連載小説
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TAKE1  撮影
「例え、敵相手としても……名家当主の騎士たるもんが斯様な真似に及ぶとは……」

 薄暗い古代遺跡の中、忌々しげに毒づく一人の男。
 その身の丈は2m近くあり、将校服とも皮鎧ともつかない服装……それだけでも"異様"な風貌と言えよう。

 だが"異様さ"はそれだけに留まらない。



 "その男"は、あまりにもヒトを逸し過ぎた形態(すがた)をしていた。


 有り体に言えば、ヒト型の爬虫類

 鈍く光沢を放つ、深緑の鱗……
 細長い指に、鋭い爪……
 しなやかにも力強さを感じさせる、長い尾……
 裂けた大口の中に並ぶ、鋭い牙……


 或いは、旧魔王時代のリザードマンを思わせる、恐ろし気な姿。


 そんな恐ろし気な男の視線の先には、意識を失い倒れ伏す、女の姿。

 背は女性にしては若干高め……ただ1.7メートルを超えはしないであろう。
 顔は整っており、万人が認める美人といった所。
 身に着けていた防具が乱雑に破壊されており、そのおかげで彼女が恵まれたスタイルの持ち主ということがわかる。
 特に胸囲などは、一メートルを軽く超えるほど。

 また、白黒まだら模様の頭髪、頭に生える短めの角や特徴的な耳、毛皮に覆われ蹄の生えた足など、
 見下ろし毒づく男ほどではないが彼女もヒトを逸した容姿をしている。

 女は魔物娘ホルスタウロスであった。


 そして"防具を破壊され意識を失っている"という点からお分かりであろう、彼女はつい先ほどまで追い詰められた状況にあり、そこを爬虫類風の男に助けられていたのであった。


「マサゴルトめ、散々痛めつけやがって……そういうとこだってんだよなぁ、クソッタレが……」

 爬虫類風の男は尚も毒づく。このホルスタウロスは彼と敵対関係にあるが、そうは言ってもここまでの仕打ちを受けるような相手ではない……彼はそう考えていた。


「……かといって、助けるほどの相手でもねえんだがなあ……。
 なんだろうなあ、捨て置けねえんだよなあ……」


 男が戸惑いがちにぼやいていると、ホルスタウロスに意識が戻る。

「ん……ここ、は……――っ!?」


 目覚めたホルスタウロスは困惑する。然し、彼女が面食らったのも無理からぬこと。
 何せ目覚めた途端、眼前に恐ろしげな爬虫類の化け物がいるのだから、驚かない方がどうかしている。



「……目え覚めたか」

「ぐ、グラハイドラっ!? これは一体っ!?」

「マサゴルトの野郎に捕まってたんでなぁ、あいつを殺す序でに助けたんだ。
 危なかったなあ、プレアデスよ。
 俺があのクソカス野郎を憎んでなかったら、今頃どうなってたかわかんねーぞ」

 ホルスタウロスのプレアデス。
 彼女を助けたことは爬虫類風の男、グラハイドラにとって全くの気まぐれであったのだが……

「……何のつもりですか?」

「あ?」

「何のつもりかと、聞いているんです。
 グラハイドラ……あなたは賢く、油断のならない男です。
 敵である私を助けたからには、何か狙いがあるのでしょう?」

 プレアデスの言う通り、両者は陣営ぐるみでの敵対関係にあった。
 故に彼女がこの恐ろしげな爬虫類を疑うのは当然の流れと言えたのだが……



「……プレアデス、お前なぁ。
 助けて貰っといて最初の返答がそれはねえだろ、流石に。
 まあ、こんなナリだし敵同士だもんで、そう思われちまうのも無理ねえけどな」

「……」

「別に、大した狙いはねぇよ。
 ただ、何もあんな野郎の手にかかって死ぬこたぁねぇ……そう思っただけだ。あとさっきも言ったが、あいつは前々から殺してぇと思ってた。
 本音を言うともう少し拷問してやっても良かったが、そうまでする価値もありゃしねえあんなクソは……」

「そんな理由で……? って、待ちなさ――いっづ!?」

 去り行く爬虫類の背を追い踏み出すプレアデスの右足に激痛が走る。

「……何しようが勝手だが、無茶はしねえ方がいいぞ。
 マサゴルトの野郎、逃がさねえようにか事前に相当痛め付けてたみてぇだからな。骨の一本は折れててもおかしくねぇ」

「っ……」

「……どうした。言っとくが治療はてめえでやるなり仲間呼べよ。俺はやんねーぞ。
 敵同士なんだし、何よりこちとらそんな技能も道具も持ってねえからな」

「勿論、そこまでは求めません」

「……じゃあ何だよ?」

「ですから、その……ありがとう、ございました。助けてくれてっ」

「……礼なんていらねぇや。ただの気紛れだ」

 呼び止められ立ち止まっていたグラハイドラは、再び歩き始めながら背後の敵兵へ言う。

「次会った時は、容赦しねぇぞ」

「……はい、望むところです」

 無情な宣戦布告である筈の言葉へ返すプレアデスは、何故だか微かに微笑んでいた。


「おし、カットォ!」

 カカッ、という乾いた音と、威勢のいい監督の声が響く。
 屋内の撮影現場にて最新話のラストシーンを撮り終えた製作陣は各々達成感に浸る。

「な、何とか終わった……」
「つっかれたー……」
「お疲れ様ー」
「いい画撮れましたねぇ監督っ」
「おうよ。我乍ら最高傑作だぜこいつぁ」
「お前毎回それ言ってんなー」
「先生の脚本がいいって何よりの証拠さ。誇んな」
「へへへ、誉めても何も出ねぇよ?」

 思い思いに言葉を交わすスタッフたち。まだ作業は残っているが、それでも撮影を終えて一区切りついた時の達成感と充実感には特別なものを感じずにはいられない。




『呪卍 魔境盤死闘伝(じゅまんじ まきょうばんしとうでん)』

 大手民放系放送局でゴールデンタイムに放送中の同作は、元農家の新人監督、武田一海がメガホンを取った特撮番組である。
 神代の作と伝わる謎のゲーム盤『魔境盤』内部に広がる無限の異空間で繰り広げられる戦い『呪卍』の様子を描く群像劇である。
 出身も種族も経歴も異なる五つの陣営が、勝利を目指し命懸けの戦いを繰り広げる。各陣営に主人公がおり、それぞれ多種多様な物語が展開されることもあって、幅広い層からの支持を集めていた。
 また、魔物の女優を主演として積極的に採用している点も高く評価されており、彼女らの形態や能力を存分に活用した演出や展開は専門家からも高く評価されている。


「はー、今回もやりきったー」
「お疲れマッキー。はい、タオル」
「ありがとうございますスーさん、助かります〜」

 手渡されたタオルで汗を拭うのは、ホルスタウロスの小田井真希奈(おだい まきな)。
 先程まで撮影されていた一連の場面にて、主人公の一人にして同族のプレアデスを演じていた新進気鋭の若手女優である。
 容姿としては、背は少し高いものの外見的には同種族の平均といって差し支えなかったが顔立ちは若干凛々しく幽かに中性的で、女優というだけあって表舞台に立つ者特有の風格を漂わせていた。
 少なくとも田舎の牧草地帯で穏やかに農業をしているような雰囲気ではなく、その意味ではホルスタウロスらしからぬ人物と言えるかもしれない。

「撮影見てたけど、今日もほんといい演技だったわよ……」

 真希奈へ飲料水のペットボトルを差し出しつつ心底感動したような口ぶりで彼女の演技を絶賛するのは、スーツに身を包んだ褐色肌の女。
 緑玉髄(クリソプレーズ)色の長髪に、中世的で妖艶な顔立ちと、スーツ越しにもわかる抜群のスタイル(ただ脅威に関して言えば、十分に巨乳の域にあるとは言っても流石にホルスタウロスの真希奈には劣る)。
 彼女自身も女優として通用する美貌と言えよう。
 然し一方、その下半身は中々に独特……外骨格に覆われ、八本ある節足のうち前二本は甲殻類の両腕を思わせるハサミ型。
 更には先端部に毒針を備えた長い尾まで生えている。
 そのような特徴を備える動物と言えば……毒虫の代名詞たるサソリに他ならず。

「私もこの業界に入って長いけど、あなたほどの逸材はそう見たことがないもの」

 やはり心を込めて淡々と言葉を紡ぐ彼女の名は砂川克己(すながわ かつみ)。
 真希奈のマネージャーを務めるギルタブリルであり、確かな経験と実力で蒔苗の仕事を的確にサポートするのみならず、私生活に於いても姉か母の如く親身に接するなど家族同然の関係にあった。

「そんな、買い被り過ぎですよぉ。私なんてまだまだ新人ですし、上手くやれてるのは皆さんのお陰っていうか。
 それに『呪卍』の人気はどうしてもあの人ありきな所あるじゃないですか」
「確かに彼の存在が大きいのは事実だけどねマッキー。あなただって凄いんだからもっと自信持ちなさいよ?」
「うーん、なんか実感ないんですよね。周りが凄すぎて、自分って世間で言われるほど大したことないんじゃない、脇役みたいなものなんじゃないかなって――
「それはいけないわねぇ」

 会話に割って入った三人目は、大人びた雰囲気で眼鏡をかけた、スーツ姿の鰻女郎――湿った長髪を簡易的なポニーテールに括っている――であった。
 ラミアの如く下半身が長大な鰻女郎だけあり厳密な身長は不明ながら"細長くも肉付きがよい"ような体つきであり、スーツ越しに察する他ないが胸囲は真希奈を下回りつつも克己より大ぶりと考えられる。
 顔立ちや全体の雰囲気としては、例えるなら『清楚な大和撫子に幾らかの怪しさや変態性を盛り込んだかのよう』であったが、ともあれ彼女もまた紛れもなく美人の域にあり、女優として表舞台に立てそうな美貌の持ち主なのは間違いない。
 その名は渡部満(わたなべ みちる)、特撮番組『呪卍』のプロデューサーである。

「プロデューサー……」
「相対的な評価にばかり囚われて、自分を過小評価してしまう……実によろしくない状態だわ。
 いいかしら小田井さん。知ったような事を言うようだけどね、人魔問わず誰しも、まず何より意識すべきは自分自身がどうかということじゃないかしら?」
「自分自身が、どうあるか……ですか」
「そうよ。勿論、他人を意識することも大切ではあるけどね。とにかく謙遜拗らせて自分を脇役なんて言うのはやめなさいな。『世界は一つの群像劇で、誰もが生来の主人公』って奴よ」
「それって、あの人の……得刃(うるば)さんの言葉ですよね?」

 真希奈のいう得刃さんとは、先程撮影されていた場面で主役級の活躍を見せた怪物グラハイドラを演じる男優、得刃リンのことである。

「そうよ。得刃くんが事あるごとに口癖みたいに言うアレ。
 あと『ドラマは一人だけで成り立つものじゃない。全員が主役級に動いてこそ完成する』とかね」
「あー、確か養成所時代お世話になった先生の言葉でしたっけ?」
「あら、デビュー作の監督の受け売りじゃなかった?」
「『クズリ』はデビュー作じゃなくて出世作よ砂川さん。
 それとその言葉を言ったのは『クズリ』で脚本家を担当しておられた常磐先生ね。あと『得刃リン』も常磐先生考案の芸名だった筈だわ」
「そうでしたっけ? ……それはそうと、揚げ足を取るようですがプロデューサー、彼の芸名を考えたのは常磐先生ではなく映画の主題歌を担当した『サ行義(さぎょうぎ)』のリーダー、ムゲン義(ギ)ー太郎こと佐島太郎氏の筈ですが」
「スーさん何言ってるんですか、映画版『クズリ』の主題歌担当は『シャノワールーム』ですよ。『サ行義』は配信版『クズリ外伝』の挿入歌ですっ」
「あらぁ……?」
「しっかりなさいよ、マネージャーでしょ?」
「……それとプロデューサーも、揚げ足取るようで気が引けるんですけど……」
「ん、何かしら」
「常磐先生は映画版『クズリ』だと美術顧問です……」
「えっ」
「常磐先生が筆を執ったのは映画の前日譚にあたる『クズリ零 爪牙起源録』でして……。
 あと外伝と続編でも製作には携わってますけど脚本は担当してません」
「く、詳しいのね……」
「そうでもないですよ。ただ『クズリ』は本気で女優目指す切っ掛けになった思い出の作品ってだけで」
「あら、そうなの?」
「この子、元々女優か歌手志望でオーディション受けたのに『ホルスタウロスだから』っていうあんまりにもあんまりにな理由で無理矢理グラビアの仕事ばっかりやらされてたんですよ」
「えぇ……なにそれは……?」
「不本意でも『今は下積みだから』って全力でやってたんですけど、無理し過ぎて身体壊しちゃったんですよねー」
「あの時は本当に大変だったわよね。私はまだその時担当じゃなかったけど事務所中が大騒ぎになって」
「ですです。しかも当時の社長、私の入院が決まった翌日には蒸発してて」
「ねー。あれは正直無かったわよね。『あんたがホルスタウロスならグラビアとかバカ言い出した所為でこうなったんでしょうが』って話なのにねぇ」
「……笑いながら話すことじゃないでしょ」
「笑い話にでもしてないとやってられないですから。『辛いときこそ何かで笑え』って奴ですよ」
「それも『クズリ』の名言ね。小田井さん本当に『クズリ』が好きなのね」
「はい。入院中にテレビで特集番組やってて、検査の時待合室で原作の漫画買おうかなって呟いたら偶然その場に居合わせた桜木さんって人に『単行本を持ってるから貸そう。1000%紛れもない名作だ』って貸してもらって、ドハマりして」
「1000%紛れもないって何それ」
「とにかくすごい、ぐらいの意味合いじゃないですか?
 ともあれそこから『クズリ』好きになって……所謂沼ですね。それで退院して、砂川さんから『事務所もバタバタしてるし暫く休んでていい』って言われたんですよ」
「心因性の病気だったから念のために休ませたかったからね……」
「感謝してます。それでちょうどその時映画の『クズリ』やってる時期だったので、見に行ったらまぁ感動して……
 特に得刃さん、当時はまだ本名で活動してたから厳密には志賀さんですけど、とにかく彼が演じる主人公の怪物クズリが本当にカッコよくて……あの場面に入ってみたい、なら女優だなって」
「それが女優を志した切っ掛けなのね」
「はい。あの時映画の『クズリ』見てなかったらそのまま事務所辞めてたかもしれないなって、今も思います」
「得刃くんは救世主よね。マッキーにとっても、私たちにとっても」
「それは実に光栄ですね」
「あら、噂をすれば……」

 唐突に話へ入ってきたのは、ラフな身なりで背の高い人間の青年であった。

 頭髪は黒のショートカット。染髪の形跡は見られず、あくまで最低限整うように切り揃えたような、無難なヘアスタイル。
 一方瞳の色は日本人としては珍しい暗緑色……ただ体型としては比較的細身乍らも不健康に痩せ過ぎはおらず、
 顔立ちも端正に整っており、洒落た雑誌の表紙に居ても違和感がない程度の男前といった所か。


 彼こそは得刃(うるば)リン。『呪卍』にて怪物グラハイドラを演じる男優であり、界隈では『奇跡の天才スーツアクター』や『不死身の敏腕スタントマン』といった通称で幅広く知られている。
 通称が示す通り彼の仕事はスーツアクター並びにスタントマンであり、双方の業界に於いて独自の活動内容で名を馳せる変わり種でもあった。

 まずスタントマンとしての彼は基本的に仕事を選ばない。どんなに過激で危険なスタントにも積極的に挑み、常人はおろか熟練者でさえ真似ることを躊躇い、制作サイドすら『実写映像でやるものではない』と考えるようなアクションを平気でこなす。
 ともすれば当然、果てに待つのは大抵災害と言って差し支えない規模の大事故である。
 ある時には乗っていた乗用車が爆発四散、またある時は落石に巻き込まれる。
 バイクからの転落はまだ生温く、走行中にエンジンから火が出て炎上する程度が当たり前。
 薄着で流氷の浮かぶ海を泳いだという記録や、ひと噛みで人間はおろか大多数の魔物さえ死に至らしめうる毒蛇に噛まれても少しの間気分が悪くなった程度で済んだという噂さえある。
 というよりも、リンはそもそも怪我をしない。否、怪我はしこそすれ、切り傷から骨折にいたるまである程度休めば回復してしまう。人間とは思い難い回復力の持ち主であった。
 しかもこれでいて引退どころか休業すらせず予定通り仕事をこなしているのだから驚くしかない。
 
 しかも驚異的な逸話はこれに留まらない。

 スーツアクターとしての得刃リンは、スタントマン時とは逆に仕事が限られる。
 というのも彼が演じるのは、動物や有機的な外見の怪物のみ。ヒーローやロボットなどは全く演じない。これはリン個人のこだわりというより所属事務所の総意であり、仮に動物や怪物の役であっても厳しい審査をクリアしなければ彼の仕事になることはない。
 更にまたリンは、仕事道具の着ぐるみも専用の特注品だけを使う。彼と同じ芸能事務所に所属する正体不明の職人、澄一安蘭(すみいちあらん)の手掛ける着ぐるみは完全にリン専用として作られ、他者の着用は許されず、機密保持の為着脱の様子さえ徹底的に秘匿されていた。
 然しそれだけに着ぐるみとリンの親和性は極めて高く、精巧に作られた怪物は得刃リンという唯一無二の演者が中に入ることで、あたかも命が宿ったかの如く動き回る。
 余りにも精巧に作られ過ぎたそれは、リンの演技力や身体能力も相俟って生身の生物なのではと錯覚するほど。例えばあるテレビ番組は着ぐるみで猛獣に化けたリンを同種と並べ専門家らに見分けさせるという企画を行った所、二十人近い専門家の内正答できたのはごく少数で、しかも彼らは口を揃えて『正解できる自信がなかった』と答えたという。
 またリンは『着ぐるみを着用した状態で、着ぐるみの口を動かして生身同然に喋り、飲食までする』ということができた。しかもリンは元々演技力も高かったので、あたかも怪物による顔出し出演の如くスーツアクターと怪物の吹き替えを兼ねるといったことも多かった(グラハイドラもまたスーツアクターと吹き替えを兼ねる役の一つである)。

 これらの事実に加えて、リンは専属職人の澄一安蘭共々その経歴や素性が謎に包まれた人物でもあり、それが却ってリンを余計に神秘的で魅力的な存在であるかのように見せ、人気をより確かなものにしていた。



「得刃さん、お疲れ様です!」
「小田井さんこそお疲れ様です。今回はお互いにとって結構重要なエピソードでしたね」
「ですねー。プレアデスとグラハイドラって元々ネットとかでも話題の二人でしたし」
「ええ。僕自身プレアデスは結構好きなキャラクターなので、台本を見た時、自分の演じるグラハイドラとの絡みがあると知った時は正直嬉しかったですね」
「え、そうだったんですか?」
「それはもう。プレアデスは王道を踏襲しつつも決してありきたりではない、確かな個性と信念を持った魅力的なキャラクターですから」
「ありがとうございます。得刃さんみたいな売れっ子の方にそう言って貰えて、演じてる身としても鼻が高いですよー。プレアデスについては監督から『既存のホルスタウロス像を維持しつつも新しい可能性を提示していけるようなキャラクターであってほしい』って直々に言われてて、毎回演じててこれで大丈夫かなって不安で仕方なくて」
「誇っていいと思いますよ。実際、小田井さんもプレアデスと同じように辛い過去を乗り越えて今があるじゃないですか。きっと監督も小田井さんのそういう所を見抜いてらっしゃるんだと、僕は思いますよ」
「あはははー。そこまで言っちゃいます? 確かに苦しかったのは事実ですけど、プレアデス程でもないっていうか」
「そうご謙遜なさらず。貴女は確かに強い方ですよ。魔物とか人間とか、女とか男とか関係なくそう思います」
「ありがとうございますー」
「いえいえ……さて、そろそろマネージャーとの打ち合わせの時間なので失礼しますね。では、また」
「はーい、さようならーまた現場でー」


 小走りで去っていくリンを、真希奈は笑顔で見送る。清楚かつ貞淑な立ち振る舞いは、流石若手とは言え本職だけあり様になっている……かと思いきや。
「っっっはぁぁぁぁぁぁ……き、緊張したぁー……っていうか理性ぇぇぇぁぁああぁ……」
 リンが去り、辺りに人気もなくなった途端にこの有様である。
 色々なものが昂り過ぎたせいで顔はおろか耳や手までも真っ赤に染まり、呼吸は荒くなり、立っているのがやっとというほど全身から力が抜けていく。
「……お疲れ、マッキー。よく頑張ったわね……」
「最前線に立つ職種ってやっぱりすごいわぁ。私じゃ真似できないもの」
「よく頑張ったわねじゃないですよ……酷いじゃないですかお二人とも! なんで助け船出してくれないんですか!? あの場を一人で乗り切るのどんだけ大変かわかってます!?」
 温厚なホルスタウロスらしからぬ様子で声を荒げる真希奈。仮にも社会人が目上相手にその態度はどうなのかと思いたくもなるが、対する克己と満はそんな彼女を咎める様子もない。二人とも彼女がそうなったとて何ら不自然ではなく、また非は自分たちにもあると理解しているのだ。
「ごめんごめん、お詫びにあとでSHAL紋の『初代直伝ドリアンロールケーキ』おごってあげるから……」
「砂川さんあなたね、お詫びにケーキって子供じゃあるまいし」
「……」
「ほらもう小田井さんも『子供扱いするな』みたいな顔でむくれちゃってるしほんとに……」
「わかったわマッキー。じゃあ『二代目直伝どんぐりクッキー』も買ってあげる」
「……」
「いやそういう問題じゃないでしょ? ほらもう、小田井さんもむくれたままだし……」
「オーケー、確かにそのくらいじゃ足りないわよね。わかったわ……『松ぼっくりのヴァレニエ〜二代目の亡き友に捧ぐ〜』も追加でどう?」
「……」
「だからそういう問題じゃないでしょって。ねえ砂川さん私の話聞いてた? っていうかヴァレニエって何?」


 満のみならず殆どの読者諸兄姉が知らないと思うので補足させて頂くと、ヴァレニエとは東ヨーロッパ地域で見られる伝統的な果物のプレサーブである。
 プレサーブとは所謂ジャムなどの『植物を砂糖で煮込んだ加工食品』のことで、果物を柔らかくしつつ粘度安定剤を加えるジャムに対し、ヴァレニエはそれらの加工を施さず、あくまで濃厚乍ら果物の自然な色を失っていない透明なシロップが特徴である。
 一般的にはベリーをはじめとする果実、ナッツ、野菜、花などを砂糖で煮込んで作るわけだが、中には未熟なマツカサを用いる変わり種も存在する。
 

「……も……で……」
「んー、何かしらマッキー?」
「きっと彼女、あなたに怒ってるのよ砂川さん。ほらもう素直に謝りなさいって」
「……ロールケーキ、クッキー、ヴァレニエだけじゃ許してあげません……
『始まりのオレンジアイス 極み』と『勇猛バナナ&美脚ピーチのイチャイチャパフェ』、『麗しの君はメロンシャーベット』に『落ちぶれながらも英雄となった男のブドウゼリー』と『クルミのキャラメル和え〜脚本に拳で抵抗〜』、『白銀のアップルパイ』も、追加で……それで……許してあげますから……」
「いやそっち!? っていうか頼みすぎだし食べすぎだし何そのメニュー名!?」
「わかったわ」
「『わかったわ』!? えっ、わかったの!? 買うのそれぇ!? 全部ゥ!?」
「それとマッキー、『大体こいつの所為だし中身までやらかしてもう救いようがない腐れ外道のレモネード』と『生きてる内はわりと不愉快なだけだけど中身には愛されてたし死んでからネタ枠として安定した似非大人のサクランボキャンディ』はどうする?」
「いやメニュー名長っ!? っていうか長い以前に物騒でわけわかんない単語ばっかり並んでるけどそれほんとにお菓子の名前なの!?」
「あ、それは別にいいです」
「いらなかったー! いらなかったぁぁぁぁ! この流れで名前出てきたしそれも追加注文するかと思ってたのにいらなかったぁぁぁぁ!」
「ではプロデューサー、そういうことなので私達も失礼しますね」
「お疲れ様でしたー」
「あぁー……うん、お疲れ様……」

 去っていく牛と毒虫を見送る満。その顔は疲弊に染まっており、耳のヒレは力なく垂れ下がり、肌はなぜだか乾燥していた。鰻女郎なのに。

「……ツッコミ疲れて粘液が枯れそうだわ」

 がくり、と項垂れながら、満もその場を後にした。
 今日はもう休んだ方がいいかもしれない。
 幾らか仕事が残っていたかもしれないが、明日に回せばいいだけのことだ。
21/08/08 00:52更新 / 蠱毒成長中
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