連載小説
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第九十三話・たった一人の殲滅戦
義勇兵として参戦するにあたり、俺は昔の仲間を頼ってある魔術師を紹介してもらった。
圧倒的な力が欲しい。
あいつをこの世から消し去る力が欲しい。
俺は魔術師の間でも外法の者として知られる魔術師の館を訪ねた。
失うものは何もない。
失うことを恐れる心すらない。
どんな代償を求められようと、俺はそれを甘受しよう。
すべては妻と子、そして愛すべきすべての者たちのために。
不気味、この世と隔絶されたような薄気味悪い館に足を踏み入れると、館の雰囲気とまったく同じ空気を纏った召使が現れ、俺を館の主の下へと案内した。
真っ暗な部屋。
妖しげな骨や仮面で埋め尽くされた室内。
不思議な心地になる香の匂い。
だが、そこにいるべき主の姿は見当たらない。
待てど暮らせど現れぬ主に俺は焦れていた。
無駄に時間を過ごしている暇など俺にはない。
どれくらい待っただろうか…。
俺はいい加減に待たされるのに腹を立て、椅子から腰を上げる。

揺れていた蝋燭の炎が消え、真っ黒な闇が訪れた。

「何だ…。」
風もないのに明かりの消えてしまった部屋にただ一人。
感じるのは俺の呼吸、俺の鼓動だけ。
目を閉じているのか、それとも開けているのかもわからぬ暗闇。
すると、突然蝋燭の炎が勢い良く燃え始めた。
それは蒼い炎。
蒼い光にユラユラと俺は照らされていた。
「館の主は所用があって来られない。代わりに私がお話を聞こうか。」
いつ現れたのだろうか。
水晶玉の置かれた机に若い女が座っていた。
魔術師とは違う高貴な雰囲気。
ヴァルハリア領の貴人では到底醸し出せない空気を纏った白い髪の女だった。
まるで昔話に出てくるような東の砂漠に出ると言う魔神のような姿。
「…もっとも君は話さなくて良い。私は何か望みがある者の前に現れる。君の望み、その身に宿した思い、その身を焼き尽くす呪いも何もかも私はわかっているつもりだ。」
「ならば、話が早い。俺の望みは圧倒的な力だ。この館の主は外法を知る者と聞く。その外法の技を以って龍をも滅する力が欲しい。お前では無理だ。外法の技を知る魔術師を出せ。そうでなければ意味がない。」
俺の言葉を聞いて女は目を伏せた。
そしてほんの少しだけ考えた後、重い口を開いたのだった。
「…………その者の出来る外法など、外法の内に入らない。あの者の出来る外法など君の望む力に成り得ない。あの者の外法は、所詮同じ魔術師たちの内で忌み嫌われた程度の外法でしかない。だが、私なら君の望むものを完全に、完璧に叶えられるだろう。」
「……!?」
女は溜息を吐く。
「私が君に施してやれる外法は、この世界に存在しない外法。旧世代よりさらなる過去に存在し、今はその存在すら知られることのない禁じられた呪術。君の命を寄り代に、数多の生贄を以ってのみ発動する邪道の法だ。君は耐えられるか。呪いを身体に刻み付けることで得られる身体中を駆け巡る地獄の苦しみを。君の魂は永遠に呪いに喰われ、死後に君の奥方と御息女には二度と会えない。それでも…………、君は刻むのかい?呪いを、怒りと憎しみに身を委ねるのかい…?」
極めて抑揚のない、感情を押し殺した声で女は呟く。
俺の答えは決まっていた。
俺の答えは、決してぶれない。
「我が望みはダオラを滅することにある。すべては妻子のため、すべては我が愛する者たちのために。ならば一切迷うことはなく…。この命ですら、復讐の駒にしても本望。ダオラを滅することが出来るのならば、我が身に降りかかる呪いや痛みなど、死んで逝った者たちの苦しみを考えれば比べるべくもない。」
女は小さく、残念だよ、と言うと俺の傍まで歩み寄る。
赤い瞳が冷たく俺を見る。
そして闇の中、漆黒の羽根が広がったように女は圧倒的な魔力を解放した。
女が人間ではない。
それに気が付いたのは随分と後になってのことだった。
「では授けよう。禁呪法、暴食の顎。発動したが最後、君の望みを叶えるまでか、君の命が尽きるまで呪いは解けることはない。君の仇を、そして君の魂も喰らい尽くす貪欲な魔獣を君に授けてあげよう。代償は君の未来をいただこうか…。」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


漆黒の光が治まる。
そこに現れたのは、異様な光景だった。
ダオラに助太刀せんと駆け付け、魔方陣の中に足を踏み入れたリザードマンが数名、そしてジークフリートに遅れを取ってはならないと駆け付けた連合軍将兵の小隊の大部分が、糸の切れた操り人形のように力なく大地に伏していた。
「……くっ、皆!」
ダオラが駆け付けたリザードマンたちに声を掛けた。
しかし、倒れた者たちは二度と返事をすることなく動きはしない。
運良く生き残った者たちは、無事を知らせるようにダオラに手を振って合図を送るが、突然の訳のわからない攻撃に誰もがその場から近付けなかった。
連合軍将兵たちにしてもそうである。
味方と思っていた男が放った光に仲間が巻き込まれ、ただ呆然としていた。
「………何故、我を残した。お前は我が憎いのではなかったのか!!」
魔方陣の中に完全に入っていたはずのダオラは生きている。
ダオラは理解していた。
ドラゴンとして、様々な禁呪法、そして現在に生きるあらゆる魔法を熟知している。
『暴食の顎』はその魔方陣に足を踏み入れる者すべての命を食い散らす。
例外なく、すべてを食い散らし生贄とする。
だが、ダオラは生きていた。
漆黒の光に包まれた時、死を覚悟したはずなのに、両の足で大地を踏み締めている。
ダオラは叫ぶ。
暴食の顎を発動させてしまったがために、すでにジークフリートではなくなった者に。
「………ハハハハ、憎いさ。だからこそ、お前はこの手で殺すと決めていた。この剣で、この力で、俺のこの手で!!せっかく手にした外法の力、お前で試さねば意味がない!!外法の贄、安らかな死など貴様には相応しくない!!たかが人間に力及ばず死んで逝け。屈辱と無力感に押し潰され死んで逝くのが貴様には相応しい!!!」
それは、かつてジークフリート=ヘルトリングだった者。
黒い甲殻を身に纏い、
黒く力強い尾をうねらせ、
魔力に犯された者特有の赤い瞳で立ちはだかる化け物。
それは龍。
それは黒龍と呼ぶに相応しい化け物。
白銀の龍姫ダオラを憎むあまりに、人間でありながらダオラに変貌してしまった化け物だった。
「貴様如き化け物にはわかるまい。愛する者を奪われた悲しみを。愛する者を目の前で殺された憎しみを!例え魂と肉体を喰われてしまおうと、貴様さえ…、貴様さえ討つことが出来たなら、俺は地獄に堕ちようと高笑いをして死んでいける!!だが、貴様が生きている限り……、この俺に、愛した者たちに安息の眠りは来ない!!!」
重い音を立て、大地を踏み締めるように、龍の如く発達した足でジークフリートは歩み寄る。
龍の如く変貌した腕は、フランベルジュを力強く握り締める。
「………ジークフリートという名の化け物よ。貴様はそれで満足か。我が命を奪うためだけに無関係な者を巻き込み、人間という器を捨て、辿り着く場所などない境地にただ一人辿り着き……。貴様はそれで満足なのか!!!」
それは悲痛な叫び。
ダオラは自らの罪を具現化され、敵対する男は自分自身であることを突き付けられる。
叫びはジークフリートに向けてではない。
「知ったことか。」
ジークフリートが放った他者への短い拒絶に、ダオラは俯き奥歯を噛み締めた。
超えねばならない。
救われたと己惚れていた自分を。
救われなかった自分の影を。
そして自分がやってきたことへのけじめを付けなければならない。
蛇矛を握るダオラの手に力が入る。

自分自身に立ち向かう覚悟が出来た時、

ダオラの脳裏に浮かんだのは

人間に殺された夫や娘ではなく、

彼女の憎しみに光を差したサクラとマイアの姿だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


これが我か。
サクラの手で命を拾わなければ、我はこうなっていたというのか…!
邪悪だ。
これが怒りと憎しみに身を委ねた者の末路なのか!
だが、この者が人間を捨ててまで怒りと憎しみに身を委ねてしまったのは我のせい。
そして我を怒りと憎しみに走らせたのも人間のせい。
我はどうすれば良い…。
かつて程、人間を憎めなかくなってしまった我に……、この男を倒せるのか。
圧倒的な我の幻影を、我が倒せるのか…。
明日を捨て、未来を拒み、ただ昨日のために今日という瞬間のために生き続けた男。
誰が知ろうか。
この男の身を焼き続ける飽くなき憎悪を。
誰が知ろうか。
目の前で妻子を奪われたこの者の苦悩を。
誰が知ろうか。
明日を捨ててでも我を討ちたいというその覚悟を。
「絶っ!!!!」
鈍い金属音を響かせて、波打つ長剣と龍槍がぶつかり合う。
毒に濡れた長剣の刃が鋸(のこぎり)の如く、打ち合うごとに欠けていくのも構わず、ただ前へ、毒の一撃を我に食らわせることだけを考え、ジークフリードは剣を振る。
龍の身体。
龍の力を手に入れしジークフリートの力は、想像以上である。
武器の優劣は我にあるにも関わらず、この我が力負けしているのだ。
「クククク…アハハハハハハ!!!ダオラ、もっと抵抗してみろよ!妻を、娘を、みんなを焼き殺した時のように!足りないぞ、まだまだ足りない!!!もっと抵抗してみせろ。貴様を膾に斬り、無様な死体を晒してもまだ足りないくらいなのに、まるで手応えがない!!!!」
ジークフリートに、禁呪法を授けた者は相当の魔力の持ち主であろう。
ただの人間を、現世における最強と言うに相応しいレベルまで引き上げたのだ。
並みの魔術師ではこうではいかぬ。
だが、こうまで強力な魔術師が存在するのであろうか。
禁呪法を正しく理解し、ただ身体に刻むだけでも膨大な魔力を必要とする。
そんな魔術師を、我は聞いたことがない。
「………満足か?」
「………………あぁ?」
「満足かと聞いているのだ。我を圧倒したいがために無関係な者をすべてを巻き込み、その命を喰らい、魂を犠牲に力を得て、我を見下して満足か!?その禁呪法の先を知らぬ訳でもあるまい…。そなたは肉体が滅びても魂の還る地平へ向かうことも出来ず、楽園にも地獄へも行けぬ。暴食の顎が待ち構えるのは、ただ魂の消滅ぞ!!!」
最愛の者たちとの再会も出来ない。
最愛の者たちさえも捨て去るのが禁呪法・暴食の顎。
だが、男は我の言葉を聞いて、フッと笑った。
「理解しているさ。さっきから俺の魂が真っ黒な闇に喰われていくのを感じている。やがて俺という人格は喰い尽され、お前を殺すためだけの忠実な機械になって復讐を遂げる。無関係な者たち?笑わせるな。俺が本当に壊してしまいたいのは、お前という罪人を生かし続けて尚罰しないこの世界そのものだ!!」
深い……。
圧倒的に深い闇だ。
だが、それを聞いて我も決心が付いた。
そなたの憎しみは、そなた一人の者ではないと…。
「……………そうやって、悲劇の主人公になった気分はどうであるか?」
「ふん、俺たち人間のように他者を愛する心のない貴様に何が…!」
「いたさ。我にも……、安らぎを与えてくれた夫がいて、未来を託すべき愛しい娘がいたさ。だが、それを奪ったのは貴様ら人間だ!!我が何をした。我はただ棲家を守らんがために襲撃者を屠っていただけにすぎぬ!!!だというのに、我を邪悪な龍と決め付け、騎士物語とやらに踊らされた人間が何をしたか!!!」
ジークフリートが表情を強張らせる。
「貴様……、一体何を…!?」
「騎士物語に踊らされ、英雄になりたいと願った無力な者たちは群れを成して我が棲家を襲い、かつて同胞であった夫を嬲り殺し、生まれたばかりの我が娘を神への供物として………首を落とされたのだぞ!!!だからあの時、我は誓った。ヴァルハリアに生きる者すべてを灰燼に帰すと…!ヴァルハリアを無人の朱野に変えてやると!!」
泣いていた。
あの日のことを思い出して、泣いていた。
とうに枯れ果てたはずの涙が、止め処なく溢れてくる。
「そ………、それは貴様の勝手だ!!!貴様のせいで妻や子は…!!!!」
「そうだ、勝手だ!そなたも我も、身勝手な復讐に身を委ねた結果がこの有様だ!!!我は夫と子の、そなたは妻と子の仇のために復讐に身を焦がした。だが、真実は最早どうでも良い…。お互いに引き戻せない現在を生き、取り返しの付かない罪を犯し続けた。ならば、我の役目は決まっている。我は……!」
そう、それはサクラがしてくれたように。
それはマイアが見守り続けたように。
我は改めて竜槍をジークフリートに突き付けた。
「そなたを救う。」
例え、戻れぬ道ではあったとしても。
我は、喰われていくだけの男の魂を救う。
そう決めたのだった。


11/05/05 22:08更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんわ、お久し振りです。
ちょっぴり難産でした^^。
話の流れは決まっていたのに、文章が決まらない。
試行錯誤の末に、今回の話は出来上がりました。
待っていてくれた皆様、遅くなって申し訳ありません。
次回もダオラvsジークフリートでお送り致します。

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
また次回、お会いしましょう^^。

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