連載小説
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楓香
人が死んだら、その人はどこへ行くのだろう。

 やはり跡形もなく消えてしまうのだろうか。それとも天国だとかあの世だとか、そういった次の段階に向かうのだろうか。
もしも死んだ人のその意識が、人格が、消えずにこの世に留まっているのだとしたら、それは一体誰なのだろか。それは本当にその人だといえるのだろうか。

 中学生の頃、そんなことをふと思った。たしかその時は「自分の将来の夢について」という作文を書かされていた。
 
 その作文は苦行でしかなかった。 
年季の入った教室の隅で自分の未来に行く末を考えていると、なんだか背中の辺りがヒヤリとしてきて不安になったのを覚えている。

 スポーツ選手、サラリーマン、家業を継ぐ、作家、タレント、あるいは専業主夫。

 僕もそんな皆の考えるありきたりな「夢」とやらを人並みに考えてはみた。
けど、どれもこれも「この先の人生、ずっとやっていきたいか?」と聞かれたら間違いなく「NO」だった。
 当時の僕は学校では浮いていて別段仲のいい人もいなかったから、他の人の具体的な「夢」を聞く機会もなかった。
 誰と話すわけでもなく、誰と笑うわけでもなく、誰と悲しむわけでもなく。
ただ朝起きたから学校に行って夜になったから寝る、そして将来について考えろと言われたから考えていただけだった。

「早くこの中学を卒業したい」

 受け身になって、流されていくだけの日々。ある程度考えてみたものの、そんな風に過ごしてきた僕の唯一の望みと呼べるものは、ただそれだけだった。

 今にして思うと、それは「中学生の僕」が存在することが嫌だったのかもしれない。自分がこの賑わう教室に存在する事実に納得がいかなくて、自分が見ている景色はTV中継のように違う土地の出来事で、僕はきっと遠いどこかの部屋の中で一人閉じこもり、それを見ているだけのかもしれない。

僕はきっと、ここにいる人間ではない。

 それはきっと、よくある「死にたい」という感情と大差のないものだったのだろうなとも思えた。


 では今は、高校生になった今はどうなのだろう?

 あの頃の「中学生だった僕」は死んだのだろうか。
たった一人きりで、過ぎていった時間の喪失を憂いながら桜の道をくぐった中学の卒業式。
 あの時、自分の中の「中学生」という時間が死んだのを感じた。

 目の奥の一人ぼっちの部屋にいる僕は相変わらず、あのどこにあるかもわからない部屋から出てこない。外への出方が結局分からないまま、僕の意識はただ時間が流れているのを眺めているだけだった。本当に部屋にいるかもわからないのだから、ドアの存在に気付くことができないのは、考えてみれば当たり前だった。

 中学生の僕があの日に死んだ。でも部屋の中の僕はまだこうして意識を持っている。

だとしたら、今ここにいるのは、一体誰なのだろうか。




―――――


「……お待ちのお客様にご案内申し上げます。本日、9時発、親潟港行きの……」

 ローカルめいた案内音とともに、クリーム色のロビーに響き渡った女性のアナウンスが僕の意識を眠気から覚ます。昨日は熟睡できなかったので頭がまだぼんやりとしていて瞼が上手く開かない。

 「継、お父さん、そろそろ行くよー」

 既に立ち上がってお土産屋を回っていたのか、両手にビニール袋をぶら下げた母さんが声をかけてくる。明らかに3人分のお菓子の量ではない。

「なんでもうお土産買ってんだよ。」
 傍に立っている父さんが、訝しそうに尋ねる。
僕も同意だ。遊びに行くわけではない。

「お土産じゃないわよー。手ぶらで会うわけにもいかないから、お土産屋で普通のお菓子探すの割と大変なのよ?」

「いや、みんな子供じゃねぇんだからよ…」

「いいのーお茶請けは必要なのー私が食べるのー」

「あー、わかったわかった…」
 子供みたいにむくれる母さんに呆れ気味な父さんを尻目に、僕は辺りのロビーを見まわす。手元の携帯電話はまだ8時半を指している。

 あの人は、来ていない。いや、早く来たところでどうというわけではないけれど。

 船乗り場のロビーにいるのは家族連れか団体のお客がほとんどだった。大方、島にいる高齢者の子供の里帰り、といった感じだろう。
 船乗り場と言っても、規模は大きい。どちらかというと電車の駅の構内のような雰囲気に近い。最近では電子パスも使えるようになって田舎にしてはかなりハイカラだ。

 僕は大きな欠伸を一つすると、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
プラスチックの硬い椅子は実に座り心地が悪く、疲れが取れた気がしなかった。
 いや違う、疲れは椅子のせいではない。昨日タガネが去ってから、僕はただでさえ体力を消費した上に、悶々とした後悔と自己嫌悪を抱いたままろくに眠れていなかったのだ。
 タガネを任されたと無駄に張り切って何かをしようと思ったまま、結局彼女の唾液の力に負かされて、ただ傷つけて終わってしまった。
 彼女が魔物であるという事実を僕は事実としてしか理解していなかった。魔物として生きていくということがどれだけのことなのかを僕は知らなかった。


僕はいったい何を知らなかったんだろう?

 精を糧にしているとは聞いていたが、それ以外のものは食べられるのだろうか。野菜、肉、米、パン、水、どれなら摂取できるのだろうか。
 
 きっと、何も摂取できないのだろう。そもそも死体なのだ。普通の方法ではエネルギーをとれないだろう。そうでなければ、わざわざこんなことにはなっていない。
 そして、精の摂取を一年は我慢できると彼女はいっていた。でも、普段は山に籠っていたり僕に近づくだけでああも乱れてしまう様子からして、普段から食事以外で人とはあまりまともに接することはできないのかもしれない。
 
 ましてや昨日の僕のように、家族とテーブルを囲んで一緒にご飯を食べるなんてことは彼女には夢のまた夢だ。死んでいる彼女にはあの空間はもう手に入らないし、必要ないものなのだ。きっと生きている時は普通にできていたはずのことなのに。

できるのは男性から精を奪うだけ、まるで寄生生物のようだ。

 彼女はそんな自分をどう思っているだろうか。生前とは全く違う存在になってしまった自分を本当に受け入れているのだろうか。
 食事一つをとってもこれだけのことが浮かんでくる。彼女の日常をすべて知ったとしたら、それでも僕は安易に彼女を助けたいなんて思えるのか、正直自信はない。

 そんなこともわからずに、人間をやめた者の気持ちを汲み取らずに、どうして助けてやれると思ったのか。思い出すだけで自分に腹が立つ。

 昨日、母親に言われてわずらしかった今日の急用のことも、今だけはありがたいと思えた。もっとも詳細は朝方もう一度聞いたのだけども。

「あ、保存会の皆が動いた。行くよ継」

「…うん。」

 言われるがまま、僕は母さんの後ろをついていく。
母さんからお菓子の袋を受け取ると、僕らは乗船ゲートへと歩き出す。

 奥の方にいる20名ほどの団体、彼らは鬼太鼓と呼ばれる島の伝統文化を行う団体だ。毎回こうして「伝統文化の保存」のために色々な施設に出向いては演武を披露しているのだ。
 母さんは元々この保存会の出身だった。若い頃から僕が小さい頃までは、こうやって保存会の後をついていって演舞の手伝いをしたり、たまに舞ったりしていたらしい。
 その腕前は、本当は人前で舞うのは男性だけらしいが、母さんだけは特別に許されていたほどのものだという。

 だが、僕は彼らとはあまり関わりたくなかった。
別に鬼太鼓が嫌いなわけではない。むしろうまい人は本当にかっこいいので、魅力的だとすら思う。
 問題なのは、保存会にいる人物だ。おそらく今日も来ているかもしれない。

 その人とは正直、会いたくなかった。どういう顔をして会えばわからなかったからだ。仲は良かったはずなのに、あの出来事以来一緒にいるの辛くなった。小学校のときにはその気まずさが限界になり、とうとう母さんに「もう行きたくない」と泣きついてしまったくらいだ。母さんも困り果てたのち、了承してくれた。それから母さんと父さんは時々この会には顔を出してはいたが、僕はこの保存会の活動にかかわることはなかった。

 それから10年ほどは、全くその人に会っていなかった。
いつしか、その人のことは記憶の隅に沈んでいって、その詳細を思い出すことはなくなっていた。昨日タガネに襲われるまでは。

 だから、僕にとっては今回は本当に久しぶりなのだ。

 改札のゲートが近づくと、同時に保存会のメンバーたちとの距離も縮まった。昔、何度か見た顔もあったが大して言葉を交わしたことはなかった。
どちらかというと、あの人と一緒にいる時間の方が長かったせいだろう。 

「…お久しぶり、継」

「…うん、久しぶり…楓香」

 保存会の集団の隅から聞こえてきた聞き覚えのある声に、僕は無表情に返事を返す。
背は伸びたものの、雰囲気は昔とほとんど変わらない。すぐに彼女だと気づいた。ブロンドの髪に透き通る青い瞳、どこか異国めいた容姿は昔から僕の目を引き付ける何かを放っていた。

彼女はその青い眼でじっと僕を見据えたたまま少しだけ吐息を漏らす。
 
 彼女は糸井楓香(ふうか)、保存会の親族で僕と同い年の高校生である。



幼稚園の時、僕に性的暴行をくわえたあの少女だった人だ。
 

15/06/21 11:42更新 / とげまる
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■作者メッセージ
短めですがここにきてようやくヒロイン登場。
ここから大分話が変わっていく予定です。

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