連載小説
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第九十七話・明日を掴め
熱い……。

熱い……。

ああ……、またあの夢か…。

沢木を裏切って……、綾乃の時間を奪ってしまった……、あの頃の…。

死んでいる…。

誰もが……、赤い炎の中で焼かれている…。

籠城なんて無意味だった…。

こんなことならあの時みたいに、さっさと降っていれば…。

誰も死なせなくて済んだのかもしれないのに……。

「ち………う……。」

若い男が俺に手を伸ばす。

その表情は悔しそうで、頭を割られて流れた血が涙のように流れている。

彼も瀕死だ…。

もう助からないだろう……。

男も女も、誰一人助からない。

みんな、あいつに殺されるんだ…。

ああ、痛いなぁ…。

こんなに痛い思いをするんだったら、俺も沢木に付いて行けば良かった…。

稲荷様も、これがわかっていたから出て行ったんだろうな…。

沢木……、お前は今どこで何をしている…。

俺は……、俺の時間はこんなところで終わりだ…。

因果応報、盛者必衰…。

色んな言葉で取り繕っても、俺はお前を裏切った報いを受けて死ぬ。

でも……、ああ、畜生。

このまま死んでもあの二人に顔向けできない。

あいつらを犠牲に生きた結果がこんな無様では……。

畜生、畜生……。


―――――――――さ。

――――――――まさ。

た――――さ……。

「龍雅!」
目を開くとアルフォンスが心配そうな声で俺に呼びかけていた。
ゴトゴトと響く床。
心地の良い振動。
ああ、そうか…。
仮眠を取ろうと荷馬車の中で横になって、そのまま本格的に寝てしまったか…。
「どうした、アルフォンス。何か変わったことがあったのか。」
のそりと起き上がると、俺はひどく汗を掻いているのに気が付いた。
服が汗を吸いすぎて重い。
「変わったことはありません。ただ、あなたがひどくうなされていて…。ただ事ではないと思い、勝手とは思ったのですけど、起こさせていただきました。その……、ひどく怯えていて…。」
「そうだったのか…。」
何も覚えていない。
そんなうなされる程の悪夢を見ていたのだろうか…。
「それよりアルフォンス、状況はどうだ?」
「ノエル陛下の情報通りでしたら、帝都まで後およそ6時間です。」
「……随分と寝ていたんだな。」
そう言うとアルフォンスはやわらかな笑みを浮かべてくれた。
「ええ、ここ数日……、あなたが総司令官になられてからは、ろくに寝ていませんでしたから…。せっかく眠気が来たのです。こういう時にまとめて眠っていただかないと、倒れられたら私たちが困りますから。」
「そうだな。こんな不利な状況で帝都奪還なんか考え付くのは俺くらいなものだしな。すでに策は考えてある。ノエル、リヒャルト爺さんの話がなかったら思い付かなかったが、うまく行けば俺たちは一切手を出さずに帝都を奪い返すことが出来るはずだ。もっともあの二人の話が正しかったら、という条件付だけどな。アルフォンス、アドライグなるリザードマンは無事沢木の下へ出立したか?」
アドライグと名乗ったリザードマンは、俺が寝ている間に沢木のいる陣へと向かった。
見送りは、俺の代理ということでアルフォンスがしてくれたらしい。
しかし、不思議なやつだった。
まるでこの先に何が起こるのか知っているような物言いだったな。
「龍雅、着替えも用意していますよ。」
「いや、必要ない。この程度の汗、6時間もあれば乾く。」
するとアルフォンスは俺の言葉を無視して、俺の服を脱がしにかかった。
「お、おい!?」
「いけません。風邪を引いたらどうするのです。何より、大軍の先頭を行く男がそんな不精をしてはいけません。先頭を行く男がみすぼらしい格好をしていれば、私たちまでみすぼらしく見られてしまうのですから。それとも、あなたは私たちがそう見られても良いのですか?」
「そ、それは……。」
言葉に詰まる。
こういう時、アルフォンスには逆らわない方が良い。
一度決めたら引き下がらないし、何よりそんな風に言われたら従うより他に道はなし。
アルフォンスも慣れたものでテキパキと俺の着替えを手伝う。
…やはり、汗で濡れた服よりは新しい服は気持ちが良い。
「すまんな。」
「ふふ……、さあ、これで男前が上がりましたよ。」
衣服を正し、脱いでいた鎧を身に付ける。
後6時間。
それが俺たちのすべてを決める。
その決意を新たに、太刀を握ると背筋が伸びる思いがした。
「やるぞ、アルフォンス。この負け戦、せめて俺たちの手で面白くするぞ。そうでなければノエルにも散々飯を食わせてもらったし、せめて帝都くらい奪い返してやらねばタダ飯食らいと罵られてしまう。」
「そうですね。ではお互いに笑ってセラエノに帰れるように、帰ってロウガ様に手柄の自慢話が出来るように、微力ながら私もお力になりますから。タダ飯食らいと言われては私としても種族の沽券に関わりますし。何より……。」
アルフォンスが背伸びをして、唇を重ねる。
ただ、お互いの体温だけを確かめ合う口付け。
やわらかな彼女の唇の感触、暖かな吐息をすぐ傍で感じる距離。
「私たちの未来のために……。」
「ああ…。」
二人きりの荷馬車の中。
まだ見ぬ二人の未来に思いを馳せながら、俺たちは戦場へ向かう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


追う者、追われる者。
最終防衛ラインを放棄し撤退する学園都市セラエノ・神聖ルオゥム帝国同盟軍を、これまでの敗戦の鬱憤を晴らさんと、鈍足ながら追撃にかかるヴァルハリア・旧フウム王国連合軍。
だが、連合軍は最終防衛ラインから僅かに進行した程度で、足止めを喰らっていた。
セラエノ軍軍師、バフォメットのイチゴの策である空城の計と伏兵の混合策によって、追撃しているはずの連合軍は一進一退になり、疑心暗鬼に陥って進軍速度を大きく落としていた。
「むぅ……、あの陣も一見してみれば無人のように見えるが…!」
フィリップ王はイチゴによって敷かれた簡素な陣に迷いを見せ、攻撃するべきかどうかを即決しなければならないというのに、長い思案の迷宮に囚われていた。
最初の陣を空の陣と見て、押し通ろうとしたのが彼の思考に傷を付けた。
伏せていた双子のエルフ、リンとレン姉妹率いるおよそ200名の弓兵部隊の側面からの襲撃により、痛手を負ったフィリップ王は次々と築かれた簡素な陣を前にすると、虚実入り混じるイチゴの策に翻弄されていた。
必要以上に警戒をし、無人の陣であってもなかなか進めず、僅か200名の前に、およそ5000の兵力を有する連合軍は足止めを喰らっていたのである。
「……イチゴさん、本当にこれで大丈夫ですか?」
双子将軍の姉、エルフのリンが声を潜めてイチゴに問う。
「…姉さん、そんなこと言ったら失礼じゃない。現に今まで成功してきたんだから。」
妹のレンも声を潜めて、姉のリンに注意を促す。
イチゴの謀った空城の計は、実に姑息で卑劣だった。
ある時は、無数に陣の中にセラエノと帝国の旗、そして丸太を兵士に見せかけて立たせて、粗末な陣の中に100名単位の兵を残しているように偽装した無人の陣を用意した。
たったこれだけのことではあったが、これまでの戦闘でセラエノ軍に痛い目を見ていたフィリップ王は、必要以上に慎重になり、無人の偽装であることが判明するまでおよそ1時間もの時間を割いてしまったのである。
これに激怒したフィリップ王は進撃を開始。
無人の陣を破壊し、通り抜けようとしたその時、イチゴの残した卑劣な罠が発動した。
「ぎゃあああああああああああああああああああ…。」
落とし穴。
それも膝くらいまでの落とし穴が一つや二つではなく、セラエノ軍200名の兵が一人一つずつ掘った落とし穴に、油断し切った連合軍の兵士たちは足を取られた。
穴の中には軍旗を折って作ったスパイクが埋められており、そのスパイクには毒の代わりに糞尿をこれでもかと塗り付けた、イチゴらしい非常にえげつない嗜好を凝らしていた。
そして、もう一つの弊害は突然落とし穴に落ちたことで、追随する者たちが急停止することが出来ず、落とし穴に落ちた者たちを踏み付けてはさらに転倒者を生み、将棋倒しの状況は意外な程犠牲者を出したのである。
多くの軍馬も足を取られて足を折り、その被害はこの無人の陣だけで、同盟軍軍殿(しんがり)の200名よりも多い300余名に上った。
その後もイチゴは無人に見せかけた陣で伏兵による襲撃、兵が立て篭もっているように見せかけた無人の陣、またはいないように見せてやはりいなかったり、いるように見せてやはりいるなど、まるで連合軍、ひいてはそれを率いるフィリップ王を馬鹿にするような罠と計略に、次第に連合軍の足取りは慎重になり、明らかに無人の陣であっても完全に危険性がないと判明するまでは進軍出来なくなっていたのである。
「敵さんも疑心暗鬼で距離を保っていますが…、そろそろ矢が尽きそうです。」
レンは不安げな声を出す。
ここまではうまく行っている。
しかし、肝心のイチゴたちの攻撃手段は徐々に少なくなっていた。
矢は尽きかけ、食料も水も少なくなり、このまま連合軍が蛮勇に任せた総攻撃に移れば、僅か200名しかいない彼女たちは、あっという間に全滅させられるだろう。
「……むぅ。のう、オヌシら。もうクソは出んのか?」
「で、出る訳がないじゃないですか!!!アレだって……、罠や矢に塗って放ったアレだって…、恥ずかしくて死ぬかと思ったんですよ!!!」
「私だってそうですよ!!ノエル陛下からお借りした方々も気を使ってくれたおかげで、私たちだけが恥ずかしい思いをしなくて済みましたが………、何でわざわざ自分たちで糞尿を用意しなければならないんですか!!!」
イチゴに食って掛かるリン・レン姉妹。
イチゴは平然と口笛を吹きながら悪びれることなく答えた。
「えー、だって毒は高価なのじゃ。それに糞尿なら自分たちでこさえることが出来るし、臭いさえ我慢すれば、これ程安価な毒はないと思ったんじゃもーん。ついでにオヌシら姉妹のウンコなら、金払ってでも欲しがるマニアはいるじゃろうし、女神級美人のエルフ姉妹のウンコを塗った矢に刺さったら、むしろそれは御褒美じゃとワシは思っておるのじゃ。」
「「じゃあ、ご自分もやってくださいよ!!」」
「え……、だってワシ…、最近便秘気味で…。」
「「野菜食え、野菜を!!!」」
「嫌なのじゃ!!ワシは生涯肉食系女子でいたいのじゃ!!!」
などという戦場らしくないやり取りをしていると、連合軍の慌しい声がイチゴたちの耳に入った。
先程までの静けさと打って変わり、徐々にその声は熱を帯びていく。
「……さて、進攻してくるようじゃな。」
イチゴの一言で、殿の兵たちの顔に余裕が消える。
息を殺し、弓を握る手に力が漲っている。
そこには脆弱だった帝国軍の姿はない。
セラエノ軍、そして彼らにとって生まれて初めての乱戦に揉まれて精鋭と化した兵士の顔は、自信と恐怖を乗り越えた力強さに満ち溢れていた。
そんな彼らの姿にイチゴは安堵し、落ち着いた声で命を下した。
「汝ら、敵兵が見えたら残りの矢をすべて放つのじゃ。何度も言うようじゃが、くれぐれも真正面に射るでないぞ。真上から雨のように降らせるのじゃ。そうすれば敵は勝手に、実数以上の矢が降ってきたように錯覚するのじゃからな。そして矢をすべて射ち尽くしたら抜刀、帯槍で速やかに後退。そのまま全速力で本隊に合流するのじゃ。」
「イ、イチゴ様が……、真面目に指揮している…!」
「当たり前じゃ!生きるか死ぬかの瀬戸際じゃからな。ただし、ワシの命令は一つだけじゃ。全員、生きて本隊に帰還せよ。なあに、連中はワシら200に対して全兵力で来るようなチキンの群れじゃ。これまでの撤退戦で生き残ったワシらが、こんなところで死ぬ道理はないのじゃ。まぁ、それでも危険なことには変わりないのう。その時は………。」
軍師らしく羽扇で口元を隠して、イチゴは気味の悪い笑い声を上げた。
「でゅふふふふ…………、その時はワシも趣旨変えするしかないのう♪」
「趣旨変え、と申しますと…?」
気色悪い笑い声を上げるイチゴに、顔を引き攣らせたリンが問う。
すると、気味の悪い笑い声だけでなく、ニヤニヤと悪い笑いを浮かべてイチゴは答えた。
「ワシの信条は無職至上主義、座右の銘は『働きたくないで御座る』じゃ。口だけ出して、寝たまま働けるとこがあったら良いなと常々思っておるのがこのワシじゃ。本来、こんな一番危険な仕事はアキのような単細胞にこそ任せるべきなのじゃが、それでは本隊まで全滅してしまうからのう。それではワシの愛弟子とも言えるノエルまで死んでしまうし、下手すりゃたっちゃんまでこの世をバイバイじゃ。そうすりゃ寂しくてたまらんから、ワシ直々に指揮を執らざるを得ん。まぁ、安心するのじゃ。オヌシらもワシが守っちゃるからのう。いざとなれば………、何十年振りか覚えておらんが、久々に働いてやるのじゃ!!」
愛用の大鎌を肩に担ぎ、イチゴはロウガ染みた悪い笑顔で連合軍を睨んだ。
そして粗末な防御柵は打ち壊され、ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍が雪崩れ込んで来る。
「ふっふっふ……、来たようじゃな。ワシらの給料の種が。良いか、おんどれら!!殺されてしまうのはのーさんきゅーじゃが、殺しすぎることは悪いことじゃないのじゃ。むしろ手柄を増やせば、オヌシらも左団扇で生活が出来るというものよ!金はざっくざく!!美味い料理も食い放題!!!何より綺麗どころのお姉ちゃんもオヌシらのもの!!!弓、構え!!見せてやれ、本当の煩悩の力を!!!!」

11/05/30 23:14更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
お久し振りです。
お元気でしょうか、毎度お馴染み(?)宿利京祐で御座います。
ココ最近、まったく更新出来なかったのは…、
1・新種のウシオニさんが素敵過ぎて短編書こうとして挫折し続けた
2・『風雲!セラエノ学園』を書こうとして、ギャグのスランプに陥った
という理由のため、まったく更新出来ませんでした!!!
そんな経緯があったため、これからしばらく本編と外伝に力を入れて行こうと思います。
頭の中がシリアス脳になってしまっています。
こんなに長くシリアスなのは初めてです(^^;
さて、次回も撤退戦をお送りします……と言いたいところですが、
撤退戦の詳細は書きません(爆笑)。
実は内容を書いちゃうとひどくつまらない、というのは理由です。
何故、そうなるのか…。
それはまた後程の講釈にて…。

では最後になりましたが
今回もここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ついに100話カウントダウン、後3です。
馬鹿みたいに長くなってしまった本編ですが、
これからもどうぞよろしくお願い致します。

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