読切小説
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じさつむこう
 そいつが現れたのは、「死にたい」と思ったまさにそのときだった。
 駅のホーム、人のあまり少ない時間帯、あと一歩踏み出せば線路上に踏み出せるという状況で、気付いたときにはそいつが目の前に浮かんでいた。
 蝙蝠の羽を生やし、ねじくれた角を冠して、体中に無数の触手を絡みつかせた、夜の闇を型抜きして人の形にしたような、それ。死人のように真っ白な顔だけが浮かび上がり、底なし沼のような昏い瞳がこちらを覗いていた。
 目が合ってすぐに分かった。
 こいつは悪魔か、あるいは死神だと。
 きっと俺の死期を予知して、魂を回収しに来たに違いない、と。
 別に惜しい命でも無い。つらいことばかりで、今にも投げ出したかったところだ。
 おあつらえ向きに、悪魔は女型ときた。どうせ奪われるならば、男より女がいい。女に縁の無い人生だった俺にとっては、最期に予期せぬ幸運が舞い込んだといったところだろうか。不幸なのに幸運というのも妙な話ではあるが。
 電車到着のアナウンスが鳴る。
 俺は小さく笑って、ホームから一歩踏み出そうとして、

 そして目の前に浮かんでいた悪魔に突き飛ばされて、床に思い切り尻餅を付いた。

「いてて?」
 何が起こったのか分からない。立ち上がろうとすると、どすんと何かが腰の上にのしかかってきた。
 なんとなく予感しながら顔を上げると、予想通りの陰気な顔がこちらをのぞきこんでいた。
「あ」
 そいつの動きは、俺が口を開くのより早かった。
「あは、あははははは?」
 唐突に、予期せぬこそばゆさが襲いかかってくる。
「何? うひ。ひはは、あははは、くふふふ」
 息が苦しい。喘ぎながら見下ろせば、悪魔が俺の服を引っ張り上げて、真面目な顔をして思い切り腹回りをくすぐり回していた。
「ははははは、は? あれ」
 再び突然息が出来るようになったかと思えば、いつの間にか悪魔は消えていた。
 周りを見回すも、影も形も無かった。唯一の痕跡は、俺の着衣の乱れと、あとは
「お客様、大丈夫ですか」
 可哀想なものを見るような、周りの人々の視線。
 駅員に手を借りて立ち上がりながら、俺は改めて思う。
 ……死にたい。



 殺人的な業務を終えて、重い身体をなんとか持ち上げて着替えを終える。
 ふとロッカーの鏡が、そこに映る不健康そうな男の顔が目に付いた。
 どこかで見たことがある目だった。自分の顔なのだから当たり前なのだが、そうではない。自分以外で、最近こんな顔を、目を見たような……。
 考え込んで、思い出す。
 自分は悪魔を見たんだった。
 しかも最近どころか、今日の出勤前のことだ。
 今日もまた雀の涙程度の金を稼ぐために怒鳴られて嫌みを言われて謝らなければならないのかと思ったら、ホームから飛び降りたくなったのだ。
 そうしたら、目の前に悪魔が居た。
 まぁ、結局飛び込めずに地面で一人笑い転げていたのだが。
 疲れてそういう幻を見た、という事なのだろう。不健康そうな表情をしていたが、顔の作りとしてはなかなかの美形だったのだからなおさらだ。
「ノイローゼなのかな、俺」
 星空のようにきらきらと光る街の明かりを見下ろしながら、一人つぶやく。
「あれ?」
 気がついたら職場のビルの屋上にいた。しかも眼下に大通りが見える、端っこの端っこに立っていた。
 唇の端が上がってしまう。恐怖のためなのか自嘲のためなのかは、自分でもよく分からなかった。
「……まぁいいか、どうせ帰っても誰もいないし」
 口にすると、笑みが余計に濃くなった気がした。
 体重が、少しずつ前に傾いていって。
 どの辺に墜落するだろうか、出来ればあまり人に迷惑をかけないところがいいな、などと考えながら下界を見下ろすと。

 目と鼻の先に、あの悪魔が浮かんでいた。

 落下さえ始まらない、まだ足が床から離れてもいない状態で、そいつは俺に向かって突っ込んでくる。
 ふわっと宙に浮くほどの勢いで体当たりされて、受け身も取れずに背中からコンクリートの床に落ちて肺の中の空気が一気に抜けた。
「ぐえ、げほっ。おま、あは、あはははは」
 まただった。駅の時と同じように、そいつは俺の服を脱がせて肌を直接まさぐりくすぐってきた。
「ははははは、うく、くくくくくはははは」
 抵抗しようにも力が入らない。
 その上触手が手足に絡みついてきて、動かす事すらままならなくなる。
 悪魔の手は腹の周りだけでは無く、背中や胸元にまで忍び込み、なで回しこちょぐり回す。触手も袖口から入り込んできて、二の腕や脇の下、膝の周りを蠢き回る。
「ひひ、いひひひひひ。いひゃひゃぁ」
 ほっぺたに舌が押しつけられる、首筋をなめ回される。片手が上半身からズボンの中に入り込んでくる!
 耳の中に舌が入り込んできて、股ぐらでしっとりとした女の指が動き回る。
「そこはっ、あふん」
 全身がぞくぞくと震え、変な声が出てしまう。
 慌てて口を塞ごうとして、はっと我に返った。
 息が出来る。
 おまけに、今の今まで屋外にいたはずなのに、見慣れた室内に居た。と言うか、自分の安アパートのベッドの上だった。
 誰かのささやき声が聞こえた気がして振り向いてみるが、当たり前のように誰もいなかった。悪魔はおろか、虫の一匹さえも見当たらない。
「帰ってきてた? のか?」
 帰り道の記憶が無かった。常に通勤ルートを意識しているというわけでは無いが、それにしたって仕事場を出たところや電車の乗客の一人や二人、せめて玄関を開けたときの事くらいは覚えていてもいいはずなのに、まるきり何も残っていなかった。
 恐る恐る部屋の中を確認するが、周りには当然誰もいなければ、侵入した形跡も無かった。
 であるならば俺は、ぼんやりと夢遊病者のように帰宅して、一人ベッドの上で愉快に笑っていたというのだろうか。あくまで悪魔なんて存在するはずが無い、と常識的に考えれば。
 やっぱり自分は、病み始めているらしい。



 それからしばらくは悪魔を見ることは無かった。見ていたかもしれないが、気がつく暇が無かった。
 仕事は休む間も無く、死にたい等と考える時間も無かった。もしかしたら何度かくすぐられていたのかもしれないが、もはや自分の病気を気にする余裕も無かった。
 久々に休みが取れても、遊びに行く元気は無かった。もともとそのための金も無いのだけれど。
 少し湿気ったベッドの上で布団にくるまっていると、玄関の扉が乱暴に叩かれた。
 足音を立てないように近づいて覗き穴から見てみれば、大家だった。大家はいらだたしげにもう一度玄関を叩き、俺の名前を呼んだ。
「今月分も家賃の引き落とし、まだ出来てないんですよねぇ! 結構溜まってるんで、早く払ってくださいねぇ!」
 ご近所中に怒鳴り声を響き渡らせると、督促状を郵便受けに突っ込んで帰って行った。
 俺はその督促状を広げて溜息を吐きながら、ぽつりとつぶやいた。
「死にたい」
 悪魔は出てこなかった。

 部屋でしばらくぼーっと考えたあと、俺は部屋の中で探し物を始めた。
 雑然と散らかった部屋の中でしばらく格闘した結果、目当てのものが見つかりほっとする。
 荷造り用のビニール紐。何度か束ねれば、人一人支えられるくらいにはなるだろう。
 頭が入るくらいの輪を作って、部屋の高いところにくくりつける。
 椅子に乗って高さを確かめると、我ながらちょうどいい具合だった。
「では、みなさんさようならと言うことで」
 誰にとも無くつぶやき、輪を両手で掴むと。

 首輪の向こうから、悪魔が恨めしそうな顔でこっちを見ていた。

 よく分からない奴だ。魂を回収できた方が、きっと悪魔としては利益になるはずだろうに。
 首をくくって、椅子を蹴る。
 足が地を離れるが、思っていたような衝撃は首には掛からなかった。その代わりに、柔らかな女体の感触が胸のあたりに押しつけられていた。
 悪魔に抱き上げられて、身体が宙に浮いていた。
 額がくっつく程近くに、女悪魔の顔があった。
 その息づかいはどこか甘ったるく、悪魔にしてはいい匂いがした。
 ぶつん。と音を立てて、紐が断ち切られる。
「おま、あは、はくくくくく」
 いつものくすぐり責めが始まる。
 声を出しては大家に気がつかれるかもしれないと慌てて口を塞ぐが、そのせいで一切の抵抗が出来なくなってしまう。
 隙を突かれてベッドに押し倒される。服を剥かれて全身くすぐり回される。
「くく、くくくくくっ」
 状況も意味もよく分からないまま体中をまさぐられる。指だけで無く何本もの触手が加わり、ありとあらゆるところを犯される。
 ぬめるような感触のようなそれが滑るたび、触れられたところから肌が妙に敏感になって、なんとも言えず疼き始める。
 そのうち抱きしめられて、濡れたような質感の肌を押しつけられて、全身に何かを塗りたくられているような感覚になってくる。いつの間にやら身体中が、その芯から熱を持ち始める。
 頬ずりされて、顔中を舐められる。そのうちその手が、いつの間にか膨らみ始めた俺自身を撫で回し始める。
「も、もういい加減に。あ、れ?」
 悪魔を押しのけようとした両手が空を切る。
 またいなくなっている。ベッドの上に残されたのは、裸の俺一人だった。
 あるいは、ただ単純に寝ぼけてオナニーしようとしていただけだったのだろうか。
 ……本格的に、俺はヤバいらしい。



 翌日、俺は夜勤の帰りにドラッグストアに寄って睡眠薬を購入した。
 家に帰り着くなり包みを開けて、手のひらからあふれる程の量の白い錠剤を口に含み、噛み砕いて飲み込んだ。
 何度か気持ち悪くなって嗚咽しながらも、ほぼ一瓶を飲み干し終え、俺はそのままベッドに横になって目をつむった。
 これできっともう目を覚まさないで済む。
 仕事に穴が出来てチーフ達は困るだろうが、そんなことは知ったことでは無い。この部屋も事故物件になるかもしれないけれど、俺に関係あるものか。
 これでもう、俺は。
「……ん」
 顔に風が吹き付けてきている気がして目を開けると。

 やっぱりそいつが、この世の終わりみたいな顔をした悪魔が、俺の身体の上に浮かんでいた。

「ようやくお前に連れてってもらえそうだよ。出来れば天国がいいけど、お前の見た目からして行き先は……、おい何を」
 そいつは優しく俺の頬を撫でると、おもむろに俺の唇に己のそれを押しつけてきた。
「むぐっ」
 唇を割って舌が侵入してくる。歯を食いしばって邪魔しようとしても、粘液のような何かが流れ込んできて止められない。粘度の高いそれは止めどなく流し込まれ、口を閉じていられなくなる。
「うう、ううう」
 喉の奥まで入ってくる。生温かいそれが食道をぬるぬると落ち下っていく。
 息苦しかったが、不思議と痛みは無かった。
 生理的な不快感と、内臓を愛撫されるような奇妙な快感が混ざり合って身体が跳ねる。暴れようとする身体はしかし、悪魔の触手に絡み取られ、その腕で抱きしめられて少しも動かせなかった。
 胃の腑全体を撫で回される。涙があふれて、なぜだかペニスが勃起した。
「うう、うげえぇ」
 再び何かが食道をせり上がってくる。
 身体が熱を帯びる。意志とは関係無く、跳ね、脈動する。
 まるで、何か別のものになってしまったみたいだった。
 全身が心臓のように大きく脈打って、それと同時に喉から粘液があふれ出す。
「ぶはぁ」
 唇が離れる。
 俺がはき出したものは、悪魔が全て飲み込んでしまった。
「お、おい」
 慌てて身を起こす。
 悪魔は、わずかに眉根を寄せながら両手で器を作って、口の中のものをそこに吐き出した。
 白濁とした粘液がこぼれ落ちる。溶けかけた白い錠剤なのだろうが、一見するとそれは別のものにも見えた。
 大量のそれを吐き出したあと、悪魔は少しとろんとした目でこう言った。
「しんじゃ、やだ」
「お前、しゃべれ……あれ」
 瞬きした一瞬の間に、そいつはもう消えてしまっていた。
 吐き出していた錠剤だったものも、どうやら一緒に持って帰ってくれたようだった。
「また失敗してしまったな」
 少しも残念そうな響きが無いのが、自分でも何ともおかしかった。
 立ち上がろうとして、違和感に気がつく。
 ズボンの内側がべたべたして、冷たくなっていた。



 翌日は若干残っていた薬のせいかいつもの時間に起きられなかった。しかし良く寝たせいか身体はすっきりと爽快だった。
 携帯には仕事場からの着信がいくつも残っていたが、面倒くさくなって電源を落としてゴミ箱に放り込んだ。気分は良かったが、もう仕事をする気にはなれなかった。どうせこれから死ぬのならば、わざわざ苦痛でしかない事を続けることも無い。
 俺はそれから、考えつく限りの色々な方法を試した。
 感電、ガス、等々。思いついたことは全てやってみたが、そのたび悪魔が現れて邪魔をした。
 肝心な所で、苦痛さえ感じる前に姿を現して、俺をくすぐり笑わせる。
 何度も邪魔をされるうちに、俺の方からもくすぐってやるようになった。悪魔の肌を覆っていた黒い膜は触ってみると意外とあっけなく剥がれ落ちて、その下の肌は雪のように美しく、肌触りも絹のように心地よく、そしてその優しい温もりに何よりも驚いた。
 今までの死相のような表情も少しずつ和らいできて、肌を見られるとはにかんでみたり、触れられると照れて顔を赤らめたり、くすぐられると声を上げて笑うようになった。
 裸で抱きしめあって触れあって、いつの間にかそれが楽しくなって、本来の目的ではなく悪魔に会うためにいろんな事を試すようになっていた。
 いや、今に始まったことでは無い。おそらく、飛び降りに失敗したときから自分は……。
 ベッドの上で仰向けになる女悪魔の身体をまさぐり、その唇を奪う。足の付け根に手を伸ばせば、じっとりと濡れているのが分かる。
 けれど最後にたどり着く前に、彼女はいつも消えてしまう。
 身体の芯と指先にだけ、甘い疼きと熱を残して、悪魔は今日もいってしまった。



 いつの間にかガスも電気も、水道さえも止まってしまっていた。
 俺は台所から包丁を取ってきて、ベッドに腰を下ろしてそれを握りしめる。
 手首にするか、首の方が確実か。迷っていると、包丁を持つ手に手のひらが重ねられた。
「だめ、いたいよ」
 悪魔の声だ。見た目に寄らず可愛らしい、女の子のような声。
「あぁ、お前に会うためだから本当には切らないよ」
 床に放られた包丁が軽い金属音を立てる。
 驚いて目を見開く女悪魔を、湿って少し臭いはじめたベッドに押し倒す。ここ数日分の、二人分の汗や唾液や、それ以外の体液が染みこんだそこへ。
「教えてくれ。どうやったらお前とずっと一緒にいられる?」
「もうにんげんじゃいられなくなるよ。このせかいにいられなくなるよ」
「いいよ。最初はこのつらいだけの人生を終わらせたくて死にたかったけど、お前と一緒にいるときはつらくなかったし。……本当は楽になりたかっただけなんだ。死にたくなんてなかった。
 だからいいんだ。お前と一緒にいられるなら、別にそれ以外のことはどうだって。お前と一緒にいられたら、俺はそれで十分だから」
「ほんとう?」
「本当」
「じゃあ……」
 彼女は一瞬視線をそらす。初心な少女のように頬を染めて、小さな声でこう言った。
「わたしと、ひとつになってくれる?」
「あぁ、喜んで」
 唇を重ねる。その柔らかで、大きな乳房をわしづかみにする。
 舌の間から「ん」と言う声が漏れる。
 どちらからともなく舌を動かし合い、唾液を混ぜ、かき混ぜ合わせる。
 柔らかな乳房はもみしだくたびに形を変え、黒い膜は剥がれて白く敏感な素肌が、桜色の頂が顔をのぞかせる。
 剥がれた膜は粘液状に形を変えて、触れ合った手のひらから俺の肌に向かって伸び、張り付いてくる。
 乳房だけでは無い。そのほんのりと脂ののったお腹を、むっちりとしたおしりや太ももを、なでまわし、柔らかく掴み、爪を立てるほどに、彼女の肌を覆っていたそれが溶けて俺の身体に広がり、包み込んでゆく。
 彼女の白い首が、浮かび上がる鎖骨が、おへそがあらわになるとともに、俺に身体は黒く染まってゆく。
 俺は黒く染まった指で、彼女の割れ目に指を這わせる。膜はあっけなく剥がれ落ちて、つるりとした何の覆いも無い彼女の入り口があらわになる。
 俺は改めて、彼女の身体に覆い被さる。彼女の背中から生える無数の触手が俺の顔を撫で、背中を引き寄せ、股間のそこに恐る恐ると言った感じで触れてくる。
 かつて無い程に膨れ上がった、不思議とそこだけ黒い粘液で覆われていない部分へ。
「……なまのあなたをかんじたいの。むきだしのあなたを、わたしのまんなかで」
 相変わらずの底なし沼の瞳。けど、今ならば分かる。その沼は絶望ではなく愛欲の沼。覗き込んだ者をその魂ごと捕らえて引きずり込む、狂気のような性愛で濁りきった瞳だったのだと。
 そしてその目を見てしまったときから、自分は沼に足を突っ込んでしまっていたのだと。
 先端が、彼女の入り口を、淫らの門をゆっくりと開けてゆく。
 柔い肉をかき分け押し広げて、彼女の最奥に触れるべく、一つとなるべく突き進む。
 淫肉の廻廊は狭く窮屈な作りで、溶けてしまうほどに熱く、きつく締め付けてくる割には押し出そうとするでもなくねっとりと吸い付いてくる。
 彼女は初めての客人である証をその割れ目から滴らせながらも、自ら異邦人である俺を奥の宮へと招き入れてくる。
 誘われるまま、俺は腰を落としてゆく。そして、彼女の一番奥をゆっくりと撫でる。
「あうぅ」
 自分の背中から何かが生える感触があった。それがにゅるりと伸びて、彼女の触手と絡み合いはじめる。彼女の身体を撫で回し、覆い始める。
「もっと、もっとして。おくに、あなたのかたち、きざみこんで。あなたのしるし、いっぱいだして」
 たどたどしい言葉でも、その意味は十分に理解できた。
 腰を引くと、亀頭に、かりに切なげに柔襞がしがみついてくる。それだけでも果ててしまいそうになるが、しかし腹の底で震えはじめた何かもこのままでは足りないと訴える。
 腰を突き入れる。笛の音のような甘い悲鳴を唇で塞ぎながら、二度、三度。卑猥な水音を響かせ、淫らな匂いを立てながら、夢中になって腰を振る。
 その背を強く抱きしめる。触手が絡み合う。彼女が俺の身体を覆い、俺が彼女の身体を包む。
 身体が熱い。溶けるように。
 そして大きな脈動とともに、俺は彼女の一番奥に射精した。溶けかけた身体ごと、魂のすべてを彼女に捧げるように。
 おびただしい量のそれを注ぎ続ける。いつまでもいつまでも、それは長く長く続き、彼女のなかが俺で満たされても止まることなく続き、そして。
 そして俺と彼女は混ざり合い、俺達は一つになった。



 それから数日の後。
 俺の部屋には大家と、大家に鍵を借りた仕事の上司、それに警察関係者らしい何人かの人間が訪れていた。
 すでにもぬけの殻となっている部屋を見て回っていた。俺がここからいなくなっている。そのことはすでに分かっていたが、わざわざそれを確かめに来てやった。そんな態度で。
 それでも一応、彼らは俺の事を調べているようだった。俺がどこを目指して部屋をあとにしたのか。何が原因でそういう結論にたどり着いたのか。
 部屋には、俺がいたときの事、やってきた事の痕跡は残しておいた。俺自身はもうここにはいないし、戻るつもりも無かったが、もしかしたら俺の身を案じてくれたり、興味を持ってくれる奇特な人間もいるかもしれないと思って。
 そして、人間であったときの最後の悪ふざけとして一冊の手記も残してきた。こちら側にたどり着く方法も含めて、様々な事を書き込んだそれを。
 読んだところで俺の正気が疑われるか、読んだ奴の正気が奪われてしまうかもしれないが、こちら側の適性がある人間ならば分かってくれるだろう。そんな奴はまぁ、まず居ないだろうが。
 彼らは部屋を調べるうちに、俺が決して戻らないであろう事は理解できたようだった。
 最初は至極面倒くさそうに部屋に来た連中が、出るときには目を血走らせて青ざめて帰って行く姿は何とも愉快だった。



 こうして、俺は人間でなくなった。
 彼女、ナイトゴーントと呼ばれる女悪魔の“伴侶”となり、肉体は人型のそれから不定の黒い粘液状のものへと変わり、常に彼女の身体中を、中と言わず外と言わず出たり入ったりまとわり付いて、ともに空を征く存在となった。
 今の俺はどんな形にでもなれる。現に妻の身体を覆う膜は俺の手のひらであり、空を飛ぶための翼は俺の腕だ。
 無数の触手をもってすれば妻の身体の好きなところを愛撫し、締め付けることも出来、気が向いたときにいつでも甘いおっぱいの感触や、まろやかなおしりの弾力を、全身を楽しめる。
 しかしながら、すべてが俺の気分次第にいくというわけでも無かった。なぜならば。
「ねぇ、……そろそろ、ほしい」
 休む間もなく、妻が俺を求めてくるからだ。
 とはいえ、こんな風にとろけた声でお願いされては断れるべくもない。下半身が熱くならない方がおかしいのだ。とはいえこの状態では、一体どこが熱を帯びているのか、その熱自体も自分のものなのか彼女のものなのかは怪しいところだったが。
 まぁ、どちらでも構わない事だ。俺は彼女であり、彼女は俺なのだから。
 俺は彼女の股ぐらに己のそれを形作り、一気に突き上げる。
「あぁんっ」
 弓なりにのけぞるその身体を抱きしめながら、彼女の中をかき回し始める。
 跳ねる乳房を、震える太ももを締め付ける。何かが滴り地上に落ちた気がしたが、いつもの事なのであまり気にしない。
「きもち、いぃっ。これ、あぁあっ」
「あぁ、俺もだよ。今日はもっと深く……。
 ん、あれは……。なぁ下見えるか」
「そんなことより、もっと……。ふぇ?」
 激しく絡み合いながらも、彼女もまたそれに気がつく。
 かつての俺と同じような人間が、かつての俺と同じような事をしようとしていることに。
「あれは良くないだろ」
「あれはよくないね」
「なんとか助けてやれるか?」
「うん。あっちがわにつれていこう。そうすれば、だれかうまくやってくれる」
「なんか雑だな。俺の時はもっと丁寧だったじゃ無いか」
「あのときは、おむこさんさがしちゅうで、あなたのこと、きにいっちゃったから……。だって、はやくあなたと、いっぱいしたいのに」
「それもそうだな」
「なんか、あったかくなった。てれてる?」
「急降下すると寒いだろ。ほら、降りるぞ」
 今日もまた、自殺志望者を快楽の深淵の世界にご案内だ。
 俺は彼女の深淵に深く繋がりながら、この世の深淵へと降りていった。



 @@@@@@@@@@@



 そこで生い茂る草木は冒涜的な肉や人の肌の色、風に揺れるその様は乱交に耽る白痴の群れにもにて、それを覆う極彩色の天蓋もまた、淫靡な光沢で照り輝く無数の泡や背徳的な形の雲が幾重にも重なり混ざり合いながら浮かび漂う。
 小高い丘の上で人の形に戻った俺は、眼下で繰り広げられているえげつない触手責めを、困惑しもがき暴れる男の姿を見下ろして懐かしい気分に浸っていた。
「お前達ってさ、なんであんなにくすぐるんだ。攻撃、ってわけでも無いだろうし。やっぱり笑わせて元気づけようとしていたのか?」
 身体にしがみつく半身に問いかける。妻は俺の身体に強くしがみつき、心細そうな顔で肌をこすりつけてくる。
 俺が人の形をしているときは、大体いつもこんな感じだった。俺と一つになっていないと、ひどく不安になるらしい。
「え? あれは、じぶんのものにするために、たいえきをぬりつけてるだけだよ」
 きょとんと見上げてくる彼女に、俺はしばらく言葉が出なかった。
 何でそんなことを聞くんだろう。といった感じの不思議そうな目で見上げられる。
 意図してやっているわけでは無かったらしい。自分からしたらちょっと元気づけられていたような気もしていたが、それは彼女達の習性のようなものだったようだ。
 その終着駅は人外への変異ではあったが、何だか不器用な愛情表現のようで可愛らしいと感じてしまうのは、自分が彼女の"伴侶"になったからなのだろうか。
 人をやめた今となってはわからないし、どうでもいいことではあったが。
「でも、あなたのわらったかおや、わらいごえは、なんだかかわいくて、いつもしていたつらそうなかおより、そっちのがすきだったから、だからとちゅうからもくてきがかわってたかもしれないけど」
 俺は彼女を強く抱きしめ返す。そして形を変えて、彼女の身体中を包み込む。
 同じだった。最初から今に至るまで、彼女と俺は同じなのだ。
 俺は羽ばたく。いつの間にかまんざらでもない顔でくすぐられる男を尻目に、複雑な幾何学模様を空に描く。
「そういえば、最近おっぱいから染み出してるこれって何なんだ」
「たぶん、ぼにゅう」
 軌道が乱れて、幾包かの鮮やかな原色の泡が弾ける。
「え? それって」
「きっとばけものだったわたしに、ばけものになったあなたのこがやどったの。ばけものとばけものがひとつになったら、あたらしいばけものがうまれたっておかしくないでしょ」
「あぁ、そりゃそうだな。そりゃそうだ」
「わらってるの?」
 どうかな。自分でも分からない。
 俺はいつになく力一杯、歪に拗くれた空気を振るわせ、軋んで腐った音を立てて宙を舞う。
 そして再び人界に躍り出て、その色褪せた世界で身を震わせる。
「それなら、この世界を俺達化け物でいっぱいにしてやろう」
「すてき! いっぱいまじわって、いっぱいつくろうね! わたし、がんばってうむね!」
 あぁ。笑っている。
 俺は今笑っている。俺が今生きていることに。俺がまた生まれてくることに。
17/12/27 22:55更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
自殺無効:全ての魔物娘が持つ"攻撃"特性。自ら命を絶とうとするほどに弱った人間に狙いを定め、手段を選ばず獲物を籠絡し無理矢理自身の伴侶へと仕立て上げ幸福の絶頂へと追い詰める。その精神攻撃は凄まじく、幸せのあまり人間を止めてしまう者もあとをたたないという……。
(呪殺無効からダジャレみたいに思いついたけど、説明文書いているうちに自殺特攻のほうがいい気がしてきたのは内緒)


初めましての方は初めまして。お久しぶりの方は、大分お久しぶりになってしまって申し訳ありませんでした。

何か色々書いていたのですが、書き上がらなかったり納得出来ないまま年末まで来てしまい、諦めかけていたところに彗星のごとく現れたナイトゴーントさんから外宇宙の電波を受け取って気付けば書き上がってしまっていました。深淵勢パネェ。

粗も色々とあるかと思いますが、楽しんでいただけていたら嬉しいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
(あ、あと自殺はダメ絶対。死んだらこれから先の魔物娘図鑑の新刊や色々な展開を楽しめなくなっちゃいますからね)

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