連載小説
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第一話 「そなたは生きていたいか?」
「……腹減ったぜ」

 ハンモックの上で目を覚まし、口から出た第一声がそれだった。あれだけ雨に打たれて衰弱したのに、食欲だけはあるとはさすが俺だ。だが操縦席が吹きさらしの機体で豪雨の中を飛び続けた上、場所も分からん所に不時着水というのはさすがに辛かった。体がだるくてたまらないが、仲間うちで化け物呼ばわりされた俺の体は辛うじて起き上がることができた。

 揺れるハンモックの上から何とか降り、木の床に足をつける。ぎしっと床板が軋んだ。
 さて、ここは何処なのか。まずは状況を把握しなくてはならない。あのまま目が覚めなければ面倒はなかったが、命がある以上はいろいろと考えなくてはならない。とりあえず服は奇麗にたたまれ、足下に置いてあった。分けの分からん場所で素っ裸で過ごしたくはないので、ふんどしを締めて飛行服を着る。俺がどれだけの時間寝ていたのかは分からないが、服はちゃんと乾いていた。火にでも当ててあったのだろうか。

 武器の類もナイフや拳銃はちゃんとある。カーテンの隙間から外を見ると、晴天の眩しさが目に染みた。白い砂浜と海が見え、遠くには砂浜に乗り上げた俺の愛機もちゃんとあった。そして視力の良い俺は愛機の傍らに立つ、人らしき姿も見えた。もし昨日見たものが夢じゃないなら、あれはきっと……。

「……行ってみっか」

 半長靴の中に手を突っ込んでみると、これまたしっかり乾いている。履いたときほのかに温かみを感じたくらいだ。
 部屋の中にはハンモックの他、机と椅子があるくらいで、木の板と暖簾のような布で隣の部屋と仕切られていた。それを潜るとそこは作業場のようになっており、鎚などの道具類が壁にかけられている。棚には斧や鎌の刃が入っていて、どうも鍛冶屋らしい。

 作業場にある戸が、昨日俺がドンドン叩いて迎え入れられた戸のようだ。外の様子を伺いながら慎重に戸を開けるが、小屋の周囲には誰もいない。気だるい足で砂利を踏みしめ、外へ出る。潮風と波の音が心地よかった。海鳥の鳴き声も聞こえる。

「平和なもんだなぁ」

 青く澄んだ空を眺めて、思わずため息をついた。オンボロ水上機で一人で飛び出し、空中戦をやり、いきなり雨が降ってきたと思えばこんな場所に放り出された。あの豪雨の中で着水できたのは俺の腕でも奇跡的だ。きっとここでは空襲警報が鳴ることもなかったのだろう。空気の違いが肌で分かる。
 ではここがどこかと言えば、多分『あいつ』に聞いてみるしかないだろう。

 愛機へ向けて歩みを進める。大小三つのフロートが砂にめり込み、複葉の翼は少々弾痕があるものの、思っていたほど酷くはやられていないようだ。俺も足は重くても、昨日の土砂降りの中よりはいい。
 足音に気づいてか、俺の相棒を見つめていた女がこちらに目を向けた。あの一つしかない大きな目を。

 どうやら夢ではなかったらしい。だが鬼女の姿は昨日のような、意識が朦朧としたときに見たよりもずっと鮮明だ。岩を削り出したような角も、青い肌もくっきりと見える。服は革製のベルトのような物を胸に巻き、下半身は半ズボンという格好で、青い肌があちこちに露出している。へそまで青いのかと妙なことに感心した。
 異様な姿ではあるが、不思議と不気味さは感じなかった。その豊かな胸や柔らかそうなふともも、女にしては若干筋肉のついた腕。その体は昨日、俺を温めてくれた女体そのものだった。

「……おはようさん。泊めてくれてありがとうよ」

 通じるかは分からないが、話しかけてみる。すると彼女の口から出てきたのは、聞いたこともない、意味不明な言語だった。

「日本語分からないか? 俺はジャパンだ、ジャパン」

 機体の日の丸を指差し訴えてみるものの、向こうは大きな一つ目をしばたたかせるばかり。意外と可愛いもんだな、などと思ったが、やはりこちらの言葉は通じていないようだ。
 すると鬼女は自分の胸に手を当て、俺の顔をじっと見つめてきた。

「ナ・ナ・カ」

 はっきりした口調で、ゆっくりと喋る鬼女。何が言いたいのか一瞬分からなかったが、ハッと思い当たった。

「ナナカ?」

 彼女を指差して聞き返すと、こくりと頷いてきた。じっと俺を見つめる単眼は深い藍色で、異様さはあっても何か奇麗なものに見えた。この化け物にとっては、俺ももしかしたら奇妙な存在なのかもしれない。それでも何とか自分の名前を伝えて、言葉は通じなくても話をしようとしているのだ。
 分かり合える……俺も自分の胸に手を当て、はっきりと名乗った。

「順之介」
「……ジュン……?」

 化け物ことナナカも俺を指差して、尋ねてきた。

「そう、ジュン」

 頷いて見せ、続いて愛機を指差す。

「零観」
「ゼロ……カン」

 呟きつつ、ナナカは俺の愛機をじっと見上げた。プロペラにそっと触れ、撫でて、じっと凝視する。終始無表情のままで、何を考えているのかは読みとれない。だがあの小屋に鍛冶屋の道具があったことから、あることを思い出した。鍛冶屋の神様である天目一箇神だ。

「お前、鍛冶屋をやってるのか? カーン、カーンって」

 鉄を打つ身振りをして訊いてみると、ナナカは頷いた。なるほど、化け物または神様の鍛冶屋だから、人間が作った金属製の飛行機に興味を示しているのか。ことにプロペラや翼は綿密な計算で作られる高度な工業製品だ。初めて見るなら余計に気になるだろう。

「こいつは空を飛ぶ」

 天を指差し、続いて身振り手振りで『飛ぶ』という表現を伝えようとする。相変わらず無表情のナナカは通じているのか分からないが、じっと俺を見つめていた。ブーン、とエンジン音を口ずさんでみても、きっと彼女には何の音か分からないだろう。
 だがそのとき、実際に低く唸るような音がした。俺は思わず手を止めて固まる。ナナカは少し目を見開き、続いてくすりと笑った。

 それは敵機のエンジン音でも、獣の唸り声でもない。俺の腹の虫だった。

「……ジュン」

 ナナカは俺の服の裾をつまみ、引っ張った。小屋に戻れと言っているのだろう。何となくその仕草が可愛らしくて、化け物でも女は女なのだと思えた。素直に従い、一緒に小屋へ向かう。彼女の小屋は外から見ると改めて粗末に見え、雨漏りを直した跡も見受けられた。戦地を思い出す雰囲気ではあるが、空は静かだ。今飛べればさぞかしいい気分だろう。

 ただ、きっと祖国の空には繋がっていない。


 小屋へ戻った後、ナナカはそれなりに丈夫そうな木箱を指差し、そこに座っていろと身振りで示した。そして彼女は別の木箱から、卵だの葉にくるまれた肉だの、包丁だのを取り出す。
 何とも不思議な調理が始まった。ナナカが卓上に奇妙な幾何学模様の描かれた金属板を乗せ、そこに石を置く。たちまち石が火を纏い、赤々と燃え上がる。その上に鍋を掲げると、丁度鍋底が火に炙られる位置で空中浮遊した。そこへ彼女は油を敷いて卵を割り、ぶつ切りになっていた肉を大雑把に放り込んだ。
 魔法という奴だろうか。やっぱり化け物が料理を作るとなると、人間にはできない方法を使う。しかし大事なのは彼女が俺を料理の材料になどせず、俺に食わせる料理を作ってくれているということだ。鬼の目にも涙とはいうが、ナナカは相当に優しい化け物らしい。

 ジュージューと肉が焼け、香ばしい匂いが空きっ腹を刺激した。白身と黄身を引っ掻き回された卵が、肉を巻き込んで炒られていく。出来上がるまで大して時間はかからなかったが、空腹のせいかえらく長時間待たされたような気がした。

 艶のある焼き具合の炒り卵は塩をまぶされ、二枚の皿に盛り分けられた。ナナカは銀色の奇麗なフォークを添え、料理を俺に差し出してきた。

「ありがとよ。いただきます」

 手を合わせてから受け取ると、湯気を立てる炒り卵が、同じ量の純金さながらに神々しく見えた。空きっ腹の為せる業だ。
 フォークですくって口へ運ぶ。とろとろした卵の風味に脂の乗った肉がたまらなく美味い。噛み締める度に肉汁が湧いてくる良い肉だった。味は鶏肉に近い気がしたが、食感や脂の質が違っている。

「これ、何の肉だ?」

 肉の欠片をつまんで身振りで尋ねると、ナナカはお湯を湧かしつつ、俺の座っている木箱を指差した。
 一度腰を上げ木箱を開けてみると、なるほど、肉の正体らしい動物が三匹、箱の中を這い回っていた。

「ああ、トカゲか」

 尻尾をちょん切られたトカゲは腕ほどの大きさで、のそのそと箱の底を這っている。納得してふたを閉め、再びその上に腰を降ろして炒り卵を掻き込んだ。南方で食べたワニの肉より脂ぎっているが、なかなかイケる。
 ナナカはパンも軽く焼いてから寄越し、茶も淹れてくれた。紅茶のようで、これもなかなか良い香りだった。米の飯が食いたいが贅沢は言えない。

 俺ががっつく前で、彼女の方も静かに自分の分を食べている。言葉が通じないだけでなく元から無口な質なのか、あまり声を出さない。
 改めて、ここはどこなのだろうかと考えた。南方へ行ったときはヤシの実だの珊瑚礁だの、蛍の大群だのと、未知との遭遇が沢山あった。だが今回はまた別格だ。一つ目女といい、火をつける魔法といい、理解を遥かに超えている。

 俺はすでに死んでいて、ここは死後の世界なのかもしれない。三途の川も閻魔の庁も靖国もすっ飛ばし、分けの分からないところへ来てしまったのだろうか。仲間内で「死神に嫌われる程のひねくれ者」と言われた俺だ、まともにあの世へ導いてもらえなくてもおかしくない。
 いや、おそらく俺はまだ生きている。空中戦が終わって地上に降りたときの、今日も生き延びたという実感が今もあるのだ。死んだ経験はないが、多分まだ死んでいないのだと思う。

 竜宮城や桃源郷のような、そんな昔話の世界にでも来てしまったのだろう。とすると目の前にいる一つ目女が乙姫か。これで何とか日本へ帰ったとしても、何百年も時間が経っていたらどうしたものか。

「……ごちそうさん」

 考えながらも食べ終わり、残った紅茶を飲み干す。ナナカはまだ自分の分をゆっくりと食べていたが、ふいに俺の肩を叩き、何事か言いながらハンモックを指差した。まだ寝ていた方がいいと言うのだろう。確かに腹は膨れたものの、まだ気だるさが残っていて本調子ではない。

「分かった、ありがとうな」

 礼を言って、素直にハンモックに横になった。言葉が通じない土地で状況も分からない、つまり迂闊に動けないのだから、ここは体力回復に努めるべきだろう。幸いナナカは信用できそうだから、ここは厚意に甘えておいた方がいい。
 彼女は俺にそっと毛布をかけてくれた。化け物が結婚するのかは分からないが、良い嫁さんになれそうな女だ。


 本当なら俺ももう結婚しているはずだったんだなあ、と切ない気分を感じた。だがいつ死ぬか分からない身であることを思えば、これでよかったのかもしれない。

 つまらないことを考えていないで、大人しく寝るとするか……そう思い目を閉じた瞬間、戸を叩く音がした。
 ナナカが玄関まで出て行く。ドアを開けると、彼女は訪ねてきた誰かと何事か話し始めた。俺は念のため拳銃を手に取り、ハンモックから降りた。

 拳銃の柄を握り、安全装置を解除する。とある陸軍士官からもらったドイツ製の銃で、自慢の一品ではあるが、ほとんど撃ったことがないので当たるかは怪しい。飛行機についているものとは違うのだ。

「ジュン!」

 戻ってきたナナカが俺に向かい、手と首を振っている。武器をしまえと言っているのか。
 そして訪ねてきた人物も小屋に入ってきた。男女二人組、今度は目が二つある人間だ。いや、目の数だけで人間とは判断できないだろう。西洋の執事のような格好をした男の方は普通の人間と変わらないが、黒マントを羽織った女の方はどうも違うようだ。赤い髪に優しげな瞳の白人で、かなりの美人と言える。だがどこか魔性というか、ぞくりとする雰囲気を持っていた。そして何よりも耳が長く、尖っているのだ。

 床にあぐらをかいて座る俺を、合計五つの目が見下ろす。拳銃の柄を握ったままの俺に、黒マントの女は手を差し出してきた。白い、奇麗な掌には長方形の金属片が乗っており、そこには複雑な文様が彫り込まれている。ナナカが火を起こすのに使ったような、魔法の品か。何となく不思議な雰囲気がする。

「くれる、ってか」

 触れた瞬間火が噴き出すのではと考えなくもなかったが、初対面の相手をいきなり焼き殺すような連中には見えない。ままよと思いながら、その怪しげな金属片を受け取った。

 その瞬間頭の芯がずきっと痛んだ。今まで経験したことのない奇妙な痛みだったが、それは一瞬で消えた。金属片は特に異常もなく、ただ俺の掌に収まっている。

「……私の言葉が分かるかね?」

 黒マントの女が口を開いた。奇妙な感覚に思わず目を見開く。彼女は日本語を喋ったわけでもない、先ほどまで使っていたのと同じ言葉を話していた。なのに俺はその意味を理解できたのだ。

「言葉が分かるかね?」
「……分かる」

 再度問いかけてきた彼女に、俺も同じ言語で答えた。まるで専門教育を何年も受けたように、一瞬で言語を脳みそに詰め込まれたのだ。

「そのルーンは言語学習用の魔術がこめられている。以前は注射する魔法薬タイプだったが、それは持っているだけで言葉が理解できる。なかなか便利だろう」
「……魔法だか何だか知らんが、そうだな」

 理解が追いつかないことは多々あるが、とにかくこれで話ができるようになったわけか。それでも手は拳銃を握ったままだ。

「私はリライア・クロン・ルージュ。このルージュシティの領主だ。そなたの名前と身分を教えて欲しい」

 凛々しい佇まいを崩さぬまま、女は告げた。拳銃にさえ動じないほど肝が据わっているのか、それとも銃の威力を知らないのか。
 一瞬、正直に話すべきか迷った。が、考えてみれば黙り通したり、偽名を使ったりするのも馬鹿馬鹿しいことだ。目が二つあるとはいえ、どうせこの女も化け物なのだろう。そんな絵空事にしか出てこないような連中相手に、昨日までの戦争のことなんて考えても無駄だ。

「日本海軍飛曹長、柴順之介」
「ニホン、か……」

 リライアという女は何かを考えながら呟いた。その様子をナナカがじっと見ている。無表情ながらもどことなく、心配そうな面持ちだった。

「いくつか質問をしよう。理解できないこともあるだろうが……まず、我々のような魔物を見たことがあるか」
「夢の中でなら見たよ」

 冗談まじりに答えたが、リライアは全く笑わず、懐から紙切れを取り出した。

「次。この紋章を見たことがあるか?」

 紙切れに描かれていたのは、卍字を逆向きにして斜めにしたような印だった。見覚えは確かにある。

「ドイツの国章だ」
「そなたの祖国はその国とどのような関係だ?」
「同盟国だった」
「だった、というのは?」
「向こうが先に戦争に負けた。俺たちも負けたがな」

 リライアはしばらく考え込んでいたが、やがて「以上だ」と言葉を切った。

「結論から言うとだな、ここはそなたがいた世界とは異なる場所だ」
「……そうだろうな」

 これだけ常軌を逸した状況が乱発されれば嫌でも分かる。やれ一つ目女だ、青い肌だ、魔法だなんだと訳が分からん。そして向こうも、俺が今まで必死で戦っていたあの戦争を知らないようだ。やっぱり俺はもう死んでいるのではないか。
 少なくとも、日本では死んだことになっているだろう。全く不愉快だ。戦死覚悟で出撃したとはいえ、英霊だのなんだと祭り上げられるのは性に合わない。それにいくら英雄だ軍神だと讃えられても、当の俺は意味不明な世界で今までとはまた別の苦労をする羽目になったのだ。

「残念ながら何故こちらの世界に来たのかは分からないし、元の世界に返す方法も今の所はない。それを理解してもらった上で、もう一つ問う」

 俺ははっとした。いつの間にか、リライアの手が俺の肩に置かれていたのだ。反射神経は人一倍あるのに、いつ触れられたのかも分からない。武術の達人は悟られることなく敵の懐に入るという。一流の戦闘機乗りもまた気づかれることなく敵機を墜とすが、その世界に生きていた俺でさえ、彼女の動きに気づけなかった。
 やはりこいつも人間ではない。滲み出る雰囲気からそうだと分かる。

 灰色の瞳で俺をじっと見つめながら、彼女は言った。


「そなたは生きていたいか?」






14/07/17 05:43更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございます。
さり気なく構想を練っていた、二人目の異世界人モノです。
やっぱり女の子と飛行機で旅したり、遊覧飛行してみたりってのは憧れるシチュなんです、私にとっては。
またマイナーな飛行機出しちゃいましたがw

図鑑世界にこういうのを持ち込むのは賛否あるかもしれませんが、「風来リリムと異界の鳥人」ではそれなりに上手く書けたようなので、再びこういうのを書いてみることにしました。
仕事が忙しいですがSSのご感想を力に変えて頑張りますので、よろしければ次回以降もお付き合いいただければと思います。

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