後編 1
「正直に言うよ。実は僕、失業していてね…。今度ようやく仕事が決まりそうなんだ。でも遠い所にある会社だから、ここからは引っ越さなければならなくて。隠していてごめん…。」
アネモネは僕の事を抱きしめてくれている。彼女の心地よい香りに包まれながら、僕は今までの事を詫びた。こんな僕だけれど待っていてくれる?そう続ける前に、アネモネは悲しげに言った。
「そんな…。わたくしのほうこそ本当に申し訳ありません…。旦那様のお悩みに全く気が付かなかったなんて、メイド失格ですね…。」
「ううん…。君は何も謝ることは無いよ。」
もう何も遠慮することは無い。僕もアネモネの体をぎゅっと抱きしめる。弾力性のあるゼリーの様な感触が僕の腕に伝わった。心地よさにうっとりする僕を見て、アネモネは優しく言い聞かせてくれる。
「あのお、旦那様。僭越ながら申し上げますが。旦那様は何もお悩みになることは無いのですよ。」
「えっ?」
「旦那様。わたくしはショゴスにございます。常に旦那様にお仕えして、お世話する事こそ生きがいで喜びなのですよ。最初からお金を頂こうなんて思っておりませんでした。」
「でも…。」
「旦那様。旦那様がお悩みの事を色々整理致しましょうか…。」
告白を受け入れてくれてとっても嬉しいけれど、将来の事はちゃんと考えなければならない。
不安でいっぱいだった僕を落ち着かせるように、アネモネは笑顔で愛撫してくれた。
「まずはわたくしどもの担当者のほうから事情をご説明いたしますね。」
アネモネは抱擁を解くと携帯を取り出した。誰かと話し出したが用件は済んだようで、すぐに携帯を置いた。
「少々お待ちください。」
アネモネの言葉が終わらないうちに僕のスマホが鳴り出す。慌てて取ると電話の主はよく知ったひとだった。
「さ、咲姉ちゃん?」
驚いて問いかける僕に、電話の向こうの咲ねえは楽しそうに笑った。
「…おお。久しぶりだね。元気そうでなにより!」
「うん。咲姉ちゃんこそ。ってなんで咲姉が?」
「…なんで?前に言ったじゃないか。私は一応このメイド紹介所の出資者なんだよ。多少は経営にも関わっているさ。それでな………」
その後咲姉に話を聞いた所、メイド紹介所というのは建前で、実際は結婚紹介所だとの事だ。
咲姉がチラシをくれた時、僕にその話はしたと言っていたが、全く記憶になかった。
もっともあの時はチラシのキキーモラに見入っていたので、咲姉の話はあまり聞いていなかったのだが。
こちらの世界にあまり慣れていない魔物娘に、礼儀作法や日常習慣を教えた後、相性が良さそうな男の所に派遣する。それでお互いの事を気に入れば(魔物娘が一方的に気に入った場合も当然含むが…。)万事めでたしという訳だ。
でも、咲姉は最初からこうなることを見越して僕にチラシをくれたのか?結局僕は咲姉の手の上で転がされただけだったのか。恐る恐る聞いてみる。
「…君の事はずっと心配していたんだよ。誰か世話焼きの魔物娘と一緒になってくれればなあ。とは思ったさ。当然それもあって君にチラシを渡したんだ。だけど、あくまでも決めたのは君だよ。私は一つの方法を示しただけさ。」
「そうだったの…。あの、色々心配かけてごめんね。ちゃんとお金は振り込むから。」
今回も咲姉の世話になってしまったことに気が付き、僕は申し訳ない気持ちになる。
利用料の事にも触れたが、電話の向こうで苦笑するような声が聞こえた。
「…いやいや。そのぐらいサービスするよ。とりあえずの結婚祝いという事にしておいてくれ。
いやあ。アネモネさんが君を気に入ってくれて本当に良かった。これで私も安心して旦那といちゃいちゃ出来るってものだよ。」
「そっか。咲姉も結婚したんだよね。今度お祝いに行くよ。でも、僕が結婚できるのはいつになるんだろうね…。」
僕の生活が安定するのはいつになるのだろう。それまでは結婚は無理だ。思わず溜息をつく。
「…おいおい。君はもう魔物と一緒になったんだよ。否応なしにすぐ結婚する事になるんだ。
それと君は当分の間アネモネさんに食べられ続けるから、ああ。もちろん性的にな!
だからしばらく外に出られるなんて思わないほうがいいな。」
咲姉はからかう様に言っているが、それを聞いて自分の立場を実感してしまう。
魔物娘にとって夫は、何よりも大切なものであると同時に最高のご馳走なのだ。
奴隷としてでは無くても、結局絞りつくされる事には変わりないのだと。
「…アフターサービスだ。おじさんおばさんには私のほうからうまく言っておくよ。それじゃあまた!幸せになるんだよ。君が落ち着いたら結婚祝いに行くから。」
「咲姉。本当に色々ありがとう!」
電話を置いた僕に早速アネモネが身を寄せてきた。
「旦那様。それではわたくしたちの将来について色々お話しいたしましょうね…。」
「アネモネ。僕とずっと一緒にいて欲しい。でも就職して落ち着くまで待っていて欲しいんだ。
少しの間離れて暮らすことになっちゃうけれど…。」
咲姉はああいってくれたが正直不安は大きい。強張った顔でもう一度問う僕に、アネモネは笑顔でかぶりを振った。
「旦那様。わたくしのほうこそお願いいたします。これからもわたくしを未来永劫お仕えさせて下さいませ…。でも、いくら旦那様のお言葉といえども、わたくしは旦那様から絶対に離れるつもりはございません。」
きっぱりと断言するアネモネを見て僕は困惑する。そうはいっても今のままでは生活していく事すら困難だ。もう一度よく説いて聞かせようと思ったが、アネモネはすぐに言葉を割り込ませてきた。
「旦那様が何をお悩みかは大体お察し致します。でもわたくしがいても旦那様の負担には全くならない事はお約束いたしますよ。」
「ううん。そうじゃないんだ。むしろ僕がいることで君の負担になるのが嫌なんだ…。」
僕は俯いてつぶやく。アネモネはうなだれる僕を慰めるように肩を抱いてくれた。
「わたくしなぞにお気遣い頂くなんて、やっぱり旦那様はお優しい方ですね。旦那様にお仕えすることができて本当によかったです。」
「そんなこと言われたら恥ずかしいよ。」
アネモネは照れる僕を愛おしげに見つめてくれた。深い愛情に包まれるような安堵感を覚える。
「でも旦那様。そのようなお気遣いは無用なのですよ。わたくしが居さえすれば、旦那様の衣食住全てにおいて全く不自由はさせません。どうかご心配なさらず、わたくしに全てのお世話をさせてくださいませ。」
「アネモネ…。」
「まだお悩みの様ですね。それでは旦那様が何も悩まれることが無いことをご覧に入れましょうか。」
華やかに笑うとアネモネは僕から引いた。両手を前に突き出すと、そこから紫色のスライムの粘液がどろどろこぼれ落ちる。何事かと思う間もなく、たちまち粘液は立派なテーブルとクロス、食器一式を形作った。
「えっ!?」
驚いた僕の口から思わず声が漏れる。だってそれは日ごろ僕が使っている食器だったから。
衝撃のあまり言葉もない僕を見てアネモネは満足そうにうなずいた。
「うふふっ。他にもこのような事も出来ますよ〜。」
さらにアネモネは粘液を操り、ベッドと布団を作った。これも僕が普段使っているものだ。
「これだけではございません。もっと凄いことをご覧にいれますね。」
アネモネは小悪魔の様な笑みを見せるとさらに大量の粘液を放出する。液体は床一面を覆いつくし、さらに壁と天井まで包み込んだ。あまりの事に呆然として僕はただ立ち尽くす。
いつしか僕はアネモネが作った紫色の部屋の中にいた。今まで僕の部屋にはなかった数々の調度品が、品よく部屋を飾っている。
「アネモネ。これって…。」
「今まで隠していて申し訳ありません。でも、ご覧いただいたようにわたくしは旦那様のためなら何でも出来るのですよ。」
「へえ〜っ。そうだったんだ。」
僕は感心して周囲を見回す。そしてテーブルの上にある皿を手に取ると何気なく爪ではじいた。澄んだ高い音が部屋中に響く。間違いない。どう見てもこれは普通の皿だ。一体あの粘液からどうしてここまでのモノができるのだろう。
「はあうっ!」
ますます感心した僕だったが、突然アネモネの甘い喘ぎ声が聞こえる。驚いて彼女のほうを見ると
例のごとく蕩けきった表情で座り込んでいた。
「アネモネ大丈夫?またいつもの症状かな?」
「ほんとうにいつもいつも申し訳ありません…。」
僕が様子を伺うと、アネモネは何かを決意したような眼差しで語り始める。
「旦那様…。正直に申し上げれば、その皿とわたくしは感覚がつながっておりまして…。あ、いえ。皿だけではなく。わたくしが作り出したものとはすべてつながっているのですよ。これらはわたくし自身の体で作ったものでございますので…。」
「とすると。いま僕が皿を弾いたことで君は。」
「はいっ。とっても気持ちようございました…。」
「き、気持ちいいの?」
何か妙な胸騒ぎがして問いかけると、アネモネは恍惚とした笑みを見せた。
「はい…。」
「そうだったの…。」
言葉が続かずに僕はアネモネを見つめる。アネモネは恥ずかしそうに僕から視線をそらせた。
「あ、そ、それはそうと、クローゼットの中もご覧になってくださいませ!」
アネモネは露骨に話を変えて僕の手を取ると、半ば強引にクローゼットに連れて行った。
魔物娘は性については奔放と聞いているが、アネモネは恥じらう姿も結構見せてくれる。
もちろん羞恥に悶える彼女も大変可愛らしいのだが。
「さあどうぞ。ご覧くださいませ!」
アネモネはクローゼットを開くと僕に中を見るようすすめてきた。
「へえ〜。」
「これも全部アネモネが?」
「はい!旦那様にお似合いのものをお作りいたしました。」
そこに入っていたのは様々な服。インナー、アウター、ボトム等よりどりみどりだ。
ファッションには全くの無知なのだが、それらが洗練されたデザインだという事はわかる。
僕はそのうちの一つに手をやった。やっぱりというか当然の様に色はすべて紫だ。
苦笑したくなった僕の思いを察した様にアネモネが声をかけてきた。
「とりあえずこの色で統一しましたが、旦那様のお好みの色にする事が可能ですので。いつでもお申し付けくださいね。」
「うん。その時はお願い。」
これも本当にスライムの粘液からできているのだろうか。絹の様な手触りがさらさらと心地よい。
さきほどの食器といい、この服といい、本当に何でもできるんだな…。
感心してしばらく服をいじっているとアネモネが切なそうに吐息をついた。
「あぁっ…。旦那様。それきもちいですよぉ…。」
「あっ。ごめん。これとも神経つながっているんだよね。」
「いいえ。とっても心地よいのですよ。どうかお気になさらず…。」
淫らな眼差しのアネモネを見ながら頭にひらめくものがあった。
アネモネは布関連のものを作ることができる。
アネモネは自分が作り出した物質と性感がつながっている。
僕が普段使っている紫のバスタオルもアネモネが用意してくれている。
そして僕はそのタオルに毎日射精している…。
さまざまな事実がパズルの様につながる。まさか…。僕は動揺が抑えきれずに問いかけた。
「ええと…。アネモネさん。」
「なんでございましょう旦那様。」
アネモネは妙に困った様な低い声で答えた。
「もしかして、いつも君が用意してくれていたバスタオル。あれも君が…」
見つめる僕の眼差しを避けるように、アネモネはあちこち視線を彷徨わせる。だが、やがて観念したかのように俯いてしまった。
「はい…。いつもごちそうさまです…。大変おいしゅうございました…。」
「あ、いえ。おそまつさまです…。」
頭を下げるアネモネに思わず間抜けな返しをしてしまう。でも、やっぱりそうだったのか…。
僕はアネモネが作ったバスタオル…つまりアネモネ自身に毎日射精していたんだ…。
これはオナニーなんでものじゃない。僕はアネモネと疑似セックス、というかアネモネと毎日セックスしていた様なものだ…。
アネモネは今にも消え入りそうな様子でもじもじしている。本当に恥ずかしそうだ。
いや。僕だって十分恥ずかしい…。隠れてこっそりオナニーしていたつもりが、実は堂々とセックスしていましたよなんて…。悪い冗談にもほどがある。羞恥心のあまり顔が真っ赤になっていくのが分かったが、ふと気が付いた。
アネモネはおいしゅうございましたって言ってた。やっぱりバスタオルに出していた精液は彼女が食べていたんだ…。魔物にとって精は大変甘美なご馳走との事だ。アネモネが酔ったようになっていた原因が、僕の精を食べた事によるものだとすれば理解できる。
奇妙な状況の中、変に納得してうなずいているとアネモネがおずおずと身を寄せてきた。
「お許しください旦那様っ!わたくしもあのような浅ましい真似をするつもりはございませんでした。でも旦那様があまりにもおいしそうでしたので、つい気持ちが抑えきれずに…。
一度頂きましたところ異常なほどの美味でしたので、我慢できずに何度も何度も隠れて頂いてしまって…。本当に申し訳ありませんっ。」
申し訳なさそうに何度も頭を下げるアネモネを見ていると、何も言えなくなってしまった。
というか、こういった姿も大変可愛くてよろしい。僕は笑顔でかぶりを振った。
「ううん。アネモネ体調悪いのに無理しているのかな?ってずっと心配していたから。原因が分かって安心したよ。だからもう謝らないで。」
「旦那様…。」
「ああ、それよりアネモネの話がまだ途中だったね。」
アネモネはほっとした様に微笑む。僕はもう気にしないでいいよと話を促した。
「それと、旦那様。衣と住については今ご覧頂いたように全く心配ございません。食についても同じ事なのですよ。」
「そうなの?」
すっかり平静を取り戻したアネモネは、僕を安心させるような優しい声で説明してくれる。
「旦那様はスライムゼリーの事はお聞き及びではございませんか?」
「ああ。スライムの体から取れる珍味だよね。」
スライムゼリーはスライムの体の余剰部分から取れるものだ。ゼリーというぐらいだから当然食べられる。だが、間違いなくスライムの体の一部なので、かなりの珍味としての扱いになっている。
僕も今まで食べたことは無かった。咲姉がみやげで持ってきてくれた事はあったが、スライムの体という事で気が進まなかったのだ。
「はい。わたくしも一応スライム属なので、体からゼリーを取る事は簡単な事なのですよ。」
アネモネは語り終えると、たちまち手の上にお盆とグラスを形作った。グラスは濃紫色のどろりとした液体で満ちている。お盆を僕に向けてうやうやしく差し出すと、アネモネは満面の笑みを見せた。
「はい。どうそお召し上がりになってくださいませ!」
「えっ!?」
予想しなかったアネモネの行動に、僕の口から困惑の声が漏れてしまう。僕の心の揺れを察したアネモネの表情が曇った。
「あ、あの。ご安心くださいませ!ショゴスのスライムゼリーは大変に栄養豊富です。これさえ食べていれば飢えることも渇くこともございません。味付けも旦那様のお好みに合わせてありますので、おいしくお召し上がりいただけるはずです!」
「で、でもアネモネ…。」
「ですからどうか一度お試しいただけませんか?お願いいたします。どうか一度だけでも………。」
尻込みする僕にアネモネは何度も哀願し続ける。でも、いくらアネモネの頼みでもゲテモノみたいな食べ物は嫌だな…。思わず渋い顔をしてしまったが、その時アネモネの表情が目に入った。
あっ。いけない…。
アネモネは不安げな眼差しをしていた。目が潤み今にも涙をこぼしそうな顔だった。
ああ、これは食べなければアネモネ泣いちゃうな…。そう確信させるほど悲壮な様子だった。
食わず嫌いでアネモネを泣かすなんて嫌だ。僕は慌てて笑顔を作った。
「旦那様ぁ…。」
「へえ〜。よく見るととっても美味しそうだね〜。それじゃあ早速いただきまあ~す!」
(棒)とでも付きそうなほど抑揚のない声だったとは思う…。それでも僕はグラスを取り、中の液体を一気に口に入れた。
「むっ!」
アネモネの味わいが口いっぱいに広がった瞬間。僕は驚きの呻きを上げた。
アネモネのゼリーはおいしかった。とっても甘く、濃く、旨味に満ちたものだった。
何とも例えようもない不思議な味わいだけれども、間違いなく美味しかった。
僕は液体を飲み込んだ。もっと、もっと食べたい…。異様な食欲が襲ってくる。
いつしか僕はアネモネにおねだりしていた。
「アネモネ。これ凄くおいしいよ。おかわりとかあるかな?」
僕のうっとりとした表情に気が付いたアネモネは、悲しげな表情をがらりと変える。
はしゃぐように笑うと、たちまちお盆にもう一つ容器を出してきた。
「もちろんでございます!幾らでもお召し上がりいただけますよ!さ、どうそ。今度は趣向を変えてゼリーにいたしましたので。」
お盆には大きめのゼリーカップとスプーンが載っていた。当然カップの中には濃紺色のショゴスゼリーが入っており、ぷるぷると揺れている。僕はすぐさま手に取って食べ始める。
「ああ…。これでようやく旦那様と一つになれましたっ。なんと喜ばしいことでしょうかっ!」
貪る様に自身の体を食べ続ける僕を見て、アネモネも歓喜に満ち溢れた笑みを見せた。気のせいだろうか。その表情はどことなく狂気の色が浮かんでいるようだった。
「ごちそうさまアネモネ。とっても美味しかったよ。」
「お粗末様でした。もったいないお言葉です。」
十分食べてお腹一杯になった僕はごちそうさまを言った。アネモネも笑顔で返してくれたが、これってさっきのやり取りが逆になっている。気が付いた僕たちは顔を見合わせ笑い合った。
でも、僕ばっかりアネモネを食べていては申し訳ない。第一体は大丈夫なのだろうか?
「でも、アネモネは僕に食べられてばかりで大丈夫なの?」
「あ、いえ…。わたくしも旦那様を毎日大変おいしく頂いておりますので…。そこから栄養は十分すぎるほど補給できますから、どうかご心配なく…。」
アネモネは問いかける僕に対しばつが悪そうに俯いた。
そうだ。僕は毎日アネモネのバスタオルに精を吐き出していたのだった。あらためて思い出す。
バスタオルが精液を吸い取るような動きをするのはおかしいと思ってはいた。これはアネモネが食べていたせいだったのだろう。
「こ、これからは旦那様はわたくしを頂き。わたくしは旦那様を頂けばよいと思うのです。
私たちは互いで互いを満たしあう事が出来る、永久機関に等しいものになったのですから。
ですから食についても全く心配なされることは無いのですよ。ご安心ください!」
アネモネは半ば強引に話をまとめた。人と魔物の番は飲まず食わずでも生きていける。
言っている事は間違いないとは思う。でも、理屈は分かるが妙に二の足を踏む思いだ。
沈黙する僕をアネモネはそっと抱きしめてきた。
「以前旦那様からお伺いしましたが、旦那様は夢を追ってこられたのですよね。けれどずっと追い続けた結果、道に迷ってしまわれたのだとお見受けいたしますが?」
アネモネの穏やかな声に僕は黙ってうなずく。
「でも、旦那様。今はすこし立ち止まりませんか?一息ついて周りを見回してみませんか?
わたくしと一緒にお茶でも飲まれていれば、そのうち出口も見つかるでしょう。
これからはこのわたくしが一緒なのです。どうか旦那様を応援させていただけませんか?」
「アネモネ。君に迷惑かけるけど…。」
まだ踏ん切りがつかず、迷う僕をアネモネは優しく教え諭してくれた。
「またそのような事を!今申し上げたように、わたくしは旦那様の精さえ頂ければ、衣食住全てを満たして差し上げる事が出来るのです。わたくしも旦那様の精が無ければ生きて行く事は出来ないのです。お互いに無くてはならないものになったわたくしたちです。迷惑という言葉はありえません!」
語り終えたアネモネは微笑んで僕を見守っている。アネモネの瞳は月の色。澄んだ黄色の輝きだった。温かな光に照らされるように、頑なな気持ちはいつしか溶けて行った。
アネモネに気兼ねする必要はないんだ…。僕は深呼吸すると想いを打ち明けた。
「お願いアネモネ。僕のそばにいて。はなれないでずっとそばにいて。」
僕はアネモネを抱きしめる。心地よい温度の粘液に顔を埋める。アネモネの体液は花蜜の様な素敵な香りだ。甘い匂いに包まれていると、いつしか気持ちが穏やかになった。
「ありがとうございます旦那様。これからもずっとよろしくお願いいたしますね。」
感極まった様子のアネモネは、温かい粘液で僕を包み込む。僕は抱擁の温かさと心地よさに憩った。
アネモネは僕の事を抱きしめてくれている。彼女の心地よい香りに包まれながら、僕は今までの事を詫びた。こんな僕だけれど待っていてくれる?そう続ける前に、アネモネは悲しげに言った。
「そんな…。わたくしのほうこそ本当に申し訳ありません…。旦那様のお悩みに全く気が付かなかったなんて、メイド失格ですね…。」
「ううん…。君は何も謝ることは無いよ。」
もう何も遠慮することは無い。僕もアネモネの体をぎゅっと抱きしめる。弾力性のあるゼリーの様な感触が僕の腕に伝わった。心地よさにうっとりする僕を見て、アネモネは優しく言い聞かせてくれる。
「あのお、旦那様。僭越ながら申し上げますが。旦那様は何もお悩みになることは無いのですよ。」
「えっ?」
「旦那様。わたくしはショゴスにございます。常に旦那様にお仕えして、お世話する事こそ生きがいで喜びなのですよ。最初からお金を頂こうなんて思っておりませんでした。」
「でも…。」
「旦那様。旦那様がお悩みの事を色々整理致しましょうか…。」
告白を受け入れてくれてとっても嬉しいけれど、将来の事はちゃんと考えなければならない。
不安でいっぱいだった僕を落ち着かせるように、アネモネは笑顔で愛撫してくれた。
「まずはわたくしどもの担当者のほうから事情をご説明いたしますね。」
アネモネは抱擁を解くと携帯を取り出した。誰かと話し出したが用件は済んだようで、すぐに携帯を置いた。
「少々お待ちください。」
アネモネの言葉が終わらないうちに僕のスマホが鳴り出す。慌てて取ると電話の主はよく知ったひとだった。
「さ、咲姉ちゃん?」
驚いて問いかける僕に、電話の向こうの咲ねえは楽しそうに笑った。
「…おお。久しぶりだね。元気そうでなにより!」
「うん。咲姉ちゃんこそ。ってなんで咲姉が?」
「…なんで?前に言ったじゃないか。私は一応このメイド紹介所の出資者なんだよ。多少は経営にも関わっているさ。それでな………」
その後咲姉に話を聞いた所、メイド紹介所というのは建前で、実際は結婚紹介所だとの事だ。
咲姉がチラシをくれた時、僕にその話はしたと言っていたが、全く記憶になかった。
もっともあの時はチラシのキキーモラに見入っていたので、咲姉の話はあまり聞いていなかったのだが。
こちらの世界にあまり慣れていない魔物娘に、礼儀作法や日常習慣を教えた後、相性が良さそうな男の所に派遣する。それでお互いの事を気に入れば(魔物娘が一方的に気に入った場合も当然含むが…。)万事めでたしという訳だ。
でも、咲姉は最初からこうなることを見越して僕にチラシをくれたのか?結局僕は咲姉の手の上で転がされただけだったのか。恐る恐る聞いてみる。
「…君の事はずっと心配していたんだよ。誰か世話焼きの魔物娘と一緒になってくれればなあ。とは思ったさ。当然それもあって君にチラシを渡したんだ。だけど、あくまでも決めたのは君だよ。私は一つの方法を示しただけさ。」
「そうだったの…。あの、色々心配かけてごめんね。ちゃんとお金は振り込むから。」
今回も咲姉の世話になってしまったことに気が付き、僕は申し訳ない気持ちになる。
利用料の事にも触れたが、電話の向こうで苦笑するような声が聞こえた。
「…いやいや。そのぐらいサービスするよ。とりあえずの結婚祝いという事にしておいてくれ。
いやあ。アネモネさんが君を気に入ってくれて本当に良かった。これで私も安心して旦那といちゃいちゃ出来るってものだよ。」
「そっか。咲姉も結婚したんだよね。今度お祝いに行くよ。でも、僕が結婚できるのはいつになるんだろうね…。」
僕の生活が安定するのはいつになるのだろう。それまでは結婚は無理だ。思わず溜息をつく。
「…おいおい。君はもう魔物と一緒になったんだよ。否応なしにすぐ結婚する事になるんだ。
それと君は当分の間アネモネさんに食べられ続けるから、ああ。もちろん性的にな!
だからしばらく外に出られるなんて思わないほうがいいな。」
咲姉はからかう様に言っているが、それを聞いて自分の立場を実感してしまう。
魔物娘にとって夫は、何よりも大切なものであると同時に最高のご馳走なのだ。
奴隷としてでは無くても、結局絞りつくされる事には変わりないのだと。
「…アフターサービスだ。おじさんおばさんには私のほうからうまく言っておくよ。それじゃあまた!幸せになるんだよ。君が落ち着いたら結婚祝いに行くから。」
「咲姉。本当に色々ありがとう!」
電話を置いた僕に早速アネモネが身を寄せてきた。
「旦那様。それではわたくしたちの将来について色々お話しいたしましょうね…。」
「アネモネ。僕とずっと一緒にいて欲しい。でも就職して落ち着くまで待っていて欲しいんだ。
少しの間離れて暮らすことになっちゃうけれど…。」
咲姉はああいってくれたが正直不安は大きい。強張った顔でもう一度問う僕に、アネモネは笑顔でかぶりを振った。
「旦那様。わたくしのほうこそお願いいたします。これからもわたくしを未来永劫お仕えさせて下さいませ…。でも、いくら旦那様のお言葉といえども、わたくしは旦那様から絶対に離れるつもりはございません。」
きっぱりと断言するアネモネを見て僕は困惑する。そうはいっても今のままでは生活していく事すら困難だ。もう一度よく説いて聞かせようと思ったが、アネモネはすぐに言葉を割り込ませてきた。
「旦那様が何をお悩みかは大体お察し致します。でもわたくしがいても旦那様の負担には全くならない事はお約束いたしますよ。」
「ううん。そうじゃないんだ。むしろ僕がいることで君の負担になるのが嫌なんだ…。」
僕は俯いてつぶやく。アネモネはうなだれる僕を慰めるように肩を抱いてくれた。
「わたくしなぞにお気遣い頂くなんて、やっぱり旦那様はお優しい方ですね。旦那様にお仕えすることができて本当によかったです。」
「そんなこと言われたら恥ずかしいよ。」
アネモネは照れる僕を愛おしげに見つめてくれた。深い愛情に包まれるような安堵感を覚える。
「でも旦那様。そのようなお気遣いは無用なのですよ。わたくしが居さえすれば、旦那様の衣食住全てにおいて全く不自由はさせません。どうかご心配なさらず、わたくしに全てのお世話をさせてくださいませ。」
「アネモネ…。」
「まだお悩みの様ですね。それでは旦那様が何も悩まれることが無いことをご覧に入れましょうか。」
華やかに笑うとアネモネは僕から引いた。両手を前に突き出すと、そこから紫色のスライムの粘液がどろどろこぼれ落ちる。何事かと思う間もなく、たちまち粘液は立派なテーブルとクロス、食器一式を形作った。
「えっ!?」
驚いた僕の口から思わず声が漏れる。だってそれは日ごろ僕が使っている食器だったから。
衝撃のあまり言葉もない僕を見てアネモネは満足そうにうなずいた。
「うふふっ。他にもこのような事も出来ますよ〜。」
さらにアネモネは粘液を操り、ベッドと布団を作った。これも僕が普段使っているものだ。
「これだけではございません。もっと凄いことをご覧にいれますね。」
アネモネは小悪魔の様な笑みを見せるとさらに大量の粘液を放出する。液体は床一面を覆いつくし、さらに壁と天井まで包み込んだ。あまりの事に呆然として僕はただ立ち尽くす。
いつしか僕はアネモネが作った紫色の部屋の中にいた。今まで僕の部屋にはなかった数々の調度品が、品よく部屋を飾っている。
「アネモネ。これって…。」
「今まで隠していて申し訳ありません。でも、ご覧いただいたようにわたくしは旦那様のためなら何でも出来るのですよ。」
「へえ〜っ。そうだったんだ。」
僕は感心して周囲を見回す。そしてテーブルの上にある皿を手に取ると何気なく爪ではじいた。澄んだ高い音が部屋中に響く。間違いない。どう見てもこれは普通の皿だ。一体あの粘液からどうしてここまでのモノができるのだろう。
「はあうっ!」
ますます感心した僕だったが、突然アネモネの甘い喘ぎ声が聞こえる。驚いて彼女のほうを見ると
例のごとく蕩けきった表情で座り込んでいた。
「アネモネ大丈夫?またいつもの症状かな?」
「ほんとうにいつもいつも申し訳ありません…。」
僕が様子を伺うと、アネモネは何かを決意したような眼差しで語り始める。
「旦那様…。正直に申し上げれば、その皿とわたくしは感覚がつながっておりまして…。あ、いえ。皿だけではなく。わたくしが作り出したものとはすべてつながっているのですよ。これらはわたくし自身の体で作ったものでございますので…。」
「とすると。いま僕が皿を弾いたことで君は。」
「はいっ。とっても気持ちようございました…。」
「き、気持ちいいの?」
何か妙な胸騒ぎがして問いかけると、アネモネは恍惚とした笑みを見せた。
「はい…。」
「そうだったの…。」
言葉が続かずに僕はアネモネを見つめる。アネモネは恥ずかしそうに僕から視線をそらせた。
「あ、そ、それはそうと、クローゼットの中もご覧になってくださいませ!」
アネモネは露骨に話を変えて僕の手を取ると、半ば強引にクローゼットに連れて行った。
魔物娘は性については奔放と聞いているが、アネモネは恥じらう姿も結構見せてくれる。
もちろん羞恥に悶える彼女も大変可愛らしいのだが。
「さあどうぞ。ご覧くださいませ!」
アネモネはクローゼットを開くと僕に中を見るようすすめてきた。
「へえ〜。」
「これも全部アネモネが?」
「はい!旦那様にお似合いのものをお作りいたしました。」
そこに入っていたのは様々な服。インナー、アウター、ボトム等よりどりみどりだ。
ファッションには全くの無知なのだが、それらが洗練されたデザインだという事はわかる。
僕はそのうちの一つに手をやった。やっぱりというか当然の様に色はすべて紫だ。
苦笑したくなった僕の思いを察した様にアネモネが声をかけてきた。
「とりあえずこの色で統一しましたが、旦那様のお好みの色にする事が可能ですので。いつでもお申し付けくださいね。」
「うん。その時はお願い。」
これも本当にスライムの粘液からできているのだろうか。絹の様な手触りがさらさらと心地よい。
さきほどの食器といい、この服といい、本当に何でもできるんだな…。
感心してしばらく服をいじっているとアネモネが切なそうに吐息をついた。
「あぁっ…。旦那様。それきもちいですよぉ…。」
「あっ。ごめん。これとも神経つながっているんだよね。」
「いいえ。とっても心地よいのですよ。どうかお気になさらず…。」
淫らな眼差しのアネモネを見ながら頭にひらめくものがあった。
アネモネは布関連のものを作ることができる。
アネモネは自分が作り出した物質と性感がつながっている。
僕が普段使っている紫のバスタオルもアネモネが用意してくれている。
そして僕はそのタオルに毎日射精している…。
さまざまな事実がパズルの様につながる。まさか…。僕は動揺が抑えきれずに問いかけた。
「ええと…。アネモネさん。」
「なんでございましょう旦那様。」
アネモネは妙に困った様な低い声で答えた。
「もしかして、いつも君が用意してくれていたバスタオル。あれも君が…」
見つめる僕の眼差しを避けるように、アネモネはあちこち視線を彷徨わせる。だが、やがて観念したかのように俯いてしまった。
「はい…。いつもごちそうさまです…。大変おいしゅうございました…。」
「あ、いえ。おそまつさまです…。」
頭を下げるアネモネに思わず間抜けな返しをしてしまう。でも、やっぱりそうだったのか…。
僕はアネモネが作ったバスタオル…つまりアネモネ自身に毎日射精していたんだ…。
これはオナニーなんでものじゃない。僕はアネモネと疑似セックス、というかアネモネと毎日セックスしていた様なものだ…。
アネモネは今にも消え入りそうな様子でもじもじしている。本当に恥ずかしそうだ。
いや。僕だって十分恥ずかしい…。隠れてこっそりオナニーしていたつもりが、実は堂々とセックスしていましたよなんて…。悪い冗談にもほどがある。羞恥心のあまり顔が真っ赤になっていくのが分かったが、ふと気が付いた。
アネモネはおいしゅうございましたって言ってた。やっぱりバスタオルに出していた精液は彼女が食べていたんだ…。魔物にとって精は大変甘美なご馳走との事だ。アネモネが酔ったようになっていた原因が、僕の精を食べた事によるものだとすれば理解できる。
奇妙な状況の中、変に納得してうなずいているとアネモネがおずおずと身を寄せてきた。
「お許しください旦那様っ!わたくしもあのような浅ましい真似をするつもりはございませんでした。でも旦那様があまりにもおいしそうでしたので、つい気持ちが抑えきれずに…。
一度頂きましたところ異常なほどの美味でしたので、我慢できずに何度も何度も隠れて頂いてしまって…。本当に申し訳ありませんっ。」
申し訳なさそうに何度も頭を下げるアネモネを見ていると、何も言えなくなってしまった。
というか、こういった姿も大変可愛くてよろしい。僕は笑顔でかぶりを振った。
「ううん。アネモネ体調悪いのに無理しているのかな?ってずっと心配していたから。原因が分かって安心したよ。だからもう謝らないで。」
「旦那様…。」
「ああ、それよりアネモネの話がまだ途中だったね。」
アネモネはほっとした様に微笑む。僕はもう気にしないでいいよと話を促した。
「それと、旦那様。衣と住については今ご覧頂いたように全く心配ございません。食についても同じ事なのですよ。」
「そうなの?」
すっかり平静を取り戻したアネモネは、僕を安心させるような優しい声で説明してくれる。
「旦那様はスライムゼリーの事はお聞き及びではございませんか?」
「ああ。スライムの体から取れる珍味だよね。」
スライムゼリーはスライムの体の余剰部分から取れるものだ。ゼリーというぐらいだから当然食べられる。だが、間違いなくスライムの体の一部なので、かなりの珍味としての扱いになっている。
僕も今まで食べたことは無かった。咲姉がみやげで持ってきてくれた事はあったが、スライムの体という事で気が進まなかったのだ。
「はい。わたくしも一応スライム属なので、体からゼリーを取る事は簡単な事なのですよ。」
アネモネは語り終えると、たちまち手の上にお盆とグラスを形作った。グラスは濃紫色のどろりとした液体で満ちている。お盆を僕に向けてうやうやしく差し出すと、アネモネは満面の笑みを見せた。
「はい。どうそお召し上がりになってくださいませ!」
「えっ!?」
予想しなかったアネモネの行動に、僕の口から困惑の声が漏れてしまう。僕の心の揺れを察したアネモネの表情が曇った。
「あ、あの。ご安心くださいませ!ショゴスのスライムゼリーは大変に栄養豊富です。これさえ食べていれば飢えることも渇くこともございません。味付けも旦那様のお好みに合わせてありますので、おいしくお召し上がりいただけるはずです!」
「で、でもアネモネ…。」
「ですからどうか一度お試しいただけませんか?お願いいたします。どうか一度だけでも………。」
尻込みする僕にアネモネは何度も哀願し続ける。でも、いくらアネモネの頼みでもゲテモノみたいな食べ物は嫌だな…。思わず渋い顔をしてしまったが、その時アネモネの表情が目に入った。
あっ。いけない…。
アネモネは不安げな眼差しをしていた。目が潤み今にも涙をこぼしそうな顔だった。
ああ、これは食べなければアネモネ泣いちゃうな…。そう確信させるほど悲壮な様子だった。
食わず嫌いでアネモネを泣かすなんて嫌だ。僕は慌てて笑顔を作った。
「旦那様ぁ…。」
「へえ〜。よく見るととっても美味しそうだね〜。それじゃあ早速いただきまあ~す!」
(棒)とでも付きそうなほど抑揚のない声だったとは思う…。それでも僕はグラスを取り、中の液体を一気に口に入れた。
「むっ!」
アネモネの味わいが口いっぱいに広がった瞬間。僕は驚きの呻きを上げた。
アネモネのゼリーはおいしかった。とっても甘く、濃く、旨味に満ちたものだった。
何とも例えようもない不思議な味わいだけれども、間違いなく美味しかった。
僕は液体を飲み込んだ。もっと、もっと食べたい…。異様な食欲が襲ってくる。
いつしか僕はアネモネにおねだりしていた。
「アネモネ。これ凄くおいしいよ。おかわりとかあるかな?」
僕のうっとりとした表情に気が付いたアネモネは、悲しげな表情をがらりと変える。
はしゃぐように笑うと、たちまちお盆にもう一つ容器を出してきた。
「もちろんでございます!幾らでもお召し上がりいただけますよ!さ、どうそ。今度は趣向を変えてゼリーにいたしましたので。」
お盆には大きめのゼリーカップとスプーンが載っていた。当然カップの中には濃紺色のショゴスゼリーが入っており、ぷるぷると揺れている。僕はすぐさま手に取って食べ始める。
「ああ…。これでようやく旦那様と一つになれましたっ。なんと喜ばしいことでしょうかっ!」
貪る様に自身の体を食べ続ける僕を見て、アネモネも歓喜に満ち溢れた笑みを見せた。気のせいだろうか。その表情はどことなく狂気の色が浮かんでいるようだった。
「ごちそうさまアネモネ。とっても美味しかったよ。」
「お粗末様でした。もったいないお言葉です。」
十分食べてお腹一杯になった僕はごちそうさまを言った。アネモネも笑顔で返してくれたが、これってさっきのやり取りが逆になっている。気が付いた僕たちは顔を見合わせ笑い合った。
でも、僕ばっかりアネモネを食べていては申し訳ない。第一体は大丈夫なのだろうか?
「でも、アネモネは僕に食べられてばかりで大丈夫なの?」
「あ、いえ…。わたくしも旦那様を毎日大変おいしく頂いておりますので…。そこから栄養は十分すぎるほど補給できますから、どうかご心配なく…。」
アネモネは問いかける僕に対しばつが悪そうに俯いた。
そうだ。僕は毎日アネモネのバスタオルに精を吐き出していたのだった。あらためて思い出す。
バスタオルが精液を吸い取るような動きをするのはおかしいと思ってはいた。これはアネモネが食べていたせいだったのだろう。
「こ、これからは旦那様はわたくしを頂き。わたくしは旦那様を頂けばよいと思うのです。
私たちは互いで互いを満たしあう事が出来る、永久機関に等しいものになったのですから。
ですから食についても全く心配なされることは無いのですよ。ご安心ください!」
アネモネは半ば強引に話をまとめた。人と魔物の番は飲まず食わずでも生きていける。
言っている事は間違いないとは思う。でも、理屈は分かるが妙に二の足を踏む思いだ。
沈黙する僕をアネモネはそっと抱きしめてきた。
「以前旦那様からお伺いしましたが、旦那様は夢を追ってこられたのですよね。けれどずっと追い続けた結果、道に迷ってしまわれたのだとお見受けいたしますが?」
アネモネの穏やかな声に僕は黙ってうなずく。
「でも、旦那様。今はすこし立ち止まりませんか?一息ついて周りを見回してみませんか?
わたくしと一緒にお茶でも飲まれていれば、そのうち出口も見つかるでしょう。
これからはこのわたくしが一緒なのです。どうか旦那様を応援させていただけませんか?」
「アネモネ。君に迷惑かけるけど…。」
まだ踏ん切りがつかず、迷う僕をアネモネは優しく教え諭してくれた。
「またそのような事を!今申し上げたように、わたくしは旦那様の精さえ頂ければ、衣食住全てを満たして差し上げる事が出来るのです。わたくしも旦那様の精が無ければ生きて行く事は出来ないのです。お互いに無くてはならないものになったわたくしたちです。迷惑という言葉はありえません!」
語り終えたアネモネは微笑んで僕を見守っている。アネモネの瞳は月の色。澄んだ黄色の輝きだった。温かな光に照らされるように、頑なな気持ちはいつしか溶けて行った。
アネモネに気兼ねする必要はないんだ…。僕は深呼吸すると想いを打ち明けた。
「お願いアネモネ。僕のそばにいて。はなれないでずっとそばにいて。」
僕はアネモネを抱きしめる。心地よい温度の粘液に顔を埋める。アネモネの体液は花蜜の様な素敵な香りだ。甘い匂いに包まれていると、いつしか気持ちが穏やかになった。
「ありがとうございます旦那様。これからもずっとよろしくお願いいたしますね。」
感極まった様子のアネモネは、温かい粘液で僕を包み込む。僕は抱擁の温かさと心地よさに憩った。
16/10/14 23:12更新 / 近藤無内
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