とある記者の記事
とある記者の記事
今私は日本を遠く離れ、ゲートの向こうの世界、アルカナ合衆国のニューシャテリア・シティーに来ている。目的は異世界間外交30周年を記念して行われる式典と音楽祭の取材の為である。
2ヶ月程の長期滞在になる予定で、ビザを取得しブルックス地区のダウンタウンの安宿を根城に、密かな冒険心を胸に抱き、愛用のカメラと手帳を片手に摩天楼の片隅に出歩くと、そこはあらゆる人種と魔物娘の坩堝であった。
我々の西暦世界とは似ていてもここは確実に異世界なのだ。
滞在して2週間。そろそろ馴染みの店やレストランが出来始めた頃、私は吸い込まれるようにふとある喫茶店に入った。
不思議な喫茶店で、古き良き時代を感じさせる広々とした店内には、年代物と思われる少々大袈裟な程の大きな真空管オーディオと、壁を埋め尽くさんとするレコード達が並んでいた。
私が呆気に取られていると、シルクハットにタキシード姿の魔物娘さん……恐らくマッド・ハッターであろう店主に勧められ、オドオドしながらもカウンターに腰掛ける。客は私だけだ。
夏の終わりで空気はカラリとしているがまだまだ暑い。外を歩いて取材をしていたのも手伝って喉はカラカラだった。私は店主にアイス・コーヒーを注文すると、お好きな曲を選ぶ様に言われた。
この店ではコーヒーやサンドイッチと共に、好きな音楽を指定するのがルールらしい。
注文のレコードは店主にお任せ。
そこで待っていたのは素晴らしく贅沢な時間だった。
オーディオの音は素晴らしく、まるでオーケストラがすぐそこにいるようで、またそのレコードの演奏も素晴らしかった。
アイス・コーヒーがカウンターテーブルに並べられたタイミングで店主に尋ねると、快く教えてくれた。
指揮者は黒人で、演奏は刑務所の校正プログラムで作られたオーケストラだと言う。
ピンと来た方もいるのかも知れないが、音楽祭に出演する指揮者と楽団で、日本でも公演をしたラファエロ・カロ・オサニアケド氏とシューシャンク・フィルハーモニーだ。今回聴いたのはそのごくごく初期のレコードである。
店主に日本(どうやらこちらの世界のジパング皇国と思われたようだ。)から来た記者だと伝えると、ラファエロさんと彼の秘められたエピソードを話してくれた。
ラファエロさんは図鑑世界でも西暦世界でも指折りの名指揮者であるが、同時に指折りの洒落者でもある。彼の名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、紳士の鏡と言うべき完璧なステージマナーと、優美なオフホワイトや高貴な青色の燕尾服と言うクラシックファンも少なく無いだろう。
ラファエロさんの音楽人生は正に波瀾万丈で、今こそ名指揮者だが、駆け出しの頃は本当に苦労したらしい。黒人である事から想像に難くない。指揮者として圧倒的な実力もさる事ながら、あの素晴らしい数々の衣装は彼の妻であるアラクネの魔物娘、ガブリエルさんが仕立てているらしい。
どの様な状況に遭っても指揮……つまりは音楽的な指示がオーケストラの奏者1人1人に届く様にとの配慮であると聞いた時、私は記者としての自身を忘れて1人の聴衆として感動を覚えた。
同時に我々の世界同様に建前として多様性を認めようと言う事はあれども、社会的、文化的、歴史的に根強い人種差別や民族的な隔たりを感じさせられたのだ。……いや、もしかしたら我々の世界よりも多種多様な分、もっと負のエネルギーが大きいのかも知れない。
店主から話を聞いていると、件のオーケストラにてコンサート・マスターを務めるミケーレ・ジュノヴェーゼ氏と同プルトの1stヴァイオリンであるカルメッラ・コンスタンチ氏が店に入って来た。
彼らに限らず、この店には名だたる音楽家達が時折お忍びで羽を伸ばしにやって来るいわゆる隠れ家なのだとか。
ミケーレさんはシューシャンク・フィルハーモニーの創設当時のメンバーであり、楽団の社会的地位の確立に多大なる貢献をした。すなわちパーカー財団の設立、同財団のラファエロ音楽奨学金、シューシャンク社会復帰支援機構(NPO)など多岐に渡る。
またヴァイオリニストとしても名プレイヤーであり、不動の地位を確立しているが、ミケーレさんと彼のヴァイオリンパートにはいわゆる公然の秘密がある。
どの様にして彼がオーケストラに入ったのか?そしてどの様にして彼が天才ヴァイオリニストとして名声を欲しいままにしたのか。
アフォガードのおかわりと良い記事を書く事を条件に彼の話を聞く事となった。
語られたのは彼の凄まじい人生の1ページであった。残念ながら全てを書く事は出来ないが、ミケーレさんは我々の想像を遥かに超越する人生の荒波を乗り切って来た。
彼は社会の闇を歩き、絶望を味わい、幾度と無く破滅の危機に会い、成功と挫折に見舞われて、それでも戦い続けた人生だとミケーレさんは語る。
『……失敗も挫折も沢山あった。ラファエロ氏は黒人でいろいろ大変だし、私達は脛に傷持つならず者上がりだ。でも、今、私達が作り上げたオーケストラは素晴らしいオーケストラになった。そう断言できる。』
ミケーレさんに話の最後、あなたは今幸福ですか?と聞くと、満面の笑みで
幸せだよと応えてくれた。
一流の音楽家の奏でる音には郷愁が宿る。それは演奏のテクニックや楽器練習をすれば良いと言うものでは無く、勿論それらも重要だが、人生をリアルに生きなければ手に入れる事はできないのだろう。ラファエロさんのタクトにしろミケーレさんのヴァイオリンにしろ、彼らの奏でる芸術には濃密な、ある種強烈とも言える郷愁が確かに存在するのだ。
シューシャンク・フィルハーモニーにはそういった魅力的な演奏をするプレイヤーが多く在籍している。
なぜなら彼、彼女達の多くが何らかの社会的ハンデキャップを抱えているからで、だからこそ私を含めた普通の人生を生きる普通人や魔物娘には無い葛藤や払ってきた努力があのような素晴らしい演奏に繋がっているのだと確信する。
それを思うと我々記者やマスコミや評論家はなんと気楽なのであろうか?
現在の日本のような社会は彼らに対してとても冷たい社会であり、彼らの様な人々にセカンドチャンスが与えられる事は極々稀で、与えられたとしてもその活動や存在自体が嘲笑や批判の槍玉に上がる事も珍しくない。
現にラファエロさん率いるシューシャンク・フィルハーモニーが日本で公演を行った時にも我々マスコミは批判的な態度であった。
私達は彼らの言葉に耳を貸す事も無く、色眼鏡で彼らを見て、努力を見ずに、素晴らしさを正しく評価しようとしない。
そうして彼らの活動に対して審判を下すのだ。
しかしながら、私達マスコミや評論家や記者にどんなにこき下ろされたとして、レッテルを張り付けられたとして、文章よりも彼らのコンサートや演奏を録音したレコードの方がずっと価値がある。
そして、その価値のある芸術は、時には私のようなぐうたらな記者をある方向へと動かす。
それは、素晴らしい芸術を正しく評価しようとさせる事だ。
私は図鑑世界アルカナ合衆国のニューシャテリアシティー、ブルックス地区にある喫茶店で確かに素晴らしいモノに巡り会った。
思いもよらない時に、素晴らしい音楽により本当に贅沢な時間を味わえたのだ。
それは私の音楽への、もっと言うとそれを構築する社会的要因も含む先入観を大きく覆した。
決してこれは大袈裟ではない。
なぜなら美しい音楽は、素晴らしい芸術は誰の手から生み出されたとしても何ら不思議では無いからだ。
ミケーレさんの言葉を借りるならば、それが例え脛に傷を持つならず者上がりだったとしても素晴らしいモノは素晴らしいし、美しいモノは美しい。
シューシャンク・フィルハーモニーの指揮者も過半数を超える奏者も恵まれた環境に産まれ育ってはいない。むしろその逆だ。
しかし、彼らの生み出した音楽は遠く離れた文字通り住む世界の違う私に音楽の喜びと感動を与えてくれたのだ。
音楽祭が楽しみでならない。それが終わっても、私は彼らから目が離せないだろう。
音楽雑誌、イル・クラシコより。
今私は日本を遠く離れ、ゲートの向こうの世界、アルカナ合衆国のニューシャテリア・シティーに来ている。目的は異世界間外交30周年を記念して行われる式典と音楽祭の取材の為である。
2ヶ月程の長期滞在になる予定で、ビザを取得しブルックス地区のダウンタウンの安宿を根城に、密かな冒険心を胸に抱き、愛用のカメラと手帳を片手に摩天楼の片隅に出歩くと、そこはあらゆる人種と魔物娘の坩堝であった。
我々の西暦世界とは似ていてもここは確実に異世界なのだ。
滞在して2週間。そろそろ馴染みの店やレストランが出来始めた頃、私は吸い込まれるようにふとある喫茶店に入った。
不思議な喫茶店で、古き良き時代を感じさせる広々とした店内には、年代物と思われる少々大袈裟な程の大きな真空管オーディオと、壁を埋め尽くさんとするレコード達が並んでいた。
私が呆気に取られていると、シルクハットにタキシード姿の魔物娘さん……恐らくマッド・ハッターであろう店主に勧められ、オドオドしながらもカウンターに腰掛ける。客は私だけだ。
夏の終わりで空気はカラリとしているがまだまだ暑い。外を歩いて取材をしていたのも手伝って喉はカラカラだった。私は店主にアイス・コーヒーを注文すると、お好きな曲を選ぶ様に言われた。
この店ではコーヒーやサンドイッチと共に、好きな音楽を指定するのがルールらしい。
注文のレコードは店主にお任せ。
そこで待っていたのは素晴らしく贅沢な時間だった。
オーディオの音は素晴らしく、まるでオーケストラがすぐそこにいるようで、またそのレコードの演奏も素晴らしかった。
アイス・コーヒーがカウンターテーブルに並べられたタイミングで店主に尋ねると、快く教えてくれた。
指揮者は黒人で、演奏は刑務所の校正プログラムで作られたオーケストラだと言う。
ピンと来た方もいるのかも知れないが、音楽祭に出演する指揮者と楽団で、日本でも公演をしたラファエロ・カロ・オサニアケド氏とシューシャンク・フィルハーモニーだ。今回聴いたのはそのごくごく初期のレコードである。
店主に日本(どうやらこちらの世界のジパング皇国と思われたようだ。)から来た記者だと伝えると、ラファエロさんと彼の秘められたエピソードを話してくれた。
ラファエロさんは図鑑世界でも西暦世界でも指折りの名指揮者であるが、同時に指折りの洒落者でもある。彼の名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、紳士の鏡と言うべき完璧なステージマナーと、優美なオフホワイトや高貴な青色の燕尾服と言うクラシックファンも少なく無いだろう。
ラファエロさんの音楽人生は正に波瀾万丈で、今こそ名指揮者だが、駆け出しの頃は本当に苦労したらしい。黒人である事から想像に難くない。指揮者として圧倒的な実力もさる事ながら、あの素晴らしい数々の衣装は彼の妻であるアラクネの魔物娘、ガブリエルさんが仕立てているらしい。
どの様な状況に遭っても指揮……つまりは音楽的な指示がオーケストラの奏者1人1人に届く様にとの配慮であると聞いた時、私は記者としての自身を忘れて1人の聴衆として感動を覚えた。
同時に我々の世界同様に建前として多様性を認めようと言う事はあれども、社会的、文化的、歴史的に根強い人種差別や民族的な隔たりを感じさせられたのだ。……いや、もしかしたら我々の世界よりも多種多様な分、もっと負のエネルギーが大きいのかも知れない。
店主から話を聞いていると、件のオーケストラにてコンサート・マスターを務めるミケーレ・ジュノヴェーゼ氏と同プルトの1stヴァイオリンであるカルメッラ・コンスタンチ氏が店に入って来た。
彼らに限らず、この店には名だたる音楽家達が時折お忍びで羽を伸ばしにやって来るいわゆる隠れ家なのだとか。
ミケーレさんはシューシャンク・フィルハーモニーの創設当時のメンバーであり、楽団の社会的地位の確立に多大なる貢献をした。すなわちパーカー財団の設立、同財団のラファエロ音楽奨学金、シューシャンク社会復帰支援機構(NPO)など多岐に渡る。
またヴァイオリニストとしても名プレイヤーであり、不動の地位を確立しているが、ミケーレさんと彼のヴァイオリンパートにはいわゆる公然の秘密がある。
どの様にして彼がオーケストラに入ったのか?そしてどの様にして彼が天才ヴァイオリニストとして名声を欲しいままにしたのか。
アフォガードのおかわりと良い記事を書く事を条件に彼の話を聞く事となった。
語られたのは彼の凄まじい人生の1ページであった。残念ながら全てを書く事は出来ないが、ミケーレさんは我々の想像を遥かに超越する人生の荒波を乗り切って来た。
彼は社会の闇を歩き、絶望を味わい、幾度と無く破滅の危機に会い、成功と挫折に見舞われて、それでも戦い続けた人生だとミケーレさんは語る。
『……失敗も挫折も沢山あった。ラファエロ氏は黒人でいろいろ大変だし、私達は脛に傷持つならず者上がりだ。でも、今、私達が作り上げたオーケストラは素晴らしいオーケストラになった。そう断言できる。』
ミケーレさんに話の最後、あなたは今幸福ですか?と聞くと、満面の笑みで
幸せだよと応えてくれた。
一流の音楽家の奏でる音には郷愁が宿る。それは演奏のテクニックや楽器練習をすれば良いと言うものでは無く、勿論それらも重要だが、人生をリアルに生きなければ手に入れる事はできないのだろう。ラファエロさんのタクトにしろミケーレさんのヴァイオリンにしろ、彼らの奏でる芸術には濃密な、ある種強烈とも言える郷愁が確かに存在するのだ。
シューシャンク・フィルハーモニーにはそういった魅力的な演奏をするプレイヤーが多く在籍している。
なぜなら彼、彼女達の多くが何らかの社会的ハンデキャップを抱えているからで、だからこそ私を含めた普通の人生を生きる普通人や魔物娘には無い葛藤や払ってきた努力があのような素晴らしい演奏に繋がっているのだと確信する。
それを思うと我々記者やマスコミや評論家はなんと気楽なのであろうか?
現在の日本のような社会は彼らに対してとても冷たい社会であり、彼らの様な人々にセカンドチャンスが与えられる事は極々稀で、与えられたとしてもその活動や存在自体が嘲笑や批判の槍玉に上がる事も珍しくない。
現にラファエロさん率いるシューシャンク・フィルハーモニーが日本で公演を行った時にも我々マスコミは批判的な態度であった。
私達は彼らの言葉に耳を貸す事も無く、色眼鏡で彼らを見て、努力を見ずに、素晴らしさを正しく評価しようとしない。
そうして彼らの活動に対して審判を下すのだ。
しかしながら、私達マスコミや評論家や記者にどんなにこき下ろされたとして、レッテルを張り付けられたとして、文章よりも彼らのコンサートや演奏を録音したレコードの方がずっと価値がある。
そして、その価値のある芸術は、時には私のようなぐうたらな記者をある方向へと動かす。
それは、素晴らしい芸術を正しく評価しようとさせる事だ。
私は図鑑世界アルカナ合衆国のニューシャテリアシティー、ブルックス地区にある喫茶店で確かに素晴らしいモノに巡り会った。
思いもよらない時に、素晴らしい音楽により本当に贅沢な時間を味わえたのだ。
それは私の音楽への、もっと言うとそれを構築する社会的要因も含む先入観を大きく覆した。
決してこれは大袈裟ではない。
なぜなら美しい音楽は、素晴らしい芸術は誰の手から生み出されたとしても何ら不思議では無いからだ。
ミケーレさんの言葉を借りるならば、それが例え脛に傷を持つならず者上がりだったとしても素晴らしいモノは素晴らしいし、美しいモノは美しい。
シューシャンク・フィルハーモニーの指揮者も過半数を超える奏者も恵まれた環境に産まれ育ってはいない。むしろその逆だ。
しかし、彼らの生み出した音楽は遠く離れた文字通り住む世界の違う私に音楽の喜びと感動を与えてくれたのだ。
音楽祭が楽しみでならない。それが終わっても、私は彼らから目が離せないだろう。
音楽雑誌、イル・クラシコより。
21/08/25 05:17更新 / francois
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