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第九十四話・たった一人の鎮魂歌
「そなたを救う。」
蛇矛の切っ先をジークフリートに向け、ダオラは言い放った。
ジークフリートを救う。
それはかつて、ダオラ自身がサクラに向けられた言葉。
憎しみの深淵で滅びるだけだったダオラを救いたいと願ったサクラの言葉。
黒いダオラと化したジークフリートは戸惑っていた。
「俺を……救う!?」
自身にとってダオラの言葉に意表を突かれたジークフリートは一歩後ずさる。
彼は混乱していた。
ダオラを人類の敵と信じていた。
ダオラを妻子の仇と信じていた。
深い絶望と憎しみからヴァルハリアの教義が正しかったのだと信じていた。
魔物との共存など夢なのだと。
魔物は人間を喰い、滅ぼすだけの悪魔なのだと。
しかし、事実は違っていた。
ダオラもまた、復讐に身を焦がしていた。
ダオラもまた、愛する者たちを奪われていた。
そして、すべての憎しみの連鎖は人間が発端であったことにジークフリートの心は揺らいだ。
「世迷言を…!俺は救いなど求めては……!!」
「ああ、そうであろうな。だが、そなたの意思など知ったことではない。救いたいという思いに理由など必要ではない。我はそれを人間に教わった。憎しみに囚われた我を、心まで打ち倒した人間に教わったのだ。…………それに。」
ダオラはジークフリートに蛇矛の切っ先を向けたまま瞳を閉じる。
ダオラは知っているのだ。
これから起こることを。
ジークフリートの身に起こることを。
「ダオラ、貴様……、俺を侮辱する気か!それとも俺を救うとは、その命を差し出して数多の魂の慰めとするつもりか!!ならば………、望みど……お…!?」

ドクン

ジークフリートは言い知れぬ感覚に襲われて、思わず身体を丸めた。
辛うじて倒れ込まずに済んだものの、心臓の鼓動に合わせて、痙攣するように何度も何度もビクンと身体が弾けるのである。
意識が遠くなる。
視界が真っ赤に染まり、まるで獣のような荒い息を吐き続ける。
「……これ以上は、…見るに堪えないのだ。」
ダオラは知っていた。
膨大な魔力に犯された結果。
そしてダオラを憎むあまりにダオラになってしまった結果。
それは脆弱な人間という器には、至極当たり前の結果だと言えるだろう。
待っていたのはジークフリート=ヘルトリングの覚悟していた末路だった。
「……………オ……オオオオオオオオオオオオオオォッ!!!!!!!」
自我の崩壊。
ジークフリートが望んだ禁呪法は完成した。
ダオラを憎み、ダオラを殺すことを願って人間という器を捨て、ドラゴンの身体へと急激な変化を遂げたジークフリートは、ついに完全にダオラそのものになったと言えるだろう。
暴龍。
それは、彼が目に焼き付けたあの日のダオラ。
圧倒的な力の象徴。
その日、あの日の悪夢はダオラの目の前で完成した。
そこにはもう、ジークフリート=ヘルトリングという人間はいない。
ただ、ジークフリート=ヘルトリングという名の自我を失った暴龍が、嵐のような魔力を撒き散らし、大気を震わせて吼えていた。
「…許せ。禁呪法を使った時点で、もうそなたの命は救えない。ならばせめて、禍々しき闇に喰い尽される前にその魂だけは救ってみせよう。それが……、我のせめてもの罪滅ぼしだ。」
「オアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!!」
最早、言葉は通じない。
だが、ジークフリートはダオラの声に弾かれるように、土煙を上げて駆ける。
手にはフランベルジュ。
毒に濡れた長剣を叩き付けるべく、ジークフリートは獣のように走る。
「……決着を付けるぞ。……我よ!!」
見開いたダオラの目に、何の迷いもなかった。
あの日、彼女に手を差し伸べた少年のように、ダオラの目には決意があった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


ジークフリートの放った一撃が外れて大地を割る。
ダオラの蛇矛もジークフリートの踏み込み速度に狙いを外して空を斬る。
「オオオオオオオオオオオッ!!!!」
ジークフリートは大地を割った勢いをそのままに斬り上げる。
その時、ジークフリートの右腕の関節、全身の筋肉が身体の限界の動きをしたために、関節が砕け、筋肉が断裂し、ダオラの耳に生理的嫌悪を催す音を届けた。
ダオラは身体を逸らし、紙一重で難を逃れる。
だがジークフリートは砕けた関節、断裂した筋肉で追撃を仕掛ける。
禁呪法・暴食の顎は休むことを許さない。
負傷ぐらいで倒れることを許さない。
貪欲に発動者の望む獲物を喰い尽くすか、発動者の命が尽きるまで止まることはない。
砕けた関節は魔力によって無理矢理再生され、断裂した筋肉も人体のものとは異なる物質でさらに強化されて、ただダオラを追う。
暴走したジークフリートは、ただ剣を振るだけで、ダオラを追い詰めるために踏み込むだけで自らの身体を傷付けていく。
如何にドラゴンの身体を手に入れ、圧倒的な力を手に入れようと元の身体は脆弱な人間。
脆弱な骨格は、ドラゴンの力に耐え切れず崩壊していく。
だがジークフリートの自我から解き放たれた身体は、その崩壊すら意に介さない。
ただ彼が望むままに。
貪欲に命を喰らう化け物は止まらない。



ザンッ

「………しまっ!?」
ついにジークフリートの剣がダオラを射程内にまで追い詰めた。
刃が欠け、細かく亀裂の入った刃が蛇矛を断ち切った。
だがジークフリードの顔に喜びの色は浮かばない。
獣のように獰猛な咆哮のままに、ジークフリートの追撃は止まらない。
砕けた身体が弓のようにしなる。
慣性の法則を無視した動きでフランベルジュがダオラの脳天目掛けて振り下ろされる。
これまでか、とダオラが覚悟をした時だった。

白く透き通る腕がフランベルジュを握るジークフリートの腕に絡み付いた。

まるで彼の復讐を拒むような腕に一瞬だけ、その動きが完全に止まる。
「ガアアアアアアアアアアアッ!?」
獣のように自我を失っても、ジークフリートは戸惑った。
動かぬ身体に。
喰らい尽くすべき獲物を前にして振り下ろせない右腕に。
「…こ、これは!?」
ダオラの目に映ったもの。
それは必死にジークフリートの身体を抱き締める女性の姿だった。
ダオラはその姿を見て奥歯を噛み締める。
『彼を解放してあげて…。』
ジークフリートを抱き締める女の声にならない願いに今一度力が甦る。
覚悟を決めたはずの心に、もう一度ジークフリートを救うと決意した時の熱が甦る。
「我を許すな。我が道を通りし、そなたを今一度滅する。そなたの愛する者を奪い、そなたの人生を奪った我を許すな…。我は……、我が罪、そしてそなたの業を背負って贖罪の人生を送ろう!!」
「オオオオオオオオオオオ!!!!」
ジークフリートが右腕に絡み付く腕を振り切った。
その頬には血の涙が流れている。
憎悪と憤怒に染まったジークフリートは振り切った反動で、剣を振り下ろす。

そして………、

ついに炎の名を冠した長剣はダオラを捉えた。

戦場に鮮血が舞う。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


……………………。

………………。

…………。

何だかひどく長い夢を見ていたような気がする。
とても酷くて、とても悲しい夢を見ていたような気がする。
風が吹いている。
静かで、暖かい風がどこからか吹いている。
嗚呼…、何だ。
いつもの帰り道じゃないか。
ひどいなぁ。
今日はちょっと疲れているんだろうな。
仕事もハードになって、家族と過ごせる時間が減ってしまったなぁ。
でも、今日はお土産もある。
街に出向いた時に買った美味しいお菓子と玩具がある。
あいつは喜んでくれるかなぁ…。
あの子はこれで遊んでくれるかなぁ…。
そうだ…、明日からしばらく仕事を休もう。
ゆっくりと休んで。
ゆっくりと遊んで。
時間ならいくらでもあるじゃないか。

……………………。

…………あれ?

いつの間にか眠ってしまったぞ。
ここは……、どこだろうか。
突き抜けるような青い空。
心地良い風。
見渡す限り緑の芝生。
俺はその草原にそびえる大きな木の木陰で横になっている。
何だ、夢だったのか。
酷い夢だ。
あいつとあの子が殺されるなんて縁起でもない。
不意に頭を撫でられた。
嗚呼、そうか。
お前の膝の上で眠っていたんだ。
なぁ、ここは本当に心地良いな…。
さっきまで眠っていたのに………、また眠くなってきたよ。
………うん、おやすみなさい。
日が暮れる前には………、起こしてくれよ……。
……愛しているよ……、アンナ…。

『おやすみなさい、ジーク。……そして、お帰りなさい。』





「………………終わったか。」
振り下ろされたフランベルジュは根元から折れていた。
あまりに粗暴に扱われた剣は、最後の一撃に耐えられなかった。
ジークフリートの一撃は、脳天を防御するダオラの左腕を断ち切ることは出来ず、深々と刺さったまま折れて、骨に食い込んだままになっていた。
ジークフリートは動かない。
ダオラの右腕が彼の心臓を貫いていた。
暴食の顎は、その契約を完遂する。
ダオラを殺すか、発動者の息絶えるまでという条件の後者を取ることで完遂した。
心臓を貫かれて、息絶えたジークフリートを、ダオラはそのまま抱き締めた。
それは自分自身。
それは彼女の鏡。
そして、やわらかな表情を浮かべて逝った彼への敬意の証として。
ただ、虚しさだけが彼女を包む。
気が付けば、ジークフリートの助太刀に来たはずの者たちの姿が見えない。
暴龍と化したジークフリートに恐れをなして逃げてしまったのである。
だが、それで良いとダオラは思っていた。
彼の使った禁呪法が、二度と人目に触れないようにと祈って。
「ダオラ様、お怪我の治療を…!」
遠巻きに見守るしかなかったリザードマンたちが、ダオラに駆け寄った。
深々と刺さったままの剣。
そして大小の様々な傷。
本陣に戻るまでの応急処置を、と彼女たちは駆け寄った。
だが、ダオラは首を振る。
「そなたら、この傷に触ってはならぬ。この剣には毒が塗ってあるのだからな。我なら大丈夫だ。効かぬ訳ではないが、毒で死んでしまう程可愛げのある身体ではないのでな。」
折れた刃を抜かないままダオラはしっかりとした足取りで本陣へ向かう。
ジークフリート=ヘルトリングの亡骸を抱きかかえて…。


ジークフリート=ヘルトリング。
その名は連合軍の史記には登場せず、僅かに帝国軍史記に登場する。
『ジークフリート=ヘルトリング、一兵卒でありながら、その武と命を以って龍姫兵2名を討ち、さらに同盟軍将軍ダオラと退かせる。』
禁呪法には一切触れない文章はダオラ自身が望んだこと。
封印されるには封印されるだけの理由がある。
古えの人々が封じた禁呪法は、こうして再び闇に葬られたのであった。
しかし、この後本陣に戻ったダオラは昏倒する。
ジークフリートの放った毒牙はダオラの命を奪うには至らなかったものの、確実に彼女の身体を蝕み、ダオラはその日から高熱を発し、意識不明の昏睡状態に陥ったのである。
ダオラ、戦線を離れる。
最前線での治療は難しいと判断した龍雅、ノエル帝、イチゴは、急遽ダオラを本拠地である学園都市セラエノへと送還することを余儀なくされたのであった。
たった一人の犠牲ではあったが、戦力は大きく落ちる。
順風満帆かに見えた同盟軍に、暗い影が落ち始めていたのであった。




































大きな木の下に、一輪の花が咲く。
それは墓標。
龍姫を退かせた英雄が眠る墓所。
墓碑も何もない墓の前に立つのは魔王。
ジークフリートに禁呪法を授けた張本人は、ただ英雄の死を悼む。
「……私は君に返さなくてはいけないものがある。今となっては非常に無意味なものだけど、契約は不完全に履行された。君の望みはあの龍の娘を滅すること。しかし、君は滅することなく眠りに就いた。不完全な契約の下に代償をいただくことは出来ない。お返ししよう、君の未来を。君は魂が消滅する手前で明日を拾った。………もしも来世があるのなら、やり直せる。その時は、どうか幸せな未来を。」
冷たい風が吹いて、ジークフリートの墓標は揺れる。
返事のない英雄を魔王はただ見下ろすだけ。
そして風が吹き抜けた空を見上げて魔王は言った。
「……さぁ、時間がないぞ。君の願いは、もう叶えられてしまった。時間がないぞ。一時一瞬も無駄にしてはならない。後は君だけの足跡を、この世界にどれだけ残せるかという問題だ。最早、君の時間は私の手を放れてしまった。叶えられた夢をどこまで大きく出来る……、龍雅。」


11/05/08 03:15更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
ジークフリート編完結です^^。
彼のイメージは『うしおととら』のヒョウだったりします。
復讐と回帰が私の中でジークフリートのイメージになりました。
知らない人は読んでみることをお奨めします。
でも涙腺弱い方は立ち読みは避けた方が良いです。

さて次回は停滞した戦場に新たな展開。
ダオラ撤退、そして悪いことは続くものです。
何が起こるのかは、お楽しみに^^。

では最後になりましたが、
ここまで読んでいただき、ありがとうございました^^
また次回お会いしましょう。

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