連載小説
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→先輩と一年
 彼女の前で、見栄を張りたかった。
 だけどそれは、同時に彼女を苦しめていた。

 魔物娘と恋人になった男性は、ほぼ確実にその魔物娘と婚姻する。
 道徳観念とかそういう本能とかだけじゃなくて、法律的にもそうなっている。
 恋人のために身体を作り変える魔物娘は、この人と決めてしまえばそれから意思が変わることはあり得ない。そのため、男性はその魔物娘と婚姻する責務を負う。砕けて言うとこうだ。
 異種族である魔物娘と共存するにあたって、法律という社会の取り決めはいくつも存在する。これはその中でも初歩的なもので、だけど俺や先輩のような学生には大きな問題となる。若いうちに婚約相手がいるのはいいことだけど、それにしても個々人に夢があったりするもので。

 先輩はきっと、「それでも構わないよ」と優しく微笑んでくれる。
 だけど、「自分の店を持ってみたい」という俺の願いは、彼女に我慢を強いることになる夢だ。
 俺は先輩のことを誰よりも好いている。だからこそ、先輩との一線を保っていた。
 彼女なら俺よりも良い人と出会うだろう。そんな人と幸せになってくれればそれでいい。
 初恋は実らない、なんて言葉もあるんだ。俺は俺の夢を叶えることに尽力すればよかった。
 それがたぶん、二人にとって最良の未来。



 ――――――そんなわけあるか。
 俺の理性は俺の感情と彼女の願いによって打ち砕かれた。

「俺に先輩をください。いつまでも一緒にいてください。恋人だけとか、結婚がゴールとかじゃなくて、俺は一生を先輩の隣で過ごしたいです」

 先輩は、彼女は言葉を失っていた。
 共に過ごしてきた二年間で、一度も見たことがなかった彼女の泣き顔。
 俺が頑なに夢だけを追いかける以上、見せてはいけない表情だった。
 今は違う。両方とも、だ。

 「自分の店を持つ」。「先輩を幸せにする」。
 両方ともを背負う覚悟が、ようやく決まった。

 深呼吸して、先輩から目を逸らさずに、今まで言えなかったことを伝える。
 一言ずつ、確実に。これまで紡いできた二人の縁を、あやふやな過去にしないために。

「愛してます、先輩。俺を、あなたの夫にしてください」

 告げる。
 覆ることのない思いの証明。
 彼女が毎日でも毎時でも毎分でも毎秒でも待ち望んでいた、シンプルなプロポーズを。

 そうして放った気持ちが先輩へと染み込んで、眦から雫が落下する。
 最初は静かに。けれどすぐに、ぼたりぼたりと流れ始めた涙が彼女の膝を濡らしていく。

「……遅いよ。どうしてもっと、もっと……」

 嗚咽混じりに震える声。糾弾と、怒り。

「私は、さっきまで、私……きみと、二度と会わないつもりだったのに」

 花嫁修業、なんてのは嘘でしかなかった。
 彼女は俺から身を引く気だった。だけどそれを、先輩は言葉にしたくなかった。
 ああ、遅すぎた。俺だって、彼女の考えることはわかっていたのに。
 先輩はずっと前から覚悟を決めていて、その上で俺からの言葉を待っていたのに。

「きみのことを、忘れてしまうつもりだったのに……!」

 際限なく溢れていく、彼女の苦しみと悲しみ。
 今まで堪え続けていたものが壊れて、先輩の頬に筋を引いていく。

「ごめんなさい、先輩。遅れました」
「弱虫!意気地なし!童貞!三擦り半!本当に、大馬鹿……!」

 最後の最後で覚悟を決めるのは、弱虫でしかない。
 先輩の額が俺の胸を打ち、縋り付いてくる。ワイシャツを涙が濡らしていく。
 下せなかった決断の重みと、これから支えていく重み。
 そんなものは、先輩のいない調理室の夕焼けに比べれば軽い。
 馬鹿だった。今更気づくなんて。

「私はきみを許さないからな……今後、一生、ずっと。死ぬまで、死んでも、きみを許さない」
「はい。許してもらう気だって、ありませんから」
「いい度胸だな……腰抜けのくせに。かっこつけて夢に生きるなんて硬派気取って、なのに私と別れることなんてできなくて、へっぴり腰で迷いまくってたくせに……」

 互いのことは、互いによく知っていた。
 先輩だって、俺の夢を応援するふりをして俺からの言葉を待っていた。あるいは自分から言ってしまおうかと迷ってさえいた。二人ともが一歩を踏み出せなくて、間に引かれた一線は今日ここまで生きてしまっていた。誰にも言い訳ができない。往生際が悪かった。

「……後悔しても、もうダメだぞ。どんなに逃げたとしても、冥界の底まで追いかけてやる」
「後悔しません。逃げません。先輩を幸せにするって、決めましたから」

 先輩は顔を上げ、俺を見上げる。
 涙で泣き腫らした赤い顔。その瞳には、拭い去ったあとの光が満ちていた。
 嬉しい。恋しい。愛おしい。そういった、心からの光。

「……いいだろう。それなら、答えてやるさ……不束者ですが、とね」

 その笑顔は、世界の何よりも美しかった。







「そういえば、後輩」
「なんですか?」
「私、来年度も通うからな。新学期で驚くなよ」
「は?…………はあああああ?!」

 わけのわからんこと言い出したぞこいつ!

「知らないのか?卒業生は春休み中に申請することでもう一年在学できるぞ」
「なんですかそれ!そんなん知りませんよ、ってかなんでですか!」
「そりゃ、きみと過ごしたいからに決まってるだろう。勉強させられるのは不服だがね」
「在学するんだから当たり前じゃないですか……。確認しますけど、マジなんですよね」

 俺の疑いに頷いた先輩は、懐から一枚の紙を取り出した。おいどこから出てきた。谷間か。

「在学届、ってやつだ。これ、年の差があるカップルにだけ渡されるんだよ」
「……うわ。うわ、うわうわ……本当にそんな感じのこと書いてある……しかもこれもう既に校長のハンコ捺されてませんか?名前書くだけで受理されるんじゃ」
「そう。基本的には提出されるものだから、いちいち校長が捺印するのも手間だろう」

 呆れる。呆れ返るしかない。
 しっかりした文書なのが腹立つ。紛失しても担任に言えばもう一枚くれるらしい。

「ま、私たち魔物娘ならではってところだな。よそじゃこんな荒技できまい」
「するやつもいないですよ、普通……先輩の口ぶりだと、もしかして他にも同じことする人いっぱいいるんですか?」
「私の友人にこの制度を利用してる奴がいる。彼女の場合は彼女自身ではなく、相手の方だったがね。なんでも、機械工作部は彼女の先輩が今年もいたおかげで文化祭でかなり張り切ったことができたとか。見てないが」
「友人なら見に行ってやればよかったでしょうに……」
「機械でアヘ顔してる友人なんか見たくないだろう……」

 もしかしてこの学校頭おかしいんじゃないか?

「はぁ……まあ、理解しました。クラスも同じになるみたいですね」
「そういうことで、来年も付き合ってもらうぞ。修学旅行も一緒だ。死ぬほど楽しみだな」
「なんか、修学旅行って聞いただけでどっと疲れが押し寄せてきたんですが……」

 呆れるけれど、嬉しいことには変わりなかった。
 より近い距離、より深い関係で、もう一度。

「……先輩。よろしくお願いします」
「ふふふ……私に任せておけ。きみの思い出を、最高の宝物にしてやるさ」

 今度こそ最後の、先輩と一年。
 どんなワインよりも価値あるものになりそうだ。




先輩と一年 了
16/12/31 07:01更新 / 鍵山白煙
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