読切小説
[TOP]
たゆたう想い
ラカールという名の街だった。
親魔物派の街で、街に住む人と魔物の比率はちょうど半々といったところ。
ミリアにこの街に連れてきてもらってもう三ヶ月になる。
現在グレイはパン屋で見習いとして、住み込みで働いていた。
「ありがとうございました」
常連さんのワーシープにパンの入った袋を渡し、頭を下げる。
グレイが住み込みで働いているパン屋はおかみさんが今まで一人で切り盛りしていて、おかみさんの人柄もいいからか愛用する人は多いようだった。
もちろん魔物にも好評で、今のワーシープのようにけっこうな頻度に買いに来るお客さんも多い。
働き始めた頃は店番なんて出来るか不安だったが、買いに来るお客さんが揃っていい人ばかりなので慣れるのに時間はかからなかった。
「ねじりパンが減ってるかな…」
売れ行きが好調で残りが少ないパンを確認し、おかみさんに報告しようとした時だった。
店の扉が開き、一人の少女が入ってきた。
長い金髪に赤い瞳。そして白い肌。
これだけ特徴的な容姿だと、大概の人はすぐにわかるだろう。
この少女もヴァンパイアの一人で、歳はグレイと同じ15。
ヴァンパイアと聞くと反射的に故郷を襲撃してきたアイツを思い出してしまうが、アイツと目の前の少女は違う。この少女はおよそ同じ種族とは思えないくらいに穏やかな性格をしている。
「ああ、エリスか。また買いに来たのか?」
「うん。いつものある?」
エリスの言ういつものとは蜂蜜がたっぷりとかかったパンで、この店ではかなり人気の一品だ。だからすぐに売り切れてしまうことが多い。
「どうせ来るだろうと思って取っといた。他は何か買っていくか?」
本当はこういうひいきはよくないのだが、最近は毎日買いに来てくれるのでこれくらいのサービスはしたっていいはずだ。
グレイは心の中で言い訳しながら、取っておいた蜂蜜パンを出す。
「ううん、これだけでいい。はい、代金」
エリスはいつものようにぴったりとおつりの必要がない代金を差し出してくる。
「ん。はい、まいど。じゃあ、またよろしくな」
商品と代金の受け渡しが済んだので、グレイはそう言って別の作業をしようとする。
「あ、グ、グレイ。ちょっといい?」
ところが、なぜかエリスはいつものように帰らず、声をかけてきた。
「ん?どうした、まだ何か用か?」
「あ、あのね、グレイは仕事を休める日ってある?」
休める日?
「うーん、どうだろう。おかみさんに聞かないと分からないな」
おかみさんは早くに旦那さんを亡くし、子供もいないので今までは一人で店を切り盛りしていた。
今でこそグレイもいるが、やはり一人より二人の方が店番をしなくていい分、おかみさんは楽だろう。
住み込みで働かせてもらっているわけだし、休みをもらうわけにはいかない気がする。
「あたしがなんだって?」
グレイがあれこれと考えていると、おかみさん本人が現れた。
「うわ!おかみさん、聞いてたんですか?」
「ちょっと聞こえただけさ。おっと、エリスちゃんか。いつも買ってくれてありがとね」
「いいえ、おばさんのパンはおいしいですから」
笑顔で答えるエリスにおかみさんは微笑む。
「嬉しいこと言うねぇ。それで、どうしたんだい?」
「あ、エリスに仕事を休める日はあるかって訊かれたんで」
そう言った途端、エリスは急に顔を赤くし、うろたえた声を出した。
「ちょ、ちょっとグレイ!なにもそんな正直に言わなくても!!」
「え?なんで?」
ありのままの事情を話して何が悪いのだろう。
そんな二人のやり取りを見ていたおかみさんは、意を得たりとばかりに声なく笑った。
「エリスちゃんの酒場は確か、明後日は定休日だね。明後日のうちの予定は特になしか…。うん、問題ないね」
一人頷くおかみさんを不思議に思い、グレイは声をかける。
「あの、おかみさん、何が問題ないんです?」
「グレイ、あんたは明後日、仕事は休みね」
いきなりの発言にグレイは目を見開く。
「ええ!?いきなりなんですか!?」
「別におかしくないだろ。あんた、うちの店に来てからずっと働きっぱなしだし、たまには休みをあげないと体が参っちまうよ。そんなわけだから、明後日は休みね」
おかみさんはそれだけ言うと、「おっと、ねじりパンが少ないね」と呟きながら奥に引っ込んでしまった。
「…なんか急に休みになったな…。で、エリスはなにか俺に用事でもあるのか?」
「な、なにもないよ!じゃあ、私は帰るから!!」
気を取り直して尋ねると、なぜかエリスは顔を赤くして走り去ってしまった。
よくわからない少女だ。
あれが俗に言う乙女心なのだろうか?
男のグレイは理解出来ないとばかりに首をひねったのだった。




太陽が二回昇って、グレイが休みの日。
貸してもらっている部屋から出て工房を覗くと、おかみさんがせっせとパンを焼いていた。
「あの、おかみさん。やっぱり手伝い―」
「いらないよ。朝ごはんは用意してあるから、食べたら街でもふらふらして来な」
おかみさんはグレイを見向きもしないで、焼き上がったパンを店頭へと持っていった。
あの様子では、間違いなく手伝いをさせてはくれないだろう。
「困ったな…」
街をふらふらといっても、そもそも何をすればいいのか分からない。
こう、なにも目的がないというのはどうも苦手だ。
朝ごはんを食べ終わって、さてどうしようかと家を出た時だった。
唐突に声をかけられた。
「あ、グレイ」
見ればエリスがすぐ傍にいた。
ただ、心なしか少しお洒落な格好をしている。
「エリスか。どうしたんだ?店の扉は向こうだぞ?」
そういえばエリスも今日は休みらしいし、またパンを買いに来たのだろう。
…なんで店の裏にいるのかは謎だが。
「あ、うん…。その、ね、グレイは今日なにか予定ある?」
「いや、まったく。何しようかと悩んでいたところだ」
「じゃ、じゃあ、もしよかったら、私と買い物でも行かない?」
買い物か。
まあ、それもいいかもしれない。
だが、それを言いだしたエリスの顔がやたらと赤い。
これで大丈夫なのだろうか?
「おい、エリス。顔赤いぞ?大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫!」
目を逸らしながらそんなことを言われても説得力がないが、本当に大丈夫なのだろうか?
「うーん、まあ、エリスがそう言うならいいけどさ。で、どこに買い物に行くんだ?」
「え?一緒に来てくれるの?」
「することないし、そういうのも悪くないと思ってさ。だから一緒に行くよ」
グレイがそう返事を返すと、ぱあっと音がするくらいにエリスの顔が笑顔になった。顔立ちが整っているので、間近でそんな笑顔を見せられるとさすがにドキリとしてしまう。
「あ、あー、それじゃ、行こうか」
「うん♪」
さっきまでの様子はどこへやら、嬉しそうに笑うエリスとともにグレイは街へと繰り出したのだった。
二人が最初に来たのは様々な店が並ぶ通りだ。
「いい匂いがするね」
エリスがそう言ってしまうのも無理はない。
なにしろ出店があちこちにあり、出来たてのパンだの、焼いたばかりの肉の香りだのが漂っているのだ。
「そういえば、エリスは朝ごはんは食べたのか?」
それに対して首を横に振るエリス。
つまり食べてないらしい。
朝ごはんも食べずに何をしてたんだこの娘は。
そう思うも、口には出さずに至極真っ当な提案をする。
「じゃ、適当にその辺の露店で買い食いでもするか」
そんなわけで、いい匂いを漂わせているパン屋の露店に向かった。
グレイはソーセージを挟んだパンを、エリスは砂糖をこれでもかとまぶしたパンをそれぞれ買うと並んで歩き出した。
育ち盛りということもあり、グレイはさくっとパンを食べ終わってしまったのだが、隣りを歩くエリスはというと両手でパンをしっかと持ちながらマイペースに食べている。
そんな様子がどことなくリスに似ていて可愛らしい。
可愛らしいのだが、じろじろ見ているのも悪いのでなるべく見ないようにしていると、目の前に食べかけのパンが差し出された。
「どうしたんだ、エリス?」
「グレイ、よかったらこれ食べてくれない?なんだか緊張しちゃってあまり食欲ないから…」
「緊張って、なんで?」
ただ買い物に行くだけなのに緊張する理由が分からない。
「…いいから!」
ほとんど強引にパンを渡された。
「まあ、食欲ないって言うならもったいないから食べるけどさ」
そんなわけでエリスの食べかけをかじる。
「あ!グレイ、待って―」
「んあ?」
かじった後になぜかエリスに制止された。
食べろと言ったり待てと言ったりなんなのだろう。
「今度はなんだ?やっぱり食べる気になったのか?」
しかしエリスはほんのりと頬を赤くすると視線を逸らしてしまう。
「えっと、その…、そ、それ、おいしい?」
「これか?まあ、うまいと思うけど。ちょっと甘すぎな気もするけどな」
そう言って再びパンをかじる。
これといい、蜂蜜パンといい、エリスはよく甘いパンを買っていく。
ひょっとして甘党なのだろうか?
「そ、そう…」
エリスはますます顔を赤くしながら視線をさ迷わせていたが、時々ちらちらとこちらを見てくる。
「なんだ、やっぱり食べたくなったのか?ほれ」
残り僅かになったパンをエリスへと差し出す。
「え…、でもこれは―」
何かを言おうとしたエリスだったが、結局それを言うことはなく、まるで傷ついた小鳥でも受け取るかのようにパンを手に取る。
そしてしばしの間グレイがかじった辺りを見つめると、頬を赤くしながらゆっくりとそれを口へと入れた。
少し嬉しそうなのはなぜだろう?
グレイにはさっぱり分からないが、エリスは満足そうなので良しとしよう。
その後二人は色々な店を回った。
ほとんどの店は覗くだけだったが、そのうちのいくつかでは買い物をした。
その一つが男女両方の服が売っている店。
アラクネが店主で、幅広い年齢層に対応できるように様々な服が置いてあった。
ここでのエリスの買い物はかなり長かった。
試着室があるので、服を取り替えてはグレイに感想を求めるのだ。
「これはどうかな?」
何度目か分からない感想を求められたのは鮮やかな緑のワンピース。
「そうだな、今までの中でも一番いいんじゃないか?」
「ほんと?じゃあ、これにする」
いそいそと試着室へ服を脱ぎにいくエリスを見送りながら、グレイは思った。
正直、美人なんだからどれでも似合うんだけどな、と。
エリスに限ったことではないが、基本的に魔物はみんな美人だ。
それもこの街に来てから気づいたことだが。
その中でも、ミリアは有り得ないくらいに美人だったと思う。
想い人の姿を頭の中に思い浮かべながら女性用の服を眺めていると、会計を済ませたエリスが戻ってきた。
「お待たせ」
「もういいのか?」
「うん。待たせてごめん。もうお昼だね」
確かにそんな時間だった。
他の店での滞在時間はそんなに長くないので、ここには随分いたらしい。
「ん、そうだな。で、どうする?やっぱり露店で買い食いするか?」
食堂や酒場での食事は金がかかる。
その点、露店での買い食いなら安く済むのでそう言ってみたのだが、エリスは嫌だったらしい。
「えと、お昼はちゃんとしたとこで食べない?」
「そういうところで食べるとお金がかかるけど、いいのか?」
お互い働いているとはいえ、まだ若い分給料もそう多くない。
だから安く済む方がいいと思ったのだが。
「大丈夫だよ。グレイこそお金は大丈夫?」
エリスに、というか、女にお金の心配をされるのは男として情けない。
グレイはそう思っている。
「生憎、お金の使い道がなくてな。今まで貰った給料はほとんど手を付けてない。だから大丈夫だ」
「じゃあ行こう。おいしいとこ知ってるんだ」
嬉しそうなエリスとともにグレイは街を歩いて行く。
そして案内されたのは少し広場から離れた通りにある食堂だった。
「ここか?」
「うん。さ、入ろう?」
少し古めかしい感じのする扉を開けて店内に入れば、そこは洒落た作りとなっていた。
いかにもエリスが好みそうな店だななんて思いながら席につくと、サキュバスの娘が注文を取りにきた。
「いらっしゃいませ…って、エリスじゃない」
「こんにちは、今日も食べに来ました」
やりとりと聞くに、エリスはよくここに来るらしい。
店員のサキュバスとは少し歳が離れているが、それでも楽しそうに話している。
だが、不意にサキュバスの目がこちらを見た。
「で、さっきから気になってたけど、この男は誰?エリスの彼氏?」
「ち、違います!私達はまだそんな仲じゃ…」
彼氏?
ただ一緒に食事に来ているだけなのに、それだけで付き合っているように見えるのだろうか?
首をひねるグレイをよそに、サキュバスは意地悪そうに訊き返した。
「まだってことは、いずれそうなる気はあるんだ?」
「そうじゃなくて!そ、そんなことより注文を聞いて下さい!!」
顔を赤くして声を張り上げるエリスに、サキュバスはクスクスと笑う。
「はいはい。で、何にするの?お二人さん♪」
「そうだな。エリス、ここのお勧めとかってあるのか?」
なんだか放っておくといつまでもこのままな気がしたので、とりあえずサキュバスを睨んでいるエリスに訊いてみる。
「え?えーと、お勧めはシチューかな」
グレイの声に気が付いたエリスは、すんなりと睨むのを止めてそう教えてくれた。
「じゃあ、俺はシチューで。エリスは何にする?」
「そうだね、私もシチューにしようかな」
「はい、シチュー二つね。あ、よかったら大きい皿に一つにまとめてきてあげましょうか?」
「余計なことしないで下さい!」
そろそろ限界だったらしく、立ち上がるエリスにサキュバスは楽しそうな笑顔を向けた。
「はいはい二つね。エリス、そんな怖い顔していると可愛い顔が台無しよ?彼にも見えちゃうんじゃない?」
そう言われて、エリスはハッとしたように両手を頬に当てて顔を逸らした。
隠しているつもりなのかもしれないが、はっきりって今更手遅れだと思う。
そんなエリスは見なかったことにして、グレイは店内をぼんやりと眺めた。
客の入りは二割程で、席のほとんどが空いている。
ちょっとした穴場なのだろうか。
どうでもいいことを考えていると、正面に座ったエリスが何事かをぶつぶつと呟いているのが聞こえた。
「私とグレイが恋人に見えた…?」
やはりエリスも同じように感じたらしい。
うん、やっぱりそうだよな。
一緒に食事に来たくらいで恋人に見えるなんておかしい。
グレイはそう思っているのだが、その割にエリスが嬉しそうなのはなぜだろう?
「エリスはよくこの店には来るのか?」
「え?あ、うん。こういう静かなお店の方が好きなんだ。だから、仕事が休みの日は割とよく来るかな」
だからあんなに店員と仲がよさそうだったのか。
一人納得するグレイに、今度はエリスが質問してきた。
「グレイはいつもどういう店に行くの?」
「俺か?うーん、やっぱり友達と行くことが多いから、騒いでも大丈夫なとこかな」
年頃の女もそうだが、男が何人も揃うと、それはそれで騒がしいのだ。
「騒いでも大丈夫なとこって、酒場?」
「基本的にそうなるな。あ、エリスの酒場にも行ったことあるぞ」
「知ってる。その日は働いてたもん」
そんな話をしているうちにシチューが運ばれてきた。
「はい、お待たせしました」
先程のサキュバスがテーブルへとシチューを置いていく。
そしてエリスの前にシチューを置くと同時に、彼女に声をかけた。
「エリス、ちゃんと彼にはい、あーんてしてあげるのよ?あれやると男は絶対喜ぶから」
「しません!!」
なんだかいらん知識を教えるサキュバスに、エリスは顔を赤くしながら即座に言い返す。
「冗談よ冗談。じゃ、ごゆっくり〜♪」
自分の発言がもたらした結果などまるで気にしてないようで、サキュバスは手をひらひらさせながら行ってしまう。
「まあ、なんだ。とりあえず食べようか」
顔を赤くして俯いてしまったエリスに一声かけると、グレイはシチューをすくって口に運ぶ。
ミルクの香りと野菜の味が噛み合っていて、素直においしい。
これならエリスがお勧めするのも分かるなと思いながら二口目を食べようとすると、エリスの声がした。
「グレイは、そ、その、あーんとかしてほしい?」
なにを言いだすんだと思いながらエリスを見れば、顔を赤くして俯かせながらも、ちらちらとこちらを見ている彼女と目が合った。
「あー、そういうことは恋人同士でするもんじゃないか?」
「そ、そうだよね!」
ホッとしたような、それでいて少し残念そうな顔のエリスは軽く笑うと、シチューを食べ始めた。
「グレイ、シチューの味はどう?」
「うん、うまいな。エリスのお勧めなだけはあるよ」
「そう?よかった」
返事を返したところで、ふと思った。
そういえば、ミリアもシチューを作ってくれたっけ。
味は今食べているシチューと比べるべくもないが、それでもおいしかったことは覚えている。
このシチューにはない何かが、ミリアのシチューにはあった気がするのだ。
「どうしたの、グレイ。手、止まってるよ?」
「あ?ああ、なんでもない」
あの日のことを思い出しているうちに手が止まっていたらしい。
不思議そうなエリスに笑みを返すと、グレイは食事を再開する。
だが一度思い出すとそう簡単に頭から消せるものではなく、食べている最中に何度もミリアのことを思い出してしまい、そのせいでシチューを食べ終わったのはエリスとほとんど同時だった。
「ごちそうさま」
「おいしかったね。じゃあ、私は会計を済ませてくるから」
「待った。今俺の分を出すよ」
しかし財布を出そうとした手はエリスによって阻まれた。
「出さなくていいよ。今回は私は払うから」
「いやいや、そういうわけにはいかないだろ」
理由もなくエリスにおごってもらうのはさすがに気が引ける。
「今日のお礼だから気にしないで」
「お礼って、なにに対しての?」
今日したことといえばエリスとともにいくつかの店を回っただけ。
礼をされるようなことをした覚えがない。
「買い物に付き合ってくれたお礼だよ」
ニコリと笑うと、エリスは会計を済ませに行ってしまった。
買い物に付き合うのは、お礼をされるほどのことなのだろうか?
一人取り残されたグレイは首をひねったのだった。



時刻は夕方。
二人はどこに向かうでもなく、街の中をのんびりと歩いていた。
そんな時、隣りを歩いていたエリスが唐突に足を止めた。
「エリス、どうかしたのか?」
「ねえ、グレイ。ここ覚えてる?」
「ここ?」
今二人がいるのは少し細い道。
いくつか店もあるが、取り立てて賑わう通りでもない。
「うーん…。通ったことはあるってくらいかな。ここがどうかしたのか?」
グレイの問いかけに、エリスはクスリと笑った。
その妙に大人びた笑顔はなぜかミリアを彷彿させ、グレイは思わずどきりとしてしまう。
「ここは、私達が初めて会った場所だよ」
そう言ってエリスは近くの店の軒先へと移動した。
その軒先にちょこんと立っている姿を見て、グレイはようやく思い出す。
「ああ、そうか…」
あれは大雨が降っている日だった。
確かこの街に来て一カ月くらいのことで、その日グレイは友達の家に遊びに行っていた。
朝は気持ちいいくらいに晴れてたのに、昼過ぎから急に大雨となったのだ。
当然傘など持ってきていなかったグレイは友達から傘を借りて帰ることにした。
その帰り道にここを通り、グレイはエリスと出会った。
エリスは軒先で雨宿りをしていて、困り顔で空を見ていたのだ。
確かあの時エリスは荷物を抱えてた気がする。
グレイが声をかけたのは、だからだろう。
「これ、よかったら使えよ」
そう言って借りた傘を差し出していた。
「え?」
でも、それじゃ、あなたが濡れるよ?と目で問いかけてくるエリスにグレイは笑って答えた。
「荷物、濡れたら困るんだろ?俺は走ればすぐだから」
ほとんど強引に傘を手渡すと、グレイは走って家まで帰ったのだ。
これがあの日の出来事だ。
言われて思い出した。
あの日と違って今は雨が降っていないからか、まるで別の景色に感じた。
だから気づかなかった。
「思い出してくれた?じゃあ、これ」
エリスはそう言って、持っていた紙袋を差し出してきた。
グレイの記憶が確かなら、この中には買った服が入っているはずだ。
「これは買った服じゃないのか?」
「これはあなたへのお礼の服。あの日、私は本当に困ってたから、傘を貸してもらってすごく助かったの。だからそのお礼」
「いや、傘を貸しただけだぞ?礼の品を買うようなことでもないだろ」
「お礼をするには充分だよ。ヴァンパイアはね、水に濡れると大変なことになるんだ。それは雨も同じ。だから、あの時傘を貸してくれたグレイにはとても感謝してるの。これはその気持ち」
意外な事実を知った気がする。
ヴァンパイアは水が苦手なのか。
そうだとしたら、エリスがお礼をしようとするのは理解出来なくもない。
それでも礼の一言でいい気がするが、こうして品物を用意されてしまったら受け取らないわけにもいかない。
「その、なんていうか、ありがとな」
恥ずかしく思いながらも差し出された袋を受け取ると、エリスは微笑んだ。
「今日はありがとう、グレイ。あの、それでね」
そこで一旦話すのを止めると、エリスはもじもじしながらちらりとグレイを見た。
「その…よかったら、また付き合ってくれる?」
「あ、ああ。いいぞ」
お礼を言うよりもよほど恥ずかしく感じるのはなぜだろう。
こんなことを言われるのは初めてだからだろうか?
「ほんと?じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか」
どことなく嬉しそうなエリスとともに帰路につく。
二人の頬が赤いのは夕日が照らしているからではないはずだ。
そしてその後は無言のまま、二人は家へと帰ったのだった。
その夜。
エリスからの贈り物を見たグレイは色々な意味でため息をついた。
貰ったのは紺色の上着。
明るめの紺色で、余計な刺繍もないシンプルなデザインだ。
それだけに、貰いっぱなしなのは申し訳ない気がする。
「やっぱり礼はするべきだよな。どうするかな…」
幸い、また買い物に付き合う約束はしてある。
その時までに渡す物を用意すればいいか。
一旦、贈り物についての考えを保留したグレイは寝ることにしたのだった。


翌日。
珍しく客がろくに来ない店内で、グレイはぼんやりと考え事をしていた。
もちろん考えているのはエリスへのお礼。
しかし、女の子にあげる物は一体なにがいいのだろう。
「エリスの喜びそうなもの…」
声に出してみたものの、全く思いつかない。
そもそも、エリスどころか女の子が喜びそうなもの自体がグレイは思いつかないのだ。
エリスの好きなものってなんだ?
甘い物は好きみたいだが、こういう場合は食べ物ではなく、何か形に残る物のほうがいいはず。
だからといって同じように服を買って返すのはなんだかおもしろくないし、一体どうしたらいいのだろう。
いや待てよ、エリスはヴァンパイアだから、血を吸わせてあげれば喜ぶか?
そんな馬鹿な考えを真剣に考慮しているグレイに声がかけられた。
「グレイ、真剣な顔してどうしたの?」
「……」
つい今し方店に入って来たエリスがそう尋ねたが、あれこれと思案しているグレイは全く気付いていない。
「もしもーし?」
「……」
「グレイ、お客さんだよ?」
「……」
何度呼びかけてもグレイが反応しないことに業を煮やしたのか、エリスはその肩を掴んで揺らした。
「ねえ、グレイったら!」
「うお!?なんだなんだ!?」
いきなり揺れたので地震かと思って周りを見れば、目の前にエリスがいた。
「なんだじゃないよ。呼びかけても反応なかったけど、どうかしたの?」
どうかしたのと聞かれても、まさかエリスへの贈り物を考えていたとは言えない。
ただ、これはチャンスだ。
何を贈ればいいか分からないなら、本人からそれとなく聞き出せばいいじゃないか。
そう思ったグレイはさっそく実行に移した。
「いや、ちょっと考え事をな。それよりエリスは今欲しいものってあるか?」
「欲しいもの?」
鳩が豆鉄砲といった様子のエリスだったが、すぐにその頬に赤みがさしてくる。
「な、なんで急にそんなこと言うの?」
「え、ああ、いや、なんとなくかな。いきなり欲しい物って言われて、エリスは思いつくかなと思って」
グレイの言葉にエリスはますます顔が赤くなっていく。
一体なにを思いついたんだ、この娘は。
「私の欲しいもの…」
消え入りそうな声でちらちらとグレイの方を見るエリス。
ん?何を見ているんだ?
わずかに首をかしげるグレイだったが、すぐに納得した。
グレイとエリスの間には小さなカウンターがあり、そこにはおかみさんが作ったパンが並んでいる。
パン屋に客が来る理由なんて一つしかない。それはエリスも同じはずだ。
「ああ、そういえば買い物に来てるんだよな。悪い悪い。で、なにを買うんだ?」
「え?ああ、そう、だね…」
なぜか残念そうにため息をつくエリス。
「じゃあ、いつものと食パンを」
エリスのちょっと困ったような顔を不思議に思いながらも、カウンターからパンを取り出して袋に入れる。
「お待たせ。ほら」
「ありがと。それでね、グレイ。来週は休み貰えそう?」
「来週?」
ああ、そういえばまた買い物に付き合うって約束したんだった。
どうも考え事をしていると他のことが頭から消えてしまってよくない。
「あー、とりあえずおかみさんに訊いてみるよ。結果はまた買いにきてくれた時に話せばいいか?」
「うん、わかった。じゃあね、グレイ」
朗らかな笑みとともに軽く手を振りながら、エリスは店から出て行く。
そんなエリスの後ろ姿を見送りながら、グレイはふと思った。
今度は何を買うのだろうかと。
「まさか、また俺への贈り物じゃないだろうな?」
頭にそんな考えが浮かんできて、グレイは自分で自分を笑ってしまう。
いくらなんでもそれは自意識過剰だ。
自分自身に呆れたため息をつきながら、グレイはカウンター付近の掃除を始める。
大して出来のよくない自分の頭で考えたってろくなことを思いつかないのだ。
どうせ考えたってわからないのだから、その時に考えればいい。
エリスへの贈り物と同様に結論を先送りにすると、グレイは箒で床を掃き続けたのだった。


翌週。
なぜかおかみさんに明日は休めと言われて、再び休みをもらうことになった。
偶然なのか、それとも狙ってそうしたのか、エリスの働いている酒場が休業の日だ。
当然、毎日店に来ているエリスもそれを知り、今日はエリスの働いている酒場の前で待ち合わせをしていた。
まさか先週休みをもらったばかりで今週も休みをもらえるとは思っていなかったので、エリスへの贈り物は未だに思いついていない。
だが、今日は、というか今日も買い物なので、それとなくエリスが好きそうな物を探せばいいだろう。
大まかな今日の予定を考えながら待ち合わせ場所に行けば、エリスは既に来ていた。
しかし、なぜかバスケットを持っている。
「おはよう、グレイ」
「ん、おはよう。で、なんでそんな物持ってるんだ?」
「これ?これはお昼ご飯。この前みたいに食堂で食べるとお金かかっちゃうから、今日は作ってきたんだ。あ、ちゃんとグレイの分もあるからね」
どうやらバスケットの中身はエリスお手製の昼食らしい。
それはいいのだが、これから買い物だというのに、そんな物をずっと持っていたら疲れるはずだ。
「エリス、これは俺が持つよ」
「え?でも…」
「ずっと持ってたら重いだろ?俺は平気だから」
そう言ってエリスからバスケットを譲り受ける。
「ありがとう、グレイ」
エリスは嬉しそうに微笑む。
その眩しいくらいの笑顔に、グレイは不覚にも可愛いと思ってしまう。
だが、すぐにハッと我に返る。
自分には想い人がいるのに、なんで見惚れているんだ。
「じゃ、じゃあ、行こう」
見惚れていたのを誤魔化すように頭をかくと、グレイは一足先に歩きだす。
それに遅れずついてくるエリス。
今日も二人の買い物が始まった。
ところが、買い物をするつもりが午前中は広場での演劇観賞で終わってしまった。
最初は少しだけ見物するつもりが、すっかり二人とも夢中になってしまったのが原因だ。
囚われた姫を騎士が救い出すというありふれた劇が終わると、いい時間だった。
「すっかり夢中になっちゃったね」
「ああ。ま、買い物は午後からでいいだろ。それより昼にしないか?」
「うん。じゃあ、あのテーブルにしよ」
ご自由にお使い下さいとばかりに置かれているテーブルの一つに座ると、バスケットを置く。
ふたを開けて中身を見れば、そこにはきれいにサンドイッチが詰められていた。
「良く出来てるな。エリスは料理が得意なのか?」
「得意ってほどじゃないよ。一人暮らしだから簡単なものが作れるだけ」
エリスは謙遜しているが、目の前のサンドイッチはお世辞抜きにおいしそうだ。
「そう言うわりにはよく出来てると思うけどな。食べていいか?」
「もちろん。そのために作ってきたんだし」
「じゃあ、いただきます」
遠慮なくレタスとハムを挟んであるサンドイッチを手に取って、かぶりつく。
取った時はわからなかったが、見えないところにチーズが挟んであっておいしい。
「うん、おいしいな。エリスはいいお嫁さんになれるよ」
「お、お嫁さん!?」
グレイの言葉に、なぜか急に顔を赤くしてうろたえた声になるエリス。
なにか変なことを言っただろうか?
「うん、お嫁さん。料理が出来るのはいいお嫁さんの条件だと思うしな」
結婚するなら料理が出来る人の方がいいでしょ?と言っていたミリアの言葉が思い出される。
そういえば、ミリアはあれから料理の腕前は上達したのだろうか?
なんだか相変わらず味の薄い料理を作っていそうな気がする。
「…グレイは、料理が出来る人が好きなの?」
「ん?ああ、そうだな。出来ないよりは出来る人の方がいいかな」
「そっか…」
神妙な顔で小さく頷くエリス。
あれは一体なにを意味するのだろう。
ちょっと気になったが、とりあえずは昼食が優先だ。
二つのサンドイッチを頬張りながら、グレイはエリスに会話を振った。
「ところで、なんでエリスは一人暮らしなんかしてるんだ?」
それが失言だったと気付いたのは、エリスの表情が曇ってからだった。
曇ってしまったエリスの顔を見てグレイは慌てて弁解しようとするが、こんな状況では何を言えばいいのか分からず、口からは呻くような声しか出てこない。
そんなグレイに、エリスは弱々しく微笑んだ。
「私の両親は、勇者に殺されちゃったんだ。でも、お母さんが転移魔法で逃がしてくれたから、私は今ここにいる。私が一人暮らしなのは、そうするしかなかったからだよ」
語られたエリスの過去に、グレイはほとんど呆然としてしまう。
これではまるで自分と同じではないか。
アイツに故郷を滅ぼされ、友とミリアの助けで今ここにいるグレイと、エリスの境遇はあまりにも似ている。
「ごめん、聞いていいことじゃなかった」
「謝らなくていいよ。嘘はつきたくないから、勝手に私が話しただけ。それよりグレイはなんでおばさんの所にいるの?親戚ってわけでもないよね?」
「俺は…」
エリスがそうしてくれたように、こちらも全てを話そうとして開きかけた口が止まる。
全てを話すなら、自分のことについても言わなくてはならない。
そう、忌み血のことも。
だが、今のエリスの話を聞いた上で自分が勇者の血を引いているなど言えるわけがない。
だから、ごまかすしかなかった。
「俺は、少し前まで反魔物派だったんだ」
「え…、グレイが?」
信じられないといった様子でエリスがこちらを見てきた。
「信じられないだろ?でも、本当なんだ。俺はある人に出会って、魔物に対する考えが変わった。その考えが間違いじゃないって確かめたかったから、この街に来たんだ」
目を閉じれば、すぐにその人の姿が鮮明に浮かぶ。
白銀の髪に深紅の瞳。黒い翼。人ではあり得ない美貌。
それら全てを合わせ持ったミリアの姿が。
彼女のことを思い出す度に胸が熱くなるのは、きっと自分が恋焦がれているからだろう。
「ね、グレイ。あまり訊いていいことだとは思えないけど、それでも訊いていい?」
「なんだ?」
「グレイのご両親はどうしてるの?」
予想できた質問だ。
だからこそ、エリスのように顔に出すことなく答えることができた。
「俺の親は両方とも俺が7歳の時に亡くなったよ。二人とも流行り病だった」
「…そっか」
ぽつりと呟くエリスはこちらを見てどこか悲しそうに笑った。
「グレイは、私と同じだね。お互いに親を失くしちゃった」
「そうだな。確かに似た者同士だな」
そう言って、グレイは笑った。
お互いの過去を知り、二人はともに屈託なく笑いあう。
二人の距離が一歩縮まった瞬間だった。


変わらぬ日々に変化があると、月日が流れるのは早い。
グレイにあった変化は一つだけだが、そのおかげであっという間に二カ月が過ぎた。
その変化とは、一週間のうち一日だけは毎週休みをもらえるようになったことだ。
最初のうちは偶然休みが同じだった男友達と近くの川に釣りに行ったりもしたのだが、そうそう休みが同じになるはずもない。
グレイが休みをもらえる日はなぜかエリスの酒場が休業日の日で固定されているので、次第に休日はエリスと過ごすことが多くなった。
最近ではエリスと一緒に街を気ままに歩くのがグレイの休みの日の過ごし方だ。
そして今日は休みの日。
当然のようにグレイとエリスは二人で街を歩いていた。
なにか目的があるわけでもなく、他愛もない話をしながら歩いているだけ。
たったそれだけなのに、不思議と楽しいのだ。
だが、そんな二人だけの時間は唐突に終わった。
「なんだ、今日もデートしてるのか。お前らも飽きないよな」
妬みにも聞こえる言葉を言ってきたのは、グレイの友達だった。
作業着を着ているところを見ると、仕事中なのだろう。
それでも、顔はおもしろいものを見つけたようににやにやと笑っていた。
「デートって恋人同士でするものだろ。俺達はそういう関係じゃないぞ」
一緒にいて楽しいから、こうして並んで歩いているだけ。
友達なら普通のはずだ。
隣りで顔を真っ赤にしたエリスが顔を俯かせていることには気づかずに、グレイはそう言い返した。
「いや、お前、それはいくらなんでも考え方が古すぎるだろ…。まあそれはともかく、邪魔者は消えるからデートを楽しむといいさ」
そう言って友人は「なんで俺はモテないんだ…」とか呟きながら行ってしまった。
そんな出来事があった翌日。
昨日、友達に言われたことを思い出し、グレイは物思いにふけっていた。
「まったく、俺とエリスはそんな関係じゃないっていうのに…」
第一、自分には好きな人がいる。
その想い人の姿を思い浮かべようと目を閉じると、そこに映ったのは楽しそうに笑うエリスの姿。
「え?」
なぜ、エリスが映るのだろう。
今までミリアがいた場所にエリスがいる。
しかも、それだけではなかった。
ここ最近では、今日はなかなか来ないだの、新しいパンが出来たから勧めてみようだのと、暇な時間があればエリスのことを考えている自分がいる。
その変化に気づいたせいで、一週間が過ぎるのはあっという間だった。
なんの変りもない一日が終わって店を閉め、夕食を食べて後は寝るだけ。
明日は恒例の休みの日だ。
明日もエリスに会うことになんの疑問も抱いていないグレイは、ベッドに寝転がって天井を見つめていた。
頭にあるのはエリスのこと。
一体いつからこうなったのだろう。
この街に来た頃は、頭の中はミリアのことでいっぱいだったはずなのに、今はそれがエリスになっている。
これでは、まるで自分の好きな人はミリアではなく…。
そんな考えを打ち消すようにグレイは体を起こすと、ベッド脇にある小さな引き出しからあるものを取り出す。
それは艶やかな光を放つ黒い羽。
ミリアと別れた時に空から降って来たものだ。
それを手に取り、ぼんやりと彼女の名を呟く。
「ミリア…」
その時、違和感を感じた。
羽がわずかに熱をもったようなのだ。
そして続けざまに頬を小さな風がなでた。
不思議に思って室内を見ようとした時、声をかけられた。
「思ったより早い呼び出しね。久しぶり、グレイ君。どうかしたの?」
懐かしい声がして顔を上げれば、そこにはミリアがいた。
「ミリア?なんで、ここに…」
「私の羽は少し特別なの。まあ、そんな話はどうでもいいとして、何か悩んでいるみたいね」
穏やかな笑みを浮かべたミリアに、グレイは心が安らぐのを感じる。
ただ、それと同時に違和感もある。
ミリアが傍にいて、落ち着くのは間違いない。
でも、エリスの方が一緒にいて落ち着く気がするのだ。
「悩んでいるといえば、そうなんだが…」
言ってもいいのかと、グレイは悩んでしまう。
「言えないの?困った子ね。じゃあ、無理矢理訊いた方がいいのかしら?」
いたずらっぽく笑うミリアの手に青い炎が現れる。
初めて会った時に失礼な態度を取ったら、あぶってやると脅された幻の炎だ。
それを見て、グレイは苦笑してしまう。
こいつは何も変わらないなと。
「わかった、わかったよ。話すから。だからその炎は消してくれな?」
二コリと笑って炎を消すミリアに、グレイは話し始める。
もちろん、自分のミリアへの想いは隠して。
それ以外のことを包み隠さず話し終わると、なぜかミリアは困った顔でため息をついた。
「初心な上に鈍いなんて、本当に困った子ね。ここまでくると軽く罪だわ」
なんだかよくわからないことをミリアはぶつぶつ言っている。
「で、俺はどうしたらいいと思う?」
「何もしなくていいと思うのだけど…。でも、そうね」
ミリアは意味深な笑みを浮かべる。
「せっかくだから協力してあげるわ。明日、また会いに来るわね」
そう言い残すと、歪んだ空間へと姿を消してしまった。
協力するって一体なにをだ?
ミリアは相変わらずよくわからない。
一人取り残されたグレイは首をひねりながら、ベッドへと潜り込んだのだった。


そして翌日。
早めに起きたグレイはおかみさんが用意してくれた朝ごはんを食べ、部屋に戻った。
エリスとの待ち合わせに遅れないように、準備をしたら早めに家を出るつもりだ。
それだけならいつもと変わらない休日。
だが、今日は少し違う。
昨夜、急に現れたミリアのことだ。
今日会いに来ると言っていたが、いつ来るのだろう。
「寝坊か?」
ちょっと想像できないが、あながち当たってそうな気もする。
とはいえ、いつまでミリアが来るのを待っているわけにもいかない。
仕方ないので、グレイは書置きを残すと部屋を後にした。
そしてエリスと合流したグレイは、いつも通り二人で街をふらつく。
「エリスと出かけるから、協力はまたにしてくれ」という内容の書置きをきちんと読んでくれたのか、午前中にミリアが現れることはなかった。
そんなわけで二人は買い物を楽しんでいた。
現在グレイはある服屋の前で立っている。
当然というか、エリスは中で買い物中だ。
なぜグレイが一緒に入らないかというと、そこは女性専用の服だけを扱う店だから。
それだけならまだいい。
グレイが入らない理由は、服だけでなく、下着も扱っているからだ。
さすがにここに堂々と入っていく勇気はグレイにはなく、店の前で待機している状況だ。
待たされているのだが、不思議と嫌な気はしない。
なんだかんだでエリスは色んな服を持っていて、会う度に違う服を着ていることが多い。
今回もまたよく似あう服を買ってくることだろう。
今度はどんな服だろうと、頭で勝手に想像していた時だった。
「見つけた♪」
そんな声が背後からしたと思ったら、二本の腕がすっと伸びてきて抱きしめられた。
それと同時に背中に感じる二つの柔らかい感触。
そして甘い香り。
振り向かなくても誰だかわかる。
「おい、なにするんだミリア」
肩越しに振り向けば、予想通りの人物がいた。
「抱きついているだけよ」
「いや、そうじゃなくて。協力はまたにしてくれって書置きを残しただろ」
現在、グレイはエリスと買い物中。
ここにミリアが加わったら、多分ろくなことがない。
なぜかはわからないが、そう直感した。
「あら、つれないわね。せっかく助けてあげようと思ったのに」
「いや、今日はいいから。だから、さっさと帰ってくれ」
ミリアに抱きつかれているところをエリスに見られるわけにはいかない。
そう思ってミリアを引きはがそうとしたのだが、遅かった。
「グレイ?えっと、なにしてるの?」
声がした方を見れば、戸惑った顔のエリスがいた。
それを見た瞬間、背中から嫌な汗が出るのを感じた。
この状況は、非常によくない。
「あ、いや、エリスこれはだな…」
「ねえ、グレイ君。この子は誰かしら?」
なんとか状況を説明しようとするグレイに、ミリアが言葉を挟む。
それだけでなく、昨夜説明したはずなのにエリスを知らないような口ぶりだ。
「グレイ、その人は誰なの?」
見れば、エリスは泣きそうな顔になっている。
これは本当によくない。
「エリス、こいつは」
「ミリアよ。よろしくね、エリス」
またもグレイの言葉にミリアが被せてきた。
「さて、自己紹介も済んだことだし行きましょ、グレイ君」
そう言うと、ミリアはグレイを後ろから抱きついたまま引きずって行こうとする。
「待て待て!俺は今エリスと買い物中なんだよ!」
「あら、私よりその子の方がいいの?でもね…」
引きずるのを止めると、首にまわされたミリアの手が毒蛇のようにグレイの顔へと伸びてきて頬を撫でる。
そして耳元で囁かれた。
「私がその気なったら、抗えないわ」
まるで頭に直接語りかけるかのように、ミリアの声が侵入してくる。
「グレイ、聞いちゃダメ!!」
エリスの悲痛そうな叫び声が聞こえたが、すでに手遅れだった。
頭がぼんやりとしてきて、グレイはなにも考えることが出来なくなってしまう。
「さあ、グレイ君。私と気持ちいいことをしましょう。二人きりで、ね」
駄目だ。これは悪魔の誘い。
わずかに残っている心がそう告げるが、すでに体はグレイの思うように動きはしなかった。
「ああ…」
心とは裏腹に、口が勝手に返事をしてしまう。
「そう、それでいいのよ。いい子ね」
「グレイを放してください!!」
見ていられなくなったのか、エリスが叫ぶ。
「あら、あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ。それとも、あなたはグレイ君とそういう関係だとでも言うの?」
「わ、私は…。と、友達です!だから、あなたみたいな怪しい人にグレイは渡せません!」
「ただの友達なら邪魔しないでもらいたいわね。それと、私はこの子の恩人だから」
「え?」
予想外の言葉に戸惑うエリス。
それを見たミリアは妖艶な笑みを浮かべる。
「あら、そんなことも聞かされてないの?まあ、ただの友達ならそれも仕方ないわね」
エリスを憐れむような顔で見つめると、冷たく言い放った。
「さあ、グレイ君。この子なんて放っておいて私と楽しみましょう。でも、街の中だと邪魔されそうだから、街の外の平原辺りに行きましょうか。月に照らされながら、二人で気持ちいいことをするの。ふふ、今夜が楽しみだわ」
ミリアがそう言うと、すぐ傍の空間がねじれて歪む。
そしてそのまま歪んだ空間へと引きずりこまれ、グレイは意識を失った。



頬を撫でる優しい風で、グレイは目を覚ました。
真っ先に目に入ったのは雲一つない夜空に光り輝く月。
ああ、もう夜なのかと思いながら体を起こすと隣から声がした。
「目が覚めたのね」
そちらを向けば、両膝を抱えてちょこんと座るミリアがいた。
「ミリア…。ここはどこだ?」
「街のすぐ外にある平原よ」
そう言われて辺りを見回せば、確かに辺り一面は平原だった。
「なんで、こんなことを?」
しかし、グレイの問いにミリアが答えることはなく、小さな笑みを浮かべただけだった。
「どうやら、待ち人が来たみたいね」
「待ち人?」
「彼女よ」
ミリアはゆっくりとした動作で立ち上がると、尻の辺りについた汚れを払う。
「それにしても、この状況は懐かしいと思わない?」
「懐かしい?」
「ええ。あなたという囚われの王子様を助けに、ヴァンパイアのお姫様が助けに来る。そして待ち受ける私。初めて会ったあの日と同じね。だからこそ」
ミリアはそこで一旦話すのをやめると、こちらを見て笑った。
その笑顔とともにミリアの雰囲気が変わる。
さっきまでは優しい姉といった雰囲気が、近づくのをためらってしまうような雰囲気へと変化したのだ。
ミリアの変化に、グレイは笑顔一つでここまで受ける印象が違うのかと背中に鳥肌が立った。
そんなグレイにミリアはクスリと笑う。
「だからこそ、この後の結果も同じかもね」
この後の結果?
それは、つまり。
ミリアの言葉の意味に気づいた瞬間、グレイは立ち上がって叫んでいた。
「待てミリア!」
あの日、グレイを追ってきたアイツはミリアに簡単にあしらわれた。
もし、ここにエリスが来たら、きっと同じことになる。
そんなことさせるかとミリアに詰め寄ろうとした時、それに気づいた。
まるで見えない壁が存在するかのように、それ以上前に進むことが出来ないのだ。
「ミリア!」
「それは結界よ。普通の人には出ることは出来ないわ。そう、普通の人には、ね」
二人がそんなやり取りとしているうちに待ち人が姿を現した。
その姿を見てグレイは驚いてしまう。
黒いマントで体を覆い、真剣な表情のエリスはまるで別人のように見えたのだ。
逆にミリアは満足そうな笑みを浮かべてエリスへと向き直る。
「またあなた?こんな所に何をしに来たのかしら?」
「グレイを返して下さい」
「返す?まるで自分のものみたいな言い方ね」
ミリアの言葉にエリスはわずかに表情を曇らせると、右手を突き出す。
するとそこには柄から刀身まで全てが赤一色の短剣が現れた。
「…話し合いでは返してもらえないなら、力づくで返してもらいます」
「魔力で作り出した剣とは恐れ入るわ。その歳で魔力の武器を作り出せるなんて、さすがヴァンパイアね。称賛を贈らせてもらうわ」
慈しむような笑みとともに、ミリアは腰の辺りから剣を取り出す。
「さて、舞台に役者が揃ったことだし、始めましょうか。私に見せて。圧倒的な力の差すら恐れぬ意思を。そして」
ミリアはゆっくりと剣を構えると、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「愛しい人への想いを」
それが合図だったかのように、エリスがミリアへと詰め寄り、赤い軌跡とともに剣が払われる。
その動作の一つ一つが俊敏で、普段のエリスからは考えられない早さだ。
あれが本来のエリスなのかと、グレイは驚きを隠せない。
だからこそ叫んでいた。
「やめろエリス!そいつと戦っちゃ駄目だ!」
大人のヴァンパイアであるアイツでさえ、ミリアには勝てなかったのだ。
少女であるエリスに勝ち目なんてない。
ところがグレイの声が聞こえないのか、エリスはちらりともこちらを見ない。
恐らく、この結界のせいだろう。
「くそ!消えろよ!」
見えない壁に向かってグレイは拳を打ちつける。
グレイがそうしている間にも、ミリアとエリスの攻防は続いていた。
傍から見れば、エリスが一方的に押しているように見えるが、果敢に攻めているエリスの表情は硬い。
逆にミリアは余裕の表情でその場から動かずに、剣一本でエリスの攻撃を受け流している。
「どうしたの?あなたの想いはこの程度なのかしら?」
挑発にも聞こえる言葉を言われ、エリスは剣を大きく振りかぶると瞬時に振り下ろす。
だが、振り下ろされた剣はミリアの手によって防がれた。
「そんな…」
剣を素手で防がれるとは思っていなかったのか、エリスが驚きの声をあげる。
「驚いている場合?隙だらけよ?」
「―ッ!」
掴まれた剣をひねるようにしてほどくと、エリスはミリアから距離を取る。
「相手の手の内がわからない以上、距離を取るのは間違いではないわ。でもね」
そう言うなり、ミリアは剣を振り上げるように一閃させる。
直後、エリスの左肩の辺りの服が切れて、その下の白い肌に切り傷がついた。
「あッ…!」
いきなり肩を切られ、エリスはよろよろと後退する。
「残念だけど、この距離は射程圏内よ」
「やめろミリア!」
エリスが傷つくのを見て、たまらずグレイは叫ぶ。
しかし、ミリアはこちらを見て小さく笑うだけ。
その顔からはやめる気は全くないという意思が有り有りと見て取れた。
だからこそグレイはエリスの方へと目をやる。
頼むから逃げてくれと願いを込めて。
エリスは切られた肩に手を当てながら、ミリアを睨んでいた。
「まだやる気?力の差は理解できたはずだけど」
「力の差なんて、関係ない…。これだけは、譲れないんです」
ふらふらになりながらも決して屈するつもりはないエリスに、ミリアはため息をついた。
「そう。じゃあ、もう少しいじめてあげるわ」
その言葉を聞いた瞬間、グレイの頭の中が真っ白になった。
「やめろーッ!!」
体の奥底からの叫びとともに、渾身の拳を壁へと叩きつける。
瞬間、ガラスが砕けるような音がした。
それは二人にも聞こえたのだろう。
揃ってこちらを見ていた。
前へと進めることを確認すると、グレイは二人の元へと駆け寄る。
「ミリア、これ以上はやめてくれ!」
もう、エリスが傷つく姿は見たくない。
頭がそれしか考えられないグレイは、エリスをかばうようにミリアと向かい合う。
「グレイ、今のは…?」
後ろからエリスが尋ねてくるが、さっきは無意識のうちにやったので正直わからない。
だから、答えたのはミリアだった。
「今のはグレイ君が元々持っている力よ。勇者の子孫としての、ね」
「勇者…?」
振り向けば、茫然とした顔のエリスと目が合った。
「あなたのご両親は勇者の手によって殺されたそうね。目の前のグレイ君も勇者としての力を持っている。それでも、あなたはグレイ君のために戦うの?」
「私は…」
ミリアはほとんど泣きそうなエリスに語りかけると、今度はグレイの方を見た。
「あなたもよ、グレイ君。この子はあなたの故郷を滅ぼした彼女と同じヴァンパイア。それでも、あなたはかばうの?」
「え…?」
ミリアの言葉に、エリスがゆっくりとこちらを見た。
「グレイ、どういうこと…?」
「それは…」
知られたくない事実をエリスに知られてしまった。
隠していたという負い目もあって、グレイはエリスから視線を逸らしてしまう。
エリスはそんなグレイの態度で全て事実なのだと理解したらしく、泣き笑いの顔になる。
「今話したことがグレイ君の真実よ。それでもあなたはグレイ君の傍にいたいと思うの?」
優しい笑顔でミリアがエリスへと問いかける。
エリスはしばらく無言だったが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「そんなこと関係ありません。私の知っているグレイは誰よりも優しい人だから。そんなグレイが、私は」
「はい、そこまで」
エリスの口にミリアの人差し指が当てられ、エリスの言葉は中断される。
「グレイ君。女の子に全て言わせるつもり?」
ミリアは呆れ顔でそんなことを言う。
エリスの口にミリアが封をしたのは、エリスが言いかけた言葉を先にグレイに言わせたいからだろう。
それくらいはグレイにも分かる。
ただ、最初の想い人であるミリアの前でそれを言っていいのだろうか?
そんな考えのせいで何も言えないグレイに、ミリアは少し困った顔でたしなめるように語った。
「あなたも気づいているんでしょう?自分の中にある本当の想いに。だから…素直になりなさい」
優しい声音で言われた言葉に、グレイは覚悟を決めてエリスを見た。
そうだ、俺が本当に好きなのは。
本当に想いを寄せているのは。
「俺も、いや、俺はエリスが好きだ」
グレイの告白に、エリスは目を見開くと走り寄ってきて抱きついた。
「私も!私もグレイが好き!」
背中に手を回してしっかりと抱きついてくるエリスを、グレイもゆっくりと抱きしめる。
エリスの華奢で柔らかい体を抱きしめていると、満足そうに微笑むミリアと目が合った。
「やっと素直になれたわね」
「お前は、最初からこうするつもりだったのか…?」
「そうね。だからこそ」
楽しそうな笑顔のまま、ミリアは指をパチンと鳴らす。
それに合わせてエリスの肩の傷が消え、切れた服も元通りになっていた。
「え?あれ?」
エリス本人も不思議に思ったのだろう。
グレイから離れて自分の肩に目をやる。
「まさか、今までのは…」
グレイが尋ねると、ミリアは優しく微笑んだ。
「そう、全部私が見せた幻よ。私がこんな可愛い子を傷つけると思う?」
エリスの頬を優しく撫でるミリアに、エリスは大人しくされるがままになっている。
「じゃあ、最初から俺の、俺達のために…」
「言ったでしょう?協力してあげるって。さあ、ようやくお互いの気持ちがわかったのだから、これからはもっと素直にね」
ミリアの言葉に二人は顔を見合わせると、どちらからともなく手を握る。
ようやく繋がった想いを確かめるように。
「その繋いだ手、離しちゃダメよ?それはあなた達が素直になった証なのだから」
「ああ、離さない。それと…ありがとう」
「じゃあ、ようやく両想いになれたあなた達に、一つ言葉を贈らせてもらうわ」
ミリアは微笑み、言葉を続けた。
「あなた達に、良き日々が多くありますように」
言葉と同時にミリアの傍の空間が歪む。
「あの、ありがとうございました!」
頭を下げるエリスに軽く手を振りながら、ミリアはねじれた空間へと消えていった。
やがて歪んだ空間が元通りになると、グレイは静かに呟く。
「俺達も帰ろう」
「うん…」
穏やかな風が吹く平原を二人は歩いていく。
繋いだ手は離さないように、しっかりと指をからめて。
そんな二人の遥か上空では、二人の未来が明るいものであることを示すように月が光り輝いていた。

11/09/09 00:23更新 / エンプティ

■作者メッセージ
お久しぶりです、エンプティです。
ようやく書き終えた三つの指輪のその後をお送りします。
読切りのくせに文字数がすごいことになっていますが、そこは気にしない方向でお願いします(相応の内容かは別ですが)
散歩の方を楽しみにしていた方(いるのか?)や、ファンの方(それこそいるのか?)、ごめんなさい。ちゃんと書きますので、しばらくお待ちを。

ちなみに、こんなに遅れた理由は我が家のルーターがイカれたことにあります。よってネットに繋がらず、当然このサイトも覗けないという事態。
モチベーションが下がりまくった上に、このバカップルを書いてて自家中毒になる始末。
当分、甘口な話は書きたくありません…。
それとは別に、私の世界(年代不明)タグがいつの間にか消滅しているんですが、ご存知の方、何も知らない作者にご教授下さい…。
他の作者の方の作品には未だに付いているのを見かけるんですが、検索画面にも存在していません。一体どうなっているんですかね?





TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33