イザナギ一号_09:記憶と記録
○月Φ日
夢を見た。
それは記憶の残滓であるのか、単なる幻想であるのか。
改造人間の自分が見る夢とは、どんな意味を持つのだろうかと。
何の為に見る夢なのだろうと。
夢でありながら通常のそれとは違う、そう気付いたのはその夢が幾日も続いた所為であった。
元々、夢と呼ばれるものは記憶の整理における代謝機構のようなもので、古いものや要領の大きいものをちょうどいい位置へ脳内で動かしていく作業の監視映像のようなものだという。
不確かとはいえ、時系列に連続性のある物事から、自分が改造される前の過去ではないかと必死に夢を記憶しようと、眠っているはずの自分はもがいた。
自分は学校に居た。おそらく中学校だろう。
学生服を着た生徒達が下校する中、来客用の応接室で一人の教師と壮年の男が向き合っている。男の隣で封筒を抱えているのが僕だ。
『校内問題コンサルタントですか?』
信用していない口調。しかし、依頼に関係する生徒の名前を出した途端、年嵩の教師は顔を渋らせた。
『当校には問題などありません』
硬い口調。対応としては最も拙いものであり、男の方はただ冷たい一瞥を向けるのみ。
教師というのは基本的に嘘の苦手な人種だ。良い教師であればその引き換えにプライドと洞察力を備えるが、職業教師の場合は子供を商品としか見えないような安いプライドと勘の悪さという三重苦となる。
最初に弁護士などを含む法的根拠を備えた資格をもたないことを説明する。途端に教師が増長する。だが、論理的に整頓され、事務的なレベルまで計画の詰められた説明を受けるたびに顔色は青黒いものへ変化していった。
会話の録音。弁護士への依頼までの手順。教育委員会への連絡。
弁論はか細く小さい。まず最初に何の問題もない事を自身で明言していたのだ。クラス内の事情が例え看破できないしろ、準備は既に進んでおり、教科書におけるラクガキからの筆跡鑑定、ゴミ箱に捨てられた上履きからの指紋採取などが可能であることを説明したうえで教師の反応をも見ている。
『ご自身で当校には問題がないと明言されましたね?』
それはまだ最初の質問だった。そして、その一言が、最後通告だったのだ。
本腰を据えて専門職の人間が顔を出している時点で、教師自身が誤魔化せるような状況でないことを理解していただろう。
そしてHRで教師がコンサルタントと名乗った男による紙面を音読。正式な謝罪と反省文の提出を行った場合にのみ、教育委員会への報告をとりやめとし、家庭裁判所への提訴を行わない点を説明。
だが、一人として名乗り出る事が無かった為、クラス全体で指紋の採取と照合、筆跡鑑定による個人手特定を証拠に家庭裁判所へ提訴。悪質性が問われ、「触法少年」としての審判が決定された。
保護者と共に家庭裁判所に出廷し、結果は保護観察処分などには該当しないと見なされず無罪となったものの、学校から停学処分が決定。
担任教師の懲戒免職と共に、イジメに関係していた数人の女生徒達は転校となった。
この件は未成年者に対する新たな対応として大きく報道され、数か月近く新聞の紙面を賑わせることとなる。家庭裁判所への提訴という事例にも関心が集まった。
その後、学校側が斡旋したカウンセラーに際し、それぞれが『あの程度のことだったのに』や『大事になるとは思ってなかった』と語り、一部の女生徒は『馬鹿みたい』と尚も嘲笑していた。
問題意識の低さに学校関係者、保護者などの対応が問題視される中、一組の家庭は離婚、一組の家庭は少女に対する本格的なカウンセリングを申請、残る家族はそれぞれの日常へ戻ったが、転校後の学校で同じような事例に発展し、高校進学後直後に中退した子もいたと聞く。
中でも、首謀者として最も取りざたされ、カウンセラーに『馬鹿みたい』と語っていた少女は、数ヵ月後に事件の関与から少年院への送致が決定された。彼女の親は政治家として役職を担う立場であったが、彼自身も子供の逮捕を報道され失脚。
未成年。それも14歳未満の者が罪にあたる行為をした場合でも刑事責任は問われないことはよく知られているものの、場合によって「触法少年」として家庭裁判所の審判を受けることをどれだけの人が知っているのだろうかとコンサルタントの男は深い苦渋を顔へ浮かべた。
そう呟く彼自身も、現実と向き合うようになるきっかけは、とある出会いがきっかけだったという。オチは、それが今の妻だというものだったので、髭を一本抜いてやった。
「あれから色々とあって今の職でね。、あ、娘の写真あるんだけど見る?」
写真片手にさもだらしなく相好を崩した顔は、まごうことなき親馬鹿であった。だからこそ、こういった事例が許せないのだろう。
コンサルタントの男との付き合いは、当時、問題となった学校の学生だった自分が協力し、その後もアルバイトとして務めたことから随分と長かったようだ。
ここらへんの記憶はひどく曖昧だが、報道で騒がれたとなれば、自分のことももしや調べがつくかもしれないと思い至る。
そして、夢が真実であるかを調べてみた結果。
事実であるという結論に、辿り着く。
この事件から有名となった男は、校内問題コンサルタントとして活躍し、時には報道で顔が映ることとなる。映像も残っていた。
一見すると壮年の優男であるが、その瞳にはどこか底知れぬ力を感じた。
男の名前は児玉 好冬(コダマヨシトオ)。自身で立ち上げた『児玉コンサルタント』による学校問題についての個人事業を行っていた。
独自の人脈によって弁護士事務所や大学の研究室などの交流があり、彼等の助力と共に問題解明へ尽力していたらしい。
扱う事例は『イジメ』が最も多く、二番目が教師による『パワーハラスメント』の実態調査、三番目が病的な要求を述べる『モンスターペアレント』に対する対応。
まさに、今の時代だからこそ生まれた職業であり、パイオニアである彼は、最初こそ無名だったものの、自分の記憶にあった事例、俗に『大和高校イジメ問題』以降は、確かに有名となっている。
しかし。
ネットで情報を集めても、事例への協力者に関しては一切の情報がない。事務所側はプライバシーの観点から情報の開示を行わなかったのだろうが、まったくないのは不思議なくらいだった。
加えて、事務所のHPに関しても数ヶ月間以上更新は滞り、電話、メール、どちらも反応しなかった。
一体どうなっているのだろう?
それをクユに相談してみると。
「私の知り合いを通して調べてみようか?」
意外な申し出には正直に驚いた。単に、何かしらのアイディアが貰えればと思っていたくらいなので。
「知り合いいるの?」
「なんか私を孤独死するような寂しい子みたいな扱いするのやめてくれる!?」
そう怒鳴られたものの、彼女が電話をかけるまでは本気で疑っていた。
それにしても。
一体、僕はどんな人間だったのだろうか?
「でも、当事者じゃなくて傍観者だったわけでしょ?それならふつーじゃない?」
クユの言葉に、遅れてそれもそうかと気付く。単に事件を知っているだけの学生なら、幾らでもいるだろう。
「まぁ、多少の不幸は人生の味付けと思いなさい。改造人間にされたからて、クヨクヨしないの」
実に明快な言葉である。何か、自分がせせこましく悩んでいるのが恥ずかしい。
「だいたい、私なんて元の世界だとそこそこ悲惨かもしれない歴史を歩んでたわよ?」
「………本当に?」
「聞きたいなら聞かせるけど、茶菓子これだけじゃ足らないと思うわね」
どれだけ長いのだろう。それ。
「情報届くまで時間あるからいいわよ? まぁ、アンタなら聞いても問題ないでしょうし」
クユは「それにね」と呟く。
「どこだって、悲劇なんてものは変わらないわよ」
その諦観の混じった言葉は、どこか悲しかった。
クユは大陸でも小規模な国家の乱立する諸王国領と呼ばれる地域の一つ、樹海領と呼ばれる土地で育ったそうだ。
樹海領は紛争の繰り返される諸王領でも比較的に落ち着いた土地で、樹齢数千年を超える木々に囲まれた森は、エルフやアルラウネ、クユを含むアラクネなどの多種多様な血族による縄張りごとの統治に加え、神族の末裔を自称する人間達、アスガルの民などによる集落が点在するのみであるという。
「地元じゃアスガルの民は最強の農民として名を馳せていた一族でね、魔物ですら相手をすることに躊躇する生物が繁茂する樹海領でも最も強い生き物だったわ」
しみじみと語る彼女の口調からも、底知れぬ畏怖と経緯を感じる。伊達や酔狂で神族の末裔を名乗っているわけではないらしい。
最強の農民たるアスガルの民は、非干渉を主とし、魔物とも適度な距離をもって付き合っていた。
それも、樹海領でも最深部に位置するアスガルの土地は、世界を滅ぼすのではないかという樹海の獣達、人とも魔物とも違い『もの』としか形容できないような生物達との戦いが繰り返されており、そんな存在を打破し続ける事で平和を保っているという世界で最も危険な集落という事情からで、たかだか魔物と争う暇はないのだという。
改めて異世界の広さと、価値観の違いを実感させられる話題だった。
そういった事情や状況もあれど、平和であった樹海領。しかし、人生を別つ悲劇とは、常に突然訪れるものであるという。
奴隷商による魔物狩り。
比較的に外延部、木々もそう太くない平坦な地域で生活していたゴブリン種が最初の被害者となった。
彼女達が誘拐される寸前、偶然にもその場に遭遇した腕の立つ旅人、黒衣の男によって奴隷商は撃退されたものの、面子を潰された奴隷商のギルドは、大枚をはたき、諜報部を抱える有名な盗賊ギルドへ魔物狩りの依頼をとりつけた。
盗賊ギルドによる奇襲は、魔物達の防戦を切り崩し、奴隷商人達の私兵の凶行が始まる。奴隷商人達にも大きな痛手は与えたものの、クユを含むアラクネ種の集落やアントアラクネ種などが拉致され、そのまま人身売買の商品とされてしまう。
「今思えば、縄張り同士の非干渉主義が徒になったのね」
自衛には種族ごとに防衛を行ったものの、人間の数と技術の前には敵わないという教訓と悲劇を残す事となったわけだが、その後に彼等がアスガルの民を交えた樹海領議会のきっかけともなり、一概に悪いばかりではなかったとクユは自嘲した。
しかし、そういった故郷の事情などその時のクユ達は知らず、薄暗く硬い檻に隔離され、馬車での輸送が行われていた。動きを封じる枷には魔術による呪いもかけられていた事から、魔物であった彼女達をもってしても抵抗は不可能であったという。
その後、諸王国領でも悪法と淫奔、犯罪の坩堝として知られた盲目領で売り捌かれる事となった。盲目領の都市は巨大な湖の上に浮かぶ廃船が幾重にも寄り集まって形成された人工島であり、やはり、どう足掻いても逃げ場などなかった。
ここで彼女達は、大半が娼婦として売り捌かれていき、一人、また一人と日に一度開催される奴隷市場で消えていく。
そしてついにはクユの番となった。その異常性癖から魔物の女でしか耐えられない歪な情欲を抱けない人間も数多く、彼等はこぞって彼女達に高値を付ける。
彼等にとって魔物とは愛玩動物にすら見えていない。単なる都合のいい肉の玩具だ。質の悪い盲目領の紙幣を高々と掲げ、嬉々として値段を叫んでいくのだ。
彼女はその日の最高額で買い取られ、商品として、売られた。
「けどね」
なんとも形容しがたい表情を形作ると、悩むようにクユは言葉を続ける。
元々、魔物とはそういった行為への欲求、性欲が桁外れて強い。それは女性化に伴う副作用であり、サッキュッバス種である現在の魔王の放つ魔力に影響されてのことだ。
その為に、売られたからといって悲観することもなく、楽観こそできないがある程度の割り切った気持ちで彼女は再び搬送用の檻へ入った。入ったのだが。
「輸送途中で騒ぎがあったから、逃げたわ」
実に簡潔な言葉に驚きを隠せなかった。なんでも、盲目領でも悪名で知られた盗賊が近くのギルドと騒ぎを起こし、その抗争に巻き込まれる形で檻ごと飼い主が吹き飛ばされてしまったのだという。
原因が盗賊なら、結果も盗賊が関係したという実に興味深い話だ。
「で、逃げた」
湖を横断する輸送船の側面に糸で張り付き、盲目領を脱出。諸王国領を移動していく。
「途中で、強姦されそうになるわ魔物の女性達がどろんどろんのぐっちょんぐっちょんになってる秘密の花園で一生涯捉えられそうになるわ、どこで人生が終わるかって日々過ごしてたものよ」
盲目領以後、大河領と山岳領は戦争状態であった為に出入国でも幾つも問題が重なり、一時は戦場を横切る事さえあったという。
大河領から山岳領へは戦場を横断し、山岳領では森林部を移動、司法領へ抜ける途中でも一悶着。人里離れた場所では魔物達だけの楽園の樹立に苦心していた一派と、縄張りの隣接する一族との争いに巻き込まれて足止めされた。
なんとか司法領へ抜ける事へ成功したこと頃には、追ってもなく、やっと落ち着く事ができた。
司法領は諸王国領でも政治情勢が安定した国家で、隣接する公国学術領とも同盟を結び、勢力としても大きい。そこで山岳領で収穫した貴重な野草などの売買によって旅装を整え、学術公国領へ。
周辺から学業や技術習得の為に学生や職人の見習いなどが数多く集まる学術公国領では職も見つかり、しばらくはそこに定住した。
「とりあえず、樹海領で交流のあったアスガルの民やエルフ達とのおかげで現在では知る者も少ない古代語の読み書きもできたから、司書として働いてたのよ」
書物の管理に日々を費やしているうちに友も出来、人との関わりも増えた。
が。
「どうも、そっからの記憶が曖昧なのよね」
樹海領へ帰らなかったのは、盲目領から遥か北な為、多少の路銀では辿り着くのも難しかった事を理由に保留とした経緯から。
その後、こちらの世界、地球へ訪れる事となった理由は。
「誰か、知り合いがこちらに渡って婚約か何かして、お祝いに出掛けたのよ。彼女と同じ種族の人が同乗するならと船へ誘ってくれたから。それで、遥か極東のジパング経由でゲートを通り、こちらの世界へ・・・」
そして、その後は呪いのかかった小さな身体。
彼女達自身にも謎が多い。
試しにシャンヤトに話を聞いてみたら。
『おきたら、ここにいた』
である。筆談するだけ無駄だった。
彼女の場合、言葉を出し渋っているというより説明するのが面倒なのだろう。猫という種族的特徴によるものか、それとも単なる面倒くさがりなのかは定かでないが。
鼻先をつつくと、彼女は欠伸した。
再び何かを問う気分にはならなかった。問う必要もないのだろうなと、彼女を撫でた。
緊張の一瞬。
印刷された用紙が、プリンターから吐き出された。
クユの知り合いという何者かによって送られた調査資料。
自分は目が離せない。
情報量はほんの2枚のA4用紙に収まりきる程度だが、三枚目にまとめられた簡潔な文章を読む。
送信された文章を貪るように読む。
今はとにかく客観的な意見が欲しかった。
有勝 創(アリカツ ハジメ)。私立城戸川大付属高校二年生。『児玉コンサルタント』でのアルバイト勤務に中学生の時より従事。
同コンサルタント事務所を経営する児玉家とは家族同然の扱いを受けていた。
学業成績は中の中、運動能力は平均よりやや上であったが、こちらも特筆すべき点はなし。
これだけ。
まとめてしまえば、それだけの単語で済むようだった。しかし、そこで読み直す。どうやら、後に続く文章が優先されたらしい。
六月。
児玉コンサルタントの所長、児玉 毅(コダマ ツヨシ)と共に、対象者の相談を目的として日曜日の午前中に私立南陽院学園高等部へ走行中、運転していた車が対向車と衝突。山道を走行中だった車両は崖下へ転落、以降、警察による捜索でも車両と、肉体の一部しか発見されず、遺体、もしくは生存者が発見されることなく捜索は打ち切られた。
同年、児玉コンサルタントは営業を休止。娘と妻は妻の実家へ転居。コンサルタントを依頼していた南陽院学園側から、母体である南陽開発出資による捜索隊を再度投入されたが、痕跡すら発見されぬまま、その捜索も打ち切られる事となる。
資料から目を離す。
考える。
この時点で既におかしい。もしも、あの夢で見た視点がこの有勝 創、つまり彼が僕であるとするなら、事件当時、自分は単なる高校生だ。
R財団という謎の組織に拉致された理由は解らないし、その経緯がはっきりとしない。
仮説であるなら、こうも考えはできるが。
R財団は児玉氏の方が狙いであった。彼を事故死に見せかけた抹殺を企てたものの、予期しない、もしくは必要のない人間が一人発生した。それが有勝 創である。
その時点で存命であったからか、それとも被験者として何らかの適正があったからか、単に『丁度よかった』程度の存在として改造人間に再利用された。
自分が重要人物で、児玉氏は関係なく誘拐されたと思うよりは理に適っていた。
多分。
そこまで考え、自分という存在の希薄さに溜め息を洩らす。
ここまで解っても、大半が推測と仮説に基づいたもので、自分が誰かであるという証明は何一つないのだ。
とても、疲れた。
「にゃあ」
そんな僕の鼻の頭に。
ぺたりと。
柔らかい、肉球が乗せられた。
「……………」
「にゃ」
シャンヤトが笑う。彼女は笑っている。なのに、自分は泣きたくなった。
例え、過去であろうと、今は確認する術もない。それを悩み続けるのは無意味だろう。
それに。
「にゃあん」
彼女達が居る。
免罪符のようにシャンヤトを抱きしめた。鼻を啜り、その頬へ額を擦りつける。
ありがとう。
そんな言葉を呟く時、僕は、泣いていたのか、笑っていたのか。
「壱剛」
クユが、僕の名を呼ぶ。
「泣きながら笑ってて変」
「そう?」
「変よー」
そう言って彼女も笑う。笑ってくれる。
これなら。
例え、彼女達が魔物でも、魂を売り渡すような事になろうとも。
例え、自分が彼女達を殺す為に造られた改造人間であろうとも。
自分は自分として、頑張ってみようと思えた。
夢を見た。
それは記憶の残滓であるのか、単なる幻想であるのか。
改造人間の自分が見る夢とは、どんな意味を持つのだろうかと。
何の為に見る夢なのだろうと。
夢でありながら通常のそれとは違う、そう気付いたのはその夢が幾日も続いた所為であった。
元々、夢と呼ばれるものは記憶の整理における代謝機構のようなもので、古いものや要領の大きいものをちょうどいい位置へ脳内で動かしていく作業の監視映像のようなものだという。
不確かとはいえ、時系列に連続性のある物事から、自分が改造される前の過去ではないかと必死に夢を記憶しようと、眠っているはずの自分はもがいた。
自分は学校に居た。おそらく中学校だろう。
学生服を着た生徒達が下校する中、来客用の応接室で一人の教師と壮年の男が向き合っている。男の隣で封筒を抱えているのが僕だ。
『校内問題コンサルタントですか?』
信用していない口調。しかし、依頼に関係する生徒の名前を出した途端、年嵩の教師は顔を渋らせた。
『当校には問題などありません』
硬い口調。対応としては最も拙いものであり、男の方はただ冷たい一瞥を向けるのみ。
教師というのは基本的に嘘の苦手な人種だ。良い教師であればその引き換えにプライドと洞察力を備えるが、職業教師の場合は子供を商品としか見えないような安いプライドと勘の悪さという三重苦となる。
最初に弁護士などを含む法的根拠を備えた資格をもたないことを説明する。途端に教師が増長する。だが、論理的に整頓され、事務的なレベルまで計画の詰められた説明を受けるたびに顔色は青黒いものへ変化していった。
会話の録音。弁護士への依頼までの手順。教育委員会への連絡。
弁論はか細く小さい。まず最初に何の問題もない事を自身で明言していたのだ。クラス内の事情が例え看破できないしろ、準備は既に進んでおり、教科書におけるラクガキからの筆跡鑑定、ゴミ箱に捨てられた上履きからの指紋採取などが可能であることを説明したうえで教師の反応をも見ている。
『ご自身で当校には問題がないと明言されましたね?』
それはまだ最初の質問だった。そして、その一言が、最後通告だったのだ。
本腰を据えて専門職の人間が顔を出している時点で、教師自身が誤魔化せるような状況でないことを理解していただろう。
そしてHRで教師がコンサルタントと名乗った男による紙面を音読。正式な謝罪と反省文の提出を行った場合にのみ、教育委員会への報告をとりやめとし、家庭裁判所への提訴を行わない点を説明。
だが、一人として名乗り出る事が無かった為、クラス全体で指紋の採取と照合、筆跡鑑定による個人手特定を証拠に家庭裁判所へ提訴。悪質性が問われ、「触法少年」としての審判が決定された。
保護者と共に家庭裁判所に出廷し、結果は保護観察処分などには該当しないと見なされず無罪となったものの、学校から停学処分が決定。
担任教師の懲戒免職と共に、イジメに関係していた数人の女生徒達は転校となった。
この件は未成年者に対する新たな対応として大きく報道され、数か月近く新聞の紙面を賑わせることとなる。家庭裁判所への提訴という事例にも関心が集まった。
その後、学校側が斡旋したカウンセラーに際し、それぞれが『あの程度のことだったのに』や『大事になるとは思ってなかった』と語り、一部の女生徒は『馬鹿みたい』と尚も嘲笑していた。
問題意識の低さに学校関係者、保護者などの対応が問題視される中、一組の家庭は離婚、一組の家庭は少女に対する本格的なカウンセリングを申請、残る家族はそれぞれの日常へ戻ったが、転校後の学校で同じような事例に発展し、高校進学後直後に中退した子もいたと聞く。
中でも、首謀者として最も取りざたされ、カウンセラーに『馬鹿みたい』と語っていた少女は、数ヵ月後に事件の関与から少年院への送致が決定された。彼女の親は政治家として役職を担う立場であったが、彼自身も子供の逮捕を報道され失脚。
未成年。それも14歳未満の者が罪にあたる行為をした場合でも刑事責任は問われないことはよく知られているものの、場合によって「触法少年」として家庭裁判所の審判を受けることをどれだけの人が知っているのだろうかとコンサルタントの男は深い苦渋を顔へ浮かべた。
そう呟く彼自身も、現実と向き合うようになるきっかけは、とある出会いがきっかけだったという。オチは、それが今の妻だというものだったので、髭を一本抜いてやった。
「あれから色々とあって今の職でね。、あ、娘の写真あるんだけど見る?」
写真片手にさもだらしなく相好を崩した顔は、まごうことなき親馬鹿であった。だからこそ、こういった事例が許せないのだろう。
コンサルタントの男との付き合いは、当時、問題となった学校の学生だった自分が協力し、その後もアルバイトとして務めたことから随分と長かったようだ。
ここらへんの記憶はひどく曖昧だが、報道で騒がれたとなれば、自分のことももしや調べがつくかもしれないと思い至る。
そして、夢が真実であるかを調べてみた結果。
事実であるという結論に、辿り着く。
この事件から有名となった男は、校内問題コンサルタントとして活躍し、時には報道で顔が映ることとなる。映像も残っていた。
一見すると壮年の優男であるが、その瞳にはどこか底知れぬ力を感じた。
男の名前は児玉 好冬(コダマヨシトオ)。自身で立ち上げた『児玉コンサルタント』による学校問題についての個人事業を行っていた。
独自の人脈によって弁護士事務所や大学の研究室などの交流があり、彼等の助力と共に問題解明へ尽力していたらしい。
扱う事例は『イジメ』が最も多く、二番目が教師による『パワーハラスメント』の実態調査、三番目が病的な要求を述べる『モンスターペアレント』に対する対応。
まさに、今の時代だからこそ生まれた職業であり、パイオニアである彼は、最初こそ無名だったものの、自分の記憶にあった事例、俗に『大和高校イジメ問題』以降は、確かに有名となっている。
しかし。
ネットで情報を集めても、事例への協力者に関しては一切の情報がない。事務所側はプライバシーの観点から情報の開示を行わなかったのだろうが、まったくないのは不思議なくらいだった。
加えて、事務所のHPに関しても数ヶ月間以上更新は滞り、電話、メール、どちらも反応しなかった。
一体どうなっているのだろう?
それをクユに相談してみると。
「私の知り合いを通して調べてみようか?」
意外な申し出には正直に驚いた。単に、何かしらのアイディアが貰えればと思っていたくらいなので。
「知り合いいるの?」
「なんか私を孤独死するような寂しい子みたいな扱いするのやめてくれる!?」
そう怒鳴られたものの、彼女が電話をかけるまでは本気で疑っていた。
それにしても。
一体、僕はどんな人間だったのだろうか?
「でも、当事者じゃなくて傍観者だったわけでしょ?それならふつーじゃない?」
クユの言葉に、遅れてそれもそうかと気付く。単に事件を知っているだけの学生なら、幾らでもいるだろう。
「まぁ、多少の不幸は人生の味付けと思いなさい。改造人間にされたからて、クヨクヨしないの」
実に明快な言葉である。何か、自分がせせこましく悩んでいるのが恥ずかしい。
「だいたい、私なんて元の世界だとそこそこ悲惨かもしれない歴史を歩んでたわよ?」
「………本当に?」
「聞きたいなら聞かせるけど、茶菓子これだけじゃ足らないと思うわね」
どれだけ長いのだろう。それ。
「情報届くまで時間あるからいいわよ? まぁ、アンタなら聞いても問題ないでしょうし」
クユは「それにね」と呟く。
「どこだって、悲劇なんてものは変わらないわよ」
その諦観の混じった言葉は、どこか悲しかった。
クユは大陸でも小規模な国家の乱立する諸王国領と呼ばれる地域の一つ、樹海領と呼ばれる土地で育ったそうだ。
樹海領は紛争の繰り返される諸王領でも比較的に落ち着いた土地で、樹齢数千年を超える木々に囲まれた森は、エルフやアルラウネ、クユを含むアラクネなどの多種多様な血族による縄張りごとの統治に加え、神族の末裔を自称する人間達、アスガルの民などによる集落が点在するのみであるという。
「地元じゃアスガルの民は最強の農民として名を馳せていた一族でね、魔物ですら相手をすることに躊躇する生物が繁茂する樹海領でも最も強い生き物だったわ」
しみじみと語る彼女の口調からも、底知れぬ畏怖と経緯を感じる。伊達や酔狂で神族の末裔を名乗っているわけではないらしい。
最強の農民たるアスガルの民は、非干渉を主とし、魔物とも適度な距離をもって付き合っていた。
それも、樹海領でも最深部に位置するアスガルの土地は、世界を滅ぼすのではないかという樹海の獣達、人とも魔物とも違い『もの』としか形容できないような生物達との戦いが繰り返されており、そんな存在を打破し続ける事で平和を保っているという世界で最も危険な集落という事情からで、たかだか魔物と争う暇はないのだという。
改めて異世界の広さと、価値観の違いを実感させられる話題だった。
そういった事情や状況もあれど、平和であった樹海領。しかし、人生を別つ悲劇とは、常に突然訪れるものであるという。
奴隷商による魔物狩り。
比較的に外延部、木々もそう太くない平坦な地域で生活していたゴブリン種が最初の被害者となった。
彼女達が誘拐される寸前、偶然にもその場に遭遇した腕の立つ旅人、黒衣の男によって奴隷商は撃退されたものの、面子を潰された奴隷商のギルドは、大枚をはたき、諜報部を抱える有名な盗賊ギルドへ魔物狩りの依頼をとりつけた。
盗賊ギルドによる奇襲は、魔物達の防戦を切り崩し、奴隷商人達の私兵の凶行が始まる。奴隷商人達にも大きな痛手は与えたものの、クユを含むアラクネ種の集落やアントアラクネ種などが拉致され、そのまま人身売買の商品とされてしまう。
「今思えば、縄張り同士の非干渉主義が徒になったのね」
自衛には種族ごとに防衛を行ったものの、人間の数と技術の前には敵わないという教訓と悲劇を残す事となったわけだが、その後に彼等がアスガルの民を交えた樹海領議会のきっかけともなり、一概に悪いばかりではなかったとクユは自嘲した。
しかし、そういった故郷の事情などその時のクユ達は知らず、薄暗く硬い檻に隔離され、馬車での輸送が行われていた。動きを封じる枷には魔術による呪いもかけられていた事から、魔物であった彼女達をもってしても抵抗は不可能であったという。
その後、諸王国領でも悪法と淫奔、犯罪の坩堝として知られた盲目領で売り捌かれる事となった。盲目領の都市は巨大な湖の上に浮かぶ廃船が幾重にも寄り集まって形成された人工島であり、やはり、どう足掻いても逃げ場などなかった。
ここで彼女達は、大半が娼婦として売り捌かれていき、一人、また一人と日に一度開催される奴隷市場で消えていく。
そしてついにはクユの番となった。その異常性癖から魔物の女でしか耐えられない歪な情欲を抱けない人間も数多く、彼等はこぞって彼女達に高値を付ける。
彼等にとって魔物とは愛玩動物にすら見えていない。単なる都合のいい肉の玩具だ。質の悪い盲目領の紙幣を高々と掲げ、嬉々として値段を叫んでいくのだ。
彼女はその日の最高額で買い取られ、商品として、売られた。
「けどね」
なんとも形容しがたい表情を形作ると、悩むようにクユは言葉を続ける。
元々、魔物とはそういった行為への欲求、性欲が桁外れて強い。それは女性化に伴う副作用であり、サッキュッバス種である現在の魔王の放つ魔力に影響されてのことだ。
その為に、売られたからといって悲観することもなく、楽観こそできないがある程度の割り切った気持ちで彼女は再び搬送用の檻へ入った。入ったのだが。
「輸送途中で騒ぎがあったから、逃げたわ」
実に簡潔な言葉に驚きを隠せなかった。なんでも、盲目領でも悪名で知られた盗賊が近くのギルドと騒ぎを起こし、その抗争に巻き込まれる形で檻ごと飼い主が吹き飛ばされてしまったのだという。
原因が盗賊なら、結果も盗賊が関係したという実に興味深い話だ。
「で、逃げた」
湖を横断する輸送船の側面に糸で張り付き、盲目領を脱出。諸王国領を移動していく。
「途中で、強姦されそうになるわ魔物の女性達がどろんどろんのぐっちょんぐっちょんになってる秘密の花園で一生涯捉えられそうになるわ、どこで人生が終わるかって日々過ごしてたものよ」
盲目領以後、大河領と山岳領は戦争状態であった為に出入国でも幾つも問題が重なり、一時は戦場を横切る事さえあったという。
大河領から山岳領へは戦場を横断し、山岳領では森林部を移動、司法領へ抜ける途中でも一悶着。人里離れた場所では魔物達だけの楽園の樹立に苦心していた一派と、縄張りの隣接する一族との争いに巻き込まれて足止めされた。
なんとか司法領へ抜ける事へ成功したこと頃には、追ってもなく、やっと落ち着く事ができた。
司法領は諸王国領でも政治情勢が安定した国家で、隣接する公国学術領とも同盟を結び、勢力としても大きい。そこで山岳領で収穫した貴重な野草などの売買によって旅装を整え、学術公国領へ。
周辺から学業や技術習得の為に学生や職人の見習いなどが数多く集まる学術公国領では職も見つかり、しばらくはそこに定住した。
「とりあえず、樹海領で交流のあったアスガルの民やエルフ達とのおかげで現在では知る者も少ない古代語の読み書きもできたから、司書として働いてたのよ」
書物の管理に日々を費やしているうちに友も出来、人との関わりも増えた。
が。
「どうも、そっからの記憶が曖昧なのよね」
樹海領へ帰らなかったのは、盲目領から遥か北な為、多少の路銀では辿り着くのも難しかった事を理由に保留とした経緯から。
その後、こちらの世界、地球へ訪れる事となった理由は。
「誰か、知り合いがこちらに渡って婚約か何かして、お祝いに出掛けたのよ。彼女と同じ種族の人が同乗するならと船へ誘ってくれたから。それで、遥か極東のジパング経由でゲートを通り、こちらの世界へ・・・」
そして、その後は呪いのかかった小さな身体。
彼女達自身にも謎が多い。
試しにシャンヤトに話を聞いてみたら。
『おきたら、ここにいた』
である。筆談するだけ無駄だった。
彼女の場合、言葉を出し渋っているというより説明するのが面倒なのだろう。猫という種族的特徴によるものか、それとも単なる面倒くさがりなのかは定かでないが。
鼻先をつつくと、彼女は欠伸した。
再び何かを問う気分にはならなかった。問う必要もないのだろうなと、彼女を撫でた。
緊張の一瞬。
印刷された用紙が、プリンターから吐き出された。
クユの知り合いという何者かによって送られた調査資料。
自分は目が離せない。
情報量はほんの2枚のA4用紙に収まりきる程度だが、三枚目にまとめられた簡潔な文章を読む。
送信された文章を貪るように読む。
今はとにかく客観的な意見が欲しかった。
有勝 創(アリカツ ハジメ)。私立城戸川大付属高校二年生。『児玉コンサルタント』でのアルバイト勤務に中学生の時より従事。
同コンサルタント事務所を経営する児玉家とは家族同然の扱いを受けていた。
学業成績は中の中、運動能力は平均よりやや上であったが、こちらも特筆すべき点はなし。
これだけ。
まとめてしまえば、それだけの単語で済むようだった。しかし、そこで読み直す。どうやら、後に続く文章が優先されたらしい。
六月。
児玉コンサルタントの所長、児玉 毅(コダマ ツヨシ)と共に、対象者の相談を目的として日曜日の午前中に私立南陽院学園高等部へ走行中、運転していた車が対向車と衝突。山道を走行中だった車両は崖下へ転落、以降、警察による捜索でも車両と、肉体の一部しか発見されず、遺体、もしくは生存者が発見されることなく捜索は打ち切られた。
同年、児玉コンサルタントは営業を休止。娘と妻は妻の実家へ転居。コンサルタントを依頼していた南陽院学園側から、母体である南陽開発出資による捜索隊を再度投入されたが、痕跡すら発見されぬまま、その捜索も打ち切られる事となる。
資料から目を離す。
考える。
この時点で既におかしい。もしも、あの夢で見た視点がこの有勝 創、つまり彼が僕であるとするなら、事件当時、自分は単なる高校生だ。
R財団という謎の組織に拉致された理由は解らないし、その経緯がはっきりとしない。
仮説であるなら、こうも考えはできるが。
R財団は児玉氏の方が狙いであった。彼を事故死に見せかけた抹殺を企てたものの、予期しない、もしくは必要のない人間が一人発生した。それが有勝 創である。
その時点で存命であったからか、それとも被験者として何らかの適正があったからか、単に『丁度よかった』程度の存在として改造人間に再利用された。
自分が重要人物で、児玉氏は関係なく誘拐されたと思うよりは理に適っていた。
多分。
そこまで考え、自分という存在の希薄さに溜め息を洩らす。
ここまで解っても、大半が推測と仮説に基づいたもので、自分が誰かであるという証明は何一つないのだ。
とても、疲れた。
「にゃあ」
そんな僕の鼻の頭に。
ぺたりと。
柔らかい、肉球が乗せられた。
「……………」
「にゃ」
シャンヤトが笑う。彼女は笑っている。なのに、自分は泣きたくなった。
例え、過去であろうと、今は確認する術もない。それを悩み続けるのは無意味だろう。
それに。
「にゃあん」
彼女達が居る。
免罪符のようにシャンヤトを抱きしめた。鼻を啜り、その頬へ額を擦りつける。
ありがとう。
そんな言葉を呟く時、僕は、泣いていたのか、笑っていたのか。
「壱剛」
クユが、僕の名を呼ぶ。
「泣きながら笑ってて変」
「そう?」
「変よー」
そう言って彼女も笑う。笑ってくれる。
これなら。
例え、彼女達が魔物でも、魂を売り渡すような事になろうとも。
例え、自分が彼女達を殺す為に造られた改造人間であろうとも。
自分は自分として、頑張ってみようと思えた。
11/08/11 22:43更新 / ザイトウ
戻る
次へ