読切小説
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死に臨む彼等に魂の救済を
 それはとても美しく、そして痛ましい輝き。
 心奪う旋律は、失われる痛みを伴い。
 一瞬のかぐわしい香りの後で、すべてが物悲しさに包まれる。
 幸福の逆位置にあるとされるもの。
 あらゆるものから忌避されるもの。
 私達が、否応なく惹きつけられるもの。


 私達は、人の死期が分かる。時間や距離は関係無く、その人がもうすぐ死んでしまうということが。
 そしてそれが分かった時、私達は死へと近づいていく。
 ある者は死が近づいていることを教えてやるために。ある者は死に向かうものの心を和らげてやるために。ある者はただ死にゆくものを見守り見送ってやるために。
 けれどどんな目的をもって人間の元を訪れても、私達が歓迎されることはない。常に目の敵にされ、物を投げつけられ、罵詈雑言を浴びせられる。
 まるで私達が死を運んでいるとでも言うかのように、私達さえ追い払えれば死を遠ざけられると信じているかのように。
 けれど私達が運ぶまでもなく、死は誰にでも訪れる。
 それは私達にもどうにも出来ない摂理。
 私達に出来るのはただ死を知ることだけ。寄り添うことだけだ。


 自分がいつからそこに居たのか、私はよく覚えていない。
 けれども私が私になった時にはすでに、私にはどこで誰が死ぬのかが分かる力が備わっていて、そして心の命じるままに、私は死にゆく者の元を巡り続け、死に寄り添い続けていた。どこから生じたのかもわからない、死にゆく者への恋慕の情のような感情を抱きながら。
 それだけが私が生まれてここに居る理由だと思っていた。ほかにするべきこともなく、ほかにやりたいこともなかった。
 何年も、何十年も、時を忘れるほど長い間死の隣を歩き続けた。
 親を看取る子に睨まれ、その子がまた親となり、生まれた孫に石を投げつけられた。その孫の、子供の、子孫たちの死に際でもまた。
 誰かが言っていた。お前たちは灯に群れる虫のようだと。
 その通りだと思った。私は死に群れる虫のようなもの。虫が灯を呼ぶわけではない。虫が灯をどうこうすることも出来ない。ただそういう習性をもった生き物だというだけ。
 もっとも、私が生き物なのかどうかは疑わしいところだけれど。
 いつまでもここに在り続ける私は、寿命が無いか、そういう現象、人の死に際に揺らぐもの、世界の明滅反応のようなものでしかないのかもしれない。
 なぜそこにあるのかも分からず、誰からも必要とされず、追い出され、嫌悪され、居ないほうがいいと言われる。
 けれども消えることも出来ない。知ってしまえば動かずにはいられない。行っても何も出来ず、どういう扱いを受けるかもわかりきっているのに。
 そして私は、今日も死の匂いに惹かれてゆく。


 その男は、私の姿を認めるなり表情を険しくする。
 それも当然だろう。私の姿は、いずれの時代でも異質なものとして認識される。
 死者のように血の気の無い青白い肌、それを包むのは夜の帳のような闇色の衣、目元には隈が深く刻まれ、鬱屈とした表情で、白濁とした瞳で死を見つめる者。それが私だ。
 しかし男の顔色の変わり様を見て、私は困惑した。男は私の姿をしげしげと眺めるなり、ほっと安心したように笑ったのだ。
「そうか、ようやく僕の人生にも終わりが来たんだな」
 ようやく。
 男はそう言った。
 多くの人間を見てきたつもりだが、男は決して老いているようには見えなかった。むしろ、まだ若い。逝くには若すぎるくらいだった。余命を惜しみ、短命を嘆き悲しむのが普通の、明日が来ることを当たり前としか思っていない年代にしか見えなかった。
「僕はそう遠くないうちに死ぬ。そうなんでしょう?」
 私は頷く。
「思った通りだ。君、バンシーか何かなんでしょう? もうすぐ死ぬ人間の元に現れるという」
 男は、私に微笑んでさえみせる。
「思っていたよりも綺麗だ。死に際に、ちょっと得した気分だよ。表情は、予想していたのとは少し違ったけれど」
 私は首をかしげる。
「ずっと泣いているものだと思っていたよ。けれど君は、表情が硬いというか、何ていうか、無表情に見える」
 自分の顔を触ってみるが、いつもと何も変わらなかった。彼が何を言いたいのかよく分からなかった。
「ところで、君はこの後どうするんだい?」
 何を問われているのか分からず答えを返せずにいると、彼は勝手に言葉を続けた。
「僕を殺しに来たわけではないんだろう。どういう理由かは知らないけれど、僕は死ぬ。君が来たということはそういうことなんだろう。
 君はそれまでに何かやることはあるのかい? つまり僕が死ぬまでに、僕に対して何かしなければならないのかな? それとも君の目的は僕に死ぬことを知らせるだけで、これから別の不幸を控えた人間の元に行ってしまうのかい?」
 私は首を横に振る。
 いつもは暴言か、石か何かを投げつけられて追い出されるだけだった。そして彼らが見えないところから、彼らが安らかに逝けることを祈り、死者の魂を見送ってきた。
 だからそのあと続いた男の言葉に、私は困惑してしまった。
「じゃあ、僕が死ぬまで僕のそばにいてくれないかな。見ての通り、周りには見送ってくれる人もいないものでね」
 長い間死に際を彷徨い続けてきたが、こんなことを言われたのは初めてだった。
 どう返事を返したらよいのか分からず、私はおろおろしてしまう。
「人生の最期に君みたいな美しい人に隣にいてもらえたら、少しは幸せな気持ちで逝けるかなと思ったんだけど、やっぱり迷惑かな」
 そう言って彼は笑った。顔に染み付いたような笑顔だった。疲れ切って、擦り切れてしまったような。
 気づけば私は彼の手を取っていた。
 彼の手を取り、そして首を横に振る。
「ありがとう。短い間だけど、よろしく」
 彼の手が重ねられる。命のぬくもりがまだ残る、温かい手のひらが。


 それから、私と彼の奇妙な共同生活が始まった。
 残り少ない寿命を生きる彼と、死を告げる命を持たない私が、一緒になって日の出と共に目を覚ます。
 起きたら台所に二人で並んで立って、朝ご飯の準備をする。そして出来上がった二人分の朝食を、二人で一緒に食べる。
 私はそれまで料理をしたことも、食事をしたことも無かった。その必要が無かったからだ。ただ死にゆく人間が料理をしたり、食事をする姿を見守ってきただけ。
 にもかかわらず、料理の手際は彼より私のほうが上だった。料理の味も、私にはその良し悪しはよくわからなかったが、彼より私の料理のほうが美味しいらしかった。
「頼んでみるものだね」
 食事を口にしながら彼は言う。
「二人で料理したり、一緒にご飯まで食べてくれる。本当は食べなくたって平気なんだろう?」
 私は頷きながら、彼の作った料理を口に運ぶ。やはり味はよく分からない。だけど彼の命の匂いがする気がした。
「美味しいかい」
 私は頷く。
 味は分からない。けれど問いかける彼の顔を見ていたら、頷きたくなったから。
「うん。君の料理は美味しい。いや、いつもと同じはずの自分の作ったものさえ少し違って感じるよ。……きっと君のおかげだね」
 彼の表情を見ていると、美味しいというものがどういうものなのか分かる気がした。


 朝食を終えた後は、二人でのんびりと過ごす。
 本を読んだり、日向で微睡んだり、外を散歩したり、部屋の中の掃除や片づけをしたり。
 昼食を食べたら、またゆっくりと時を過ごす。夕日が落ちていくのを、空が夜の色に変わっていくのを、月や星が輝きだすのを眺める。
 そして最後の食事を終えて、床に就く。


 静かな日々だった。
 部屋を見る限りは、つい先日までは荒んだ生活を送っていた様子ではあった。
 けれどもそれはすでに過ぎ去ったのか、終わったことなのか。今は彼が何かに追い立てられている様子はなく、必要に迫られてどこかに出ていくということもなかった。
 誰も訪れることはなく、どこからも何の便りもなく、そして彼自身も己のことを多くは語らなかった。
 時折遠くを見ていることはあっても、常に穏やかで、何かを恐れている様子など微塵も感じさせなかった。
 逆に、私のほうが戸惑ってしまうくらいだった。
 彼は本当に死んでしまうのだろうか。
 このまま死なずに、この時間がずっと続いていくのではないのだろうかと。
 死を予見する私の力が狂ってしまっているのかもしれないかった。……むしろ、狂ってしまっていたらどんなにいいだろうか。
 いつの間にか、そんな風に思うようになっていた。


「最近、表情が柔らかくなった気がするよ」
 窓辺で寄り添っていると、彼が急にそんなことを言ってきた。
 私がじっと彼の顔を見ていると、彼が私を見つめ返して苦笑した。
「君のことだよ? 初めて見たとき、と言ってもこの間だけど、その時は無表情で強張った死体みたいな顔だった。だけど今は、生きているって感じがするよ。無表情は相変わらずだけれどね」
 そうだろうか。
 私は顔に手を当ててみるが、やっぱりよくわからない。
「死ぬまでに、君の笑顔が見てみたいな」
 私は今どんな顔をしているだろうか。
 もし笑顔を見せたら、彼はどんな顔をするだろうか。
 この時間は長引くだろうか。それとも短くなってしまうだろうか。
 ……私は、何を考えているのだろう。


 それからも穏やかな日々は続いた。
 何も起こらない、ただ日が昇って沈むだけの、二人だけの余生。
 けれど私達は予感していた。言葉にはせずとも、確かに感じていた。
 この日々はそう長くは続かない。その時はもう、目と鼻の先まで迫ってきているということを。


 それは月明かりの差し込む夜だった。
 いつものように同じベッドに潜り込むなり、彼が抱き着いて来た。
 背中に腕を回して、指が食い込むくらいに強く。
 子供のように私の胸の中に顔を埋めて、何かに耐えるように息を殺していた。
 熱いくらいの命を宿した身体が震えていた。出会ってこのかた、彼が初めて見せる弱った姿だった。
「急に、すまない……。許してほしい」
 誰かに謝られたのは、初めてだった。
 そうであれば、許すことも初めてだ。
 私は彼に顔を上げさせる。
 彼の髪を撫でてやって、そしてその唇に、自分の唇を押し当てる。私からも、彼を抱き締め返す。
 彼の身体から、余計な力が抜けていく。震えが少しずつ収まっていく。
 私はほっとする。このまま恐怖を抱いたまま、彼が逝くことはない。
 唇を離すと、驚いたことに今度は彼のほうから唇を押し付けて来た。
「すまない。でも、もう少しだけ。……僕のわがままに、付き合ってくれ」
 衣の下に彼の手のひらが忍び込んでくる。私の冷たい肌に、直接彼の命のぬくもりが触れる。
 乳房を掴まれる。動かないはずの、あるかどうかも分からない心臓が跳ねる。
 彼は、私を求めているの?
 私に、何を求めているの?
 混乱したまま、けれど私は、彼を、彼のしたいことの全てを受け入れるつもりでいた。
 再び唇が押し当てられる。今度は、唇の間から舌が入ってくる。
 舌先が私の舌に触れる。手繰り寄せられるように、舌先が絡み合う、誘い出されるように、私からも舌を伸ばす。
 舌から彼の命の熱が垂れ伝ってくる。触れ合う舌が、流し込まれる喉が、とろけてしまうほどに熱を帯びていく。
 必要ないはずの呼吸が乱れる。白と黒しかないはずの私の身体が、色づいていく。
 下腹を、彼の手のひらが撫でまわしてくる。足の付け根を、私の中心を、恐る恐るといった感じで指でなぞり始める。
 彼の手のひらに優しさを、その指先に情熱を感じる。長い時の中で乾いて凍り付いていた身体が潤み、ほぐれていく。
 彼の指が、いつの間にか濡れていた。私からあふれ出たもの。それ以外には無かった。
 唇が離れていく。私が求めて舌を伸ばしても、彼は離れて行ってしまう。
 そして熱い唇が、耳元に押し付けられる。耳の中に舌が入ってきて、嘗め回される。彼の出す湿った音だけが頭の中に響いて、声にならない息が漏れてしまう。
「可愛い声だね」
 囁かれ、思わず口を押える。
 しかし指の間から、喘ぐような声が漏れ続けてしまう。
 舌は耳から下り、首筋を伝い、胸元へ。揉みしだかれて熱を帯びた乳房を舐め上げられ、そして頂上の小さな膨らみを、啄まれ、甘噛みされる。
 甘い痺れが背筋を走り抜け、手足の指の先にまで広がっていく。
 舌で転がされ、音を立てて吸われる。
 ただそれだけで、頭の中にもやがかかったようにうっとりしてしまう。身体を覆う痺れが、甘やかな法悦へと変わっていく。
 へその下に、火傷しそうな程の熱が押し当てられる。
 彼の下腹部からそそり立ったそれ。鉄のように硬くて、抑えきれない熱を束ねて形にしたような、熱く滾る彼の生命。
 彼はそれを、濡れて、ほぐれた私の花弁へと押し当てる。
 そして彼は私を見る。終わりを悟れば刹那の欲望以外は捨て去ってしまう人も多い中で、彼は切なげに、でも確かに、私なんかの答えを待ってくれていた。
 私は微笑み、頷く。
 彼の熱を招き入れながら、その腰に足を絡み付け、背中に腕を回す。
「あぁ、あああああぁーっ」
 私の中の敏感で柔らかい部分を押し広げながら、彼が入ってくる。触れ合う部分から、私には無い生命の熱が、鼓動が直に伝わってくる。
 そして一番奥に、私の中心に、彼を迎え入れる。
 彼の放つ繊細で鮮烈な命の匂いに、これまでにない野性的な程の生命力に、私そのものが中から染めあげられていくようだった。
 その手が私をまさぐる。腕を、背中を、乳房を。普段触られることも、見られることもない部分を犯されていく。
 その腰が揺れ始める。擦れあうだけで甘く切ない感覚が胸を焼き、突き上げられるほどに下腹の奥が熱く滾ってゆき、まるで別の生き物のように激しく蠢き始める。
 これが、生命の営み。
 己を世界に残そうとする、生き物の本能。
 なんて熱くて、そして……。
「もう、我慢、出来ないっ。僕を、受け止めてくれ」
 私は彼を受け入れる。
 口づけを交わし、しがみついてくる彼の身体を強く抱きしめ返す。私の中で今にも思いを遂げようとしている彼自身ごと、すべてを包み込みたかった。
 私の中で、彼が脈打ち始める。まるで私の中心に、心臓が生まれたみたいだった。
 そして私の中に、彼の生きていた証が放たれる。彼がこの世界にいた印。新しい生命の元となるもの。彼の命を伝えていくものが。
 私の深いところに染み込んで、広がって、私を温かな気持ちで満たしていく。
 彼の脈動が収まっても、私の中心は熱を持ち続けた。胸の奥の鼓動は止まらず、呼吸ははずんだままだった。


 月の明かりの下で、私たちは裸のまま寄り添い続けた。
 お互い、何を言うわけでもなかった。時折髪を撫であい、肌に触れあい、唇を当てる。それだけで、わずかな命の温もりを共有できた。
「ありがとう」
 ひどく優しい顔で、彼はぽつりとつぶやく。
「死ぬ前に、すごくいい思いが出来た。幸せな気持ちになれた」
 私は泣きたい気持ちになって、彼の肩に縋りつく。
 身体が震えてしまうのはなぜだろう。彼が髪を、背中を撫でてくれるのに、一向に収まらないのはどうしてだろう。
「別に心残りってわけではなかったけれどね。でも、愛し合うことの素晴らしさを実感出来たと思う。それに、これで愛が憎しみに変わることを体感する前に逝ける。
 些細なことで傷つけあったり、醜い言葉で罵り合ったりする前に、綺麗なことだけを抱いたまま。
 君には、申し訳ないことをしてしまったけど」
 私は強く首を振る。
 髪が乱れるのも構わず、ただただ自分の気持ちを伝えたくて。
「ふふ、ようやく表情らしい表情を見せてくれたね」
 彼の手が私の頬に触れる。目元を拭ってゆく。
 手を重ねれば、その指先が濡れていた。熱い雫が零れ落ちて、つないだ手の間に落ちた。
「本当は、笑った顔が、見たかったけど、泣いている顔も、綺麗だ、本当に」
 声が小さくなっていく。
 手から力が抜けていく。
 目を閉じてしまう。
 命の匂いが……。
「僕なんかのために、泣いてくれて、ありがとう。辛いこと、ばかりだったけど……。あぁ、最期だけは、なんて、素晴らし、い…」
 嗚咽が抑えられない。
 消えてしまう。消えてしまう。
「いや。お願い。逝かないで」
 彼が目を開けてくれない。声を聴かせてくれない。私を撫でてくれない。
「いや。いや。いや。私を一人にしないで」
 胸が苦しい。引き裂かれるように痛む。
 ようやく感じた温もりが消えてしまう。
「あああ、ああああああ!」
 気づけば私は、体温を失いつつある胸元に顔をうずめて泣きじゃくっていた。
 今まで数限りない人間を見送り、嘆き悲しむ人間をも見守ってきた。
 こんなことは私にとっては当たり前のことで、慣れているはずだった。
 なのに同じように彼を見送ることが出来なかった。身体も心も耐えられなかった。これならば酷く罵られ、追い出されるほうがましだった。
 分かっていたのに。彼が逝ってしまうことは分かっていたことだったのに。
 私がどんなに泣いても、強くしがみついても、彼はもう何も言ってくれない。私に触れようともしてくれない。
 それがどんなに悲痛なことか、私は分かっていなかったのかもしれない。
 これからもこんなことが続くのだろうか。
 私はもう、彼のことは忘れられないだろう。魂には、彼の証が熱く刻み込まれてしまったのだから。
 きっとこれから、死者を見送るたびに彼のことを思い出す。
 彼との穏やかな余生。孤独ではないという幸福。愛し合うことの素晴らしさ。そして、彼を愛さなければもう少し共に居られたかもしれないという後悔。
 あぁ、でももう私の隣には彼はいない。
 ならばせめて、彼の身体が朽ち果てるまでずっとこうしていよう。
 彼が寂しくならないように、声が枯れるまで想いを伝え続けよう。身体が乾かぬように、涙を流し続けよう。
 命の無い私には、別れた後のほうが長い。それならば、この愛おしい一瞬を少しでも長く留めよう。
 彼とともに生きた証として。彼の魂が幸福に迎えられることを祈って。


















































 ふいに、私以外の音が聞こえた気がした。小さな風の抜けるような、息を吸うような音が。
「……まったく、騒がしくて眠れないじゃないか」
 声が聞こえた。愛おしい声が。
 そして背中に、細い腕が、しかし力強く回される。私を、抱きしめてくれる。
「しゃべれたんじゃないか。だったらもっと早く声を聞かせてくれたらよかったのに」
「だって。みんな私にしゃべるなって言うから。不吉な声で泣くなって。居なくなってしまえって……」
「似ているね。僕と」
 涙が止まらない。声が震えてしまう。
「どう、して。あなたは、確かに」
「どうしてだろう。でも、声が聞こえた気がしたんだ」
 彼は私の顔をまっすぐ見て、優しい顔になる。
「君の悲しい声が。僕を呼んでくれる声が。それで思い出したんだ。まだ君の笑顔を見ていない、泣き顔しかみてないじゃないかって」
 彼の熱い唇が、私に押し付けられる。
「思っていた通りだ。君には笑顔が似合う。とても可愛いよ。見つめられるだけで心臓がどきどきしてしまう。こんな風に隣で微笑んでくれるのなら、永遠に生きているのも悪くないかもね」
「……でも、あなたは死を望んでいたんじゃないの?」
 私が問いかけると、彼は複雑な表情で、けれども目はそらさずに答えてくれた。
「そうだね、終わらせてしまいたかった。
 でも、僕より辛そうな人もいたんだ。その人は縁もゆかりもない僕のそばに寄り添って、僕のわがままに付き合ってくれた。
 そして僕は死んだ。思ったより安らかな気持ちで逝けて、正直ほっとした。
 ……でもその時に同時に気づいたんだ。僕は死ねば終わるけど、その人の旅には終わりは無いんだって。ただ色んなものを一人で抱えて歩き続けるしか無いんだって。そう思ったら、自分が生きていたときよりも辛い気持ちになったんだ。
 そうしたら、また誰かの声が聞こえた。君に似ている声が、教えてくれた。僕が望みさえすれば、願いは叶うって」
「不死の呪い……。私と交わってしまったから。私が愛してしまったから」
「永遠の祝福だよ。いつまでも愛しい相手と寄り添い続け、命を蝕む孤独や苦痛から解放される、君からの贈り物だろう」
「でも、生きていたら辛いことだっていっぱいある。あなたはそれをよく知って」
「だとしても。僕がそばにいれば、君は寂しくないだろう? 君の痛みや苦しみは、少しは紛れるだろう」
 私は、体が震えて何も言えなくなってしまう。
 全身に温かいこそばゆいものが駆け抜けて、日向にただよっているような幸福感で満たされる。常に死の淵にある、不吉な存在のはずの私が。
「あー、でも、僕なんかでよかったのかな。ちょっと自信が」
 私は彼に抱き着き、押し倒す。
 答えの代わりに口づけの雨を降らせて、全身を愛おしむ。
「良かった。君が喜んでくれて」
 優しい彼の言葉。力強く私を抱きしめる身体。そして。
「それで、その、気が付いているかもしれないんだけど」
 あふれる彼の気持ちが、私のおなかに押し当てられていた。
「君が、欲しい。やっぱり一度きりじゃ満足できない。いや、君を知ってしまったからかな……。これからいくらでも時間はあるのに、みっともないけど」
「いいよ。来て」
 彼はちょっと驚いた顔で私を見る。
「そんな顔もするんだね。とっても素敵だ」
 どんな顔をしているんだろう。覗き込んだ彼の瞳に映っていた私の顔は、自分でもちょっと恥ずかしくなってしまう顔だった。
 彼は恥じらう私に口づけして、愛を囁く。
「君に、永遠の愛を誓う」
 そして彼が入ってくる。
 歓喜の声が重なり合い、互いの匂いに安らぎを覚える。それはまるで、足りなかったものが補われていくかのようだった。
 最期の不幸を共有し分け合った私達は、いかなる苦痛さえとろけてしまうような快楽とともに、幸福の絶頂に向かって昇り詰めていった。


 それは暖かで安らかな光。
 心を癒す調和の音色。
 懐かしい匂いは、大切なものを思い起こさせる。
 私の中に宿ったもの。
 私は、私達は今日もまた人の死に寄り添う。
18/12/31 01:23更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
はじめましての方ははじめまして。
お久しぶりの方は、だいぶお久しぶりです。


もう少し早い時期に何かを投稿したかったのですが。完成に至ることがなく時間ばかりが過ぎておりました。
そしてようやく書きあがったと思ったのですが、思わぬトラブルでそれは投稿できない状態に……。(まぁ原稿は無事なのでそれはいずれ)

しかし何とか今年中に投稿したいなぁと思っていた矢先、今回のバンシーさんと出会うことができました。

短い期間で何かが降りてくるまま書いたので、細かいところはゴニョゴニョ……。

雰囲気だけでも、どこか一か所でも楽しんでいただけていたら幸いでございます。

来年はもうちょっと投稿したい。(毎度のことですが)
こんなところまでお読みいただき、ありがとうございました。

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