連載小説
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赤い眼(下)
 ―――そして高校2年の夏。

私が、決して人間ではないと思い知らされる時が来た。


 丁度その頃から、私のパパの帰りが遅くなることが多くなっていたわ。

 半引きこもりの頃から聞いていたパパのダンピールの話も、その頃にはもう底を尽きてしまっていた。私ももう、パパにお話をせがむようなこともなくなっていた。

 高校生なんてパパから見たって微妙な年頃だったし、昔から人間の女子高生は、自分の父親のことなんて無視して当然みたいな風潮もあったからね。
 

 でも、私にとってパパが帰ってこないことは、寂しいことだったわ。
そこだけは、どうしても「普通の」女子高生にはなれなかった。

 だから私は、真夜中になっても玄関のドアが開くまで、居間でパパのことを待っていた。
 毎日毎日、くたくたになって帰ってくるパパを、ママと一緒にベッドまでお世話を焼いて送っていくのが、私のその頃の日課だった。
 
 その頃のパパは、新しい仕事を任されることになったといっていた。
 詳細は頑なに教えてくれなかった。けどとても過酷な内容らしくて、いつも目の下にクマを作っていたわ。
 
 その日も、私はベッドに倒れこんだパパの周りに落ちた、脱ぎっぱなしのYシャツやスーツを片づけていた。





―――ポトリ、と。

 スーツのポケットから紙切れが落ちた。
名刺サイズに綺麗に折り畳まれている、真白い紙だった。
 
 てっきり、怪しいお店のカードでも入っていると思って、その怪しげなその紙を拾ってみた。
 紙は数枚ほど重ねてあり、丁寧に八折りにされていた。
どうやら仕事か何かの資料みたいだった。

 
 私は、なんの気もなく、中を開いて詳細を読んでみた。


…それを読まなければ良かったと今でも思う。



『【機密】「赤眼」の今後の処遇と管理、および討伐に関して……』



 後半のタイトルは思い出せないけど、そう書かれていた。
特に私が気になったのは、そのタイトルの「赤眼」と「討伐」という部分。

 


赤眼。

管理。

ダンピール。


 接着剤で間違えてくっつけた時みたいに、単語同士が頭の中で離れなかった。

 胸の奥が、ギュウとつねられるような感覚。
まさかとは思いたかったけど、偶然の一言では片づけられなかった。

 嫌な予感をひしひしと、全身で感じ取った。
 そのまま紙をたたみ直して、見なかったことにして、ダンピールのことも、剛ちゃん達のことも忘れたままにしておけばよかったとも思った。
 

 でも、気づいたときには、二枚目以降に書かれていたことにも、私は目を通していたわ。
 
『「赤眼」についての通常時の管理、扶養の義務と権利は、各々の家庭の扶養者の下にある。それらを※※の許可なく放棄した場合は厳罰に処する』

『ただし、最終的に「赤眼」が錯乱状態に陥り、※※※だと判断した場合、※※が各々の家庭の判断如何に関わらず強制介入する』

『また「※※※」に関しての情報は、発見次第速やかに報告すること』



 内容は…昔のことだからね。
詳しくは思い出せないし、実際の文章とは多少違うと思うけど、内容はそんな感じだったわ。
 小難しい言いまわしだったけど、当時の私でも意味は理解できたわ。

 ―――「赤眼」の世話をしないと、その家庭は罰が与えられる。
 ―――そして「赤眼」が何か都合の悪いことをするようなら、処罰の対象になる。



 膝が震えていた。
私には、それがダンピールのことを指している気がしてならなかったの。


 もしかしたら、魔物は。

 ダンピールは、私という存在は。

とても危ない生き物であるのかもしれないと。

 記憶の中のパパの姿が、ふと浮かんだ。
 そもそもダンピールの症状が出るまでは、パパは大人しく座って晩酌をするイメージで、元々そんなに喋る方ではなかった。
 でも、あの小学校での体育の事件があってから、妙に積極的にパパの方から話すようになった。
 気のせいと思えば、それで済む話だったのだけれど、若気の至りなのか、一度疑い始めたら、もう止まらなかった。

 楽しい話をたくさん聞かせてくれた思い出の中のパパの顔は、とても優しかった。
あれが、すべて打算的なものであるとしたならば。




―――パパは罰せられないために、私に優しくしていたの? 



 私は愚かにも、そんな疑問を抱いてしまった。
 人間とのコミュニケーションを学んでおきながら、心の方は全くの子供のままだったわ。
そんなこと、塵1つでも絶対抱いてはいけなかったのにね。



 


 そして、その書類の最後にあった一枚。
それはS字の形をしたこの島の地図だった。

 山が二個、連なるような形状の所々に、赤いサインペンで○や△や×が書き込まれていたわ。

 そして、島の真ん中辺り。

 そこにだけ他とは違い、大きく、何度もグリグリと○を重ねて書かれている地点があったわ。
 
 私はその場所がどこかすぐに分かった。
 剛ちゃんたちと初めて出会ったあの橋も、その場所の近くにあった田んぼの中だった。
 そしてそれ以来、私達三人での遊び場にもなっていた思い出の場所でもあった。



 その印は、私たちがいつもお参りする佐島家の近所に付けられていた
わ。

そう、佐島家のご先祖様の墓がある、あの林よ。


 パパの仕事に首を突っ込むのは良くないと思いつつも、その時の私は何も知らないまま、ひそかに決心した。
 これはきっと、ダンピールについて、ひいては魔物や私自身について深く知れるきっかけになるかもしれない、なんて考えてね。
 私は書類をパパのスーツのポケットに戻す前に、こっそりと地図や書類のメモを取っておいた。


ダンピールと「赤眼」。

 何も関係がなければ、それでいい。
でも、もし何かがあるとしたら…私はそれを知るべきだと思ったわ。
 自分のことを知って、その上でどう「人間」らしく生きればいいか。
ある意味、自分の魔物の部分に区切りをつけるためだと思ったのよね。

…その結果が、どんなものになるかも知らずにね。




 ―――数日後の夜中、私はこっそりと自宅の部屋の窓から抜け出した。
 
 そして、手元にあるメモ書きの地図と懐中電灯を持って、例のしるしの辺りに自転車で向かったわ。
 
 見慣れたはずの田んぼの平野やコンクリートの橋も、光がなくなるとまるで別世界のように感じられたのを覚えているわね。
 
 でも、不思議と怖くはなかった。
 ダンピールは半分は吸血鬼だから、夜目に優れていたのでしょうね。
 足元から伸びる自転車のライトの明かりがあれば、十分に進めるくらいだった。

 真っ暗闇を一本の光のみを頼りに、身体の中から溢れてくる妙なざわつきと高揚感が妙に心地よかった。
 顔にぶつかってくる、夏の島特有の、塩気の含んだ生暖かい空気も気にならなかった。
 いくつにも連なる稲穂の絨毯の間を、真ん中から切り分けるようなコンクリートのライン。
 その長い長い道路を越えていった先で、私は奥の方にある暗い林にぶつかった。
 通ってきた田んぼの夜道よりも一層に暗闇が深く、不用意に何かが入り込むのを拒んでいるみたいだった。


一寸先は闇、という言葉を見事に表していたわ。


 私の興奮は、さらに高ぶった。

 光の通らない雑木林をみて、私は小さい頃にパパから聞いたダンピールの先祖…ヴァンパイアハンターの話を思い出していた。
 
 ひょっとして「赤眼」とは悪い吸血鬼で、パパはそれを捕らえて退治するハンターだったのでは。そして私はその遺志を継いだハンターの子供なのかもしれない…。

子供じみた、都合のいい妄想を勝手に繰り広げていたわ。
 
 輝かしい希望と恐ろしい危険に満ちた、ファンタジーな大冒険。
大切なものを守るための戦い。アクション劇。
 
 いつか引きこもっていた頃、部屋の中で隠れて見た夢。
剛ちゃんと渡志ちゃんと馬鹿みたいに語り合った夢。

―――そんな冒険の始まりが叶うんじゃないかって。

高揚感に身を任せてそういう勘違い…というか、錯覚をしていたのよ。

 よみがえった幼い頃の夢は留まることなく、私の身体を動かした。
意気揚々と両腕が自転車を止めて、用意した懐中電灯を手に取ったわ。

 一片も迷うことなく、暗闇の林の中をかき分けていった。



―――それが、私の最大の間違いだった。





 探索を始めて数十分だったかしら。

 いくら慣れた道を進むにしても、暗い夜道を進むのはそう簡単ではなかった。

 さっきも言ったけど、高校に入ってからは剛ちゃん達とは遊ぶ機会が減っていたからね。
山道を進む感覚を思い出しながらの探索だったわ。

 枝を掻き分け。
土を乗り越えて。
石を飛び越えて。

 リハビリをしつつ、しばらく進んでいくと、妙な気配を感じた。


 口と鼻の中に広がる、はっきりした味じゃないけど、どこか甘くて、馴染みのある感覚。
 

 私は少し戸惑ったけど、その正体はすぐに分かった。 

 幼少期に随分と持て余して、今なら簡単に誤魔化せるそれ。



魔力だった。


 魔力が、目の前の入り組んだ林の奥の方から、燻した煙のように漂ってくるのを感じたわ。

 実際に魔力には、匂いや味があるわけじゃないんだけどね。
人間で言う、皮膚の触覚や第六感に近いものにあたるかもね。
 それを皮膚だけじゃなくて、身体の内側、口とか鼻とか色々な部分で感じ取るのよ。


…まぁそんなことはどうでもいいわね。

 私は身構えて、その奥へとにじり寄った。
まるで、これから吸血鬼の住む部屋に突入するハンターのごとく。



 魔力の出所は、すでに目の前の木のすぐ向こう側にまで迫っていた。
その出所を懐中電灯で照らそうとしても、周りの木々のせいで丁度死角になっていた。
 
 
 要する、木の反対側まで顔を出さないと向こう側は確認出来なかった。



 私は、唾をのんで。

一度大きく息を吸って。

覚悟を決めて…

その木の横から、一気に飛び出した。




 獣のような力強い視線。
でも、呼吸の音は一つしか聞こえなかった。






 そこにいたのは、真っ赤な眼をした女の人だった。

眼だけじゃない。

 女の人の四肢も、真っ赤に染まっていた。
それとは対照的に、髪の毛は老婆のように真っ白で、肌は土で汚れたみたいに黒茶がかっていた。

 そう、継も知っているあの喰人鬼が、いたわ。





 あまりの未知との遭遇で、数秒、唖然としてしまったわ。

 でも容姿からして、明らかにダンピールのそれではなかったのにも関わらず。
その時の私は妙な親近感というか、共感に似た何かを喰人鬼から感じたわ。


 ーーーこの容姿…どこか見たことがある。
確か…渡志ちゃんの持っていた魔物の図鑑に載っていた気が…。
 ということは、この女性は見た目は違うけど。
私と同じ…魔物だ。

半分くらい直感的だけど、すぐにそう判断したわ。

 そして、この真っ赤な眼はきっと、例の「赤眼」に間違いないとも思った。

 やはりダンピールと「赤眼」は関係なかった。
そのことに私は少しばかり安心したわ。

 でも。


じゃあ、なぜパパはこの場所の地図を持っていたの?


 …そんな風に、考えていた隙を取られてしまったみたいだった。
私に気付くや否や、喰人鬼はすっと駆け出して、逃げてしまったの。



私は、追いかけた。 


 彼女を、喰人鬼をそのまま見送ることはできなかった。
彼女にパパやダンピールが全く関わっていないとは、断定できなかった。
 何より、むしろパパと喰人鬼との関係を確かめずに、私は引き下がることはできなかった。





…というのは多分、建前ね。

 正直にいってその時の私は、空想のハンターを演じていて、変に興奮していただけのように今では思うわ。
 何も知らないその時の私にとって、あの喰人鬼は悪い吸血鬼にしか見えてなかったわ。
 喰人鬼が、入り組んだ木々の中をするすると、水が笊をすり抜けるようにして逃走した。

 でも、私も負けていなかった。

 彼女に私の居場所がばれないように、私は手に持った懐中電灯のライトを消して駆け出した。
 夜目の効く私のダンピールとしての性質は、月明かりだけでも山道を進めるほどには優秀だった。

 それに、しばらく夜道を歩いていたから、私は剛ちゃん達と遊んでいた時のカンも取り戻しつつあった。
 おかげで彼女に距離を空けられることなく、雑木林の中を追跡していったわ。



 喰人鬼と半人鬼。


 鬼同士の鬼ごっこは、なかなか決着が付かなかった。
 どちらも魔物ゆえの身体能力だったからね。
普通の人間が真夜中では到底出せない速度での駆け引きだったと自負しているわ。


 でも。

 お互いが魔物だからこそ。
私が彼女を追い詰めるのには今一歩、決め手に欠けていた。
 
 
 詰めては、引き離し。
引き離しては、詰めての繰り返し。

多分、人生で初めて本気で走った日かもしれないわね。




 ―――30分近く、追いかけまわしたかしら。






 その膠着状態にも、終わりが見えた。

なぜか喰人鬼の動きが段々と乱れ始め、動きが鈍くなっていったわ。

 彼女の枝をかき分ける腕が。
木の根っこを飛び越える脚が。
少しずつスローになっていく。

それを私は見逃さなかった。


 そして、決定的瞬間。


彼女は、盛り上がった木の根っこに足を取られて、もたついた。



チャンスだ。


そう思って一気に、彼女との距離を詰めようとした瞬間だったわ。






一瞬の光と共に、目の前に何者かが浮かび上がった。
 





 突然のことで驚いた。
かなりの勢いで走っていたから、私はとっさに止まれなかった。

 そのままラグビーのタックルみたいにその人の胸元にぶつかって、光の円の外へ突き飛ばしてしまった。

 二人とも、ボールみたいに草むらを転がった。
何が起きたか分からず、私はすぐには頭を上げられなかった。


 さっきの光。
その正体は、懐中電灯の光だった。

 倒れたままの姿勢でその出所を見てみると、どうやら吹き飛ばした人と、それ以外にもう一人の二人組がいるみたいだった。

 私、眩しいのは逆にダメみたいで、ライトの持ち主の姿は良く見えなかったのよね。

 でも、誰かが近くにいる。
見つかったら厄介だと思った。
私はその人達に気づかれないように、そっと草むらに息をひそめた。

 どうにかして、見つからずにここから離れないと。

そう思った矢先、自分の身体に異変が起きているのが分かった。



 ―――赤い眼の症状が出始めていたのよ。
よだれもダラダラと垂れてきた。
 
 ええ、間違えようもない、ダンピールの症状が起きていた。
 
 そして、そういう反応が出る男性の相手は、高校生の時の私には、二人しかいなかった。

 私は、恐る恐る吹き飛ばした相手の方を再度振り返って、赤く染まった眼を凝らしてみた。



 身長が伸びていたから分からなかったけど、その人は間違いなく、渡志ちゃんだった。

 渡志ちゃんは仰向けの状態で、草むらに倒れていた。
私は思わず駆け寄りそうになって、はっとなって慌てて身を伏せた。
 

 ダンピールの症状が出ている以上、なおさら私は渡志ちゃんに近づくわけにはいかなかった。
 その時になってまで二人にバレるとか、気にする必要は無かったのかもしれないけど。長年ずっと隠していたから、反射的に近づけなかった。
 躊躇をしている私に耳に、渡志ちゃんの乱れた呼吸が聞こえた。

 さっきの衝突のときに、肺か肋骨のどこかに損傷が起きたことに私はすぐに気がついた。


―――病院、連れていかないと。

 そのまま放っておくこともできず、でも近づく勇気もなくて。
私は隠れながらオロオロとしておると、私はそこで失敗をしたことに気が付いた。
 

 突然の事態で、追いかけていたはずの喰人鬼の姿を…見失ってしまっていたの。

 そこから食人鬼を探そうにも、渡志ちゃんをほおって動くわけにはいかなかった。


どうしよう?



闇夜の中で隠れながら考え抜いて、閃いた。

 私は鼻と口で周りの空気を大きく吸い込んだ。

 喰人鬼がどういう存在なのか、その時はまだ詳しくは知らなかった。
 でも、自分と同じ魔物である以上、精を奪うことに特化した存在であることは分かっていた。

 彼女との出会い頭、私は『魔力は察知することができること』に気付いた。
なら、魔力の出所を探れば、きっと喰人鬼の正確な場所がわかるはず。


 ゆっくりと息を整えて、吸って、吐いてみた。

 するとしばらくして、私の口の中に魔力らしき甘い感触が伝わってきた。

 私はそのかすかな知覚を頼りに、ゆっくりと這うように動き出した。
丁度、草むらの開けた土地があって、そこから魔力が漂っていた。


 結果、探知は成功したわ。
感触の強さからなんとなく、距離もそれほど離れていないようだったわ。


 だけど、その方向が問題だった。




 魔力の出所と、渡志ちゃんのいる方角が完全に重なっていたの。



 彼女は、私との追いかけっこでかなり消耗していたみたいだった。
精の渇きを潤そうと、彼女は渡志ちゃんを押し倒していた。

まさに襲い掛かる直前だった。



―――しまった。


 出遅れた、と悔やんだ瞬間。




 目の前の渡志ちゃんが、急に明るく照らされた。



 ライトの持ち主が二人に気づいたようで、いつの間にか近づいてきていたの。

彼は現れると同時に、思い切り彼女に蹴りを叩きこんだ。
 
 …大体予想はつくわね。
でも…その時は、まさか二人ともいるとは思わなかった。


そう、ライトの持ち主は剛ちゃんだった。

 渡志ちゃんが現れたことにさえ驚いていたのに、間髪入れての登場に、私の頭の中はもう完全にパニックになっていた。

 なぜ二人がこんな時間にいるのか、そんなことさえも考えられないほどに余裕がなかった。
 理解できたのは、剛ちゃんが渡志ちゃんを助けに来たってことだけね。

 でも、せっかくの剛ちゃんのキックも、人間の何倍も強靭な喰人鬼相手にはまるで効果がなかった。

 逆に軽くあしらわれて、剛ちゃんは足を掴まれて、吹き飛ばされてしまった。

 
 そのまま喰人鬼は標的を変えて、倒れた剛ちゃんににじり寄っていった。



 そして、剛ちゃんで「補給」を始めた。


 渡志ちゃんは震えて腰を抜かし、ただ貪られる剛ちゃんを見ていた。
剛ちゃんは足が折れていたらしく、泡を吹きながら気絶したまま何度も、何度も精を絞られていた。
 あそこが真っ赤に腫れ上がって血を吹き出しても、止まらない。
漏れだした大小便が私の方まで臭ってきて……。



ごめんね、大丈夫。

 ……このあたりは、剛ちゃんに聞いたのなら、その話の通りよ。

剛ちゃんが話したこと、それは全くの嘘じゃないわ。
  
 紛れもなく真実。

でもそれは、他の誰でもない本人が受けた傷なの。


 私は、ただ見ていた。
それ以外何もできなかった。

 他の誰でもない。

私があの強姦の夜を引き起こしてしまった。




 頭の中を、ぐちゃぐちゃにしてやりたかった。



何がヴァンパイアハンターの夢よ。
何が「赤眼」よ。
何が人間としてふるまうよ。

 自分に殺意がわいた。
心の底から湧き出す絶望に、胸の奥のドス黒いヘドロに押し潰されそうだった。

 とても、とてもじゃないけれど。
耐えきれなかった。



 私は逃げ出した。



そうするしかなかった。





―――次の日、剛ちゃんは、入院した。
自宅についた後、私が匿名で救急の電話をかけたのよ。

 病院の人が言うには、渡志ちゃんはそこまでの怪我じゃなかった。  私とぶつかった拍子にあばらにヒビが入った程度らしかった。
動くのにも問題はなかったみたいでね。


 剛ちゃんの方は足をひどく骨折していた。
魔物の腕力がいかに恐ろしいものかを、よく分かったわ。

 それと…汚い話だけれど、幸いにも剛ちゃんの男性器の方は真っ赤に腫れ上がっていただけで、機能に影響はないらしかったわ。

 もちろん、私は見て確認したわけじゃないけどね。

 


 でも剛ちゃんの問題は、身体の方じゃなかったわ。


 …病院では剛ちゃん、何もしゃべらなかった。
ただ、死んだ人みたいにうつろな目をして空中を眺めているだけ。

 人間の医者にはわからなくても、魔物である私にはすぐに分かった。

 何度も何度も嫐られたせいで、剛ちゃんの身体からは、あの喰人鬼の魔力の匂いがひどいくらい染みついて、室内中に漂っていたわ。


 後ろめたさを感じながらも、私は最低限の責任をとろうと思った。
私は毎日、病院に剛ちゃんのお見舞いに行った。


 高校にはもう、行かなくなっていたわ。
朝、ベッドから起き上がる度に、あの夜のことばかりが浮かび上がった。
 幸いあの赤眼に出会ったことは、パパにも誰にもバレなかった。

でも、もはやそんなことは微塵も気にしていなかった。

 私はどう償えばいいか分からなかった。
現実を直視したくなくて、必死に目を閉じていたわ。

 自分がどれだけ浅はかな行動をとったのか、その時になって後悔した。
久々に会った友達を、こんな目に合わせたことも。
自分が、いかに考えなしに行動したのかを知った。 


 …次第に、剛ちゃんはおかしくなっていた。


 喰人鬼が奪ったのは剛ちゃんの精だけではなかった。
剛ちゃんは入院して数日後、訳の分からないことを言い始めた。

「あいつをあんなめちゃくちゃに犯した喰人鬼は、絶対許さない」って。
 
まるで、犯されたのは自分のことではないかのように、あるわけのない渡志ちゃんの仇を訴え始めたの。

 あの夜の日の記憶が、剛ちゃんの頭の中では歪んでいた。
 強姦という事実を受け入れられない剛ちゃんが、頭の中でその記憶を捻じ曲げていたの。


それが、継。あなたが剛ちゃんから聞いた話よ。

剛ちゃんの頭の中で、渡志ちゃんは『替え玉』にされていたわけね。


 さらに、おかしな現象は続いたわ。


 時折、衝動のまま暴れて病院を飛び出して、喰人鬼に会ったあの林に向かおうとするのよ。
「あの喰人鬼をぶっ飛ばしてくる」なんていってね。

 彼女の喰人鬼の特殊な力のせいね。
…帰巣衝動とでもいうのかしら。
彼女は交わった相手を、自分の元へ呼び戻すことができるの。


 継も、一度味わったことがあるんだったかしらね。

 
 でも剛ちゃんの場合は、それの何倍も酷かったわ。
ほぼ錯乱状態といってもいいほどで、魔物である私の力をフルに使ってようやく抑えられるほどの暴れ具合だったわ。
 毎日毎日、腕をこん棒みたいに振り回して壁を叩き、床を踏み鳴らして、手足から血を流していた。
 ガラスを割り、ガチガチと歯の奥を鳴らして、身体を芋虫のようにくねらせて暴れまわるの。

 その繰り返される暴走を止めるために、私は何度も剛ちゃんのいる病院に通い詰めて、必死に抑えつけたわ。
 
 医者は精神科の閉鎖病棟を進めていたけれど、私は頑固反対したわ。
これは明らかにそういった精神の類のものとは別物だ。
魔物である私だからこそ、魔力が近くできる私だからこそ、それは確信していたわ。
 
 原因は喰人鬼であり、私だ。

なら、その責任も私がとるべきだと。
…贖罪に近かったかもしれなかったけれどね。






 

 くる日もくる日も、私はジタバタとともがく剛ちゃんを抑えていた。

 私は、まるで死んでいるみたいな目の剛ちゃんをみていると、なんだか昔みていたヴァンパイア映画に出てくるゾンビを思い出していた。




『吸血鬼は、自分が血を吸った相手を下僕にする能力があるんだ。』

 パパから聞いたダンピールの話。
それをなんとなく思い出していたの。

 その時の剛ちゃんの様子、まさにそんな感じだなぁなんて考えていたわね。

―――剛ちゃんは、あの喰人鬼の下僕になったんじゃないかな、なんて。

 同時にもう一つ、渡志ちゃんの魔物の図鑑を昔読んだ時に、魔物の能力にある記述があったことを思いだしたの。

それが『インキュバス化』。 

 仕組みはよく分からないけど、魔物には交わった相手の身体の構造を自分の都合のいいように作り替える能力があるの。
 喰人鬼は男性の精をエネルギーに生きているから、それを効率よく手に入れるためね。

 ね、吸血鬼が卷属を作るときに似ているでしょう?



 …その時私のなかで、一つの仮説が浮かんだ。


 なんとしても私は、喰人鬼の症状から剛ちゃんを開放したかった。
喰人鬼もダンピールも、同じ魔物の性質を持っている。

 そしてダンピールは吸血の際に、自分の魔力を唾液に混ぜて流し込んでいる。
 私が血を吸えば、剛ちゃんを『私の下僕』にすることができるんじゃないか、って。

―――戻せないのなら、上書きしてしまえばいいと。


 確証は、なかったわ。
 パパのお話にも『吸血鬼が他の魔物から下僕を寝取る話』なんてなかった。 
 渡志ちゃんの図鑑にも『一度、精の対象を定めた魔物から、他の魔物がその人間を奪う』方法についての記述はなかった。

 剛ちゃんにだって、さらに危険が及ぶ可能性だってあった。
また考えなしの行動で、誰かに迷惑がかかるかもしれなかった。


でも、やるしかなかった。


 私は再度、選択した。
 
 魔物として、ダンピールの吸血能力を使って、可能性は低くても剛ちゃんをあの喰人鬼から解放することに懸けるか。

 人間として、剛ちゃんのことを諦めて、全てを忘れて、半端者のまま生きていくのか。



…問うまでもないわね。
魔物ってのはね、一途なのよ。

 私は剛ちゃんを押さえつけたまま、二の腕に口をつけて、おもむろに犬歯をプツリと立ててみた。
 口いっぱいに剛ちゃんの血が広がって、鉄の味が歯の隙間に染み渡った。
その時ね、不謹慎だけど…少し幸せだったわ。


私の考えは正しかった。


 血の気と共に、一時的にだけど、剛ちゃんの容態は収まった。
喰人鬼の魔力は依然こびりついたままだったけど、沈静化する方法としてこれ以上ないくらいの効果だったわ。

 それを見て、ようやく安堵した。
こうやって吸血を繰り返していけば、いつか喰人鬼の魔力が抜け切るはず。

 そして私は、今度こそ覚悟を決めたの。
きっといつか、剛ちゃんが喰人鬼の呪縛から逃れられる日がくるまで。


その日まで、私は『魔物』であり続けると。


15/12/23 16:35更新 / とげまる
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■作者メッセージ
 ようやく扶美ちゃんの過去編終わりです。
賛否はあるでしょうが、ハーフの子が人間性を捨てて魔物になるには?を考えないではいられなかったので。
あと、いつの間にか一万閲覧数越えてました。
ありがとうございます、そのうち何回が僕自身なのだろうか…?

 ダンピールちゃんは蝙蝠みたいにぺろぺろ舐めながら血を吸ってると萌えポイント高い。

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