願できない第二種永久機関だけど、二人のエントロピーの増大は誰にも見えないし認知できない。それは互いのためだけのエネルギーだから。

「やさしくて、かっこよくて、かわいくて、あたたかい人。私だけの人」

 両手が引っ張られ、両足を丸めて胸元に両手を置くはるさんを完全に抱え込む形になる。ぎちぎちに張り詰めた欲望がはるさんの尻に布越しに押し当てられ、はるさんは笑い声を漏らす。

「私しかいない人」

 俺しかいない彼女。
 自覚できるほど強く拍動する心臓。彼女の胸中に引きずり寄せられた手も、大きく脈打つ心臓を感知していて。絶えずどくんどくんとテンポを刻む音が混ざり合って、どっちがどっちの鼓動なのかよくわからなくなってきてる。
 そうしてはるさんは、愛欲を多分に含めた声音で囁く。

「大好き……♥」
「……俺も、大好き」
「ふふふ♥」

 はるさんの尻尾がうねうねと動き、こっちのズボンを器用にずり下げてくる。心だけじゃなくて、身体でも繋がるために。

「このまま……♥」
「大丈夫?」
「へーきだから……♥ 準備、できてるよ……♥」

 下ろされたズボンから勢い良く飛び出した一物がはるさんの尻肉に当たる。小さくも嬉しそうに悲鳴を上げるはるさんは、その声に反して予想ができていたのか、尻尾で緩く肉棒を絡めとってくる。
 そのまま尻尾に導かれ、亀頭が彼女の膣口に当たる。ぐちゅりと粘り気の強い音。はるさんの陰部は直接見えてないけど、俺以上に興奮してるんじゃないか。次から次へと溢れてくる愛液がどんどん肉棒に伝ってきているのを感じる。確かにこれなら大丈夫そうだ。エロすぎる。

「……♥♥」

 挿入れる前の、数瞬の空白。喉を鳴らして生唾を飲む。満たされることへの期待に震えるはるさんの吐息が脳内にこびりついて、腰を突き動かさせる。
 滾った穂先で庇護欲にざわめく蜜壷を掻き分け、一気に吸い込まれていく。

「ふ、うぁあっ♥♥」
「きつ……っ、これ、はっ」
「うんっ、この姿勢っ……♥♥ はぁ、すご……♥♥ 形、覚えさせられてるぅ……♥♥」

 横向きに寝転がって挿入しているせいか、正常位や騎乗位よりも膣肉の密度が高くなってる。はるさんの膣内の襞の一つ一つが鋭角に肉棒に食い込んできて、このままでも射精してしまいそうなくらい気持ち良い。
 狭く、深く、こりこりしてるのにほぐれてて、ぞくぞくして、熱い。
 熱。はるさんの膣内に篭った淫らな熱が、肉棒を通して染みこんでくる。その熱に浮かされて、腰が更に彼女の尻に沈もうとする。

「ふか、深いよぅ……♥♥ はぁ、あ……♥♥ うぅ♥♥」

 俺も彼女も、浅い息で懸命に絶頂を堪える。たぶん、ただ普通に前戯してからこの体位だったら、ここまでにはならないと思う。
 互いの気持ちを確かめ合って、互いに愛を囁き合って、互いが互いを求め合う気持ちを互いに認めて。双方向に一歩ずつ一歩ずつ距離を近め合って、そうして繋がった。
 言葉だけじゃ伝わらない気持ち。それを繋げることで、これ以上ないコミュニケーションによって伝え合うことができる。

「すきっ、すき……♥♥」
「はるさん……っ」

 セックスは容赦なく否応なく、互いの求め合う気持ちを純粋にしていく。
 とかなんとか難しいことを考えても一向にイキそうな感じが退いていかない。どーなってんだ。いつまで経っても俺が早漏なのが悪いな。

「っふふ、ぴくぴくしてる……♥♥ しゃせい、しそうなんだよね……ね、しよ……♥♥♥」

 上気した声だけど、それでも若干余裕を取り戻した雰囲気。魔物娘だからか。卑怯だ。返事もできず、膣内で震えることしかできない。

「かわいい……♥♥ ほら、好きなようにしていいよ……♥♥ ぱんぱんして、おくにぴゅーってしよ……♥♥♥」
「……っ!」

 はるさんの両手を握りしめ、腰を動かし始める。射精を堪えてはるさんと少しでも長く繋がっていたいという思いが、彼女の一言でもっと浅ましいものへと変わっていく。
 いっぱい気持ちよくなりたい。はるさんの膣奥に、子宮に精液を送り込みたい。

「ん、ふあぁ♥♥ 抜けちゃ、うぅひぃぃっ♥♥♥」

 雁の部分がはるさんの膣壁をつるはしのように根こそぎ抉っていき、愛液の潤滑で一気に零れ落ちて互いの快楽神経を擦り上げていく。下半身から走ってくる快感の電流が脳髄を灼く。もっとこれを味わいたい。欲望が更に膨れ上がって、先程よりも深く深く抉りに抉る。
 さっそく体の奥底から登り詰めてきているものを感じながらも、このストロークを噛みしめることが止められない。

「はふぁ、ぐひぃん♥♥♥ うぁぁ、きもちぃっ♥♥♥ あくっ、はぁうぅぅん♥♥♥」

 彼女のすべすべでシミひとつない綺麗な尻に腰がぶつかり、軽い拍手のような音が奏でられる。一回のストロークが長いからこそ勢いがついて、ぱちんぱちんと弾ける音になるのか。
 こんな単調な音でも、営む気分を盛り上げるくらいには貢献してくれている。腰を打ち付けたいという欲望の燃料になってくれている。
 彼女の快楽に振り回された喘ぎ声は言わずもがな。もっとこの声を聞きたい。荒い息で酸欠気味になっていくことも無視して、ひたすらにがむしゃらに腰を使う。

「ううぅぅぅっ、はぁぁあああ♥♥♥ これぇっ、ぁ、んんんぅっ♥♥♥ ゆうくぅんっ♥♥♥♥」

 求めてる。求められてる。求め合ってる。頭がぼんやりし始めてこんがらがってきた。とにかくはるさんに沈み込むために、抜けそうになるくらい間隔の長い抽送を繰り返す。彼女の奥底に吐き出したい。自分だけの彼女に、自分だけを植え付けたい。
 ぐちゃぐちゃの小さな襞肉一つ一つになぞられるたびに、思考が白濁のペンキに塗りつぶされていく。愛欲。肉欲。支配欲。被庇護欲。はるさんに満たされながら、はるさんを満たしたい……!
 肉棒全体がはるさんの収縮を始めた愛鞘で磨かれていき、尿道からどんどん登ってくる。膨れ上がる。射精。子宮に。
 突き上げる。突き上げる。奥に!

「ぅひぃ、いいよぉ♥♥♥ おくっ、いちばん奥でっ、いっぱいぃ♥♥♥」
「は、る……! はる、はる……っ!!」
「だいすきっ、すきっ♥♥♥ 好きっ、すきぃっ、は、あ゛ぁぁぁあぁぅ♥♥♥♥」

 先端が決壊し、悦びが弾けていく。
 溢れ出す。溢れ出す。彼女の中に、溢れるほどに注ぎ込む。
 子宮の玄関に口を突っ込んで、びゅぐん、びゅぐん、みっともない音を立てながらどうしようもなく溢れていく。
 腕の中で歓喜に打ち震える恋人を抱きしめる力をこれでもかと強め、どこまでもどこまでも彼女に欲望を叩きつける。

「あつ……♥♥♥ は、おなかぁ……っ♥♥♥♥」

 絶頂にがくがくと痙攣しながらも、愛おしそうに声を絞り出す彼女。好きが溢れて、どうしようもなくなる。
 射精が、絶頂が、気持ちと比例してしまってる。永久機関だ。



 絶頂が収まり始める頃には、二人ともろくに喋れなくなった状態だった。
 言葉が出ない代わりに、彼女と繋いだ両手で言葉を交わす。といってもそんな高度なものじゃなくて、両方の手の力が抜けてるしとりあえず一旦休憩ね、って感じだけど。
 そうして数分くらい経つと、ようやくはるさんも俺も絶頂の波から抜け出せた。しゅる、と両手を離すはるさん。
 名残惜しく思ったのも束の間、彼女はもぞもぞと身体の向きを変えてこっちに顔を向けてくる。耳も頬も紅色に染まっていて、僅かに口端を上げた恥ずかしげな微笑みに心臓がどきりと跳ねる。息が浅い。俺もはるさんも。
 目を逸らそうにも、はるさんとの距離が近くて。はるさん睫毛長いな。

「……今日、まだキスしてないよね……♥♥」

 そう言って、ゆっくり唇を近づけてくる。これに応じない理由もなく、優しく背中を抱きしめつつ今日の分を取り戻すために熱いキスを交わす。はるさんの唇。はるさんの舌。全てを舐め溶かそうとしてくる。甘い唾液。彼女は何もかもが甘くて、麻薬的。
 自分は彼女をどこまでも求め、どこまでも飲み干してしまう。だって際限なく与えられるから。与えられるだけ、求めてしまう。
 まだ、足りない。もっとはるさんとセックスしたい。

「ぷ、はぁ……♥♥ ね……ゆうくん、私に堕落て……♥♥♥」

――今、ようやくわかった。自分のありとあらゆる理性が、ギリギリ限界のところまで追いつめられてることに。

「私と一生、繋がったままでいよぉよ……♥♥♥♥」

 そして理解した。悪魔の誘惑は、人間なんかには逃れられないってことに。
15/12/11 03:40更新 / 鍵山白煙
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■作者メッセージ
One Step Closer

一歩ずつ近づいていく瀬戸際。彼女へと堕ちる前に、まだ何か出来る距離。
勇気を出して、今まで歩いた道を振り返る。清算の時間だ。

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