連載小説
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第二話 「意地とやらを通してみよ」
「……死ぬのは怖くない。だが、生きなきゃならん理由がある」

 率直に、本心を言葉にした。

「その理由とは?」
「意地だ」

 詳しい感情や心境などを説明する気はない。答えるのはその一言だけで十分だ。グダグダと説明した所で、馬鹿な飛行機乗りの意地を分かってもらえるとも思えんし、女にそういうことを語るのも性に合わん。

 リライアはしばらく俺を見つめていたが、やがて笑みを浮かべ、俺の肩から手を離した。

「シバと言ったな。そなたが我がルージュ・シティに滞在することを許可しよう。だが武器の所持は認められない」

 彼女は手を差し出してきた。拳銃を渡せというのか。
 飛行機は燃料切れ寸前でもう飛べないし、飛べたとしてももう日本へは帰れない。ここにいて良いというなら一先ずそうせざるを得ないが、異郷の地で武器を手放すというのはあまりにも間抜けだ。しかもこれは少し思い出のある品でもある。おいそれて得体の知れない奴らに渡せるものか。

「……大丈夫」

 ふいに、ナナカが口を開いた。ふんわりとした穏やかな口調だった。

「ここは優しい人の町だから。町の中にいるなら、武器はない方がいい」

 大きな一つ目と目が合った。なんとも奇妙で異様な姿形ではある。そして表情の変化に乏しい。にも関わらず、この化け物はやたらと人間臭く見えた。
 こいつは昨日、自分の体で俺を温めてくれた。冷えきった人間をいきなり火に当てるとかえって害になるので、漁村などでは女の体で温めると聞く。柔らかな女の肌と、その温みは何よりもありがたかった。寝床や食事を与えてくれたことを含め、ナナカには多大な恩がある。

 こいつに迷惑をかけるわけにはいかない。譲歩すべきところはせざるを得ないと思った。
 安全装置をかけ、弾倉を外し、木製のでかいホルスターに収めて差し出した。リライアはそれを静かに受け取る。

「大事にしてくれよ」
「いずれ返すとも。誓ってもいい」

 拳銃を眺め、領主は微笑んだ。

「あの飛行機も預からせてもらうぞ。あのままでは波にさらわれるかもしれんからな」
「そっちも丁寧に扱えよ」

 浜に乗り上げた零観の姿を思い浮かべ、少し切なくなった。旧式化した下駄履きの複葉機でありながらも、よくぞ保ってくれたものだ。そして敵の手に落ちるくらいなら、この化け物たちに預けておく方がまだ良いと心に言い聞かせた。

「ふふ。代わりにしばらくそなたの生活費の面倒を見よう。質に入れるとでも思え」
「官給品だから俺の物じゃないんだがね、あれは」

 何故違う世界にいるのに、こいつらが飛行機を知っているのか。また、何故ドイツの国章を知っているのか。気にはなっても口には出さなかった。何もかも常軌を逸したことばかりで、これ以上情報を処理しきれる自信がない。リライアの態度からして、以前にドイツ人もここへ迷い込んだのだろう。

「さて、私は帰るが、そなたは体力が回復するまでここにいるといい。ナナカもそうすべきだと言っているのでな」

 ナナカは一つ目で瞬きながら頷いた。

「その後でゆっくり、こちら側のことを知ってくれればいい。先ほど言ったように、元の世界に戻してやる方法が無いのでな。どうしても帰りたければ自分で探せ」
「帰ったら百年時間が経ってた、なんてこともあるのか?」

 浦島太郎の物語が頭に浮かぶ。百年後に日本があるのか、それが不安ではあった。降伏したというラジオ放送はあっても、日本人が一人もいなくなるまで戦おうと本気で考えている奴らはいた。もう収集がつかない所まで来てしまっていたのだ。不可侵条約を破って攻めてきたソ連も、満州だけで大人しく手を引くとは思えない。

「前例がない故、それは分からんな。帰る方法を探すのもここに留まるのも、そなたの自由だ。ただし町の住民に危害を加えた場合は覚悟してもらう」
「娑婆の人間に手を出したことはねぇよ。これからもな」
「ならば結構」

 リライアはくるりと身を翻し、小屋の出入り口へと向かった。執事も後に続く。ナナカが見送ろうとしたが、彼女は結構だと仕草で示した。そしてちらりと俺を見て、笑みを浮かべ、そして言った。

「意地とやらを通してみよ」

 その言葉のみを残し、リライアは小屋を出て行った。蝶番が鈍い音を立て、戸が閉まる。

 女だてらに領主などと名乗るだけのことはある。化け物ながら人の上に立つ者の器が感じられた。死にかけている戦友を励ますとき、敵愾心をかき立てるのも一つの手だった。それと同じように相手の心を刺激するやり方を知っている。大物の風格が滲み出る女傑だ。今は従者一人を連れていただけだが、恐らく大勢の部下を従えていることだろう。

 生きるとも。言われなくともそのつもりだ。

 心の中で呟きつつ、ナナカの方を見た。再び小屋の中には俺と彼女の二人だけになった。奇妙な護符のおかげで言葉が通じるようになった以上、言うべきことは決まっている。

「助けてくれて、本当にありがとうな」

 深々と頭を下げ、改めて謝意を表した。彼女は相変わらず無表情だったが、軽く首を横に振った。

「……私なんかに添い寝されて、嫌じゃなかった?」

 言葉は通じても、意味がよく分からないことを言われた。俺としては嫌なことなど何一つなく、彼女は命の恩人であるのだが。

「何がだ? 温かくて気持ちよかったが」
「……そう」

 ナナカは目を背けた。
 一瞬間を置いて、彼女は自分の紫がかった髪を掴み、後頭部で束ねた。机に置かれていた紐を手に取り、慣れた手つきで髪をくくる。指の動きやさらりと揺れる髪が何とも艶やかだ。飾り気のない女だが、異形であっても自然な感じの美人だと思える。

 無造作に床に置かれていた羽織のような服を拾い上げ、身に纏った。所々に焼けこげのある灰色の服で、恐らく仕事着だ。どこか気恥ずかしげだった今までの雰囲気から一転、凛々しい才女というか仕事人の風格が漂う。これがナナカの本当の姿なのか。

「私は仕事にかかるけど……何かあったら、呼んで」

 そう言い残し、彼女は背を向けて作業場へ向かった。束ねた髪が小さく揺れている。やはり美人だな、と思った。
 一つ目に青い肌なんて普通ならおぞましく映るだろうが、俺は不思議なことにナナカは美人だと言い張れそうだ。やはり彼女の肌で温めてもらったことが大きいのだろう。化け物であっても血の通った存在だと分かっているから、異形でも美しく見える。

 ついでに乳もでかい。

 作業場へ通じるドアが閉まり、俺は大人しくハンモックへ体を横たえた。体は動くが本調子とは言い難いので、ナナカの厚意に甘えてしばらく休んでおくべきだ。南方にいたときは海上で撃墜されて十五キロほど泳いで基地に帰ったこともあるが、ここまで体力を消耗したのはあのとき以来だろう。

 仰向けになって天井を見上げていると、雨漏りの跡が見つかった。元気になったら一飯の恩義で修理してやろうか、などと考えていると、作業場から鎚の音が聞こえてきた。鍛冶の火も魔法で起こしているのだろうが、随分早く点くものだ。
 今頃ナナカは熱気の中で鉄を打っていることだろう。尋常小学校で習った『村の鍛冶屋』という歌を思い出す。そういえば先ほど作業場を見た際、鍬や鎌などの農機具や包丁と言ったものばかりが置いてあった。彼女は刀は打たない、あの歌に出てくるような野鍛冶らしい。

「しばしも止まずに 鎚打つ響き 飛び散る火の花 はしる湯玉……」

 口ずさみながら、俺は大人しくハンモックに揺られていた。戦争は終わった、最後の仕事も終えた、家族ももういない。その挙げ句に分けの分からない化け物がいる場所へきてしまった。
 だがそれでも、生きていて嬉しい。

 後は野となれ山となれ、アフター・フィールド・マウンテン。開き直って体を休めることにした。



















 ………












 ……













 …

















 夢を見た。
 子供の頃、三男坊の俺は家を継げる可能性もなかったので、いつも好き勝手なことばかりやっていた。木の切れっ端で友達と一緒に『金剛』だの『比叡』だの軍艦を作り、いつも近所の池で連合艦隊司令長官になっていた。そんなある日、複葉機が頭上を通り過ぎて行くのを見て以来、今度は空に夢中になっていた。人間も軍艦も、あの高さから見れば全部ちっぽけなんだろうな、と。

 どうということのない、子供の頃の記憶だった。ナナカが外で魚を焼いている匂いで目が覚め、彼女の心づくしの昼飯を味わった。人間は死ぬ間際に昔の夢を見ると言うが、どうも俺はまだまだ生きているらしい。

 焼き魚を飲み下し、作った打ち物を見せて欲しいと頼むと、彼女は少し間を置いて頷いた。先ほどまで作業していただけに汗をかいていたが、疲れた様子はない。

 作業場で彼女の作った鉈を見せてもらうと、切れ味と丈夫さを両立させた良い品だった。海軍軍人は陸戦隊でもない限りあまり刃物と縁がないが、この鉈の出来は見事だと思った。焼き入れのされた刃は重厚で粘りがあり、農作業で酷使されても簡単には刃こぼれしないだろう。形も整っていて美しい。

「こりゃ良い仕事だな」

 俺は感心して褒めたが、彼女は首を横に振った。

「それは気に入らない」

 はっきりと彼女は言い切った。俺はおもむろに、今度は鎌の刃を手に取る。これもまた強そうな刃で、日本刀さながらに研ぎすまされている。振るえば触れた草全てを切り払えそうだ。

「これはどうだ」
「それは……まあまあ」
「これぞ会心の出来、ってのはあるか?」

 俺の質問に、ナナカはまた首を横に振った。他に鍬や包丁などもあるが、どれも妥協無き作りの見事なもので、実用的な美しさを持っていた。だがその中のどれも、彼女が自信を持って傑作と言える出来ではないらしい。

「……母さんは打った剣の中で、本当の業物は四本だけだって言ってた」

 気に入らないと言った鉈を手に取り、ナナカはその刃を指でそっと撫でた。切れ味より頑丈さが要求される刃物なので、少し触った程度で怪我はしない。それを見つめる一つ目から表情は読み取れないが、何かをじっと考えているようであった。

「私はまだ、一つも作れていない」

 彼女は抑揚のない声で呟いた。だが悩んでいるようにも、苦しんでいるようにも見えなかった。

「作れるようになるまで頑張るのか」
「うん」

 頷きつつ、ナナカは微笑を浮かべた。やはり可愛い。目が一つしかなかろうと肌が青かろうと、可愛い女は可愛いものだ。鍛冶屋の仕事が何よりも好きで、上を目指し続けるという一途さも好感が持てる。何をして生きればいいか、答えが決まっているのはいいことだ。
 その答えが見つからない奴が馬鹿なことをするから、俺も戦争が終わったというのにこんな所へ来てしまった。もっとも俺にも馬鹿の気持ちは痛いほど分かる。『行ってきます』ではなく『行きます』と言って出撃したのに一人帰ってきてしまった、あいつの苦しみは。

 そんな考えを心に留め、今ナナカが言った言葉にふと疑問を覚えた。

「お母さんは剣を作るのに、お前は野鍛冶なのか」
「……私は剣より、こういう道具の方が好きだから」

 彼女は鉈を棚に戻した。母親と同じ道を歩まず、敢えて野鍛冶になったのか。
 ふと、『村の鍛冶屋』の三番の歌を思い出す。農機具を作る野鍛冶は刀鍛冶より格下に見られるが、人殺しの道具を作らないことを誇りとし、怠けたいという誘惑と闘い仕事に励む……そんな歌だ。少しでも多く武器を作らねばならない時代になり、学校の教科書からその歌詞は削除されてしまったと聞く。

「立派なもんだよ、お前は」
「……私はただ、良い道具を作りたいだけ」
「それが立派さ」

 率直に褒めると、ナナカはちらりと俺を見て、フイと顔を背けた。どうにも表情の読み取りにくい奴だが、もしかしたら照れているのかもしれない。化け物でも下手な人間よりよほど人間臭いように見える。

 もちろん俺たち海軍軍人は遊郭に繰り出したときや、女学生が慰問に来たときなどはなかなかモテる。昔仲間内で伊達男の太鼓判を押されていた同僚が、すれ違い様に女の子に軍帽をかっぱらわれ、追いかけて入った家で大勢の女が待ち構えていたというけしからん事件もあった。
 だが水兵というのは一度航海に出てしまえば会いたい人にもなかなか会えず、むさ苦しい環境で生きていくしかない。水上機母艦勤務だった俺も同じだ。戦局が悪化して内地に押込められたときも、たまに来る慰問以外は女っ気のない生活を送っていた。戦っている間に許嫁にも逃げられた。

 それだけに、異形であろうとも女のこうした仕草がどうにも眩しくてたまらない。
 あまりの眩しさに目を細めたそのとき、ふいに戸を叩く音が聞こえた。ボロボロの戸を気遣ってかなかなか慎重に叩いている。ナナカが「どうぞ」と言うと、蝶番が鈍い音を立てて戸が開いた。

「こんにちは……」
「包丁をくれ。あと鉈を」

 そう言いながら入ってきたのは西洋の修道士のような、ローブを着た男女だった。男の方は赤い目の美青年、女の方も別嬪さんと言って差し支えない。だがやはりというべきか、その女の体からは桃色の触手のような物が服を突き破って生えており、蛇のようにうねっていた。男の方は化け物か人間か分からないが、触手女と手を繋ぎ、親密そうに寄り添っていた。

 ナナカはその二人に一つ頷き、打ち物の入った棚を指差した。好きな物を選べということか。男が棚を開けてあれこれ物色を始め、女の方は俺をちらりと見て微笑んだ。

「初めまして。この町の教会で働いている、シュリーと申します」
「こりゃご丁寧に。俺は柴 順之介……柴が姓で、順之介が名前だ」

 やはり化け物と言えど見た目で判断するのはよくない。この上なく優しげで温厚、礼儀正しい女だった。どちらかというと男の方が、見た目は人間らしくてもどこか剣呑な空気を漂わせている。湾曲した鉈状の刃物を腰に帯びており、ただの修道士というわけではなさそうだ。

 その剣呑な修道士が棚から包丁と鉈をそれぞれ選び出し、シュリーと名乗った尼さんに見せた。

「これにするぜ」
「うん。……おいくらですか?」
「銀貨一枚でいい」

 ナナカはぶっきらぼうに答えた。シュリーさんが財布を取り出し支払いを済ませている間、修道士は買った刃物を布切れに包み、持っていたズタ袋へ詰め込む。

「いつも材料費程度しかとらないんだよ、コイツは。この包丁なんて宮廷料理人でさえ欲しがる出来なのに」

 俺の方をちらりと見て彼は言った。ナナカとしては気に入らない出来の道具に金を取りたくないのか、あるいは単に売ることに興味がないのか。どちらにせよ職人らしい話だ。

「あんたらはお得意さんかい?」
「いえ。私たちは教会の者ですから、そんなには来ません」

 シュリーさんの方が笑顔で答えた。

「でも農園の方とか料理屋さんの方とか、本当にナナカさんの仕事を高く評価しているんですよ。他の町からもお客さんが来るくらい」
「名物鍛冶屋は日々に繁盛、か」

 『村の鍛冶屋』の最後の歌詞を呟いた。繁盛と言ってもナナカの場合儲かってはいないだろうが。

「……あんた、異世界人だろう。ニーホンとかいう国から来たって」

 修道士が薄ら笑いを浮かべながら言った。西洋系の顔立ちなので歳はよく分からないが、俺より少し下くらいだろうか。馬鹿にしているような笑い方ではないが、どことなく人を食ったような、妙な雰囲気のある奴だ。

「日本だよ。何だ、俺のことはもう町中に知られてるのか?」
「領主が発表してたよ。危険はないので市民は普段通りの生活を続けるように、ってさ」
「でもみんな、二人目の異世界人がどんな人か気になっているんです。だから私たち、道具を買うついでに様子を見に来たんです」

 なるほど、あの領主はわざわざ、俺が危険人物か否かを確認しに来たということが。別の世界の人間が迷い込むというのはこの町でも相当異常なことなのだろう。前例はあるようだが。
 だが危険はないと見なされたということは、ある程度の自由は保証されたということだろう。そもそも牢獄のような所へ入れられず、庶民であるナナカの家に居候することを許されている。そしてやはり一般市民であるこの二人が俺に会いに来れた。もっともこの修道士は一般市民にはどうしても見えないが。

「そうかい。ナナカにはこの通り世話になってるし、今の所問題を起こす気はねぇよ」
「ああ、問題起こしたらぶちのめしていいって領主に言われてるから安心しな」

 修道士はケタケタと笑い、少し咳き込んだ。やはり善良な聖職者というわけでもなさそうである。その彼の足をシュリーさんが軽く踏んだ。彼女の方は触手がうねる異形の化け物であっても、おしとやかな尼さんらしい佇まいをしている。

「あの。よろしかったらご一緒しませんか? 町の中をご案内しますよ」


14/07/12 15:50更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
なんとかあまり遅くならずに更新できました。
農繁期は忙しいですが、SSが楽しみでもあるのでちゃんと書いてはいけると思います。
サイクロプスの魅力をちゃんと出せているだろうか……

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