連載小説
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TAKE5 無反応の真相……
「ねぇ、マッキー? 私思うんだけど……」
 あくまでも冷静に、諭すような口調で克己は言う。
「確かに貴女の気持ちはわかるわ。確かな手応えがないって辛いわよね。自分の行動が目に見えて結果に繋がってない、その不安は凄くわかる。報われない努力ほど虚しいものってそうないもの」
「……報われない、っていうか……そもそも無意味、ぐらいでしたよあれ……」
(……うっわぁ、想像以上に深刻だわこれ……)
 絶望に染まりきった真希奈の表情は、宛ら生前俗世の地獄を見た蘇生間もないアンデッド系魔物の如く。対応を誤ればどうなるかわかったものではないが、克己は尚も意を決して真希奈に語りかける。
「無意味だって、本当にそう思ったの?」
 死んだように俯いた真希奈は、一言も発せずただ頷く。
「だから諦めるの?」
 頷く真希奈。
「本当に無意味だと確信した?」
 再び頷く真希奈。
「無反応だったから?」
 三度頷く……かと思いきや、そこで真希奈は自らのスマートフォンを操作し始める。
(ああ、なるほど……)
 程なくして克己のスマートフォンにメールが届く。差出人は言うまでもなく真希奈。
(筆談というわけね)
 文面は以下の通り。

『本当の本当に無反応で、息遣いや心拍に変化もありませんでした。そもそも性欲がないという感じの態度でした。ならもう無駄だと。何をしても無駄。そういうものと納得するしかないでしょう』

 文面からも伝わる絶望感。然し尚も克己は食い下がる。何故なら彼女には、ここで退くわけにはいかない確かな理由があるから。
「無駄だから諦めるの?
 そういうものと納得するって?
 ただそんな気がするから諦めるわけ?
 何の確証もないのに?
 まだ始まったばかりでしょ?
 限界まで行動してみたの?」

 腹をくくった克己は真希奈を問い詰めていく。
 真希奈からの反応は何も無かったが、今の克己には関係ない。

「得刃くん本人からそう言われたわけでもないのに?
 彼本人の気持ちも知らずに、ただ自分の感覚だけで勝手に脈なしって諦めるの?
 それで貴女は満足なの? 納得でき――「煩いっ!」

 控室に響く、真希奈の怒声。
 普段の克己ならここで不安に縮み上がっただろう。然し今の彼女に不安などなかった。

「さっきから黙ってればああだこうだとウダウダウダウダ……そんなの言われるまでもないでしょうが!
 そりゃ私だってこんなの序の口だと思ってましたよ! フラれたって確証もないし、彼の気持ちだって当然知らない!
 けどそれでも、あんなことになったら諦めるしかないじゃないですかっ! 空手始めたばっかの素人がいきなり黒帯に腕折られたら、その時点でやる気失くして道場から逃げ出したくなるじゃないですか!
 それに、それにっ……っぅ、ひぐっ……っぁぅぇぇぇ……」
 泣き出す真希奈を、克己は優しく抱き締める。妹を慰める姉か、娘を宥める母親のように。



「そもそも、ですよ」
 克己の胸でひたすら泣きじゃくり気持ちを落ち着かせた真希奈は、あくまで冷静に言う。
「この流れでこんな言い方するのもどうかと思うんですけど、今回の件ってあくまで私個人の問題じゃないですか。極論、仮に私が得刃さんにフラれてもスーさんにはそこまで影響ないですよね? 精々仕事のモチベーションに幾らか響くぐらいで。どころか、別に私が得刃さん諦めてもスーさんは特に損失なくないですか?」
「……それがねマッキー、そうでもないのよ」
「え?」
「確かに、一見すると本件はあなた個人の問題であって、私は殆ど無関係なように見えるかもしれない」
「いや、かもしれないじゃなくて――「けどねぇ!」
 遮った克己の台詞は、たった一言ながらどこか芝居臭かった。
「けどねマッキー……それはあくまでも物事の表面的な部分しか読み取ろうとしない愚かで浅はかな奴らの抱く感想に過ぎないのよ!」
 しかも芝居が妙に上手い。マネージャーなのに。
「じゃあ私は愚かで浅はかな魔物ですか。そりゃホルスタウロスは思考力低くて思慮もない、寝てばっかりの種族って言われがちですけど」
「そういうこと言ってんじゃないのよ私は。物事の表面的な部分しか読み取ろうとしないって言ったでしょ?
 例えるならPixivに投稿されたイラストのタイトルもキャプションもロクに読まず、深く考えてコメントするのもめんどくさがって無難な絵柄のスタンプとか頭悪そうな定型文のコピペ貼り付けていくヤツっているでしょ?
 特に、同じ作者の違う作品に毎回同じような絵柄や文面のを連続で貼り付けてく荒らし紛いのクッソ迷惑なヤツ。ああいうのを物事の本質を理解する努力もしない頭ヴィーガンのバカっていうのよ」
「例えが若干よくわからないですし定型文にせよスタンプにせよ結局その人なりの愛情表現だと思うので一概に迷惑行為だって決めつけるのはどうかと思いますよ。
 あとサソリなりにヴィーガン大嫌いなのはわかりますし私も乳牛乍ら正直ヴィーガン嫌いですけどだからって安易にそういう差別的な発言をするのも問題あるんじゃないですか?」
「……そう、それよ」
「へ?」
「それだってのよ。そういう返答を自分自身の意思ではっきりと口に出せる。その時点であなたは、私が言うバカの何倍も賢い魔物じゃないの。もっと言うならどんなろくでなしにも寛容になれるあなたは思慮がないんじゃなくて温厚で心優しいのよ」
「そこまで言います……?」
「そもそも種族の気質傾向なんてのはあくまで傾向であって気質性質を決定する絶対的な基準にはなり得ないのよ。マゾのダークエルフもいれば民間人監禁して逮捕されたパピヨンだっているじゃない」
「マゾのダークエルフはともかく監禁で逮捕されたパピヨン!? そんなのいるんですか!?」
「いるのよ。救済の摂理辺りが流したデマじゃないかって言われもしたけど紛れもない事実だったわ。
 ともかく、種族傾向がどうだろうとマッキーはマッキーなんだから胸張りなさいよ。張ったら足元見えなくなりそうだけど」
「一言多いなあ……」
「それで本題に戻るけど」
「早っ。切り替え早っ。っていうか本題って何でしたっけ?」
「マッキーの恋路が私にとっても決して他人事じゃないって話」
「あー、それでしたか。それで、どういう理由なんです? それだけ私のことが心配、とか?」
「まあそれもあるんだけど、それだけだったらまだ他人事のレベルじゃない。
 私が言いたいのはもっと個人的かつ利己的な理由よ……」
「個人的かつ利己的って、まさか……」
「そう、そのまさか――実は私も彼を狙ってるのよっ!」



「――――」
「あっ、得刃さん! お疲れ様です!」
 時は遡って撮影直後。いつも通り着ぐるみのまま控室へ入ったリンを、マネージャーの日野原が出迎える。
「いよいよ撮影が終わりましたね呪卍のスピンオフ! 僕はもう完成が楽しみで仕方なく――
「日野原さん」
「はひっ!?」
「……すみません、仕事についての話はまた後にして頂けませんかね。今は少々……いえかなり、切羽詰まった状況なもので……」
「ま、まさかボスから頂いた例のものの副作用がっ!? こりゃあ大変だっ、どうしましょう!?」
「チーフの……ガイドラインを……」
「ああっ、そうでした! ええと、じゃあ得刃さんは早くそこの個室へ! あとは僕がやっておきます!」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ! 幾ら新人とは言え僕だってマネージャーですよ!?
 っていうかそんな状態で他人の心配してる場合ですかほら早く入って!」
「はい……」
 リンが個室へ駆け込んだのを確認するや否や、日野原は大慌てで準備を進めていく。
 ドアの四辺に何やらスプレー缶の中身を吹き付け、その上から鈍色をしたシートを何枚も隙間なく重ねて貼り付ける。
 更に壁のあちこちには三角形の凹凸だらけのシートを貼っていく。特に角へ重点的に。
「よし、こんなもので……っと! 次は〜」
 続いて日野原は塞いだドアの周辺を中心に大量のボトルや箱を並べていく。それらは何れも置型消臭剤であった。
「室内はこんな感じかな……よし!」
 続いて日野原は外に出る。控室のドアにもスプレーと鈍色のシートを貼り付け、仕上げに周囲の壁へ何やらステッカーを貼り付けていく。
 そのステッカーは、三角帽子を被ったヤギが両前足を交差させ罰点の仕草をするイラストが描かれ、下側には刺々しいフォントで『NO ENTRY』と書かれていた。
「これでよし、と……」
 あとはコトが終わるのを待つばかり。日野原は念のためドアの前に張り付き、何事もないことを祈りつつもその時を待つ。
 そして……

――……オォォォォオオオァァアアアア……――

 幽か乍ら猛獣の咆哮のような音がドア越しに響く。不気味さに思わず逃げたくなりそうだが、日野原はあくまでも待ち続ける。
 暫くして音が完全に止んだのを確認した日野原は、薬品のようなもので鈍色のシートを剥がして控室のドアを開け……
「うっっ!?」
 異臭に思わず顔を顰めた。
 それは例えるなら魚介の、取り分け軟体動物の内臓が如き生臭さ。
 充満というほどではなかったが、ドア越しかつ、部屋内に置かれた大量の消臭剤で抑制されて尚嗅げばわかる程には濃いという事実に、日野原は戦慄する。
(これだけの消臭剤があってもまだ臭うのかよ……)
 本音を言えば外に出るか、戸や窓を開け放って換気でもしたかった。だがタレントの為に尽くさねばという日野原の責任感がそれを良しとせず、彼は戸を閉めリンの入った個室へ近寄っていく。
(そりゃ無理矢理押さえ込む分普段より濃くなるって言ってたけどさ……得刃さん大丈夫かな?)
 個室のドアをノックしようと近付いた瞬間、日野原のスマートフォンにメールが届く。見れば差出人は個室の中のリンであった。
 文面には『こちらは僕一人で何とかします。日野原さんは先に事務所へ戻っていて下さい』とあった。
 これに対し日野原は『わかりました。お気をつけて』とだけ返し、控室を後にした。当然、消臭剤やステッカーはそのままである。



『――というわけで報告は以上になります』
「ありがとう、助かるよ。日野原君も気を付けてな」
 オーマガトキプロダクション代表取締役"チーフ"こと柳沼彗星は、マネージャー日野原と言葉を交わし通話を切る。どうあれ撮影が終わったのなら一先ずは御の字だろう。
「兄上よ、日野原は何と?」
「ああ、撮影は無事終わったってさ。ただ……」
 妻の朱角から手渡された茶を口に含みつつ、彗星は不安げに語る。
「リン君がね、例のあれの反動で色々大変らしいよ?」
「うぬぅ、やはりそうなってしもうたか……然しあの脚本となると、かの薬に頼らねばならんかったのも事実じゃからのぅ……」

 二人の言う『例のあれ』『かの薬』とは『メオトなケモノ』の脚本を確認した柳沼夫婦が同作に出演するリンに与えた向精神薬であり、正式名称を『レスカティエ・ドラッグ』という。
 さるサバトが開発したこの薬物は、一時的にだが投与した男の性欲を完封する効果を持つ……と言うと、何故サバトがそんなものを作るのかと思われよう。
 然しこの『レスカティエ・ドラッグ』にはある副作用があり、開発者側にしてみればその副作用こそ同薬物の真髄ですらあった。
 と言うのも……

「まあ、そもそも僕らの運用方法がわりと間違いではあるけども」
「それを言うでない……レスカティエ・ドラッグは雄の性欲を封じる薬。なれど効果が切れれば投与者の性欲は限界を超えて高まり、精や精液もその量と濃度を増すという……一種の超強力な精力剤でもあることは儂とて知っておる」

 そう、それこそ『レスカティエ・ドラッグ』の真髄にして、同薬物が『レスカティエ』の名を冠する唯一無二の理由でもあった。
 かの異界に於いて、宗教国家から暗黒魔界へと変貌を遂げた同国の如く、禁欲者を果てしなく淫らに変える薬物。それこそが『レスカティエ・ドラッグ』なのである。

「なんだっけ、元々は夫に自慰や夢精をさせずその分の性欲を妻にぶつけさせよう、みたいな目的で開発されたんだっけ?」
「うむ。あとは大人しい性格の、所謂男に犯されたがるような魔物にも需要があるらしいわい。『少しの間待つだけでカピバラがラーテルに』と」
「なんなんだその分かりづらい喩えは……然しそうなると、益々リン君が心配なんだが」
「言うでないぞ兄上。想像しただけで頭痛がするわい」

 短編『メオトなケモノ』が所謂"エロい"作品と知った柳沼夫婦は、仕事中にリンが性的興奮から予期せぬトラブルを招くと考え、性欲封じのため彼に『レスカティエ・ドラッグ』を与えた。
 結果、リンはどのような場面でも落ち着いて仕事をこなすことができ、撮影は無事に終了した。
 然しその代償は決して軽微なものではなく、撮影終了直後から激烈な性衝動に苛まれることとなり、控室にある個室で長時間の自慰行為をせざるを得なくなってしまったのだった。

「して、日野原は何と?」
「ああ、リン君は急ぎ足で控室に駆け込んできて即座に個室へ籠ったそうだよ。それを見た日野原君は僕の用意したガイドラインに従って防音と消臭と人払いを済ませ外で待機していたらしい」
「この日のために買うておいた鉛シートに収音材、消臭剤やサバト製の人払いステッカーが役に立ったか。それは何よりじゃ」
「ああ。まあリン君の声が予想外に大きくて外まで響いたらしいけどねぇ」
「……あやつ声でかいからのぅ。他にも色々とデカいが」
「人払いまでしておいて正解だったね……ああ、そう言えば消臭剤をより強いものに変えるか数を増やした方がいいとも提案されたっけ」
「まぁ〜臭いも倍増しとって相当キツいじゃろうからなぁ。何せあやつは――んんっ?」
「どうした、朱角」
「……兄上よ、日野原が消臭剤云々言うたんは確かか?」
「ああ、確かだよ。録音も残してある」
「そうか……ならばよ兄上、日野原は『精液の臭いが控室の外まで漂っていた』と言うとったか?」
「……いや、確か『控室の中に臭いが漂っていた』と言っていたが――あっ」
 彗星は何かを察したようだった。
「まさか日野原め……入ったんか、部屋にっ!」
 朱角は思った。
 仮に日野原が精液臭の漂う控室に入っていたとすればとんでもないことだ。
 つまりは彼の衣類に精液臭が付着している可能性があり、街中とは言え雄に飢えた魔物の餌食になりかねない。
「日野原は得刃共々未だ人間であり童貞……早く手を打たねばっ!
 不思議の国へ連れ去られたじゃのFFC団に捕まったじゃのということになっては面倒なことに!」
「お、落ち着けよ朱角っ。まだ日野原君が魔物に捕まったと決まったわけじゃないだろ。
 ほら、日野原君からメールが届いたぞ。きっと無事ってことさ――……」
 彗星は笑顔を引き攣らせながらメールを開き――硬直する。
「あ、兄上っ? 一体何があったんじゃ?
 日野原からのメールに何が――
「朱角」
「な、なんじゃ兄上?」
「いいニュースと悪いニュースがある。どっちから話そうか?」
「……よいニュースから頼む」
「僕らの頑張り次第だが、優秀で個性的な社員が増えるかもしれない。それも五人」
「ほう、それはよいことじゃのう。……して、悪いニュースとは?」
 凡その予想はついていた。
 朱角は自分の予想が外れてくれることを、魔物らしく魔王やリリス姉妹、エロス神辺りに祈ったが……

「日野原君が魔物に捕まった」
「おっふ……」

 祈る相手を力一杯間違えたと、内心凄まじく後悔していた。

「いや、捕まったというのは語弊があるかな」
「……と言うと」
「FFC団に襲われていた所を別の魔物たちに助けられるも、そまま拘束され『自由になりたければ精を寄越せ夫になれ』と……」
「……面子は?」
「ワイトをリーダーに、ウシオニ、デュラハン、ドラゴン、クノイチ……全員君とは対称的な体型ときた。つまり……」
「GBB団か……」

 GBB団――別名、グロリアス・ビッグ・バスト団――は、幼児体型を推進し巨乳排斥を掲げるFFC団のライバルを勝手に自称する巨乳魔物五人からなるネット芸人の集団である。

「単なる不良ニート集団のFFC団とは真逆のまともな連中と思うとったんじゃがのう」
「近頃はみんな彼氏いないネタばっかりやってたからね。相当飢えてたんだろうね」
「……まあ、日野原が無事ならよいわ。それより問題は得刃じゃ。あやつこそその辺で適当なヴァンパイアやダークメイジの行き遅れに襲われたりしとらんじゃろうな」
「彼なら大丈夫だと思うけどね……万全のコンディションなら」
「そうじゃな。万全のコンディションなら大丈夫じゃろうよ」
 果たして万全のコンディションで事務所まで戻って来られるのかという疑問については、敢えて口にしない二人であった。

 その後程なくして長時間の自慰行為に身も心も疲弊しきったリンが事務所の駐車場で倒れているのが発見され軽く騒ぎになったりするのであるが、それはまた別の話。
21/07/29 22:06更新 / 蠱毒成長中
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