先輩と攻守
「今日は真面目な話をしようと思う」
部室に入ってきた先輩が開口一番に宣言したのは、最も先輩に似合わない言葉だった。
「どうしたんですか、いきなり」
「……なんだかすごく失礼なことを考えている顔だが、まあいい」
ビニール袋を片手に下げていつもの席まで歩き、昼食のパンを机に並べる先輩。
この人いっつも小麦粉食べてるな……。
「真面目な話というのも、そろそろ文化祭があるだろう。出し物のことだ」
「ああ、そういえばそうでしたね。すっかり忘れてました」
「夏も終わって、次に楽しいことと言えば文化祭だ。今年も遊び尽くしたいな」
去年は先輩に連れ回されたけど、今年はもうちょっとこっちがリードできるかも。
この一年で大分進歩したし、先輩にとっても最後の文化祭なんだから楽しくしたい。
「で、出し物だ」
「出し物、ですか」
「うん。料理部と銘打っている以上はここで本領発揮と行きたいところなんだが、なにしろウチは部員が少ない。教室を使って模擬店、とするには人手が足りないわけだ」
「なるほど……」
十一人だけでもなんとかなるといえばなんとかなるだろうけど、それこそフル回転となるだろう。他の部員はみんな彼氏持ちの魔物娘なんだから、こっちに縛られて遊べないのは良くない。
というのを、先輩も危惧しているんだろう、と思っていたんだけど。
「……ふふ、甘いな後輩。それは違う」
「え、なにがですか?」
「私たち魔物娘というのはね、恋人さえいるのであれば、例え炎の中や水の中、草の中であっても幸せなんだ。そう……例えフル回転の模擬店だとしてもね」
「……まさか」
「うん、ご明察だ。人手が足りないなら呼べばいい。――ウチの部員の彼氏どもを全員呼べば、人手が一度に九人増える!どうかな、この名案!」
先輩がガッツポーズしながらキラキラとしたドヤ顔でこっちを見てくる。
「確かに完璧な作戦ですね。恋人さんたちの人権を無視するならね」
「そこはこう、部員たちのハニートラップでなんとかしてもらうさ」
「そもそも部員みんなオッケーって言いますかね……?」
「それも、どうにかして説得するさ。最悪の場合は実家の酒を忍ばせてだな」
「賄賂じゃないですか……」
しかも先輩の実家のお酒って、陶酔の果実とかの魔界酒だ。たちが悪い。
「それと、さすがに休憩時間は用意するつもりだ。二人ずつ持ち回りで休憩の時間を設定して、その間にデートしててもらう。戻ってきたらキリキリ働いてもらおう」
「人使いが荒すぎる……」
「独り身だからって勝手に私を部長に祭り上げるほうが悪い。権限パワーを見せる時だ」
力強くパンの袋を開ける先輩。怨念こもり過ぎでは。
☆
放課後のミーティングはそこそこ上手くまとまった。
調理室全体を使って、軽食のある喫茶店風味。パーテーションで厨房を作る。
ガッツリとした料理は必要ないってことに。去年は食べ物系の屋台が多かったからなぁ。
あとは概ねが先輩の言っていた通りになった。
「九本……九本もか……どうやって親に言い訳すれば……」
当然、先輩の言い包めは失敗したので賄賂に頼ることになったわけだけど。
先輩が普段飲んでる魔界酒が高いものだと初めて知った。全員に言い寄られていた時の先輩の苦々しい表情は、正直言ってとてつもなく可愛かったです。
ただ、その後の展開でこっちが苦々しい表情をすることになった。
「先輩」
「なにかな。慰めて」
「そうじゃなくて、マジでやるんですか俺」
「ああ……決まったことだから。きみは顔も悪くないし問題ないだろう、女装の一つくらい」
その理屈はおかしい。
せっかくだから安直にメイド喫茶やるかー、って先輩の投げやりな提案にみんなが頷いちゃって、でも一人だけ男だけどどうするの、という話になり、あとはもうお察しください。
齢十七の秋、美人の魔物娘どもに囲まれながらメイドの女装コスプレをさせられる男子高校生。これほど人生の役に立たない貴重な体験はないんじゃないだろうか。現代の公開処刑はここまで残酷らしいな。今から憂鬱になってきた。
「心配するな。私がしっかり化粧を施して、きみを抜群の美少女に仕立てあげるから」
「本当に勘弁して下さい。不登校になりますよ」
「誰にもきみだと気づけないようにするつもりだよ。大船に乗った気持ちでいるといい」
「不安しかねえ……」
椅子に身体を投げ出して天井を仰ぐ。
こつこつ、と先輩が歩み寄ってきて、こっちの膝に対して横向きに腰を下ろした。
「普段からきみは乙女のようなものじゃないか。私が近くにいるだけでドキドキしたり、私に微笑まれると目を逸らしたりしていた時期もあったんだし」
「一年の頃の話でしょう……しかも本当に最初の頃の」
「きみがどんどん私に慣れていくのは、少し寂しい心持ちだったな。今ではこれだけ近寄っても平然としてるし、悔しいとさえ思ってしまうよ」
くしゃ、と先輩が俺の頭を撫でてくる。視線を先輩に戻す。
「それに、女装なんて減るものじゃないんだから。ワインは減るけどもね……」
「……不幸自慢みたいな流れになるんで止めましょう、この話」
二人とも暗い顔して話すのは不毛だ。……女装するとなると毛も剃らないといけないのか。
「なあ、後輩。一つ思ったんだ」
「なんですか?」
「私が立案しといてなんだが、メイドってなにが良いんだ?」
「……過激派に聞かれたら殺されそうなことをさらりと言いましたね」
「過激派とかいるのか、メイド属性って……」
メイドの良さか。自分はまあ、主食にするほどではないけれども悪くない、くらいの捉え方でメイドという属性を見ていたけど、実際に良さを考えたことはなかったな。
「うーん……どうなんでしょう。信頼関係とかですかね」
「信頼関係というと、やっぱり主従か」
「ですね。俺個人の意見ですけど、人に何かをしてあげるのって気分が良いんですよ。もちろんありがた迷惑だって思われないようにしなきゃなんですが、何かをしてあげてそれを褒められるのって素晴らしいことですから」
「ああ、なるほど。確かに後輩は従者って感じがあるな。いつも美味しいお菓子を作ってくれてありがとう。また相合傘もしようじゃないか」
「……墓穴を掘ったつもりは一切なかったんですが」
顔が熱い。
「とにかく、メイド側はそういう理屈で通るんじゃないかと思うんですよ。んで、そのメイドを使う主人側は……うーん。なんだろ、奉仕されたい欲とか?」
「それはつまり、夜の……」
「そうでしょうね。それも含めて」
「ふむ。後輩は命令するよりも襲われる方が好きだろうからな、憶測にもなるか」
「……どうしてそうなるんですか」
「きみの普段の素振りを見るに、自分から襲うのはそこまで好きではなさそうなんだよ。きみはいつでも私の行動に受動的で、確かにメイドを好きになったりはしなさそうだ。やっぱりメイド服がお似合いなんじゃないかな」
反論できないのがまずい。動揺して身体が揺れる。
「落ち着け。心配せずとも、私だってガン攻めするようなタイプじゃないさ」
「いつもガンガン来てるじゃないですか、先輩」
「それでも大人しい方だろう。出会って数秒で即合体するようなのに比べれば」
「比較対象が極端すぎる……」
「だから、私は至って普通だよ」
そう言いながら、先輩の両腕が俺の首の後ろに周りこんで。
「ちょ、いきなり……」
「恋愛関係にしても、普通どころか慎重すぎるくらいだ。それもこれも――」
顔が近づく。先輩の瞳に釘付けになる。その奥には、優しい光。
そうして、唇が重なり合う。互いの思いが通じるような、小さく深い接触。
二秒か三秒ほどすると、ゆっくりと離れていく。満足そうに微笑む彼女。
相手への想いは、俺も彼女も同じ。
「――恋人であるきみを、大切にしたくなってしまうのが悪いんだよ」
部室に入ってきた先輩が開口一番に宣言したのは、最も先輩に似合わない言葉だった。
「どうしたんですか、いきなり」
「……なんだかすごく失礼なことを考えている顔だが、まあいい」
ビニール袋を片手に下げていつもの席まで歩き、昼食のパンを机に並べる先輩。
この人いっつも小麦粉食べてるな……。
「真面目な話というのも、そろそろ文化祭があるだろう。出し物のことだ」
「ああ、そういえばそうでしたね。すっかり忘れてました」
「夏も終わって、次に楽しいことと言えば文化祭だ。今年も遊び尽くしたいな」
去年は先輩に連れ回されたけど、今年はもうちょっとこっちがリードできるかも。
この一年で大分進歩したし、先輩にとっても最後の文化祭なんだから楽しくしたい。
「で、出し物だ」
「出し物、ですか」
「うん。料理部と銘打っている以上はここで本領発揮と行きたいところなんだが、なにしろウチは部員が少ない。教室を使って模擬店、とするには人手が足りないわけだ」
「なるほど……」
十一人だけでもなんとかなるといえばなんとかなるだろうけど、それこそフル回転となるだろう。他の部員はみんな彼氏持ちの魔物娘なんだから、こっちに縛られて遊べないのは良くない。
というのを、先輩も危惧しているんだろう、と思っていたんだけど。
「……ふふ、甘いな後輩。それは違う」
「え、なにがですか?」
「私たち魔物娘というのはね、恋人さえいるのであれば、例え炎の中や水の中、草の中であっても幸せなんだ。そう……例えフル回転の模擬店だとしてもね」
「……まさか」
「うん、ご明察だ。人手が足りないなら呼べばいい。――ウチの部員の彼氏どもを全員呼べば、人手が一度に九人増える!どうかな、この名案!」
先輩がガッツポーズしながらキラキラとしたドヤ顔でこっちを見てくる。
「確かに完璧な作戦ですね。恋人さんたちの人権を無視するならね」
「そこはこう、部員たちのハニートラップでなんとかしてもらうさ」
「そもそも部員みんなオッケーって言いますかね……?」
「それも、どうにかして説得するさ。最悪の場合は実家の酒を忍ばせてだな」
「賄賂じゃないですか……」
しかも先輩の実家のお酒って、陶酔の果実とかの魔界酒だ。たちが悪い。
「それと、さすがに休憩時間は用意するつもりだ。二人ずつ持ち回りで休憩の時間を設定して、その間にデートしててもらう。戻ってきたらキリキリ働いてもらおう」
「人使いが荒すぎる……」
「独り身だからって勝手に私を部長に祭り上げるほうが悪い。権限パワーを見せる時だ」
力強くパンの袋を開ける先輩。怨念こもり過ぎでは。
☆
放課後のミーティングはそこそこ上手くまとまった。
調理室全体を使って、軽食のある喫茶店風味。パーテーションで厨房を作る。
ガッツリとした料理は必要ないってことに。去年は食べ物系の屋台が多かったからなぁ。
あとは概ねが先輩の言っていた通りになった。
「九本……九本もか……どうやって親に言い訳すれば……」
当然、先輩の言い包めは失敗したので賄賂に頼ることになったわけだけど。
先輩が普段飲んでる魔界酒が高いものだと初めて知った。全員に言い寄られていた時の先輩の苦々しい表情は、正直言ってとてつもなく可愛かったです。
ただ、その後の展開でこっちが苦々しい表情をすることになった。
「先輩」
「なにかな。慰めて」
「そうじゃなくて、マジでやるんですか俺」
「ああ……決まったことだから。きみは顔も悪くないし問題ないだろう、女装の一つくらい」
その理屈はおかしい。
せっかくだから安直にメイド喫茶やるかー、って先輩の投げやりな提案にみんなが頷いちゃって、でも一人だけ男だけどどうするの、という話になり、あとはもうお察しください。
齢十七の秋、美人の魔物娘どもに囲まれながらメイドの女装コスプレをさせられる男子高校生。これほど人生の役に立たない貴重な体験はないんじゃないだろうか。現代の公開処刑はここまで残酷らしいな。今から憂鬱になってきた。
「心配するな。私がしっかり化粧を施して、きみを抜群の美少女に仕立てあげるから」
「本当に勘弁して下さい。不登校になりますよ」
「誰にもきみだと気づけないようにするつもりだよ。大船に乗った気持ちでいるといい」
「不安しかねえ……」
椅子に身体を投げ出して天井を仰ぐ。
こつこつ、と先輩が歩み寄ってきて、こっちの膝に対して横向きに腰を下ろした。
「普段からきみは乙女のようなものじゃないか。私が近くにいるだけでドキドキしたり、私に微笑まれると目を逸らしたりしていた時期もあったんだし」
「一年の頃の話でしょう……しかも本当に最初の頃の」
「きみがどんどん私に慣れていくのは、少し寂しい心持ちだったな。今ではこれだけ近寄っても平然としてるし、悔しいとさえ思ってしまうよ」
くしゃ、と先輩が俺の頭を撫でてくる。視線を先輩に戻す。
「それに、女装なんて減るものじゃないんだから。ワインは減るけどもね……」
「……不幸自慢みたいな流れになるんで止めましょう、この話」
二人とも暗い顔して話すのは不毛だ。……女装するとなると毛も剃らないといけないのか。
「なあ、後輩。一つ思ったんだ」
「なんですか?」
「私が立案しといてなんだが、メイドってなにが良いんだ?」
「……過激派に聞かれたら殺されそうなことをさらりと言いましたね」
「過激派とかいるのか、メイド属性って……」
メイドの良さか。自分はまあ、主食にするほどではないけれども悪くない、くらいの捉え方でメイドという属性を見ていたけど、実際に良さを考えたことはなかったな。
「うーん……どうなんでしょう。信頼関係とかですかね」
「信頼関係というと、やっぱり主従か」
「ですね。俺個人の意見ですけど、人に何かをしてあげるのって気分が良いんですよ。もちろんありがた迷惑だって思われないようにしなきゃなんですが、何かをしてあげてそれを褒められるのって素晴らしいことですから」
「ああ、なるほど。確かに後輩は従者って感じがあるな。いつも美味しいお菓子を作ってくれてありがとう。また相合傘もしようじゃないか」
「……墓穴を掘ったつもりは一切なかったんですが」
顔が熱い。
「とにかく、メイド側はそういう理屈で通るんじゃないかと思うんですよ。んで、そのメイドを使う主人側は……うーん。なんだろ、奉仕されたい欲とか?」
「それはつまり、夜の……」
「そうでしょうね。それも含めて」
「ふむ。後輩は命令するよりも襲われる方が好きだろうからな、憶測にもなるか」
「……どうしてそうなるんですか」
「きみの普段の素振りを見るに、自分から襲うのはそこまで好きではなさそうなんだよ。きみはいつでも私の行動に受動的で、確かにメイドを好きになったりはしなさそうだ。やっぱりメイド服がお似合いなんじゃないかな」
反論できないのがまずい。動揺して身体が揺れる。
「落ち着け。心配せずとも、私だってガン攻めするようなタイプじゃないさ」
「いつもガンガン来てるじゃないですか、先輩」
「それでも大人しい方だろう。出会って数秒で即合体するようなのに比べれば」
「比較対象が極端すぎる……」
「だから、私は至って普通だよ」
そう言いながら、先輩の両腕が俺の首の後ろに周りこんで。
「ちょ、いきなり……」
「恋愛関係にしても、普通どころか慎重すぎるくらいだ。それもこれも――」
顔が近づく。先輩の瞳に釘付けになる。その奥には、優しい光。
そうして、唇が重なり合う。互いの思いが通じるような、小さく深い接触。
二秒か三秒ほどすると、ゆっくりと離れていく。満足そうに微笑む彼女。
相手への想いは、俺も彼女も同じ。
「――恋人であるきみを、大切にしたくなってしまうのが悪いんだよ」
16/09/30 20:01更新 / 鍵山白煙
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