連載小説
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TAKE3 乳牛は恋焦がれる
「よっしゃカットォー!」
「ういーっ!」
「っふー……」
「終わった〜」
「つっかれたー」
「やりきったぜィ」
「兄貴お疲れッスー!」


 特撮番組『呪卍』の撮影は順調に進んでいた。
 毎回のエピソードは中堅程度の安定した視聴率を維持し続け、関係者の不祥事などといった騒動もなければ撮影現場での死人怪我人も皆無と、劇中での重苦しさや血生臭さとは打って変わって第四の壁の向こう側は平穏そのものであった。



「時に氷室よォ」
「なんだ武田ァ」
 駅前の居酒屋。向かい合って酒を呑み交わすのは『呪卍』で監督を勤める武田と脚本家の氷室であった。
「オメー、近頃の『呪卍』だがよー」
「なんだぁ、俺の筋書きに文句でもあんのか? だったら撮る前に言えコノヤロウ」
「ちげーよ、話は最後まで聞けや。別にオメーに文句言おうってんじゃねぇよ。ただ、いい感じに上手く行ってんなっつーさ」
「……なんでぇ、そんなことかよ」
「ちょ、そんなことってオメーなぁ」
「そんなことだろうがよ。面子が隅々まで精鋭なんだぜ、これで微塵も上手く行かねぇ世界なら滅んじまえってんだ」
「オイオイ、アホが聞いたら秒で燃えそうな台詞じゃねぇか」
「酒入ってっからな。イグニスよろしく火ィ噴ける自信あるぜ」
「口から火ってなるとドラゴンだと思うが……まあ、いいか。
 でだよ氷室、俺ァちっと思うんだがな」
「……やめといた方がいいんじゃねぇか?」
「まだ何も言ってねーだろ」
「お前の思いつきだ、どうせロクなもんじゃねぇ。
 昔からだろうが、上手く行ってる時に限ってお前が余計な思いつきで調子こいて地獄見んのは」
「……あー、まあ……それ言われると何も言い返せねぇんだが、まあ一応そこまでやべぇ思いつきじゃねぇから、多分」
「多分かよ……で、その思いつきってのは?」
「おう、実を言うとな――」





「――というわけで、私としては本格的な副業にするよりあくまで趣味か道楽程度の運営が適切かなと思うのよ」
 朝方。さる喫茶店で食事しつつ熱弁を振るうのは、お馴染みギルタブリルの砂川克己。
 ともすれば対面に座って話を聞いているのは当然ホルスタウロスの小田井真希奈である……のだが、
「――〜〜………」
 見ての通りというかお察しの通りというか、どうにも様子がおかしかった。
 手は食器から離れ、肩からは力が抜け、表情は明らかに上の空。心此処に非ず、魂が抜け出ているかのような。
 さりとて心身ともに不健康な様子はなく、寧ろ健康的。
 例えるならば暖かな春の日に日光浴でもしているかのような……ともあれ、マネージャーの話など耳に入っていないのは明らかである。
「でも案自体は悪くないとも思ってるの。活動を通して技術を身につけられるなら一種の職業訓練みたいなものだし、いつの時代も一つに尖るより幾らか多芸な方が有利でしょ?」
 加えて克己も克己であり、話に夢中になる余り目の前の女優が自分の話を聞いていないことに気付けていない。
「ただそうなると、言うまでもなく当然時間や労力の問題が出てくるわ。よく『休みのない業種』なんて言われるし、無理して身体を壊す人も多いらしいのね? だから本格的な副業として稼ぐ方向でやるのはちょっとどうなのよ、と。
 まあ私はそう思うわけだけど、マッキーとしてはどうかしら?」
 その問い掛けに答えが帰ってくることはなく、そこで克己は漸く何かがおかしいと察したらしい。
「……マッキー? 聞いて――、……」
 視線を向けたマネージャーは、女優の様子が明らかに変であると改めて認識する。真面目な彼女のことだから故意ではないのだろうが、だとしても許されることではない。
「ちょっと、マッキー? 大丈夫ー? どうしたのー?」
 声をかけてみるが、反応はない。
「マッキー!」
 席を立ち、耳元で比較的大きめの声を出す。だがやはり反応はない。
「……何としてでも起こさないと」
 この後もまだ仕事がある以上このままというわけにもいかず、克己はありとあらゆる方法で真希奈を叩き起こそうとする。だが何れの作戦も悉く失敗し、真希奈はびくともしない。
(……こうなったらもう、アレしかないわね)
 幸いにも今は自分たち以外に客がいない。無論店員はいるわけだが、背に腹は替えられない。
 意を決した克己はゆっくりと真希奈の背後に回り込む。そして彼女の腰にひっそりと手を這わせ、

 尻尾の付け根を二本の指でくにっ、と挟み込む。
 それは克己しか知らない真希奈の"弱点"の一つ。


「ぴっ!?」

 刹那、魂が抜け出たようにぼーっとしていた真希奈は一気で現実に引き戻される。

「へ、はひ!? あっ、えぅっ!?」
 唐突な出来事に混乱し、顔を赤らめながら取り乱す真希奈。その慌てようたるや尋常ではなく、動く度に一メートル超えの爆乳がぶるんぶるんと不規則に揺れ動く。
「えっ、あ、え!? あ、あの、スーさん! わた、私なに、えっ!?」
 流石にやり過ぎたか。己の行動を若干悔いた克己であったが、然しこうでもしなければ彼女はずっと"戻って来られない"ままだっただろう。
「おはよう……って言っていいのかしらね。ともかく落ち着きなさい。話はそれからよ」

 程なくして何とか落ち着きを取り戻した真希奈であったが、その顔は未だ赤いままだった。




「……さっきはすみませんでした。大事な話だったのに、聞けてなくて……」
「ま、仕方ないでしょ。それに私も私だしおあいこよ。
 でもどうしたの? 仕事中にあんなぼーっとするなんてマッキーらしくないじゃない」
 特撮誌の取材を終え、テレビ局の楽屋にて昼食。
 次の仕事の資料に目を通しながら、克己は真希奈に問う。彼女は適度に真面目で若干ストイック気味な性格だ。仕事に対する姿勢は真剣そのもので、自己管理はしっかりこなす方である。
 だというのにあんな姿を見せるとなれば、余程の事情があるに違いない。そう思っての質問だったが……
「えっ? あぁー、その……個人的に、少し……と言ってもほんと、大したことじゃないですから」
 曖昧でハッキリしない、ぼかすような言い方。明らかに何か"大したこと"を隠しているのは明らかだ。
(問題は何を隠してるのか、だけど……)
 克己は考察する。
 先程の様子からして過労や悪意に苦しんでいるわけではないだろう。同じ理由から疾病もあり得まい。ともすれば――といった具合に思考を巡らせ、果てに至った結論は……

「ねえマッキー、好きな人でもできた?」
「ッ゛ン゛!?」

 流れを無視した予想外の発言。噴き出しそうな所を必死で耐えた真希奈は、慌てて口の中のものを咀嚼、嚥下する。

「なっ、ななっ、ちょまっっ、スーさん、いきなり何言ってるんですか!?
 す、すすすすす好きな人なんてそそそそそそんなのできるわけないじゃないですかっ!」
 顔は赤く、目も泳いでいる。どうやら図星だったようだ。
「できるわけないって断言することないじゃない?」
「いやいやいやいやいやいやいやあり得ないでしょそんなっ! そんなあり得ないですって!
 やそりゃまあ、まあね? まぁ〜そのぉ〜カッコいいし優しいし頼りになるしイケメンで紳士なのに野性味溢れる所とかミステリアスな所も結構ドキドキしますけどでもほら私程度じゃ釣り合わないかなっていうかぁ〜?」
 あり得ないと否定しておきながら、特定の誰かに好意を抱いていることを自らバラしているような発言である。
「へぇ、そうなの……」
「へぁはい、そうなんですよ! だからそんなね、誰かに片思い中とかまあそういうわけではなくてですね!」
「そう……で、お相手は誰? 今の現場にいる子? それとも一般人?」
 言われた真希奈の顔面は余計に熱を帯びていく。それこそギルタブリルの毒を受けた人間男性の如くに。
「ちょまっ、だからぁ! スーさん話聞いてましたぁ!? 私さっき好きな人ができるなんてあり得ないって言いましたよね!?」
「あり得ない、の直後に『特定個人で好きな人いるけど自分じゃ釣り合わなさそうで自信ない』って全力で言ってたじゃないの」
「いいいいいいいいい言ってましたけどどももももももももそれはそのなんというかこうあれというかほらほらほらぁ〜っ釣り合わないから諦めるつもり〜ぐらいの意味合いなわけですよ! だからほら実質的に好きな人居ないみたいなそういうアレじゃないですかほら!」
「いやぁ〜そうはならないでしょ。諦めるつもりとか関係ないわよ」
「〜〜っっっ!」
「そもそもマッキー、あなた前にSHAL紋で言ってたわよね?
『独身は空しい。お互い彼氏ができるように頑張ろう』って……あれは嘘だったの?」
「うっ……それは、嘘じゃない……ですけど……」
「じゃあなんで諦めるの? 釣り合わないから? 告白もせずに?
 そりゃ、私はまだ詳細知らないから本来あんまりあれこれ言う権利はないかもしれないけど、前もってあそこまで言っておいていざ実際好きな人ができたら釣り合わないから諦めるって、それはちょっとおかしいんじゃないの?」
「……そう、でしょうか」
「そうよ。一人で踏ん切り付かないっていうなら抱え込んでないで相談すればいいじゃない、私にっ。こういう時相談しないで何のためのマネージャーよ」
「いいんですか、相談しても……」
「いいに決まってるわ。寧ろもっと頼って欲しいくらいよ。で、マッキーの好きな人って誰なの?」
「言わなきゃいけ……ません、よね」
「無理にとは言わないけどね」
「いえ、今ここで言います。実は――」




「居たわ、あそこよーっ!」
「キヒヒッ! 今度こそ逃がさネーゼッ!」
「捕まえてやるですーっ!」

 白昼の繁華街を、大勢の魔物たちが駆け抜けていく。
 それぞれ種族はバラバラだったが、何れも小柄で子供のような容姿をしている。

 周囲の迷惑も顧みず全速力で進み続ける彼女らの視線の先には、怪しげな一人の男。
 スーツ姿ながら、顔をミリタリーめいたフルフェイスマスクで覆い隠したその男は、背後から飛来する様々な飛び道具を的確に避けつつ、モノを壊したりヒトを傷つけたりしないよう配慮しながら逃げ続ける。
 その動きはまさに華麗の一言。駆けるも飛ぶもただ力任せ、進行方向に何があり誰が居ようとお構いなしの魔物たちとは対照的に、流れるような無駄のない動作で入り組んだ繁華街の中を逃げ回る。
「待、ち、な、さぁぁぁぁぁいっ!」
「今日こそは貴方を捕まえて私たちの良さを叩きこんでやるのですーっ!」
「ツルペタロリボディの素晴らしさを知レーッ!」
 背後から飛んでくる声は全て雑音と割り切り、耳を傾けずただ逃げる。
 もし仮にこちらから手を出そうものなら、どんな面倒なことになるかわかったものではない。
 といって、奴らに従うつもりも毛頭ない。ならば最適解は、逃走あるのみ。それが男の導き出した結論だった。
(やれやれ、こんな連中の所為で苦労する羽目になるとは……あのお二人も気の毒ったらないな)
 効率的な逃げ道を探りながら、男は内心思案する。



(いかんな、道を間違えたか)
 男は図らずも行き止まりに迷い込んでしまっていた。
 左右と前方には何れもビルや壁が聳え立ち、残る後方からはあの魔族たちが迫っている。
「フフフ……追い詰めたわよっ!」
「大人しくするのですぅ」
「ギヒィ……大人しくしてりゃ悪いようにはしネーゼェ?」
「そうそう、あんたは私達に身を任せてればいいの」
「ウチらが最高に気持ちよくシてあげるよ、お兄ちゃんっ」

 追手の魔物たちは、あれから目に見えて数を減らしていた。
 迷子になる、水路に落ちる、骨折する、電柱に激突する、電線に引っ掛かる、寄り道したまま勝手に離脱する、変質者に捕まるなど要因は様々であったが(死人は出ていない)、二十人以上いた魔物たちの内、男を追い詰めたのは僅か数人という有り様であった。
「……」
 男は何も喋らずに、静かに壁と向かい合う。
 背後では魔物たちが尚も口々に言ってくるが、気にせず足に力を込め――跳ぶ。

「なっ!?」「はぇ!?」「イッ!?」「嘘っ!?」「ええっ!?」

 重力を無視した垂直方向への跳躍は、魔物たちの度肝を抜いた。すかさず上空に待機していたハーピーとワーバットが迎撃に向かうも、男は空中とは思いがたい身のこなしで二者の隙間をすり抜けてしまう。
 上空の二名は慌てて男を追う。
 時を同じくして、地上で待ち構える五名は思った。あの角度からして男がビルを飛び越えて向こう側へ一気に移動する可能性は低い。十中八九屋上に着地しなければならないだろう。ならばその隙をついて一網打尽にすればいいだけの話だ。
(あいつを捕まえて"お兄ちゃん"にすればあのババアとモヤシには大打撃……そこから一気に奴らを突き崩せば上も私たちを認めざるをえなくなるわ!)
 リーダー格のファミリアは勝利を確信していた……が、直後にスマートフォンへ届いた『奴が消えた。取り逃がした。探しても見付からない』というワーバットからのメッセージにより彼女の野望は脆くも崩れ去った。
「な、ど、どうして……どうしてこうなるのっ……」
「はわわわわっ! り、リーダーっ!? しっかりしてくださいーっ!」
 がくり、とた折れ込んだファミリアは、妹分の魔女に支えられながら何とか立ち上がる。
 ああ、作戦失敗か。今回も派手に暴れたからどうせ捕まるだろう。そうしたらまたあの地獄に逆戻りだ。絶望的な状況を思い浮かべたファミリアは、そのまま意識を失った。



「もう大丈夫だろう。というか、顔を隠していても見付かったんだし意味はない、な」
 暗く狭い路地裏。先程までファミリアたちから逃げていた件の男は、安堵したようにマスクを取る。
「まあ、逆に考えるなら『重装備で外出しなくてもいい』わけだが……」
 少し考えて『結局こじつけだな』とマスクを手にぼやくのは、男優の得刃リン――本名、志賀雄喜――であった。汗ばむ顔をタオルで拭った彼は、早速上司への報告を試みる。
『もしもし』
「ボス、お疲れ様です。志賀です。今お電話大丈夫ですか?」
『うむ、大丈夫じゃが……どうした、息が荒いぞ?』
「すみません、実はつい先ほど"奴ら"の襲撃を受けていました。検証は失敗です」
『なんと!? ええい、詳細はちいと待たれよ、今スピーカーにするでの……兄上っ、兄上ぇ! 一大事じゃ! 志賀が襲われた!』
『なんだって? ということはさっきのニュースは……』
 彗星の言葉を聞いた雄喜は、先程の騒ぎが早くもどこかで報道されたのだと察した。



 さて、読者諸兄姉を置き去りにしたまま物語を展開するのも躊躇われるのでそろそろ解説をさせて頂こうかと思う。
 そもそも、先程繁華街で雄喜を追い回していた"奴ら"とは『FFC団』なる魔物の集団である。
 構成員は全員がサバト管轄下の魔物学校に在籍する所謂不良であり、素行の悪さや規則違反などで罰せられたのを逆恨みして団結。当初はただの不良グループでしかなかったが、程なくして『全ての女は幼児体型であり、また全ての男はロリコンであるべき。その他は滅ぶべき害悪である』という主張を掲げ『FFC団』を名乗り始める。
 団体名は『ファナティック(狂信的)・フラット(平坦)・チェスト(胸)』の略であり、当人たちは『世界をロリとロリコンで統一する』と豪語して憚らないが、実際にやっていることは窃盗や暴行、猥褻行為などのちっぽけな――ただ、魔物の力が合わさり時に甚大な被害をもたらすこともある――悪事ばかり。要するにその辺の暴走族チームと大差はない。そもそもサバトの理念とは『幼体の魅力を説き広めること』でこそあれ、万人に自分たちの価値観を強いて個々の自由を封殺することなどでは断じてなく、FFC団の思想は的外れと言わざるを得ない。
 しかも現行の魔物に関する法規はかなり未発達で粗だらけなため、FFC団の面々は仮に逮捕されてもサバト管轄下の更生施設に収容され半年程度で何事もなく自由の身となって復帰できる(ただ施設内での生活は控え目に言って地獄なので制裁として無意味というわけではない)。
 更に未発達な法の弊害はこれに留まらず、FFC団を始め逮捕された魔物学校の生徒は施設送り以外に制裁らしい制裁を受けることはなく学校の籍も外れないため、脱退者は出るもののFFC団そのものはかれこれ十年以上もの間存続しているのだった。


「発言や挙動から知性が感じられないのは相変わらずのようで……こう言っては何ですが、本当にあんなものがボスの元教え子なのかと度々思いましたよ」
『何も悪うないぞ。儂自身たまに自分が教師じゃったという過去を消したくなるくらいじゃからの。まあそれを言うと兄上に怒られるし、儂を慕うてくれとった者どもにも悪いんで本気では言わんが』
『冗談でも言うなよ……』

 そう、FFC団――厳密にはその中でも黎明期のメンバー――は、嘗て教師であった朱角の教え子だったのである。
 当時まだ新米の朱角は、ある年に初めてクラスの担任を受け持つことになった。
 そのクラスに所属していたのが、後にFFC団を結成する児童たち、ファミリアのプロシオン、魔女のバイリスカリス、レッドキャップのアチャティナであった。
 以上三名とその取り巻きらは何れも不良として悪名高く、近寄ろうとする者さえ居なかったが『教職とは子を敬い尊ぶべき』との考えを持っていた朱角は彼女らに敢えて手を差し伸べ更生させようとした。
 然し児童らはその手を疎まし気に払い除け、逆に朱角を退職に追い込もうとした。それでも朱角は諦めず尽力したが、努力も空しく不良たちはFFC団を名乗り罪を重ね更生施設送りとなってしまう。
 加えて同団体の悪行が原因で不登校や休職に追い込まれた児童や職員がいることを知った朱角は、責任を取る形で退職。精神苦から転職する気にもなれず自殺を考えていた所を偶然通りがかった彗星に引き留められ、その後紆余曲折を経て芸能事務所設立に至るのだが、それはまた別の話。

 ところで、ここまで読み進めた読者諸兄姉の幾人かは疑問に思われるのではないだろうか。
『何故FFC団が得刃リン(志賀雄喜)を白昼堂々追い回しているのか?』と。
 その答えは、FFC団の存在同様実にくだらないものであった。

『……それにしても悪質だな。助けようとした筈の朱角を逆恨みした挙句、部下である雄喜君を狙うなんてっ』
『全くじゃ。儂と直にやり合えばよいものを……粗方、志賀の身体と精が目当てなんじゃろうが……』
「……想像しただけで寒気がしますね」

 これである。
 ある時、なぜか朱角を逆恨みしたFFC団は彼女への報復を企てる。
 魔物たちは様々に策を弄したが、何れもが悉く失敗。然し尚も諦めなかったFFC団が最終的に辿り着いたのが、朱角の部下である雄喜を誘惑・洗脳し手駒にするという作戦だった。
 これが成功すれば、高い身体能力と上質な精を持つ男前の奴隷が手に入り、朱角を『堕落した変態ロリコン俳優の上司』として貶めつつ、売名もできる……と、そう考えてのことであった。

『改めて考えると実に厄介だな。当然、雄喜君に不祥事なんてあってはならない……』
「ええ、そうでなくても僕は性欲が刺激され過ぎると色々危ういタイプですからね……」
『そうだ。だからオーマガトキプロダクションとしてはFFC団を排除したい……が、魔物の法的な扱いは未だ曖昧な部分も多く、支持率低迷を恐れてか政府は魔物の犯罪者へ重刑を下すことに躊躇っている。よって僕ら側から何かするわけにはいかない……』
『下手に手を出せばこちらが罪に問われる可能性すらあるからの……納得できん話じゃが』
 ともすれば雄喜に残された選択肢は精々必死で逃げ隠れして撹乱する程度しかない。更には魅了・誘惑能力を持つファミリアが所属している以上、FFC団と接触してしまえばそのまま一巻の終わり、連中の思う壺という可能性もあるわけだが……
『然し不幸中の幸いか、志賀はサバト魔物による誘惑への強固な耐性を持ち合わせておる……バフォメットとしては、その……い、些か複雑な気分では、あるがのぅっ』
『厳密には違うけど、ほぼそう言っても遜色ないからなぁ……ほら、涙拭きなよ』
『な、泣いてなどおらぬわっ!』
「……なんかすみません」
『謝るでない! む、寧ろ……寧ろ儂はっ、お主をそのように在るべく仕向けたかの者共に感謝すらしておるのじゃからなっ!?
 き、既婚者であるこの儂に、欲情でもされたらたまらんからのっ!
 た、ただでさえっ!? 志賀はぁ! 性欲ゥ! 抑えておかねばっ、ならぬ男じゃしぃー!?』
(滅茶苦茶涙声じゃないか……)


 雄喜の持つ『サバト魔物による誘惑への耐性』とは、厳密には『体型や年齢などが特定条件を満たす異性にしか欲情しない』というものであった。要するに背が低い、体重が軽い、起伏に乏しい体型であるなどの諸条件から幼児体型であると定義される異性には決して欲情し得ないのである。
 当人にも元から自覚はあったらしく、彼曰く『自分の嘗ての立場を考えれば当然のこと』だという。



『そ、そうじゃ! 志賀の耐性と言えば、一体どのようなもんなのかと試したことがあったわのぅ!』
『もう止せ朱角っ、雄喜君の耐性の話は終わりにしよう!?』
『ならぬ! 終わるかっ……この程度でっ……! ……のう志賀ァ、規模のでかい実験をしたことがあったわのぅ!?』
「え、ええ、やりましたね。外部からも大勢協力して頂いたのを覚えてますよ」
 唐突に話を振られ、雄喜は嘗て行った検証実験のことを思い出していた。
「確か『クズリ』の円盤が出た頃でしたっけ、僕の性癖を見極める為と言ってボスとチーフが主催して下さいましたよね」
『うむ、そうじゃ! お主は何としてもハニトラの類から守る必要があったからのぅ! 確かあん時は脳やら精神やらの専門家を十人、民間人を種や性別問わず五十人ほど集めたんじゃったか!』
『当初は専門家三人くらいでやるつもりだったのに、朱角がイベントにしようってSNSで内容隠して宣伝したら参加希望者が続出したんだよねぇ』

 実験は『専門家立ち会いの元、呼び集めた女を雄喜に近寄らせ、彼の身体と心がどう反応するかのデータを取っていく』『専門家が作成した心理テストで雄喜の細かな性癖を暴いていく』というものであった。
 半日程で終了となった実験の結果……
・同性と所謂幼児体型の女にはまるで欲情しない。
・大人びた色気のある、比較的体格に恵まれた巨乳の女に対しかなり積極的に欲情する。
・サディズムとマゾヒズムの比率はほぼ等しく拮抗状態。
・殊更特殊な性癖は見受けられない。
……という雄喜の性癖が明らかになった。

『中々に予想外の結果が出たからのぅ。本件が表沙汰になれば面倒な事になると踏んだ儂は、外からの参加者に記憶処理魔法を施し騒動を未然に収束させたわけじゃが』
『そうするつもりなら最初から外部の人間招くなよ……』
『いやぁ、ワチャワチャしとった方が楽しいかと思うての?』
(なんなんだその理由……)

 その後雄喜は上司らと適当に話し込み、通話を切った。

「……一旦事務所に戻るか」
 いつまでも路地裏に籠っている必要もないだろう。そう思った雄喜は、垂直の壁面を道具もなく軽々とよじ登っていく。
「さて、事務所の方角は……あっちか」
 屋上から進むべき方角を見定めた雄喜は、猿か猫の如き軽快な動きで屋根から屋根へ跳び移っていく。
(野良猫になった気分だな)

 結果、雄喜が事務所にたどり着いたのは通話を終えてから僅か五分後のことであった。
21/07/30 20:44更新 / 蠱毒成長中
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