連載小説
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先輩と入梅
 普段の通学路だったらカップルたちは元気にいちゃついてるんだけれど、さすがに梅雨の時期に入るとなると、落ち着いていちゃつくものらしい。
 六月になって、毎年恒例の梅雨前線が発達してやってきたのが今日のことだった。
 傘を差す手を入れ替えつつ、周りに倣ってゆっくりと歩いていく。

「後輩」
「ん……ああ、先輩。おはようございます」
「おはよう。よく眠れたかな」

 後ろから声をかけられ振り返ると、先輩が傘の下で微笑んでいた。普段はぼさぼさした先輩の尻尾も、湿気を含んでしんなりしてる。

「ぐっすりでした。夢は見なかったんですけどね」
「私の夢を見てほしいところだな。間違ってもナイトメアとかに襲われるなよ」
「誰も来やしませんって」
「どうかな。私がナイトメアだったら真っ先に押しかけるぞ、きみの夢に」
「先輩がナイトメアだったら御しやすそうなんですけどね」
「どういう意味だ……」

 先輩が不満気な目線で訴えてくるのを黙殺する。本音を言っただけなので。
 こうして肩を並べて歩いていると、やっぱり先輩は人間とは違うんだな、と改めて確認させられる。頭には立派な角が生えているし、足は獣で、足音がかぽかぽという蹄のものだ。

「……横目でちらちら見られても、私はストリップするしかできないんだが」
「どこに脱ぐ必要があるんですか」
「だって、きみがいやらしい目で見てくるから……」
「人を変態みたいに言わないでくださいよ。思うところがあっただけです」
「告白ならいつでも受け付けているよ。気軽にプロポーズしてくれ、ふふふ」
「う、……はいはい」

 ぱち、とウインクして笑う先輩。自然体でこういう仕草するんだもんな。
 心臓が跳ねたのを、傘を持ち直すことで誤魔化す。そうして空いた片手が引っ張られる。

「うわっ」
「もっとも、他人からすればカップルと見られてるだろうがね」

 俺の傘に無理やり分け入って、肩を寄せて微笑む先輩。相合傘。

「……あの」
「あーあ、傘が壊れてしまったな。これはもう先輩命令できみの傘に入れてもらうしかない」
「めちゃくちゃスムーズに傘畳んでるじゃないですか……」
「きみも構わないだろう。やけに大きいな、と思ったんだがね。ふふ」
「……ほっといてください」

 はあ、とため息が出る。俺がこの傘を買った時の判断に対して、だ。
 どうしてこう、先輩は期待通りのことをするのか。先輩と相合傘したいなと思って買った一回り大きいサイズの傘は、ともすれば唐傘お化けになるかもな、と思った。





「年をとると、興味が胸から尻に行く、という言説を耳にするんだが」

 どうでもいいことだが、先輩は今日もノーブラだった。汗でうっすらと地肌が透けているのが目に悪くて下を向いて、結果的に弁当を食べるのが捗って仕方ない。

「触って楽しむ胸よりも、快楽に直結している接合部を重視するようになっていく、という興味の移り変わりなのかな」
「知らないですよ……俺はまだ若いので」
「だが、きみは私の胸も尻も好きなようじゃないか」

 顔を逸らす。

「そう恥ずかしがるな。ああ、どちらかというと尻よりも尻尾なのか?」
「……感情が出てるんですもん、先輩の尻尾」
「ああ……んー、どうしても目が行くというなら仕方ないとは思うけどもな」

 先輩が言葉を濁してるのを不思議に思い、顔を上げて先輩の方を見ると、顎に手をやりながら頬を赤くさせていた。困った表情。

「えと、デリカシーなかったですかね」
「うーん……いや、そういうわけではないんだ。尻尾がある種族はどうしても感情がそっちに出てしまうものだから、ある種の宿命というか……」
「でも、恥ずかしいんですよね」
「うう……だって、無意識に動いてしまうんだもの。きみが嬉しいことを言ってくれたりしたら、どうしても尻尾が暴れるし……」

 乙女のように身を捩って恥ずかしがる先輩、めちゃくちゃレアだ。
 しかし、やっぱりアレは無意識だったんだな。あの尻尾にいつもの先輩らしさはない。

「きみだって、運動後の私に抱きつかれたり私のおっぱいに触ったら勃起するだろう。ああいう感じだよ、尻尾ってのは」
「……大変ですね」
「大変だよ」

 くそ、とってもわかりやすい例だった。それはしょうがない。

「それに、私はサテュロスだぞ。すべてをさらけ出すのが主義だ。いくらきみが尻尾を見たって、それも私の一つなんだから、隠すつもりはない」
「じゃあ、ずーっと先輩の尻尾見ていていいですか」
「……待った。きみは尻尾にフェチを感じるのか」
「そういうわけじゃないですけど、尻尾の動きって可愛いじゃないですか」
「く、喜んでいいのか怒っていいのかわからん……複雑だな……」

 額を手で抑えて唸る先輩。ああ、今日も弁当が美味しいと感じられる。

「そもそもだな。きみが私の尻尾を見ていると、私はきみの顔を見れないだろう」
「別にいいじゃないですか」
「良くない。不公平だ。私だってきみの可愛いところを見つめていたいんだぞ」
「いつもそうしてると思うんですけど……」
「それこそ、いつまでもそうしていられるからな。一年中ずっとだっていい」
「不公平じゃないですか」

 ずい、と先輩が机に身を乗り出して、両腕を胸の下で組む。
 支えられることで必然的に強調される、先輩の大きな胸。

「きみにはこれがあるだろう。男はこれを飽きないらしいがね」
「……それを持ちだされたら、男の弱点が出てきますからね」

 俺の言葉に頷き、先輩はにっこり笑った。





「後輩、後輩後輩。はやく帰ろうじゃないか」
「いやです」
「わがままを言うな、ほらほら」

 机にうつ伏せる俺を引き剥がそうとちょっかいをかけてくる先輩から、必死に耐える。
 梅雨はやけに机がべとべとしてて気持ち悪いけど、背に腹は代えられない。

「どうして嫌なんだ。家に帰るというのは素晴らしいことだぞ。ほら」
「先輩が梅雨なのにうきうきしてる辺りが嫌です」
「それはもう、相合傘となれば私だってうきうきさ」

 そういうことだ。
 先輩は朝のことですっかり相合傘がお気に入りになったらしく、満面の笑みで帰ろうと誘ってくる。こっちとしてもやぶさかじゃないけど、でも。

「あれかな、好きな子には意地悪をしたいって心境かな。後輩も男の子だね」
「傘のことで弄られるのが嫌なだけです」
「弄るとは人聞きが悪いな。単にきみの可愛らしい思いを汲み取った結果だろう」

 自分でも噴飯ものな可愛らしさだよ本当。
 明日からは別の傘で通学することを胸に決め、あとは帰りをどうするかだけだ。

「先に先輩が帰って、あとから俺が帰ればいいじゃないですか」
「またまた、照れるな照れるな。きみがしたいことは、私は拒まないよ」
「くっそ……」

 頭をくしゃくしゃ撫でてくる先輩に、どう追い払ったものかと思案を巡らせ続ける。

「じゃあこうしよう。私と一緒に帰ってくれたら、ここでキスしてあげよう」
「……別に貴重でもなんでもないじゃないですか。ほぼ毎日してるのに」
「なんだ、その言い草は。きみだって大好きだろうに」

 そりゃあ、毎回毎回そっちからアレな雰囲気で迫ってきて、こっちとしても断る理由がないものだし。でも今日は別だ。

「参ったな、そんなに恥ずかしいのか。きみの友人にも相合傘くらいはいるだろうに」
「恥ずかしいですよ。先輩にそういう素振りがないぶん、余計に恥ずかしいですって」
「おっと、それは聞き捨てならないな」

 わざわざ回り込んで、こっちに顔を近づけてくる先輩。
 その顔はいつも通り微笑んでいたけれど、赤くもなっていた。

「私はきみに恋した一人の女だ。今日は友人から相合傘のことでつつかれたがね、それでもきみと一緒の傘がいい。誰かに見られる恥ずかしさより、きみへの思いのほうがずっと大きいだけさ」

 ……どう抵抗しようとも、結局俺は先輩を甘やかしてしまうんだな、と諦めた。
16/09/30 19:57更新 / 鍵山白煙
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