中編
「あ〜あ…。旦那様ぁ〜。お戻りですかぁ…。」
「えっ!?」
部屋に戻った僕を待っていたのは、どろどろに溶けている様なアネモネだった。
彼女はぺたりと座り込んで、先ほど以上に淫らな顔で僕を見つめてくる。
「ちょっと。一体どうしたのアネモネ!」
驚いて駆け寄る僕にアネモネはにへらと笑った。
「本当になんとお礼を言ってよいやら…。まさかあれほどの美味だったなんてぇ…。これも旦那様のせ い のおかげですぅ…。」
「えっ?僕のせい?」
濡れたように甘い声で訴えるアネモネだけど、僕のせい?全く心当たりないけど、何かしたっけ…。
困惑して首をかしげてしまう。しばらくそのまま黙り込んでしまうが、やがてアネモネの眼差しは徐々に正気を取り戻していった。その途端彼女は大慌てで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「あああっ!申し訳ありませんっ!重ね重ねなんとお詫び申し上げてよいやら………。本当に申し訳ありませんっ!」
直立不動の状態で何度も頭を下げ続けるアネモネだ。その姿があまりにいじらしくて、いつしか僕も慰めていた。
「僕は大丈夫だから。そんなに謝らなくていいから。それよりも僕のせいって言ってたよね。なにか君の気に障る事しちゃったかな?だったらごめん…。」
頭を下げる僕を見てさらに恐縮したアネモネは何度も首を横に振った。
「いっ…いいえ。とんでもございません!あれはなんでもございません!ちょっとした言葉のあやとでもいったもので、本当にお気になさらないで下さいませっ!」
「それならいいけど…。でも、さっきから本当に大丈夫?もしかして体調でも悪いの?」
「お気遣いありがとうございます。本当に大丈夫ですので…。ご心配をおかけいたしまして本当に申し訳ありません…。」
アネモネは平身低頭といった様子でわび続けている。確かに気にはなるけど、深く突っ込んだら可哀そうだと思わせる雰囲気。これ以上引っ張るのはやめよう。僕はそう思い話題を変えた。
「あ、それはそうと今日はもう寝ることにするよ。まだ早いけどちょっと疲れちゃって。」
「承知いたしました。お休みのご用意はできておりますので。あの…本当に申し訳ありませんでした…。」
「大丈夫。本当にもう気にしないで!」
僕は笑顔で慰めたが、なおも申し訳なさそうなアネモネだった。
「ああ…。やっぱり紫なんだね…。」
「はい。この寝具はわたくしどもショゴスが………」
「うん。あるじと認めたものにしか使わないってやつでしょ。」
先ほどと同じような口上を述べようとしたアネモネに、僕はあきれたような口を挟んだ。
アネモネと一緒に寝室に来たが、そこには当然の様に紫色の枕とベッドと毛布があった。
別にこだわりはないから色は何でもいいんだけどさ。でも多すぎない?紫色。
それ以前にここまで色々アイテム持ってくるなんて、サービスが良すぎるぐらいだ。
「ささ。どうぞお休みになってくださいませ。」
「ありがとう。」
アネモネが柔和な笑顔でしきりに勧めるので、僕もどうでもいいとばかりにベッドにもぐりこんだ。
だが、なぜだろう。毛布が優しく僕を包み込むように蠢く。枕も僕の頭を柔らかく撫でるような動きをする。
「えっ?」
「いかがなさいましたか?旦那様?」
「あ、うん…。なんでもないよ。」
予想外の事に声を上げてしまった僕に、アネモネはそっと問いかける。見れば気遣うような月の色の瞳。でも…。いや、何かの間違いだろう…。気のせいだと思い直した僕は、寝る前の挨拶をする。
「おやすみ。アネモネ。」
「お休みなさいませ。旦那様。」
だがアネモネは椅子に座り〜この椅子も見たことが無い紫色の椅子だ〜僕の枕元から動こうとしなかった。そして優しく微笑んで僕を見続ける。
「あの。アネモネ?」
「なんでございましょうか旦那様?」
「もう寝るつもりなんだけど…。」
「はい。旦那様が眠りにつかれるまでお見守り致します…。どうかお気になさらないでくださいませ。」
怪訝に思い問いかける僕に、アネモネはさも当然の様にうなずいて見せた。でも、子供じゃないし、さすがにそれは恥ずかしい…。僕は慌てて断る。
「いや。でも…。いいよ。」
「これもわたくしのつとめですので。どうかご遠慮なく…。」
だがアネモネはてこでもその場を動きそうもない。何度断っても、これが私のつとめ。の一点張りだ。意外に頑固な事はわかったが、まあ、それなら別にいい。無理に断る必要もない。
僕はあきらめてため息をついた。
「それじゃあ。お願いするよ。」
「はい!お休みなさいませ旦那様っ!」
僕が受け入れたのがよほど嬉しかったのだろうか。アネモネははじけるような笑顔を見せた。
そのまま眠りにつこうとする僕。相変わらず毛布も枕もベッドもうごめき続けるようだ。
柔らかく包み込んで優しく愛撫し、心地よい眠りに誘おうとする。
まるで幼いころの僕を、抱きしめて寝かしつけようとしていた母の様に。
母の事を思うと、何故ベッドが動くのだろうといった疑念が、たちまち消えていった。
あたたかく。とっても気持ち良い…。本当に母に添い寝してもらっているみたいだ…。
そう思うと嫌でも昔の事が思い出されてしまう。甘えっこだったので、小さいころはずっと母と一緒だった。両親とは大きくなってもずっと仲良くしており、ケンカもめったになかった。
ごく普通の親子関係が崩れたのはいつだったのだろう…。
僕は夢を追うという口実のもと、両親の反対を押し切り故郷を飛び出した。だが、夢をかなえるために就職した会社をすぐに辞め、その後も一向に安定しない。些細な不満を抑えきれずに、すぐに転職を繰り返している。
そんな僕をいつしか両親も口うるさく叱るようになっていった。反発した僕は両親と大喧嘩して、故郷には全然帰らなくなってしまったのだ。当然の事だが僕に非があるのは分かっている。
だが、一向に変わらない馬鹿な自分がもどかしく、以後もますますひねくれていくだけだった。
昔に戻れたらなあ…。やり直したいなあ…。そんな無駄な願いを何度思った事だろう。
「母さん…。」
最近では実家に連絡はほとんどしない。あっても咲姉を通してになってしまった…。
郷愁と後悔の念が抑えきれず。僕は知らぬ間に母さんと口にしていた。それに気が付いて慌てて毛布をかぶる。アネモネにこんな所見られたら恥ずかしすぎる…。だがアネモネはそっと僕の頭に手をやり、愛情深く撫ではじめた。何度も何度も、まるで本当の我が子にする様に。
「ご安心ください…。今日からはわたくしが旦那様のお母様がわりです。わたくしが旦那様をお守りいたします…。よろしいですか。わたくしが母さんですよ。」
まるで慰める様な優しい声でアネモネは語り続ける。かけている毛布もいたわる様に僕を包み込むような…そんな気がする。相変わらずアネモネの手は愛撫を繰り返している。僕は柔らかさと心地よさに全身を包まれ、知らぬ間に我を忘れていた。
「母さん…。母さん…。母さん…。」
僕は何度も母さんとつぶやく。いつしか身を震わせ涙ぐむ。惨めにむせび泣く僕を、アネモネは変わらぬ愛情深さで撫で続ける。
「好きなだけ泣いていいんですよ。大丈夫…。これからは母さんに全部任せてくださいね…。」
アネモネの慈愛に包まれた僕は、いつしか安らかな眠りに堕ちて行った。
「おはようございます…。おはようございます旦那様。」
闇の中、心地よさを漂っていると何度も呼び声が聞こえる。僕は眠い目を無理やりあけた。
目の前にいたのは当然アネモネの姿だった。彼女は昨日同様、濃紫の粘液の体。月の色の眼差しで僕を見つめている。
「あ、うん。おはよう…。」
寝ぼけ眼で挨拶に答える僕だったが、その途端、前日の記憶がよみがえった。
ああ…。会ったばかりの人を母さんと呼び、その上無様に泣く姿も見せてしまったじゃないか…。
醜態を晒した事に気が付いた僕は、恥ずかしさに言葉を無くしてしまう。
「おはようございます!お食事のご用意が出来ましたが、先にお着替えなさいますか?」
だが、アネモネはその事には触れなかった。元気よくこう言うと、昨日同様、素敵な笑顔を見せただけだった。僕は彼女の優しい気遣いが有り難かった。
「うん…。ちょっと待ってて。着替えたらすぐに行くから…。」
「承知いたしました。それでは…はい。どうぞっ!」
アネモネは両手を広げた。紫の粘液がどろりと床に流れ落ちる。これは一体どういう事?
怪訝な顔の僕の気持ちを読んだのだろう。アネモネは微笑んで言った。
「旦那様のお着替えもメイドの当然の務めでございますので…。」
「いや…。いくらなんでもこの程度の事は自分でやるから。」
「これもわたくしの………」
「これも君のつとめ、っていいたいんでしょ!」
「はいっ。おっしゃるとおりでございます!」
朗らかなアネモネの声を聴きながら僕はため息をつく。これも昨日同様。アネモネは自分の仕事だと頑固に譲らなかった。僕はしぶしぶ彼女に着替えを任せた。その時僕に触れるアネモネの、微妙な粘液の温かさが心地よかったのだが………。
「旦那様…。はい。あ〜ん。」
「えええっ!?いいって!」
「ふふっ。ご遠慮なさらないでください。はい。あ〜ん。」
…
…
「はい。それではお口あけてくださいませ。」
「いくらなんでも歯磨きくらいは自分で…。」
「これもわたくしの………」
「ああもう!わかったよ。」
…
…
結局着替えだけではなく、アネモネは食事の時もあ〜んして食べさせてくれ、歯磨きもしてくれた。
昨日と比べて明らかに距離を縮めてきているけど、メイドってここまでするものなのか…。
肩をすくめた僕にアネモネはそっと言った。
「旦那様…。そろそろお出かけになられる時間ですが…。」
「ああ。そうだね…。」
僕は自分の事を会社員だと嘘をついていた。とりあえずハロワに行って、その後は夕方まで図書館かネカフェで時間を潰すつもりだった。でも、ここまで尽くしてくれるアネモネを見ていると、己を偽っている事に胸が痛くなる。澱んだ気持ちを振り払い僕は言った。
「そろそろ出かけるよ。行ってきます。」
「いってらっしゃいませ旦那様!美味しいものをご用意してお待ちしておりますね!」
アネモネは華やかな笑顔を見せると一礼した。
それから僕の世話は全てアネモネがやってくれた。炊事洗濯掃除はもちろん、当然の様に食事や着替えも手伝ってくれた。夜も僕が寝付くまで見守ってくれた。さすがにトイレや入浴までは手を出そうとはしなかったが、それも時間の問題だ。という妙な予感が抑えきれなかった。
アネモネはいつも僕のそばにいてくれた。その優しい笑顔に僕はどれだけ癒され、力づけられた事だろう。彼女はいつしか僕にとってのかけがいのない存在になっていった。
だが、それももうすぐ終わる。僕が無銭でメイドを利用したことが分かれば、アネモネにとって僕はただの詐欺師だ…。
完璧に僕の生活をサポートしてくれたアネモネだったが、ただ一つよくわからないことがあった。
以前僕が風呂に入った後、彼女がへべれけの様な状態になっていたことがあった。
その後もこの時ほど酷くないとはいえ、僕が風呂から出てくると妙にはしゃいでいるのだ。
風呂上りといえば例の紫のバスタオル。あれでオナニーするのは、もう習慣になってしまった…。
ちょうどあの時も風呂上りに一発抜いてきた。そんな僕を見たアネモネはすぐに近寄ってきて、蕩けるように笑った。
「あっ!旦那様ぁ。お湯加減いかがでしたかっ!」
アネモネはそっと僕に身を寄せると優しく両手を取った。僕も笑顔を見せる。
「うん。とっても良かったよ。」
「それはようございました!」
僕の返事を聞いたアネモネは、当然の様にその身をすりすりしてくる。正直言ってなんでこんなに陽気なのか気になる。でも嬉しそうなアネモネを見ていると、僕も気分が良いから別にいい。
アネモネのひんやりした体が触れている。うっとりしている僕を見て、アネモネはからかう様な表情で抱きしめてきた。
「お体熱いですよね。わたくしがもっと涼しくして差し上げますねっ。えいっ!」
「うあっ!ちょっと待ってよアネモネ!」
「旦那様。これもわたくしのつとめですから〜。」
僕が叫ぶのも意に介さずに、アネモネは自身の粘液で僕の体全体を覆った。僕はアネモネに全身を包み込まれる。
「もう。アネモネったら…。」
つい小言めいたことを言ってしまうが、僕はそのままアネモネに身をゆだね続けた。風呂上りの火照った肌にひんやりした粘液は気持ちいい…。アネモネは恍惚とした笑顔で僕を抱きしめ続けたが、やがて落ち着きを取り戻したようだ。突然僕から離れると頭を下げた。これもいつもの事だ。
「あああっ!本当に毎日毎日申し訳ありません…。どうかお許しくださいませ…。」
「ふふっ。別にいいよ。ちょうど体も涼しくなったから。むしろありがたいぐらいだよ。」
もう慣れっこになってしまって苦笑する僕に、アネモネはさらに申し訳なさそうに頭を下げ続ける。
でもいつもの事とはいえ、さすがに毎回こうでは心配になる。僕は気遣って問いかけた。
「アネモネこそいつも本当に大丈夫?どこか具合が悪くない?お願いだから無理はしないでほしいな。」
「ご安心ください。旦那様が蕩けそうなほど美味しいのでつい酔っぱらったように………。」
「えっ!僕が美味しい?」
当然の事の様に言うアネモネに驚き、思わず声が大きくなる。目を丸くした僕を見て、アネモネも慌てて否定してくる。
「い、いえ!なんでもありません。これも言葉のあやというもので………。」
「そ、そう…。」
魔物娘が男の事を美味しい、と表現するのはどこかで聞いたことがある。
もしかしてあの事か?僕は紫のバスタオルで、一物を包み込んで射精している事を思い出す。
でも、面倒だけど射精後はタオルを洗っている。気付かれないとは思うけど…。
首をかしげる僕を見てアネモネはますます動揺する。再度身を寄せて釈明してきた。
「あ、あのっ。本当にお気になさらず!なんでもございませんのでっ!」
普段は母親然として僕の世話を焼いてくれる、そんな有能なメイドのアネモネ。だが、なぜか僕の風呂上りの時だけはドジッ子メイドっぽく変身するのだ。これも実によろしい。
あたふたしているアネモネがとっても可愛い…。僕は思わず手を伸ばして彼女の頭を撫でていた。
もうすっかり馴染んだ粘液の感触が心地よいが…。そこで僕は我に返る。
女の子の頭を勝手に撫でるなんて礼儀知らずもいいところだ。気が付いた僕は慌てて手を引く。
「ごめんアネモネ…。」
するとアネモネは僕の手を掴んでぎゅっと握りしめてきた。突然の事に驚いて彼女の顔を見る。
アネモネは優しい笑顔だった。瞳も穏やかな月の色の光を湛えている。
「お願いです旦那様。そのまま、そのまま私をなでなでして下さいませんか…。」
「えっ…。でも、いいの?」
「お願いします。旦那様に撫でて頂くと、とっても心地いいんです…。」
誘うような仕草に、僕は我を忘れてアネモネの頭を撫ではじめた。アネモネは僕の愛撫をうっとりとした表情で受け入れている。僕と視線が合うとえへへとでも言いたそうな笑いを見せた。
「旦那様はとってもお優しい方ですね。」
「またまたご冗談を…。でも、急にどうしたの?」
僕は突然の言葉に照れてしまう。アネモネはまっすぐに僕の目を見つめながら言葉を続けた。
「はい。わたくしは旦那様と初めてお会いした時、ずいぶんと大口を叩いてしまいました。それなのに実際は、毎日毎日メイドにふさわしくない振る舞いをしてしまいます。
そんな口先だけのはしたないわたくしを、旦那様はいつも受け入れてくださいます。優しく気遣ってくださいます。本当にどれだけ救われているでしょうか。」
語り終えたアネモネは恥ずかしそうに俯いた。そうじゃない。いつも救われているのは僕のほうだ。
想いが言葉となって口に出る。
「ううん。僕のほうこそ。こんな僕の為に面倒かけちゃって、本当に申し訳ないなあって思うよ。僕こそ君といると、いつも優しい気持ちになれるんだ。ありがとう。アネモネ…。」
僕の言葉を聞いたアネモネは、目を潤ませて何度もかぶりを振る。
「いけませんっ!あまりにももったいないお言葉ですっ!わたくしごときは旦那様に優しいお言葉をかけて頂く資格などありませんよ…。」
「そんな事言わないで。アネモネが僕の所に来てくれて本当によかったなあって思うんだよ。もう君がいないと生きていけないかも。」
軽口を叩く僕を見てアネモネも嬉しそうだ。興奮したのだろうか?彼女の体からスライム状の粘液がぽたぽたこぼれ落ちている。
「旦那様。これからもわたくしアネモネを、ずっとずっとおそばに置いて下さいませ。誠心誠意、全身全霊でお尽くしいたしますので。よろしくお願いいたしますね…。」
切なく訴えたアネモネは僕を抱きしめ、紫色の粘液の中に包み込んだ。
アネモネと一緒になりたい。自分の中の思いに明確に気が付いたのはこの時だったのだろう。
日曜日の昼下がり。しんとした部屋の中で僕は物思いにふける。みんな出かけているのだろうか。外からの物音もあまり聞こえない。
「旦那様。本日のご希望のメニューはありますか?」
「うん…。そうだね。」
静寂を破ってアネモネの澄んだ声が響いた。にこやかに笑うアネモネに、僕は上の空で答える。あれから色々想い悩んだ。今も悩みは消えない。アネモネとずっと一緒に居たい。そんな思いがますます強まってきてしまったのだ。
でも、陰日向なく僕に尽くしてくれるアネモネ。彼女の誠実で愛らしい姿を見ていると、自分がとってもみじめに思える。メイド利用料を金がないから体で払ってやる。そんなことを考えてしまった自分が本当に情けない。今の僕は到底彼女にふさわしいとは言えない。
「はい。お茶をどうぞ…。」
「ありがとう…。」
アネモネはお茶を持ってきてくれた。一口飲んだがこれがまた美味しい。自分でも水とか茶葉を色々考えて入れた事はあるのだが、比べ物にならない美味しさだ。なんでここまでしてくれるんだろう…。飲み物なんてそれなりのものを出せばいいはずなのに…。一体どうして…。
「旦那様。いかがでしょう?」
「うん。とっても美味しいよ。」
ほっとしたようなアネモネの表情を見ていると忸怩たる思いがある。やり直そう…。僕はお茶を飲み干して決意した。
ちゃんとメイドの利用料金は払う。僕の体で払ってやるなんて、そんなゲスな真似はやめる。
今回はあくまで「ご主人様」としての結末を迎える。そのうえで僕がアネモネにふさわしい男になった時に想いを伝えに行く。
そうはいっても金がなければどうしようもない。だが幸いにも咲姉からもらったお金が、まだ手付かずで残っていた。これに自分のなけなしの金をプラスすればなんとか足りる。
まあ、身も蓋もないことを言えば、僕の体で払ったほうが簡単に済むのだろう。僕がそう言えば、アネモネはすぐにでも襲い掛かってくる。そんな予感がするのだが、これは思い上がりだろうか。実際魔物娘に襲われて(結婚して?)ヒモとか主夫になってのんびり暮らす人も珍しく無い。
でも、それは違うと思う。理屈ではなく本能でそう思う。魔物娘が勢力を拡大し続けるこの世で、無意味な矜持なのだろうけれど。
もっともそれ以前に、魔物娘の奴隷志願者だったおまえが言うなって話だが…。
色々探した結果、遠地だがすぐに働ける仕事も見つかった。今後は寮住まいになるので、今の家はすぐにでも引き払わなければならない。雇用条件を考えれば今後は地を這うような生活が待っているが、生きていくためには仕方がない。でも、それでもアネモネと過ごした日々を思えば生きていける。それでいつの日か生活が安定したら、その時こそアネモネに想いを伝えに行こう……
柄にもないキザな事を思ってしまったが…そろそろ覚悟を決めよう。僕はアネモネに声をかけた。
「ちょっといいかなアネモネ。」
「旦那様。いかがなさいましたか?」
早速やってきたアネモネに、僕は深呼吸して切り出した。
「あの、アネモネ。いえ…アネモネさん。今まで本当にありがとうございました。」
僕は言葉を改めて頭を下げる。一瞬きょとんとしたアネモネだったが、すぐに面白そうに笑い出した。
「旦那様ったら。いったいどうなさったのですか?急に驚くじゃないですか。」
「実はアネモネさんとの契約更新日が今月末になります。その日を持って今回の契約を終わりにしたいと思うんです。」
問いかけるアネモネを無視して僕は一気に言った。
「アネモネさんには今までお世話になりました。なんてお礼を言ってよいかわかりません。」
「うふふっ。冗談が過ぎますよ旦那様。いけない旦那様にはめっ、しちゃいますから。」
だがアネモネは、僕にからかわれているとでも思ったのだろう。わざと顔をしかめると、子供を叱る様にめっ、と言った。僕はかぶりを振る。
「いいえ。とっても残念ですけれど…。本当にありがとうございました。」
僕は再度頭を下げた。アネモネは放心したように佇んでいる。相変わらず部屋の外は静まり返っていたが、静寂を破る様に車の音が聞こえた。アネモネはそれに合わせる様にそろりと言う。
「あの…。旦那様…。それは、本当の事、なのですか?」
「はい。でも…」
あなたにふさわしい男になったらまた会ってくれますか。僕がそう言う前にアネモネは突然身を寄せてきた。
「だんなさま…。」
「えっ!?アネモネさんっ…。」
アネモネは驚く僕を無視してぐいぐいと迫ってきた。見れば何かに絶望したかのような濁った瞳。こんな姿今まで全く見たことがない。
「なぜでしょうか?どうしてでしょうか?わたくしに至らない所があればすべて直します。
なんでもおっしゃって下さいませ。旦那様がお望みの事があれば全て私がかなえて差し上げます。どうかなんでもおっしゃってくださいませ。ですから旦那様。どうかこのわたくしをお捨てにならないでくださいませ。」
アネモネは虚ろに囁きながら僕を抱きしめる。たちまち紫色の粘液が僕を包み、身動きが取れなくなってしまった。
「あっ…アネモネさん。待って」
「おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします………」
切々と、血を吐くような声でアネモネは何度も何度も訴える。苦悶の表情で何度も何度も頭を下げる。突然のアネモネの変化に。僕は言葉を無くして呆然とするだけだった。やがてアネモネは顔を上げると一呼吸おいて切り出してきた。
「それとも…わたくしのこの体。やっぱりスライムの体はお気に召しませんでしょうか………」
悲しげに微笑んだアネモネの顔が歪み、今にも泣きだしそうになった。いけない!これ以上はだめだ。僕は知らぬ間に叫んでいた。
「待ってよアネモネっ!違うから!そうじゃないから…。」
「旦那様…。」
「ごめん。恥を晒すようだけど、悲しいことに先立つものが無くてね。これ以上君を雇えないんだよ。ははっ。本当に情けないよなあ…。」
僕の告白を黙って聞いていたアネモネだったが、やがておずおずと言葉を発した。
「あの、それではわたくしが…お気に召さなくなったとか、そういった訳では…。」
「そんなことある訳ないよ!君にはずっと僕のそばにいてもらいたい。」
アネモネは包んでいた粘液から僕を解放したが、なおも不安そうに僕を見ている。アネモネはいつも笑顔だった。そんな人に悲しい顔はさせたくない。ええい。もう、やけだ。
「本当は僕が君にふさわしくなった時に伝えに行くつもりだったけど。君には僕のそばにいてほしいけど。それはあの、メイドとしての仕事じゃなくても、ずっと僕のそばにいてほしいんだ………」
僕は思いのたけをぶちまけた。予定が相当早まってしまったが、今言わなければ今後言う機会は無い。それぐらいの覚悟だった。言い終えて急激に恥ずかしくなり、僕は顔を赤らめる。
アネモネは呆けたように僕を見つめていたが、やがてそっと手を伸ばして僕の手を取った。いつもの心地よい冷たさを感じる。
「旦那様、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます…。」
歓喜の表情を見せたアネモネは、いつしか嗚咽を上げていた。彼女は僕の両手を握りしめて何度も何度も頭を下げた。
「えっ!?」
部屋に戻った僕を待っていたのは、どろどろに溶けている様なアネモネだった。
彼女はぺたりと座り込んで、先ほど以上に淫らな顔で僕を見つめてくる。
「ちょっと。一体どうしたのアネモネ!」
驚いて駆け寄る僕にアネモネはにへらと笑った。
「本当になんとお礼を言ってよいやら…。まさかあれほどの美味だったなんてぇ…。これも旦那様のせ い のおかげですぅ…。」
「えっ?僕のせい?」
濡れたように甘い声で訴えるアネモネだけど、僕のせい?全く心当たりないけど、何かしたっけ…。
困惑して首をかしげてしまう。しばらくそのまま黙り込んでしまうが、やがてアネモネの眼差しは徐々に正気を取り戻していった。その途端彼女は大慌てで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「あああっ!申し訳ありませんっ!重ね重ねなんとお詫び申し上げてよいやら………。本当に申し訳ありませんっ!」
直立不動の状態で何度も頭を下げ続けるアネモネだ。その姿があまりにいじらしくて、いつしか僕も慰めていた。
「僕は大丈夫だから。そんなに謝らなくていいから。それよりも僕のせいって言ってたよね。なにか君の気に障る事しちゃったかな?だったらごめん…。」
頭を下げる僕を見てさらに恐縮したアネモネは何度も首を横に振った。
「いっ…いいえ。とんでもございません!あれはなんでもございません!ちょっとした言葉のあやとでもいったもので、本当にお気になさらないで下さいませっ!」
「それならいいけど…。でも、さっきから本当に大丈夫?もしかして体調でも悪いの?」
「お気遣いありがとうございます。本当に大丈夫ですので…。ご心配をおかけいたしまして本当に申し訳ありません…。」
アネモネは平身低頭といった様子でわび続けている。確かに気にはなるけど、深く突っ込んだら可哀そうだと思わせる雰囲気。これ以上引っ張るのはやめよう。僕はそう思い話題を変えた。
「あ、それはそうと今日はもう寝ることにするよ。まだ早いけどちょっと疲れちゃって。」
「承知いたしました。お休みのご用意はできておりますので。あの…本当に申し訳ありませんでした…。」
「大丈夫。本当にもう気にしないで!」
僕は笑顔で慰めたが、なおも申し訳なさそうなアネモネだった。
「ああ…。やっぱり紫なんだね…。」
「はい。この寝具はわたくしどもショゴスが………」
「うん。あるじと認めたものにしか使わないってやつでしょ。」
先ほどと同じような口上を述べようとしたアネモネに、僕はあきれたような口を挟んだ。
アネモネと一緒に寝室に来たが、そこには当然の様に紫色の枕とベッドと毛布があった。
別にこだわりはないから色は何でもいいんだけどさ。でも多すぎない?紫色。
それ以前にここまで色々アイテム持ってくるなんて、サービスが良すぎるぐらいだ。
「ささ。どうぞお休みになってくださいませ。」
「ありがとう。」
アネモネが柔和な笑顔でしきりに勧めるので、僕もどうでもいいとばかりにベッドにもぐりこんだ。
だが、なぜだろう。毛布が優しく僕を包み込むように蠢く。枕も僕の頭を柔らかく撫でるような動きをする。
「えっ?」
「いかがなさいましたか?旦那様?」
「あ、うん…。なんでもないよ。」
予想外の事に声を上げてしまった僕に、アネモネはそっと問いかける。見れば気遣うような月の色の瞳。でも…。いや、何かの間違いだろう…。気のせいだと思い直した僕は、寝る前の挨拶をする。
「おやすみ。アネモネ。」
「お休みなさいませ。旦那様。」
だがアネモネは椅子に座り〜この椅子も見たことが無い紫色の椅子だ〜僕の枕元から動こうとしなかった。そして優しく微笑んで僕を見続ける。
「あの。アネモネ?」
「なんでございましょうか旦那様?」
「もう寝るつもりなんだけど…。」
「はい。旦那様が眠りにつかれるまでお見守り致します…。どうかお気になさらないでくださいませ。」
怪訝に思い問いかける僕に、アネモネはさも当然の様にうなずいて見せた。でも、子供じゃないし、さすがにそれは恥ずかしい…。僕は慌てて断る。
「いや。でも…。いいよ。」
「これもわたくしのつとめですので。どうかご遠慮なく…。」
だがアネモネはてこでもその場を動きそうもない。何度断っても、これが私のつとめ。の一点張りだ。意外に頑固な事はわかったが、まあ、それなら別にいい。無理に断る必要もない。
僕はあきらめてため息をついた。
「それじゃあ。お願いするよ。」
「はい!お休みなさいませ旦那様っ!」
僕が受け入れたのがよほど嬉しかったのだろうか。アネモネははじけるような笑顔を見せた。
そのまま眠りにつこうとする僕。相変わらず毛布も枕もベッドもうごめき続けるようだ。
柔らかく包み込んで優しく愛撫し、心地よい眠りに誘おうとする。
まるで幼いころの僕を、抱きしめて寝かしつけようとしていた母の様に。
母の事を思うと、何故ベッドが動くのだろうといった疑念が、たちまち消えていった。
あたたかく。とっても気持ち良い…。本当に母に添い寝してもらっているみたいだ…。
そう思うと嫌でも昔の事が思い出されてしまう。甘えっこだったので、小さいころはずっと母と一緒だった。両親とは大きくなってもずっと仲良くしており、ケンカもめったになかった。
ごく普通の親子関係が崩れたのはいつだったのだろう…。
僕は夢を追うという口実のもと、両親の反対を押し切り故郷を飛び出した。だが、夢をかなえるために就職した会社をすぐに辞め、その後も一向に安定しない。些細な不満を抑えきれずに、すぐに転職を繰り返している。
そんな僕をいつしか両親も口うるさく叱るようになっていった。反発した僕は両親と大喧嘩して、故郷には全然帰らなくなってしまったのだ。当然の事だが僕に非があるのは分かっている。
だが、一向に変わらない馬鹿な自分がもどかしく、以後もますますひねくれていくだけだった。
昔に戻れたらなあ…。やり直したいなあ…。そんな無駄な願いを何度思った事だろう。
「母さん…。」
最近では実家に連絡はほとんどしない。あっても咲姉を通してになってしまった…。
郷愁と後悔の念が抑えきれず。僕は知らぬ間に母さんと口にしていた。それに気が付いて慌てて毛布をかぶる。アネモネにこんな所見られたら恥ずかしすぎる…。だがアネモネはそっと僕の頭に手をやり、愛情深く撫ではじめた。何度も何度も、まるで本当の我が子にする様に。
「ご安心ください…。今日からはわたくしが旦那様のお母様がわりです。わたくしが旦那様をお守りいたします…。よろしいですか。わたくしが母さんですよ。」
まるで慰める様な優しい声でアネモネは語り続ける。かけている毛布もいたわる様に僕を包み込むような…そんな気がする。相変わらずアネモネの手は愛撫を繰り返している。僕は柔らかさと心地よさに全身を包まれ、知らぬ間に我を忘れていた。
「母さん…。母さん…。母さん…。」
僕は何度も母さんとつぶやく。いつしか身を震わせ涙ぐむ。惨めにむせび泣く僕を、アネモネは変わらぬ愛情深さで撫で続ける。
「好きなだけ泣いていいんですよ。大丈夫…。これからは母さんに全部任せてくださいね…。」
アネモネの慈愛に包まれた僕は、いつしか安らかな眠りに堕ちて行った。
「おはようございます…。おはようございます旦那様。」
闇の中、心地よさを漂っていると何度も呼び声が聞こえる。僕は眠い目を無理やりあけた。
目の前にいたのは当然アネモネの姿だった。彼女は昨日同様、濃紫の粘液の体。月の色の眼差しで僕を見つめている。
「あ、うん。おはよう…。」
寝ぼけ眼で挨拶に答える僕だったが、その途端、前日の記憶がよみがえった。
ああ…。会ったばかりの人を母さんと呼び、その上無様に泣く姿も見せてしまったじゃないか…。
醜態を晒した事に気が付いた僕は、恥ずかしさに言葉を無くしてしまう。
「おはようございます!お食事のご用意が出来ましたが、先にお着替えなさいますか?」
だが、アネモネはその事には触れなかった。元気よくこう言うと、昨日同様、素敵な笑顔を見せただけだった。僕は彼女の優しい気遣いが有り難かった。
「うん…。ちょっと待ってて。着替えたらすぐに行くから…。」
「承知いたしました。それでは…はい。どうぞっ!」
アネモネは両手を広げた。紫の粘液がどろりと床に流れ落ちる。これは一体どういう事?
怪訝な顔の僕の気持ちを読んだのだろう。アネモネは微笑んで言った。
「旦那様のお着替えもメイドの当然の務めでございますので…。」
「いや…。いくらなんでもこの程度の事は自分でやるから。」
「これもわたくしの………」
「これも君のつとめ、っていいたいんでしょ!」
「はいっ。おっしゃるとおりでございます!」
朗らかなアネモネの声を聴きながら僕はため息をつく。これも昨日同様。アネモネは自分の仕事だと頑固に譲らなかった。僕はしぶしぶ彼女に着替えを任せた。その時僕に触れるアネモネの、微妙な粘液の温かさが心地よかったのだが………。
「旦那様…。はい。あ〜ん。」
「えええっ!?いいって!」
「ふふっ。ご遠慮なさらないでください。はい。あ〜ん。」
…
…
「はい。それではお口あけてくださいませ。」
「いくらなんでも歯磨きくらいは自分で…。」
「これもわたくしの………」
「ああもう!わかったよ。」
…
…
結局着替えだけではなく、アネモネは食事の時もあ〜んして食べさせてくれ、歯磨きもしてくれた。
昨日と比べて明らかに距離を縮めてきているけど、メイドってここまでするものなのか…。
肩をすくめた僕にアネモネはそっと言った。
「旦那様…。そろそろお出かけになられる時間ですが…。」
「ああ。そうだね…。」
僕は自分の事を会社員だと嘘をついていた。とりあえずハロワに行って、その後は夕方まで図書館かネカフェで時間を潰すつもりだった。でも、ここまで尽くしてくれるアネモネを見ていると、己を偽っている事に胸が痛くなる。澱んだ気持ちを振り払い僕は言った。
「そろそろ出かけるよ。行ってきます。」
「いってらっしゃいませ旦那様!美味しいものをご用意してお待ちしておりますね!」
アネモネは華やかな笑顔を見せると一礼した。
それから僕の世話は全てアネモネがやってくれた。炊事洗濯掃除はもちろん、当然の様に食事や着替えも手伝ってくれた。夜も僕が寝付くまで見守ってくれた。さすがにトイレや入浴までは手を出そうとはしなかったが、それも時間の問題だ。という妙な予感が抑えきれなかった。
アネモネはいつも僕のそばにいてくれた。その優しい笑顔に僕はどれだけ癒され、力づけられた事だろう。彼女はいつしか僕にとってのかけがいのない存在になっていった。
だが、それももうすぐ終わる。僕が無銭でメイドを利用したことが分かれば、アネモネにとって僕はただの詐欺師だ…。
完璧に僕の生活をサポートしてくれたアネモネだったが、ただ一つよくわからないことがあった。
以前僕が風呂に入った後、彼女がへべれけの様な状態になっていたことがあった。
その後もこの時ほど酷くないとはいえ、僕が風呂から出てくると妙にはしゃいでいるのだ。
風呂上りといえば例の紫のバスタオル。あれでオナニーするのは、もう習慣になってしまった…。
ちょうどあの時も風呂上りに一発抜いてきた。そんな僕を見たアネモネはすぐに近寄ってきて、蕩けるように笑った。
「あっ!旦那様ぁ。お湯加減いかがでしたかっ!」
アネモネはそっと僕に身を寄せると優しく両手を取った。僕も笑顔を見せる。
「うん。とっても良かったよ。」
「それはようございました!」
僕の返事を聞いたアネモネは、当然の様にその身をすりすりしてくる。正直言ってなんでこんなに陽気なのか気になる。でも嬉しそうなアネモネを見ていると、僕も気分が良いから別にいい。
アネモネのひんやりした体が触れている。うっとりしている僕を見て、アネモネはからかう様な表情で抱きしめてきた。
「お体熱いですよね。わたくしがもっと涼しくして差し上げますねっ。えいっ!」
「うあっ!ちょっと待ってよアネモネ!」
「旦那様。これもわたくしのつとめですから〜。」
僕が叫ぶのも意に介さずに、アネモネは自身の粘液で僕の体全体を覆った。僕はアネモネに全身を包み込まれる。
「もう。アネモネったら…。」
つい小言めいたことを言ってしまうが、僕はそのままアネモネに身をゆだね続けた。風呂上りの火照った肌にひんやりした粘液は気持ちいい…。アネモネは恍惚とした笑顔で僕を抱きしめ続けたが、やがて落ち着きを取り戻したようだ。突然僕から離れると頭を下げた。これもいつもの事だ。
「あああっ!本当に毎日毎日申し訳ありません…。どうかお許しくださいませ…。」
「ふふっ。別にいいよ。ちょうど体も涼しくなったから。むしろありがたいぐらいだよ。」
もう慣れっこになってしまって苦笑する僕に、アネモネはさらに申し訳なさそうに頭を下げ続ける。
でもいつもの事とはいえ、さすがに毎回こうでは心配になる。僕は気遣って問いかけた。
「アネモネこそいつも本当に大丈夫?どこか具合が悪くない?お願いだから無理はしないでほしいな。」
「ご安心ください。旦那様が蕩けそうなほど美味しいのでつい酔っぱらったように………。」
「えっ!僕が美味しい?」
当然の事の様に言うアネモネに驚き、思わず声が大きくなる。目を丸くした僕を見て、アネモネも慌てて否定してくる。
「い、いえ!なんでもありません。これも言葉のあやというもので………。」
「そ、そう…。」
魔物娘が男の事を美味しい、と表現するのはどこかで聞いたことがある。
もしかしてあの事か?僕は紫のバスタオルで、一物を包み込んで射精している事を思い出す。
でも、面倒だけど射精後はタオルを洗っている。気付かれないとは思うけど…。
首をかしげる僕を見てアネモネはますます動揺する。再度身を寄せて釈明してきた。
「あ、あのっ。本当にお気になさらず!なんでもございませんのでっ!」
普段は母親然として僕の世話を焼いてくれる、そんな有能なメイドのアネモネ。だが、なぜか僕の風呂上りの時だけはドジッ子メイドっぽく変身するのだ。これも実によろしい。
あたふたしているアネモネがとっても可愛い…。僕は思わず手を伸ばして彼女の頭を撫でていた。
もうすっかり馴染んだ粘液の感触が心地よいが…。そこで僕は我に返る。
女の子の頭を勝手に撫でるなんて礼儀知らずもいいところだ。気が付いた僕は慌てて手を引く。
「ごめんアネモネ…。」
するとアネモネは僕の手を掴んでぎゅっと握りしめてきた。突然の事に驚いて彼女の顔を見る。
アネモネは優しい笑顔だった。瞳も穏やかな月の色の光を湛えている。
「お願いです旦那様。そのまま、そのまま私をなでなでして下さいませんか…。」
「えっ…。でも、いいの?」
「お願いします。旦那様に撫でて頂くと、とっても心地いいんです…。」
誘うような仕草に、僕は我を忘れてアネモネの頭を撫ではじめた。アネモネは僕の愛撫をうっとりとした表情で受け入れている。僕と視線が合うとえへへとでも言いたそうな笑いを見せた。
「旦那様はとってもお優しい方ですね。」
「またまたご冗談を…。でも、急にどうしたの?」
僕は突然の言葉に照れてしまう。アネモネはまっすぐに僕の目を見つめながら言葉を続けた。
「はい。わたくしは旦那様と初めてお会いした時、ずいぶんと大口を叩いてしまいました。それなのに実際は、毎日毎日メイドにふさわしくない振る舞いをしてしまいます。
そんな口先だけのはしたないわたくしを、旦那様はいつも受け入れてくださいます。優しく気遣ってくださいます。本当にどれだけ救われているでしょうか。」
語り終えたアネモネは恥ずかしそうに俯いた。そうじゃない。いつも救われているのは僕のほうだ。
想いが言葉となって口に出る。
「ううん。僕のほうこそ。こんな僕の為に面倒かけちゃって、本当に申し訳ないなあって思うよ。僕こそ君といると、いつも優しい気持ちになれるんだ。ありがとう。アネモネ…。」
僕の言葉を聞いたアネモネは、目を潤ませて何度もかぶりを振る。
「いけませんっ!あまりにももったいないお言葉ですっ!わたくしごときは旦那様に優しいお言葉をかけて頂く資格などありませんよ…。」
「そんな事言わないで。アネモネが僕の所に来てくれて本当によかったなあって思うんだよ。もう君がいないと生きていけないかも。」
軽口を叩く僕を見てアネモネも嬉しそうだ。興奮したのだろうか?彼女の体からスライム状の粘液がぽたぽたこぼれ落ちている。
「旦那様。これからもわたくしアネモネを、ずっとずっとおそばに置いて下さいませ。誠心誠意、全身全霊でお尽くしいたしますので。よろしくお願いいたしますね…。」
切なく訴えたアネモネは僕を抱きしめ、紫色の粘液の中に包み込んだ。
アネモネと一緒になりたい。自分の中の思いに明確に気が付いたのはこの時だったのだろう。
日曜日の昼下がり。しんとした部屋の中で僕は物思いにふける。みんな出かけているのだろうか。外からの物音もあまり聞こえない。
「旦那様。本日のご希望のメニューはありますか?」
「うん…。そうだね。」
静寂を破ってアネモネの澄んだ声が響いた。にこやかに笑うアネモネに、僕は上の空で答える。あれから色々想い悩んだ。今も悩みは消えない。アネモネとずっと一緒に居たい。そんな思いがますます強まってきてしまったのだ。
でも、陰日向なく僕に尽くしてくれるアネモネ。彼女の誠実で愛らしい姿を見ていると、自分がとってもみじめに思える。メイド利用料を金がないから体で払ってやる。そんなことを考えてしまった自分が本当に情けない。今の僕は到底彼女にふさわしいとは言えない。
「はい。お茶をどうぞ…。」
「ありがとう…。」
アネモネはお茶を持ってきてくれた。一口飲んだがこれがまた美味しい。自分でも水とか茶葉を色々考えて入れた事はあるのだが、比べ物にならない美味しさだ。なんでここまでしてくれるんだろう…。飲み物なんてそれなりのものを出せばいいはずなのに…。一体どうして…。
「旦那様。いかがでしょう?」
「うん。とっても美味しいよ。」
ほっとしたようなアネモネの表情を見ていると忸怩たる思いがある。やり直そう…。僕はお茶を飲み干して決意した。
ちゃんとメイドの利用料金は払う。僕の体で払ってやるなんて、そんなゲスな真似はやめる。
今回はあくまで「ご主人様」としての結末を迎える。そのうえで僕がアネモネにふさわしい男になった時に想いを伝えに行く。
そうはいっても金がなければどうしようもない。だが幸いにも咲姉からもらったお金が、まだ手付かずで残っていた。これに自分のなけなしの金をプラスすればなんとか足りる。
まあ、身も蓋もないことを言えば、僕の体で払ったほうが簡単に済むのだろう。僕がそう言えば、アネモネはすぐにでも襲い掛かってくる。そんな予感がするのだが、これは思い上がりだろうか。実際魔物娘に襲われて(結婚して?)ヒモとか主夫になってのんびり暮らす人も珍しく無い。
でも、それは違うと思う。理屈ではなく本能でそう思う。魔物娘が勢力を拡大し続けるこの世で、無意味な矜持なのだろうけれど。
もっともそれ以前に、魔物娘の奴隷志願者だったおまえが言うなって話だが…。
色々探した結果、遠地だがすぐに働ける仕事も見つかった。今後は寮住まいになるので、今の家はすぐにでも引き払わなければならない。雇用条件を考えれば今後は地を這うような生活が待っているが、生きていくためには仕方がない。でも、それでもアネモネと過ごした日々を思えば生きていける。それでいつの日か生活が安定したら、その時こそアネモネに想いを伝えに行こう……
柄にもないキザな事を思ってしまったが…そろそろ覚悟を決めよう。僕はアネモネに声をかけた。
「ちょっといいかなアネモネ。」
「旦那様。いかがなさいましたか?」
早速やってきたアネモネに、僕は深呼吸して切り出した。
「あの、アネモネ。いえ…アネモネさん。今まで本当にありがとうございました。」
僕は言葉を改めて頭を下げる。一瞬きょとんとしたアネモネだったが、すぐに面白そうに笑い出した。
「旦那様ったら。いったいどうなさったのですか?急に驚くじゃないですか。」
「実はアネモネさんとの契約更新日が今月末になります。その日を持って今回の契約を終わりにしたいと思うんです。」
問いかけるアネモネを無視して僕は一気に言った。
「アネモネさんには今までお世話になりました。なんてお礼を言ってよいかわかりません。」
「うふふっ。冗談が過ぎますよ旦那様。いけない旦那様にはめっ、しちゃいますから。」
だがアネモネは、僕にからかわれているとでも思ったのだろう。わざと顔をしかめると、子供を叱る様にめっ、と言った。僕はかぶりを振る。
「いいえ。とっても残念ですけれど…。本当にありがとうございました。」
僕は再度頭を下げた。アネモネは放心したように佇んでいる。相変わらず部屋の外は静まり返っていたが、静寂を破る様に車の音が聞こえた。アネモネはそれに合わせる様にそろりと言う。
「あの…。旦那様…。それは、本当の事、なのですか?」
「はい。でも…」
あなたにふさわしい男になったらまた会ってくれますか。僕がそう言う前にアネモネは突然身を寄せてきた。
「だんなさま…。」
「えっ!?アネモネさんっ…。」
アネモネは驚く僕を無視してぐいぐいと迫ってきた。見れば何かに絶望したかのような濁った瞳。こんな姿今まで全く見たことがない。
「なぜでしょうか?どうしてでしょうか?わたくしに至らない所があればすべて直します。
なんでもおっしゃって下さいませ。旦那様がお望みの事があれば全て私がかなえて差し上げます。どうかなんでもおっしゃってくださいませ。ですから旦那様。どうかこのわたくしをお捨てにならないでくださいませ。」
アネモネは虚ろに囁きながら僕を抱きしめる。たちまち紫色の粘液が僕を包み、身動きが取れなくなってしまった。
「あっ…アネモネさん。待って」
「おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします………」
切々と、血を吐くような声でアネモネは何度も何度も訴える。苦悶の表情で何度も何度も頭を下げる。突然のアネモネの変化に。僕は言葉を無くして呆然とするだけだった。やがてアネモネは顔を上げると一呼吸おいて切り出してきた。
「それとも…わたくしのこの体。やっぱりスライムの体はお気に召しませんでしょうか………」
悲しげに微笑んだアネモネの顔が歪み、今にも泣きだしそうになった。いけない!これ以上はだめだ。僕は知らぬ間に叫んでいた。
「待ってよアネモネっ!違うから!そうじゃないから…。」
「旦那様…。」
「ごめん。恥を晒すようだけど、悲しいことに先立つものが無くてね。これ以上君を雇えないんだよ。ははっ。本当に情けないよなあ…。」
僕の告白を黙って聞いていたアネモネだったが、やがておずおずと言葉を発した。
「あの、それではわたくしが…お気に召さなくなったとか、そういった訳では…。」
「そんなことある訳ないよ!君にはずっと僕のそばにいてもらいたい。」
アネモネは包んでいた粘液から僕を解放したが、なおも不安そうに僕を見ている。アネモネはいつも笑顔だった。そんな人に悲しい顔はさせたくない。ええい。もう、やけだ。
「本当は僕が君にふさわしくなった時に伝えに行くつもりだったけど。君には僕のそばにいてほしいけど。それはあの、メイドとしての仕事じゃなくても、ずっと僕のそばにいてほしいんだ………」
僕は思いのたけをぶちまけた。予定が相当早まってしまったが、今言わなければ今後言う機会は無い。それぐらいの覚悟だった。言い終えて急激に恥ずかしくなり、僕は顔を赤らめる。
アネモネは呆けたように僕を見つめていたが、やがてそっと手を伸ばして僕の手を取った。いつもの心地よい冷たさを感じる。
「旦那様、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます…。」
歓喜の表情を見せたアネモネは、いつしか嗚咽を上げていた。彼女は僕の両手を握りしめて何度も何度も頭を下げた。
16/09/04 13:29更新 / 近藤無内
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