連載小説
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前編
―― 1 ――

 その日、魔王軍に勤めるサキュバスであるラティーナ・バーレンウォートは、同僚のデュラハンから妙な相談を受けていた。
「はぁ? 子供の頃唾つけといた男を攫いに行ったら追っ払われたぁ?」
「うっ、ぐすっ……そう、だ。あいつ、私のことなんかぁ……ぐすっ、忘れてるみたいでぇ……」
 普段の凛々しく勇ましい様子からは考えられないぐらいに、ぐずぐずに泣き崩れている彼女の名は、イライザ・カランバイン。これでも、魔王軍の精鋭たる騎士団の一員である。
 泣き腫らしていつも以上に真っ赤な眼と、手櫛すら入れられていないのかボサボサと絡まっている淡い空色の髪の毛を見やって、ラティーナは呆れたように言った。
「いや、あんたの力なら普通に叩きのめしてとっ捕まえてくりゃ問題ないでしょ?」
 ラティーナの疑問は正しい。普通に考えるのであれば、魔王軍でも屈指の実力を持つデュラハンたるイライザに、捕えられない男など居るはずがない。それは純粋に生き物としての能力の違いが生み出す差であり、それゆえに覆しがたいものだ。
 だがイライザは、泣きながらかぶりを振った。
「戦って……ぐすっ、勝てなかった」
「……えっと、伏兵に袋叩きにでもされたの?」
 デュラハンはまたしても首を振る。
 それもそうだ。よくよく考えずとも、半端な伏兵などまとめて薙ぎ払われて、近くの魔物に美味しく頂かれるだけである。例え勇者であっても、最近の粗製乱造な連中ではお話にならない。
「その男がどっかの王子様で、高名な勇者パーティを相手にする羽目になったとか」
「う、ぐすっ……そんなわけ、ぐすっ……ない、だろう」
「そうよねぇ。そんなおとぎ話みたいな勇者なんて最近じゃ聞かないし」
 イライザの実力が、騎士団の中でも飛び抜けて劣るというのならば分からなくもない。それでも相手が非常に優れているということが前提だが、敗北して帰ってくることもありうるだろう。
 だが、いくらぐずぐずのぐちゃぐちゃに泣き腫らしていようと、眼をこするたびに首がグラグラと揺れていようと、普段の彼女は優れた騎士なのだ。並みの兵士では、十人がかりでも傷一つ負わせることは出来ない。
「それじゃ、手でも抜いたの?」
「最初は、ぐすっ……出来るだけ傷をつけないようにしようなんて考えていた。だが、一度武器を交えた後はそんな余裕はない。馬から叩き落とされないようにするのが精一杯だった」
 ようやく泣きやんだイライザによれば、それでも最後には叩き落とされ、喉元に剣を突き付けられて敗北を認めさせられたのだという。
 ラティーナは、いっそのことそのまま首を落とされていた方が、逆襲(もちろん性的な意味で)出来たのではないか、などと思ったが、それは言わないことにした。
「打ち込んだ感触は巌のよう。槍は速い以上に正確無比で、寸分の狂いもなく隙を突いてくる」
 恋する相手の話をするにしては、どこまでも硬い表情でどこまでも硬い内容だった。
 これが本当なら、デュラハンと打ち合える力に、針の穴を通す技量を持っていることになる。
「どんな化け物よ……」
「魔物ではない。人間の男、それも何らかの加護を受けているわけでもない、ただの男だ」
「勇者やパラディンとかじゃなかったってことね。インキュバスになってたって線は?」
「ない。本人からは魔力の欠片も感じられなかった」
 勇者や聖騎士の類でなかったと安心すべきか、素でそれってどういうことよと焦るべきかラティーナは迷った。万が一、その男が祝福を受けてここに攻め込んでくるようなことがあったら大変である。
「本人からは、ってことは何か業物でも持ってたわけ?」
「霊銀製の槍だな。破邪と強度補助辺りがかかっていたように見えた」
 身体強化じゃねーのかよ、なんて言葉を心の中で噛み潰して、ラティーナは苦い笑いを洩らした。加えて破邪となると、どちらかと言えば主神よりの考え方をしているのだろう。厄介なものに惚れこんだものだ。
(……さて、どうしたものかしら)
 ウンウン唸っているイライザを、ラティーナは品定めするように眺める。
 顔立ちは十分以上に整っている。細くはっきりとした眉に、すっと通った鼻筋。化粧っけは少しもないのに、肌は抜けるように白く、真一文字に結ばれた唇は鮮やかに赤い。目元が少々きつく気の強い感じではあるが、ガチガチの騎士相手であれば、下手に媚びるようなものよりもずっと好印象だろう。
 鎧を外して紺のインナーだけになっている肢体は、厳しい鍛錬にも関わらず女性らしい柔らかさを保っており、起伏に富んである種破壊的ですらある。ばいんと突き出した張りのある胸や大きめな丸いお尻は、同性であるラティーナにすら、これは抱きしめたらさぞかし気持ち良かろうと思わせるものだった。
 その凛々しく生真面目な顔立ちと、男を悩殺する肉付きの良い身体は酷くアンバランスだったが、逆にそれが一層彼女の魅力を引き立てている。
 いつ見ても素材は悪くない。エロエロに調教して十分エロエロになったところでぶつけてエロエロな感じにしてしまえば、男の一人や二人簡単に押し倒せるだろう。
 そこまで考えて、ラティーナはイライザの目的を聞いていないことに気づいた。自分に相談してくる以上はそういったことなのではないかと思ったが、本人はまだ何とも言っていない。
「それで、あんたはどうしたいの?」
「『いつでも好きな時に挑んで来い』と言われたから、当面はその言葉に甘えようと思う。とはいえ、今のままではまた返り討ちにされるのは必定だから、何としても強くなりたいところだ」
「……相談する相手、間違ってない?」
「それもそうだな。……それでも、聞いてもらって楽になった。ありがとう」
 イライザが晴れやかに笑う。見惚れるような良い笑顔だった。
 個人的な趣味で調教を施したくなるのを抑え込んで、ラティーナも笑って返す。
 それから数日経って、イライザが軍を退いて魔界を出て行ったと聞いた際に、ラティーナが歯噛みしたのは言うまでもない。


―― 2 ――

「お前のせいでまたクビになったではないか。どうしてくれる」
「知らん。いつでも好きな時に挑んで来いと言ったのはグレゴール、貴様だろう」
 不機嫌な目でイライザを見ているのは、精悍な顔立ちの三十前後の男。
 濃い灰色の髪を後ろに撫でつけ、余った分を紐で一つにまとめている。髪と同じダークグレーの瞳は強い光を放っており、眼つきの鋭さもあいまって、酷く剣呑な様子だった。それに加えて固く引き結ばれた唇が、その抜き身の剣のような印象に拍車をかけている。
 くたびれた皮鎧をまとい、使い古された長剣を佩くその姿は傭兵のようにも見える。だがそれにしては、傷やへこみはあるものの見事な装飾のされた盾と、美しい輝きを放つ白銀の槍は立派に過ぎた。
 加えて、引いているのがこれまた立派な青鹿毛なものだから、違和感ここに極まれりだ。
「その馬は一体どうした? 以前乗っていたものとは違うようだが」
「つい先日までとある商人に護衛として雇われていたのだが、そいつが『魔物と関わる奴にやる金なぞない』とニヤニヤしながら言ってきたものでな。代わりに頂いてきた。何、あの一帯を無事に抜けられたのは俺の手柄だ。このぐらい払って貰っても問題はあるまい」
 皮肉げな笑みを浮かべながら、男は馬の首を優しく叩く。
 艶やかな毛並みに素晴らしい体躯をした戦馬だ。値段も相当のものだと思えたが、現在のこの国は非常に荒れていて、何処を移動するにもかなりの危険が付きまとう。場所や距離にもよるが、護衛の代金としては比較的妥当と言えるかもしれない。
 ふっと表情が緩んだ男に、イライザは問いかけた。
「どの辺りを護衛してきたのだ?」
「北から“巨人の枕”を抜けてきた。途中三度も山賊に襲われてな、流石の俺も少々焦ったが……まぁ、多少数が多かろうと土地勘があろうと山賊は山賊だった、というところか」
「ほう、あの難所を通ってきたのか。道理で手妻のような速足だと思った。普通であれば、あの街からここまではもう一週間ほどかかるはずだもの」
「それを先回りしているお前は一体何なのか、という話だな」
「私は誇り高きデュラハンだ」
 なんてことのない世間話だが、イライザの頬はかすかに緩んでいる。
 けんもほろろに追い返された頃に比べると、会話が成立するだけ確実な前進だった。“首を取りに来た”という誤解を取り除けたのが大きい。
 騎士団を辞めて魔界を出てから早五年。それだけの時間が経っているのに、進展がたったこれだけとは情けない限りだが、仕方のない部分もある。彼女はこういったことに奥手だったし、グレゴールは何処かそういったことを避けているような風があるのだ。
 面と向かって言われたわけではない。それでも、何となくそう感じる。女の勘のようなものだったが、大きく外れてはいないだろうという確信がイライザにはあった。
「それで、お前はいつもの用事か?」
「そうだ。今日こそは勝って、貴様を貰い受ける」
「はて、こんなひねくれた男の何処にそんな惚れこんだのやら」
「何なら一つ一つ列挙してやろうか? 三日は語れる自信があるぞ」
 男はそれに首をすくめて拒否を示し、ひらりと馬に跳び乗った。
 途端に表情が引き締まる。馬上で槍と盾を構えた姿は、先ほどのくたびれた傭兵とは大きくかけ離れて見えた。武器に見合った、まるで聖騎士のような堂々たるたたずまいだ。
 イライザの赤い唇が弧を描いた。約束を交わした少年の面影を残しつつも、優れた戦士になった男の姿。彼女が思い描いていたものに勝る彼が、まさにそこに居る。
 だがそれゆえに、手が届かないのがもどかしくもあった。いや、今日こそ手に入れて見せる、そんな意気込みをもって大剣を空にかざすと、空間が歪んで大きな馬が現れる。熱気に揺らめくような漆黒の毛並みと、燃え上る蹄を持った地獄馬だ。
「相も変わらず便利な手品だな」
「手品ではない、魔術だ」
「使えない人間からすれば、手品も魔術も似たようなものだろうよ。――さて、合図はいつも通りこれで良いな?」
 男がポケットからつまみ出したのは、一枚の硬貨だ。一騎打ちの合図は本来なら小姓が出すものだが、傭兵とはぐれ魔物の決闘ではそんなものは望めない。そこで、硬貨を跳ね上げ地面に落ちた時を合図としようというわけだ。
 イライザが頷くと、男は馬を走らせ距離を取る。
 応えるように彼女も騎乗し、鞍に据え付けてあった盾と大剣を構えた。同時に、魔剣が馬上で振るうにふさわしい長さに伸びる。これもまた魔術だった。
 互いが豆粒ほどに見える距離を開いて、二人は対峙する。
 男が硬貨を高々と打ちあげる。イライザは地の探知魔法を使いその落下を待った。流石のデュラハンも、ここまで距離があると硬貨そのものは見えない。苦肉の策である。
 ――キィン!
 硬い金属音が、聴覚と魔力覚に届く。
 双方同じタイミングで馬の腹を蹴り、距離が瞬く間に縮む。
 土煙の尾を引きつつ駆け抜けた二つの流星が、火花を上げて激突した。
「ッやあ!」
「ふんっ!」
 一瞬の交差だったが、行われた応酬は熾烈なものだ。
 弾指にも満たぬ間に、イライザの大剣は二度、男の槍は三度も振るわれている。
 だが、それぞれのもたらした結果は大きく違った。イライザの剣は二度とも盾に防がれていたが、男の槍は一撃で盾を浮かせ、二度目と三度目は胸と腹に入っている。
 頑丈な鎧のおかげで血は出ていないが、衝撃は凄まじい。今にも鞍から落ちそうだったが、何とか馬首を巡らせて再度の突撃を図る。
 地獄馬は優れた戦馬だ。イライザの意思を良く理解してもいる。ゆえに二度目の突進では彼女に分がある――はずだった。
「なッ!?」
 振り向いたときには、既に男は彼女へ駆けて来ていた。
 今度の彼の青鹿毛は地獄馬に匹敵するかそれ以上の良馬らしい。彼女に先んじて方向転換し、突撃の体勢を取ったのだ。
 慌てて馬腹を蹴るも、勢いの乗りきらない状態では分が悪い。
 盾を撥ね飛ばされしたたかに腹を打たれて、イライザは馬から落ちた。それでも戦意は衰えず、徒歩に合わせて縮んだ魔剣をひっ掴んで起き上がるも、既に首元に鈍く光る刃がある。
 すれ違った直後に一気に速度を落とし跳び降りて、彼女を抑えにかかったのだと分かった。
 からりと刃を落とし、諸手を上げて降参の意を示す。
「良い馬だな」
「ああ、実に素晴らしい馬だ」
 大真面目に称賛して、男は長剣を納めた。
 その後何か考え込むように顎を撫で、じっと馬を見つめて言葉を続ける。
「うむ、しかし……いささか良すぎるな。これでは取り過ぎになる」
 一方的に契約を打ち切られたのだから、ある程度多く払ってもらう分には問題ない。だが、これだけ優れていると払ってもらい過ぎになる。それは宜しくない、ということらしい。妙なところで義理堅いのがこの男だった。これが好ましく見えるのは、あばたもえくぼという奴だろうか、などとイライザは思う。
 それにしても、また負けてしまった。彼女とて鍛錬は欠かしていないというのに、この男はそれを上回るペースで実力をつけている。良く鍛えられた鋼のような肉体に、熟練の技術が加われば苦戦するのもやむなしといったところだろう。
 だがそれも、人間である以上は永遠ではない。いくら身体を鍛えたところで、衰えをなくすことは出来ない。出来るのは若干遅らせることだけだ。
 とはいえ、老いだけならまだ良いのだ。デュラハンの魔力をもってすれば、老化を止めるどころか若返らせることすら可能だろう。しかし、死んでしまえば一巻の終わりだ。例えスケルトンやゴーストといった別の形で存続出来ても、それは既に彼ではない。
 そこまで考えて、イライザは大きく息を吐き想像をかき消した。こんなことで思い煩わずとも、その前に彼を手にすれば良い。神の元へ返してなどやるものか。
 改めて決意を心に刻み込み、それを欠片も覗かせずに男に問う。
「あれだけの馬となると世話も中々に大変だと思うが、どうするつもりだ?」
「それなのだがな、城に士官しようかと考えている」
「城に士官……何処のだ?」
 今彼女らが居る国は反魔物までは行かずとも教会寄り、隣国は完全な反魔物国家だ。
 もしや三行半を叩きつけられるのかと、イライザは身構えた。馬のために遠ざけられるというのは、流石に情けないを通り越して悲しくなってくる。
「リンドヴルム領だ。あそこであれば、多少魔物との付き合いがあってもおかしくはない」
 その名を聞いて、イライザは心のうちで胸を撫で下ろした。
 リンドヴルムと言えば、このヨルムンガルドの中でも特別な土地だ。
「……ああ、どっちつかずの変人の治める領地か」
「そんな変人であれば、お前が居ても雇ってくれるとは思わないか?」
「ふむ。とどのつまり、全ては私のことを考えての行動ということか。それなら私も同行しよう。余計な手間や無駄な期待をかけずに済む」
 イライザが浮かべた三日月のような笑みに、男は額を抑えて黙り込む。頭痛の種がいけしゃあしゃあと、と苦々しく思ったのか、はたまた随分幸せな思考回路だ、と呆れたのかは分からない。
 と、ふと辺りを見回し、足りないものに気づいて呟いた。
「肝心要の馬は何処へ行った?」
「……む? そういえば、私のも見当たらんな」
 二人が話している間に、二頭揃って何処かへ行ってしまったらしい。
 魔力的な繋がりは普通に残っているし、危機などは伝わってこないから、何か問題に巻き込まれてと言うわけではなさそうだ。
 片や気を揉みつつ、片や首を傾げて周囲を探していると、近くの茂みから影が二つひょっこりと顔を出した。先に気づいたイライザが、それでもほっとしたように声を上げる。
「おお、揃って戻ってきた……ぞ?」
「良かった良かっ……た?」
 戻ってきた馬たちの様子がおかしいことに気づいて、思わず顔を見合わせた。
 どちらとも一騎打ちの後よりも更に汗ばみ息を荒げ、ぴったりと寄り添うように歩いている。
 そして、なんとなく生臭い。
 嫌でも察することが出来てしまい、イライザは顔をひきつらせた。
「先を越された……だと……」
「おお、随分と仲の良いことだな」
 彼女よりは一段鈍いのか、男は朗らかに笑っている。
 愛馬の様子は妙に誇らしげだった。馬といえど同性である。どうにも妬ましい。
 先ほどの殊勝な決意に嫉妬心を塗り重ねて、イライザは強くなることを心に誓った。
11/08/20 19:25更新 / 具入りラー油
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■作者メッセージ
 老騎士どころか騎士ですらねぇ! ……ごめんなさいごめんなさい。
 まともに老騎士なのは中編の4以降になります。

 文中、自分の長編と絡む地名が出てきますが、極力無視できるようにはしています。正直、別の親魔物領に差し替えても問題はない……はず。

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