連載小説
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1.餓狼の仕事
 怒気を孕んだ大声が響く。

「見つけたぞ! 馬車を逃がすな!」

 陽が沈み、闇夜の帳が下りた林道を、一台の馬車が全速力で駆け抜け、それぞれ馬に乗った4人の男が10メートル程後方から追いかける。

 御者台の傍らに吊り下げられ激しく揺れるランタンと、馬車を追いかける馬の鞍に差し込まれた松明の炎が、暗い林道を照らし、馬車と馬の引き伸ばされた影を浮かび上がらせていた。

 乗馬している4人の中でも先頭を走る、一際体格の大きい、筋骨隆々とした男が馬車との距離を詰めながら仔細に馬車を観察した。
 馬車は2頭立てのキャリッジで立派な懸架装置が備えられている。しかし、荷台部分は箱をそのまま乗せたような、荷物入れとして改造されていたのが、男の気に留まった。

「人の運搬用でもねぇのに、立派なもん用意してやがる」

 男は、後ろに撫で付けた黒くウェーブがかった髪を風に揺らしつつ、これから手に入れようとしている"獲物"を想像して舌なめずりをした。

「おい、"包帯"!」

 黒髪の男は言った。

「矢であの留め具を狙え!」

 黒髪の男の左手側で馬を走らせていた男が命令に反応し、乗馬しながら器用に矢を番え、目を眇める。その男は目と鼻、口周りといった必要最低限の箇所以外、おおよそ全てを包帯で巻いている奇妙な出で立ちだった。

「あいよ」

 "包帯"と呼ばれた男は、矢を放つ。矢は、黒髪の男の言った通り、人ではなく荷物運搬用に改造された、荷台の留め具部分に見事命中した。

 荷台の上方部分にあった金具が壊れ、扉が開く。扉と言っても、正方形の板となっている。蝶番が下側についており、扉が上から開いて地面に引きずられる形となった。

 ガリガリガリ、と扉が地面に擦れ、大きな土煙と音を発生させる。ただでさえ、馬車の出せる速度では馬を引き離せない。その上、扉を引きずっていては更に速度が落ちた。馬車馬も、休みなく走らされていたのか、呼吸は荒く、血管が異様に浮き出ている。

 そして何より、"餓狼"の庭であるこの辺りで、男達を振り切るのは至難の業だった。

「おいおい、馬がひぃひぃ言ってるぜ。可哀想なもんだ」

 黒髪の男が、野太い声で嘲笑う。一方で、"包帯"と反対側……男の右手側で走る、いくつもの痛ましい傷を顔につけた、"眼帯"の男が反応する。

「人の事言えやしねぇぜ。俺達の馬だって腹ぁ空かしてる……これじゃ『餓狼』を乗せる『餓馬』だ、可哀想なもんだ」

 "眼帯"はしわがれた声で、黒髪の男の口調をやや真似て茶化す。馬に乗った男たちはくつくつと笑った。

 黒髪の男が馬車の後方にピタリとつき、そして飛び移る。地面に擦れる扉へ着地し、もう一度跳躍して荷台へスルリと侵入する。男の体格がもたらす衝撃と重量に耐えられず、二度目の跳躍後に一呼吸おいてから扉は粉々に砕け、破片が後方へと飛散していった。

 荷台には、いくつもの木箱が積まれている。立派な懸架装置のお陰か、林道を全速力で駆け抜けているのにも関わらず、振動は随分と小さかった。

 我慢出来ず、男は『青果』と銘打たれた木箱の一つを開く。中には題目通り、藁と共にいくつかの野菜や果物が詰められている。それを荒々しくかき分けると、底には薬品らしきものが入った瓶が並べられていた。
 男の予想が的中し、ほくそ笑む。

 男は乱雑に蓋を元へ戻した。そのまま奥へ進み、御者台の小窓についた間仕切りを、太い指で叩いてから開く。

「おい、チェックメイトだ。さっさと停めな」

 御者のふくよかな中年男性が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。次いで、辺りを見渡すと、既に男以外の3人が乗った馬が、左右につき、前方をも塞げる事を示唆している。

 御者は観念したのか、ゆっくりと速度を落とし、程なくして停車したのだった。








 停まった馬車の周りを、4人の武装した男が取り囲む。皆、使い込まれた革鎧に身を包み、短剣や弓等をちらつかせている。

 ――盗賊だ。

 荷台に飛び乗った男以外の3人は、身体を包帯でぐるぐる巻きにしていたり、顔中傷だらけで眼帯をしていたり、片足が粗末な木で作られた義足だったりと、ただならぬ容姿をしていた。
 唯一、怪我や欠損が見受けられない黒髪の男も、逞しい体格を誇り、研ぎ澄ました刃のような鋭い眼光を放っている。

 結局の所、威圧感を与えるという意味では4人とも、人を震え上がらせるのに十分な合格点へ達していた。

 御者の中年男性は、小さな口ひげを震わせながら口を開く。

「こんなに早く追いつくなんて、護衛の連中は逃げたのか?」

 "包帯"が淡々とした口調で言った。

「……他の仲間が相手している。もう直ここへ着くだろうよ」

 この御者が雇ったであろう護衛達は、遥か後方の地点で、盗賊相手に時間稼ぎを試みた。しかし、盗賊側の奇襲が成功した時点で趨勢は決したと判断し、この4人で、逃げた馬車を追いかけた次第である。

「護衛にかける金があるなら、ちゃんと"通行税"も俺達に払っとくべきだったな。無駄な手間かけさせやがって」

 "眼帯"が忌々しげに言って、唾を地面に吐いた。

「なんだと……関所気取りの盗賊共め」

 御者が立場も理解せず、いや、理解していながらか、盗賊達を蔑む。黒髪の男が静かに御者へと歩み寄っていった。

「俺達"餓狼"が周りの国々から退治されてない理由にゃ色々あってな……関所気取りっていうのも、むしろその一つの理由でよ。あながち間違いじゃねぇんだ」

 男は御者の眼前へ到達する。170センチ程ある御者より、頭ひとつかふたつ程高い身長をした男が、御者を見下ろした。

「大人しく通行税を払いさえすりゃ、何も取らずに通すだけじゃなく、道案内までやってる。俺達ゃ随分と親切なんだぜ」

 大の大人でも、この粗野な見た目をしたいかにもな乱暴者に見下されれば、萎縮してしまう。もちろん、この御者も例外ではない。命の危険をつぶさに感じ取ったのか、手足が震えていた。

「煙に巻こうという魂胆か? 元はと言えばお前らにそんな権限なんぞない! お前らみたいに、掃き溜めしか行き場のないような連中にはこれしか道はないんだろうがな……」

 辺りに嫌な沈黙が流れた。黒髪の男は静かな怒りに支配される。次の瞬間、男の両腕は御者の胸元を掴む。そして、御者の足が地面から離れる。
 ふくよかな体格をした中年男性の身体が、持ち上げられていた。一方で黒髪の男の顔にさしたる変化はなく、事もなさげだ。誰が見ても、それが恐るべき力である事に異論はなかった。

「荷台のアレは密輸品か? どこの魔術師ギルドも最近は税をたんまり持っていきやがるからな、大変だろうよ」

 男は続ける。

「だが親父さん、金をケチる所を間違えちまってらぁ。隠れてりゃバレずにここを抜けられると思ったのを見るに、俺達の噂を知らねぇ遠くの商人だろうな」

 首元を締め上げられ、足をバタバタと振る御者の顔が赤くなっていく。

「最後の親切に教えてやるよ。金を払われなかった、"掃き溜めしか行き場のない"連中が何をするかをな……」

 御者は参った、と言わんばかりに、自身を掴み上げる太い腕をパンパンと叩いた。

「悪かった……頼む、命だけは助けてくれ……」

 男は御者を解放する。――丁重とは言い難い、放り捨てるように、だが。
 後方でひっくり返るようにして、久方ぶりの地面を味わう御者は大きな咳を繰り返す。

「……良いだろう、高価なモンを運んでた事と、俺達の親切に感謝しろ。生かしといてやる」

 男は転がる御者にそう吐き捨て、続けた。

「おいお前ら、さっさと荷物を全部かっぱらえ。馬車と馬だけは残してやるんだ……この辺りで獣に食われて死なれても、寝覚めが悪いからな」

 男の部下らしき盗賊達は、下卑た笑い声を上げながら了解の意を示し、荷台からどんどんと荷物を運び出していく。

 命乞いをしたとはいえ、呼吸が整い始めた御者はその光景に唖然とした。悔しさと怒りが入り混じったような表情になるが、不意に黒髪の男と視線があった瞬間、反抗心が根こそぎ奪われてしまい、目を伏せるのみだった。

「本当なら殺されてんだ、そんな顔すんじゃねぇよ。……次からは金を払え、そうしたら安全に送り届けてやる」

 男は野太い声で、心の底からのアドバイスを続ける。

「この先は随分と乱暴な"針鼠団"のシマだ。だが俺達がいりゃ襲っちゃこねぇ。むしろ護衛代が浮くぜ、親父さん……いい知見を得たな」

 今度は、御者の顔を見る事もなく、男は自分の馬に跨った。そう話している内に、荷物の運び出しが完了したからだった。
 その場に御者と馬車を残し、盗賊は颯爽と走り去っていった。



21/08/03 21:04更新 / 小藪検査官
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■作者メッセージ
1話時点でおっさんしか出ていません。色々悩んだのですが、構成力不足で申し訳ございません……。ストーリーの補足程度に捉えて頂ければ幸いです。

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