イザナギ一号_03:おでかけ
朝のニュースでは延々と『通り魔自首』を皮切りに『宗教団体に逮捕状』やら『コンビニ強盗多発』やら『一家惨殺事件犯検挙』など、聞くだけで気分が落ち込む内容の羅列である。
テーブルの上、自分達の顔より大きいミートボールにかぶりついていた二人も、途中までは無関心に聞き流していたものの、ニュースが切り替わると途端に元気になる。
「イルカ見たい!」
「にゃ!」
地方都市、確か隣の市にある水族館のリニューアルオープンに関するコーナー。
それについ頷いてしまったのは、呪いの手掛かり一つない現状にうっ屈していた事もある。
しかし、この判断が、多少の難事であるとは考えていなかった。
イザナギ計画。同時期に発足されたイザナミ計画と並行して行われた人体改造をコンセプトとした対魔改造人間計画を指す。
雛型であるイザナギ零号、初期型であるイザナギ一号、その後、機能特化試作型4体が改造人間とされる。
計六体。
その後、零号は死亡。残った4体と共に僕は保護された。
これが不幸中の幸いだった。初期型である自分の場合は、幾つかの問題点から失敗作の烙印を押されていた。
脳改造不全、出力過多、多機能化による操作系の複雑化。コストパフォーマンスの低さ、不安定な性能。
要は、兵器に必要である安定性と量産性、どちらも欠けていた。
遠隔操作。電磁操作。再生強化。感応能力。装甲形成。拡張接続。
このうち、後期型である4体は、装甲形成、再生強化は共通だが、それぞれが遠隔操作、電磁操作、感応能力、拡張接続に特化している。
自分の場合は能力値の総計なら最も多い可能性はあるが、三つの特定能力が90%近い能力を常に発揮できる改造人間と、どの能力も60%を基準値としている改造人間では、どの機能特化型にも負ける可能性は高い。
本当に助かってよかった。負けの決まった戦いほど嫌なものはない。
保護された面々は、外科手術による制御装置の埋め込みによって日常生活に戻ることができ、記憶も失っていない。脳改造も施される前に解放されていることから、本当に戻ることができる。
失ってしまい、二度と戻らないであろう自分は彼等が羨ましくてたまらない。
妬むほどではないいしろ、羨望は感じる。
だが、記憶がないという寂寥感はより新しい記憶で埋めていくしかない。
いや、埋めていけるはずなのだから、今はまだ大丈夫だとも思う。
寝ぼけ眼、昨日読んだ資料の反芻。どれだけ味わっても苦い味しかしないのは困りものだが。
そういった思考の迷路が、電車の窓が突然明るくなった事で中断される。頭の中の無駄な懸念と困惑を無理矢理に追い払う。
だって、楽しまなければ損じゃないか。
車窓の外は晴天。トンネルを抜け、水族館のある街へ到着した。
包帯を隠す為に深く被った幅広の帽子を押さえる。多少は不審に思われるかもしれないが、包帯男よりはまだまともだろう。
人の気苦労など知らず、広がる海の青、肩から下げたバックから顔を覗かせる二人は、興奮に声を荒げていた。
「海!海!海!」
「にゃぁ!」
カモフラージュに耳へ固定したハンズフリー用ヘッドセットを触る。元々小柄な二人の声は、漏れ聞こえる受信した声としか聞こえないだろう。
「騒いだら駄目だって。捕獲される」
「希少動物扱い?」
どちらかといえば珍獣だと思う。
「みゃー?」
懐に隠したワーキャットを撫でる。指先にじゃれる彼女を掌で隠し、周囲の眼を確認。
思ったより難しいようだ。この小さな子達を懐に入れたまま向かうのは。
ふよふよと泳ぐ生き物。魚。数億年前に哺乳類と別のベクトルで進んだ遠い遠い兄弟。
大量の水があるだけでも呆気にとられたのに、これだけの数の魚を人工的に管理する技術というものがあるのにびっくりした。しかも、食用ではない。観賞用である。聞いた話によると、一部の魚は定期的に供給されているという。それだけの努力と経費を払って保たれる調和が、この透明なアクリル越しに広がる光景であるのだから驚く。
圧巻だった。
思わず見蕩れていると、彼女達もまた言葉を失っている事に気付いた。確かに、まるで水槽の内側から外を眺めているようだ。
作り物なのに、なんと美しいのだろう。
人という種族の奇妙な凝り性は、時に想像を超える。
懐の猫と蜘蛛をバックごと抱え直す。感動に呆然としている二人を隠すように。
「・・・おさかな」
「・・・なー」
願わくば。
人の手によって呪わしき事情となった彼女達が、人そのものへ怨嗟を向けないで欲しいと。
「美味しそう」
「にゃぁっ!」
そういった懸念なんて、掃いて捨てていい程度のものだと数秒で悟ったが。
出るな食べようとするな狙うな。
流線形の身体が水面を突き破り、空中へ水飛沫と共に跳ねた。
イルカ。
観覧席ではしゃぐ彼女達をバックの中、一人冷ややかな眼で人懐っこい生物を見る。事前にイルカの生態について学んだ結果、心安らかに彼らを見られなくなった。
子供にこの話をすると、おそらく泣く。知能指数の高さをこんな形で証明してしまうとは、何の根拠もなく知能指数の高さを訴えたアメリカ人も考えていなかっただろう。
まさか人間の社会性となんらかわらない点があるとは。
「クユ」
「なに!? ちょっと待って! きゃー!」
「イルカの生殖について興味ある?」
「え? 聞こえない! ちょっと黙ってて!」
「………うん。そうする」
水面を跳ね、ボールを操る賢い水棲哺乳類。
彼らを見てはしゃぐ子供達を見て、知識の有無とは必ずとも良いものではないのだと知った日だった。
陽光を跳ね返す水面の輝き。冷たく涼しい空気。
跳ね上げた水飛沫に首を竦める大人達と、はしゃいで両手を振る子供達の対比が新鮮だった。
「きゃー!」
「にゃー!」
二人が楽しそうに手を振っている。まるで童心に戻ったようだ。
楽しめたならそれはそれでいい。
はしゃぎ疲れて二人が静かになるまで、その日は水族館で過ごした。
夕焼け空の下、電車はレールの上を走っていく。
うとうとしていたクユが踏み切りの音で顔を起こす様を眺めていると、その隣からワーキャットがずり落ちそうになった。
慌てて受け止め、位置を直したバックの中に彼女を戻した。
「ねぇ」
突然、クユが話しかけてくる。
「ちょっと出ていい?」
その言葉に少し考えたものの、通勤ラインとは外れた車内は人もまばらだ。頷き、バックの口へ手を伸ばした。
腕を伝い、窓枠へ飛び移るクユ。蜘蛛の肢で器用に着地してみせる。
「ありがとうね」
突然の謝意に面食らう。最初、自分が何かしでかしたことに対する遠回りなイヤミかと思ったほどだ。
「何もしていない」
「そう? 私は貴方が居たから今、生きていると思うけど」
一人ぼっち。あのままであれば死んでいた小さな身体の自分を助けてくれたこと。一緒に過ごしてくれたこと。一緒に悩んでくれたこと。
「あと、一緒に出かけてくれたこと。そういったこと、全部」
それが感謝すべきことなのか悩む。
誰かを助けることに理由はいらず、一緒に居てくれたことは僕も感謝している。悩んだのは自分の勝手だ。何一つ彼女の為だと思ってやったことはない。
「そう思える貴方って、むしろ人間より人間らしいよね」
自分勝手なだけだと思う。
人の為に何かやるということがどういうことなのかもわからない。ぼんやり生きているだけで精一杯なのだ。
けれど。
何かをやって終わる一日には、満足感があった。
「また、行こうよ。その時の呪いが解けていれば、おしゃれをして」
「そうね」
くすくす笑う彼女の横顔が夕日に照らされる。それは綺麗で。
二人でずっと車窓を流れる光景を見つめていた。
途中、人面蜘蛛が出たと騒ぎになるまで。
「く、クユ!」
「ついうっかり!」
最近は逃げ出すことばかりに得意になって困る。
テーブルの上、自分達の顔より大きいミートボールにかぶりついていた二人も、途中までは無関心に聞き流していたものの、ニュースが切り替わると途端に元気になる。
「イルカ見たい!」
「にゃ!」
地方都市、確か隣の市にある水族館のリニューアルオープンに関するコーナー。
それについ頷いてしまったのは、呪いの手掛かり一つない現状にうっ屈していた事もある。
しかし、この判断が、多少の難事であるとは考えていなかった。
イザナギ計画。同時期に発足されたイザナミ計画と並行して行われた人体改造をコンセプトとした対魔改造人間計画を指す。
雛型であるイザナギ零号、初期型であるイザナギ一号、その後、機能特化試作型4体が改造人間とされる。
計六体。
その後、零号は死亡。残った4体と共に僕は保護された。
これが不幸中の幸いだった。初期型である自分の場合は、幾つかの問題点から失敗作の烙印を押されていた。
脳改造不全、出力過多、多機能化による操作系の複雑化。コストパフォーマンスの低さ、不安定な性能。
要は、兵器に必要である安定性と量産性、どちらも欠けていた。
遠隔操作。電磁操作。再生強化。感応能力。装甲形成。拡張接続。
このうち、後期型である4体は、装甲形成、再生強化は共通だが、それぞれが遠隔操作、電磁操作、感応能力、拡張接続に特化している。
自分の場合は能力値の総計なら最も多い可能性はあるが、三つの特定能力が90%近い能力を常に発揮できる改造人間と、どの能力も60%を基準値としている改造人間では、どの機能特化型にも負ける可能性は高い。
本当に助かってよかった。負けの決まった戦いほど嫌なものはない。
保護された面々は、外科手術による制御装置の埋め込みによって日常生活に戻ることができ、記憶も失っていない。脳改造も施される前に解放されていることから、本当に戻ることができる。
失ってしまい、二度と戻らないであろう自分は彼等が羨ましくてたまらない。
妬むほどではないいしろ、羨望は感じる。
だが、記憶がないという寂寥感はより新しい記憶で埋めていくしかない。
いや、埋めていけるはずなのだから、今はまだ大丈夫だとも思う。
寝ぼけ眼、昨日読んだ資料の反芻。どれだけ味わっても苦い味しかしないのは困りものだが。
そういった思考の迷路が、電車の窓が突然明るくなった事で中断される。頭の中の無駄な懸念と困惑を無理矢理に追い払う。
だって、楽しまなければ損じゃないか。
車窓の外は晴天。トンネルを抜け、水族館のある街へ到着した。
包帯を隠す為に深く被った幅広の帽子を押さえる。多少は不審に思われるかもしれないが、包帯男よりはまだまともだろう。
人の気苦労など知らず、広がる海の青、肩から下げたバックから顔を覗かせる二人は、興奮に声を荒げていた。
「海!海!海!」
「にゃぁ!」
カモフラージュに耳へ固定したハンズフリー用ヘッドセットを触る。元々小柄な二人の声は、漏れ聞こえる受信した声としか聞こえないだろう。
「騒いだら駄目だって。捕獲される」
「希少動物扱い?」
どちらかといえば珍獣だと思う。
「みゃー?」
懐に隠したワーキャットを撫でる。指先にじゃれる彼女を掌で隠し、周囲の眼を確認。
思ったより難しいようだ。この小さな子達を懐に入れたまま向かうのは。
ふよふよと泳ぐ生き物。魚。数億年前に哺乳類と別のベクトルで進んだ遠い遠い兄弟。
大量の水があるだけでも呆気にとられたのに、これだけの数の魚を人工的に管理する技術というものがあるのにびっくりした。しかも、食用ではない。観賞用である。聞いた話によると、一部の魚は定期的に供給されているという。それだけの努力と経費を払って保たれる調和が、この透明なアクリル越しに広がる光景であるのだから驚く。
圧巻だった。
思わず見蕩れていると、彼女達もまた言葉を失っている事に気付いた。確かに、まるで水槽の内側から外を眺めているようだ。
作り物なのに、なんと美しいのだろう。
人という種族の奇妙な凝り性は、時に想像を超える。
懐の猫と蜘蛛をバックごと抱え直す。感動に呆然としている二人を隠すように。
「・・・おさかな」
「・・・なー」
願わくば。
人の手によって呪わしき事情となった彼女達が、人そのものへ怨嗟を向けないで欲しいと。
「美味しそう」
「にゃぁっ!」
そういった懸念なんて、掃いて捨てていい程度のものだと数秒で悟ったが。
出るな食べようとするな狙うな。
流線形の身体が水面を突き破り、空中へ水飛沫と共に跳ねた。
イルカ。
観覧席ではしゃぐ彼女達をバックの中、一人冷ややかな眼で人懐っこい生物を見る。事前にイルカの生態について学んだ結果、心安らかに彼らを見られなくなった。
子供にこの話をすると、おそらく泣く。知能指数の高さをこんな形で証明してしまうとは、何の根拠もなく知能指数の高さを訴えたアメリカ人も考えていなかっただろう。
まさか人間の社会性となんらかわらない点があるとは。
「クユ」
「なに!? ちょっと待って! きゃー!」
「イルカの生殖について興味ある?」
「え? 聞こえない! ちょっと黙ってて!」
「………うん。そうする」
水面を跳ね、ボールを操る賢い水棲哺乳類。
彼らを見てはしゃぐ子供達を見て、知識の有無とは必ずとも良いものではないのだと知った日だった。
陽光を跳ね返す水面の輝き。冷たく涼しい空気。
跳ね上げた水飛沫に首を竦める大人達と、はしゃいで両手を振る子供達の対比が新鮮だった。
「きゃー!」
「にゃー!」
二人が楽しそうに手を振っている。まるで童心に戻ったようだ。
楽しめたならそれはそれでいい。
はしゃぎ疲れて二人が静かになるまで、その日は水族館で過ごした。
夕焼け空の下、電車はレールの上を走っていく。
うとうとしていたクユが踏み切りの音で顔を起こす様を眺めていると、その隣からワーキャットがずり落ちそうになった。
慌てて受け止め、位置を直したバックの中に彼女を戻した。
「ねぇ」
突然、クユが話しかけてくる。
「ちょっと出ていい?」
その言葉に少し考えたものの、通勤ラインとは外れた車内は人もまばらだ。頷き、バックの口へ手を伸ばした。
腕を伝い、窓枠へ飛び移るクユ。蜘蛛の肢で器用に着地してみせる。
「ありがとうね」
突然の謝意に面食らう。最初、自分が何かしでかしたことに対する遠回りなイヤミかと思ったほどだ。
「何もしていない」
「そう? 私は貴方が居たから今、生きていると思うけど」
一人ぼっち。あのままであれば死んでいた小さな身体の自分を助けてくれたこと。一緒に過ごしてくれたこと。一緒に悩んでくれたこと。
「あと、一緒に出かけてくれたこと。そういったこと、全部」
それが感謝すべきことなのか悩む。
誰かを助けることに理由はいらず、一緒に居てくれたことは僕も感謝している。悩んだのは自分の勝手だ。何一つ彼女の為だと思ってやったことはない。
「そう思える貴方って、むしろ人間より人間らしいよね」
自分勝手なだけだと思う。
人の為に何かやるということがどういうことなのかもわからない。ぼんやり生きているだけで精一杯なのだ。
けれど。
何かをやって終わる一日には、満足感があった。
「また、行こうよ。その時の呪いが解けていれば、おしゃれをして」
「そうね」
くすくす笑う彼女の横顔が夕日に照らされる。それは綺麗で。
二人でずっと車窓を流れる光景を見つめていた。
途中、人面蜘蛛が出たと騒ぎになるまで。
「く、クユ!」
「ついうっかり!」
最近は逃げ出すことばかりに得意になって困る。
11/07/23 02:16更新 / ザイトウ
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