連載小説
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天空観測部・合宿
 大学前期、蒸し暑さが湧き始めた梅雨明け少し後の夏。
 ガタンガタンと揺れる電車の中は、後ろの方では仲の良い男子と女子がくっちゃべってうるさい。
 それが我慢ならぬ切って捨ててやろう、というほどではないが耳障りで俺は外に意識を集中させた。
 隣には女子だ、勿論見知らない。
 だが背は高い……175辺りのこちらより高い気がする、ややもすれば180近いか?
 そんな彼女はそわそわと落ち着かない様子、もしかして喋りたいのだろうか。
 いや、仮にも同じ大学の同じ部活員、それは当然と言っていいかもしれない。
 といっても結局は俺と話したいというよりは誰かと話したい、というところだろうが。

「……」

 
 ハァ、と零れそうになる溜息をグッと意識して堪える。
 ここでそんなものを出せば隣の女子が気に掛けるかもしれない。
 要らない気遣いかもしれないがまあ勝手にする分には良いだろう、これ見よがしというでもなしに。 
 それにしてもしかし、と眠りこけるふりをして頭を抱える。
 大学3年生になり、卒業までの単位は問題ないと見て高校までで出来なかった事をしようと部活に入ったわけだが。
 

「まさか強制参加とはな……」

「へっ、あ、あの何か言いました?」

「…………ん?あ、いや、別に」


 危ない危ない。
 彼女に向けていた顔を戻しながら思う、どうやら口をつついて出ていたらしい。
 というのもそう、強制参加だったのだ、合宿が。
 いや別にそれだけなら問題はない。
 夏、ちょっとした連休の合宿など、多少自由な時間が削られることを抜けば家に居ない時間が減るというだけだ、そこで楽しむものを見つけられればそれでいい。
 だがこの、天空観測部といういかにもな部活動に空が好きだからと入ったはいいものの、どうにも馴染めていないというそこが困りものだった。
 過去の経験上自分が居ても居なくてもいいグループで誰かと群れるより、一人でいた方が余程楽だと知っていたのもあるかもしれない。
 入ったばかりでサボるのも何だし行ってきなさいよ、とは母の言だがこれは予想以上にきつくなるかもしれないな。

「でさー!滅茶苦茶それが面白くってぇ!」
「えーまじー!?」
「まじまじ、そんでさー主人公がさー」
「まじでー!?」


 そう考えているとまだ後ろから声が聞こえる。
 席が二人一組のタイプである以上仲良しが座るのは分からんではなく話をするのもまた、か。
 そもそも何故か方針として同じ部員同士で座りたいところに座れと言ったのだからそうなるのは必然だろう。
 こちらとしてはハイ二人組作ってー並みの行為だったためさっさと窓側の席を取らせてもらったが……しかしまぁなんだその声の大きいくせ中身のない話は。
 えーまじー?というばかりで話が一向に進まん。
 ええい耳に入るのも鬱陶しい、さっさと外に意識を集中させるか。
 幸い昼を少し過ぎた明るい景色、流し見するには悪くない。 

「あの、空。好きなんですか?」


 と、隣にいる女子が突如話しかけてきた。
 電車の揺らぎにかき消されそうな蚊の鳴くような声、ではなく、ちょっとの遠慮こそあれしっかり聞こえる声の通り。
 そう言えば何故か、余ったからというでも無しに彼女は俺の横に座ってきたんだったか。
 ……そう考えると勇ましい、俺なら委縮と遠慮で気まずい空気を過ごしてるところだ。
 場合によってはずっと立っているまである。
 
「まぁ、割と」

「へぇー……」


 ともあれその勇気に敬意を払いながらゆっくりと振り返って返したのだが、流石に淡泊に過ぎたかそこでストップしてしまう。
 もしやすると間が悪かっただけなのかもしれないがしかし、これでは後ろで騒ぐ奴らと本質的にはそう変わらんな。
 むしろ楽しいおしゃべりすら出来ないという点では劣ってすらいるか、俺は。
  
「えっと、私も……好きなんです。えへへ……」
 
 
 と、幸運なことに、そこから彼女が気遣うような言葉とともに上半身を緩やかに傾け、そう返してくれた。
 とはいえかなり苦しい続け方だったようでごまかすような笑い付きだが、それでも十分ありがたい。
 しかしこうなった以上我関せずを貫くのは苦しくなるか、少しばかり恨むぞ。
 理不尽で悪いとは思うが。

「まぁ、楽しいですよね」

 
 とりあえず無難に返す……無難すぎただろうか?
 いやだが、いきなり気分を跳ね上げると引かれるだろう。
 というか敬語になってしまった。
 年上の可能性もあるしそれ自体は悪くはないのだが、やはり何というか、堅苦しいというか他人行儀な感じがして冷たく感じられないだろうか。
 ……まぁ、他人だしそうそうコミュ力とやらもない冷たいやつか。

「あっ分かります?楽しいですよねっ」

 と、しかし。
 目の前の女子はとても嬉しそうに、表情を輝かせた。
 無理矢理取り繕ったという感じはない。
 俺の嫌いな、はぁあいぃいいいという甲高い大仰すぎるリアクションでも無くそれは割に、いや、これは失礼だが。
 まあ、可愛らしかった。
 高身長から垂らされるその頭の黒く長い髪の綺麗な揺らぎとのギャップがまた素敵だ。
 とはいえ口説いてるようで嫌だとか以前に、それを今言うべきではないだろうから言いはしない。
 しかしまぁ空を見ているのが好きとは、俺が言うのもなんだが物好きなものだ。
 もしかすると話が合うかもしれない、といっても結局予想でしかないが。

「えぇ、まぁ」

「あのえっと……えへへ」

 
 何せ今も話が終わってしまっている。
 別段そんなつもりもなく、特に何を話したでもなかったため二の句が告げられなかっただが、やはり何となく申し訳ない。
 話をするかどうかはどうでもよいとしても、視線を彷徨わせる彼女はどうにかしたいが……しかし、既に少々の間が空いてしまった。
 これでは動いても不自然……要は手詰まりである。

「……」

 
 結局。
 こんな調子では、結局合宿もただただ過ごすことになるかもしれんな。
 そう心が息を吐く。
 空の蒼と陽光とはまるでかけ離れた、どこか諦めにも似た色の感情だった。






 それから少し後のこと。
 
「はいじゃあ、こっからは自由行動!各自好きなことしていいけど迷子にだけはならんようにねー」

 
 広い高原に着いた後それぞれのコテージに荷物を置いて集合した部員達に、状況からして部長だろうーーあの女子は、4年の冴木さんだったか?そう呼ばれていたのを聞いたようなーーがそう宣言する。 
 間延びした口調にやや気だるそうな感じの、基本的には良い人そうだ。
 直接触れ合ってないし分かるものではないが。
 等とどうでもいいことを考えながら視線を隣に移せば立っているのは、隣という位置関係から恐らく副部長の……同じく4年、確か神岡さんといったか?こっちも女子。
 部長とは打って変わって真面目そうな、俗に言えば厳しそうな印象を受けるスラッとした長身。
 しかし部長副部長ともに女子というのは珍しい気がしないでもないが、そういう事もあるか。
 気にしてもしょうがないことだろう。

「では解散!」


 と。
 考えるうちに絶妙な間を取った神岡さんがそう言い、部員達は思い思いのことをやりに散っていく。
 持ち込んだ道具でのスポーツや散歩はもちろんのこと、中には何もせずに、いや、この場合寝っ転がって日向ぼっこをしているというのが正しい。
 とにかく色々と、好き勝手に動いている。

 ……ふ。


 追っていた目を止め、鼻で安堵の息を吐く。
 正直、こういうのは変に全体で同じことをさせられるよりは相当に気が楽だ。
 一人が許される、それだけでもありがたい。 

「……」


 しかしまぁ、と腕を組んで眺めて思う。
 まずサッカーボールで遊んでいるのが男女二人に、日向ぼっこが男女二人。
 何もすることが無いのか遠くで空を見回している先程隣だった女子に、背後に立つ部長副部長と俺を入れると8人だが。
 ……たったそれだけなのはどうだろう、部活として。
 幽霊部員が多いとも聞いていないし、今更だがこれは部活動として申請出来るものなのか?
 というよりよくよく考えれば仕切っているのは部長、顧問はどこへ行ったのだろう。
 詳しくは知らないが問題発生時のどうたらこうたらは大丈夫なのか、それとも大学の部活とは元からそういうものなのだろうか?よく知らないが……


「あーそうだ、ごめんちょっといいかな?えっと……」


 等と考えていると後ろから声がかかった。
 誰、と振り向けば、部長が手のひらをこちらに向けたまま何事かを迷うような苦笑い。 
 さてこれは、名前を憶えられていないのか、それとも単に言いたいことの説明に困っているのか。

「何です?何か手伝って欲しいこととかありました?」


 だがどちらにせよこう言っておけば間違いはないだろう。
 名前だったなら恐らくは次に言いたいことへの布石、となるとそうでなかったときに対する言葉でもいいか?

「あーいや、違くてね。ちょっと気になったから話しかけてみたってところ」


 等と玄人ぶってみたが、返って来たのは予想外の否定。
 はにかみながらの言葉だったのでそこまで悪い事ではなさそうだが、一方で気になったという単語には少々警戒をしてしまう。
 というのもこの部長の、何とも説明できない良い人オーラというかからして、少しばかり次に何を言われるかが予想出来てしまった。
 そもそも接点が無いのに話しかけてくるという時点で薄々気づくべきではあったが、そこはこの開放的な空間に気を抜かされていたか。
 
「はぁ。というと?」


 しかしながら立ち去るわけにもいかないので、出来る限り返事を濁す。
 思いっきり意識し、何か自分悪い事でもしてました?とすっとぼけた表情をするのも忘れない。
 これで多少は時間が稼げるだろう。
 言葉を予想して落ち着いて反応するための時間が。
 それに実際、ここらが落としどころだと思う。
 もっとみんなと話した方がいいですかね?などという返しは自覚があるのにやってないのかと思われるし、そもそも話したくないんですがねーかったるいわー、といった感情を言外に告げることになる。
 そんな生意気で厭味ったらしい言葉、言われた方はたまったものではない。
 だが結局、もっとコミュニケーションをどうこうと言われるのだろうな。

「高嶺ちゃんのこと。あの子君に懐いてるみたいだしさー」

「はい?たか、みね?」

 
 そう思っていたから、次の瞬間本気で呆けてしまった。
 正直に言って、誰だ?
 いや、それは常日頃から顔と名前をあまり意識して覚えようとしない自分が悪いのだが。
 しかしそう話もしない相手の顔など覚えられたものではないし、そうでなくとも名前も知らない相手と喋るなどよくあること、わざわざ自己紹介をして話を始める訳でもなしに。

「え、あれおっかしいな、電車ん中で横座ってたし知り合ってるかと思ったんだけど」

「……あぁ。まぁ、知ってますね、確かに」
 

 と思っていたがそれを聞いて俺は、頷いて返した。
 なるほど、確かに知っている程度の仲だ。
 懐かれているかというと微妙だが、まあ別段口には出してまで否定するようなことではなかろう。
 それにそうだったにせよ違ったにせよ、もしそこから話を繋げられて必要以上に絡まれても困るのだから。
 そういうことは本人が居なければ分からない以上想像しても仕方のないことなのだし。 
 しかしこういうことを言うとは、部長と高嶺さんはそれなりに親しいのだろうか。

「そっか。まぁとにかく今回パートナーなんだしせっかくならさ」

「はぁ、わかりました」

「ん。じゃあよろしくねー」


 と、考えながらのあっさりとした返事をしているうちに終わったか、手を振って冴木さんは身を翻し。
 そして今度は背を向けていた神岡さんに絡むとそのまま、コテージの方へと歩いていった。
 困った風でこれ見よがしな溜息を吐いて見せる神岡さんと素直な悪態を返す冴木さんという構図だ。
 それを見てふと思う、あまりに冷淡だったかもしれない。
 話したかったわけではないとはいえ、邪険にするつもりでもなかったが……だがもう終わったことか、どうしようもない。
 ともあれ互いに勝手な事をしているのを見るに、どうやら二人はかなり仲がいいようだ。
 となればこれから二人でコテージで何かするのだろう。
 いや、今回の合宿はパートナーと二人で一つのコテージを使うということだったし、その打ち合わせか?
 ……そうなってくるとあの二人がパートナー同士か。 
 仲良し同士なら意見交換もスムーズに進みそうだ、羨ましいものだな。 

「……ま、いいか」

 
 等と考えながら、足を動かし始める。
 目指すはコテージ、もとより本を取りに行くつもりだった。 


 ちなみに。
 パートナーというのはこの合宿における最大の目的を果たすための言葉だ。
 ……部長の説明に曰く。
 観測した感想を交換することによって感性を広めまた深め、なおかつコミュニケーション能力をも向上させることを目的とした活動。
 もっともそれならば8人全員同士でもいい、と思うかもしれないが、これに関しては正直うまく出来ている仕組みだと思う。

 例えば。
 人によっては、星が綺麗で見ていて楽しかった、というそこだけで終わるだろう。
 単純で結構な事だとは思うが正直、俺からすれば淡泊だ。
 だが感じたものを言葉にするのが難しかったのか本当にそうとしか思わなかったのかは別にしても、それはしょうがない個人差というもので責められるべきものではない。
 しかし他に7人もいれば自分より細かい感想を言うものなどいくらでもいる。
 自分がその人よりも先に言えればまだいいが後、それも直後だったりするともう目も当てられないだろう。
 実際にはそんなことはなくても、それっぽっちの感想かよ貧弱だな、などと思われてしまわないか不安になってしまい、挙句慌てて思ってもいない感想を付け足すのでは感性も何もあったものではない。
 しかも一度思ってしまえば、他の7人全員からそう思われているのではないかと恐怖することを余儀なくされるおまけ付き。
 その点二人はかなり気楽だろう。
 比較してしまうのはしょうがないとしても、凄い感想だねとか全然そんな言葉思いつかなかったよーとか相手の感性に対する、所謂感想が言える。
 何より話すのは相手一人でいい。
 7人を相手取り、まるで発表でもするかのような気持ちで単なる意見を言わなければならないなど拷問のような何かだ。
 とはいえ一対一でも、殆ど初対面を相手に意見を述べるというのは溜息を何度吐いても吐き足りないくらいなのだが……



 等と考えていると。

「あ、戻ってきてたんですね。私もです」

「……ん」


 いつの間にか辿り着いたコテージの前、聞き覚えのある声がかけられた。
 高い背の威圧じみたものとはまるで裏腹な、それでいて弱さは感じない透き通るような声。
 何とも不思議な声、と振り向けば笑顔の、やはりその人は高嶺さん。
 緊張しているようでもなければ作っているようなわけでもない、あくまで自然とそうなっただけと思わせる素朴な笑みだった。
 それに縦に長い体格の、しかも短めのジャージから覗く、健康的にうっすらと焼けた白い肌はそう、世辞などではなく綺麗だと思う。
 
「……あぁ、どうも」


 そんなまるで格の違う存在に俺が返した言葉は余りにも酷い。
 自分でも分かるくらい殆ど無表情、せめて作り笑いくらいできなかったものなのか。
 何とも中身のない返事に、だが言い訳をさせてもらうならなるほど、と納得していて作れなかったというのがある。
 説明するとするならば。
 あの電車の中で話しかけてきたことも今回の柔らかい返事も、合宿における意見交換を円滑にするために多少なりとも交友を深めておこうという彼女なりの気遣いに思えたということだ。
 実際は違うかもしれないが、それでも尊敬せずにはいられない。
 不愛想なパートナーだというのに話しかけたということは変わらないのだから。
 まず、俺には無理だ。
 
「あ、あはは、どうも……」

 
 と、困ったように高嶺さんが笑う。
 多少ではあるとはいえ歪んだ表情、落ち込んでいるのがすぐに分かった。
 どうやら顔に出やすいらしい、いや、そうではないだろう。
 返ってきたのが冷たい反応で困ってしまっているのだからどうにかしなければ。
 ここで躓いていれば意見交換もギクシャクするのは目に見えているとなれば尚更だ。
 それにここで話せるようになっておけば、後も楽になるか。
 そう思い勇気を奮い立たせる。

「あー、えーっと……」

「あ、はい」

「その……」

「……うん」

「……あー」


 が、ダメだった。
 というか無理だ、本当に。
 友達ならともかく、目的もなければ中身もない会話をするのが苦痛に過ぎる。
 そもそも何を聞いていいのか分からないし、分かったとしてそれを聞くのは失礼じゃないかとか考えるうちに二の句を告げるタイミングを逃すなど高難易度にも程があるだろう。
 やはりどうにもできないのか……と、彼女が口を開くのが見えた。
 情けないその根性を自覚したくはなかったがつい、期待してしまう。
 彼女ならば起死回生の話題振りをしてくれるのではないか、と。

「えっと、その。もしかして気を、遣ってくれてます?」


 対して彼女は微笑んでそう言った。
 さっきと変わらない優しい声だ、がこの場合、駄目だった。
 気を遣ってくれてます?など会話では死刑宣告にも等しい。
 遣ってませんといえばそうですかで終わり、大体、遣ってますよなどなんて嫌味なヤツだと思うに決まっている。
 気を遣ってるのだから構えとかどう考えても厄介者だろうに、そもそも最初に気を遣ったのは彼女のはずであるからして、ああもう本当に面倒極まりない。
 そう思った俺は決死の思いで突破口を開きに出た。

「え、いや、その、少しくらい話しておいた方がいいかなと思って……意見交換する時とか、あの……」

 
 つもり、だったものの。
 言葉尻がすぐ萎んでいってしまい、最終的には何とも情けない声の大きさになってしまう。
 心の中でならばいくらでも力強く話せるというのに、何とも惨めで、難しいものだ。
 
「あ、じゃああの、何か喋りましょうか。実は私も、お喋りできたらいいなーって思ってましたし」

 
 しかしながら幸運なことに、状況は上手く動いたらしかった。
 そう言った彼女がコテージのテラスに置かれたテーブルまで行き二つある白い椅子に座った時に、俺は初めてそれを実感する。
 やってみなければ分からないとは言うが、なんとまあ。

「あっ。じゃあ。俺も」

 
 ともあれ、流石にこの機会は逃すわけにはいかない。
 未だ何を口にすればいいのかすら分からないしこちらからの無理な働きかけのせいで顔は熱いが、だが折角掴んだ細すぎる糸のようなチャンス、流石にみすみす手放せない。

「……えっと」

「あ、はい」

「……あー」

 そんな思いで椅子に座ったまではよかったが。
 テーブルを挟んで座る高嶺さんを前に、俺は早くも頭を抱えたくなってしまっていた。
 もうさっさと会話を切り上げて外を見続けてしまいたい、なんだこの苦しすぎる空間は。
 優し気な笑みを浮かべる彼女、対して愛想よくする仕方も分からないままに不器用なアプローチを繰り返す。
 しかも原因は俺だというのがもう辛すぎるし、自分から会話を続けておいて何も出来ないとは無様にも程があった。
 それでいて耐えきれず、景色に視線を外すとはもはや何事だ……
 
「っ、ふふっ」


 と、そこで不意に高嶺さんが笑う。
 面白いことをした覚えもないので驚いて振り向くと、彼女は首を振りこう言った。

「あっ、ごめんなさい。もしかして話すの苦手なのかなーって思って」

「え?あぁ……まぁ、苦手な方ですね。友達とかならともかく、初めて会う人とかはもう全然」


 自嘲気味に笑い首を振りながら答えたその問いは、一見して非難。
 しかし間違いなく俺にとってプラスだった。
 もとより自信が無いと自覚しているし、その上否定的な言葉となると妙に饒舌になれるからだ。
 それに否定し慣れているからなのか、心の中に少しずつ積もる以外の目立った悲壮感も漂わない。
 いや、だが聞かされる方は不幸自慢はつまらないか……?

「あ、分かります。実はその、私もあんまり得意じゃなくって……」

「えっ?でも何というか、得意そうに見えますけど」


 と、衝撃の事実。
 彼女も話すのが得意ではないらしい。
 え、ではその場合俺はどうなるのだろう。
 彼女が話すのがそうだというのなら、俺など誰にも話しかけられないレベルではないか?
 いや、それも確かに割と事実ではある気がするが。 

「そんなことないです、ダメダメですよ。さっきだって上手く繋げられなかったですし」
 
「いや、あれは俺が悪かっただけで」

「そうですか?んー、でも、そうなのかなぁ?」

「ですよ、多分。だって電車の中では話しかけてきてくれたじゃないですか」

「あー。あれは話しかけても大丈夫そうだって思ったので」

「え?俺がですか?あの、正直言って不愛想だったと思うんですけど」

「それはその、ですねぇ」  


 等と思いながらもそれなりに会話が弾んできた所で、ついそう言ってしまい、瞬間彼女がふんわりと笑った。
 だが俺には多少苦笑いの成分が入っているように思え、それが失敗だったと改めて悟る。
 しかしこればかりはどうしようもなかった。
 それがもしかしたら会話の空気を悪くするかもしれないと後から分かったとしても、流れの中では止められない。 

「ふふ、まぁ。でも、そんな風に不愛想だったって思える人だから何となくそう思ったっていうか。言っちゃえば、勘、っていうのかな」 

「へ、へぇ……分かるものなんです?」


 そう後悔しかけたその時、彼女が何でもない事のように言う。
 ……凄まじいな、とその一言だった。
 勘、ただ何となく。 
 たったそれだけを根拠に一人で窓の外を見る俺に話しかける、それは簡単に出来るものではないだろうに。

「分かりますよ、それに、不愛想でも不機嫌そうではなさそうでしたし。何だかんだ楽しみにしてるっていうか。じゃあ話しかけてみようかなーって」

「は、はぁ……」

「はい、そしたら楽しいって返してくれて。だったら大丈夫かなーって」


 等と感心する間にも、彼女はどんどんと話し進めていく。
 しかし対面で、目は合わせられずとも顔をつき合わせているというのにその言葉は、俺の耳にはあまり入っては来ていなかった。
 最初の勇気も勘に従う行動力も多少は気にしない胆力も、それに洞察力まで高いという彼女の実態に正直驚いていたからだ。
 というのも確かに俺は電車の中で、不愛想ではあったが外の景色に少なからず楽しくはなっていた。
 それを感じ取ったとは、とそこまで考えてふと思う。
 さっきは勘と言ったが……もしかしたら目の前の彼女はそれらすべてを感じ取り、その感覚をただ勘、と言っただけなのかもしれない。
 そう思ったからだろう。

「すごいな……」 

 ぽつり、と漏れる。
 素直な感情だった。
 
「それで、へっ?え?」

 
 だが正直、失敗だろう。
 反応した彼女が高い声を小さく上げ、こちらを見つめてきた。
 ほんの僅かに跳ねた体やその顔の丸くなっている二つの瞳を見るに、相当驚くべき言葉だったらしい。
 ……いやむしろ。
 話すうちに段々とついてきた勢いに差し込まれる形ですごいなどと言われて驚かない方が珍しいか。
 ともあれ、困ってしまう。
 彼女が楽しく話を続けてくれたからこそ相槌を打つだけでも会話が成立していたところを、まさか事故とはいえ主導権を奪ってしまうとは。
 こちらからの会話などネタもなければユーモアもないで、続けられた物ではないというのに。

「ん、あぁいや。そんな風に思えるなんてすごいなーと」
 
 
 等と。
 いつもなら思い悩むはずだったが。
 何故か今回はごくごく自然にそう返していた。
 理由などわからないがしかし、今の俺は本当にどういうわけか、微笑みすら浮かべながらつっかえることもなく賞賛を口にしていたのだ。
 普段なら恥ずかしいやらわざとらしいと思うやらで素直には伝えられないのに。
 どうしたことだ、と戸惑う俺だったが……

「えぇ?そんなことないですけど……あ、でも、褒められたなら素直に受け取っておいた方がいいですよね。ありがとうございますー」

「あ、あぁどうも……どういたしまして?」


 幸いにも、答えはすぐに分かった。
 どこか天然なものを感じる彼女の柔和さに、それがあった。
 感覚だから言いようがないそれをどうにか一言にすれば、彼女になら大丈夫だと思った、とでもいうのか。
 何事をも受け入れるなどと表すと大げさだが、ともかく俺は、この人相手であれば多少くらい言っても良いと思ったらしかった。
 
「あ、そういえば」

「んぇ、なんです?」


 という分析をしていると突如、彼女は微笑み小首を傾げる。
 そのせい、というと言い訳だが、実際に返事が妙になってしまう。
 といっても、何も思考中に話しかけられたからだとかはそう重要ではなかった。
 大体流石に俺も目の前に人がいる状況で、言葉が変になるほど考え込むことはしない。
 だからこれは言うなれば彼女の仕草がそう、妙に色っぽいというか魅力的……等とは多少キザだが。 
 ともかく、出掛かりの言葉が変になったのにはそれの影響が強かった。
 そんな風な戸惑いは自分でも分かるくらいだったからだろう、高嶺さんは一瞬不思議そうな顔をして。

「えっと……あぁいや、先輩と何を話してたのかなって」


 しかし直後、何事も無かったかのようにそう続ける。
 気を遣ってくれたのか大したことじゃなさそうと思ったかは分からないが、とにかく深く触れられなくてよかった。
 自分でもよく分からないものだ、説明は難儀だっただろう。
 等と考えながら質問に返事をしかけ

「あぁ、それは……ええと」


 止める。
 危ない危ない。
 気負わない様子を見るに恐らく興味本位の質問だろうが、しかし、あなたと仲良くするようにと言われましたというのもアレだろう。
 となるとどう言ったものか。

「あぁえっと……パートナーと仲良くねーとか、そんな感じのことを言われましたね」


 等と言葉を吟味して会話を切りたくはないな。
 そう思った俺は、いっそ適当にと肝心な部分だけを誤魔化して返す。
 次の言葉を出すまでが長くなって困られたことがある、その経験を活かしたといえばそうなるだろう。
 しかし言ってみればやはり、彼女との会話に興味を引かれているらしかった。
 というのも、普段それを意識することはあれど実際にどうにかしようと出来たことはない。

「あ、確かに。大事ですよね、そういうの」


 と、彼女が笑みを深くした。
 何がそんなに嬉しいのかと疑問に思い、いやそれが普通なのだと思い直す。
 誰であれ……自分でさえ今そうであるように、積極的にコミュニケーションを取りに来てもらえるのは嬉しいものだろう。
 もちろん悪意がないのが前提ではあるが。

「ですね……」

 
 そう考えながら相槌を打つ、行動としてはそうなるだろう。
 だが実際は、ただ言葉が止まってしまっただけだった。
 というのも部長、冴木さんの手招きが見えたのだ。
 流石にそれ以上そちらに意識を向けるのは失礼とも思うが、どうしても気になるものは気になってしまった。

「ですです、ってあれ?部長?」
 
 
 と、高嶺さんも気づいたらしい。 
 こそこそと気にする必要がなくなったのは良いが、しかし話もこれで終わりか。 
 高嶺さんの性格からして手伝いに行くだろう。
 楽しかったから残念だが、責めるのは筋違いにも程がある。

「ん。あぁ、みたいですね。あれは……バーベキュー用か。確か焼くもの持ってくるようにって言ってましたし」


 そう考えながら俺は言い、部長のいる方に顔を向けた。
 方向は俺と高嶺さんから丁度真横、見ればその足下には言葉の通りバーベキューに使う道具の一式。
 後は炭を入れたり火をつけたりして網やら鉄板を乗せる、名前は思いつかないのであのアレとしか言いようのない、ソレがあった。
 しかし本当に何というのだろうか、あの、アレは。 

「っと、呼ばれてるなら行かなきゃ。……あっ!あ、そうだあの、えっと……」

「……?」

 
 等々考える俺とは対照的に高嶺さんはすぐ立ち上がる。
 こういう行動については早いようだ。
 と思っていると少しばかり歩き出した辺りで彼女は何故か振り返り、困ったように視線をさまよわせた。
 一体、何を?何か言いたいことでもあるのだろうか?

「名前……なんていうんでしたっけ」

「……?」

 
 等と無駄に深刻に考えていたからだろう。
 その穏やかな他愛のない質問に俺はまさしく、え?という他ないトボケ顔で返してしまっていた。
 しかも無言だ。

「えと、あの……」

 対して、彼女が申し訳なさそうに視線を逸らす。
 何を言っているんだという威圧にもとれるだろうそれを、故意ではないとはいえこれは……

「え、あぁいやその、違って……と、戸塚。戸塚雄(とつか ゆう)、です」


 と。
 考えそうになる頭を咄嗟に軽く振って止め、名前を告げる。
 焦りからだろう、それは何とも無様な言い方になったが。

「……!はい!えっと、じゃあ!私は、高嶺……高嶺翼(たかみね つばさ)です!よろしくお願いしますねっ!」

「あ、あぁどうも……こちらこそ、よろしくお願いします……」


 ぱあぁっと。
 そう表現できる表情の変化に実際に出会ったのは初めてだったが、とにかく、この場は上手くいったらしかった。
 それにしても元気な返事だ。
 突然の輝くような笑顔も相まってつい、語尾が尻すぼみになってしまう。

「あっ、えっと、じゃあ私先輩の手伝いしてきます!」

 
 そんな俺をよそに高嶺さんは元気にそう言うと、部長の方へと走っていった。
 不思議に思われたかはともかくとして、少なくとも指摘や追求をさけられたのだからこれは幸運でいいだろう。
 ……しかしながら、まあ。

「……」


 その、黒髪が揺れるすらりとした背中を見つめる。
 彼女は外面とは裏腹に人懐っこく気遣いも出来るらしい。
 というのは前にも考えたような、そう思いながら俺も席を立つ。
 目的はもちろん、高嶺さんや部長達を手伝う事だ。
 当初の予定通り本を読んでいたい気持ちがなかったでもないが、手招きを見た以上手伝わないわけにも行くまい。
 経験がないわけでもない程度とはいえ、指示をされれば多少は役に立てるだろう。

「……ふ」


 と、そこでつい笑みの吐息が鼻から漏れる。
 これなら別にさっき残念がる必要も特に無かったかもしれないな。
 それに。
 俺はやはり、高嶺さんともっと話したいと思っているらしい。
 部長とはさっさと話を切り上げたいと思っておきながら、何ともわがままだと自嘲気味な笑いがまた漏れるが。

「……ふふ」

 まあいいか、とここは片づける。
 パートナーに迷惑をかけることではないのだし、この合宿の間だけかもしれない会話をそれなりに楽しむくらい、罰が当たることもないだろう。
 ……強制参加も捨てたものではないな。
 等とは流石に思えなかったがしかし、踏み出す足取りは既に重くはない。
 少なくとも電車の時よりは遙かにいい気分だった。


17/07/22 17:01更新 / GARU
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