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第九十八話・帝都へ
城攻めは難しいものだ。
攻める側は、城を守らんとする軍勢を蹴散らし、騎馬隊の進路を塞ぐ防御柵や兵を伏せ、真下から敵兵目掛けて槍を繰り出すための塹壕などの様々な障害を越えなければならない。
命懸けでその障害を越えると、今度は城壁を守る広く大きな堀が待っている。
城壁を囲む水の防御は広く、人は如何にそれらを避けて城壁を破るのかを模索しなければならない上、城塞に立て籠もる兵たちの放つ矢や投石を、攻める側は何度も潜り抜けなければならないのである。
さらに城門は固く閉ざされ、丸太などの攻城兵器などがなければ開けることは出来ない。
神聖ルオゥム帝国皇帝・ノエル=ルオゥムは謀反を起こされたとは言え自分の居城、ましてや帝国中から避難してきた臣民の立て籠もる帝都を攻めなければならないという複雑な思いで、帝都到着までの軍議の席にいた。
軍議、とはいうものの、出席者は学園都市セラエノ軍からは同盟軍総司令官・紅龍雅と彼の恋人である褐色のリザードマン、アルフォンス。
帝国軍からはノエル帝と彼女の大伯父であるリヒャルトの4名だけの馬車の中で行われた軍議であった。
彼らに留まって腰を据えて意見を交わす時間はない。
セラエノ軍軍師、バフォメットのイチゴがヴァルハリア・旧フウム王国連合軍を足止めしているうちに方向性を決めなければならないのだが、思いの外軍議に張り詰めた空気は流れていなかった。
それは、ノエル帝が帝都コクトゥの詳細を語ったことに起因する。


「ない。」
「はぁ!?」
ノエル帝の返答に龍雅は素っ頓狂な声を上げた。
「だから帝都コクトゥには堀もなければ、そのような防御装置的な塹壕なども存在しない、と余は言ったのだ。帝国がコクトゥを帝都と定めてから300年、帝国は一度も外敵に足を踏み入れさせたことはなく、当然帝都も外敵に晒されたことはない。余の代になってから文化の発展を妨げる教会との関係を徐々に断つべく帝都の大改革に着手をしてきたが、帝国もこれで財政は厳しくてな。城壁や防御機能の改築、増築まで手が回らなかった。」
皇帝の乗る馬車に相応しい上質な椅子の上でノエル帝は足を組む。
ノエル帝の言葉に呆気に取られたのは龍雅とアルフォンスだった。
龍雅はともかく、セラエノに来るまでは戦場とは無縁の暮らしをしていたアルフォンスでさえ、堀などの役割が如何に重要であるかを知っている。
それがないということは、その城は裸同然で、外敵に攻めてくれと言わんばかりに広がる美味しい餌でしかないのだ。
「うむ…、ワシも先々帝…、いや我が兄上から常々聞いておった。老朽化した城壁の改築、何よりこれまでは我が帝国の騎士たちの奮戦により、外敵はとても帝都までは辿り着けなんだが、いつクスコ川を越える勢力が現れるかわからぬと…。だが、先帝であるノエルの父がな、あの古びた城壁の景観をなくしてしまうのは惜しい、まして帝都は帝国文化の中心地故に堀を張り巡らし外敵に供えるが如き荒々しい装いは似合わぬ。と仰られてのぉ…。まぁ、ワシら先々帝の代より使える者は先帝の言葉に思わず納得してしまって今のような状況に……。」
「黙れジジイ。」
ノエル帝の伯父、リヒャルト老人の言葉が終わらぬ内に龍雅は彼に向かって暴言を吐く。
顔は笑顔だが、声は低く、身体中から静かな怒りが溢れている。
「若いの、いくら何でも無礼であろ…。」
「五月蝿え!!黙っていろ、その偉そうな髭毟るぞ!!!」
龍雅は頭を抱えて押し黙った。
いくらこれまで外敵を排除出来ていたからと言って、帝都の防御を疎かにしていたと思っていなかった龍雅は、これまで考えていた作戦のすべてを白紙に戻さねばならないことに頭を悩ませていた。
いや、むしろこの場合何も考えなくても良い。
何しろ、運が悪ければ本当に何もしなくても良いのだから。
「あー…、紅将軍。大叔父様のことは勘弁してもらえぬだろうか。こうなることを読めずに帝都防衛設備の修築を怠ったのは余の不明。すべての責務は余に…。」
「当たり前だ、この洗濯板女!!」
「せ、洗濯…!?」
龍雅の怒号にノエル帝は思わず自分の胸を腕で隠した。
「べ、紅将軍!!て、訂正してもらうぞ!!!わ、わ、私は確かにアルフォンスの胸に比べれば小振りだが、これでも形とそれなりの大きさを自慢にしているというのに……!!!」
「ちょっ、陛下!!何を仰るのですか!!!」
真っ赤になって、自分の胸が洗濯板でないことを主張するノエル帝。
そして突然、引き合いに出されたアルフォンスもまた真っ赤になって自分の胸を隠す。
龍雅は二人の女性陣と無礼者と罵る老人を無視して考え込んでいた。
だが、考えるだけ無駄なのだ。
最早策とは言えない策で簡単に城が落ちるかもしれないのだから。
「おい、洗濯皇帝。」
「だから私は…!!!」
「素に戻っているぜ。お前さんの話は本当だろうな?お前は皇帝として民の上に君臨し続けたのは、民がお前さんを求める声に応えるように君臨し続けたというのは。」
真剣な眼差しで問う龍雅に、ノエル帝は咳払いをすると僅かに動揺したまま答えた。
「……わた、いや余の己惚れでなければ、余は民の声に君臨し、民のために、国家の下僕となって、この命を国家のために使ってきたつもりだ。決して私利私欲で政を行った覚えはなく、一部の貴族を優遇するようなこともしたことはない。」
「………なるほどな。」
事実なのだろう、と龍雅は思っていた。
戦場で見せる彼女の姿は、そのまま国内の政治に向けられていただろうと彼は推測した。
リヒャルト老人も、家臣としてではなく彼女の大叔父という立場から答えた。
ノエル帝は近年稀に見る名君であると。
龍雅は考えていた。
如何に名君、それも聖人君子に近い人格を持った君主であっても時代の風に煽られれば、悲しい程苦境と混乱に巻き込まれていく。
そして自身が正しければ正しい程、理想と現実の差に打ちのめされることを。
「哀れだな…。」
「え……?」
龍雅が思わず漏らした一言にノエル帝は驚きの表情を浮かべた。
哀れという言葉の中に、まるで紅龍雅という人格すべてが集約されていたかのような錯覚。
ノエル帝は自分より若い、この将軍の深く刻まれた人生を覗いた気がした。
「………………。」
無言でアルフォンスは龍雅の手を握る。
彼女もまたノエル帝と同じ思いだった。
紅龍雅という恋人は、見た目以上に辛く、悲しい時間を過ごしてきたのだと、彼女の種の本能と、蔑まれ続けたオアシス都市での経験から、彼女は感じ取ったのである。
悲しいのは誰よりもあなたなのでは、という言葉を飲み込んだアルフォンスは、ただ手を握るという行為でしか温もりを伝えられないことを苦々しく思っていた。
それに気が付いた龍雅は、難しい顔から一転して微笑んで彼女たちに向き合った。
余計な気遣いをさせたくない、という学園都市セラエノの主、ロウガと同じ行動。
やはり付き合いが長い分、行動まで似てくるらしい。
「………ならば、話は早い。」
そう言って龍雅は、策とも言えぬ策をノエル帝、アルフォンス、リヒャルトに語る。
龍雅の言葉を借りれば古事に倣った策なのだが、この世界に存在しない歴史であったため、如何に辺境とは言えそれなりに長い人生を歩んだリヒャルト老人は信じられぬ、という表情を浮かべたのであったが、ノエル帝の口からクスコ川攻防戦での見事な武勇と智略を語られれば黙るより他なかった。

この後、軍勢が帝都に辿り着くまでのおよそ2時間。
馬車の中で交わされた言葉は、帝都に残る守備兵力、そしてどの程度の非戦闘員である民間人が残っているのか、という最終確認だけであったという。


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帝都コクトゥの城門は固く閉ざされていた。
教会と縁を切り、伝統的な秩序を乱したノエル帝を討ち死にしたという流言を以って宮廷と守備兵たちを掌握した教会派重臣たちにより、帝都は仮初めながら沈黙と静寂の安定を見せ始めていた。
この謀叛は、私利私欲によって起きたものではない。
ある程度の打算と保身はあったのかもしれないが、彼らは懐疑的ではあったものの、教会との関係を断てば神聖ルオゥム帝国はその国権を失い、他国の侵略などの帝国に不利益が起こるのは目に見えていたからであった。
もちろん、ノエル帝自身はそう言ったことも戦略の一つに見据えていたのだが、彼らは悲しいことにその重圧に耐え切れなかったのである。
教会との関係を断つということは、彼らのこれまでの人生を否定するに等しい。
彼らはあくまで自衛手段に出たのだ。
だが、兵士たちは違った。
皇帝討ち死の報は、彼らから謀反人たちへの戦意を喪失させた。
純粋な忠義者もいたであろう。
中には彼女への淫らな羨望もあったであろう。
名君として、理想の女性像として、心の恋人として、性的象徴として。
様々な言葉で表される偶像は、彼らの手の届かない場所へと逝ってしまった。
そう信じた彼らは、無気力に、惰性的に兵役に就いている。
兵士たちだけではない。
民衆にしてもそうであった。
民衆のために国家の発展に尽力してきた皇帝死去の報は、民衆にも埋めることの出来ない大きな喪失感を与え、帝都は賑わいを失い、人々は喪に伏して、真の名君の死を悼んで涙に暮れた。
帝都の城門が閉ざされている理由もそれである。
当初は背後より帝国軍を急襲し、ノエル帝の首級を挙げることをヴァルハリア・旧フウム王国連合軍に約束していたのだが、兵士たちの士気は想像以上に上がらず、軍はほとんど機能していないと言え、例え帝国軍が引き返して来ても戦えるだけの力などない。
ならば城門を固く閉ざして守りを固めれば、背後より教会派にとって最大無二の錦の旗であるヴァルハリア・旧フウム王国連合軍が帝都を包囲する帝国軍を完膚なきまでに討ち取ってくれるはず。
そして一部には、女である皇帝が最前列に出るはずがないと考えていたため、兵士たちにノエル帝の姿を見せる前に、偽りの討ち死は真実に変わるだろうと考えていた家臣もいなかった訳ではない。


帝国国務大臣グルジア=クラミスは、不忠者ではない。
彼は彼なりに帝国を守ろうと模索していたのである。
だが教会派重臣の筆頭として、彼はノエル帝の教会との絶縁宣言を見過ごすことが出来ず、また一進一退の戦況の報告が入る度に、いつ他の教会を主とする反魔物派国家が混乱に乗じて攻め入って来るかと頭を悩ませていた。
グルジアは不忠者ではない。
むしろ彼は忠臣の一人であったと言える。
ノエル帝とは主義主張こそ違えているものの、彼は平民出身の出自であり、下級官吏として細々と先帝の時代に埋もれるような人生を歩んでいたのだが、その能力をノエル帝に認められ、とんとん拍子に出世した人物なのである。
彼は如何なる汚名を被ろうと、帝国を守ることを選んだのである。
それがもっとも敬愛する若き女帝を裏切ることになろうとも、後世にもっとも唾棄され忌み嫌われようとも、彼は神聖ルオゥム帝国という母体を守ることに必死だったのである。
それ故に教会派中心人物として、家臣たちを纏め上げて謀叛を起こしたのであったが、悲しいことに彼の思いはそのすべてに浸透した訳でなく、すでに主だった盲目的な伝統主義者によって、この謀叛の本質を歪められた状況にあった。
だが、彼にそれを嘆いている暇はなかった。
リヒャルト老人を秘密裏に逃がし、教会派に叛意ありという皇族を粛清する大義名分を得た以上、早い段階で皇族を一掃し、その首を以って再び教会への忠誠の証としなければならない。
クスコ川で陣を構える帝国軍はまだ自分たちの謀叛を知らないだろう。
例え知っていても、追撃してくる連合軍を相手に無事では済まないはずだ。
何とも嫌なざらつきを心の中で感じつつ、グルジアは日が沈む地平を苦々しく窓から眺めた。
出来ることなら、ノエル帝には降伏をしてほしいと願いながら。
だが、降伏したとして待っているのは悲惨な私刑と凌辱だろう。
果たして討ち死と私刑、どちらが彼女にとって幸福なのだろうか、とグルジアは諦めと虚無感の中で自分に問うが答えは出ず、ただぼんやりと赤い地平線を見詰めていた。
「グルジア公、グルジア公…!!」
グルジアの執務室の扉を腰を抜かさんばかりの勢いで雪崩れ込んで来たのは、帝国大貴族の一人で、かつてノエル帝に求婚したものの、あまりの退廃的な暮らしと、能力はなくとも身分を鼻にかける性格から袖にされただけではなく、その無能ぶりから公職という公職から追放されたために個人的にノエル帝を怨んでいるテベリス伯爵。
今回の謀叛に参加したものの、やはり自分では動かず、部下の手柄を横取りして、ノエル帝への復讐を遂げたと信じる卑屈で屈折した小物の人物である。
「何か、御用でしょうか?」
グルジア自身、あまり彼には関り合いたくなかったが、協力者の一人である以上は邪険に出来ないので、あくまで他人行儀に余所余所しく対応した。
「そ、そ、そ、外に……!!」
「………!?」
テベリスの慌てぶりからグルジアはすべてを悟って、慌てて執務室を飛び出した。
まさか。
早すぎる。
様々な自問する言葉を吐きながら彼は城壁の上に辿り着いた。


そこで彼は、同じように城壁の上に群れを成す守備兵たちと共に見たのだった。
帝都を包囲しつつある、紅蓮の鎧に身を包む異形の群れ。
様々な魔物が混成し、規則正しく機能する軍。
そこに混ざる帝国軍の旗印。
人間と魔物が共に帝都を包囲する姿にグルジアの思考は凍り付いた。

後に人々は語る。
あの時、歴史が変わったのだと。
そしてノエル帝を助け、その仕掛け人である紅龍雅を人々はこう呼ぶのだった。

『紅蓮の救世主(メシア)』と。



11/06/09 23:46更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんわ、お久し振りです。
ゴタゴタがあって、なかなか更新が出来ずにごめんなさい。
さて、今回は帝都への道中、そしてグルジア公の心境をお送りしました。
え…?
また魔物娘が少ないぞ…?
…………あ、かたつむりだ。

次回、帝都奪還+α!
何が起こるかはお楽しみに!!
べ、別に誤魔化してなんか…、ないんだからね!

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回『第九十九話・紅蓮の救世主』にてお会いしましょう^^。
100話まで後2つ!!
もう開き直りましたw

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