第11章 お姉ちゃんになった?有妃
夕闇迫る中、俺はバイクを走らせる。相変わらず身も凍る寒さだ。そして心身が疼く様に切ない。
でも、あと少しだ…。あと少しで家に着く。そうすれば有妃に抱き締めてもらえる。
蛇体の温もりの中で安らげる。有妃の優しさに溺れることが出来る…。
ひたすらあと少し、あと少しと呟きながら、俺はあの時の事を思いだす………
「有妃ちゃんどうしよう?今から掃除やろうか………。ええと………有妃ちゃん?」
「はいっ!?あ………。私が後でやりますからゆっくりしていてくださいね!」」
「…有妃ちゃん大丈夫?体の具合でも悪いの?」
「いえ。お腹いっぱいでぼ〜っとしていただけですからご心配なく…。」
休日の朝昼兼ねた食事後。有妃を手伝おうと申し出たのだが…どうも様子がおかしい。有妃は台所に立って虚ろな目で蛍光灯を見つめていた。この日に限った事では無い。最近は有妃の様子が妙に気になる。じっと俺の事を見つめ続けたり…。気が付いた俺が視線を向けると慌てて俯いたり…。上の空で何度もため息を着いたり…。明らかに普段の様子と違うのだ。
「ほんとに大丈夫?つらいなら言ってね。」
「はい!もちろん大丈夫ですよ〜。心配かけちゃってごめんなさいね…。」
慌てて駆け寄る俺に有妃は明らかな作り笑いを浮かべた。気持ちを押し殺したような切ない笑顔を見て、たまらず声をかけてしまう。
「ねえ有妃ちゃん。君ほどじゃないけど俺だって有妃ちゃんの事はわかるって言ったよね…。そんな我慢はしないでほしいな。」
有妃は目を潤ませると俺をそっと抱きしめる。蛇体で全身を包みこむといつもの様に何度も頭を撫でてくれる。温かさと心地よさに俺は身を委ねてしまった。
「ありがとうございます。本当にご心配なく。その気持ちだけで十分なのですよ…。」
どこか安心した様な有妃の声を俺はただ聞いていた。
ふみ姉との再会からしばらくは平穏に過ぎた。有妃ともこれ以上は無いほど仲良くしている。というよりもこれは仲が良いという以上のものだ。以前にも増して有妃に甘えるようになってきており、ますます依存しているのが自分でもわかる。食事や入浴の時も有妃に世話してもらう事が多いし、夜はいつも抱きしめて寝かしつけてもらう。有妃が傍にいてくれないと落ち着かない。有妃の蛇体に包まれないと安心して寝ることも出来ない。
うん…。我ながらどんどんダメになってきている…。でも、情けなく甘える俺を見て、有妃は目を輝かせて喜んでくれるのだ。別にこのまま一生甘えて頼りきりでも、有妃は喜んで俺を支えてくれる。そんな妙な信頼も生まれてきた。有妃は口には出さないが、駄目な俺のほうがいいと言ってくれている様だ。正直複雑なのだが、最近ではそんな有妃に思う存分溺れてしまおうとすら思う。
今後の俺の辿る道は大体想像がつく。有妃の魔力…白蛇の炎を注ぎ込まれて、身も心も有妃のものになるのだろう。お互いに依存し合って、甘い快楽と安らぎの日々を送る事になるのだろう。全く不安が無いと言えば嘘になるが、有妃が俺に酷い事をするはずもない。有妃と心からつながりあえる日々を思えば、今から期待に胸を膨らませてしまう。そして、その日はいつか必ず訪れるはずだ。
有妃はまだ抑えてくれている。だが、魔物娘は番になった男への思いが際限なく膨らむともいう。何が切っ掛けで気が変わるかわからない。でも、そうなったときは従容として有妃を受け入れよう。白蛇の夫にふさわしく笑顔で有妃を抱きしめよう…。怯えたり怒ったりして有妃を悲しませる事だけはするまい…。俺は心に誓う。
俺も大切な有妃が悩んでつらい思いをするのは嫌だ。だからしたい事をしてくれていいと何度も言っている。最近の有妃の様子を思えば、その日は思いのほか早く訪れそうだ。まあ実際にその場に遭遇すれば、慌ててうろたえてしまうのだろうな…。魔力を入れられるにしても浮気を疑われて無理やりなんてのは嫌だし…。お互いに納得し合ってその日を迎えたいものだが…。
「佑人さ〜ん!一緒にお買いもの行きませんか?」
取り留めもない思いにふけっていたが、その時有妃の呼び声が響く。もう、やめよう…。明日の事は明日の自分が悩めばいい。今は有妃と一緒の時間を楽しもう…。
「ちょっと支度するから待ってて。」
俺は有妃に声をかけると出かける準備を始めた。
「それじゃあそろそろお休みしますか…。」
夕食と風呂を済ませ、まったりとした時間を過ごしていると、いつの間にか寝る時間だ。睡眠を促す有妃に俺は甘えてしまう。
「だるくて動きたくないよ有妃ちゃん…。」
「もうっ。本当に甘えんぼさんなんだから。」
苦笑した有妃は俺を抱きかかえるようにしてベッドに運んでくれた。有妃は優しく護るように俺を運んでくれる。ずっとこのままいたいような、そんな安心感に俺は浸る。
「さ、それじゃあ一緒におねんねしましょうね…。」
有妃は俺をベッドにそっと下ろすと、いつもの様に抱きしめて蛇体を全身に巻きつけた。極上の蛇体布団に包み込まれた俺は知らぬ間に有妃を掻き抱く。そして当然の様に胸に顔を埋めて、甘く優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「有妃ちゃんあったかい…。」
「よしよし。お休みなさい。佑人さん…。」
お休みを言おうと思って顔を上げると有妃は微笑んでくれている。その愛情深い笑顔に俺はますます甘えたくなってしまった。つい子供みたいなお願いをしてしまう。
「ん〜。寝つくまで何か読んでほしいな…。」
「あらあら…。どうしましょう?手元のタブレットには新聞ぐらいしか入っていませんが…。」
「うん。それでいいよ…。」
「うふふっ。それじゃあ読んで差し上げますから、ぐっすりお休みになって下さいね…。」
有妃は快く承知してくれた。俺を腋に抱え直すと新聞を読みはじめる。聞くといつも癒される有妃の穏やかな声。その優しい声で読み聞かせられると、どんな記事でも自然と安らかな心持になってくる。まあ、正直に言えばニュースなどどうでもいい。有妃の声を聞きながら眠りにつきたいという、ただそれだけの事だ。
当然新聞だから憂鬱になる様なニュースも載っている。でも、魔物の存在が広まるまでは、この世界は今よりはるかに悲惨で残酷だったという。新聞は悲しいニュースで溢れていたらしい。その時代に比べれば明らかに良い方向に向かっていると思う。
すでに魔物の勢力は人間社会に深く浸透しており、いまもその勢いは衰える事は無い。このまま進めば人という種は魔物に呑み込まれてしまうのだろう。人と魔の間からは魔物しか生まれない、と言うのが長きにわたる定説だった。それがインキュバスが誕生したらしいと言う噂も伝え聞こえてくる。人が魔物とインキュバスにとって代わられるのも時間の問題なのかもしれない。
でも、それは素晴らしい事だ。有妃の温かさに包まれながら俺はそう思う。今俺を抱きしめてくれている有妃。有妃の様に魔物は基本的に思いやりも愛情も深い存在だ。俺も含め人はあまりにも不完全すぎる。人が魔物の様な上位の存在と融合するのならそれは歓迎すべき事だ。仮に人類が黄昏を迎える事になっても、それがこれほど穏やかな結末なら望むところだ………。
やれやれ。こんな事を考えているから人から過激派だと言われるんだぞ………。
バカな妄想を続けていた俺だったが、有妃の美声は子守唄の様に心を溶かし続ける。いつしか俺は安らかな眠りに堕ちて行った。
眠りに堕ちていた俺がふっと意識を取り戻した。隣にいるはずの有妃を抱きしめようとしたのだが、有妃の温かさを求めた俺の手は空を切る。あれ?居ないのか。トイレかな?しばらく待っていたが有妃は一向に戻ってこない。もう夜中なのにいったいどうしたんだろう。今までこんな事は無かったのだが…。そわそわし始めて俺は起き上がる。どうやらリビングに明かりがついているようだ。妙な胸騒ぎを感じながら俺はそちらに向かった。
えっ………………。
そっとリビングを覗き込んだ俺は固まった。確かに有妃はいた。だが、その姿は俺が全く知らないものだった。
有妃はソファに座り込んで延々となにかを飲み続けていた。手に持っているのは、数リットル入りのペットボトルのウイスキー。それをグラスに注ぎいれては、ストレートでがぶがぶあおっているのだ。よく見れば目は座って血走っており、純白の蛇体もふらふら揺れている。有妃はお酒が大好きなのは知っているし、当たり前の様に俺も晩酌に付き合っている。だが、今までこんな乱暴な飲み方をしているのは見た事も無い。
見てはいけないものを見てしまった…。そっとしておいた方がいいかな…。俺は恐る恐る寝室に戻ろうとした。
でも、待てよ。
俺は思い直す。もちろん夫婦間でも知られたく無い事があるのは当然だ。そこに踏み込むべきでは無いだろう。でも、あの有妃がこんな風になっているんだ。きっと今まで言えなかったつらい思いを隠しているはず。最近有妃の様子は明らかにおかしかったじゃないか。夫の俺が力にならないでどうするんだ…。深呼吸して気持ちを落ち着かせて、俺は有妃の前に姿を現した。
「有妃ちゃん。どうしたの?何かあったの。」
「ああ〜っ!ごめんらさいゆうとさぁ〜ん。起きちゃったんれすか〜。」
有妃は思いのほか陽気に俺を迎えてくれた。グラスを掲げてにこにこと楽しそうだが、明らかにろれつが回っていない。もちろんこんな姿を見るのは初めてだ。困惑しながらも俺は笑顔を見せる。
「あ。お酒飲んでいるの?俺も…付き合っていいかな?」
「うふふふ。もちろんれす。嬉しいれす。それらあ一緒に飲み明かしましょうれえ…。」
甘ったるく切ない声の有妃。どことなく虚ろに笑うと蛇体を伸ばしてきた。たちまちのうちに蛇体は俺を絡め取ると、有妃の方にずりずり引っ張っていった。
「うわっ!ちょっと有妃ちゃん。」
声を上げる俺を無視して有妃は隣に強引に座らせた。そしてじいっと俺を見つめ続ける。
アルコールと甘酸っぱい有妃の匂いが混じった香りが俺を包んだ。むせ返る様な濃い匂いにくらくらする。真紅の美しい宝石のような瞳は蕩けている。瑞々しい唇がわなないている。透き通った肌が赤く染まっているのも官能的だ。
こんな妖艶な美人さんを嫁に出来て俺は果報者だ…。知らず知らずそんな事を思う。
「それらあ駆けつけ三杯ってことれ…。」
小悪魔の様に笑うと有妃はグラスのウイスキーを口に含んだ。一体何をするか判断もつかない間に有妃は俺に口づけする。そして舌を入れると口中のウイスキーを注ぎ込んできた。驚いた俺を逃さないように両腕で頭を抱きしめ、蛇体で全身を拘束する。俺は注ぎ込まれた液体を飲むしかなかった。たちまち火照る様な強いアルコールの感触が腹に広がる。
「佑人さんまだ飲めますよねえ…。」
有妃はさらに口移しでウイスキーを注ぎ込む。俺は恍惚として飲み続ける。
「ほうら…まだまだれすよぉ…。」
有妃はなおも口づけする。強いアルコールと一緒に有妃の唾液も注ぎ込まれる。俺は夢中で飲みながらも有妃の舌を求めた。有妃は嬉しそうな様子で舌を絡めてくれる。魔物娘の唾液とアルコールが混じった液体は癖になる味わいだ。俺はただひたすら有妃の舌を吸い続けた。
「有妃ちゃんもっと…。もっと頂戴…。」
「うふふふふっ。すっかり夢中になっちゃって…。可愛い佑人さんれすれえ…。はい。ちゅー。」
俺は有妃の唇と舌、与えられるウイスキーと唾液に没頭する。無心になって有妃の口を啜る。俺が飲み干すと、良く出来ましたと有妃はギュっと抱きしめてくれる。それが心地良すぎて何も考えられなくなる。
そんな至福の拘束がどれだけ続いたのだろう。やがて有妃は俺の額にちゅっと口づけすると拘束を解いた。
「ほんとうにもう…。佑人さんたら…。わらしにちゅーされて涎とお酒が混じったのを喜んでのんぢゃって…。わかっています?そんな事を喜ぶのは変態なんれすよっ!佑人さんは変態れすっ!いけない変態れすっ………。」
有妃は相変わらず座った目で変態変態と言い続ける。まるで俺にお説教する様だ。アルコールと魔物娘の唾液で頭が蕩けるようになっていた俺だ。非難の言葉をうっとりとして受け入れる。
「うん…。ごめんなさい有妃ちゃん。」
「あははっ。あっさりと自分が変態って認めちゃいましたねぇ…。でもそんな佑人さん。わらしは大好きなんですよ…。素直な変態の佑人さん、わらしは心からおしたいしているんれす。」
「ほんとに有妃ちゃん…。」
「もちろんじゃないですかぁ!変態で可愛い佑人さんのためならわらしは何らってします!どんなお願いされても聞いてあげます!おわかりですかぁ?佑人さんのためなら何らってれきるんれすよ…。」
有妃は切々と訴え続ける。いつしか彼女の瞳は潤み、顔は泣きそうに歪んでいた。痛々しいその姿に俺はもらい泣きしそうになる。
「大丈夫。もちろんわかっているから…。俺は有妃ちゃんだけのもの。もう絶対に離れられないから!」
俺は有妃を安心させる様に語りかける。だが有妃はそんな俺に指を突き付け、びしっと言い切ってきた。
「いいえっ!佑人さんはな〜んにも分かっていらっしゃいませんっ!」
「ええええっ!」
いつもの有妃は俺の言葉をこうもはっきりと否定してくる事は無い。意外な思いで声を上げてしまう。
「だって佑人さんはわらしだけぢゃなくて…お義姉さんの事もずう〜っと気にしていますぢゃないれすかっ!」
ああっ…。そうか…。その事だったのか…。
どことなく不安で寂しそうな有妃…。全ての疑問が解けた俺は呆然と見つめる。ふみ姉が家に来た時、俺は姉の手を取ってまで気持ちを露わにしてしまった…。白蛇の、というかそれ以前に俺の嫁である有妃だ。そんな真似されて気分を害さないはずは無いのだ。有妃は俺が姉を心配している事を優しく受け入れてくれた。そしてその事を俺は当然だと思ってしまった。結果として俺は一線を越えるような事をしてしまったのだ。
馬鹿…。有妃の様子がおかしくなる原因を作ったのは俺じゃないか…。愕然とした俺はうなだれてしまった。申し訳なくて何度も何度も詫びを入れる。
「有妃ちゃんごめん…。俺がバカで鈍くて…。本当にごめん…。」
有妃は悲しい眼差しだった。やがてため息を付くと優しく俺の手を取ってくれる。俺が顔を上げると有妃は切ない笑顔でかぶりを振った。
「謝らないでくらさい。大丈夫…。佑人さんのお気持ちは良く分かっていますから。ただちょっと気になることがあるんれすよ。」
「なあに有妃ちゃん。」
良かった…。そんなに怒っていなさそうだ。少し安心して問いかけると有妃は大きくうなずく。
「はい。佑人さんはお嫁さんのわらしよりもお姉ちゃんのわらしの方がいいんれすか?そうなんれすよね?」
「えええっ!?なんでそうなるの?」
え?なんでお姉ちゃんになるの?あまりにも予想を超える斜め上の答えだ。俺はつい大声が出てしまう。
「何でそうなるぢゃないれす!佑人くんはお姉ちゃんの方がいいんだって事は良く分かります!」
佑人くんだって?有妃は俺の事をこんな風に呼んだ事無かっただろ…。俺を真っ直ぐ見据える有妃の目は血走り濁っている。いけない…。これはどう見ても悪酔いしている。いや、悪酔いしていたのはさっきからか。俺は有妃を落ち着かせようと両手で肩をぽんぽん叩いた。
「ええと…。とりあえず寝ようか。有妃ちゃん酔っているみたいだから、明日起きたらまた話し合おう。」
有妃は不満そうに口をへの字にすると蛇体の先端を床に叩きつけた。鈍い音が響き渡り俺の背中がびくりと震える。
「もうっ!佑人くんはいけない子れすっ!わらしはお姉ちゃんれすよっ!お姉ちゃん。って言いなさいっ!」
「いや。だから待ってよ。急にどうしたんだよ有妃ちゃん!」
有妃は叫ぶと突然の事に慌てる俺を抱きしめる。蛇体もぐるぐる巻きついて、全く隙間も無いぐらいに拘束されてしまった。そして物わかりが悪いなあと言わんばかりにため息を付いた。
「だ・か・ら!お姉ちゃんって言いらさいっ!さあ!どうれすかぁ…。お姉ちゃんっていいますかぁ?言わないともっとぎゅーしちゃいますよぉ!」
「いや…。だから待ってよ有妃ちゃん。」
私は怒っているんれすよと言うと、有妃は頬をぷくーっと膨らませる。正直その様子は全く怖くない。だが、俺に巻きついている蛇体の圧迫感は徐々に増してくる。痛くは無いが息苦しくなってきた俺はとうとう降参した…。
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!お姉ちゃんって言うから許して…。」
「はい!よく言えましたぁ!佑人くんはいい子です。」
しどろもどろになって謝る俺に有妃は蕩けるような笑顔を見せてくれた。そして拘束を緩めると何度も頭を撫でてくれる。俺はしばらくそのままされていたが、顔を上げるとおずおずと有妃に問いかけた。
「でもなんでゆ…じゃなくてお姉ちゃんはそんなことを言うの?今までだってお姉ちゃんは実質俺のお姉ちゃんでいてくれたじゃないか。」
俺だって気がついていた。有妃と俺は妻と夫という関係にはなった。でも実際は頼りない弟分である俺を護ってくれるお姉ちゃん。有妃はそんな存在だったのだ。ずっと有妃の好意に甘えていたかった。でも、これではいけない。有妃の優しさに溺れながらも、俺は最後の一線で踏みとどまっていた。有妃にふさわしい男になろう。心の底ではその願いだけは持ち続けていた。絶対に叶えられない願いである事はわかってはいたが…。
「いいえ!あんなものじゃ全然足りませんっ!お姉ちゃんは可愛い弟くんを甘やかせるのが仕事なんれすよ…。それに弟くんはそんなお姉ちゃんには絶対服従しなければいけないんれす!わかりますか佑人くんっ。」
「ゆ…お姉ちゃん。」
有妃は困惑する俺に力強くうなずいてくれる。何も気にすることは無いと言ってくれる。
「それにね。佑人くんがお義姉さんの事を心から慕っているのを見てわかったんです。わらしがお姉ちゃんになれば佑人くんは満足してくれるって…。」
「待ってよお姉ちゃん!ふみ姉の事は別に…」
有妃は自分の髪を弄っている。どことなく暗い瞳が怖い。いけない…。有妃は誤解している。俺はふみ姉の事は大好きだが、姉以上の気持ちは持っていない。慌てて言い訳する俺を無視して有妃は言葉を続ける。
「でもわかっていますよね…。お義姉さんはもう佑人くんのものじゃないんれすよ?素敵な旦那様がいらっしゃるんですから。」
「素敵、は余計だよお姉ちゃん。」
「わらしはお義姉さんから佑人くんの事を頼まれました!だからこれからはわらしが佑人くんのお姉ちゃんになるんれす!」
ふみ姉を捨ててその上借金まで背負わせた男だ。素敵だなんてとんでもない!吐き捨てるように言い放つ俺だったが、有妃は全く聞く耳を持たない。いつもの有妃だったら、酔っていても話はちゃんと聞いてくれるはずだ。どうやらこれは信じられないぐらい悪酔いしているようだな…。
肩をすくめる俺を見て何か勘違いしたのだろう。有妃は労わるように訴えかけてきた。
「ねえ…。佑人くんは今までお姉ちゃんの旦那様になろうと、頑張ってやる気を出してくれていましたよね?大丈夫!もうそんなつらい思いはしなくていいんれす。
わらしは佑人くんのお姉ちゃんでありお嫁さんなんれすから。何も気兼ねしないでお姉ちゃんにお世話されていればいいんれすよ?それとも、お姉ちゃんにお世話されるのはいや…れすか?」
有妃は悲壮感溢れる様子で語り続けた。最期の言葉を言った瞬間、真紅の眼に涙を浮かべた有妃の顔がゆがむ。馬鹿!また有妃を泣かせるような事をしてどうするんだ!俺は急いで否定する。
「待ってよ!全然嫌なんかじゃないよ。むしろすごく嬉しいよ。でもお姉ちゃんはそんな俺で迷惑じゃないの?それはすごく気になるんだ。」
有妃に甘え続けたいのは当然だ。ずっとそうすることが出来ればどれほど幸せか…。有妃がそれを望んでいるのもなんとなくわかってきた。でも俺の存在が有妃の負担になる事だけは嫌だ。無意味なのかもしれないが、俺の男としての矜持みたいなものだ。泣きそうになった有妃を慰めるように、俺は妻でありお姉ちゃんである人を抱きしめる。
「また佑人くんはそんな事言ってぇ!お姉ちゃんは何度も言っていますよ。佑人くんがわらしに甘えてくれれば、それがお姉ちゃんにとって何よりの喜びなのれすよ…。わらしに全て依存して幸せな笑顔を見せてくれれば、それだけで何もいらないのれす。」
俺の言葉に有妃は笑顔を取り戻してくれた。安心した様に蛇体で俺を包み込むと、熱くねっとりとした声で耳元で囁いてきた。
「だから、わらしの事を佑人くんのお姉ちゃんにしてくらさい…。佑人くんはお姉ちゃんの弟になってくらさい…。そうすればふたり一緒に幸せれす。ね、佑人くん…。」
有妃はしきりに俺を愛撫する。何度も何度も優しい労わりと慰めの言葉を掛ける。数えきれないほど口づけを繰り返す。俺はもう頭が真っ白になりそうだった。有妃とアルコールの強い匂い。蛇体と有妃の声の温かさが俺の理性を崩壊させていった。
そうだ。俺はいったいなにをごちゃごちゃ悩んでいたんだろう…。このまま有妃に抱き着いて、甘い安らぎに溺れていればいいだけじゃないか…。おねえちゃんもそれを心から望んでくれている…。
いつしか俺は蛇体に身を埋めて叫んでいた。
「お姉ちゃん…。有妃姉ちゃん有妃姉ちゃん有妃姉ちゃん!」
有妃姉ちゃんは自分にみっともなく抱き着く俺を見て歓喜した。瞳を鈍く輝かすと力強く抱きしめてくれる。そう。好いた男は絶対に離さない白蛇の拘束で。
「嬉しいですよ佑人くんっ!やっと心からお姉ちゃんって認めてくれましたねぇ。」
「うん!有妃姉ちゃん大好き!」
「はいっ!もちろんお姉ちゃんも佑人くんが大好きです!いいれすか。これから佑人くんはお姉ちゃんの弟なんれすよ。だからなんでも遠慮しないで言う事!変に気兼ねしたらお姉ちゃんお仕置きしますからね!」
「じゃあ有妃姉ちゃん…。俺をぎゅーってしてくれるかな。」
お姉ちゃんの蛇体の抱擁は癒しと安らぎのゆりかごだ。何度味わっても飽きる事は無い。甘えるようにお願いする俺を、有妃ねえは愛情を込めた笑顔で受け入れてくれる。
「お安いご用ですよぉ!はいぎゅ〜っ!」
強まる蛇体の拘束に俺は呆けた笑顔で喘ぐ。
「有妃ねえちゃん気持ちいいよぉ!」
「いいんれすよっ!もっともっともっと気持ち良くなってくらさいねっ!はいぎゅ〜っ!」
「ゆきねえちゃああんっ!」
おねえちゃんの蛇体と深い愛情に包まれた俺はいつしか意識を手放して行った………。
窓から差し込む光で俺の目が開く。もう朝か…。起き上がろうとした俺だったが、鈍い頭痛とめまいが襲い倒れ込んだ。どう見てもこれは酷い二日酔いだ。まあ、あれだけウイスキーを飲み続ければ当然なのだが。こんな時はいつもの水を飲むのが一番だ。俺は無理矢理身を起こすと悪戦苦闘しながら冷蔵庫に向かった。
ああ〜っ。うまい!
水を飲み干した俺は変な声を出してしまう。水の力をその身に宿す白蛇の有妃。彼女が魔力で浄化してくれる水は信じられないぐらい美味しい。酒の飲み過ぎで喉が渇ききっていた俺は、さらにもう一杯飲み始めた。
あ…そうだった…。水をぐいぐいとあおっていた俺は昨晩の事を思いだしてしまう。そうだ…。あれから俺は有妃に抱き着いて、何度もお姉ちゃん好き好きっ!って言い続けたのだ。何の遠慮する事も無く、ただ欲望の赴くままに甘え続けたのだ…。
あああ〜っ!
急激に恥ずかしさが襲ってきた俺は呻いて頭を抱える。しまった…。これはまずい…。墓場まで持っていく秘密にしたいほどだ…。お互いに酔った勢いとはいえ、あれほどの醜態を晒してしまったのだ。これでは有妃に合わせる顔が無い…。その時だった。
「んんんっ………。」
ベッドで寝ていた有妃も呻き声を挙げながら身を起こす。文字どおりうわばみのように飲み続けたのだ。有妃も喉が渇いているだろう。気まずさを感じながらも俺は有妃に水を持っていった。
「ああ〜っ。佑人さんありがとうございます。とっても美味しいです。」
「いいえ。どういたしまして…。」
水を美味しそうに飲み干すと有妃はほうっと一息ついた。つらそうに頭に手をやっている。結局有妃は数リットル入りのペットボトルのウイスキーを一晩で何本も空けていた。いくら頑健な魔物娘といえどもこれでは二日酔いするだろうな…。俺が妙に納得していると有妃は困った様に問いかけてきた。
「あの…佑人さん…。昨日は本当にすみませんでした。私、ひどく酔ってしまって…。それで、佑人さんに何か失礼な事はしませんでしたか?」
申し訳なさそうに恐る恐る言う有妃だ。その姿を見て思わず笑ってしまいそうになったが、少し安心もした。良かった。どうやら昨晩の事は覚えていない様だ。何事も無かったよ。そう言おうと思った俺だが、何事も無いでは逆に怪しまれるかもしれない。考え直してこう言った。
「ああ〜。有妃ちゃんひどく酔っていたでしょ…。なんか良く分からないこと色々言っていたけど…。」
「そうですか…。それは申し訳ありませんでした…。」
「ううん全然…。酔った有妃ちゃんも可愛かったから!」
「もうっ!佑人さんったらあ…。」
俺の軽口に有妃も楽しそうに笑ってくれる。よし。これで終わった。昨晩の事は俺の胸の内だけに収めておけばいい…。有妃に余計な気を遣わせることは無い。
「どうしよう?何か食べるもの持ってくる?」
ほっとした俺はパンでも持ってこようと思い席を立とうとした。
「そうですねえ。どうしましょうか佑人くん…。」
「おねえちゃ………」
あっ!
有妃の「佑人くん」という言葉…。反応した俺はついお姉ちゃんと言おうとしてしまった…。
まずい!慌てて言い直そうとしたが、有妃はそんな俺を悪戯っぽく見つめている。
「やっぱり覚えていましたか…。」
「いや…だから…有妃ちゃん…。」
伸びてきた白い蛇体が俺に絡みつく。昨日と全く同じように俺は有妃のもとに引きずられていった。
「うふふっ。佑人くんはいけないウソつきさんですねえ…。」
有妃は満面の笑みを浮かべて俺を拘束している。きっと俺が見事に罠にかかったのが楽しくて仕方ないのだろう。
「あの…有妃ちゃん。」
「もうっ!お姉ちゃんって言いなさい!」
嬉しそうに有妃が言った途端、蛇体がぎゅうっと絞め付けてきた。甘いおしおきに俺は喘いで詫びてしまう。
「ああっ!ごめんなさいお姉ちゃんっ!」
「よしよし…。わかればいいんですよ佑人くん。」
素直に謝る俺を有妃は優しく抱いてくれた。そのまま無言で愛撫し続けている。俺は蛇体の温かさを味わいながら考え込む。このまま有妃の弟になっちゃうのもいいな…。結婚前は姉弟の関係でいたいと思っていたじゃないか…。その願いがかなうんだぞ…。俺が決意を固めた時だった。有妃はそっとため息を付いた。
「ねえ佑人くん。お姉ちゃんはこのまま佑人くんを弟にして幸せにしたいです…。
でもお姉ちゃんは佑人くんの望むこともしたいんですよ。佑人くんはどうでしょう?お姉ちゃんの弟がいいですか?それともお嫁さんがいいですか?もちろんお姉ちゃんでお嫁さん。って言うのも大歓迎ですよ。佑人くんはどれが望みでしょうか…。」
有妃は俺と初めて会った時のような儚い眼差しだった。愛情に溢れながらも切ない笑顔を見せた。深い真紅の瞳に吸い込まれそうになった俺は、いつしか本心を語っていた。
「ごめん有妃ちゃん。どの有妃ちゃんも素敵だけど…もう少し君の夫として頑張りたいかな…。
でも、有妃ちゃんがしたい事をしてくれていいんだよ。君の弟として生きて行くのも素敵だと思うから…。」
有妃は苦痛に歪んだ様な表情をした。その自分の顔を見せたくなかったのだろうか。俯いてもう一度ため息を付く。一瞬有妃の表情に暗く歪んだ情念が浮かび上がったかに見えたが、それはすぐに消えた。
「わかりました。佑人さんがそうおっしゃるなら…。それではこれからもよろしくお願いしますねっ!旦那様!」
有妃は顔を上げると、気持ちを切り替えるかのように朗らかに笑った。
今さらなのだが、この時有妃の願いを聞き入れていればどうだったのだろう。彼女の弟になっていればまた違った未来があったのだろうか。だが、俺は有妃の夫としての道を選んだ。
その後も有妃の不安定な様子は収まる事は無かった。結局それからしばらく後、浮気を疑われた俺は白蛇の炎を入れられる事になる。
でも、あと少しだ…。あと少しで家に着く。そうすれば有妃に抱き締めてもらえる。
蛇体の温もりの中で安らげる。有妃の優しさに溺れることが出来る…。
ひたすらあと少し、あと少しと呟きながら、俺はあの時の事を思いだす………
「有妃ちゃんどうしよう?今から掃除やろうか………。ええと………有妃ちゃん?」
「はいっ!?あ………。私が後でやりますからゆっくりしていてくださいね!」」
「…有妃ちゃん大丈夫?体の具合でも悪いの?」
「いえ。お腹いっぱいでぼ〜っとしていただけですからご心配なく…。」
休日の朝昼兼ねた食事後。有妃を手伝おうと申し出たのだが…どうも様子がおかしい。有妃は台所に立って虚ろな目で蛍光灯を見つめていた。この日に限った事では無い。最近は有妃の様子が妙に気になる。じっと俺の事を見つめ続けたり…。気が付いた俺が視線を向けると慌てて俯いたり…。上の空で何度もため息を着いたり…。明らかに普段の様子と違うのだ。
「ほんとに大丈夫?つらいなら言ってね。」
「はい!もちろん大丈夫ですよ〜。心配かけちゃってごめんなさいね…。」
慌てて駆け寄る俺に有妃は明らかな作り笑いを浮かべた。気持ちを押し殺したような切ない笑顔を見て、たまらず声をかけてしまう。
「ねえ有妃ちゃん。君ほどじゃないけど俺だって有妃ちゃんの事はわかるって言ったよね…。そんな我慢はしないでほしいな。」
有妃は目を潤ませると俺をそっと抱きしめる。蛇体で全身を包みこむといつもの様に何度も頭を撫でてくれる。温かさと心地よさに俺は身を委ねてしまった。
「ありがとうございます。本当にご心配なく。その気持ちだけで十分なのですよ…。」
どこか安心した様な有妃の声を俺はただ聞いていた。
ふみ姉との再会からしばらくは平穏に過ぎた。有妃ともこれ以上は無いほど仲良くしている。というよりもこれは仲が良いという以上のものだ。以前にも増して有妃に甘えるようになってきており、ますます依存しているのが自分でもわかる。食事や入浴の時も有妃に世話してもらう事が多いし、夜はいつも抱きしめて寝かしつけてもらう。有妃が傍にいてくれないと落ち着かない。有妃の蛇体に包まれないと安心して寝ることも出来ない。
うん…。我ながらどんどんダメになってきている…。でも、情けなく甘える俺を見て、有妃は目を輝かせて喜んでくれるのだ。別にこのまま一生甘えて頼りきりでも、有妃は喜んで俺を支えてくれる。そんな妙な信頼も生まれてきた。有妃は口には出さないが、駄目な俺のほうがいいと言ってくれている様だ。正直複雑なのだが、最近ではそんな有妃に思う存分溺れてしまおうとすら思う。
今後の俺の辿る道は大体想像がつく。有妃の魔力…白蛇の炎を注ぎ込まれて、身も心も有妃のものになるのだろう。お互いに依存し合って、甘い快楽と安らぎの日々を送る事になるのだろう。全く不安が無いと言えば嘘になるが、有妃が俺に酷い事をするはずもない。有妃と心からつながりあえる日々を思えば、今から期待に胸を膨らませてしまう。そして、その日はいつか必ず訪れるはずだ。
有妃はまだ抑えてくれている。だが、魔物娘は番になった男への思いが際限なく膨らむともいう。何が切っ掛けで気が変わるかわからない。でも、そうなったときは従容として有妃を受け入れよう。白蛇の夫にふさわしく笑顔で有妃を抱きしめよう…。怯えたり怒ったりして有妃を悲しませる事だけはするまい…。俺は心に誓う。
俺も大切な有妃が悩んでつらい思いをするのは嫌だ。だからしたい事をしてくれていいと何度も言っている。最近の有妃の様子を思えば、その日は思いのほか早く訪れそうだ。まあ実際にその場に遭遇すれば、慌ててうろたえてしまうのだろうな…。魔力を入れられるにしても浮気を疑われて無理やりなんてのは嫌だし…。お互いに納得し合ってその日を迎えたいものだが…。
「佑人さ〜ん!一緒にお買いもの行きませんか?」
取り留めもない思いにふけっていたが、その時有妃の呼び声が響く。もう、やめよう…。明日の事は明日の自分が悩めばいい。今は有妃と一緒の時間を楽しもう…。
「ちょっと支度するから待ってて。」
俺は有妃に声をかけると出かける準備を始めた。
「それじゃあそろそろお休みしますか…。」
夕食と風呂を済ませ、まったりとした時間を過ごしていると、いつの間にか寝る時間だ。睡眠を促す有妃に俺は甘えてしまう。
「だるくて動きたくないよ有妃ちゃん…。」
「もうっ。本当に甘えんぼさんなんだから。」
苦笑した有妃は俺を抱きかかえるようにしてベッドに運んでくれた。有妃は優しく護るように俺を運んでくれる。ずっとこのままいたいような、そんな安心感に俺は浸る。
「さ、それじゃあ一緒におねんねしましょうね…。」
有妃は俺をベッドにそっと下ろすと、いつもの様に抱きしめて蛇体を全身に巻きつけた。極上の蛇体布団に包み込まれた俺は知らぬ間に有妃を掻き抱く。そして当然の様に胸に顔を埋めて、甘く優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「有妃ちゃんあったかい…。」
「よしよし。お休みなさい。佑人さん…。」
お休みを言おうと思って顔を上げると有妃は微笑んでくれている。その愛情深い笑顔に俺はますます甘えたくなってしまった。つい子供みたいなお願いをしてしまう。
「ん〜。寝つくまで何か読んでほしいな…。」
「あらあら…。どうしましょう?手元のタブレットには新聞ぐらいしか入っていませんが…。」
「うん。それでいいよ…。」
「うふふっ。それじゃあ読んで差し上げますから、ぐっすりお休みになって下さいね…。」
有妃は快く承知してくれた。俺を腋に抱え直すと新聞を読みはじめる。聞くといつも癒される有妃の穏やかな声。その優しい声で読み聞かせられると、どんな記事でも自然と安らかな心持になってくる。まあ、正直に言えばニュースなどどうでもいい。有妃の声を聞きながら眠りにつきたいという、ただそれだけの事だ。
当然新聞だから憂鬱になる様なニュースも載っている。でも、魔物の存在が広まるまでは、この世界は今よりはるかに悲惨で残酷だったという。新聞は悲しいニュースで溢れていたらしい。その時代に比べれば明らかに良い方向に向かっていると思う。
すでに魔物の勢力は人間社会に深く浸透しており、いまもその勢いは衰える事は無い。このまま進めば人という種は魔物に呑み込まれてしまうのだろう。人と魔の間からは魔物しか生まれない、と言うのが長きにわたる定説だった。それがインキュバスが誕生したらしいと言う噂も伝え聞こえてくる。人が魔物とインキュバスにとって代わられるのも時間の問題なのかもしれない。
でも、それは素晴らしい事だ。有妃の温かさに包まれながら俺はそう思う。今俺を抱きしめてくれている有妃。有妃の様に魔物は基本的に思いやりも愛情も深い存在だ。俺も含め人はあまりにも不完全すぎる。人が魔物の様な上位の存在と融合するのならそれは歓迎すべき事だ。仮に人類が黄昏を迎える事になっても、それがこれほど穏やかな結末なら望むところだ………。
やれやれ。こんな事を考えているから人から過激派だと言われるんだぞ………。
バカな妄想を続けていた俺だったが、有妃の美声は子守唄の様に心を溶かし続ける。いつしか俺は安らかな眠りに堕ちて行った。
眠りに堕ちていた俺がふっと意識を取り戻した。隣にいるはずの有妃を抱きしめようとしたのだが、有妃の温かさを求めた俺の手は空を切る。あれ?居ないのか。トイレかな?しばらく待っていたが有妃は一向に戻ってこない。もう夜中なのにいったいどうしたんだろう。今までこんな事は無かったのだが…。そわそわし始めて俺は起き上がる。どうやらリビングに明かりがついているようだ。妙な胸騒ぎを感じながら俺はそちらに向かった。
えっ………………。
そっとリビングを覗き込んだ俺は固まった。確かに有妃はいた。だが、その姿は俺が全く知らないものだった。
有妃はソファに座り込んで延々となにかを飲み続けていた。手に持っているのは、数リットル入りのペットボトルのウイスキー。それをグラスに注ぎいれては、ストレートでがぶがぶあおっているのだ。よく見れば目は座って血走っており、純白の蛇体もふらふら揺れている。有妃はお酒が大好きなのは知っているし、当たり前の様に俺も晩酌に付き合っている。だが、今までこんな乱暴な飲み方をしているのは見た事も無い。
見てはいけないものを見てしまった…。そっとしておいた方がいいかな…。俺は恐る恐る寝室に戻ろうとした。
でも、待てよ。
俺は思い直す。もちろん夫婦間でも知られたく無い事があるのは当然だ。そこに踏み込むべきでは無いだろう。でも、あの有妃がこんな風になっているんだ。きっと今まで言えなかったつらい思いを隠しているはず。最近有妃の様子は明らかにおかしかったじゃないか。夫の俺が力にならないでどうするんだ…。深呼吸して気持ちを落ち着かせて、俺は有妃の前に姿を現した。
「有妃ちゃん。どうしたの?何かあったの。」
「ああ〜っ!ごめんらさいゆうとさぁ〜ん。起きちゃったんれすか〜。」
有妃は思いのほか陽気に俺を迎えてくれた。グラスを掲げてにこにこと楽しそうだが、明らかにろれつが回っていない。もちろんこんな姿を見るのは初めてだ。困惑しながらも俺は笑顔を見せる。
「あ。お酒飲んでいるの?俺も…付き合っていいかな?」
「うふふふ。もちろんれす。嬉しいれす。それらあ一緒に飲み明かしましょうれえ…。」
甘ったるく切ない声の有妃。どことなく虚ろに笑うと蛇体を伸ばしてきた。たちまちのうちに蛇体は俺を絡め取ると、有妃の方にずりずり引っ張っていった。
「うわっ!ちょっと有妃ちゃん。」
声を上げる俺を無視して有妃は隣に強引に座らせた。そしてじいっと俺を見つめ続ける。
アルコールと甘酸っぱい有妃の匂いが混じった香りが俺を包んだ。むせ返る様な濃い匂いにくらくらする。真紅の美しい宝石のような瞳は蕩けている。瑞々しい唇がわなないている。透き通った肌が赤く染まっているのも官能的だ。
こんな妖艶な美人さんを嫁に出来て俺は果報者だ…。知らず知らずそんな事を思う。
「それらあ駆けつけ三杯ってことれ…。」
小悪魔の様に笑うと有妃はグラスのウイスキーを口に含んだ。一体何をするか判断もつかない間に有妃は俺に口づけする。そして舌を入れると口中のウイスキーを注ぎ込んできた。驚いた俺を逃さないように両腕で頭を抱きしめ、蛇体で全身を拘束する。俺は注ぎ込まれた液体を飲むしかなかった。たちまち火照る様な強いアルコールの感触が腹に広がる。
「佑人さんまだ飲めますよねえ…。」
有妃はさらに口移しでウイスキーを注ぎ込む。俺は恍惚として飲み続ける。
「ほうら…まだまだれすよぉ…。」
有妃はなおも口づけする。強いアルコールと一緒に有妃の唾液も注ぎ込まれる。俺は夢中で飲みながらも有妃の舌を求めた。有妃は嬉しそうな様子で舌を絡めてくれる。魔物娘の唾液とアルコールが混じった液体は癖になる味わいだ。俺はただひたすら有妃の舌を吸い続けた。
「有妃ちゃんもっと…。もっと頂戴…。」
「うふふふふっ。すっかり夢中になっちゃって…。可愛い佑人さんれすれえ…。はい。ちゅー。」
俺は有妃の唇と舌、与えられるウイスキーと唾液に没頭する。無心になって有妃の口を啜る。俺が飲み干すと、良く出来ましたと有妃はギュっと抱きしめてくれる。それが心地良すぎて何も考えられなくなる。
そんな至福の拘束がどれだけ続いたのだろう。やがて有妃は俺の額にちゅっと口づけすると拘束を解いた。
「ほんとうにもう…。佑人さんたら…。わらしにちゅーされて涎とお酒が混じったのを喜んでのんぢゃって…。わかっています?そんな事を喜ぶのは変態なんれすよっ!佑人さんは変態れすっ!いけない変態れすっ………。」
有妃は相変わらず座った目で変態変態と言い続ける。まるで俺にお説教する様だ。アルコールと魔物娘の唾液で頭が蕩けるようになっていた俺だ。非難の言葉をうっとりとして受け入れる。
「うん…。ごめんなさい有妃ちゃん。」
「あははっ。あっさりと自分が変態って認めちゃいましたねぇ…。でもそんな佑人さん。わらしは大好きなんですよ…。素直な変態の佑人さん、わらしは心からおしたいしているんれす。」
「ほんとに有妃ちゃん…。」
「もちろんじゃないですかぁ!変態で可愛い佑人さんのためならわらしは何らってします!どんなお願いされても聞いてあげます!おわかりですかぁ?佑人さんのためなら何らってれきるんれすよ…。」
有妃は切々と訴え続ける。いつしか彼女の瞳は潤み、顔は泣きそうに歪んでいた。痛々しいその姿に俺はもらい泣きしそうになる。
「大丈夫。もちろんわかっているから…。俺は有妃ちゃんだけのもの。もう絶対に離れられないから!」
俺は有妃を安心させる様に語りかける。だが有妃はそんな俺に指を突き付け、びしっと言い切ってきた。
「いいえっ!佑人さんはな〜んにも分かっていらっしゃいませんっ!」
「ええええっ!」
いつもの有妃は俺の言葉をこうもはっきりと否定してくる事は無い。意外な思いで声を上げてしまう。
「だって佑人さんはわらしだけぢゃなくて…お義姉さんの事もずう〜っと気にしていますぢゃないれすかっ!」
ああっ…。そうか…。その事だったのか…。
どことなく不安で寂しそうな有妃…。全ての疑問が解けた俺は呆然と見つめる。ふみ姉が家に来た時、俺は姉の手を取ってまで気持ちを露わにしてしまった…。白蛇の、というかそれ以前に俺の嫁である有妃だ。そんな真似されて気分を害さないはずは無いのだ。有妃は俺が姉を心配している事を優しく受け入れてくれた。そしてその事を俺は当然だと思ってしまった。結果として俺は一線を越えるような事をしてしまったのだ。
馬鹿…。有妃の様子がおかしくなる原因を作ったのは俺じゃないか…。愕然とした俺はうなだれてしまった。申し訳なくて何度も何度も詫びを入れる。
「有妃ちゃんごめん…。俺がバカで鈍くて…。本当にごめん…。」
有妃は悲しい眼差しだった。やがてため息を付くと優しく俺の手を取ってくれる。俺が顔を上げると有妃は切ない笑顔でかぶりを振った。
「謝らないでくらさい。大丈夫…。佑人さんのお気持ちは良く分かっていますから。ただちょっと気になることがあるんれすよ。」
「なあに有妃ちゃん。」
良かった…。そんなに怒っていなさそうだ。少し安心して問いかけると有妃は大きくうなずく。
「はい。佑人さんはお嫁さんのわらしよりもお姉ちゃんのわらしの方がいいんれすか?そうなんれすよね?」
「えええっ!?なんでそうなるの?」
え?なんでお姉ちゃんになるの?あまりにも予想を超える斜め上の答えだ。俺はつい大声が出てしまう。
「何でそうなるぢゃないれす!佑人くんはお姉ちゃんの方がいいんだって事は良く分かります!」
佑人くんだって?有妃は俺の事をこんな風に呼んだ事無かっただろ…。俺を真っ直ぐ見据える有妃の目は血走り濁っている。いけない…。これはどう見ても悪酔いしている。いや、悪酔いしていたのはさっきからか。俺は有妃を落ち着かせようと両手で肩をぽんぽん叩いた。
「ええと…。とりあえず寝ようか。有妃ちゃん酔っているみたいだから、明日起きたらまた話し合おう。」
有妃は不満そうに口をへの字にすると蛇体の先端を床に叩きつけた。鈍い音が響き渡り俺の背中がびくりと震える。
「もうっ!佑人くんはいけない子れすっ!わらしはお姉ちゃんれすよっ!お姉ちゃん。って言いなさいっ!」
「いや。だから待ってよ。急にどうしたんだよ有妃ちゃん!」
有妃は叫ぶと突然の事に慌てる俺を抱きしめる。蛇体もぐるぐる巻きついて、全く隙間も無いぐらいに拘束されてしまった。そして物わかりが悪いなあと言わんばかりにため息を付いた。
「だ・か・ら!お姉ちゃんって言いらさいっ!さあ!どうれすかぁ…。お姉ちゃんっていいますかぁ?言わないともっとぎゅーしちゃいますよぉ!」
「いや…。だから待ってよ有妃ちゃん。」
私は怒っているんれすよと言うと、有妃は頬をぷくーっと膨らませる。正直その様子は全く怖くない。だが、俺に巻きついている蛇体の圧迫感は徐々に増してくる。痛くは無いが息苦しくなってきた俺はとうとう降参した…。
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!お姉ちゃんって言うから許して…。」
「はい!よく言えましたぁ!佑人くんはいい子です。」
しどろもどろになって謝る俺に有妃は蕩けるような笑顔を見せてくれた。そして拘束を緩めると何度も頭を撫でてくれる。俺はしばらくそのままされていたが、顔を上げるとおずおずと有妃に問いかけた。
「でもなんでゆ…じゃなくてお姉ちゃんはそんなことを言うの?今までだってお姉ちゃんは実質俺のお姉ちゃんでいてくれたじゃないか。」
俺だって気がついていた。有妃と俺は妻と夫という関係にはなった。でも実際は頼りない弟分である俺を護ってくれるお姉ちゃん。有妃はそんな存在だったのだ。ずっと有妃の好意に甘えていたかった。でも、これではいけない。有妃の優しさに溺れながらも、俺は最後の一線で踏みとどまっていた。有妃にふさわしい男になろう。心の底ではその願いだけは持ち続けていた。絶対に叶えられない願いである事はわかってはいたが…。
「いいえ!あんなものじゃ全然足りませんっ!お姉ちゃんは可愛い弟くんを甘やかせるのが仕事なんれすよ…。それに弟くんはそんなお姉ちゃんには絶対服従しなければいけないんれす!わかりますか佑人くんっ。」
「ゆ…お姉ちゃん。」
有妃は困惑する俺に力強くうなずいてくれる。何も気にすることは無いと言ってくれる。
「それにね。佑人くんがお義姉さんの事を心から慕っているのを見てわかったんです。わらしがお姉ちゃんになれば佑人くんは満足してくれるって…。」
「待ってよお姉ちゃん!ふみ姉の事は別に…」
有妃は自分の髪を弄っている。どことなく暗い瞳が怖い。いけない…。有妃は誤解している。俺はふみ姉の事は大好きだが、姉以上の気持ちは持っていない。慌てて言い訳する俺を無視して有妃は言葉を続ける。
「でもわかっていますよね…。お義姉さんはもう佑人くんのものじゃないんれすよ?素敵な旦那様がいらっしゃるんですから。」
「素敵、は余計だよお姉ちゃん。」
「わらしはお義姉さんから佑人くんの事を頼まれました!だからこれからはわらしが佑人くんのお姉ちゃんになるんれす!」
ふみ姉を捨ててその上借金まで背負わせた男だ。素敵だなんてとんでもない!吐き捨てるように言い放つ俺だったが、有妃は全く聞く耳を持たない。いつもの有妃だったら、酔っていても話はちゃんと聞いてくれるはずだ。どうやらこれは信じられないぐらい悪酔いしているようだな…。
肩をすくめる俺を見て何か勘違いしたのだろう。有妃は労わるように訴えかけてきた。
「ねえ…。佑人くんは今までお姉ちゃんの旦那様になろうと、頑張ってやる気を出してくれていましたよね?大丈夫!もうそんなつらい思いはしなくていいんれす。
わらしは佑人くんのお姉ちゃんでありお嫁さんなんれすから。何も気兼ねしないでお姉ちゃんにお世話されていればいいんれすよ?それとも、お姉ちゃんにお世話されるのはいや…れすか?」
有妃は悲壮感溢れる様子で語り続けた。最期の言葉を言った瞬間、真紅の眼に涙を浮かべた有妃の顔がゆがむ。馬鹿!また有妃を泣かせるような事をしてどうするんだ!俺は急いで否定する。
「待ってよ!全然嫌なんかじゃないよ。むしろすごく嬉しいよ。でもお姉ちゃんはそんな俺で迷惑じゃないの?それはすごく気になるんだ。」
有妃に甘え続けたいのは当然だ。ずっとそうすることが出来ればどれほど幸せか…。有妃がそれを望んでいるのもなんとなくわかってきた。でも俺の存在が有妃の負担になる事だけは嫌だ。無意味なのかもしれないが、俺の男としての矜持みたいなものだ。泣きそうになった有妃を慰めるように、俺は妻でありお姉ちゃんである人を抱きしめる。
「また佑人くんはそんな事言ってぇ!お姉ちゃんは何度も言っていますよ。佑人くんがわらしに甘えてくれれば、それがお姉ちゃんにとって何よりの喜びなのれすよ…。わらしに全て依存して幸せな笑顔を見せてくれれば、それだけで何もいらないのれす。」
俺の言葉に有妃は笑顔を取り戻してくれた。安心した様に蛇体で俺を包み込むと、熱くねっとりとした声で耳元で囁いてきた。
「だから、わらしの事を佑人くんのお姉ちゃんにしてくらさい…。佑人くんはお姉ちゃんの弟になってくらさい…。そうすればふたり一緒に幸せれす。ね、佑人くん…。」
有妃はしきりに俺を愛撫する。何度も何度も優しい労わりと慰めの言葉を掛ける。数えきれないほど口づけを繰り返す。俺はもう頭が真っ白になりそうだった。有妃とアルコールの強い匂い。蛇体と有妃の声の温かさが俺の理性を崩壊させていった。
そうだ。俺はいったいなにをごちゃごちゃ悩んでいたんだろう…。このまま有妃に抱き着いて、甘い安らぎに溺れていればいいだけじゃないか…。おねえちゃんもそれを心から望んでくれている…。
いつしか俺は蛇体に身を埋めて叫んでいた。
「お姉ちゃん…。有妃姉ちゃん有妃姉ちゃん有妃姉ちゃん!」
有妃姉ちゃんは自分にみっともなく抱き着く俺を見て歓喜した。瞳を鈍く輝かすと力強く抱きしめてくれる。そう。好いた男は絶対に離さない白蛇の拘束で。
「嬉しいですよ佑人くんっ!やっと心からお姉ちゃんって認めてくれましたねぇ。」
「うん!有妃姉ちゃん大好き!」
「はいっ!もちろんお姉ちゃんも佑人くんが大好きです!いいれすか。これから佑人くんはお姉ちゃんの弟なんれすよ。だからなんでも遠慮しないで言う事!変に気兼ねしたらお姉ちゃんお仕置きしますからね!」
「じゃあ有妃姉ちゃん…。俺をぎゅーってしてくれるかな。」
お姉ちゃんの蛇体の抱擁は癒しと安らぎのゆりかごだ。何度味わっても飽きる事は無い。甘えるようにお願いする俺を、有妃ねえは愛情を込めた笑顔で受け入れてくれる。
「お安いご用ですよぉ!はいぎゅ〜っ!」
強まる蛇体の拘束に俺は呆けた笑顔で喘ぐ。
「有妃ねえちゃん気持ちいいよぉ!」
「いいんれすよっ!もっともっともっと気持ち良くなってくらさいねっ!はいぎゅ〜っ!」
「ゆきねえちゃああんっ!」
おねえちゃんの蛇体と深い愛情に包まれた俺はいつしか意識を手放して行った………。
窓から差し込む光で俺の目が開く。もう朝か…。起き上がろうとした俺だったが、鈍い頭痛とめまいが襲い倒れ込んだ。どう見てもこれは酷い二日酔いだ。まあ、あれだけウイスキーを飲み続ければ当然なのだが。こんな時はいつもの水を飲むのが一番だ。俺は無理矢理身を起こすと悪戦苦闘しながら冷蔵庫に向かった。
ああ〜っ。うまい!
水を飲み干した俺は変な声を出してしまう。水の力をその身に宿す白蛇の有妃。彼女が魔力で浄化してくれる水は信じられないぐらい美味しい。酒の飲み過ぎで喉が渇ききっていた俺は、さらにもう一杯飲み始めた。
あ…そうだった…。水をぐいぐいとあおっていた俺は昨晩の事を思いだしてしまう。そうだ…。あれから俺は有妃に抱き着いて、何度もお姉ちゃん好き好きっ!って言い続けたのだ。何の遠慮する事も無く、ただ欲望の赴くままに甘え続けたのだ…。
あああ〜っ!
急激に恥ずかしさが襲ってきた俺は呻いて頭を抱える。しまった…。これはまずい…。墓場まで持っていく秘密にしたいほどだ…。お互いに酔った勢いとはいえ、あれほどの醜態を晒してしまったのだ。これでは有妃に合わせる顔が無い…。その時だった。
「んんんっ………。」
ベッドで寝ていた有妃も呻き声を挙げながら身を起こす。文字どおりうわばみのように飲み続けたのだ。有妃も喉が渇いているだろう。気まずさを感じながらも俺は有妃に水を持っていった。
「ああ〜っ。佑人さんありがとうございます。とっても美味しいです。」
「いいえ。どういたしまして…。」
水を美味しそうに飲み干すと有妃はほうっと一息ついた。つらそうに頭に手をやっている。結局有妃は数リットル入りのペットボトルのウイスキーを一晩で何本も空けていた。いくら頑健な魔物娘といえどもこれでは二日酔いするだろうな…。俺が妙に納得していると有妃は困った様に問いかけてきた。
「あの…佑人さん…。昨日は本当にすみませんでした。私、ひどく酔ってしまって…。それで、佑人さんに何か失礼な事はしませんでしたか?」
申し訳なさそうに恐る恐る言う有妃だ。その姿を見て思わず笑ってしまいそうになったが、少し安心もした。良かった。どうやら昨晩の事は覚えていない様だ。何事も無かったよ。そう言おうと思った俺だが、何事も無いでは逆に怪しまれるかもしれない。考え直してこう言った。
「ああ〜。有妃ちゃんひどく酔っていたでしょ…。なんか良く分からないこと色々言っていたけど…。」
「そうですか…。それは申し訳ありませんでした…。」
「ううん全然…。酔った有妃ちゃんも可愛かったから!」
「もうっ!佑人さんったらあ…。」
俺の軽口に有妃も楽しそうに笑ってくれる。よし。これで終わった。昨晩の事は俺の胸の内だけに収めておけばいい…。有妃に余計な気を遣わせることは無い。
「どうしよう?何か食べるもの持ってくる?」
ほっとした俺はパンでも持ってこようと思い席を立とうとした。
「そうですねえ。どうしましょうか佑人くん…。」
「おねえちゃ………」
あっ!
有妃の「佑人くん」という言葉…。反応した俺はついお姉ちゃんと言おうとしてしまった…。
まずい!慌てて言い直そうとしたが、有妃はそんな俺を悪戯っぽく見つめている。
「やっぱり覚えていましたか…。」
「いや…だから…有妃ちゃん…。」
伸びてきた白い蛇体が俺に絡みつく。昨日と全く同じように俺は有妃のもとに引きずられていった。
「うふふっ。佑人くんはいけないウソつきさんですねえ…。」
有妃は満面の笑みを浮かべて俺を拘束している。きっと俺が見事に罠にかかったのが楽しくて仕方ないのだろう。
「あの…有妃ちゃん。」
「もうっ!お姉ちゃんって言いなさい!」
嬉しそうに有妃が言った途端、蛇体がぎゅうっと絞め付けてきた。甘いおしおきに俺は喘いで詫びてしまう。
「ああっ!ごめんなさいお姉ちゃんっ!」
「よしよし…。わかればいいんですよ佑人くん。」
素直に謝る俺を有妃は優しく抱いてくれた。そのまま無言で愛撫し続けている。俺は蛇体の温かさを味わいながら考え込む。このまま有妃の弟になっちゃうのもいいな…。結婚前は姉弟の関係でいたいと思っていたじゃないか…。その願いがかなうんだぞ…。俺が決意を固めた時だった。有妃はそっとため息を付いた。
「ねえ佑人くん。お姉ちゃんはこのまま佑人くんを弟にして幸せにしたいです…。
でもお姉ちゃんは佑人くんの望むこともしたいんですよ。佑人くんはどうでしょう?お姉ちゃんの弟がいいですか?それともお嫁さんがいいですか?もちろんお姉ちゃんでお嫁さん。って言うのも大歓迎ですよ。佑人くんはどれが望みでしょうか…。」
有妃は俺と初めて会った時のような儚い眼差しだった。愛情に溢れながらも切ない笑顔を見せた。深い真紅の瞳に吸い込まれそうになった俺は、いつしか本心を語っていた。
「ごめん有妃ちゃん。どの有妃ちゃんも素敵だけど…もう少し君の夫として頑張りたいかな…。
でも、有妃ちゃんがしたい事をしてくれていいんだよ。君の弟として生きて行くのも素敵だと思うから…。」
有妃は苦痛に歪んだ様な表情をした。その自分の顔を見せたくなかったのだろうか。俯いてもう一度ため息を付く。一瞬有妃の表情に暗く歪んだ情念が浮かび上がったかに見えたが、それはすぐに消えた。
「わかりました。佑人さんがそうおっしゃるなら…。それではこれからもよろしくお願いしますねっ!旦那様!」
有妃は顔を上げると、気持ちを切り替えるかのように朗らかに笑った。
今さらなのだが、この時有妃の願いを聞き入れていればどうだったのだろう。彼女の弟になっていればまた違った未来があったのだろうか。だが、俺は有妃の夫としての道を選んだ。
その後も有妃の不安定な様子は収まる事は無かった。結局それからしばらく後、浮気を疑われた俺は白蛇の炎を入れられる事になる。
17/03/12 23:14更新 / 近藤無内
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