連載小説
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縁の下
 夕飯が終わり、かまどの風呂から上がるともう夜中の九時を過ぎていた。

 僕は寝床の部屋の小さな縁側に胡坐で座り込んでいた。

畳二畳分のスペースしかない隠れ家のような小さな空間。古びた祖母の家の縁側は既に家全体が軋み、左右の箪笥の隅や戸の隙間から外の空気が入り込んでくる。僕の膝のすぐ横では、火をつけたばかりの蚊取り線香が黙々と煙を立てている。
 
 風呂上がりの熱を飛ばしながら、見慣れた縁側の外の景色をぼぅっと眺めてみる。家の周りを囲うように杉や竹が覆い茂っているので縁側の外からは夜空を見ることはできないが、その見通しのきかない景色が小さな箱庭を演出しているようにも感じて割りと気に入っている。
 蚊取り線香の独特な香りが鼻腔をくすぐる。僕は煙を吹き飛ばすように深く一回ため息をつくと、今日一日の目まぐるしさを思い出していた。そういえばずっとバタバタしていて、座ってゆっくり考えるのは久々かもしれない。


 ……僕が意味がない、時間の無駄とさえと思っていたこの島への帰省には、父さんや叔父さんには意味があった。それも強姦という異様な事実とタガネという異色な存在を抱えて。

 一緒にいるから知っているはずの自分の家族だからこそ、知った瞬間はどうしていいか分からなかった。ただただ退屈だとばかり思っていた僕の人生は二人の男の辛い過去の上に成り立っていたのだ。僕が何も知らずに呑気に過ごしていただけだったようだ。

 魔物の存在だってそうだ。今まで都市伝説だと思っていたし、タガネが自分の前にいきなり現れなければきっと僕も信じられなかったと思う。

 タガネ、喰人鬼、人の精を食う死体。そして、元人間。 

 彼女は叔父さんと今までどんな人生を送ってきたのだろう。
彼女の齢はどれくらいで、人間だった頃はどれくらい生きていたのか。
 父さんがタガネを見たのが25年前だから少なくとも僕の3倍以上は生きているだろうか。僕の中の17年ですら退屈を感じるほど長いのだし、それ以上の月日では一体どんなことが起きていたのか見当もつかない。

 知りたいことは尽きなかった。結果としてだが僕はこの島に来て多分、久しぶりに退屈していなかった。無論、退屈していないというだけで楽しいわけでは全くないのだけども。

 そして、タガネの過去を知りたいと思うのと同時に、僕はこれからタガネはどうするのだろうとも考えた。

 叔父さんは「僕にすべての判断を任せる、自分はもう来年は島に来ない」と言っていた。
 正直に言ってタガネがどう生きていくかを17年しか生きていない僕なんかに決めさせるというのは、少々荷が重すぎる。それに爺さんと婆さんがいるのにそれを放置してこの島に来ないなんて、そんな親不孝なことを叔父さんがやるとは流石に思えない。


けど。


 もしこのまま叔父さんが本当にこの島に来なくなり、タガネが餓死する危険性があるとしたら、僕は彼女を見殺しにすることになる。死体を見殺すなんて妙な表現だが、それなら僕もこのままなにもせず黙ってみているわけにはいかないだろう。

 無い頭を捻って、これからの手段をいくつか考えてみる。

 例えばとしてだけど、このまま彼女と一生をこの田舎の島で過ごすとしたら?
 今すぐは流石に厳しいかもしれない。だが特に大学にこだわっているものがあるわけではない。実のところ学科だって、大学の名前だって、場所だって、行ければどうでもいいというのが本音だ。一応なんとなくは考えているものの、周りがそうしているから僕もそうしているというだけなのだから後からいくらでも変えようがある。 

 逆に、都会の方に何とか連れ出すのはどうか?彼女を一人かくまうくらいならなんとかなるかもしれない。いざとなれば大学生活と同時に一人暮らしを始めたっていい。彼女には食費も光熱費もかからないだろう。僕ががんばればいい話だ。体力が持つかはわからないが、朝のあの疲れくらいなら慣れれば何とかなりそうだ。

 
 それとも……そうしたくはないが、僕が彼女を危険人物と考えて、この先生きているべきではないと判断するのか。

 自分でも思った以上にたくさんの可能性と未来が頭をよぎる。ここから道を変えようとすればいくらでもできそうな気がした。「夢とか目標のためには何かを犠牲にしてでやれ」という叔父さんの言葉を思い出す。
 そこまでたいそうなものではないけどこれが僕のやりたいことならきっとそうするべきなんだろうと自分に言い聞かせた。


だが、多すぎる手段というのは逆に僕の判断を鈍らせるばかりだった。

 結果的にどうするかは後にして、それには彼女のことを一つでも多く知る必要があるだろう。僕には知らないことが多すぎる。

 息を大きく吐き出し、気を取り直す。

 まずは明日やるべきことを考えることにしよう。朝になったらまたタガネに会いに行こう。本人と話さないことには始まらない。




 しかし、なんというかアレだ。気まずい。

 落ち着いて考えてみるとそれも結構困難というか、タガネとの別れ際がかなりあれだったのでどうしようかが気がかりであった。なんて声をかけよう。
 
 というか微妙な関係の女性と仲直りの仕方なんて、僕の人生経験上で参考になりそうなものがない。何より泣いている女の子をほったらかして今更平然と顔を合わせるというのがそもそも虫がよすぎないだろうか?なんなら僕の黒歴史になりそうなくらいの情けない対応だった。
 
 いや、あの時は残っていたってどうしようもない。いやだからと言って言葉通りにしてどうする?男ならあそこで無理にでも慰めて……。
何を言っている。男だとか以前に僕はついこの間まで部外者だったじゃないか。彼氏気取りか。

 というか、そもそも彼女を普通の女の子として扱っていいのか?
彼女のことを。あの存在を。


 なんて女々しい。こんなものを繰り返したところで、全く答えは見つからない。結局は彼女のことを何も知らない自分の無知が問題でしかないのだから。

 ああ、なんかこういうの考えるの面倒だな。正面からぶつかるしかないだろうな。それでも、不安はぬぐいきれない。
 ベストな答えが見つからないことに嫌気がさしてきて、僕は気分転換するように窓の外を眺めていた。



 そんな風に一通り考えた時にふと、目の前の草木がざわざわと揺れる。

何かがいる?

僕は窓をほんの少しだけ開けて、手を出してみた。だが、風が吹いている様子はなかった。

しばらく様子を見ても、目の前の草が動く気配はない。



十秒



二十秒



三十秒が経った。




 何も動かなかった。風もそよ風程度で草木が揺れるほどではない。

きっとハクビシンか何かが通ったんだろう。僕はそう思い手を引こうとする。





 が、その手は動かない。突然影から現れた何かにぐっと強く掴まれていてしまっていた。

僕の腕をつかむそれは、人間の手だった。しかし、普通の手ではない。染めたように二の腕まで赤い色をした肌。見覚えのある痛んだ白い髪。その赤い手は縁側の下から伸びてきていた。

 まさか。僕は戸を更に開け放つ。
蚊が入ってくるとかそんなことは気にもしなかった。

開けたとのすぐ下、腐葉土の散らかる地面。

そこに彼女は座り込んでいた。


「…タガネッ!?」


「あ…」

 掴んだのが僕の手だと思っていなかったのか、彼女は目を丸くしていた。
慌てた彼女の赤い指がするりと僕の手首から滑り落ちる。彼女の手は熱を帯びていないはずなのに、離れた途端に妙に手元が冷えた。

何でここにタガネが?

 確かタガネはこの家には近づきたくないはずだった。それはきっと家族との関係があるからだろう。なにか、理由がない限りは。

「あ、あの、えっと…、どうしたの?」

「その、あのね…昼間の件でね、ちょっと」


 彼女もきっと気にしてるのか、お互いに探るようにしどろもどろに単語をつなぐ。赤い瞳がキョロキョロと落ち着かない様子が可愛らしい。

 彼女の返答を待つ間、僕の頭では妄想が駆け巡っていた。

 もしかして、彼女も同じことを考えていたのかもしれない。実は二人ともあの昼のことを気にしていて、それで「さっきはごめんね」なんて馬鹿げた青春じみたラブロマンスみたいなやり取りをして、そして叔父さんの代わりに僕と一緒にどう生きていこうか?なんてことを仲良く相談する。

そういうことを一瞬にして想像していたのだ。
 





 そんな恋愛漫画じみた現実味のない展開を期待してしまったのが、僕の最大の失態だった。




「あの、渡志は今いるの?話があって……」

彼女の口から最初に出てきたのは僕の名前ではなかった。


 心臓の隅がちりちりと痛む。甘く下らない妄想が一気に逆転し、自分の心を突き刺す刃に代わる。

 バカか僕は。何をくだらないことを。考えてみれば当たり前なことだろう。

 彼女は昨日まで叔父さんにずっと世話をしてきてもらっていたのである。
彼女にとって叔父さんは俺よりも大事な存在であるはずなのだ。例え僕が生まれてからずっと彼女といたとしても、叔父さんと彼女の二十五年という月日にはまるで足りないのだ。


昨日の今日で、いきなり僕に頼るはずがないだろう。

「お、叔父さんは今……、風呂に入っているから、もう少し待っていれば上がるよ……」

 恥ずかしさと自己嫌悪と風呂上がりの熱で顔から火が出そうだ。顔を覆いたくなるのを何とか我慢して、精一杯取り繕っていた。

 先ほどまで下らない一人暮らしとかを考えていた自分を叱咤する。
浅はかすぎて殺意を抱いたほどだ。気持ち悪い。


「…そう」

 動揺する僕をよそに、ため息を漏らすようにタガネはそう呟いた。
そんな挙動一つでさえも、僕の胸はキリキリと捩じられるように痛めつけられる。

 なんで、ためいきなんだ。僕じゃあそんなに嫌か。
こめかみの後ろあたりに力が入る。油断していると顔がグニャリと歪みそうだ。
 
 いや分かっている。こんなの何の価値もない自意識過剰だということを。

 視界の奥にいるもう一人の自分が、嫌に冷静な態度で自身をそう切り捨てる。
 きっと彼女に僕を貶めるような意思は微塵もないのは分かっている。
 
 ただ、彼女はこれからも生きるためには肉体的にではなく精神的にも叔父さんが大切なんだろう。昼間のあんな暴言一つで崩れる関係なんかじゃないんだ。

僕は部外者だ。分かっているのに。


「それでね…。昼間の、こと…なんだけど」

 妙に粘つく口内からなんとか無理やり言葉を引っ張り出した。
僕は、タガネがこのまま叔父さんのところに行ってしまう気がしてならなかった。

「大丈夫よ継。もう…大丈夫だから」

 とても静かだが、有無を言わさない口調でタガネは呟く。
紅い指が真白い髪をなでる。視線は全く僕の方に向けてはいなかった。

 お互いに引くこともできず、ただ沈黙が続く。痛々しいくらいに。

タガネの間は1m以内にいるはずが全く距離感がわからない。
 遠い。タガネがすごく遠い。たった縁側の上と下にいるだけなのに、僕はそこから彼女のもとに降りることすらできなかった。


 次にかける言葉が見つからない。何を言えばいいんだ?

必死になって思考を巡らせる。
 聞きたいことはたくさん浮かんでいたのだ。叔父さんに用事ってことは、精をもらう以外の僕の知らない話があるんじゃないか?それが叔父さんが父さんに君のことを話さない理由なのかも?

タガネ、僕にもっと教えてくれ。何もわからないんだ。部外者は嫌だ。

 だがその感情は言葉にならない、口から息と唾液以外何一つ出てこない。
 知りたいという欲とは裏腹に本当に聞いてもいいのかという気持ちが湧いてきた。父さんにも言えないことを部外者だった僕がこんな数日で僕が聞いてもいいのだろうか。

 このままだとタガネはきっとこの後叔父さんのもとに行き、二人にしかわからないことを語る。それがなんだか悔しい。

このままタガネを叔父さんに会わせたくはなかった。



 なぜ?……叔父さんの強姦の事情を知っているから?タガネのことを知りたいから?
 
 いや、違う。これは嫉妬だ。あんなことを口にしても崩れないタガネと叔父さんの信頼関係への明らかな嫉妬だ。なんて下らないんだ僕は。




ぐぅぅ…


拍子抜けた音が目の前から聞こえてきた。
音がした方向にはタガネがいる。


「あ…ご、ごめんね。空腹で継のこと触っちゃったから。若い人の精は胃が動いて…」

 恥ずかしそうにタガネはパタパタと顔の前でふる。
少し要領を得ないが、朝に僕の精を中途半端な量だけ食べたから腹が減った、ということだろうか。

「ほら私、喰人鬼だから…人間と違って…その、食事なんて一年くらいしなくても平気だから…気にしないで」

 慌ててタガネはまくし立て、後ずさりをする。
体重を気にする女子のようなその慌てっぷりが妙に可愛らしくて憎い。

 それよりも、最後の一言は何か焦っている言い方だった気がした。
さっきから僕を妙に避けているような……。


ぐぅぅ…

 だが、言葉とは裏腹に彼女の胃袋は目の前のご飯である僕を我慢できないようだった。彼女の唇はあふれ出た唾液によって濡れ始めていた。



タガネの唾液?





ドクンーー


 しまった。忘れていた。喰人鬼は精を食料としている。その唾液は嗅ぐだけで男を引き付ける媚薬の効果がある。


そして、それは一日は続くことを。

 僕は、父さんが言っていた不用意に彼女に近づくことを避ける理由を今になって理解したと思えた。
 なぜなら、その効果は身体だけでなく同時に精神にも効果を与えてくるからだ。

 手足に甘い痺れが起きたと思うと、視界が霞んでタガネの姿が見づらくなる。目の焦点がふらふらと揺れて上手く合わせられない。

 異常事態は頭の中でもおきていた。脳をこねくり回されるかのごとく、劣情がムクムクと膨れ上がってきたのだ。

初めてタガネに精を取られた今朝、叔父さんの歪んだ笑顔を見た昼間、そして遠い記憶のあの女の子に押さえつけられたことを思い出した夕暮れ。不意にそれらがフラッシュバックする。

 ダムが壊れたかのように泥のような黒い感情がドバドバと体の内側で溢れかえってくる。その泥はあっという間に胸の中を満たしてしまうと、理性だとか自己抑制なんてものをズブズブと引きづり込んでしまった。

 その泥の中で僕の理性はもがきながら気づく。
 この劣情の正体はきっと、先ほどまで叔父さんに抱いていた嫉妬とタガネに抱いていた独占欲だ。それが唾液の力で一気に風船みたいに大きく膨れ上がった。

 その泥の中から僕の声をした何かがむくりと顔を出す。
それは悪魔のように、優しく意地悪く囁いてきた。


 『食ってもらおうぜ。何も問題はないじゃないか。僕は叔父さんにタガネのことを任されたわけだよ』

 『そうだ。僕はタガネを世話をする義務がある。ここで叔父さんに会わせちゃいけないぞ。』


 『あの赤い手に扱いてもらえよ、気持ちいいぞ』



 『ヤりたいからタガネを助けるんだろう?順番が変わるだけさ』


 醜い劣情が包装紙に包むように理性を取り込んでしまおうとしている。下らない大義名分が段々と取り込まれた中身を分からなくさせる。

 だめだ、違うんだ。そんなこと考えちゃいけない。そんな自分勝手な都合のために…。








「…タガネ。お腹が空いたんだろう?」

僕は着ていたTシャツを脱ぎ、放り投げる。

 僕は縁側を降りる。さっきまであんなに怖くて降りれなかったのに、こんなに敷居が低かっただろうか?

その勢いで両腕をタガネに突き出し、その赤い右手を力強く握る。


「ちょっと…駄目、離してっ!私は大丈夫だから、服を着て、お願い継……」

 早口にまくしてて、タガネが腕を振りながら一歩後退する。視線をこちらに合わせないように、必死に目を泳がしている。女性とは思えないくらい力強さで、僕はつい思い切り強く握りしめる。

「いいんだ。お腹がすいたら食べる。当たり前のことだよ」
そういいながら、僕もゆっくりと一歩前進する。
 どうやら彼女の痛覚は鈍っているようだ。スチール缶だって潰せるくらい強く握っているのに、右手には痛がる反応を示さない。

 またタガネのことを一つ知れた。

「駄目ったら、しっかりして!それは私の唾液のせいなんだから正気に……」

「大丈夫だって、一回僕から精をとったでしょ?二回も三回も変わらないって」

「そう、じゃない。……手を、離して。」

 もう一歩、タガネが足を後ろに引く。それ以上は下がらなかった。いや、下がれなかったんだろう。
 彼女はひくひくと動く鼻と唾液の垂れた口元をもう片方の手で抑えながら、首を左右に振り回す。彼女の右手はいつの間にか振りほどくのをやめて、逆に僕の手を握り返している。喰人鬼の身体はもう僕のことを襲う気満々のようだ。

もう少しだ、もう少し。

「大丈夫、おいで」

 僕は優しく薄っぺらい紙のような微笑みを作る。その胸の奥に薄汚い悪魔を覆い隠すように。

「け…い。…駄目。駄目だって」

 タガネの口は唾液でどんどん濡れていく。彼女の目がだんだん僕を捉えて離れなくなっていく。

 退いたはずの彼女の足が、僕の方に進む。後退した分を取り戻して、さらに一歩。二歩。



 タガネの足は止まらず、僕の胸にぶつかる。

 その余った勢いで僕の足が縁側に引っ掛かり床に倒れこむ。古ぼけた木の板がギシリときしみ、タガネもそのまま続けて覆いかぶさってきてくる。

タガネの腕が僕の脇の辺りにおかれ、タガネが僕を押し倒したような形になる。

「継…。け…い」

 タガネの掌が彼女の口を離れて僕に近づく。唾液でずぶ濡れていて、部屋のライトの光を艶めかしく反射する。それとは反対に少しずつ彼女の目に光が感じられなくなる。


ああ、とうとう喰われる。でもこれで…。




 部屋の少し奥の方でふすまの開く音が後ろから響く。

まずい、誰かが来た。

僕のところまでもう一枚ふすまがあるが、足音は確実に僕の方に向かっている。

「やばい、タガネ隠れて」

「え…あっ」

 僕は起き上がり無理やりタガネを部屋から押し出して、縁側の下の空間に放り込む。
 そのまま足を縁側に突き出してタガネが出てこないようにぐっと踵で抑える。その数秒後に僕の真後ろのふすまは開け放たれた。


「継ー?ちょっといいー?」

おどけたような感じの声の主は母さんだった。


「……なに?」

 僕は背を向けたまま平然を装って答える。声だけは何とかなるが顔は厳しかった。やはり叔父さんのようにはいかない。

「ちょっとねーお願いしたいことがあって」

「ふーん…」

 参った。こんな時に限って長そうな話題か。僕は苦虫をかみつぶした顔になるが、なるべく顔を俯かせてごまかす。

「さっき急に保存会から電話があったんだけど。メインの鬼のスタッフが腹痛で倒れたらしいのよー」

「そ、そう」

 母さんはどうやら気づいてないみたいだ。だが、長引くといつバレるかわからない。早くけりをつけないと。

「それでねー?明日急きょ私に代理をお願いしたいって言ってきたのよー?困るわーもう…」

 話は半分もまともに聞けていない。だが、保存会という単語だけは嫌に頭に響いた。正直あんまり関わりたくないし、よりによってこんな時に話したい内容じゃない。


ピチャ…


 縁の下に押し込んだ足先に何かが絡みつく。水気のあるぬめった感覚が親指のあたりから伝わってくる。

 縁側の下をちらりと見る。タガネが何かしているのか。
意識を向けた途端、足首をぐっと掴まれる感触。間違いない。タガネだ。

 うねうねとした柔らかくて細い何かが足の親指の周りをぐるりと周回する。


もしかして、タガネが僕の足をなめているのか?

 僕は母さんにばれないように何とか縁の下を覗き込もうとする。

 が、タガネの位置は上からは見えない。無理に腰をかがめて覗き込もうとすると母さんにばれてしまう。
 僕が異変に気付いたことを察したのか、タガネの舌らしきものは更に激しくうごめきだす。五本の指の間をしゅるしゅると蛇のように通り抜けるたびに、僕の口から息が漏れ出そうになる。

 今朝の時といい、彼女の舌は何か普通と違う。
触れられた部分の肌がビリビリと痺れるのだ。その痺れが脳に伝わった瞬間、言いようがないほどの快感に変わる。
 唾液が足の皮膚のしわの隙間を濡らしていく。唾液はそのまま浸透していき、皮膚の裏側にまで心地よさを与えてくる。唾液に快感の成分が含まれているみたいだ。

 まるで足の指全てが自分の性器になって触られているかのような錯覚に陥る。きっとこの唾液は喰人鬼特有の現象なのかもしれない。

 母さんの話には相槌を打つものの、実際は全く耳に入っていなかった。
正直言って、聞いているふりをするのが精いっぱいだった。

 指の愛撫が終わると今度はそのまま母指球、親指の付け根あたりから土踏まずへと舐りながら舌が移動していく。

 やばい。

 僕は歯を食いしばり、舌を上あごに押し付けるようにしてかろうじて踏ん張る。
男根が起き上がるのを防ごうとズボンの上から右手で押しつぶす。早く、早く母さんを何とかしないと。

「…でね。明日九時発なんだけど。継は大丈夫?」

「あぁ…うん、考えとく」
 
 話をほとんど聞かずに返事をしてしまったことに答えてから気づいた。保存会の話をしていたところまではわかったが何をするかを聞いていなかった。

しかし、撤回することも話をもう一度確認する余裕もなかった。

 今は足元のタガネの存在に気付かれないことしか頭にない。

「…ん」

 漏れそうな声を何とかして押し殺す。
今度は親指を咥えてフェラのように咥えたようだった。
 親指が亀頭になったかのような気分だ。親指の付け根から踵の辺りがくすぐったくて震えてくる。足首に力を入れて何とか踏んばるが、もう声を装うことすら厳しい。

早く、早く話を終わらせてくれ。

「わかったー。ありがとうねー。あ、あと…」


「な、なに?」


「蚊が入ってくるからあんまり開けてないでよー?」


 どきりと胸が跳ねる。ひょっとして、気づいてる?

 子供のようにぴょんと飛び上がると、母さんはそのまま部屋を出ていく。
 母さんの足音が遠ざかるのを耳を澄まして聞く。
古ぼけた家は板のきしむ音がよく響き、その大きさで母さんがどのあたりにいるかがわかる。

 どうやら母さんは居間の方まで行ったようだった。
最後の言葉が気になる。ちゃんと隠し通せたのか?もしかしたらバレているののかもしれない。
 そんなことが少し疑惑が頭の隅によぎるだけで、顎が引きつる。
親にいかがわしい行為が見つかるだなんて死にたくなる要素トップ3じゃないか。

 母さんも僕に気を使ってのことなのか、それとも本当に気づかなかったのか、そもそも母さんはタガネのことを知っているのか?
 わからない不安要素はあるけど、最悪言及されるなんて地獄絵図にならなかっただけマシと思おう。


「ふう…うわっ!」

一息ついたのもつかの間、足元にいたタガネが一気に飛び出して覆いかぶさってくる。

タガネはすばやく僕の肩を押さえつける。白い髪が顔の前にだらりと垂れさがり周りの景色が見えない。見えるのはさっきまでとはうって変わった扇情的な彼女のとろけた顔だけだ。

「あはぁ、けぇい…もう、いいでしょぉ…お母さん、もういないよぉ?」

ああ、これだ。僕は彼女のこの顔を見たことがある。

 一番最初に会った時、墓参り中に消えた叔父さんを犯していた。
僕の方に急に振り返って見せたあの顔。
 見るだけでぞくっとするゆがんだ蠱惑的な唇。それでいて無邪気な子供のような笑み。普段のタガネとは違う、喰人鬼の食欲に屈してしまった、そういう顔だ。
 この顔をしている時だけは、彼女が人間じゃないのだということを物語っているようだった。
はじめ見たときは怖かったが、何度かみるとなんだか癖になってしまいそうだ。

 これからはこの顔を僕にだけ見せるんだ。


「…犯していいよ、タガネ」

 その言葉と同時に僕の下半身にタガネの手が添えられる。ズボンの中にタガネの冷たい手が滑り込んでくる。
 彼女の荒く湿った息が鼻にかかる。なんだか犬をしつけているみたいだ。
何回か愛撫をしたものの、もう我慢が聞かないといわんばかりにタガネは僕のズボンを脱がせにかかってきた。

 そして、そのまま僕のペニスに顔を近づけてすりすりと頬ずりを始める。

「はぁぁ…もうずっと匂っててたまらなかったのぉ、朝は継もあんまり量を出してなかったからかなぁ、あれじゃ足りないよぉ」


 いとおしそうに顔をこすり続ける彼女の顔を見ていると、このまま一生彼女の世話をするのも悪くないなと思える。これから死ぬまで彼女とこんなことをして生きていくのだ。

「ねぇ継?いいよね?いいっていったものねぇ?」

「そんなにがっつかなくても逃げないから」

「うふふ…」

 だが、考えが甘かった。
小悪魔のように笑みを浮かべると、タガネは口いっぱいに僕のを頬張った。

水気のたっぷり含んだ啜り音が部屋に響き渡る。やばい。吸い上げられる。
「ぅあ…あ、あぁ」

 突き上げられるような快感に思わず声がでる。触れるだけで快感が走る舌が肉棒に絡みついているのだから当然なのだが、これは想定外すぎた。

「んむぅ、ちゅう、ぐちゅ」

彼女の口内で舌がぐるぐると動き回り、僕のものを丹念に舐りつくす。
せわしなく動く舌からは搾り取ってやるという明確な意識が感じられる。

「タガネ……!もっと……ゆっくり」

「んん、むりぃ」

 助けを求めても、彼女はそう即答するとさらに亀頭へ唇を当てて、くにくにと前歯と唇の間で咀嚼をするようにこねくり回してきた。

 唇の触れている部分からは足の指と同じように電撃に似た快感が走る。だが、それは足の指のそれの比ではなかった。
背骨の内側から電気をかけられて全身にかけて駆け巡っていくかのような衝撃が次々と押し寄せてきた。

「うぅ……あ、あぁ」
 タガネが顔をズブズブと僕の股の間にうずめ、根本の部分を横から咥えてくる。腰全体が震えて喘ぎそうな口を必死で閉じる。


「んふぅ…んぅ…」
 根本が亀頭みたいに過敏になっている。普段は自分で触ってもなんともないはずが、彼女にかかれば舌の触れるところがすべて背中が跳ねるほど敏感になってしまう。
 
「じゅ…じゅる、ずず…ん」

 彼女の舌が肉棒を啜り、締め上げ、吸い上げる。
頭の中が快感の波で蹂躙されているかのようだ。容赦のないその猛攻に僕はすでに屈服しかけていた。
 
「ちょ…っんあ、もう、やばいよ…耐えられない」

「いいよぉ!そのまま…はやくぅ!」

 まるでお腹を空かせた子供が大好物のハンバーグでも食べているみたいに、彼女は夢中で僕の身体をむさぼっている。

 喰人鬼に直接吸われる快感がこんなにも激しいものだとは思わなかった。
墓場でのへそ攻めとは段違いだし、何より前は手を抜いていたのがわかった。

 彼女は今、本当に僕から搾り取る気で攻めてきている。
 僕を気持ちよくさせたいだとか、男女の愛情の営みだとか、そんなものは決してない。よがっているようにも見えるが、ただ空腹を満たすために目の前の獲物を刈りつくそうとしている。
 
腹が減って仕方がない。早く食べさせろ。

貪欲な感情が塊となって彼女から湧き出して、それが僕にぶつけられているのだ。
 性欲は食欲と関係が近いというが、まさに僕は彼女に「食べられている」。ライオンに食べられているシマウマになった気分だ。


「ずずぅ…ぅん、んぐぅう」

 やがて肉棒はすっぽりと彼女の口で覆われた。口内で舌が上下左右に蠢き、射精に追い込もうとしてくる。
 激しいバキュームは僕に多少の我慢も許さない。彼女の唾液が流動し、頬肉がぎゅうと締まって腰全体が持っていかれそうだ。
  
 僕はがちがちと歯を鳴らしながら許しを乞う。

「もぅ…無理だよ…」

「んん…ずぞぞ…ぁん、むぅ!」

 下っ腹と肉棒の奥の方が熱くなってくる。もう限界のようだった。
足がピンと伸びたまま硬直し、力が抜けなくなる。


来る…。波が来る…。身体の奥から…。もう、耐えられない。



「あ、あ、も…あぁ、あああああぁ!」

「んぶうっ!うぅん…」

 鈴口から彼女の口内へ、僕の白い精がまき散らされる。
彼女はそれを一滴も逃しまいと吸い付いたままはなれない。

 何度も、何度も腰が跳ねあがる。全身の筋肉が痙攣を起こして制御が効かない。
 やばい、絶頂が止まらない。息を吐くことも吸うこともできない。
 
 ほんの十数秒の間、身体は全く動けなかった。頭の中をシェイクされたようだった。感覚が麻痺して皮膚の感覚も全くない。上を向いているのか横を向いているかもわからない。
 ただただ未知の快楽だけしか感じられない状況に戸惑いながらも、僕は完全に酔いしれていた。




嵐のような快感の後、射精が止まったことを理解したタガネは絞った精を含んだまま口を肉棒から離す。
 靄のようにうっすらと目の前にかかっていた視界がすうっと晴れていくのを感じる。激しく流れていた血液も段々と収まっていく。口元からはいつの間にか泡が噴き出ていた。

 タガネはまだ口元をもごもごとうねらせて咀嚼を続けていた。
もっと味わないと勿体ないと思いつつも、早く飲み込みたいという欲求が押し合いへし合っているみたいだった。
 タガネがこの上なく幸せそうな顔でその攻めぎ合いを楽しんでいるのを、朦朧した視界の中で見つめていた。

 やがて、名残惜しみながらも彼女は音を立てて白濁を嚥下する。


 その瞬間に見せた恍惚な表情に思わず魅入ってしまった。
頬を染めて嬉しそうに吐息を漏らすタガネは、僕が今まで見た中でも一番幸せそうだった。


「は、は、はぁ…」
 息がまだ荒い。僕は何度か深呼吸をする。朝に一度絞られて正解だったかもしれない。これが初めての搾精だったらきっと気絶していてもおかしくはない。
 ゆっくりとだが、頭の中で溺れていた理性が泥の海から次第に顔を出す。
そしてようやく身体の感覚が少しずつ戻り始めた。



 それと同時に、罪悪感がぶわりと全身の毛から汗と共にあふれでてきた。

 なんてことをしたんだ。僕は……。
唾液のことを分かっていながら、誘惑に全く耐えきれなかった自分がどうしようもなく情けない。唾液が垂れたままの唇が震えて止まらない。


 許しを乞おうと顔を上げる。



「タガ…」

僕は彼女の顔を見て、息をのんだ。

 タガネもどうやら我に返ったらしく、先ほどまで精を堪能していたはずのタガネの顔からは、血の気が引いたようにみるみるうちに青ざめていく。

 やがて完全に「喰人鬼」だった先ほどまでの表情は消え失せ、絶望した「人間」の暗い色が浮かび上がってきた。


「あ……タガ、あの……」

「…なさい、ごめんなさい!」

 今にも泣きだしそうな顔だった。が、その瞳に潤いが宿ることはなかった。
 眉をくしゃくしゃにしかめて、口元を抑えて僕の身体から飛び退くと、タガネは後ろへ駆け出した。
 
「タガネッ!」
 あまりの速さに僕は全く対応できなかった。
タガネは走り幅跳びのように縁側を踏み込んで草木の中に飛び込むと、そのままどこかに走って消えて行ってしまった。
 


 僕はその場にへたり込んだまま腰を動かせなかった。立ち上がって縁側から出ることもままならない。普通の射精とは根本的に違うみたいで、体力と気力をごっそりと持っていかれた感覚だった。

 
 顔を両手で覆う。恥ずかしさの極みだった。
僕はどうしようもない愚か者だ。遅すぎる後悔が頭にのしかかる。
僕自身が部外者だとか、そんなことはどうでもいい話だったのだ。

 食欲と性欲は関係性があると聞いたことはある。だが、それは全く同じものだということではない。

 タガネがこの状況を、生きるために痴女のように乱れ、腰をくねらせて、男に男性の精をペットの餌みたいにもらわなければいけないという自分自身を好意的に思っているとでも思ったのか。
 
 「生きるために痴態をさらし続けなければならないということ」が普通の人間にだって辛いことだというのに。

 それこそが大切なはずだったのに、僕はその気持ちを微塵も考えなかった。あの涙一粒も流せない乾いた泣き顔を見て、ようやく少しだけ分かったのだ。
 

 僕は自分の右手で右頬を殴りつける。目の下の骨の部分から脳に衝撃が伝わった。

 「もっと力を込めろよ。バカやろう…」

 頭ではそう指令を出しているものの、右手は自身の身体の可愛さゆえに力を込めようとしない。本当に情けなかった。


 僕は知った。彼女の境遇を。彼女の魔物の本当の姿を。


知ったから、なんだというのか。

 なんの気持ちも汲んでやれなかった、何もしてやれかったことに変わりはないじゃないか。

縁側の外のそよ風はいつの間にか止んでいた。














15/05/31 23:49更新 / とげまる
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■作者メッセージ
 ようやく書きたいシーンがかけました。ここまで長かった…。
ちょっと詰め込みすぎ感あるけど、一万字超えなんて初めてなので謎の達成感。

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