連載小説
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(79)シービショップ
月の光が降り注ぐ海岸で、波に洗われる岩の上にシービショップが居た。
手には厚めの本を開いたまま抱え、ページに目を落としながら、彼女は口を開いた。
「えー、夫は妻を尊び、妻は夫に感謝し、互いに互いを敬い、慈しみ・・・」
月を背に、波が砂と岩を洗う音を背景に、彼女は祈りの言葉を口にした。
男女が手を取り合い、末永く、そして幸せに過ごせるようにと送り出すための祈りだ。
海神ポセイドンの祝福を込めた祈りの言葉は、彼女の前にいる人間の男とマーメイドのためのものである。
だが、当の二人はシービショップの祈りに耳を貸していなかった。
「ちゅ・・・ん・・・ぷは・・・」
「あぁ・・・ん・・・ちゅ・・・」
岩の上で体を重ね、互いの唇を吸い合いながら、互いの肌を愛撫している。
濡れた岩の上で仰向けに横たわるマーメイド、そして彼女の魚体の上に跨るように覆い被さり、顔を寄せる男。
男の尻が揺れる度、二人の腰が触れ合う場所から、湿った音が響いていた。
「・・・・・・っ・・・!健やかなるときも、病めるときも、いついかなる時も・・・」
祈りの文句を中断させてしまっていたことに気がつき、シービショップは慌てたように続きを紡いだ。
二人が交わっているのは、婚礼の儀式に必要なのだ。
だが、祈りを捧げているのに耳を傾ける様子もなく、黙々と情事に耽っているのはいかがなものだろう。
そんなにいいのだろうか?
「互いへの感謝の念を忘れず!三つの袋を大切に!」
一瞬脳裏に浮かんだ考えを打ち消すように、シービショップは声を大きくした。
だが、マーメイドと男はやはり聞いていなかった。



その翌日、マーメイドは海を泳いでいた。
昨夜の婚礼の儀式の後、改めて夫婦となった二人から感謝の言葉と食事、そして一晩泊めてもらったのだ。
二人に見送られて、あの海岸を離れたのが日の出直後だったろうか。
二人に見送られながら海岸を離れたが、シービショップの胸中にわき起こってきたのは、新たな夫婦を送り出したことへの達成感ではなく、怒りだった。
「もー、せっかく私がありがたいお祈りを捧げているのに、いちゃいちゃくちゅくちゅぬっぷぬっぷ・・・」
海流に身を乗せつつ、尾鰭を操って勢いをつけながら、彼女はぶつぶつとグチを垂れ流す。
「あのお祈りには、ポセイドン様への感謝だとかお願いのほかに、夫婦として過ごしていく上での心構えなんかがあるんですよ!それだっていうのに・・・」
耳も傾けず、交わることにばかり気が向いている。
一応、二人に祝福は届いたため、問題なく婚礼の儀は成功したといえる。
だが、問題はシービショップ自身の気分だった。
「そりゃ今こそ、イチャラブヌプヌプですけど、そのうちすれ違いが生じますよ。体の相性がよほどバッチリじゃないと、セックスレスで夫婦の危機がマッハでゴーですよ」
言葉に特に意味はない。脳裏に浮かんだ単語に、自身のいらだちを加え、思いつくままに紡いでいるだけだ。
もちろん、夫婦の交わりは婚礼の儀式において必須であることは、シービショップ自身も重々承知していた。
だが、せっかく自分がありがたいお祈りを捧げているというのに、それに耳を貸さないと言うのはどういうことだろうか。
何周目になるかわからない思考のループを繰り返しながら、彼女は海流を突き進んでいた。
「全く、先輩は『それだけ二人の愛が深いことじゃないの』とか言ってましたけど、互いの体に溺れてるだけですよ!」
彼女に祈りの捧げ方や、婚礼の儀式など、シービショップとして必要な知識などをいろいろ教えてくれた先輩シービショップの姿が浮かび上がった。
「実際、先輩が結婚するときの儀式の時も、先輩明らかにお祈り聞いてなかったし・・・」
シービショップの脳裏で、先輩が『アラ』と目を丸め、直後『うふふ、ごめんなさいねえ』と謝った。
実際、儀式の後に尋ねたら、先輩はそう彼女に返したのだ。
「どいつもこいつも、エッチセックスファックス・・・もう少し、プラトニックな愛を育むべきなんです!そうですよね、みなさん!?」
そう問いかけるが、無論応えるものはいない。
海流に乗り、泳いでいるのは彼女一人だけだ。
「・・・・・・それとも、そういうのがどうでもよくなっちゃうほど、気持ちいいのかなあ・・・」
沈黙に押しつぶされそうになった彼女が、弱気な言葉を口にした。
昨夜、婚礼の儀式を執り行った二人も、儀式に入る前の説明の時点で『夫婦に必要なありがたい話も入っているから、ちゃんと聞くように』と釘を差していた。
だが、二人は早々から行為に耽り、耳を貸さなくなっていた。
夫婦の将来より、目先の快感に溺れてしまう様は愚かだと、シービショップは考えていた。
だが、今彼女は、それほどまでに交わりというのが心地よいものなのか、と考えていた。
「ん・・・」
腹の奥にかすかな熱とうずきを感じ、彼女は思わずへその下に手を伸ばしていた。
魚体に刻まれた縦一筋の亀裂の奥、未だモノを受け入れたことのない女陰が、かすかに疼いている。
そして、彼女の脳裏に、自然と昨夜の婚礼の儀式の様子が浮かび上がった。
揺れる男の尻。女陰を出入りする屹立。月の光を浴び、てらてらと光を反射する汗ばんだ彼の背中。
悩ましげなマーメイドの吐息や、男のうめき声、粘液と肉が絡み合う音が、耳元に響く。
昨夜の儀式だけではない。シービショップが、これまでに執り行ってきた儀式の一つ一つが、彼女の脳裏をめまぐるしく駆け抜けていく。
皆、シービショップの祈りに気を向けることなく、二人だけの行為に耽っていた。
それほど、心地よいものなのだろうか。
「・・・・・・ん・・・?」
シービショップがもやもやしたものを胸の内に抱えていると、不意に彼女の耳を水音が打った。
海流の外からだ。目を向けてみると、海面に船の影がひとつ浮かんでおり、そこから紐状のものが音をたてながら海の中へと落ちていく。
そして最後に、海面を突き破ってやや大きなものが海中へと落ちてきた。
それは、人だった。
「大変・・・!」
脳裏をかけ巡っていた記憶が一息に消え去り、彼女は尾鰭を操って体の向きを変えた。
紐状のものに引きずられながら海の底へと沈んでいく人影に、彼女は必死に追いすがった。
横からの海流に苦心しつつも、やがて彼女は沈んでいく人に追いつく。
急速に沈んでいたのは、両腕を縛られた若い男だった。
「大丈夫!?しっかりして!」
海の中で声を上げるが、男は口から気泡を吐き、弱々しく身悶えするばかりだった。
すでに呼吸が限界に達し、思わず息を吐いてしまっているのだ。
「いけない・・・!」
彼女は男の体を抱え込むと、海面に向けて浮上しようとした。
だが、両腕にかかる重みは予想以上に重く、むしろ彼女も改訂に引きずられるほどだった。
「鎖・・・!」
男の足に目を向けると、海底から伸びる鎖が彼の足へと続いていた。
それどころか、鎖の一端には釣り針のように返しがついた鉤が取り付けてあり、鉤は男のくるぶしと、踵とふくらはぎをつなぐ腱の間を貫いていた。
傷口から赤いものがあふれ、海を濁らせていく。
急いで引き上げなければ、血の匂いによって鮫が集まってくる。それ以前に、早く引き上げなければ男が窒息してしまう。
「・・・ごめんなさい・・・!」
シービショップは、もはやほとんど意識のない男に謝ると、彼の足に手を伸ばし、鉤を掴んだ。
そして、腱や筋肉を傷つけぬよう、鉤を引き抜く。
「・・・・・・!」
痛みによるものか、一瞬男の体が震えるが、すぐに力を失った。
彼女は鉤を放り捨てると、男の体を抱えて一目散に海面を目指した。
徐々に、銀色に光輝く海面が迫り、水面を突き破ると同時に青空と日の光が二人を迎えた。
「はぁ、はぁ・・・大丈夫!?」
数度空気を吸い、呼吸を整えて男に問いかける。
しかし彼はぐったりとしており、呼吸する様子もなかった。
「どこか・・・!」
彼女は辺りを見回すが、海流に流されてしまったためか、先ほどの船は見えない。
だが、代わりにほど近くに小島があることに気がついた。
「もう少し、がんばって!」
男にそう呼びかけると、彼女は小島に向けて全力で泳いだ。
海流の助けを借り、砂浜に向けて突き進む。
そして、彼女は砂が魚体が擦るのもかまわず、波打ち際まで彼を引き上げた。
「息は・・・してない」
男の呼吸を確かめると、彼女は彼の顔を反らせ、唇を重ねて息を吹き込んだ。
男の胸が膨らみ、空気が入る。口をはなしたら、胸の上に手を当て、勢いよく突く。
すると、彼が体をけいれんさせ、せき込みながら呼吸を再開した。
「ごほ、ごほ・・・!」
「よかった・・・」
意識は戻っていないが、息を吹き返した男に、シービショップは胸をなで下ろした。
だが、まだ完全に安心はできない。
彼女は男の顔の側から足へ、砂の上を這って移動すると、足首をみた。
腱とくるぶしの間には、先ほどまで鉤が貫いていた傷があり、今も血が溢れている。
向こうが我が見えるほどの穴のため、このままでは男が失血死しかねない。
「どうしよう・・・」
男の太腿を縛り、血の流れを押さえて止血する方法を考えたが、傷口が大きすぎるため止まるかどうか怪しい。
傷口を塞がなければ。
「・・・・・・っ!」
彼女は一瞬のうちに決心を固めると、自身の唇を上下の犬歯で挟み、思い切り噛んだ。
唇がぶつりと音を立てて破れ、口中に鉄の味が溢れる。
シービショップは、口の中に溢れる血液をたたえたまま、彼の足首の傷に口を寄せ、血をそそぎ込んだ。
マーメイドといった魔物の血には、不老長寿の作用があり、ごく少量ならば治療薬の効果もあるという。
そして、シービショップの彼女の血も、例外ではなかった。
「ん・・・」
唇の痛みを堪えながら、傷口から溢れてくる血液を、男の傷に注ぐ。
すると、最初のうちは止まらなかった出血が、徐々に収まってきた。
シービショップは、しばし血液を傷口に注ぎ、彼の出欠が収まったところで口を離した。
「はぁ・・・・・・」
男の穏やかな吐息と、血の止まった傷口に、シービショップはほっと息をついた。
これで安心だ。
シービショップという魔物の特長がなせる感情かもしれないが、助けられる命を助けられた喜びを、彼女は感じていた。
「本当、彼を助けられてよかったわ・・・」
そう口にしてから、彼女は自身が『男』に触れていたことに、改めて気がついた。
それどころか、緊急事態とはいえ男を抱き、唇を重ねてしまったことが、彼女の脳裏を鮮明によぎる。
「ええと、いやあの、あれは人工呼吸だから・・・」
小島の浜辺には、自身と男しかおらず、しかも男は気を失ったままだというのに、彼女は誰にともなく弁解を始めた。
「確かに、思い出してみれば唇柔らかかったし・・・だけど体つきが意外とがっちりしていて、ちょっとどきっとはしましたけど・・・」
そう、自分はシービショップ。しかも、婚礼の祈りに耳を傾けない夫婦に対して、先ほどまで怒っていた。
だというのに妙に胸の奥がドキドキし、下腹がきゅんきゅんと疼いているのはどういうことだろうか。
そう、命の危機にさらされて、子孫を残そうと反応しているだけだ。
「だから、大丈夫、大丈夫・・・」
シービショップは、自分に言い聞かせるように繰り返した。
一通り呼吸や思考を整えると、彼女は改めて男をみた。
ようやく少年を抜け出したほどに見える顔立ちは、わずかな幼さと男らしさを同居させている。だが、体つきは衣服越しでもそれとわかるほどたくましく、思わずもう一度触れたくなるほどだった。
「・・・・・・もう一回、触ってみてもいいですよね・・・?」
誰にともなく問いかけつつ、彼女は魚体を引きずって、砂の上を移動した。
そして、ごく自然に男の唇に顔を寄せつつある自分に気がつき、彼女は動きを止めた。
「いやいやいや、なにやってるのよ・・・」
無意識のうちに、もう一度唇を重ねそうになっていた自分を制止し、彼女は顔を離した。
代わりに、男の半開きになった唇に触れようと右手を伸ばし、その手首を左手ががっしと掴んだ。
「唇から離れましょう。うん」
自らの内の、得体の知れない衝動を押さえ込みつつ、彼女は男の腰の辺りに身を退かせた。
衣服越しに胸板が上下し、時折彼の指が握っては緩む。
「とりあえず、落ち着いているみたいね・・・」
男の様子を観察して心を落ち着けてから、彼女は彼の手首に手を伸ばした。
だが、手首に触れそうになった瞬間、シービショップの指が止まる。
「脈を診るだけ、脈を診るだけ・・・」
そう自身に言い聞かせると、彼女は男の手首をとった。
指先を手首の内側に当て、シービショップは目を閉じる。すると、指の腹を弾力のある何かが、規則正しく押し返してくるのを感じた。
「うぅ・・・」
「っ!」
男が不意に漏らしたうめき声に、シービショップは彼の手首を砂の上に戻して、姿勢を正した。
やがて、男がゆっくりと目を開いた。
「こ、こは・・・?うぅ・・・」
「大丈夫?溺れていたのを助けたんですよ」
身を起こそうとする彼を止めつつ、シービショップは説明する。
「あぁ、そうか・・・僕、船から落とされて・・・」
「今はゆっくり休んで。元気になったら、陸まで運んであげますから」
安心させるように、シービショップはそう言うが、彼は目を見開いた。
「り、陸はだめだ・・・!」
「え?」
男の妙な剣幕に、彼女は呆けた声を漏らす。
「陸はだめ、どこか・・・もっと遠くに・・・!」
「ど、どうして・・・」
いまいち状況がつかめないが、男の必死さに彼女は押された。
「あ・・・・・・ごめんなさい、せっかく助けてくれたのに・・・」
「ああ、いいのですよ。ちょっとびっくりしてただけですよね」
冷静になった男に、彼女はにっこりとほほえんだ。
「すみません人魚さん・・・」
「謝らないでください。それと、私はシービショップ。人魚は人魚ですけど、マーメイドやメロウとは違いますよ」
男の勘違いを訂正すると、彼女は続けた。
「それで、なんで陸はだめなんですか?」
「ああ、すみません。じつは・・・この近くの国では、僕は死んでなければならない人間なんです」
「それは・・・刑罰としてですか・・・?」
人間の国によっては、命を持って罪を償わせるところがあるという。
だが、シービショップの言葉に、彼は首を振った。
「少し違います」
彼は、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始めた。
「シービショップさんは、形代激罰という言葉をご存じですか?」
「いいえ、全く・・・」
「ある者に降り懸かる災厄を、別の者が身を挺して引き受ける。そういう魔術のようなものです。僕は、あの国のある重要人物の形代激罰のため、こうして海に沈められたんです」
「そんな、ひどい・・・」
男の説明に、シービショップは絶句する。
「でも僕一人の命で、その重要人物の命が守られれば、国が守られ多くの人が助かる・・・そう言う計算らしいです。それに、ただ殺されるだけでもありませんでしたから」
彼は自嘲気味に笑ってから続けた。
「何でも、対象が賢者ならば別の者を形代激罰に用いるべし、というルールがあるらしく、殺される前に謎かけがあるんです」
「それで正解できれば、命が助かるんですか?」
「はい。僕は間違えましたけど」
はぁ、とため息を挟んだ。
「全く、『朝起きたらテメエの腹から白鳥の首が生えとって、目があったらクェェ、と鳴きおった。四秒以内に四文字で、どうするか答えい』だなんて・・・」
ほぼ解答不可能な質問を思い返し、彼は頭を振った。
「『びっくりする』と即答しましたけど、字数オーバーで重りを落とされて・・・」
それで、先に鎖が海に落ちてから、彼が続いたのか。
シービショップは彼が海中に沈むまでの様子に納得がいき、同時にあの直前、海面上でそんな狂気じみた問答が交わされていたことに、何ともいえない気味の悪さを感じた。
「お願いです、シービショップさん。こんなお願いをするのは欲張りだと思いますが、どうか僕をここから遠く離れた場所までつれていってください・・・!このまま近くの陸地に戻されたら、僕はまた・・・!」
「え、ええと・・・」
シービショップは、男の必死な懇願に、思わず脳裏で算段を立てた。
海流に乗って、一月も移動すれば安全な土地に行けるだろう。
だが、人間では水中で五分吐息は持たないし、一日も水に浸かっていてはふやけてしまう。
どうしたものか。
「お願いです・・・!」
「・・・・・・一つだけ・・・一つだけ方法があります・・・」
シービショップは、ゆっくりと口を開いた。

そしてその夜、シービショップは婚礼の儀式の祈りなど、交わりの最中に捧げられないことを悟ったのだった。
12/11/17 18:06更新 / 十二屋月蝕
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■作者メッセージ
チアノーゼドッグスが打ち切られていたことに気がつきました。

それはそうと、儀式の最中目の前でイチャコラされるシービショップさんって、内心どんな気分なんでしょうね?
本作品みたいに内心イラついているのか、あらあら仲がいいわねぇうふふなのか、何で私にはこういうことしてくれる男の人がいないんだろうなのか、帰ったらダーリンにシてもらおうなのか。
まあ、どれでもシービショップさんかわいいのには変わりはありませんけどね。

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