連載小説
[TOP][目次]
研究成功?? でも……。えぇぇっ!?
昨日、終業式が終わり、今日から夏休み。学校へ―いつもの部屋に行くために制服に着替えて、意気揚々に玄関を開けた。一瞬にして夏特有の蒸し暑さが身体中を襲い、セミの鳴き声、それに‥アスファルトから立ち込める陽炎が聴覚、視覚へと訴えかける。正直‥このまま踵を返して、クーラーを効かせた部屋に閉じ籠っていたい。でも‥サファイアさんや先生も同じ思いを抱いている筈。その想いが僕の背中を軽く押したのも束の間、その足で台所に引き返し、氷と麦茶をギリギリまで入れた水筒を鞄に入れて暑さに耐えながら学校へ歩いていった‥。


校門をくぐり、グランドに体育館、双方から聞こえてくるのは運動部の掛け声。それに呼応するように魔物娘達からは黄色い声。その声の度に運動部からは更に気合いの入った声が聞こえてくるのはきっと気のせい。他にも中にはこの暑さから僅かな涼を得るためか、木々のあちらこちらにワーキャットやネコマタの尻尾がブラブラと揺れている。それらを尻目に校舎に入っていった。

空調が全く効いていない廊下を歩き……いつもの部屋のドアに手を掛けて‥この部屋も当然のように空調を効かせていない。だからこそ‥温度差も何も感じられない。

中はこの暑さをものともしないかのように、サファイアさんと先生は向かい合うように座り、言葉を交わして、揃って難しい顔を浮かべている。
ここ数日前から行き詰まり、話し合いと言っても‥サファイアさんと僕は直接言葉を交える事もなく、先生を介して話し合っていた。それでも何の収穫を無く日にちだけが過ぎていた‥。そして、今日も‥。


西日も気が付けば沈みかけて、心なしか蒸し暑さは少し収まり、紫色だった空はすぐに漆黒へと変わっていった。
「今日はここまでにしましょう」
先生の掛け声と共に片付け、部屋を最初に出たのはサファイアさん。
「瑠璃?どうしたの?」
「僕はまだ少し残っています。少し考えたい事もありますので‥」
「そう?なら‥鍵と戸締まりをよろしくね」
鍵を机の上に置いて先生も部屋から出ていった。1人で居るにはやや広い部屋。すぐに鞄からノートを取り出して片手に持ち、その内容をボードの空いている所に書き写していった。
書いている内容はこの事について僕が今まで学んでいった事。結局の所、1人ではどうしても分からない事が山積みで、少しずつ先生に細かく教えて貰い、その時のサファイアさんの顔が一際渋かった事が特に印象深かった。
書き写して、先生がよく言っている「一見複雑に見えても、その中身は基本の詰め合わせ」に従ってどこかに食い違いがないか一つ一つ細かく確かめていき……その箇所に印をつけていった。改めて見ても僕1人ではその是非は確認する事は出来そうもない。だから今日はここまで。後は誰も開けていない窓の戸締まりを確認。それから部屋の鍵を掛けた事も確認して、職員室に鍵を戻して‥それから帰路についた。


朝。窓から射す強い熱を帯びた光が部屋を充満させて、眩しさと蒸し暑さの2つが僕を叩き起こす。まだ時間は早いものの、その高性能な目覚ましは僅かな間の二度寝さえも簡単に諦めてさせてくれる。降参するように眠い目を擦りながらゆっくりと立ち上がり‥大きな欠伸を一回。それから伸び。肺に新鮮な空気を送り込み、学校に行く準備。そして‥いつもより早い朝食を摂って……特にすることもない。だから、いつもより早く家を出た。


「瑠璃」
聞き慣れた声。振り返った先には人化した先生とその隣にはサファイアさん。先生とはいえ、この時期特有の太陽熱をふんだんに吸収しきったアスファルトの上を普段の姿で移動するのは辛いとの理由で人化している。僕と先生はお互いに挨拶を交わして、サファイアさんはいつもと同じように僕と目を合わせようとしなかった。
「昨日は残って何をしていたのかしら?」
「確認してほしい事がありまして‥」
「確認?それは興味深いわね。瑠璃を入れたことは正しかった。サファイアもそう思うでしょ?」
先生の顔は明るい。
「いえ‥まだお母様に間違いがあると決まった訳ではありません。それに……」
言葉には出さないものの、ほんの一瞬、僕を見た目付きが続きを語っている。
「あらそう?私だって間違える事はあるわ。それに‥間違えた事を積み重ねていく事で、正しい事は得られるものよ。そう思わない?サファイアもこれまでの生活で、何度も間違えた事があるでしょ?」
「その話とこの話は違います!!」
声を荒らげて‥背中を向けるように歩き、先に行ってしまった。
「あらあら‥。立ち話をしていないで、私達も学校に向かいましょうか」
いつも出す溜め息とは違い、その顔は何処と無く、和やかな表情だった事に僕は疑問を持った。



「なるほどね……。そうね‥。確かにそうね……」
研究室に入って、先生は口から漏れるように言葉を出して‥その視線はボードに釘付けで‥そして、ゆっくりと近付いて、一心不乱にノートに書き綴っている。
「まさか‥。信じられない‥」
初めて聞いたサファイアさんの感嘆にも似た声。一瞬僕を見たその目は普段とは違う感情が含まれていた。


ボードをひっくり返し、さっきまで一面真っ白だったボードは‥全てを埋め尽くす勢いで黒が―新しい論が広がっていく。
「ねえ‥サファイア。これでも瑠璃は必要無いと言い切れるの?」
書くことに集中しているためか、こっちを向いていない。そして‥サファイアさんの口は開かれる事は無かった。

「あとはよろしくね」
書き終わり、和やかな顔でドアの前に立つ先生。「夏休みだからって教師も休みという訳にはいかないの。授業が無いのに仕事は山積なのよね‥」……と昨日は愚痴るように部屋を後にした。

昨日と同じ会話もない2人だけの部屋。ただ違うのはサファイアさんの手は完全に止まり、俯いている事だけ‥。言葉を掛けようにも何も見つからない。でも……
「サファイアさん」
声を掛けずにいられなかった。でも‥続く事も、返される事なく、ただただ時間だけが過ぎて……茜色の光が窓から射し‥沈みかけたその瞬間。
「瑠璃‥」
微かに聞こえた声。
「一つ聞かせてくれ。お母様や私が見つけられなかった答えをお前は‥どうやって得た」
これまでのことを復習していた事。先生が口癖のように言っている事に、それに倣った事も伝えた。
「そうだな‥それはよく言っているな。そうか‥お母様や私は答えに急ぎすぎるあまり、一番大切な事を忘れていたのかも知れないな」
口は噤まれ、時間を掛けて深く閉じられる瞼。ゆっくりと開かれた目は‥僕と視線が交わっている。
「その……」
左右に忙しなく動く目。何かを伝えようと唇だけが動き、そして‥仄かに赤くなっていく顔。
「今まで‥す………」
微か声と共に初めて見る優しく、微笑みかけるような表情。でも‥その声は先生がドアを開ける音で掻き消されると同時に‥サファイアさんは慌てて部屋を出ていった。
「あら‥?また何かあったの?」
「いえ‥何もないですよ」
狙ったかのようなタイミング。意図を持ったのか、偶然なのか僕には分からない。でも‥先生は確かな意図をもってそれを行う事はない。だから後者と僕は考えた。そして‥その日、その後‥サファイアさんは戻ってくる事はなかった。


この日以降もサファイアさんから話しか掛けられる事も、僕から話し掛ける事も無く、それから2週間が経って‥咳き込むようになり、風邪かな?と思った8月の始まり。いつもの部屋の午前中。先生は机の上に魔方陣を書いて、その上に大理石製の小さな丸い玉を置いた。
「これで成功すれば、玉が消える筈ね」
手を翳し魔法を唱え‥次第に仄かな光を放つ魔方陣。そして……その後ろにある先生の身体が見える程、玉はその存在を薄らとなっていき……そのまま消えていった。……が、どこにも現れる様子もなく、失敗?とも思った。でも‥先生はこの結果に満足そうな顔をしている。
「「玉はどうなったのですか?」」
重なった声につい顔を見合わせた。
「昨日の研究室。行き先はそこの流し台。でも‥きっとそこには無いでしょうね」
昨日に送ったなら、今日でもある筈。でもなぜ?
「2人揃って納得していない顔ね。なら‥そうね……。ねぇサファイア。今度は同じ玉をいつも貴女が座っている場所の真上に送っていいかしら?勿論、送る先は昨日よ。そうすればその出来事は2人の印象に残るでしょう?」
ギョッとした顔で先生を見て‥僕も同じ顔をしていると思う。
「冗談よ冗談。怖い顔しないで。でも‥実際どうなるのかしらね?昨日には無かった事実を変えるとするなら‥今を生きる私達にどのように影響を与えるのかしらね?送った瞬間に記憶が書き換えられるの?それとも‥それは過去だけに影響するだけで、今を生きる私達には記憶も何も影響がないのかしらね?なら‥意志がなく、不確かな物体を送るよりは‥意思や思いのある人を送るのが一番なのだけど……それはそれで別の問題が生まれて、それに‥未来からきました。って言われても素直に信じないわよねぇ?」
深く考える表情から、打って代わり何かに気付いたような表情。ほぼ同時に手を叩いた。
「浮かんだ疑問はこれからの研究で明かすとして‥取り合えず……祝という事で打ち上げをしない?ここでするよりも、そうね……」
含みのある顔でサファイアさんを見て‥
「家でするのは止めて下さい!!」
即答でこたえ、身ぶり手振りを入れて激しく否定している。
「あら‥サファイアの部屋は駄目なのね‥」
サファイアさんの部屋‥?心が踊ったのもその一瞬。
「なら……瑠璃の家。部屋にしましょう」
「え゛っ‥。ぼ、僕の部屋ですか!?」
突如として立った白羽の矢。部屋は綺麗にしている。それに‥3人なら普通に入れる広さもある。でも‥問題はそこじゃ無い。
「ほら……外で‥教師とその教え子がどこかの部屋を貸し切ると‥何か卑猥で如何わしいでしょ?それに‥他の先生の耳に入ったらね…」
でも‥教師が異性の教え子の部屋に押し入る事の方が何かと問題になると思う‥。
「僕の部屋もその……」
「大丈夫よ。トイレとかその間に部屋の卑猥な物を漁らないし、公開もしないから安心して。ね。サファイア?」
これでもかと殺気を込めたサファイアさんの視線が、鋭く突き刺さり‥。でも‥なぜ僕に?
「それにほら…私の場合は家庭訪問。サファイアは友達。これなら家に行っても問題はないでしょ?」
「友達!!!!」
部屋の外。ひいては学校中に響き渡る程の大きな声。そして、その目は大きく見開かれている。

「そうよ。友達。とても分かりやすく、親御さんにも説明しやすいでしょ?ね?」
木霊し、静けさを取り戻した後、サファイアさんを見てから、付け加えるように僕を見ている。
「そうね、不平なら‥丁度3人。公平に多数決できめましょう」
この提案は…結果は誰の目にも見えている筈‥。だからこれは絶対に公平ではないと言い切れる‥。

結果は予想通りの2対1。僕の家にこれから行く事が決まった‥。



「部屋を使うのだから、材料費は私が持つわ」
先生からの提案で僕の家の近所のスーパー‥。タヌキの顔をマークにしている店に行き、サファイアさんに先生。2人並んでカゴに物を入れる様子を見ては‥改めて親子と実感しつつ、そして‥いつもと同じで笑顔は見せていないものの、でも、どこか‥今まで見たことがない、楽しさと嬉しさが混じったような表情に見えて、魅入るようにその顔を見続けていた。

「料理は私が作るから、サファイアは瑠璃と部屋に居なさい」
会計を済ませて、家のすぐ近くの道。「へ?」思わず情けない声を出して、ほぼ同時に「お母様!!」怒鳴り声似た声が響いた。
「瑠璃は学年やクラスが違うから知らないと思うけど‥この子、料理を作ることが出来ないのよ」
意外だった‥。いつものように、出来ない事はない。出来て当然といった顔で何でも出来ると思っていたのに‥。
「だってほら‥水に触れないでしょ?家庭科の授業で料理を作る前は調理器具を洗ったり、手洗いを先にするって習わなかった?」
「習いました」
「水に触れたら‥後の事は説明不要よね?あとね‥この子の上にサキュバスがいるの。それでね、こう‥手を握ったまま水に濡らして、勢いよく手を広げると飛沫となって飛ぶでしょ?想像出来ないでしょうけど、小さい頃はそれでよくからかわれていたのよ」
今までに家庭内の事は聞いたり、話したりもした。でも‥サファイアさんの意外な一面、そして幼少の頃。2つの事を知った嬉しさとその反面、同時に罪悪感が胸に広がっていく‥。横目でチラリと見たその顔は俯いていて表情は分からない。
「サファイアの暴露話をしたのだから‥瑠璃の家に着いたら、公平性のために‥瑠璃の暴露話を聞こうかしら?」
ケロっとした顔に思わず絶句した。そして‥瞬間に逃れる事が出来ないと悟った。でも‥同時にお互いの失敗談を交えられるのなら、サファイアさんとの距離も縮むならとも思う。それに‥先生の料理が出来上がるまで僕の部屋で2人で居られるならもしかしたら、再び会話が出来るかも知れない。
期待と不安。双方が混じりあった気持ちの中で家に着き、玄関を開けた。先生、次いでサファイアさんの挨拶。僕は両親が居なかった事に嬉しさを感じていたのも、その刹那、
「親御さんが不在の内に、手早く料理を作ってしまいたいの。だから瑠璃。キッチンの場所を教えてくれると助かるわ。それと‥料理を手伝われても邪魔になるだけだから、サファイアは瑠璃と一緒に部屋に行きなさい」
台所の場所を説明すると、先生は野菜や肉が入った袋を持ち、飲み物が入った袋をサファイアさんに渡している。
飲み物が入った袋の1つを持ち、部屋へ……学校に行く前のままの部屋。でも‥一つ違ったのはベッドに見知らぬ人が寝ていた。胸に僅かな膨らみがあるところから、きっと女性。その人を見つけたのとほぼ同時にすぐ後ろからドサッと重みのある袋が落ちる音。後ろを向いて‥見えたのはサファイアさんの背中。
そして‥何をするよりも早く、サファイアさんを追い掛けた。
13/02/02 08:39更新 / ジョワイユーズ
戻る 次へ

■作者メッセージ
実際に過去に行けるようになった場合、その手の事は本当にどうなるのでしょうか?と思いつつも‥裏1話に続いて独白だけの裏庭ではなく、裏2話。


煩わしい陽も完全に沈み、窓から外を‥漆黒が支配する闇夜を眺め続けていた。

能力も何もないただの人間。邪魔になるとも思っていた。だが‥停滞していた研究も瑠璃のお陰で進展を見せた事は紛れもない事実。お母様が声を掛けただけの理由をあの日、初めて実感した。

そして‥その日を境に夜の度に、訪れる血の欲求。まさか対象が瑠璃になるとはな‥。
過去の私にこの事を伝えるとなると、その時の私はどんな顔をするのだろうな‥
窓に映る顔は自嘲気味な笑みを浮かべている。


抗うことなく窓に手を掛けた。目的地は……
家に入り、恐らく抵抗するであろう瑠璃を力で押さえつけ、黙らせ、首筋にこの牙を突き立てるのは容易い。だが……
その日を境に、関係の全てが悪化の方向を辿るのは控えたい。だからこそ、この窓を開ける事が出来ないのだろう。

なら‥伝えるべき言葉は必要だ。だが……
あの時、お母様が研究室に入って来なければどうなっていただろうか?

あるいは………


いや待て。これでは私が恋慕の情を抱いているのと同義だ。私が好むのではなく、瑠璃が私を好むのだ。今までいた有象無象の男共のようにな。
それなら仕方なしに血を吸ってやってもいい。
今までも、こまめに声を掛けている。なら、この可能性は0ではないだろう。後は瑠璃の方から声を掛けてくれるのを待つだけだな。

窓に掛けた手を離し、部屋を後にした。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33