戦場でチェロを
戦場でチェロを
『マエストロ・カザルスキー。まさかお会い出来るとは思いませんでした。本日はインタビューを受けて頂きありがとうございます。あなたは大戦中も演奏活動をなさっていたと。監視付きではありますが…………早速、大戦中の話をお聞きしたいのですが。』
『はい……今から話す事はあなた方にとっては20年前の事で、僕にとってはついこの前の事です。人魔歴1939年9月1日。チェリストの僕の人生は一変しました。独裁者ルドルフ・アドラー率いるクラーヴェ第三帝国が僕の生まれ育った街、フーランド第二共和国のルシャワを占領したんだ。そして、あの世界大戦……第二次人間大戦が始まりました。』
『あなたはその時、どこにいらしたのですか?』
『その時は弦楽四重奏の演奏旅行中で……運悪くクラーヴェの帝都ベルンに居ました。その日の朝の9時頃でしたか……僕達は社会労働党の秘密警察に拘束されました。拘束されたのは僕がルシャワ出身のユタ人であった事が原因です……。その3日後に"例外的"に解放され、音楽活動を許されました。社会労働党のプロパガンダ……ルドルフ・アドラー総統の為に働く事と引き換えですが。』
『なるほど……その例外的と言うのは?』
『解放された理由はたぶん、僕達のアンサンブルが一流でグループのリーダー、第一ヴァイオリン兼ピアニストのペーター・フォン・シェーンブルグがクラーヴェの名家出身、生粋のゲルマ人だったからでしょう。……少々酒癖は悪かったけど、気の良い青年でした。ハンサムで女性にモテてね?しょっちゅう黄色い声が上がっていました。』
『他の方々は?』
『はい。第二ヴァイオリンのレオポルト・リンデンバウム……オーケストリア系ザクセ人。彼は熊みたいな髭面の大男だけど誰よりも優しい男だ。顔に似合わず花が好きで、貰った花束をよく自分達が泊まるホテルに飾っていた。ヴィオラのアルセーヌ・オスロ……ファラン共和国出身のファランク人。ただ祖母がレーマニア系だそうです。彼は1番年上で1番大人だった。繊細で穏やかで、パイプタバコを蒸しながら詩集を広げ、コーヒーかワインを嗜む姿が印象的だった。みんな愛すべき音楽家で僕の第二の家族だった。……失礼、話がそれましたね。』
『構いませんよ。』
『……それで、僕達は社会労働党の監視下で1943年まで音楽活動をしました。ベルン市内ではもちろん、ランデンブルグ市、リリエンハイム市、ファランクフルト市にルーケン市、シュテットガルド市、ドレス市……それからクラーヴェに併合されたオーケストリア国のビエナ市、占領下の首都国家ルークベルク公国……知られていないかも知れませんが当時、不死者のニコラ公の姿も、あの有名なカレンの灯りも無く、街も殆どもぬけの殻でした。どうやったのかはわかりませんが、恐らくニコラ公は国民の安全を考えて国ごと逃げたのでしょう。その時撮られた写真に写っているのは、みんなクラーヴェ軍や党のお偉いさんです。……え、国際機密?……そうですか。……記者さん、今のはオフレコでお願いします。』
『え、えぇ。わかりました。』
『……そして翌年1940年の7月にはファラン共和国のパリス市で……それから、クラーヴェと同盟国のロマーナ王国……今は共和国でしたね。ヴィレンツェ市、ナポル市、ヴェルニス市にロマーナ市……総統の行く所、何処でも連れて行かれました。』
『なるほど。なぜ、戦時中に沢山の場所で演奏されたのですか?』
『はい。……都合が良かったからです。アンサンブルのメンバーは全員白人で、フーランド人、オーケストリア人、ファラン人をクラーヴェ人が……ゲルマ民族が率いる僕達のグループは社会労働党にとって都合が良かったのです。知っての通り社会労働党や、ロマーナのファスケス党は民族主義を掲げてユタ人や他の有色人種……それから魔物娘を排除しようと考えました。当時僕の知る素晴らしい音楽家や芸術家の友人達が幾人も拘束され、追放され、強制収容所に送られてしまいました。僕の父や母も……。失礼。……例外的に活動を許された……いえ、活動を強要された僕達は主に総統の演説後、党を支持する金持ちや重要人物が出席するパーティーで演奏しました。僕はまだ良いのです。ユタ人ですから"慣れています"。……ビオラのアルセーヌはクラーヴェ軍占領下のパリス市で総統の為に演奏をしなければならなかった…………。彼の心中は察するに余りあります。』
『と言うと?』
『あぁ、記者さんは合衆国人でしたね?……いえ、無理もありません。パリス市は市民の自由の象徴です。帝国に故国を支配され、支配した独裁者の為に働かなければならない。……彼はファラン人のプライドをズタズタに引き裂かれるならまだしも、同じファラン人から裏切り者扱いをされました。事実ですが、アルセーヌはパリス市滞在中にレジスタンスや地下組織に命を狙われました。いゃ……それすらまだマシでしょう。小さな子供に石を投げられ、裏切り者と言われたのです。彼はいつものようにパイプタバコとコーヒーを嗜んでいましたが、眼鏡の奥は涙に濡れていました…………。』
『……すみません。配慮が足りませんでした。』
『いえ、気にしないでください。合衆国は人種と魔物娘の坩堝。人種差別や魔物差別の軋轢、民族主義などは非効率的だと感じてもおかしくありません。僕もそう思います。』
『……合衆国でも同様の問題はあります。西の大陸のように細かなものはありません。が、特に黒人と黄色人差別は根深いものがあります。クイーン牧師の活動がそれを物語っています。』
『彼は去年、人魔国際平和賞を受賞されましたね?』
『はい。肌の色も、人か魔物娘かも、信仰と希望、そして愛の前には意味を成さない。自分自身の良心に従いなさい。神はあなた方ひとりひとりの良心の中にこそ居るのです。そう説いた方です。』
『素晴らしいことです。しかし……』
『しかし?』
『はい。……あの大戦を経て尚、そういった差別や軋轢があり、クイーン牧師の様な"痛みの代弁者"が出て来るまでそれが大きな問題である事に気付きもしない。それ程、人間は幼いのです。……それが社会労働党やファスケス党を……人々をユタ人虐殺と言う狂気に走らせた根本的な原因だと常々思います。』
『言葉もありません。……ですが、私たちは誤ちを二度と繰り返さない為にこうして様々な人物から大戦中の事を聞いて回っているのです。その中にはつまらない理由で今すぐに公開出来ない情報も沢山あります。しかし後世の平和な世界の為にこのインタビューは大変に意義がある事なのです。……それにマエストロ、あなたはユタ人の民間人として特殊な体験をされています。……先程、1943年まで音楽活動をなさっていたとお聞きました。その後は何処で何をしていたのですか?』
『………………。』
『…………すみません。どうぞハンカチです。涙を。』
『…………ありがとう。……いや……話そうと決めた事です。話しましょう。』
『ありがとうございます。』
『記者さん、ルシャワで起きた初めてのユタ人ゲットー(隔離地区)の蜂起を知っていますか?』
『……1943年たしか4月19日から1ヶ月ほど続いた武装蜂起でしたね?』
『はい。……よく勉強していますね。』
『えぇ、まぁ……。』
『……その翌日、4月20日に僕とビオラのアルセーヌは秘密警察に逮捕されました。当時、クラーヴェ第三帝国社会労働党占領下の首都ではレジスタンス運動が盛んに行われていました。当然ながらユタ人である僕にも、パリス出身のアルセーヌにも反社会労働党組織との関与が疑われました。僕はチェロを奪われてベルン市のユタ人ゲットーへ。アルセーヌはわかりません。ですが……恐らくは…………。……ペーターとレオポルトは国家反逆罪として逮捕されペーターはドレス市の自宅に軟禁。レオポルトは………僕とアルセーヌを庇おうとして…………僕らの目の前で……秘密警察が……彼を………………あぁ……………………すみません。』
『…………。』
『はぁ……。失礼しました。続けましょう。そうしてアンサンブルグループが崩壊し、メンバーは散り散りバラバラに。僕はゲットーに移送され、そこからは毎日過酷な労働と、飢えと、いつ殺されるかわからない恐怖が待っていました。ユタ人は一目でユタ人とわかるように黄色い星の付いた腕章を付けなくてはならず、まともな人権もありません。明日をも知れないのです。……それから4ヶ月後、1943年8月24日にある事件が起きました。』
『ある事件?』
『ゲットーの中で小規模の反乱が起きたのです。僕の知る限り、公式の記録には恐らく残ってはいません。僕はその混乱に乗じてゲットーを脱出しました。』
『……脱出は簡単ではなかったはずです。どうやったのですか?』
『……今から話す経緯は公開しないと約束出来ますか?』
『努力します。』
『記者さん、あなたは正直者ですね………。反乱は小規模でしたがクラーヴェ市民にも犠牲者が出ました。混乱の中、身を隠していた僕は咄嗟に年齢と背格好の近い遺体の服と、腕章の付いた自分の服を入れ替えました。幸運な事に、コートに身分証が。ベストに懐中時計と万年筆と僅かな現金が入っていました。以後、僕はフランツ・ジェスマイヤーとして逃亡生活をする事になりました。必死だったのです。そして直ぐに逃げ出した事を後悔しました。』
『それは何故ですか?』
『孤独と恐怖です。ユタ人と分かれば殺されてしまうでしょう。誰も彼も信じる事ができない。友達もいない……。逃亡は逃げ出した後の方がその前よりも難しいのです。そして逃げるにも生活するにもお金がかかります。僕は懐中時計を売り、ドレス市に移動しました。そして、安宿に2週間滞在しました。ピーターに助けを求める為です。』
『彼は助けてくれましたか?』
『はい。もちろん。今僕がここに居るのは彼が助けてくれたおかげです。』
『ですがどうやって。彼は軟禁中の筈では?』
『はい。その通りです。……彼は軟禁中で、生活の全てを秘密警察に監視されています。普通に手紙を出せば直ぐにバレてしまいます。……そこで僕は五線紙を買い、曲を書きました。音はA 〜 H までのアルファベットに訳す事が出来ます。それから、ハーモニーは数字で表す事ができます。音楽記号やテンポや表現方法を表す用語に、曲間を区切る練習記号。例えば……紙を。』
『はいどうぞ。』
『ありがとう。……それで、これがG majiro……第3音は H で……曲の頭……ここに3と書きます。そして……Eの音にボーイング記号(弦を弓で擦る向き)……ここは legato の文字を……頭文字を少々大きめに書きます。………それから……終始部の所に p の記号。曲としても大事な記号ですから丸で囲っておきましょう。さて……ひとつの音楽としても緩やかに静かに、美しく出来ました。』
『?どう見てもただの楽譜ですが?』
『これで Help と読みます。』
『……この暗号はわからない。マエストロ……その万年筆は……』
『はい。恩人の……フランツ・ジェスマイヤー氏の物です。』
『…………………………。』
『この暗号は僕としても賭けでした。しかし、彼は一流のヴァイオリニストでピアニストです。直ぐに僕が手紙の送り主だと言う事、それから暗号の意味を理解してくれました。そしてピーターは秘密警察に賄賂でも握らせたのでしょう。僕同様の暗号を使ってコンタクトを取り合い、資金と当面生活する空き家を工面してれました。』
『マエストロ……あなたは良い友人を持ちましたね。』
『はい。感謝しています。その隠れ家で1944年の9月の終わり頃まで暮らしました。……人と会う事も出来ず、心の中でしか音楽に触れる事は出来ませんでした。ユタ人が住んでいる事がバレれば……絶滅収容所に送られてしまいます。』
『まるで "アンナの日記" の様ですね。』
『……あそこまでは厳しくありませんが似た様なものです。しかし、隠れ家も見つかってしまいました。詳しい日付けはわかりません。9月の終わり頃です。住民に不審に思われ、逃げざる終えなかったのです。持ち出せたのはカバン一つで中には楽譜と五線譜、筆記用具と僅かな現金だけでした。……そして頼るものの無くなった僕は故郷フーランドのルシャワを目指しました。クラーヴェ軍の兵站輸送車両に乗り込んで、フーランドの国境を越え……途中で飛び降りて。そして……故郷ルシャワに。』
『………………。』
『そこで見たのは変わり果てた故郷の姿でした。辺り一面瓦礫の山……見る影もありません。』
『ルシャワ蜂起……マエストロ、あなたは当事者なのですね。』
『はい。……そこでも身を隠す生活が待っていました。いや……もっと酷い。僕が故郷に帰って来たのは恐らく、蜂起が失敗し、国内軍が壊滅した後です。しかし、クラーヴェ軍は街の徹底的な破壊を続けていました。大砲や機関銃、迫撃砲に火炎放射器……機械化魔道士の破壊魔法砲、スチーム戦車に空中機動戦艦からの空襲……彼らはまるで積み木の街を子供が蹴飛ばす様に街を破壊し尽くしていました。』
『……………………。』
『どうか頭を下げないで下さい。あなたのせいではありません。……僕はルシャワで徹底的に身を隠しながら暮らしました。死んでいたルシャワの国内兵士からコートとブーツを盗み、ゴミや瓦礫の中から食料を漁り、地べたを這いずり回りながら虫の様に醜く生きていました。再び音楽を……チェロを引きたい……その一心でした。そんな生活が続いたある日……遂にクラーヴェ兵に見つかってしまいました。』
『…………どうなったのですか?』
『あれは……冬に差し掛かった雪のちらつく寒い日でした。瓦礫を漁って居ると背後から『動くなと』言われ、それから『手を頭に、ゆっくりと此方を向け。』そう言われました。僕は彼女の言う通りにしました。振り向くと、"人工勇者"がいました。』
『なんと……』
『この時ばかりは神を呪いました。彼女の頭の上にある光の輪……ニンブルを見た時、僕は覚悟しました。知っての通り、戦場で人工勇者に会う事は死を意味していましたから。もし、逃げるチャンスがあったにしても、空を飛べる彼らからは逃げられません。』
『……私は人工勇者について詳しい情報は知りません。その英雄的な戦果は知っていますが……詳しく伺っても?』
『僕も詳しくは知りません。……知っていたとしても……恐らく国際機密でしょう。ただ……なんらかの技術で勇者の力をコピーした兵士にして、強力な生ける万能兵器としか……。……はい。わかりました。これ以上は……ですね?』
『無理を言ってすみません。監視員さん、そう睨まないで下さい。マエストロ……続きを聞かせてくれませんか?』
『はい。……それで女性の人工勇者は僕に『銃が無いのを見るに民間人か?』とか『そこで何をしている?』とか『民間人ならば何故反抗武装勢力のコートを着ている?』と次々に質問をして来ました。僕は正確に答えました。まず民間人である事、飢えているので食料を求めて瓦礫を漁っていた事、寒さに耐えかねて国内軍のコートを盗んだ事を順番に話しました。そう答えると『帝国民間人であるならば保護しよう。』と言い、彼女は身分証を求めて来ました。しかし、私が持っているのはフランツ・ジェスマイヤー氏の身分証です。帝都ベルンにいる筈の帝国市民がフーランドのルシャワに居る……簡単にバレてしまいました。……僕は観念して自分がユタ人である事とセルゲイ・カザルスキーと言うチェリストである事を彼女に教えました。』
『それで彼女は何と?』
『彼女は『あなたはチェリストかね?』ともう一度聞いて来たので、僕は はい……とだけ答えました。すると『そうか……では、付いて来なさい。』と言い、僕は頭を傾げながらついて行きました。だってそうでしょう?ユタ人を殺しもせず、逮捕もせずに付いて来いとは、自分の耳を疑いました。……着いたのは屋敷の廃墟。場所から僕が初めてソロの演奏会をした所だとわかりました。彼女はそこから瓦礫の砂埃で汚れたチェロのケースを引っ張り出しました。……あの時、秘密警察に没収された僕のチェロでした。……何故そこにあったのかはわかりませんが、1650年製ニコロ・アルマティン……タルティーヌ。名器には楽器の名前と著名な使用者の名前が付きます。確かに僕のチェロでした。ケースは汚れていましたが……中は傷ひとつ無く綺麗な状態でした。ただ……誰かが引いていたのでしょう。チューニングが少々変わっていました。転がっている適当な椅子を起して腰掛け、弦を調整し、僕は彼女に お客様、リクエストはございますか?と聞きました。すると彼女は『セバスチャンは引けますか?』と……』
『それで引いたのですか?』
『はい。……久しぶりでしたが、僕はチェロを奪われてからも頭の中で毎日繰り返し、繰り返しチェロを練習していました。ですから彼女のリクエストに対して精一杯の演奏をしました。セバスチャンのアリオーソを……。その時初めて音楽と一体になったと……音楽を奏でる本当の喜びを感じました。……演奏が終わり、彼女を見ると涙を流していました。そして『……そのチェロはあなたにこそ相応しい。また聴きに来ます。』と一言だけ言い残して空に飛んで行きました。それから彼女は何度か僕のチェロを聴きに来たのです。クラーヴェ帝国軍のレーション(軍用携帯食)や医療パックや飲み水の缶を持って来てくれました。』
『そんな人物がクラーヴェに居たなんて……』
『えぇ……僕も驚きました。後から知ったのですが、彼女はユタ人や捕虜虐待を受けていた連合軍兵士を秘密裏に助けていたそうです。……彼女は彼女なりに自分の良心に従い、不条理と戦っていたのでしょう。それで、ある日……恐らく12月25日頃、彼女は『降臨祭のプレゼントを君に送ろう。』と言い、いつもより多いレーションの差し入れと地図とコンパスを出しました。それから彼女は『シャーロ共産主義共和国連邦軍の大規模侵攻が迫っている。人間軍だ。このまま此処に居れば戦闘に巻き込まれてしまうかも知れない。死んだらスケルトンにでもされるだろう。運良く生きていたとしても、不死者の慰み物になりたく無ければ今から全力で逃げなさい。この地図には比較的安全な抜け道が書いてあります。地図の外になるが……そのずっと先に連合軍の野戦キャンプがある。行くなら戦場を横切る事になる。判断は君に任せる。』と僕に抜け道を教えてくれました。……何故、ユタ人の僕の為に此処までしてくれるのか?と彼女に尋ねると彼女は微笑んで『君は私に人間としての心を思い出させてくれた。』と言ってくれた。僕は彼女にもう一度自分の名前を告げ、彼女は『私はクラーヴェ第三帝国軍、独立第6師団所属、第66人工勇者部隊隊長、テレサ・フォン・リリエンタール少佐だ。カザルスキー、君に幸運を。』と返してくれた。……そして握手を交わし、僕はカバンにリリエンタール少佐からの贈り物を詰め込んでチェロのケースを背負って故郷に別れを告げた。……それから彼女に教えてもらった通りに帝国軍の包囲網の薄い抜け道を行き、その先でアルプの魔物娘、ハンナ・エーデルバッハ将軍率いる合衆国義勇軍所属、魔王軍魔導機械化武装勇者旅団に保護され、そのまま5月7日の西の大陸戦線の終結を迎えました。……これが僕の第二次人間大戦の全てです。』
『……衝撃的な……けれども貴重なお話しでした。……まだ面会時間までもう少しあります。大戦後の事をお聞きしても?』
『はい、構いませんよ。』
『ありがとうございます。』
『大戦後は……音楽活動を再開しました。ペーターに会いに行くと彼は涙を流して喜んでくれました。西の大陸はメチャクチャになっていました。そして、数多くの優秀な芸術家の友人を失いました。アルセーヌとレオポルトも…………。』
『残念です。』
『……仕方がありません。戦争だったのです。ともかく芸術や文化の危機だったのです。僕はピーターと一緒に演奏会を行いました。クラシックを……音楽を絶やしてはいけないと。彼がピアノで僕がチェロ……。久しぶりに演奏漬けの毎日でした。そんな中、終結から5ヶ月経ったある日、僕は友人から恩人のリリエンタール少佐が戦犯収容所にいると聞きました。』
『クラーヴェ、ロマーナ、そしてジパングの勇者は例外無くA級戦犯は免れなかったでしょう。』
『はい。彼女もそうでした。彼女の情報通り、年が明けて間も無い1945年1月12日、シャーロ共産連邦は侵撃を開始してクラーヴェ軍を一掃したそうです。そこで捕虜になったらしいのです。……僕はリリエンタール少佐に会う為に情報を集めました。そうしたら、シャーロ共産連邦の収容所にいるとわかりました。ペーターに彼女を助けたいと打ち明けると、彼は『行って来い。』と快く許してくれました。』
『ちょっと待って下さい。リリエンタール少佐は人工勇者のはず。噂でしか知りませんが、彼らの末路は……。』
『はい。……その噂は事実とそう変わらないと思います。それで……彼女はもうすでに人間ではありませんでした。しかし、僕は彼女に会う事が出来たのです。』
『マエストロ……あなたは』
『失礼、お二方。……面会終了時刻です。パンデモニウム大監獄No.KI153♭17123号小世界への移送ゲートが開きます。』
『わかりました。直ぐそちらに……。記者さん、僕はお役に立てたでしょうか?』
『えぇ……もちろん!』
『良かった。……僕が彼女に会ってどうなったか。それは現在、僕が置かれている状況が答えです。』
『……そこに立っている彼女は……まさか。』
『……後はあなたの想像にお任せします。』
『マエストロ・カザルスキー……またお会い出来ますか?』
『えぇ……きっと。』
『ゲート閉じます…………。』
『マエストロ、今度はあなたのチェロを聴きに……』
。
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『……出迎えてくれてありがとう。』
『おかえり。』
『ただいま……わっ!?……ははっ、テレサ、どうしたんだい?ちょっと苦しいよ。』
『ごめんなさい……でも、寂しくて。』
『僕とテレサが別れてから、ここでは1時間も経っていないでしょう?』
『君と……片時とも離れたくは無いんだ。ちゅっ……』
『『ん……んっ……ん……』』
『ちゅっ……テレサ……待って、服を脱がないと。それに君の修道服も……その……汚してしまうよ。』
『汚してほしい……。それに汚れても直ぐに魔法で元に戻るわ。』
『おっと!?……押し倒っ……大丈夫かい?』
『私がそうさせたの……セルゲイ……キテ……。』
『『あぁ…………』』
『ひっく……えぐっ……』
『テレサ……どうして泣いているの?』
『セルゲイ……ひっく……そのまま……私を抱きしめて……』
『うん…………』
『ずっと……怖くて聞けなかった事があるの……』
『うん……』
『私は…………クラーヴェの人工勇者で……勇者の力の代償は……身体の崩壊……そうなる筈だった……捕虜になって……『死んで楽になれると思うな。』……『生きて償え』……そう言われて……魔物娘にされて……』
『うん…………そうだったね。』
『私は死にたかった……死ぬべきだった……でも……あなたが……私を探し出してくれて……私は……私は、生きたくなった……死ぬのが怖くなった……』
『誰だって……怖いよ。』
『でも……もっと怖いものが出来た。』
『うん……なんだい?』
『セルゲイ……あなたは……私と……一緒に……罪を背負ってくれた……一緒に生きよう……そう言ってくれた。』
『うん……』
『でも……本当は……後悔しているのではないかって……セルゲイは……あなたはユタ人で……私達は戦争で……あなた達の……全てを奪ってしまった…………本当は一緒に居たく無いんじゃないかって……本当は……本当は……私を憎んでいるんじゃ無いかって……』
『…………』
『ごめんなさい……えぐっ……ごめんなさ"い"……ひっく……それでも……それでも"っ……ひっく……あなたを失いたくない……えぐっ……ごめんなさい……ごめんなさ"い…………』
『……テレサ・フォン・リリエンタール少佐。君はもう十分に戦って……そして苦しんだ。僕は自分可愛さに、ただ逃げていただけだった。……でも君は違う。確かに間違いを犯したかも知れないけど、高潔に最善を尽くそうとした。……戦争の中で果たさなければならない義務もあったろう……友達や仲間や部下……護らなければならない人が居たのでしょう。……その葛藤の中で……テレサ……君は、自分の良心に従ってユタ人や連邦軍兵士を助け、血や憎しみを避けようと最善を尽くした。……どうして君を憎む事が出来るのだろう?』
『ひっく……ひっく…………赦して……くれるの?』
『はい……。僕が赦さないで、他の誰が君を赦しますか?』
『ぁぁああああああ………………』
『泣かないで……。君は間違ったかも知れない。でも……でもね?世界はもっと間違っているんだ。』
『セルゲイ……あなたは……あの寒い雪の日……私の心を救ってくれた。そして今も救ってくれた……。あったかい……あなたの手……あったかい……』
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『落ち着いた?』
『はい……。……まだ硬い……』
『…………………………。』
『ねぇ?……シよ?』
『テレサ……それはズルいよ。』
『…………いや?』
『……ちゅっ……ん……ん……ん……』
『……ん…っちゅ………ん……ん……』
『セルゲイもズルい………あっ……やっ……』
『おあいこだよっ……くっ……あ……』
『セルゲイ!セルゲイ!あっ、あっ!……キモチイイ……キモチイイよぉおお!!』
『テレサ……テレサァ!!』
『うぁ……あ"……か、かたいっ……かたいよぉぉ〜〜!!』
『はぁっ……あっ、テレサ……僕、もうっ……』
『キテ……キテ!!セルゲイ!!セルゲイっっ!!!』
『『ぁぁああああああぁぁああああああ!!!』』
………………………………………………
『あったかい……お腹……しあわせ……』
『テレサ……ちゅ……』
『ちゅ……眠いのね?……私も。……このまま……寝て……しまい……ま……しょ……う…………』
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『♪〜〜〜……♪〜〜〜 ……♪〜〜…………』
『セルゲイ?……』
『おはよう。テレサ。』
『……綺麗な音ね。……少し妬けちゃうわ。』
『ははは。チェロにかい?』
『だって…………。』
『……最近気づいたのだけれど、このチェロの形……テレサに凄く似てるんだ。……ちょっと背中を向けて?』
『……こう?』
『ありがとう。……ほらっ、ピッタリだ。』
『……ホントだ。』
『僕とテレサの相性が良いのも、このせいかも。』
『……なんか上手く誤魔化された気が?』
『そ、そんな事……すみません、あります。』
『ふふふふ♪』
『ははは。……ねぇ、テレサ。お祈りはいいの?』
『……後で。今はあなたのチェロが聴きたい。』
『こほん!……お客様、リクエストはございますか?』
『セバスチャンは引けますか?』
『……では、アリオーソをお楽しみ下さい。』
fen.
『マエストロ・カザルスキー。まさかお会い出来るとは思いませんでした。本日はインタビューを受けて頂きありがとうございます。あなたは大戦中も演奏活動をなさっていたと。監視付きではありますが…………早速、大戦中の話をお聞きしたいのですが。』
『はい……今から話す事はあなた方にとっては20年前の事で、僕にとってはついこの前の事です。人魔歴1939年9月1日。チェリストの僕の人生は一変しました。独裁者ルドルフ・アドラー率いるクラーヴェ第三帝国が僕の生まれ育った街、フーランド第二共和国のルシャワを占領したんだ。そして、あの世界大戦……第二次人間大戦が始まりました。』
『あなたはその時、どこにいらしたのですか?』
『その時は弦楽四重奏の演奏旅行中で……運悪くクラーヴェの帝都ベルンに居ました。その日の朝の9時頃でしたか……僕達は社会労働党の秘密警察に拘束されました。拘束されたのは僕がルシャワ出身のユタ人であった事が原因です……。その3日後に"例外的"に解放され、音楽活動を許されました。社会労働党のプロパガンダ……ルドルフ・アドラー総統の為に働く事と引き換えですが。』
『なるほど……その例外的と言うのは?』
『解放された理由はたぶん、僕達のアンサンブルが一流でグループのリーダー、第一ヴァイオリン兼ピアニストのペーター・フォン・シェーンブルグがクラーヴェの名家出身、生粋のゲルマ人だったからでしょう。……少々酒癖は悪かったけど、気の良い青年でした。ハンサムで女性にモテてね?しょっちゅう黄色い声が上がっていました。』
『他の方々は?』
『はい。第二ヴァイオリンのレオポルト・リンデンバウム……オーケストリア系ザクセ人。彼は熊みたいな髭面の大男だけど誰よりも優しい男だ。顔に似合わず花が好きで、貰った花束をよく自分達が泊まるホテルに飾っていた。ヴィオラのアルセーヌ・オスロ……ファラン共和国出身のファランク人。ただ祖母がレーマニア系だそうです。彼は1番年上で1番大人だった。繊細で穏やかで、パイプタバコを蒸しながら詩集を広げ、コーヒーかワインを嗜む姿が印象的だった。みんな愛すべき音楽家で僕の第二の家族だった。……失礼、話がそれましたね。』
『構いませんよ。』
『……それで、僕達は社会労働党の監視下で1943年まで音楽活動をしました。ベルン市内ではもちろん、ランデンブルグ市、リリエンハイム市、ファランクフルト市にルーケン市、シュテットガルド市、ドレス市……それからクラーヴェに併合されたオーケストリア国のビエナ市、占領下の首都国家ルークベルク公国……知られていないかも知れませんが当時、不死者のニコラ公の姿も、あの有名なカレンの灯りも無く、街も殆どもぬけの殻でした。どうやったのかはわかりませんが、恐らくニコラ公は国民の安全を考えて国ごと逃げたのでしょう。その時撮られた写真に写っているのは、みんなクラーヴェ軍や党のお偉いさんです。……え、国際機密?……そうですか。……記者さん、今のはオフレコでお願いします。』
『え、えぇ。わかりました。』
『……そして翌年1940年の7月にはファラン共和国のパリス市で……それから、クラーヴェと同盟国のロマーナ王国……今は共和国でしたね。ヴィレンツェ市、ナポル市、ヴェルニス市にロマーナ市……総統の行く所、何処でも連れて行かれました。』
『なるほど。なぜ、戦時中に沢山の場所で演奏されたのですか?』
『はい。……都合が良かったからです。アンサンブルのメンバーは全員白人で、フーランド人、オーケストリア人、ファラン人をクラーヴェ人が……ゲルマ民族が率いる僕達のグループは社会労働党にとって都合が良かったのです。知っての通り社会労働党や、ロマーナのファスケス党は民族主義を掲げてユタ人や他の有色人種……それから魔物娘を排除しようと考えました。当時僕の知る素晴らしい音楽家や芸術家の友人達が幾人も拘束され、追放され、強制収容所に送られてしまいました。僕の父や母も……。失礼。……例外的に活動を許された……いえ、活動を強要された僕達は主に総統の演説後、党を支持する金持ちや重要人物が出席するパーティーで演奏しました。僕はまだ良いのです。ユタ人ですから"慣れています"。……ビオラのアルセーヌはクラーヴェ軍占領下のパリス市で総統の為に演奏をしなければならなかった…………。彼の心中は察するに余りあります。』
『と言うと?』
『あぁ、記者さんは合衆国人でしたね?……いえ、無理もありません。パリス市は市民の自由の象徴です。帝国に故国を支配され、支配した独裁者の為に働かなければならない。……彼はファラン人のプライドをズタズタに引き裂かれるならまだしも、同じファラン人から裏切り者扱いをされました。事実ですが、アルセーヌはパリス市滞在中にレジスタンスや地下組織に命を狙われました。いゃ……それすらまだマシでしょう。小さな子供に石を投げられ、裏切り者と言われたのです。彼はいつものようにパイプタバコとコーヒーを嗜んでいましたが、眼鏡の奥は涙に濡れていました…………。』
『……すみません。配慮が足りませんでした。』
『いえ、気にしないでください。合衆国は人種と魔物娘の坩堝。人種差別や魔物差別の軋轢、民族主義などは非効率的だと感じてもおかしくありません。僕もそう思います。』
『……合衆国でも同様の問題はあります。西の大陸のように細かなものはありません。が、特に黒人と黄色人差別は根深いものがあります。クイーン牧師の活動がそれを物語っています。』
『彼は去年、人魔国際平和賞を受賞されましたね?』
『はい。肌の色も、人か魔物娘かも、信仰と希望、そして愛の前には意味を成さない。自分自身の良心に従いなさい。神はあなた方ひとりひとりの良心の中にこそ居るのです。そう説いた方です。』
『素晴らしいことです。しかし……』
『しかし?』
『はい。……あの大戦を経て尚、そういった差別や軋轢があり、クイーン牧師の様な"痛みの代弁者"が出て来るまでそれが大きな問題である事に気付きもしない。それ程、人間は幼いのです。……それが社会労働党やファスケス党を……人々をユタ人虐殺と言う狂気に走らせた根本的な原因だと常々思います。』
『言葉もありません。……ですが、私たちは誤ちを二度と繰り返さない為にこうして様々な人物から大戦中の事を聞いて回っているのです。その中にはつまらない理由で今すぐに公開出来ない情報も沢山あります。しかし後世の平和な世界の為にこのインタビューは大変に意義がある事なのです。……それにマエストロ、あなたはユタ人の民間人として特殊な体験をされています。……先程、1943年まで音楽活動をなさっていたとお聞きました。その後は何処で何をしていたのですか?』
『………………。』
『…………すみません。どうぞハンカチです。涙を。』
『…………ありがとう。……いや……話そうと決めた事です。話しましょう。』
『ありがとうございます。』
『記者さん、ルシャワで起きた初めてのユタ人ゲットー(隔離地区)の蜂起を知っていますか?』
『……1943年たしか4月19日から1ヶ月ほど続いた武装蜂起でしたね?』
『はい。……よく勉強していますね。』
『えぇ、まぁ……。』
『……その翌日、4月20日に僕とビオラのアルセーヌは秘密警察に逮捕されました。当時、クラーヴェ第三帝国社会労働党占領下の首都ではレジスタンス運動が盛んに行われていました。当然ながらユタ人である僕にも、パリス出身のアルセーヌにも反社会労働党組織との関与が疑われました。僕はチェロを奪われてベルン市のユタ人ゲットーへ。アルセーヌはわかりません。ですが……恐らくは…………。……ペーターとレオポルトは国家反逆罪として逮捕されペーターはドレス市の自宅に軟禁。レオポルトは………僕とアルセーヌを庇おうとして…………僕らの目の前で……秘密警察が……彼を………………あぁ……………………すみません。』
『…………。』
『はぁ……。失礼しました。続けましょう。そうしてアンサンブルグループが崩壊し、メンバーは散り散りバラバラに。僕はゲットーに移送され、そこからは毎日過酷な労働と、飢えと、いつ殺されるかわからない恐怖が待っていました。ユタ人は一目でユタ人とわかるように黄色い星の付いた腕章を付けなくてはならず、まともな人権もありません。明日をも知れないのです。……それから4ヶ月後、1943年8月24日にある事件が起きました。』
『ある事件?』
『ゲットーの中で小規模の反乱が起きたのです。僕の知る限り、公式の記録には恐らく残ってはいません。僕はその混乱に乗じてゲットーを脱出しました。』
『……脱出は簡単ではなかったはずです。どうやったのですか?』
『……今から話す経緯は公開しないと約束出来ますか?』
『努力します。』
『記者さん、あなたは正直者ですね………。反乱は小規模でしたがクラーヴェ市民にも犠牲者が出ました。混乱の中、身を隠していた僕は咄嗟に年齢と背格好の近い遺体の服と、腕章の付いた自分の服を入れ替えました。幸運な事に、コートに身分証が。ベストに懐中時計と万年筆と僅かな現金が入っていました。以後、僕はフランツ・ジェスマイヤーとして逃亡生活をする事になりました。必死だったのです。そして直ぐに逃げ出した事を後悔しました。』
『それは何故ですか?』
『孤独と恐怖です。ユタ人と分かれば殺されてしまうでしょう。誰も彼も信じる事ができない。友達もいない……。逃亡は逃げ出した後の方がその前よりも難しいのです。そして逃げるにも生活するにもお金がかかります。僕は懐中時計を売り、ドレス市に移動しました。そして、安宿に2週間滞在しました。ピーターに助けを求める為です。』
『彼は助けてくれましたか?』
『はい。もちろん。今僕がここに居るのは彼が助けてくれたおかげです。』
『ですがどうやって。彼は軟禁中の筈では?』
『はい。その通りです。……彼は軟禁中で、生活の全てを秘密警察に監視されています。普通に手紙を出せば直ぐにバレてしまいます。……そこで僕は五線紙を買い、曲を書きました。音はA 〜 H までのアルファベットに訳す事が出来ます。それから、ハーモニーは数字で表す事ができます。音楽記号やテンポや表現方法を表す用語に、曲間を区切る練習記号。例えば……紙を。』
『はいどうぞ。』
『ありがとう。……それで、これがG majiro……第3音は H で……曲の頭……ここに3と書きます。そして……Eの音にボーイング記号(弦を弓で擦る向き)……ここは legato の文字を……頭文字を少々大きめに書きます。………それから……終始部の所に p の記号。曲としても大事な記号ですから丸で囲っておきましょう。さて……ひとつの音楽としても緩やかに静かに、美しく出来ました。』
『?どう見てもただの楽譜ですが?』
『これで Help と読みます。』
『……この暗号はわからない。マエストロ……その万年筆は……』
『はい。恩人の……フランツ・ジェスマイヤー氏の物です。』
『…………………………。』
『この暗号は僕としても賭けでした。しかし、彼は一流のヴァイオリニストでピアニストです。直ぐに僕が手紙の送り主だと言う事、それから暗号の意味を理解してくれました。そしてピーターは秘密警察に賄賂でも握らせたのでしょう。僕同様の暗号を使ってコンタクトを取り合い、資金と当面生活する空き家を工面してれました。』
『マエストロ……あなたは良い友人を持ちましたね。』
『はい。感謝しています。その隠れ家で1944年の9月の終わり頃まで暮らしました。……人と会う事も出来ず、心の中でしか音楽に触れる事は出来ませんでした。ユタ人が住んでいる事がバレれば……絶滅収容所に送られてしまいます。』
『まるで "アンナの日記" の様ですね。』
『……あそこまでは厳しくありませんが似た様なものです。しかし、隠れ家も見つかってしまいました。詳しい日付けはわかりません。9月の終わり頃です。住民に不審に思われ、逃げざる終えなかったのです。持ち出せたのはカバン一つで中には楽譜と五線譜、筆記用具と僅かな現金だけでした。……そして頼るものの無くなった僕は故郷フーランドのルシャワを目指しました。クラーヴェ軍の兵站輸送車両に乗り込んで、フーランドの国境を越え……途中で飛び降りて。そして……故郷ルシャワに。』
『………………。』
『そこで見たのは変わり果てた故郷の姿でした。辺り一面瓦礫の山……見る影もありません。』
『ルシャワ蜂起……マエストロ、あなたは当事者なのですね。』
『はい。……そこでも身を隠す生活が待っていました。いや……もっと酷い。僕が故郷に帰って来たのは恐らく、蜂起が失敗し、国内軍が壊滅した後です。しかし、クラーヴェ軍は街の徹底的な破壊を続けていました。大砲や機関銃、迫撃砲に火炎放射器……機械化魔道士の破壊魔法砲、スチーム戦車に空中機動戦艦からの空襲……彼らはまるで積み木の街を子供が蹴飛ばす様に街を破壊し尽くしていました。』
『……………………。』
『どうか頭を下げないで下さい。あなたのせいではありません。……僕はルシャワで徹底的に身を隠しながら暮らしました。死んでいたルシャワの国内兵士からコートとブーツを盗み、ゴミや瓦礫の中から食料を漁り、地べたを這いずり回りながら虫の様に醜く生きていました。再び音楽を……チェロを引きたい……その一心でした。そんな生活が続いたある日……遂にクラーヴェ兵に見つかってしまいました。』
『…………どうなったのですか?』
『あれは……冬に差し掛かった雪のちらつく寒い日でした。瓦礫を漁って居ると背後から『動くなと』言われ、それから『手を頭に、ゆっくりと此方を向け。』そう言われました。僕は彼女の言う通りにしました。振り向くと、"人工勇者"がいました。』
『なんと……』
『この時ばかりは神を呪いました。彼女の頭の上にある光の輪……ニンブルを見た時、僕は覚悟しました。知っての通り、戦場で人工勇者に会う事は死を意味していましたから。もし、逃げるチャンスがあったにしても、空を飛べる彼らからは逃げられません。』
『……私は人工勇者について詳しい情報は知りません。その英雄的な戦果は知っていますが……詳しく伺っても?』
『僕も詳しくは知りません。……知っていたとしても……恐らく国際機密でしょう。ただ……なんらかの技術で勇者の力をコピーした兵士にして、強力な生ける万能兵器としか……。……はい。わかりました。これ以上は……ですね?』
『無理を言ってすみません。監視員さん、そう睨まないで下さい。マエストロ……続きを聞かせてくれませんか?』
『はい。……それで女性の人工勇者は僕に『銃が無いのを見るに民間人か?』とか『そこで何をしている?』とか『民間人ならば何故反抗武装勢力のコートを着ている?』と次々に質問をして来ました。僕は正確に答えました。まず民間人である事、飢えているので食料を求めて瓦礫を漁っていた事、寒さに耐えかねて国内軍のコートを盗んだ事を順番に話しました。そう答えると『帝国民間人であるならば保護しよう。』と言い、彼女は身分証を求めて来ました。しかし、私が持っているのはフランツ・ジェスマイヤー氏の身分証です。帝都ベルンにいる筈の帝国市民がフーランドのルシャワに居る……簡単にバレてしまいました。……僕は観念して自分がユタ人である事とセルゲイ・カザルスキーと言うチェリストである事を彼女に教えました。』
『それで彼女は何と?』
『彼女は『あなたはチェリストかね?』ともう一度聞いて来たので、僕は はい……とだけ答えました。すると『そうか……では、付いて来なさい。』と言い、僕は頭を傾げながらついて行きました。だってそうでしょう?ユタ人を殺しもせず、逮捕もせずに付いて来いとは、自分の耳を疑いました。……着いたのは屋敷の廃墟。場所から僕が初めてソロの演奏会をした所だとわかりました。彼女はそこから瓦礫の砂埃で汚れたチェロのケースを引っ張り出しました。……あの時、秘密警察に没収された僕のチェロでした。……何故そこにあったのかはわかりませんが、1650年製ニコロ・アルマティン……タルティーヌ。名器には楽器の名前と著名な使用者の名前が付きます。確かに僕のチェロでした。ケースは汚れていましたが……中は傷ひとつ無く綺麗な状態でした。ただ……誰かが引いていたのでしょう。チューニングが少々変わっていました。転がっている適当な椅子を起して腰掛け、弦を調整し、僕は彼女に お客様、リクエストはございますか?と聞きました。すると彼女は『セバスチャンは引けますか?』と……』
『それで引いたのですか?』
『はい。……久しぶりでしたが、僕はチェロを奪われてからも頭の中で毎日繰り返し、繰り返しチェロを練習していました。ですから彼女のリクエストに対して精一杯の演奏をしました。セバスチャンのアリオーソを……。その時初めて音楽と一体になったと……音楽を奏でる本当の喜びを感じました。……演奏が終わり、彼女を見ると涙を流していました。そして『……そのチェロはあなたにこそ相応しい。また聴きに来ます。』と一言だけ言い残して空に飛んで行きました。それから彼女は何度か僕のチェロを聴きに来たのです。クラーヴェ帝国軍のレーション(軍用携帯食)や医療パックや飲み水の缶を持って来てくれました。』
『そんな人物がクラーヴェに居たなんて……』
『えぇ……僕も驚きました。後から知ったのですが、彼女はユタ人や捕虜虐待を受けていた連合軍兵士を秘密裏に助けていたそうです。……彼女は彼女なりに自分の良心に従い、不条理と戦っていたのでしょう。それで、ある日……恐らく12月25日頃、彼女は『降臨祭のプレゼントを君に送ろう。』と言い、いつもより多いレーションの差し入れと地図とコンパスを出しました。それから彼女は『シャーロ共産主義共和国連邦軍の大規模侵攻が迫っている。人間軍だ。このまま此処に居れば戦闘に巻き込まれてしまうかも知れない。死んだらスケルトンにでもされるだろう。運良く生きていたとしても、不死者の慰み物になりたく無ければ今から全力で逃げなさい。この地図には比較的安全な抜け道が書いてあります。地図の外になるが……そのずっと先に連合軍の野戦キャンプがある。行くなら戦場を横切る事になる。判断は君に任せる。』と僕に抜け道を教えてくれました。……何故、ユタ人の僕の為に此処までしてくれるのか?と彼女に尋ねると彼女は微笑んで『君は私に人間としての心を思い出させてくれた。』と言ってくれた。僕は彼女にもう一度自分の名前を告げ、彼女は『私はクラーヴェ第三帝国軍、独立第6師団所属、第66人工勇者部隊隊長、テレサ・フォン・リリエンタール少佐だ。カザルスキー、君に幸運を。』と返してくれた。……そして握手を交わし、僕はカバンにリリエンタール少佐からの贈り物を詰め込んでチェロのケースを背負って故郷に別れを告げた。……それから彼女に教えてもらった通りに帝国軍の包囲網の薄い抜け道を行き、その先でアルプの魔物娘、ハンナ・エーデルバッハ将軍率いる合衆国義勇軍所属、魔王軍魔導機械化武装勇者旅団に保護され、そのまま5月7日の西の大陸戦線の終結を迎えました。……これが僕の第二次人間大戦の全てです。』
『……衝撃的な……けれども貴重なお話しでした。……まだ面会時間までもう少しあります。大戦後の事をお聞きしても?』
『はい、構いませんよ。』
『ありがとうございます。』
『大戦後は……音楽活動を再開しました。ペーターに会いに行くと彼は涙を流して喜んでくれました。西の大陸はメチャクチャになっていました。そして、数多くの優秀な芸術家の友人を失いました。アルセーヌとレオポルトも…………。』
『残念です。』
『……仕方がありません。戦争だったのです。ともかく芸術や文化の危機だったのです。僕はピーターと一緒に演奏会を行いました。クラシックを……音楽を絶やしてはいけないと。彼がピアノで僕がチェロ……。久しぶりに演奏漬けの毎日でした。そんな中、終結から5ヶ月経ったある日、僕は友人から恩人のリリエンタール少佐が戦犯収容所にいると聞きました。』
『クラーヴェ、ロマーナ、そしてジパングの勇者は例外無くA級戦犯は免れなかったでしょう。』
『はい。彼女もそうでした。彼女の情報通り、年が明けて間も無い1945年1月12日、シャーロ共産連邦は侵撃を開始してクラーヴェ軍を一掃したそうです。そこで捕虜になったらしいのです。……僕はリリエンタール少佐に会う為に情報を集めました。そうしたら、シャーロ共産連邦の収容所にいるとわかりました。ペーターに彼女を助けたいと打ち明けると、彼は『行って来い。』と快く許してくれました。』
『ちょっと待って下さい。リリエンタール少佐は人工勇者のはず。噂でしか知りませんが、彼らの末路は……。』
『はい。……その噂は事実とそう変わらないと思います。それで……彼女はもうすでに人間ではありませんでした。しかし、僕は彼女に会う事が出来たのです。』
『マエストロ……あなたは』
『失礼、お二方。……面会終了時刻です。パンデモニウム大監獄No.KI153♭17123号小世界への移送ゲートが開きます。』
『わかりました。直ぐそちらに……。記者さん、僕はお役に立てたでしょうか?』
『えぇ……もちろん!』
『良かった。……僕が彼女に会ってどうなったか。それは現在、僕が置かれている状況が答えです。』
『……そこに立っている彼女は……まさか。』
『……後はあなたの想像にお任せします。』
『マエストロ・カザルスキー……またお会い出来ますか?』
『えぇ……きっと。』
『ゲート閉じます…………。』
『マエストロ、今度はあなたのチェロを聴きに……』
。
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。
『……出迎えてくれてありがとう。』
『おかえり。』
『ただいま……わっ!?……ははっ、テレサ、どうしたんだい?ちょっと苦しいよ。』
『ごめんなさい……でも、寂しくて。』
『僕とテレサが別れてから、ここでは1時間も経っていないでしょう?』
『君と……片時とも離れたくは無いんだ。ちゅっ……』
『『ん……んっ……ん……』』
『ちゅっ……テレサ……待って、服を脱がないと。それに君の修道服も……その……汚してしまうよ。』
『汚してほしい……。それに汚れても直ぐに魔法で元に戻るわ。』
『おっと!?……押し倒っ……大丈夫かい?』
『私がそうさせたの……セルゲイ……キテ……。』
『『あぁ…………』』
『ひっく……えぐっ……』
『テレサ……どうして泣いているの?』
『セルゲイ……ひっく……そのまま……私を抱きしめて……』
『うん…………』
『ずっと……怖くて聞けなかった事があるの……』
『うん……』
『私は…………クラーヴェの人工勇者で……勇者の力の代償は……身体の崩壊……そうなる筈だった……捕虜になって……『死んで楽になれると思うな。』……『生きて償え』……そう言われて……魔物娘にされて……』
『うん…………そうだったね。』
『私は死にたかった……死ぬべきだった……でも……あなたが……私を探し出してくれて……私は……私は、生きたくなった……死ぬのが怖くなった……』
『誰だって……怖いよ。』
『でも……もっと怖いものが出来た。』
『うん……なんだい?』
『セルゲイ……あなたは……私と……一緒に……罪を背負ってくれた……一緒に生きよう……そう言ってくれた。』
『うん……』
『でも……本当は……後悔しているのではないかって……セルゲイは……あなたはユタ人で……私達は戦争で……あなた達の……全てを奪ってしまった…………本当は一緒に居たく無いんじゃないかって……本当は……本当は……私を憎んでいるんじゃ無いかって……』
『…………』
『ごめんなさい……えぐっ……ごめんなさ"い"……ひっく……それでも……それでも"っ……ひっく……あなたを失いたくない……えぐっ……ごめんなさい……ごめんなさ"い…………』
『……テレサ・フォン・リリエンタール少佐。君はもう十分に戦って……そして苦しんだ。僕は自分可愛さに、ただ逃げていただけだった。……でも君は違う。確かに間違いを犯したかも知れないけど、高潔に最善を尽くそうとした。……戦争の中で果たさなければならない義務もあったろう……友達や仲間や部下……護らなければならない人が居たのでしょう。……その葛藤の中で……テレサ……君は、自分の良心に従ってユタ人や連邦軍兵士を助け、血や憎しみを避けようと最善を尽くした。……どうして君を憎む事が出来るのだろう?』
『ひっく……ひっく…………赦して……くれるの?』
『はい……。僕が赦さないで、他の誰が君を赦しますか?』
『ぁぁああああああ………………』
『泣かないで……。君は間違ったかも知れない。でも……でもね?世界はもっと間違っているんだ。』
『セルゲイ……あなたは……あの寒い雪の日……私の心を救ってくれた。そして今も救ってくれた……。あったかい……あなたの手……あったかい……』
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『落ち着いた?』
『はい……。……まだ硬い……』
『…………………………。』
『ねぇ?……シよ?』
『テレサ……それはズルいよ。』
『…………いや?』
『……ちゅっ……ん……ん……ん……』
『……ん…っちゅ………ん……ん……』
『セルゲイもズルい………あっ……やっ……』
『おあいこだよっ……くっ……あ……』
『セルゲイ!セルゲイ!あっ、あっ!……キモチイイ……キモチイイよぉおお!!』
『テレサ……テレサァ!!』
『うぁ……あ"……か、かたいっ……かたいよぉぉ〜〜!!』
『はぁっ……あっ、テレサ……僕、もうっ……』
『キテ……キテ!!セルゲイ!!セルゲイっっ!!!』
『『ぁぁああああああぁぁああああああ!!!』』
………………………………………………
『あったかい……お腹……しあわせ……』
『テレサ……ちゅ……』
『ちゅ……眠いのね?……私も。……このまま……寝て……しまい……ま……しょ……う…………』
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『♪〜〜〜……♪〜〜〜 ……♪〜〜…………』
『セルゲイ?……』
『おはよう。テレサ。』
『……綺麗な音ね。……少し妬けちゃうわ。』
『ははは。チェロにかい?』
『だって…………。』
『……最近気づいたのだけれど、このチェロの形……テレサに凄く似てるんだ。……ちょっと背中を向けて?』
『……こう?』
『ありがとう。……ほらっ、ピッタリだ。』
『……ホントだ。』
『僕とテレサの相性が良いのも、このせいかも。』
『……なんか上手く誤魔化された気が?』
『そ、そんな事……すみません、あります。』
『ふふふふ♪』
『ははは。……ねぇ、テレサ。お祈りはいいの?』
『……後で。今はあなたのチェロが聴きたい。』
『こほん!……お客様、リクエストはございますか?』
『セバスチャンは引けますか?』
『……では、アリオーソをお楽しみ下さい。』
fen.
22/05/15 11:38更新 / francois