連載小説
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TAKE2 それぞれの日常
「ほんともう、ある意味地獄の苦しみですよ……」
「つらいわよねー。魔物ってそういうものだから仕方ないとはいえ」

 洋菓子店『SHAL紋』屋外のイートインスペース。
 向かい合った状態でパフェをつつく真希奈と克己の表情は、甘味を前にした若い女にしては些か暗かった。
 だからと言って勿論、出されたものが予想外に不味かったとか、早くも満腹で地獄を見ているとかではない。
 ならば何が彼女らをそこまで悩ませているのかと言えば……

「得刃リン……恐ろしい男……!」
「冗談じゃないですよほんとに」

 男優、得刃リンその人に他ならず。
 より厳密には、魔物という生まれと公人という肩書きも原因ではあった。
 というのも……

「ほんっっともう、何なんですかあの人……いやあの人が悪いわけじゃありませんけど」
「故意じゃないっていうのが尚たち悪いわよね、誰も責めようがないし……」
「ですよー。顔いいし声いいし体格いいし性格いいし能力あるし何でもできるし、何より魔物的に美味しそうっていうのが……」
「あの精力はヤバいわよね……迸ってるものね……」

 要するに、共演者が理想の色男過ぎて理性を保つのが辛いというワケである。
 まずかの得刃リンという男、先程真希奈が述べた通りその気になれば顔出し俳優として通用するほどのルックスと演技力、独特な美声の持ち主である。
 また人格者で文武両道でもあることから『得刃リンがその気になれば業界の均衡が崩壊する』などという冗談も存在する(ただ本人は過度に目立つこと、派手に振る舞うことを好まず地味であろうと努力している)。
 加えて、真希奈と克己が言うようにリンは体内に上質な精を膨大に有していたことも二人にとっては向かい風であった。


 最早説明の必要もあるまいが、動物の雄が有する精のエネルギーは現魔王即位に際して変異した魔物、及び現魔王の同族にとって喉から手が出るほどに――種によっては実際喉から手を出してでも――欲しくてたまらない、魅力的な代物である。
 それは幾ら祖が禽獣虫魚であっても魔物たる以上例外ではなく、序でに言えば真希奈と克己の二人は揃って処女であることから精(性)への飢えは相当なものであった。
 そんな二人の側に、体表から溢れんばかりの精を内包する色男が立つなど……


「……地獄、ですよね」
「ええ、ある意味ではね。しかも周りの魔物に相談しても『なら襲えば?』の一点張りだし」
「ほんとそれですよ。そんな軽々しく襲えるんならとっくにそうしてるって話ですから」
「ねー。芸能はイメージ商売、『魔物だから』で人間より大目に見て貰えるとは言っても社会的地位には責任ってものが伴うんだからしっかりしてないといけないわけで」
「しかも相手は同業の売れっ子ですしー、下手に手を出して騒ぎにでもなったらどうなるか」
「言い方悪いけど、その辺で適当に暮らしてノリ任せに男とっ捕まえてゴールインが当たり前の魔物とはわけが違うのよね、私たち……」
「その言い方は大いに問題あると思いますけど、ほんとその通りなのが何とも……」
「ま、世の中には握手会に来たファンをそのまま頂いた挙句に後日住所特定して自宅でヤりまくって結婚までした二人組アイドルとかもいるけどねぇ〜」
「あー、CherryLovers……あの人たちは色々と規格外というか……」
「素直に頭おかしいって言っていいと思うわよ。二人どころか夫までサイコパス自称してるところあるし、ダークウェブで変なライブ配信してるって噂も聞くし」
「サイコパス自称はまだわかるにしてもダークウェブで配信って……」
「まあ噂だけどね。とにかくチェリラバの二人も当時は連日酷い有様だったじゃない?」
「でしたねー……二人はまるで気にしてないどころか、注目度が上がって寧ろ嬉しいとか言ってましたけど……常人だったら精神病んでますよねあれ」
「でしょ? だから私たちはくれぐれもあんなことにならないように気を付けていかなきゃいけないわけよ。
 といって、主にマッキーにばっかり苦労かけちゃうことになるわけだけど……」
「何言ってるんですか。普段からスーさんにはお世話になってますし、何よりマネージャーはタレントほどイメージ商売でもないんだから恋愛でも結婚でも自由にすればいいのに『抜け駆けはしたくない』って必死に我慢してくれてるじゃないですか。
 だったらもうお互い様でしょ。あの状況下で助け船出してくれなかったのは確かに不満でしたけど、この立ち位置そのものは甘んじて受け入れますよ」
「マッキー……」
「お互い頑張りましょう、スーさん。この仕事は好きですけど、だからって長い生涯独身なんて空しすぎますし」
「そうね……ええ、そうしましょう。まだ諦めるには早すぎるものね」

 かくしてお互いの絆を再認識した二人は卓上の甘味を片付け――ほぼ十割が真希奈の腹に収まった――足早に店を後にした。


 


「急ぐのじゃ兄上! 早う! 早う居間に! 始まってしまうぞ!」
「ああわかっている、わかっているさ。そりゃ今回は見逃せないもんな。然しこれでも全速力なんだよ許せ」
 さる廊下にて。
 線の細い青年の腕を引いては慌てた様子で急かすのは、小柄で黒褐色の長髪に朱色の角が特徴的なバフォメットであった。
 一方の青年――兄と呼ばれる以上バフォメットの夫であろう――は長身かつ細身に淡い金の短髪に青みがかった白い瞳と、絵に描いたような白人美男子といった風貌であったが、事故にでも遭ったか身体の各所には包帯やギプスが見受けられ、言葉通りゆっくり歩くのがやっとのようであった。
「というか腕を引っ張るな腕を! 腕から手を離せって! くっつきかけてる骨が外れるだろ!
……そもそもまだ十分もあるじゃないか、僕の部屋から居間まで二分もかかりゃしないってのに何をそう急ぐ必要がある?」
「ホームシアターのセッティングに間に合わんじゃろ!?」
「準備なら木戸川君なり都賀三原君なり誰かしらやってくれてるよ。というか君はホームシアターの準備できないだろ。操作知らないし背も足りないし」
「そんなことは儂が誰より理解しとるわい! できんからこそセッティング作業を見守り事前のワクワク感を楽しむんじゃろうがわからん奴じゃのう兄上は!」
(誰か助けてくれ……妻が何を言ってるかよくわからない……)


 結局ああだこうだと口論しながらも、二人は居間に辿り着く。


「ご機嫌よう諸君、儂じゃぞ」
「そして僕だよ」
 お決まりの挨拶をすれば、居間に集う面々が次々と挨拶をしてくる。
「ボス、チーフ。お待ちしておりました」
「もうそろそろ始まりますよ」
「おう、待たせたのぅ」
「ところで廊下騒がしかったですけど、何かあったんですか?」
「またチーフに無理言って困らせたんじゃないでしょうね?」
「いけませんよ、チーフ今怪我してんだから」
「ま、何にせよ座って下せぇ」
「ボスが音頭取ってくんなきゃ始まるもんも始まんないんですから」
 親しげに話しかけてくる部下らしき面々へバフォメットの"ボス"と夫の"チーフ"は言葉を返しながら席につく。
 そして辺りを見渡し、ふと異変に気付く。
 人数が足りないのだ。この場に居るべき者がいない。
 しかも、この場に集う他の誰よりも重要な人物が、である。

「おい肝心の奴がおらんではないか、どういうことじゃ!?」
「日野原君、事情を説明してくれるかな?」
 怒鳴る"ボス"に続いて"チーフ"が、端の方に座っていた日野原なる優男に問い掛ける。
「はいっ、18時50分頃に『少し遅れるかもしれませんが必ず間に合うよう戻ります』との連絡がありまして、以後何回かこちらからかけても『問題ありません』の一点張りでして」
「18時50分ンン〜!? もう19時22分ではないかっ!
 何故それを早うに言わんっ!? 間に合わんかったとしてお主責任取れるんかっ!」
「まあ落ち着けよ。然し報告しなかったのは問題だぞ日野原君……もし彼の身に何かあったら……まあ、彼なら心配はないと思うがね……」
「……その、ですね……大変申し上げ難いのですが、仕事や準備の合間を縫ってはボスへ本件についてご報告申し上げようとはしてみてまして……
 然し何度かけても『手が離せないから後にしろ』の一点張りでして……最後には電源まで切られてしまい……」
「ぬぐっ!?」
 日野原の言葉に"ボス"は思わず言い淀む。
 そう言えばあの時日野原から何度か電話がかかっていた気がするが、夫とのゲームに熱中していたので思わず切ってしまっていたのだった。
「……ああ、そういえばそうだったね。すまない、忘れていたよ。
 そういえば僕のスマホにもかかってきてたけど、出ようとしたらスマホを奪われて投げ捨てられたっけなぁ……」
 具体的な名前は出さないが、"チーフ"のスマートフォンを捨てたのが誰かは最早言うまでもない。
「ぬううううう……!」
 何も言い返せない"ボス"。日野原を含め彼女を咎める者は誰一人居なかったが、それが逆に辛い。
「まあ、そんなことはどうでもいいさ。僕の妻は夫を思いやる良妻だったが、少しばかり力加減を間違えた。ただそれだけのことだろう。
 それより問題は彼だ。もう26分……いよいよ危ないかもしれん」
「そ、そうじゃ! それもこれもあやつが行方不明なのが原因じゃからな!
 全くあの小僧と来たら、身の振り方には気を付けろと言うておるのに! どこ行ったんじゃ、しg―――

「すみません、遅れました」

 誤魔化すように喚き散らす"ボス"の言葉を遮って姿を表す、一人の男。
 彼こそはまさに、この場の誰もが待ち望んだ重要人物に他ならず。その名は……


「得刃さん、よくぞご無事でっ!」


 お察しの方はおられたであろうか、スーツアクター兼スタントマンの得刃リンその人であった。

「遅いぞ得刃――否、志賀よ! 遅れるならば連絡せんかっ!」
「君は連絡あってもろくに取り合わなかったろ。
 それはそうと……お帰り、雄喜君。大丈夫だったかい?」
「ボス、チーフ。ご心配おかけしてすみません、僕はこの通り何とか無事ですよ。予想外に苦戦を強いられましたがね」
 苦笑しつつ『得刃リン』こと本名『志賀雄喜』青年は着席する。
「まあ無事ならいいんじゃないかな。ところで苦戦ってことは、また奴らに?」
「ええ、絡まれました。しかも連中、繁華街のど真ん中で襲ってくるもんで……」
「ええい、そんな話は後じゃ後っ。もう27分じゃ、早う始めねば間に合わんぞ!」
「ああ、そうだね。木戸川君、機材はどうだい?」
「何時でもどうぞ! あとはボスの音頭待ちです!」
「うむ、よろしい。
 では皆の者っ、これより『呪卍 魔境盤死闘伝』リアルタイム視聴会を執り行う!木戸川、電源を!」
「はい!」
 かくして機材は動き出し、スクリーンにテレビ画面が写し出される。
 物々しい雰囲気の中、重厚な音楽が流れ、ナレーションが粗筋を語り『呪卍』は放送開始となる……


 得刃リンこと志賀雄喜。
 スーツアクターにしてスタントマンである彼は、ある芸能事務所に所属している。
 その名は『オーマガトキプロダクション』。
 逢魔ヶ刻という名の通り『人と魔の出逢う刻をクリエイティブに演出する』というキャッチフレーズを掲げる少数精鋭の株式会社であり、俳優や声優から歌手、絵描き、作家、お笑いタレントや写真家、技師や研究者に至るまであらゆるクリエイターや専門家を擁する。

 キャッチフレーズを体現するかの如く社員は大多数が魔物やインキュバスで構成される。
 そもそも"ボス"こと社長の柳沼朱角(やぎぬましゅかく)はバフォメット、朱角の夫である"チーフ"こと代表取締役の彗星(すいせい)はインキュバスと、トップの二人からして人間ではない。
 無論人間の社員も存在するにはするが、その殆どは所属から平均三年以内に人外化してしまうため今や人間の所属タレントはリン(雄喜)一人になっていた(タレントでない社員を含めれば一応複数いる)。

 トップ夫婦の性格もあってか社員同士の仲はかなり良く、社風はしばしば家族に例えられる。
 社員を会社に集め、所属タレントの出演作を全員で見る『視聴会』などのイベントを開催することも多いことから『遊んでばかりの集団』と批判されることもあるが個々の実力は確かであり、規模に反して業界での影響力は名だたる大手も一目置くほどである。
 ただ当人たちにその自覚は殆どなく、何故業界の大物たちが自分たちに一目置くのか今一分かっていないようであった。





「……」
 鰻女郎のプロデューサー、渡辺満の朝は早い。それは例え、数少ない休日であっても変わらない。
 なぜなら彼女には、毎朝欠かさずやらねばならないことがあるから。
(待っててね、みんな……)
 寝ぼけ眼を擦りながら、下半身の尾で這うように進む。その先にあるのは――幾つかの、水槽。
 淡水で満たされ、流木や水草で美しく彩られた小型水槽の中を泳ぐのは、色鮮やかな熱帯魚たち。
 ネオンテトラにコリドラス、グッピーからクラウンローチ、ゼブラダニオ、ラスボラ、シクリッド、ロラカリア、更にはエビや巻貝に至るまで、その数ゆうに百種以上。個体数は五百を超えるだろうか。
「さあみんな、ご飯ですよ〜」
 あたかも家族に朝食を振る舞う母親のように、独り身のプロデューサーは市販の餌を与えていく。
 魚が魚を飼うとは我乍ら傑作だと思いつつ、そうは言ってもそれなりに近しい存在だからか愛着は沸くし、ある程度は心が通じ合っている気もしなくはない。
 今や彼女にとって、これら水棲生物たちは単なるペットを通り越して我が子に等しい存在となっていた。
「……水質よし、水温よし、健康状態も問題はなさそうね……」
 水槽の中の我が子らに問題がないと確認した満。然し彼女の"育児"はまだ終わりではない。我が子は他にもいるのだ。


「お待たせ〜。喉乾いたでしょ? 待っててね〜」
 水の入った霧吹きボトルを片手に語り掛けるのは、水の代わりに枯れ枝や腐葉土、鉢植え等のレイアウトされた水槽群。
 中で蠢く"家族"は、カマキリやサシガメ、クモにサソリなど国内外産の様々な虫たちであった。
「壁面に水滴がつくように〜っと」
 全体の保湿と飲み水の補給を兼ねて、虫たちの水槽内へ霧吹きをしていく。
 また、ワラジムシやダンゴムシ、ゴキブリやコオロギなどは大食いのため毎日欠かさず餌を与える必要がある。
「さあ、元気に育つのよー」
 ゴキブリやコオロギは他の動物の餌として簡単な設備で養殖していた。それらの虫は言い換えれば単なる資源に過ぎないのだが、満はそんな資源さえも個々の命として愛を注ぐようになっていた。
「酪農家ってこんな感じなのかしらね。鰻にしてみれば虫も食べ物と言えば食べ物だし」
 等と呟きつつ、虫たちの世話を終える。



「ちょっとごめんね〜開けるわよ〜」
 続いてやってきたのは、蛇やトカゲなどのケージが並ぶ区画。ビニール手袋を嵌めた手をケージ内へ忍ばせ、彼らの糞を回収する。
「有鱗目は大きいのと小さいの纏めて出すから扱いが厄介なのよねー」
 何より、取り分け蛇のそれは臭いが強烈だ。素手で触ろうものなら地獄を見る。だから大型種のケージは底面にペットシーツを敷いては定期的に取り替えるという方式をとっている。



「さあ、この調子で他の子のケージ掃除もやらないとね」
 時間に余裕があるのを確認しつつ、満は奮起する。
 彼女の自宅は動物の宝庫であった。ここまでに言及した小魚、虫、爬虫類の他、カエルやカメ、アロワナやレッドテールキャットに代表される大型魚にヤシガニ、ウズラ、アイガモ、ムササビ、リスなど数多の"家族"が暮らしている。
 それは最早個人のペットスペースというより、民家型の小規模な水族館の如き様相を呈していた。
 ともすれば当然、ケージ清掃や餌の確保にかかる手間やカネも尋常ではない。

「まずは動物食の子たちのご飯を解凍して……その間に植物食の子たちのご飯の準備、ね」

 にもかかわらず満は動物たちを手放さず、かえってその数は日に日に増加の一途を辿っている。
 飼育設備の為の自宅の増改築も、両手足で数えきれないほどにやってきた。
 生来の動物好きであり、過去には飼育員や獣医を志していた時期もある彼女にとって、自宅で数多の動物たちと共に過ごす今の暮らしはまさに夢のような生活と言えた。
 紆余曲折を経て入ったテレビ業界での仕事も順調であり、番組作りを通して情報や娯楽を市井に提供できるプロデューサーは自分にとって天職だと思っている。

 だが、そんな満も鰻女郎というれっきとした魔物である。
 それ故、仕事や趣味に打ち込み過ぎた魔物特有のあの悩みに頭を抱えてもいた。それはそう、最早語るに及ばずの……


「はぁぁぁぁ……彼氏、欲しい……結婚、したぁい……」


 男に縁がなく未だ処女であるという、魔物としては致命的な悩み。
 特に最近は、溜息交じりに弱音を吐く回数が格段に増えた気がする。
 仕事中も、動物たちの世話をしている最中も、家事をこなしている時も、挙句は入浴中や睡眠中でさえも、彼氏だの結婚だのと、悩みに関する単語や情景が脳内を駆け巡る。
 劣等感に苛まれ、やがて自分への怒りに変わり、拗れて他者を逆恨み。少しして気分が落ち着くと、そんな己に自己嫌悪……というループを繰り返す。
 それでも負荷は最低限で留められていた。他者が事情を知れば満の精神力に感服でもするだろう。然し彼女自身は、ただ恵まれているから耐えられるだけだと思っていた。

「……いい加減、何とかしないとね」

 悩んだ末、さも決意したかのような態度と口振りで締め括り、然しその実何もしない。
 これもまた、お決まりのパターン。

「……」

 最早言葉にするのも嫌になるほど、自分自身が許せない。
 プロデューサー、渡部満の苦悩は密やかに続いていく。
21/07/29 22:07更新 / 蠱毒成長中
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