連載小説
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屋敷潜入 その9 降臨 下 
アレンは如何しようかと戸惑いの中にいた。
エリスはハングドマンとの戦いの最中、負傷しつつも見事に打倒した。が、その後彼女がフラフラとこちらの元に戻った時、彼女は全身を真っ赤な血に染めてぐったりとして急いで彼女を担ぎ通路を進み部屋を目指した。
「エリス様はどうなるのですか?アレン様…」
「エリスお姉ちゃん…」
アレンの隣で不安げな眼差しでフワフワと浮遊する薄い紫色の二つの浮遊体。この屋敷の主であり、今回の騒ぎの渦中の人物ロイ=ロッドケーストの娘であったゴーストのエミリアと、生前まで使用人だった若い女性のゴーストのエレナである。
薄暗い部屋にはアレンがこの部屋で見つけたカンテラしか明かりは無い。カンテラに灯る火はとても弱弱しく、すぐに手で灯る火を軽くつかむ素振りをすればいとも簡単に消えそうだった。
(すでにエリスの手当ては済ませた、もう大丈夫だろう)
テーブルにシルクの布を引きその上にエリスを寝かせて置いている。全身血で染めた体を濡れたタオルで拭き取った後、傷口を消毒し簡単な応急処置を施した。幸い傷からの出血はそこまで死に至る量ではなかったため、そこまで時間のかかることではなかった。(腕の抉られた傷だけでなく、他につけられた擦り傷などの軽傷もすでに織り込み済みである)
それでも包帯でぐるぐると巻かれた腕を見ると目に痛々しく映る。
エリスの口元から小さな寝息が聞こえる。鋭く尖った目は閉じられ、そこには無垢な表情を浮かべた可愛らしい年相応の少女の様な顔になっている。
アレンはその寝顔を眺めているとなんだか肩から力が抜けて行くような感じになる。疲れているのだろうか、いやとても温かい、何だか疲労が蓄積された身体が癒されていくような…。
年はいくつなのだろうか、はたまた何をして今まで何をしていたのだろうか。と、今までアレンが考えることのないような疑問が次々と頭に浮かんでは消えていく。
(…やはり他人との馴れ合いは嫌いだ、どうしてこう変なことばかり思うのだろう)
アレンはぼんやりとする頭を振って再び現実に戻る。
カンテラに灯る小さな弱弱しい火がエリスをぼんやりと照らす。照らされた火でエリスの肢体にくっきりと顔の下から足まで線を描くように、しなやかで女性らしい艶の入ったラインのシルエットが浮かび上がる。
寝息ではち切れそうな強調された胸のあたりがはっきりと上下していくのが見える。とても扇情的で、健全な男なら尋常ではいられなくなるほどの破壊力をそれは持っていた。
しかし今のアレンにそんな事を思うほど余裕はなかった。
アレンは軽くこめかみを手で押さえながら周囲を見渡す、部屋はアレン達以外に人はいない。ただ大きな棚がずらりと並び、その棚の中には何やら怪しげな瓶に包まれた薬が幾つもあった。
部屋は薄暗く、最初にこの部屋に訪れた時はまるで墓標の様な陰湿で時が止まったかのような景観だった。何かの研究で使われたかのような試験管立てに入った試験管は、茶色く変色し錆びていた。
アレンは適当に棚に置かれた埃を被る一つの瓶を手に取る。瓶のラベルには『サキュバスの血』と書かれている。
その中にはロイがまだ狂っていない頃、生物学の権威者であったロイ=ロッドケーストが、毎日好奇心に目を光らせ新たな発見を追求し続け日々奮闘した頃の物だろうか。おそらく一番ロイにとって輝かしく幸せであった時だろうか、今となってはもう分からない。
「…エレナとエミリア、お前たちはここに残ってくれ」
「!?」
「…お兄ちゃん行くの?お父さん所に…」
「あぁ…もう時間がない。間違いなくロイは外の世界にまた新たなあの化け物達を放つだろう、俺達を送った人間を殺すために。そうなった後はもう、奴の所業を止める人間はいなくなるだろう…。その前に奴の暴挙を止めなければ取り返しのつかないことになる」
アレンはエレナとエミリアの反応を見ながら言葉を続ける。
エレナはアレンに視線をそらすことなく黙って聞いている。
「…見ての通り、エリスはすでに手当てを済ませている。心配はない、怪我もそこまで大したことはない。すぐに安静に寝かしておけばいずれ自分で起きるだろう、お前たちはここに残ってエレナの面倒を見てくれ。俺がすべての決着をつけに行く」
アレンは強い意志を灯らせた瞳でエレナとエミリアを見る。それは誰が止めても行こうとするだろう、それほど迫力があった。
「…分かりました、元々何も関係の無いアレン様を巻き込んだ私達に何も逆らう理由もありません。ですから…どうかご主人様を覚めることの無い悪夢から解放してください。また元の優しいご主人様に戻して…」
エレナはすがり付くような視線でアレンを見つめる。その目から一滴の雫が彼女の紫色の頬を伝っていく。アレンの言葉の意味に感づいているのだろう、もはやロイは手遅れになるほど狂気に駆られている。ただ純粋に愛しい妻や子供と末長く幸せに暮らしたかった、がその想いと裏腹に今までの所業はあまりにも独り善がりで残酷なものだった。
「今のご主人様の所業を、奥様は見た時どう思われているのでしょう…」
エレナは目を閉じて静かに呟く。
一方エミリアは黙ったまま何もない虚空を見つめ、打ちひしがれたように黙し目を閉じて一人佇んでいる。アレンの言葉に何を思ったのだろうか、それは決して良いことを考えていないことは明白だった。
彼女なりの気持ちの整理をしているのだろうか。あのエントランスの一件にて実の父親に自分の存在を否定されもう自身の知る愛しい父親の姿はもういない、と心で認識してしまったのだろうか。
様々な思いが交差する部屋の中は、段々重苦しい雰囲気になり誰も重く口を閉ざしていった。何か頭の中が酸欠を起こしたようにとても苦しくなっていく。
「エミリア…いいのか」
アレンの問いに、エミリアはずっと沈黙を破らないでいる。まだ気持ちの整理がついていないのだろうか、迷いに迷いその渦の中を延々とただひたすら彷徨っているようにも見える。
そして「…うん」とはっきりと意思の現れた瞳でアレンを真っ直ぐ見据えていた。
その表情は迷いも無く淡泊としていた。がどこか張り付いていて、その中には不確かでとても壊れそうなほどの脆いガラス細工で彩られ、沢山の不安と迷いが入り乱れているような気がした。
(…もう迷っている暇なんて無い)
一度答えを出した。もう後に引くことはできない、どんなことがあっても。
「エリスのことは頼んだ…」
アレンはもう一度念を押して、その場を後にした。


部屋を出てまた先の通路を走っていく。何故かあの部屋にいた時と違い、頭の中に執拗に渦巻いていた何かは消え吸い込まれそうなほど深い闇だけしか瞳には映らない。
夜明けを迎えたにもかかわらず通路の先は見えず暗い、この先に待っている運命を暗示しているのだろうか。だんだん底の無い深い海底の水の中にいるように感じる、底を目指して深く潜れば潜るほど暗い永遠に光の射すことのないまどろみの中にいるような気がしてならない。
苦しい、眠れば楽になるような気がする。
「…!?」
ふと、足が鉛のように重く動かなくなる。
空気が…おかしい。空気がさっきまでとは裏腹に、多くの人を戦かせるほどの強烈な威圧を放つ非常に神々しい空気が辺りに淀んでいることに気付く。
(…ということはもうすでにこの先に…)
終着点はすでに近い。
この威圧を放つ正体はロイなのかどうかは別として、ただひたすらに前へ突き進むアレン。ロイは待っている、この先に。これは隠しがたい事実。
そして終着点への扉は今開かれた。


「…ようやくここまで来たか。まさかここまで来るとは思っていなかったが、お前のしつこさには敬意を払いたいくらいだ」
ロイはさっきまでの熱に浮かされた表情は消え、非常に冷めた淡泊な表情でアレンを出迎えた。その声には憎々しげにうんざりともとれる反応が伺える。
「…もう終わりにしないか?」
アレンの静かな物言いにロイは激しく食ってかかる。
「フン、言われなくても終わらせてやる…すべてを。ただしお前達の絶対の死を持ってなぁ!!」
ロイは冷めた淡泊な顔を再び熱で浸し、鼻の穴を大きくして昂る感情を抑えようともせずにアレンに言う。
「仲間は如何した?はっ、別にどうでもいいことか…」
「それには同意しよう」
アレンは別に気にすることなくロイの返しを待つ。
ロイは傲慢に胸を張り蔑んだような視線でアレンを見下す。憐れむかのような視線でアレンは不快感しかない、どこか自分は必ず負けることのない絶対的な自信の表れに満ちていた。
「さぁ、下らない御託並べはやめにしよう…。冥土の土産に見せてあげよう、私の最高傑作を!!」
ガリガリに痩せ細った木の枝の様な腕を激しく動かし芝居のかかったジェスチャーをする。約束された勝利に酔いしれているようだった。
ロイの指さす先には大きな箱の様なケースがある。そこからあらゆるものを淘汰する威圧を放つ、神々しくかつ恐ろしいオーラが滲み出ていた。どうやらさきほど感じたあの嫌な威圧感を放つ正体はこれの様だ。
「さぁ、おのれの無力さを思い知るがいい!!」
そしてケースが消えていきその中に存在する何かが現れ降臨した。
「!?なんだ…これは」
アレンは驚愕の中で嘆くように声を上げる。
それは恐ろしいようで美しかった。その姿は大いなる眠りから目覚めた悪魔、いやすべてを破滅に導く邪神のようにもみえる。しかし神聖な神の様な崇高なる神々しさを持ち合わせていた。人と似たような姿をし、頭にバフォメットさながらの畏怖の念を抱かせるような逞しい角を生やしていた。
それらからこれは人の頂点に君臨する神のような存在と認識する。
だがしかし神は完成されていなかった、なのに完成しているかのような畏れおおい不完全な芸術作品だった。所々皮膚と思われるような人工的に造られた装甲が欠如している、それが不完全にも見えて完成しているようにも見えた。
それが特徴らしい特徴だった。
何もかもをすべてを無に帰す、そこには迷いも一欠けらも無い。この神の様な高潔な存在を前にそんなことを思うのは無粋である。
その素顔に表情はない、何も色が塗られていない真っ白な紙を連想させる。冷めているようにも笑っているようにも憐れんでいるようにも見える。口を固く閉ざし何もものを言うことはない。
美しいのに恐ろしい。禍々しい破滅を導く大いなる邪神の化身そのものなのに、悩める子羊達に情愛を注ぎ正しき道へと先導する崇高なる神聖な神の化身。
決して相容れないはずの大きな矛盾が複雑に絡み合い一つとなる時、荘厳でどこか悲しい二重奏の音色が奏で始める。
アレンに何故かそれが聞こえてくるのだ。
アレンは茫然と立ちすくむ。絶対的で決して逆らうことのできない存在に。
「さぁ…Magician(マジシャン)我が最高の傑作よ…すべてを無に帰すのだ!!」
ロイは熱を浮かべ恍惚とした笑みを浮かべ、マジシャンの前に跪く。その姿は必死に神と呼ぶ偶像に向かい、ひたすら盲信を繰り返す哀れな狂信者の様な姿だった。
(そんなものに救いを求めるか…茶番だ、笑止千万)
「オマエハダレダ、ワタシハダレノメイレイモキカズ…」
そんなロイとは対照的に、物々しい神の化身にふさわしき威厳を兼ね備えた啓示を示すかのような声。非常に抑揚のなく熱を持たない神の言葉。
(ドク…ドク…)
アレンは胸に手を当てる。心臓が肋骨を蹴り破るような鼓動を立てている、と思った。がそれは違い、マジシャンの装甲が欠如した部分から漏れてくる、今ひとたび下される審判を啓示する音であった。
「タダ…ハカイスルノミ…」
そして審判は下される。抑揚のない声とともに。
それは一瞬の出来事だった。
マジシャンは禍々しい形をした手に、煉獄の炎を纏わせロイめがけてそれを放つ。するとロイは決して消えることを許さない炎を巻き、ロイが今まで犯した罪の数ほど炎はひどく燃え盛る。ロイの顔は恍惚から一転、目を大きく見開き苦しみに顔を歪ませ天を仰ぐように物言わぬ神の啓示の前にもがき苦しみ始める。
「うわああああぁぁぁ…何故だ…何故…私の命令を聞かぬぅぅ!!」
ロイは終始もがき苦しみ必死にその神罰から逃れようと手足を激しくばたつかせる。しかし炎は消えるどころかさらにも増して激しくロイの身を焦がしていく。
何故だ…どうしてだ…。
ロイの走馬灯の中にその疑念がしつこく纏わりついていく、頭から離れることはない。
「おぅ…あっ…あ…」
ロイの衣服はすでに燃えてなくなり、枯れて痩せ細った貧相な木の棒のような体が黒こげになっていく。そして顔も頬がドロドロに溶けて肉が削ぎ落ちやがて何もない灰となっていく。
(メ…ア…リー…)
「……」
ロイは最期にかつて最愛の中で亡くしたあるかけがえのない人物の名を口にする。ただ意味も無く自身の愚かさを懺悔するように…。
そしてロイの立っていたその場には黒々と鼻につく腐臭を漂わせる灰の山ができていた。
そうなった時、すでにマジシャンとアレンの姿はそこに無かった。


青一色の澄み渡った空に、これから来る嵐を思わせるような灰色の雲が辺りを立ち込める。屋敷の裏庭から広がる青々と茂る草木が、吹き荒れる風によって倒されるような勢いで揺れている。
「ん…どうしたんだろう?何だかおかしい…」
嵐の前触れの様な風で、激しく靡く栗色の髪を抑え半目開きに曇天の空を眺める一体のハニービー。役目であるアルラウネから蜜を取ることに大忙しだった。
さっきまで心を綺麗に潤すかのような青色が広がる空に何かよくないことを予見するかのように暗雲が垂れこめたのだ。
(澄み澄みと青く優しく広がる空が好きなのに…)
「どうしたの?そんな顔して」
ハニービーのお得意様であるアルラウネは、いつも快活で元気な表情をするハニービーがいきなり笑みを消して不安げに肩を震わせる姿に疑問を抱く。
「いや…様子がおかしいの…空が灰色に染まっていくの…」
「なに言ってんのよぉ〜ただの雨でしょ?何縁起でもないこと考えているのよ」
アルラウネは腕に乗せれるほどの豊満な胸を突き出し、手を口に添えてクスクスと艶の入った笑みを浮かべる。
(あぁ…やっぱり困ってオロオロする貴方も素敵だわ…)
アルラウネは嗜虐的な笑みを浮かべ頬に手を添えて朱色に染める。自身を包む大きな花弁の中から滲み出るように溢れ辺りを漂う甘い蜜。アルラウネの蜜は強力な媚薬の効果があり、人の男性を誘うためのものである。
それだけでなく、ハニービーやグリズリーなどの需要が高くアルラウネの蜜は結構貴重なものでもあったりする。
知ってか知らずアルラウネはワザとハニービーに向けて自身の蜜を漂わせる。そうすると反射的に体をハニービーは反応する。ハニービーはどことなく甘く蕩けた様な表情を浮かべ、両腿を擦りつけながら体を熱く火照らせていく。股から太もものあたりにかけて粘り気のある熱気を帯びた甘い透明の蜜がゆっくりと滴り落ちていく。
あぁ…アルラウネの蜜この匂いは何時も麻薬の様に癖になる、ハニービーは食用だけではなく性行為にもアルラウネの蜜は使われる。
(…やっぱり貴方ね…もういつもいつも…これじゃ仕事が…)
ハニービーは口を尖らせてはいるものの、強く拒否を示すようなことはしない。この強く激しく快感をどうしても体は求めてしまう、自制が全く効かない。効かせようとしても頭がぼうっとするだけだ。
(はぁ…はぁ…余計なことを考えようとしても考えれない…駄目だ…自分)
顔が熱く火照っていく、体全体が湿り気を帯びてベタベタして気持ち悪い。ハニービーは汗っかきで体が汗の臭いで臭くなるのが嫌だった。
(ふふふ…そろそろ全体に効いている頃かしら?もう食べ頃…)
アルラウネは花弁の中から身を乗り出し、肢体にまとわりつく鬱蒼と生えた蔦を体の一部の様に操り、沸き上がり溢れる快楽の海の中で悶えるハニービーをゆっくりと絡め捕り、体へと近づける。
(!?)
ハニービーの体は今、少々の刺激でも絶頂を迎えてしまうほど感じやすくなっている。蔦が体のあちこちに執拗に絡みついてくる、その都度体に電撃が走るような衝撃と心地よさが一度に感じる。歯を必死に噛んでその快楽を抑え込もうとしても体が言うことを聞かない、快楽に酔いしれる妖艶な本音がだらしなく口から漏れていく。熱い下半身が燃えるように熱くなる体が疼いて仕方がない。
(もっと…もっと…)
ハニービーはとうとう負けて痴態をさらけ出す。陽炎のようにはっきりとしない視界にはアルラウネの唾液をだらしなく垂らしほくそ笑む唇が見える。熱い吐息をお互いに感じ取りそして舌を出し合い手はお互いの甘い蜜が溢れる秘所に向けて進んでいく。
「はぅ…ちゅる…ん…」
「じゅる…ちゅ…んぁ…うぅ…」
お互い口の中を貪る様に貪欲に求めあう。歯と歯の裏を綺麗になめ合い唾液のおし入れあいを繰り返しながら。
(ん…何かしらあれ…)
快楽に真っ白になりかけ働かない頭を働かせ、アルラウネはいきなり入ってきた暗雲が垂れこめる空の上にある小さな存在が何かを確かめる。そこから何か禍々しいほどの邪悪と神聖さの不協和音を肌で感じる。小さく感じるほど遠くにいる存在は何故か今からおこる災厄の調べを奏で始めているように見えたからだ。
普通なら全く気にせずハニービーと行為をふけっているのに…。
(…何なの…この胸騒ぎは)
不安に心が押しつぶされかけるアルラウネが最期に感じたことだった。


「こっ…これは…」
アレンは部屋の天井を炎で破り逃げ出したマジシャンを追った、自身の最高傑作に殺害され哀れな最期を遂げたロイを置いて。部屋にあった地上へと続く秘密の隠し階段を上って行き、草木が倒され荒れ果てたかつて美しい造園のようだった屋敷の裏庭へとたどり着いた。
「…燃えてる」
アレンの目に、鬱蒼と生い茂る草木がすべてを無に帰す煉獄の炎に飲み込まれゴウゴウと悶え苦しむ姿が映る。炎は次々に颯爽と木々達を侵食し始め、原形を留めず木や草は物言わぬ灰となり大きな煙を上げながらまた次へと地獄の業火は未だに消えずにいる。
その中から地獄の業火に巻かれて苦痛に耳を刺す悲鳴が聞こえてくる。一か所だけではない、四方八方からアレンに必死に訴えるような助けを求める声。しかしその声を嘲笑うかのように地獄の業火は難なく無慈悲に消していく。
(奴だ…)
アレンは空を見上げる。やはり奴がいる。
その地獄絵図の光景を何もせずただ見届ける天の上の傍観者。歓喜もなく悲愴もせずその表情には何もない虚無感しか浮かばない。まさに神と呼ばれるにふさわしいほどの表情をしている。
そしてアレンの存在に気付く
「…モクヒョウハッケン、ハカイスルノミ」
マジシャンは神罰の矛先をアレンに向ける。
その場は妙に風が吹き荒れた。ただ少し強い風なのにアレンは脚が崩れそうになる。風で羽織ったマントは独りでバサバサと暴れるように靡く、アレンに対して逃げろと警告を発している。
(……)
アレンは叫びだして逃げたい衝動にかられるが、口を固く閉ざし中にグッとそれを押さえつける。ここまで恐怖するのは生まれて初めてだ。
アレンは屋敷の書斎から見つけたあのレポートファイルを、階段を上る際しっかりと熟読していたのだが、マジシャンのことについて書かれた情報は一切なかった。

Magician (Type 0)
弱点 (Unknown)不明

(一体どう立ち向かえばいいのか…?)
分からない。
そうしているうちに敵はすぐに動き始める。
空中にアレンの視界に幾つものマジシャンの姿が映し出される、妙に様になった両腕を組むポーズをとりそれは微動もさせず余裕すらある。それを目で追いかけていくも追いつかず消えていく、それは残像であることに気付いたのは少したった後だ。
すると残像はすべて消え去る。それを見届ける頃にはマジシャンは手に煉獄の炎を纏わせそれをアレンに放つ瞬間だった。放たれた煉獄の炎の波動は的確に目標のアレンを捉え命中した、目の瞬きも許されもしない間に。
「ぐわぁあ!?」
アレンは何が起きたか状況を飲み込めないまま、いきなり体が遠くへ投げだされ固い地面に鈍い音をたてる。アレンの立っていた地面は大きく抉れ、そこから煙が上がる焦げ臭い臭いが染み付きそうになる。背中が火にくべられたような感覚がする。ヒリヒリと背中が痛い。
土埃を巻き上げアレンの視界はより一層悪くなる。痛みに悶えている間に容赦なくマジシャンの追撃は緩むことはない。
土埃の中でマジシャンの残像のシルエットが幾つも造られ、まどろむようにはっきりとしない。円を描くようにアレンの背後にまわりそして再び第二の煉獄の炎の波動を放つ。
(同じようにやられるものか…)
土埃で顔を汚しながらアレンは歯を食いしばり自身の周囲に結界を発動させる。体が鉛の様に重い、体の所々がミシミシと音をたて痛む。守りつつ反撃の機会をうかがう。
波動が結界に衝突する、その度に体に重い衝撃が走る。結界は思ったよりも場を持つことはない、せいぜい数発を凌げるかの薄さで精一杯だった。
目標は息絶えることを知らず未だにしぶとく眼光に光を灯らせている。マジシャンは淡泊な顔を一層崩さず流れ作業のように追撃の手を再びのばす。
重い一撃に体が揺らぎ結界はミシミシと亀裂が走る音がする。もうすでに結界は耐えられない。
(どこなんだ…どこに弱点が?)
アレンは短い間に頭の中で模索する。弱点なんて存在しないはずはない、それは作成者であるロイ自身がそれを証明した。生前のロイは死ぬ間際マジシャンを最高傑作と称し自身が殺されるなんて夢にも思っていない様子だった、がしかしマジシャンは生みの親であるロイを殺害し何者も束縛を受けない不完全体として誕生した。
それは欠陥が存在する証明になる。どこか目に見える所に欠陥は存在しているはず、マジシャン以外の製作物もそうであったように…。
アレンにそれに心当たりがあった、まず最初にマジシャンの印象を不完全に見えたが完成されたように見えたと例えた部分。
それは体の5カ所にあった無機的な肌をした装甲が欠如された部分。人の様な筋肉が形成されうねうねと脈を打つように動いている。
右顔、左上腕、右下腕、左太股、右脛…。
アレンは睨むようにマジシャンを見上げる。
マジシャンは残像を残すほどの高速移動をしているその時にはすでに土埃の霧は消えていた。相変わらずポーズの姿勢を崩すことなく淡泊で冷淡にも見える表情を浮かべる。そして動きが止まり手に煉獄の炎を纏わせ波動をアレンめがけて放つ。
(見えた…)
アレンの目は次第にマジシャンの目にも止まらぬ速さについている。
アレンはすかさず炎の槍を詠唱しマジシャンの放った波動を撃ち落とし装甲の欠如した5カ所目がけて狙いを定めそして再び詠唱する。
無数の矢のように槍は飛びマジシャンの無機物な装甲は嘲笑うかのようにそれを弾く、が数に圧倒され装甲の欠如した右脛に槍は命中した。
その瞬間マジシャンはグラリと余裕ある姿勢を突然崩す。どうやらアレンの推測は正しかった。
が、その後マジシャンはまた元の腕組むような余裕姿勢を戻し、ジッとアレンを憎悪に駆られ睨む様な眼で見た。あの冷淡にも淡泊にも見える表情は同じ、しかしこの時の眼差しはさっきの物とどこか違うような気がする。
アレンの背筋に凍った雫が滴り落ちるのを感じる。
マジシャンは明らかに憤慨している、アレンのしていることは大いなる神に対する冒涜であり背信行為そのものである。
そして再びマジシャンは円を描くように高速移動を開始する、さきほどよりも早く感じる目で追うも消えていく残像ばかりが目に映る。やがてその残像は綺麗な弧を描きアレンめがけて接近する、右手に炎を纏わせながら。
「!?」
アレンは突然強い衝撃に襲われ吹っ飛ぶ。そのまま屋敷の壁めがけて体を強く磔にされたように叩きつけられそのまま地面にずり落ちる。服は所々ボロボロの雑巾の様に穴が開き血に染まった肌がさらけ出される。壁には大きな亀裂が入り表面が凹んでいる、全身の骨が砕かれたかのような激痛がアレンの体を襲う。いつの間にか左腕が変な方向に向けてダランとだらしなく垂れていた。
「くっ…そ…」
アレンは這うように起き上がり体勢を立て直そうとする。口の中にせき止められ溢れかえる吐血を地面に吐き、ふりしぼるように捨て台詞を吐く。もうしゃべることすらも困難極まりなかった。
(…まだ死ぬわけにはいかない)
強靭な精神力がアレンを耐えさせている。不思議とぼやけていた視界がはっきりとしてきた。
マジシャンは再び高速移動を始める、しぶとく這い上がる目標に何の感情を抱いているかは定かではない。全くもって寡黙な表情。
「…来るか」
アレンはまだ生きている右手に青白い幻想的な色を帯びた炎を纏わせる。瞳にはこちらへと弧を描き再び接近するマジシャンの姿しか映し出されない。
そしてマジシャンは残像を残しながら右手に煉獄の炎を纏わせ殴りこむ姿勢でアレンめがけて再び突っ込んでくる。
「うおおおぉぉぉりゃぁああああ!!」
アレンは体の奥底から震え上がる咆哮のような雄叫びを上げ、般若のごとき修羅をさらけ出しマジシャンに突っ込んでいく。それは今までとは違い凌駕させる気迫に満ちていた。
二つの対になる炎は交わりやがて大きな嵐を生む。周囲が突風でなぎ倒されたかのような衝撃が走り、木々を燃やし続ける煉獄の炎はかき消され生い茂る草木は嵐に飲み込まれ次第に見えなくなる。
マジシャンはアレンの気迫に凌駕され攻撃の手がつい緩む、それが仇となりアレンの重い一撃を無機物の装甲は弾き返せず体全体に力が流れ込む。それが欠如された装甲の部分に行き渡り煙を上げながら呻き声を上げる。
「グゥ…ワ…」
マジシャンはそこから逃げるように残像を残し天へと移動する。生まれて初めてマジシャンは恐れと驚愕の感情を孕み表面に滲ませる。感情らしい感情は造られることは無かったのにもかかわらず…。
「……ウゥ」
マジシャンは最後の手段を講じる。
マジシャンは天に祈る様に手を大きく仰ぐ。そこから吸い寄せられるように力が集められ全身を奮い立たせる。やがて巨大な炎を纏う球を造り上げそれを天空の彼方に放り投げる。
すると青一つない曇天の空から光が差し込むように雲を切り、アレンに向かい隕石のような無数の火の玉の流星群を浴びせられる。目にも止まらぬ速さで。
「コレデオワリダ、シネ」
マジシャンの勝ち誇ったような余裕を含ませた抑揚のない声が響く。
(……)
アレンは無言のまま手に青白い炎を宿し隕石の流星群を難なく撃ち落とす。隕石は炎の前にいとも簡単に打ち砕かれあるいは軌道を変え墜落していく。ほんの数秒の間に起きたこととは信じられない光景が広がっていく。
「バ…カナ…」
マジシャンは何時の間にかそう呟いていた。そして悟る。
勝てない…と。
「…終わりか?」
アレンはつまらなさそうに口元を歪ませてみる。それはつい先ほどまで瀕死の一撃を食らい悶え苦しんでいた者の表情とは思えなかった。自身の中に長い間封印され眠り続けていた真の力、眠りを覚まさせてはならなかった力。
それをマジシャンは呼び起こしてしまった。
笑っていた、目をギラギラと眩く輝かせ狂気の色を含ませながら。それは決して張り付いたものではない、心の底から。
冷笑を浮かべ大きな鎌を持つ死神のようだった。
「なら死ね…」
アレンは短く言葉を切ると死神が鎌を振り下ろした時の表情を浮かべ、マジシャンに最期の宣告を告げた。
青白い炎がマジシャンの装甲が欠如した右脛を的確に捉えていた。
「イツカ…カナラズ、フクシュウヲ…オオオオオァァァァ…」
マジシャンは最期の力を振り絞り小さく捨て台詞を吐いた…。


「ん…どうしたのエレナ?」
エミリアは不意に何か胸騒ぎがした。それは悪いことではなく空が青く澄むように晴れ晴れとした心地の良い胸騒ぎ。
でも少し寂しくなる。何故なのだろうか?
エレナとエミリアは驚き戸惑いを隠しきれずにいた、自身の体がいきなり白くキラキラと輝き始め何か満たされた気分になる。
エレナは虚空を静かにゆっくりと見上げる。そこには溢れるばかりの目を覆いたくなるほどの眩しい光が垣間見える。そこから、聞き覚えのある優しい声が聞こえる。
「あぁ…みんなぁ!!」
それはエレナとエミリアがずっと探し続けていた幻影。ずっと苦楽を共にしてきた同業者の使用人達、そして仕える主人たち。
今まで秘めていたものが口から沸き上がるように溢れていく。
みんな微笑んでいた。
もう独りぼっちではない、みんなが首を長くして待っていてくれた。
「お父さん…お母さん」
「ご主人様、奥様…みんなぁ…」
目から涙を溢れさせながら愛しい人の名を呼ぶ。涙で視界がぼやけることはない、こちらに手を差し伸べ行こうと言っている。
「あぁ…待ってよぉ、今行くからね…」
エレナとエミリアはその手に誘われ手を伸ばす、いつの間にか体が浄化されたように消えている腕から下が綺麗に消えていく、透き通った雫の様に溶けていく。
「みんな…いっしょ…」
10/12/30 22:11更新 / 墓守の末裔
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■作者メッセージ
マジシャンあっさりとした死亡。
アレン謎の覚醒…あぁ分けがわからなくなりました。が、実は結構重要なこの後に続く伏線です。(多分)
エミリアとエレナのゴースト組は天に召されました。もう自身を縛る心残りは消えてなくなりましたから。

絶対アルラウネとハニービーのレズはいらなかったような気がします。多分行為がマジシャン逆鱗に触れたのだと思います。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33