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第2章 嘘とお仕置き
 俺は身震いする。と言っても有妃の事では無く今日のこの寒さの事だ。本当に体の芯まで冷えきってしまった。スクーターに乗っていると体感温度の低さは相当なものだ。雪の降らないこの街では寒さはそれほどでは無いのかもしれないが、住んでいる人間からすれば関係なく寒い。
 
 仕方ない。いつものコンビニで熱い飲み物でも買おう。早速俺はコンビニに立ち寄った。有妃はいつも時間に余裕をもって起こしてくれるので、途中寄り道も出来るのだ。
 
 この店の店長は俺の元上司で、彼の在職中にはいつもお世話になったものだ。実際は酒屋兼コンビニで、上司の親が亡くなった時にその跡を継ぐ事になり退職したのだ。ちなみに奥さんは上司の同僚でもある刑部狸で俺とも顔なじみだ。上司と一緒に退社して店を手伝っているのだが、ロイヤリティを取られるコンビニでは無く何か新しい商売が出来ないか思案中との事だ。

 「おっ。森宮君じゃないか。久しぶりだな。元気かい?」

 コーヒーを買おうとしていた俺は後ろから声をかけられた。元上司、平田さんの奥さんである咲さんの声だ。刑部狸の特徴である、ふわふわの耳と尻尾を持つ愛くるしい姿で目の前に立っていた。

 「お久しぶりです。いつもお店には寄らせて頂いているんですけど、なかなかお会いできなくて…。お元気そうで何よりです。」
 
 「そうだな。レジは大体バイトの子に任せてあるからね。私は旦那と一緒に酒屋の方の仕事かな。」

 俺達はしばらく立ち話をした。咲さんが辞めた後の会社の経営状態がどうなっているか、知りたがっていたのはさすが刑部狸だ。

 「おっと。悪いね。無駄話してしまって。君ももう行った方がいいだろ。それとほらっ。」

 話が一区切りつくと咲さんが熱い缶コーヒーを渡してくれた。

 「あ。すみません。おいくらですか。」
 
 「なに。いいって事さ。奢るよ。」

 そう言ってにやりと笑ってみせた。平田さん夫妻には時々こうして飲み物を頂いている。

 「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく頂きます。」

 俺は頭を下げる。寒い中のこうした心遣いがとてもありがたい。

 「いやいや。頭を下げんでいいよ。君はお人よしだからこの程度の事でも恩に来て、うちの店をよく利用してくれるじゃないか。君に投資したジュース代以上にうちらは儲けさせて貰っているんだ。何も畏まる事は無い。」
 
「咲さん。こういった事を直接俺の前で言うのはどうなんでしょう…。」

 咲さんにお人よしと言われて正直複雑だ。この場合はどう見ても褒め言葉ではないだろうから。でも、咲さんなりに気を遣わせないようにしてくれているのだろう、と思う事にした。

 「ん?何を考え込んでいるんだい?何も気にすることは無いって言っているんだよ。」

 そう言って咲さんはアハハと笑った。俺もそんな咲さんを見ていると細かい事などどうでもよくなってしまった。

 「それじゃあ失礼します。またお店に寄らしてもらいますね。」
 
 「ああ。君も体に気を付けてな。白蛇の奥さんから随分と搾り取られているんだろ?」
 
  「ちょっと咲さん。こんな所でやめて下さいよ…。」

 にやにや笑いを隠さない咲さんに俺は顔を赤くするしかなかった。

 店の外に出て早速コーヒーを飲んだ。寒さでかじかむ手に温かい缶はじんわり心地よく、冷え切った体に温かさが戻ってくる。冬の弱い日差しを浴びて俺はほうっと一息ついた。
 そういえば平田さんの送別会がきっかけだったな。俺はあの事を思いだした…。









 

 

 

 今まで知らなかった有妃の一面を垣間見てから、それからしばらく後に平田さんは退職した。そして彼の送別会が行われる事になったのだが、当然その事を有妃に報告した。

 「送別会…。ですか…。会社の上司の方の…。」
 
 「ああ。だからこの日は少し帰りが遅くなるよ。」

 俺は何の気なしに有妃に言った。だが、彼女は何も言わずに黙り込み複雑な顔をしていた。もしかしたら俺が酒の席に行くのが気に入らないのだろうか。あの時、暗い表情でずっと私のそばにいてと言われた事を思いだした。

 「どうした?有妃ちゃん…。あ、場所は駅前の居酒屋だから。別に遠出する訳じゃないから心配しないで。」
 
 「…いえ。大丈夫です。何でもありませんわ。あなたにも義理や付き合いがあるのは、承知しているつもりです。どうぞ行ってらっしゃいな。」

 もしかしたら嫌みの一つも言われるかな…と思っていたのに、意外とあっさりと認めてくれて何だか拍子抜けした。

 「ありがとう。それじゃあ…」
 
 「でも、わかっていますわね。あなたがもし何か間違いでも起こしたら、その時は…。」

 有妃は俺の言葉をさえぎって話し出した。彼女は俺がしゃべっているときに割り込む事はめったにしないので、思わずまじまじと見つめてしまった。

 「その時はお仕置きですよ。もちろん佑人さんがそのような間違いを犯すはずがないのは承知しております。一応念のために言ったまでなので気を悪くなさらないで下さいね。」

 有妃はそう言って穏やかに微笑んで見せた。でも、気のせいだろうか。どことなく俺を見つめる視線が鋭かった。そう。そんな有妃の「怖さ」を十分に認識しておけばよかったのだ。


 そして送別会の当日。会そのものは楽しく終わったのだが、その場の流れで二次会が行われる事になってしまい、結局参加せざるを得なくなってしまった。本当は二次会に参加したくは無かった。出来るだけ早く帰宅して有妃を安心させたかったし、なんといっても二次会会場はキャバクラだ。これでは彼女がいい顔をしないのは容易に想像がつく。
 
 だが、酔うと少々絡む傾向がある平田さんに、これで当分会えないんだからもう少し付き合ってくれ、と何度も懇願されてしまった。そして俺も酔った勢いも手伝い、ついお供しますよ、なんて言ってしまったのだ。

 もっとも、キャバクラで楽しかったかと言えば答えは否だ。内気で人見知りな俺は女の子が隣に来てもろくに話も出来ず緊張してしまい、おまけに有妃の事も気になるという有様で、周りから相当浮いてしまった。
 
 それにしても、他のメンバーも皆魔物の嫁か彼女がいる連中ばかりなのに、随分と楽しそうにキャバ嬢と話していた。俺なんか有妃の事が気になって仕方がなかったのに。良く考えればホルスタウロスやワーシープなどの大らかな魔物娘を奥さんにしている連中が多いので、それもあるのだろうか。嫉妬深いと言われるラミア系の妻を持つのは俺一人だけだ。

 三次会もやるとの事だったのだが、さすがにそれは勘弁してもらい帰宅の途に就いた。会社で一番仲良くしている黒川、ダークエルフの妻を持つ男だが、彼も一緒だった。

 「森宮どうする?この後一緒に飯でも食わないか?」
 
 黒川の唐突な誘いに困惑した俺は言葉を返した。

 「この後って…帰るに決まってるだろ。家で待っている人が居るんだから。お前も奥さんがいるじゃないか。早く帰らないとお仕置きされるんじゃないのか?なんたってダークエルフさんなんだし。」

 俺は黒川をからかった。ところが彼は思いのほか真面目にうなずいた。

 「あ、ああ。そうだな。このままでは俺は確実にお嬢様に罰を受けるだろう。」
 
 黒川曰く、自分にとって妻は主人であり恩人であるとのこと。よって敬称を付けて呼ぶのは当然だそうだ。最初はダークエルフに骨の髄まで調教されてしまったのかと哀れみもしたが、本人は幸せそうなのでこれでいいのだろう。

 「お嬢様って…。奥さんだろ?なんだか、まあ…いや、おまえが幸せならいいんだ。」

 心なしかうっとりとしている様子に呆れてしまった。野暮は承知でツッコミを入れる俺を見て、黒川はむっとしたように言った。

 「言っておくが森宮。お前だって人の事言えないんだぞ。帰宅してからお仕置きされるのはお前も一緒だ。」
 
 「俺は今日の事はちゃんと知らせてあるんだ。大丈夫さ。」
 
 「キャバクラで嬢と一緒に楽しくおしゃべりした事もか?」

 痛いところを突かれ俺は思わず動揺した。

 「緊張して居心地が悪いだけだったよ。それに浮気をしたわけでもなし…。」
 
 「魔物娘にそんな理屈が通ると思うか?しかも相手は嫉妬深くて有名な白蛇さんだろ。」

 思わせぶりに言って、にやっと笑う黒川に、俺は先日の事を思いだした。確かに有妃には怖い面がある。それに火をつけてしまったらどうなるだろう…。

 「わかっているよな?魔物は匂いに敏感な種族が多いからな。俺たちの体に付いた女の匂いを嗅ぎ分けることだって出来るんだ。隠してもバレバレさ。」
 
 「…それじゃあどうするっていうんだよ?」

 俺はだんだんと怖くなってきて小声で黒川に問いかけた。

 「そこでだ。」

 その黒川の提案で、帰宅する前に一発焼き肉でも入れて行くか、と言う事になった。焼き肉の匂いで女の匂いをごまかそうという何とも安直な話だ。
 
 …そして、その結果、有妃が「いい顔をしない」程度では全く済まない事が、俺自信の心と体をもって思い知る事になった…。











 





 「ただいま有妃ちゃん。遅くなってごめん。」
 
 「お帰りなさい佑人さん。お疲れ様。」

 内心びくびくして帰宅したが、思いのほか有妃は機嫌が良さそうだった。俺に向ける優しい笑顔を見ると幾分ほっとした。

 「はいっ。上着をどうぞこちらに。」

 上着を脱ぐと炭のような焼肉屋の匂いが鼻を突いた。これではキャバクラで着いた女の香水の匂いなど全くわかるまい。有妃に上着を渡すとふんふんと鼻を鳴らした。

 「あれ?焼き肉の匂いがしますね…。」
 
 「ああ、二次会が焼肉屋でね。」

 俺は嘘をついた。

 「そうだったんですか。私も焼肉は大好きですから、なんか食べたくなってきましたよ。どうでしょう?またうちでも………」

 楽しそうにしていた有妃が突然しゃべるのを止めた。俺はいったい何事かと彼女の方を振り向く。

 「佑人さん…。私に嘘は通じませんよ。ってこれまでも何度も申し上げていますよね…。」

 暗く。もの寂しい有妃の声。上着をぎゅっと握りしめ、うつむいている彼女の表情は髪に隠れて見えなかった。背中に寒気が走り、嫌な予感が高まる。この後に起こる惨事しか想像もつかなかった。間違いない。ばれたのだ。

 そうだ……。よくよく考えれば有妃に嘘をついて成功した事など無かったのだ。有妃はいつも俺の気持ちを敏感すぎるぐらいに察して気遣ってくれるのに。
 だがこうなった以上は引っ込みが付かず、俺は苦しい嘘を続けざるを得なかった。
 
 「一体どうしたの?何の事なの有妃ちゃん?」
 
 「佑人さん。今日は居酒屋で送別会で、その後の二次会が焼肉屋なんですよね。」
 
 「そうだけど…。」

 有妃はまだ顔を上げなかった。何の感情も込めない有妃の平板な声。それを聞いているだけで恐ろしかった。心臓が締め付けられ、鼓動が早くなるのが分かった。

 「ほんとうに?おねがいです。かくしごとはやめてください…。」
 
 「あ、あ、あたりまえじゃないか。な、何を言っているんだ有妃ちゃん。」
 
 怯えると余計に怪しまれると思うが、恐怖のあまり吃ってしまうのが抑えられなかった。

 「ほんとうに?」

 有妃が顔を上げた…。俺は思わず腰を抜かしそうになった。一体なんて目をしているのだろう。冷たく、虚ろで、まるで目の部分に空いたぽっかりと空いた黒い穴を見ているようだった。
 
 「ほんとうに?」

 有妃が近づいた。俺は後ずさった。

 「ほんとうに?」

 有妃はさらに距離を縮める。俺の背中が壁に当たった。

 「ほんとうに?」

 有妃がそーっと顔を近づけると、じーっと俺の目を見つめた。

 「ほんとうに?」

 有妃の冷たい目を見ていられずに俯いてしまった。

 「ほんとうに?」

 有妃は下から俺の顔を見上げた。その仕草がたまらなく怖かった。もう駄目だ…。これ以上嘘なんかつけない。

 「ほんとうに?」
 
 「ご、ご、ごめん。お、おれが、わ、わるかった。」
 
 「なぜあやまるのですか?」

 有妃の視線に射竦められ、その声に威圧され俺はとうとう白状した。

 「に、二次会が焼肉屋と言うのは嘘なんだ。」
 
 「それではいったいどこにいっていたのですか?」

 言わなければと思うものの、言ったら言ったでさらに窮地に追い込まれるのは間違いなく、黙り込むしかなかった。
 いつの間にか有妃は蛇体を俺の体に巻き付け、両手で体を抱きしめた。顔が付きそうなほど近づけ、暗い目で凝視し続けた。いつもなら優しく俺を見つめる赤い瞳。思わずまどろみに落ちるほど全てを委ねてしまう美しい瞳が真っ暗な穴にしか見えなかった。

 「まだしょうじきにいっていただけないのですか…。」

 有妃が俺に巻き付く蛇体の力をそろそろと強めた。体が徐々に圧迫感を増し、そして息苦しくなってきた。たまらず俺は哀願してしまう。

 「ゆ、有妃ちゃん苦しい…。俺が悪かったから…。」
 
 駄目だ…。本当に苦しい…。だが、なおも有妃は俺を締め上げ続ける。苦悶の表情を浮かべる俺を意に介さない。その瞬間、頭に浮かんだのは昔話の安珍清姫だった。鐘に隠れた安珍を大蛇に化けた清姫が焼き殺すその場面。俺の心はもう恐怖に耐えられなかった…。

 「わかったから!わかったから!全部言うから!もう許してくれ…。」

 自分でも意識しない惨めな叫び声が喉から発せられた。

 「ですからどこにいっていらっしゃったのですか?」
 
 「きゃ、キャバクラに…。」
 
 「やっぱりおんなのいるみせにいっていたのですね。それで、そのめすとまぐわったのですか?」

 締め付けこそ若干緩めた有妃だが…とんでもない事を言ってきた。冗談じゃない!ありえない!もしここで誤解を解かなければ俺はどんな目に合うか…。魔物娘は人を殺さないという事実は良く知られているが、肉体的には殺されなくても心が殺されるような目に会いかねない。
 冷静に考えれば有妃は絶対にそんな事はしない。だが、この時の彼女はそれほどまでの殺気と言うか威圧感があったのだ。

 「そんな事ない!絶対にそんな事はしていない!流れでキャバクラに行く事になってしまったけれど、女の子の体に触れる事すらしていないよ。」

 もう俺の声は悲鳴に近かった。相変わらず有妃は氷の様な目で見つめていたが、俺は恐怖をこらえ必死になってその眼を見据え続けた。ここで目をそらしたら間違いなく進退窮まる。そんな思いだった。
 一体どれだけ時間がたったのだろう。有希は何も言わずに俺を見つめ続けた。そして深いため息をついた。

 「どうやらよそのメスとまぐわっていないと言うのは本当の様ですね。良かったです。私にとっても佑人さんにとっても…。」
 
 「信じてくれ。本当だよ…。」

 有妃の眼差しと声が幾分柔らかくなったので少しは安堵したが、その意味深な言葉に身震いした。もし仮に浮気していたら一体どんな目に会っていたのだろう。

 「だったらどうしてお水の店に行った事を隠したのですか?」
 
 「だって、そんな事を言ったら怒られるかと…」

 俺はぼそぼそと小声で言う。

 「当たり前です!怒るに決まっています。でもこんな風に嘘をつかれるよりはどれ程良かったか。おまけに焼き肉の匂いで女の匂いを隠そうとするなんてたちが悪すぎます!」

 そう叫んだ有妃はふっと悲しそうな表情を見せた。いつの間にか優しく美しい赤い瞳に、大好きな有妃の瞳に戻っていた。それを見た俺は彼女に対する申し訳なさが急に襲ってきて思わず頭を下げた。

 「ご、ごめん…。」
 
 「いいえ、謝っても駄目です。私はこの前言いましたよね。佑人さんが間違いを犯したらお仕置きすると。こんな真似を二度としでかさないように、徹底的に懲らしめてあげますので覚悟してくださいね。」
 
 「お仕置きって…。」

 お仕置き、徹底的に懲らしめる、など不安が募る言葉を聞き再び恐怖が襲ってきた。俺は思わず有妃を怯えた目で見つめてしまった。

 「何を怖がっているんですか?大切な佑人さんを壊すような真似を私がするとでも思ったのですか?そんなこと絶対にあり得ませんよ。失礼しちゃいますね。」

 そんな俺を見て有妃も哀れに思ったのだろう。少しなだめるように言った。


 「でも、そうは言っても相当きついお仕置きをすることになりますからね。 佑人さんが泣いて謝っても駄目ですよ。わかっていますね。これも自業自得というものですよ。」

 子供を諭すように有妃は言うと体に巻き付いた蛇体を解いた。俺は思わずへたり込んだ。

 「でもその前に、体にしみ付いたよそのメスの匂いをお風呂で洗い流してきて下さいな。話はそれからですよ。」

 有妃はそう吐き捨てると俺の顔も見ずにさっさと部屋に戻ってしまった。俺はしばらくそのまま動けなかった。














24/01/02 22:49更新 / 近藤無内
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■作者メッセージ
次章に続きます。

少々ヤンデレ描写が強くなってしまったかもしれません。次もこんな感じかも。
今回もご覧頂きありがとうございます。

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