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【第一章】第一話「ドラゴン作戦第一号 〜〜ドラゴンを口説け!〜〜」
 黒い影が太陽を横切った。

 四騎のワイバーンが、大空を我が物とするかのように自在に駆け巡った。それを見上げる広場に集まった魔物や人間たちは、鳥型の魔物とは違う力強い羽ばたきの迫力に魅入っていた。

 二騎のワイバーンが腰につけた筒の栓を抜くと、筒からピンク色の煙が噴出した。

 ワイバーンの飛行した航跡がピンクの煙で空に描かれた。煙の航跡を残し二騎は左右に分かれ、それぞれカーブを描きながら上昇し、少し後に降下を始めた。そして、二騎が低い高度で交錯すると同時に煙の航跡が切れた。
 二騎により青空のキャンパスに大きな一つのハートマークを完成させると、広場の観客から喝采が上がった。

 残る二騎のワイバーンも足や翼の先につけていた発煙筒の栓を抜いた。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色の煙で虹を描いて、さらに歓声を浴びていた。

 そんな派手なワイバーンの飛行に観客の目のほとんどが奪われていた。なので、単騎のドラゴンが、さきほど描かれたハートマークの根元あたりでホバリングしていることに気付いた観客はほとんどいなかった。彼女は呪文の詠唱を終えて魔法を完成させると、それをハートマークの中央へと打ち上げた。

 四騎のワイバーンもそのタイミングにあわせて、ハートマークの中央へと観客の視線を誘導するように、ハートの中心へと集合するように飛行した。

 四騎がハートマークの中央で交錯した瞬間に、昼間でも見えるほど明るい閃光がはじけた。はじけた閃光は分裂し星を飛ばし、飛び散った星はさらに分裂して昼の空に光の花を咲かせた。そして、地上に光の欠片を降らせた。

 光の欠片を浴びたものは、魔物たちのみならず、人間たちも欲情させた。我慢できなくなったものは番いの魔物を路地裏に連れ込み、猛者はその場で事を始めていた。歓声は嬌声に変わり、イベントは魔物的に大成功で幕を閉じた。

「あー、ムラムラするー。なあ、ザック! このまま、猫足横丁にいこうぜ!」

 光の欠片を浴びた小柄な若い男が、一緒に見ていた友人であろう長身の男性の袖を引いた。

「このあと仕事があるんだよ。女郎買いに行ってる時間はないんだ。行きたきゃ、一人で行けよ」

 ザックと呼ばれた長身の男は引かれた袖を払って不機嫌そうな顔をした。

「そいつはご愁傷様。こんなムラムラする魔法を浴びて、抜きもせずに仕事なんてな。魔物に襲われるなよ」

 小柄な男はスケベそうな笑みを浮かべると、前屈みに人ごみの中に消えて行った。彼の方が魔物に襲われることに注意すべきだろう。

「ムラムラする、ねぇ……俺には寂しい孤独感しか感じないんだが」

 ザックは、まだ降り注ぐ光の粒を手の平に受け、淡雪のように消えるそれを眺めながらつぶやいた。

 年齢は二十歳を少し過ぎたぐらいだろう、青みを帯びた黒髪で、長さは男性にしては少し伸ばしている方だった。クールな顔立ちをしているといえば聞こえがいいが、冷淡な雰囲気があり、お世辞にも人当たりは良さそうには見えない。
 身長は平均よりは高いものの、細身であるので逞しさはまったく感じられなかった。彼を一言で言うと、クールな優男というのが一番しっくり来るだろう。

「さて、お仕事お仕事。貧乏人は働くなくちゃ、いつまでも貧乏人」

 クールな優男はイベントの熱気の冷めやらぬどころか、違う意味で熱気を帯びてきた広場を冷めた気持ちで後にした。





 ドラゴニア親善使節団――竜と人との共存を理念として旧魔王時代に建国された最も歴史の古い親魔物国家竜皇国ドラゴニアが、他の親魔物国家と友好関係を結ぶためと、観光客を勧誘するために派遣される使節団であった。

 ドラゴニアは辺境ではあるものの、豊かな自然と独自の文化を持っているために、魔物夫婦たちには、行ってみたい場所として不動のトップスリーの一角を担っていた。ちなみに、他の二つは王魔界とジパングである。

 そういう観光立国としての一面を持ってはいるが、他ではレア魔物とされるドラゴンが多数いることや、竜騎士と呼ばれるドラゴン属の魔物に騎乗する騎士を有する軍事大国でもあった。

 こういった軍事大国の側面は、同盟している国にもある種の圧力を無言でかけてしまう。要するに、ドラゴニアにその気がまったくないのに、その軍事力を背景に攻め入ってくるのではないか? そんな疑念を同盟国ですら抱かせてしまうのであった。

 高い飛行能力のあるワイバーンがいるので、遠く離れた国であっても安心はできない。極端な話、力あるドラゴンであれば、それが単騎であっても同盟国にとっては十分すぎるほど脅威なのである。

 もちろん、そんなことは魔物を深く理解していれば、天が落ちてくるのを心配する杞憂よりも馬鹿げたことだが、姿が見えないことは人の心に不安という魔物を育てる魔界を作るのである。

 こういった無用な不安を抱かせないためにも、無言の圧力を有言の親愛で払拭する必要があった。それが親善使節団の使命であった。表向きは。

 本来の目的は、プライドの高い竜娘たちに新鮮な出会いをさせることで、早く運命の相手に出会えるようにというドラゴニアを治める女王陛下の粋な計らいであった。

「――というわけで! 諸君らが使節団の竜たちで気に入ったものがいたのであれば、口説いてもらっても一向に問題ない。むしろ、口説いてくれ。いや、口説け!」

 使節団団長にして、竜騎士団団長のアルトイーリスは、歓迎の晩餐会が始まる前にそこで働く若い独身男性の給仕係や楽団員を集めて熱っぽく語った。それが冗談でないことは、彼女の紫と青のオッドアイを見れば、痛いほどわかった。

 朽葉色の金髪は肩にかかるぐらいで、それほど長くも無いのに、熱弁によりすでにセットがくずれて跳ねている。青みを帯びているはずの彼女の鱗が熱で赤みを帯びそうな勢いであった。

 そこにいた給仕係と楽団員全員は共通してあることを理解した。

「この人、自分も口説いて欲しいんだろうな」

 そんな優しい視線の中、熱弁をふるっていたが、団長である役職の魔物に暇な時間があるわけがない。お目付け役だろう副官の竜によって演説は中断され、首根っこを捕まれて連れて行かれたことで給仕係たちは演説から解放された。

「って、言われてもなぁ」
「相手はドラゴン、ワイバーン、ワームだしな」
「ハードル高いよ」
「まず、爬虫類属性は必須だよな」
「あと、邪険にされても折れない心」
「そうだよな。鼻で笑われたら、クリスタル爪楊枝でできた俺のハートはぽっきりいっちゃう自信があるぜ」
「どんな自信だよ?」
「でも、ほんとマゾ気質は絶対必要だな。なあ、ザック」

 解放された給仕係の一人にザックもいた。ザックは興味薄げに「そうだな」とだけ真顔で答えると、周囲の同僚たちも興が削がれたのか無駄話を終了して、各々の仕事へと戻ることにした。

「あいつ、なんか感じ悪いよな。ノリが悪いというか」
「だよな。愛想がないというか」
「おいおい。いじめは駄目だぞ。悪い子は魔物にさらわれるぞ」
「どんなご褒美だよ」

 解散した後もザックがいないところで別の話題で盛り上がってはいた。ザックはそんな仕事をしない同僚たちは無視して、自分の仕事に集中した。

 親善使節団の歓迎晩餐会とはいっても、公式行事ではないため、立食タイプの気軽なものであった。給仕係といっても、テーブルに置いているなくなった料理の補充や、取り皿を用意したり、頼まれて飲み物を運んだりする程度で、それほど格式ばっていなかった。

 ザックは飲み物をトレイに載せて会場を回り、グラスの空いた人に飲み物を手渡していた。これは当初ザックの担当ではなかったが、来場者に積極的に声をかけなくてはいけない役目であるため、相手がドラゴンであることにびびった他の給仕係が彼に押し付けてきたのであった。

 ただ、ドラゴンにびびっていたのであれば、それは正解だっただろう。そんな及び腰で接客をされたら、ドラゴンの嗜虐心を刺激してしまし、調教を施されてしまう。実際にそれで物陰に連れ込まれた給仕係は数人いた。

「普通にしていればどうということはないのに」

 ザックはそう思いながら仕事をしていた。

 ここが反魔物国家で魔物に慣れていないのであれば仕方ないが、ここは親魔物国家である。使節団の魔物たちも人と共に住むことに慣れている魔物なのであるから、種族がドラゴンであっても基本は自分たちの周囲にいる魔物と同じ対応で問題なかった。相手に敬意を払うが、無意味に畏れず無条件に敬わない。対等な関係であることを忘れずに毅然としていればいいだけであった。

 そうやって落ち着いて見ていると、親善使節団の面々は色々とこじらせたタイプだとザックは感じた。

 やけに陽気なワイバーンがいたかと思えば、色々考えすぎて挙動不審なワイバーンもいる。人慣れしていないのか、やたら高圧的になるしかできないドラゴンがいて、遠慮無しに重たい愛を初対面で捧げようとするワームもいる。

 ザックたちの身の回りでも縁遠いといわれるタイプが勢ぞろいしていた。

「ある意味、精鋭部隊だ」

 ザックは苦笑いを心の中で浮かべながら飲み物を配りながら会場を巡っていた。

 ふと、一人だけで窓辺に佇み、空のグラスを手でもてあそでいたドラゴンが目に入った。

 彼女は藍色のつややかな長い髪をして、サファイアを思わせるほど煌いた紺碧の鱗をしていた。他のドラゴンと違い、彼女は右側の角が無かった。そして、数人ごとで固まっている使節団員の中で彼女だけ一人で、しかもカーバンクルのような赤い瞳は冷めた寂しい視線を会場に向けていた。

 その寂しそうな瞳と美人過ぎる隙のなさが冷たくも見えて、人を寄せ付けない霊峰の雰囲気をまとっていた。事実、彼女の周囲は結界であるかのように無人地帯になっていた。

「おかわりはいかがですか?」

 ザックはそのドラゴンに近づき、ワインの入ったグラスを差し出した。
 彼女は一瞬だけ驚くと、手にしていたグラスをトレイに戻した。

「それでは、遠慮なくもらおう」

 グラスを受け取ると、一瞬でそれを空けて、そっとトレイに戻した。

「えーと……もっと、お強いお酒をお持ちしましょうか?」

 ザックは少し驚きながら給仕係らしく提案してみた。

「いや、結構だ。飲みすぎて酔ってしまった。少し外で酔いを醒ましてくる」

 彼女はそう言って、バルコニーに出る窓を開けて、夜の中へと溶けて行った。ザックは無理強いするわけにもいかず、会釈をして彼女を見送った。



「わこうどー♥ ちゃんと口説いてるぅ?」

 まだ数杯は残っているが配る飲み物を補充しておこうと、厨房に戻ろうとするザックの前に、少しお酒臭い息のドラゴンが立ちふさがった。

「アリィ、絡み酒は嫌われるお酒ナンバーワンですよ」

 立ちふさがったのは、晩餐会前に演説していた使節団団長のアルトイーリスであった。そして、それを注意したのは演説を中断させた副官のドラゴンであった。

「あ、私はアルトイーリス団長の副官をしている、ノエルって言います。先ほどから見ておりましたが、ドラゴン相手でも物怖じしない毅然な態度。なかなか肝の据わったお方ですね」

 ショートカットの金髪で、凛々しい顔立ちの多いドラゴンにしては珍しく愛らしい笑顔を浮かべ、親愛の情のこもった碧眼をザックに向けていた。

「あ、こら! ノエル! 私が先に声をかけたんだぞ。割り込むんじゃない。ちゃんと並べ。横入りは軽犯罪法違反だ」

「部下に順番を譲る器量をここでお見せにして、女を上げるのもよろしいのでは?」

「そ、そうか? うーん……い、いやっ。騙されないぞ」

 ザックは、この人が竜騎士団団長で大丈夫なのだろうか? と思ったが、さすがにそれを口にする勇気は無かった。

「大丈夫ですよ。女王陛下が酔った勢いで任命しましたが、この人もやる時はやりますから。ただし、男性関係以外限定ですが」

 ノエルが笑顔でザックの思った疑問に答えたのを聞いて、顔に出ていたのかと顔を手で押さえた。

「え? 酔った勢いというのは本当なのか? い、いや! 信じないぞ。女王陛下に限って……女王陛下なら……ち、違うぞ! 私は女王陛下を信じる。きっと、照れて言っておられるだけだ。うん。そうに違いない!」

 アルトイーリスは鉤爪の鋭そうな拳を握り締めて、剣を抜いてそれを見えない女王陛下に捧げた。

「えー……と、色々と大変ですね」

 ザックは人間が言える最大限の言葉を搾り出した。

「ほんと、大変なんです」

 ノエルは楽しそうに微笑んでいた。

「あ、そういえば、先ほど、角が片方しかないドラゴンさんが酔いを醒ますと言ってバルコニーへ出て行かれました。一応、お伝えしておきます」

 ザックは話題を変えようと、先ほどあったドラゴンのことを二人に伝えた。それを聞いた二人は急に真顔になって顔を見合わせた。ザックは「しまった。面倒ごとか?」と内心で顔をしかめた。

「えーと、それは出て行くのを見て、そう思った。ということでいいかな?」

 アルトイーリスが奇妙な質問をしてきたことに、ザックは一瞬迷ったが、ここで下手に嘘をつくともっと面倒なことになりかねないと正直に話すことにした。

「いえ。ドラゴンさんご自身が私にそう言いましたが?」

 ザックの言葉に二人はまた顔を見合わせた。

「ユニが男の人と会話するなんて……」

「……すまん。ちょっと、涙が出そうだ」

「その気持ち、わかります」

 二人が感極まっているのを見て、ザックは心底後悔した。選択肢を間違ったと。

「えーと、それじゃあ、私はここで」

 選択コマンド「逃げる」で抵抗を試みた。しかし、ザックはあっさりと回り込まれた。

「おーい、みんな! 聞いてくれ。ユニが、男の人と会話した!」

 ドラゴンは仲間を呼んだ。

「えー! それ、ほんとですか? 酔っ払って、夢見たんじゃないですよね?」

 ドラゴンCDEF、ワイバーンABCDEFG、ワームABCが現れた。ザックは囲まれてしまった。

「すいません。仕事に戻らせてくれませんか? サボっているとバイト代を減らされるので」

 ザックは無駄な抵抗を試みた。

「大丈夫だ。君の給金は我がドラゴニア親善使節団が完全に保証する」

 ザックは救いを求めて上司である給仕長を見たが、美しいまでの敬礼をしてから帽を振れの動作をしていた。ザックは見捨てられた。

「さて、これで君は完全に包囲された。我が竜皇国ドラゴニアが誇る竜騎士団、その精鋭中の精鋭、第零特殊部隊イーリス隊の包囲網を突破することは神であろうと困難と知れ」

 宣言自体は死刑判決のようだが、それを口にしているアルトイーリス以下全員の目には好奇心の光しか宿っていなかった。

「恋バナを期待してる独身をこじらせた魔物娘の瞳だ」

 ザックはそれを見抜いて、完全無欠の包囲網を突破するルートを見つけた。しかし、それを実行するのは余程の胆力が必要なのと、その先に別の危険が待っていた。どちらにしても、まずは勇気が必要だった。

「ええい! バッカスよ! 一時の偽りの勇気を俺にくれ!」

 心の中で呪詛の近い祈りを捧げて、トレイに残っていたワインの入ったグラスを立て続けに飲み干した。

「いったい、なにを……?」

 ザックの突然の行動に周囲の竜たちは呆気に取られてしまった。

「そこをどけ! アルトイーリス!」

 呆気に取られている目の前にいる騎士団長を、ザックは迷いない気合の篭った声で一喝した。

「――っ! き、貴様!」

 ザックの言葉が意外すぎて一瞬理解できず、一拍遅れてアルトイーリスは顔を引きつらせた。

「なるほど。恋の女神は試練好きだという。ユニという、いい女を口説きに行くのだから、これぐらいの試練はあって当然か」

 ザックは芝居がかった動きで額に手を当てて大仰に頭を振った。

「さあ! 人の恋路を邪魔して、馬に蹴られて死にたい奴から前に出ろ!」

 腕を払い、顔を上げて、ザックはまっすぐとアルトイーリスを睨みつけた。気後れしたら負けである。そして、恥ずかしがっても負けである。

「え? え? ええぇー!」

 突然の展開に英知を誇る竜たちもパニック状態になった。

「もう一度言う。竜たちよ、道を開けろ。我が愛に勝てると思うもののみ、我が行く手を阻むがいい」

 ザックが決め台詞のように叫ぶと、包囲網がまるで花道を作るように開かれた。

「だ、団長。なに、道を空けてるんですか」
「だ、だが、愛に勝てるなんて無理だろう。私はまだ伴侶もいないのだぞ」
「そりゃあ、私もですけど……」
「でも、こんな風に愛を叫ばれるって、憧れるっす〜♥」
「ロマンスよねー♥」「ロマンスだわ〜♥」
「パティ。よだれ出てる」
「だって、これ、憧れのシチュエーション♥第三十八位だもん」

 ザックは竜たちが混乱している間に、包囲網をゆっくりと悠々と歩いて脱出した。そして、トレイをテーブルに置くと、代わりに度数の高い蒸留酒の入ったグラスを二つ、手に取った。

「ここまでは上手くいった。だけど、この先は……なるようになるしかないか」

 ザックは内心の不安を押し隠して、バルコニーへと出る窓を開けた。夜の冷気が吹き込んできて、身体だけでなく無理やり高ぶらせた感情も一気に冷やされるような気がした。

「気合を入れろ。演技とばれたら攫われるぞ」

 ザックはグラスさえ持っていなければ頬を叩きたかった。いっそ、手にしているお酒を飲んで、もう一度バッカスの力を借りようかとも考えた。

 しかし、行く先にいる人影を見て、演技や策略抜きに一瞬で魅了された。

 銀色の月光を受けたサファイアの鱗は星々の煌きを写して、まるで夜空を吸い込んで宝石にしたようであった。流れる青髪も月夜の夜空よりも黒く、吸い込まれるような錯覚を感じた。その漆黒の髪が風にそよいで、その一房が月明かりに照らされると、それが流星のように一瞬の輝きを放っていた。

 ザックはしばし彼女の後姿に見惚れていた。だが、その彼女が彼の気配を感じたのか振り返って、赤い瞳を寂しそうに自分に向けているのに気付いた。そこで慌てて彼女の方へと歩み寄った。

「外は寒いでしょう。これをどうぞ」

 度数の強い蒸留酒の入ったグラスを一つ差し出そうとして手を止めた。ユニはそれに怪訝な色を瞳に浮かべた。

「今度は一気に飲み干すのは無しにしてくださいね、ユニさん」

 先ほどの経験を教訓にザックが軽い調子でウィンクすると、彼女の目に警戒の色が浮かんだ。

「どこで名を……」

 言いかけて、窓に張り付いている彼女の同僚たちに気がつき、おおよその事情を察したようでため息をついた。

「迷惑をかけたようだな」

 苦笑まじりにグラスを受け取った。

「いえ。ユニさんと話したと言った途端に囲まれてしまっただけですから」

 ザックは強がりの軽口を口にし、彼女に正対して自分のグラスを掲げた。

「人間にとっては、それは十分に迷惑な話であろう?」

 ユニは軽口に乗らず、乾杯に応じなかった。そっぽを向くように元の体勢に戻り、手すりに持たれかかり、夜の闇を覗いていた。

 ザックは折れそうになる心を何とか奮い立たせた。ここで撤退すれば、窓ガラスにイモリのように張り付いている竜たちに尋問拷問されること間違いなしである。もっとも、それがなくても、もう少し彼女といたい気持ちは十分にあったが。

「色々とあれらに言われているのだろう? 気にすることはない。私からきつく言っておく」

 立ち去ろうとしないザックに、ユニは興味なさげに独り言のように言うと、グラスに少し口をつけた。

「人に言われてドラゴンを口説きに行くほど流されやすい人間じゃありませんし、ましてや脅されて口説きに行くなんて失礼なことをする人間でもありませんよ。あなたのことが気になったのは事実です」

 隣に並んで彼には何も見えない夜の闇を見つめた。

「そんな台詞、他の竜だったら勘違いして巣に連れ帰られるぞ」

 ぼそりと会話に乗ってきた。ザックは心の中でガッツポーズをした。

「ユニさんは勘違いしないと?」

「すると言ったら?」

 ゆっくりとグラスを回し、中に入っている真紅より暗い蘇芳色の液体をそっと口に含んだ。

「それは光栄の至りですね」

 ザックもユニを真似るようにして、グラスの中身に口をつけた。途端に喉を焼くような刺激と甘い香りが口の中に広がった。頭の芯がしびれるような刺激で、夜の冷気に冷えた身体が熱くなるのを感じた。

「あまり魔物をからかうな。その気になれば――いや、なんでもない」

 横目で睨みつけたが、その瞳がさらに沈み込んでいくのが見えた。小さなため息を吐き出し、再び夜の闇を見つめた。

 ザックは何かわからないが、何かを感じ、話しかけずに彼女の隣にいることにした。

 後ろからにぎやかなパーティーの音がしたが、不思議に風に揺れる木の葉がざわめきや、微かな虫の声とフクロウの低く伸びのある鳴き声が耳にやさしく届いていた。

 どれぐらい時間が過ぎただろうか、ザックはグラスを傾けても口の中に何も流れ込んでこないことに気がつき、ユニのグラスも同じであるのを見て、酒の追加を取りに行くべきか少し迷った。

 ザックが迷っていると、ユニは横を向いたまま空のグラスを掲げた。おかわりの要求かと思ったが、違うように感じた。

 そこで、はっと、それが乾杯の誘いであることに気がつき、自分も空のグラスを同じように掲げた。

「私の名は、ユードラニナ」

 彼女が名乗って、そこで自分が名乗っていなかったことを思い出して、アルコール以外の理由で赤面した。

「俺――じゃなくて、私はザック」

 二人はグラスを軽く振るようにして互いにグラスの下の方を当てて、ちょっと重めの渇いた音をバルコニーに響かせた。

「では、私はそろそろ戻るとしよう。でないと、同僚たちが窓を壊すことになるからな」

 ザックにグラスを渡し、ユードラニナは踵を返すと会場へと戻っていった。会場に戻るとアルトイーリスたちに囲まれて何やら詰問されていたが、それをさらりとかわしているのが外からでも見て取れた。

「ひきつける囮役を買って出てくれたというわけか」

 彼女から受け取ったグラスと自分のグラスをまとめて片手に持っていたため、偶然だが、その口をつけたところ同士がぶつかって、キラキラした明るい音を鳴らした。

「恋の女神様は神出鬼没な悪戯好きでもあったよな」

 頭をかいて、一人寂しいバルコニーから仕事場である会場へと戻った。

17/03/03 21:05更新 / 南文堂
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■作者メッセージ
ドラゴニアの設定集を読んでいたら書きたくなってしましました。
のんびりと続けていきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

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