連載小説
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星を見ながら
 大分、食ったな。

 そんなことを考えながら抜けだしてきた明かりを見やる。
 バーベキューだ。
 始まって大分経ってもまだまだ盛り上がっているようで、目を凝らせば誰かが振り回した腕がぼんやりである。
 

「……ふ」

 つい、鼻で笑ってしまう。
 遠目に見ると中々どうして楽しそうだ、もしあの中にいれば勢いに呑まれない自信は流石にない。
 

「ん」


 とコテージの手すりに両腕を乗せれば、こちらへ人影。
 明りの方から、さては飲み物が足りなくなったか。
 しかしクーラーボックスはあちらに置いてあったはず、となれば……ああ、トッテオキのお酒かもしれない。
 それはいいな。
 皆を楽しませられそうなアイデアだ。

 「ふぅ……う、ん?」

 高い背、長い髪が揺れる女の形。
 あくまで他人事だったがそのシルエットにまばたきをする。
 高嶺さんだとすぐに分かる、とはいえ実のところ明りで顔まで見えていた。
 

 ……あっ、と高嶺さんが顔を上げて手を振り、そこからは早い。
 歩きを走りに変えた彼女はすぐにコテージ横の階段を上り、後ろに回り込んできた。
  
 「っ、しょっと。はいこれ、どうぞ。戸塚さん」

 「……あ。どうも」

 
 半身を振り向かせ、努めて笑顔でそれに応える。
 見ればその手には缶ビールが二つ。
 どうやらそのうちの一つを手渡すべく来てくれたようだ。
 心遣いが暖かい。


 「えっと、えへへ」


  
 と、言葉少なに高嶺さんは椅子に座ってしまった。
 反応が冷たかったか。
 とはいえ弁明などしようもないので、俺もその向かいに座ってみる。

 ……さて、この気まずさは果たして冷たさを自覚したせいか。
 それとも他人と一緒にいるからか。
 だがそれでも、座れた辺りは間違いなくこれが二回目なのが恩恵だろう。
 

 「……んくっ」


 プシュッとは、ああ、炭酸の音か。
 思考の外で響いた音に、チラリチラリと見やってみる。
 といっても高嶺さんが缶ビールを飲んでいた、とそれだけだ。

 ん、一瞬目を閉じたな。
 両手で支えて、ゆっくり傾けている。
 俺は片手でやるが、ああいう風に飲むのか。
 にしても白く細長い指だな……

 「ふぅ」

 さてしかし、俺は何をしている?これでは見惚れているようなものだ。
 照れ隠しにタブに人差し指をかける。
 冷えているのと水滴とで少しばかり引っ掛けるのに時間が要ったが、幸い、持ち上げればお決まりの音。
 
 プシュッ。

 「んっ」
 

 傾けて流し込んでいく。
 
 ……悪くない。

 空きっ腹に差し込む清涼、とはいかないがなかなかだ。
 言うことがあるとすれば少々弱いくらいか。
 酒豪のつもりはないが強い方が好みといえばそうである。
 とはいえもう一口……美味しいものは美味しい。
 水やお茶とは違い、唇や頬内に染み付く独特のアルコール感だ。

 「っ、ふふ」

 「ん?」

 
 そういう風に味わっていると高嶺さんが突如くすりと笑う。
 こぼれたような笑顔だ、何かおかしなことがあったか。
 視線を向けると、彼女は少し慌てたようにはにかんだ。

 「あっ。ええと、おいしそうに飲むなあと思って」

 「……そうですかね?」

 「はい!それに、なんだか楽しそうです」

 「はあ、ど、どうも……」


 なるほど、な。
 考えながらもおもむろに空を見上げ、とぼけてみる。
 楽しそうだと言われたことが嬉しかったから、だけではない。


 20の誕生日だ。
 そしてその少し後の高校の忘年会。
 酒を飲むと少々気分が上向きになるらしい。
 傍から見てどうかはともかくとして、それでいて意識はちゃんとあったから、当時は自分でもギャップに驚いたのを覚えている。 

 「はい、とても楽しそうですよ?」

 「ですかねー」
  

 飲みながら横目で、そう言う彼女を観察する。
 アルコールに弱いのか頬がほんの少し紅く、そして笑顔はとても無邪気だ。
 といっても細めた目と端の持ち上がった口はむしろ艶があるはずだが、ああなるほど。
 これは向かい合って缶ビールを開けている状況のせいか。
 そんなことを考えながら、ふーん、と返事にならない返事をしようとして

 「あっ!レポート!」

 「ん?ああー……」

 しかし大きな声に遮られる。
 ゆっくり見やると、高嶺さんは恥ずかしそうに頬を掻いていた。
 確かに驚いたがそんなにするほど……まあ、いい。

 しかしレポートか、と目を細める。
 意識になかったわけではないが、言われてみると思い出したような気分になるのはどうしてなんだろうね。
 ……ふう、どうでもいい事に頭を回す辺り酒にやられているか。
 と、そこで酒気を飛ばすように大きくもう一息。
 それには多分、気合を込める意味もあっただろう。

 「ああ。じゃあ俺ノートとか取って」

 「あっ!その」


 さておき立ち上がりコテージへ向かった時、後ろから声をかけられた。
 首だけで向き直る。
 急に呼び止めたのに気が咎めたか言葉が途切れたが、恐らく続きもあると思っての事だ。
 

 「……近くの竹。昼間歩いてたらいい所を見つけたんですけど」


 
 と思いきやそれだけを言い、彼女はもじもじと手を揉み合わせていた。
 なるほど、続きは言わずとも分かる。
 どうせ見るのなら場所を選ぶ。
 本を読むなら静かなところ、ゲームをするなら宿題のない時、とは少し違うかもしれないが。

「ん、了解です」


 手癖で頭を掻きつつ返事をする。
 対する彼女はもしかしたら笑っていたのかもしれない。
 それはすぐに部屋の中へ入った俺には見えなかったものだった。 






―――――――――――――――――――――

 
 少し後。

 竹に囲まれながら、星空を見上げる。
 足取りはしっかりしている、ふらつきもない。
 気こそ大きくなれど、缶ビール一杯で前後不覚になるほど弱くはない。
 むしろ心配そうな顔をした高嶺さんの赤い顔を心配したくらいである。

 「ほー」

 しかしながらいい眺めだ。
 竹の葉があってなお、それ以上に大きな月と煌めく星が良く見える。
 場所も、バーべキューの声が邪魔にならない程度で、けれども聞こえる辺りもよい条件と言えるだろう。
 遠すぎず、うるさすぎもしない。
  
 「ふふっ。やっぱりでした」 

 満足げに高嶺さんが座る。
 察するに、昼間にはポイントを探していたらしい。
 レポートを完成させようと真面目なのかそれとも、空が真剣に好きなのか。

 ……まあ、両方っぽいな。
 考え込むのも悪くはないが、今はそれより空でいい。

 息を吐き、思考を止めて腰を下ろす。 
 しかし位置は高嶺さんの隣から人ー人分離してだ。
 意識し過ぎかもしれないが、隣に座るのは何となく気恥ずかった。
 それに図々しいと思われても困る。

 
 「……わぁあ」


 少しして、彼女から感嘆の声が漏れた。
 興奮とも言えるか、どちらにせよ感情が形になったような声だ。
 随分と楽しそうだな。
 そう考えながら、横目に彼女へ視線を向ける。

 「……」

 と、一瞬の後。
 無意識に目を見開いていたことに気づき俺は、空へと視線を逃がす。
 しかし既に、焼き付いてしまっている。

 綺麗だった。

 シャープ、鋭角的。
 そんな顔と長い黒髪が、宵闇に溶け込んで美しい。
 赤の他人にこんな評価を下すのは失礼ではあろうが、それでもそう感じざるを得なかった。
 例えるならばもはや名画。
 夜空と高嶺さんと、その両方が引き立て合っているかのようなその光景、とその辺りで俺は醒める。

 見るだけならば要らないな。

 唐突で突飛な発想はしかし、どこか慣れた既視感。
 目の前の楽しそうな雰囲気になかなか入っていけず、入れば入ったでどうにも居心地が悪い。
 だからつかず離れず、すこしばかり距離を置いていたあの感覚。
 等とこんなタイミングで思う辺り、やはり会話が無いと暇なのは俺も他人と同じらしい。
 まったく、折角空を見ているというのに。
 退屈だからと、これはないだろう。

 「……戸塚さん」

 「え、あ。は、はい?」
 

 等と思考にふけっていたから、その呼びかけは意識外からのものとなる。
 視線を向ければ、見つめてくるのは高嶺さん。
 気のせいか、もしくは暗いことを考えていたからか。
 声の調子が、なんとなく声をかけたにしては少し重く感じた。

 「その。これはもし……もしもの話だと思って聞いてくださいね。何となく話したくなったみたいな、そういう」

 「は、えっ?あ、ああ」
 

 と、彼女が続きを語り始める。
 様子もおかしい、と思ったのはやっとその時になってからだ。
 スッと目線を空の彼方に飛ばしたかと思えば、一つ一つの言葉を選ぶような語り口。
 話の流れも唐突だ、一体どうしたというのか。

 「例えば……突飛な話ですけど。私が化け物だったとしたら、戸塚さんはどうしますか?」

 「……は?」


 そう思っていたから、俺は素っ頓狂な声で応えてしまう。
 仕方ないだろう。
 化け物だったらどうする。
 何ともよく分からないし、それもふざけた口調で問われたならまだしも大真面目だ。
 もしや高嶺さんは、酔っているのだろうか?
 でなければ実は面白い冗談を追求する人なのか?

 「例えば、です。私がこの場で……ええと、そう、竜とかになったら、どう思います?」


 そんな失礼な事を考えながら応対するが、しかし高嶺さんにふざけたようなところはない。
 酔い潰れの戯言の可能性は捨てきれはしないが。

 「……それは」

 しかし俺は、自分の口に重たさすら感じ始めていた。
 次に放つ言葉が、まるで彼女との関係の全てに影響するような気さえしてきていた。
 胸騒ぎといえばそれまでだろう、が。
 

 もしかして星座にそういう話があるんですか?
 
 
 「……」

 とは、言えなかった。
 何故だかは分からない。
 ひとつわかっていることは、そう答えるにはあまりにも、彼女の問いに尋常ならざる重みがあったことだけだった。

 「な、なんて、急にこんなこと言われても困りますよね!え、えへへ……」

 「え、あ、あはい、まあ」

 「ですよね!あはは……」

 
 
 嘘だ、ごまかしだ、取り繕いだ。
 和ませようとする彼女の言葉とは裏腹に、胸の早鐘が止まらない、
 俺は間違えたのか?正しかったのか?それさえ分からない。
 だが分かっていることは一つだけあった。

 俺はまた、いつものように距離を置いたのだと。
 それも、向こうから話しかけて来てくれた貴重な相手を前にして。

 「……」

 視線を落とす。
 高嶺さんに悟られないように、足元の落ち葉をいじる。
 かさかさと音を立てて弄ばれたそれはしかし逆に、俺の心をどうしようもなく騒がせた。
 それに少し濡れていてなおのこと、居心地が悪い。
  
 「っ、さて、と!んじゃあそろそろ戻っ……!」

 だから逃げるように立ち上がった俺は、あろうことか足を滑らせていた。
 ほろ酔いのせいだろうか?それとも落ち葉のせいなのか?
 どちらにせよ後ろ後ろへと、止められない。
 バランスを取ろうとすればするほど勢いがついて、せめてもと後ろを向けば、竹だった。
 青々と育ってしなやかで、この上なく悪いことに頭をぶつけそうな位置にある。
 手はもちろん使えない、平行を保とうと真横にゆらりと伸びていた。

 これは、直撃かね。
 
 わざと倒れるなど出来っこない俺は、なんとなく諦めがちに来る衝撃に備える。

 
 「っ……ぐえっ……?」

 
 が、それは訪れなかった。
 逆に、柔らかな感触に、抱き留められてさえいた。
 いったい何が、と目を開けば。

 「た、高嶺さん……?」

 「……」

 そこには彼女がいた。
 どういう身体能力をしているのか、俺と竹の間に体を入れ込んでいたのだ。

 「……」

 その高嶺さんは喋らなかった。

 「……」

 俺も、言葉を出せなかった。
 目の前の女性はがらりと一変していたからだ。
 髪の長さこそ同じだが煌めくような銀色で、何より、まるでゲームに出てくるようなドラゴンのような黒い鱗と尻尾を身に纏っている。
 それも腕と翼が一体化した、有名どころで言えばリオなんとやら、といった風貌に代わっていた。
 

 「……高嶺、さん?」

 「っ」

 その彼女がきゅっと口を結ぶ。
 確信する、どういうわけか疑いはなかった。
 直前の言葉もある、ならばそれは、そうだろう。
 だが、どうして?

 「その……その……!」

 「あ……えっ、あ……」

 泣きそうな顔で何かを搾り出そうとする彼女に、声をかけようとする。
 ありがとう。
 その姿は?さっきの言葉はもしかして?
 それらはしかし喉の辺りでつっかえて、結局言葉にはならなかった。

 「ご、ごめんなさい!」

 そうこうしているうちに、彼女は俺をやんわりと突き放すと。

 「……」

 月の浮かぶ空へふわりと浮かび上がり、消えてしまったのだった。
 


 「……っ……」

 
 それを呆然と見送ってから、しばらくして。
 俺は一人で、拳を握って歯を食いしばっていた。
 
 「つ、っ……」

 酔っぱらいの戯言?冗談の研究家?何をバカなことを。
 だがどうできた、どうやれたというのか。
 何もかもが急すぎだ。
 なぜあのタイミングで、親しくもなっていないのにあんなことを言って、こんなことになっている?
 それにどうして助けた?たかだか竹にぶち当たる程度、痛いだろうが死にはすまいに。
 あんなに不安がっていたのなら、わざわざ姿を晒すこともあるまいに!
 例えばあの姿になれば文字通り人間離れした身体能力を発揮できるとして──

 「……!」

 思い返せば段々腹が立ってきて、苛立ちまぎれに周りを見渡せば。
 俺が後ろからぶつかろうとしていた竹の近辺は、土手だった。
 急斜面だ、竹も力強く遠慮なく聳えている。
 もしあのままであれば、どうなっていたかは想像に難くなかった。


 『……近くの竹。昼間歩いてたらいい所を見つけたんですけど』 


 息が、詰まりそうだった。
 俺は何をやっているんだ。
 だがどうすればいい?それは分からなかった。

 「…………」

 視線をさまよわせ、落とす。
 そんな中で思ったのは、とりあえずお礼は言わなければならないだろう、ということだった。
 幸い、今はサークルの活動中だ。
 楽観的かもしれないが、本当に居なくなるなんてことは、ない、だろう。

 「……」

 キャンプの方を見やる。
 コテージも、あるはずだ。
 話すチャンスくらいは、あるだろう。

 

 

 
 そう、思っていたのだが。
 
 「……」

 帰りの電車、隣に座る高嶺さんに、顔が向けられない。
 結局俺は、声さえかけることができないでいた。

 「……」

 手元を見つめる高嶺さん。
 表情こそ平静に見えるが、どことない硬質さに、俺は拒絶を感じずにはいられなかった。
 口を開こうとして、閉じて、音のない声を閉じ込める。
 そんな情けない様を晒すのが、精々俺にできたことだった。

 「…………」


 昨夜から、こんな調子なのだ。
 どういうわけだかコテージに戻ってきていた彼女を見つけたはいいものの、足に尻尾を絡めて翼で己の肩を抱く様に、とうとう声をかけることが出来なかったのだ。

 「……」

 それは人間の姿に戻り髪の色が変わってからでも同じことだった。
 明らかな拒絶に、ずけずけと入り込むほど、俺は強くはなれなかった。
 
 「でなー!バーベキューの裏であいつ告ったらしくってよー!」
 「マジ!?で!?で!?」

 そう例えば、俺達のすぐ後ろで恋バナに花を咲かせる彼らのようには、決してなれなかったのである。




 「んじゃあ解散!」


 「え、っと……ありがとうございました……」

 ついに別れ際に、何か言いたげにこちらを見る高嶺さんの視線を感じたものの。

 「あ……こちらこそ、どうも……」

 それを、受け止めきれなかった。
 社交辞令的な挨拶をかわして俺は結局、一言も話せないまま、一歩も踏み込めないまま別れることになったのだ。
 
 「……」
 
 自分でも、情けないとは思う。
 帰り道、脳裏にはあの姿と、あの質問だけがぐるぐると回っていた。
   
 「……」

 手元を見つめる。 
 俺は果たして、どう答えるのが正しかったのだろうか。
 
 「…………あ」

 と、思いながらふと前方を見やる。
 四角い建物、売ります買います新品あります、という看板は、ゲームショップだった。
 そういえば待ちかねていた新作の発売日は今日だったような気もする。

 「……ふう」

 とはいえ流石に、今日買う気にもなれず家路につく。
 




 「…………はあ。やっぱり、恋愛シミュレーションみたいにはいかないのかな……」


 だから。
 その少し後、ほとんど同じ場所で。
 同じようにその看板の目の前で溜息を吐いて身を翻した、黒くて長い髪の女性が居たことを、俺が知る由などなかったのだ。
22/01/18 00:41更新 / GARU
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