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第3章 堕ちた心 前編
 俺は憂鬱な気分のまま風呂に入った。一人だとラミア種用の広い風呂がやたら広く感じられた。それもそうだ。いつもは有妃と一緒に入る事がほとんどなのだ。二人で体を洗いあったり、一所に湯船に入って抱き合ったり、さらには我慢できなくなると互いに体を求めあったりと、恥ずかしい事を色々している場所なのだ。
 
 それまでも些細な事でぎくしゃくすることはあったが、一緒に風呂に入って肌を合わせればすぐに仲直り出来た。今回はそれも拒むのだから有妃の怒りは相当なものなんだろう。もっともそれは当然の事だ。俺が逆の立場だったとしても冷静でいられる自信は無い…。

 湯船に顔までつかりながら、襲ってくる不安で悶々としていた。そうだ、これもすべて黒川のせいだ。あいつの口車に乗りさえしなければ、こんなひどい状況になる事は無かった。有妃にはもちろん怒られるだろうが、それでもいつもより多く精を搾り取られる程度で済んだはずだ。黒川め、会社で顔を合わせたらどうしてくれよう…。
 
 こんな風に、俺は自分の弱さを棚に上げて心の中で罵りつづけた。せめてもの慰めは、黒川もダークエルフの奥さんにこってりと絞られているだろうと言う事だった。もちろん絞られるとは性的な意味も含めての事だが。
 
 無論これから絞られるのは俺も同じだ。しかし魔物娘は人を殺さないだけではなく、よほどの事が無い限り傷つける事もしない。いつも奥さんに調教されている黒川も、苦痛は全く無く快楽しか感じないと言っていた。もっとも有妃の怒り様を見てしまった今となっては、彼女が何をしてくるか予想もつかない。有妃は俺を壊すようなことは絶対にしないと言ったが、裏を返せば壊さない程度の事はすると言う事だ…。

 有妃は俺に酷い事はしない。その信頼は絶対的だと思っていた。だが…今はとてもじゃないが安心して身を任せられない…。

「あーーーーー。」

 俺は頭を抱えた。思わず不安が声になって漏れてしまう。いつまでも風呂に閉じこもっている訳にはいかないが、ここから出る勇気もない。なおも鬱々と考え続けた。
 でも、原因を作ったのも誤解を招くような事をしたのも俺なのだ。潔く受け入れよう。俺がようやく覚悟を決めた時だった。

「佑人さん!」

 風呂のドアが突然音を立てて開いた。有妃がしびれを切らして踏み込んできたのか?そう思った時だった。

「どうしたんですか佑人さん。大丈夫ですか?」

 そこには心配そうにたたずむ有妃の姿があった。俺はいきなりの事にあっけにとられて彼女を見つめてしまった。

「有妃…ちゃん…。」

「変な声が聞こえましたけれど何かありました?大丈夫ですか?」
 
 俺を気遣う様に優しく問いかける有妃。

「いや…。全然…大丈夫だよ。」

「本当に?」

「ああ、心配ないよ。」

「良かったー。」

 有妃は安心したようにはぁー、と一息つくとしゃがみこんだ。

「いきなりうめき声が聞こえたものですから、佑人さんに何かあったんじゃないかと思ったんですよ。」

 有妃はほっとした様に俺を見つめたが、怯えきった表情から色々読み取ったのだろう。何かを納得したようにうんうんとうなずいた。

「私も汗を掻いちゃったのでお風呂に入りますね。」

 有妃は体を洗うと湯船に入り俺に寄り添った。すでに夜も更けており周囲から物音一つしなかった。しばらくはお互い言葉もなかったが、俺は沈黙に耐え兼ね有妃を見つめた。
 有妃も黙って見つめ返した。先ほどの殺意すら感じさせる視線では無く、穏やかで優しく、そして慈愛深い眼差しだった。そんな瞳を見つめていると、抱いていた不安や恐怖がたちどころに消えて行くのを感じた。
 
 もう一度詫びなければ、と思ったその時だった。有妃が俺を落ち着かせるような柔らかい声音で語りだした。

 「佑人さんと一緒になってからもう一年以上ですよね。今までこんな修羅場が無かったのが奇跡だったんですよ。だって、価値観が全く違うふたりが一緒に住むんですもの。軋轢が生じるのも仕方がないんですよね。
 私にとっては佑人さんがキャバクラに行くだけで浮気だと思いますけど、あなたからすれば付き合いで行っただけでそんな事を言われるのは心外ですよね。
 あなたの当り前と、私の当り前は違う。私とした事が今までその事をすっかり忘れていました。本当に情けないです…。」

 有妃は申し訳なさそうにそう言うと俺の手をそっと握った。そして切なそうに微笑んだ。
 本当は俺の方からきちんと詫びなければならないのに、有妃の方から折れてくれたのだ。いったい俺は何をやっているんだ。こんな所に閉じこもって一人怯えて。

「いや、有妃ちゃん。誤解されるようなことをして悪かった。申し訳ない事をしたって思う。俺の事は君の気の済むようにしてくれていいよ。でも信じて欲しい。ずっと君の事が気になって女の子には触れる事すらなかった。ていうのは本当なんだ。」

 自然とそんな言葉が出た。有妃に全てを委ねていたい。彼女になら安心して任せられる。わかっていた事じゃないか…。彼女は優しい笑みを見せると、承知していますよと小声で言った。

「佑人さんは何か勘違いしていますね。私たち魔物は、相手を傷つけたり苦痛を与えたりするなんてそんな野蛮なお仕置きは大嫌いなんですよ。もしかして私に酷い事されるのではないのかって思いました?」

「ごめん。俺が壊れない程度にいたぶられるのかもって想像してしまって…。」

「失礼しちゃいます。って言いたいところですけれど、さっきは脅かしすぎちゃいました。そう思われても仕方がないでしょうね。」

 有妃はそう言うと俺を優しく引き寄せ抱きしめた。そして先ほどと同じように顔を近づけるとじっと見つめる。吸い込まれそうに赤く美しい、いつもの有妃の瞳だ。

「大丈夫?まだ私の事が怖いですか?つらいなら治癒の力を入れましょうか?」

 こうして気遣ってくれるのも有妃のいつもどおりの姿だ。俺は安心して言葉を返す。

「いや。もう全然。普段通りの有妃ちゃんだよ。…今は、とっても綺麗だなって思う。ずっとこのまま見ていたい。」

 気持ちが高まって思わずキスしてしまった。そんな俺を見て安心した有妃も優しい口づけを返してくれる。

「もう、自分の奥さんを口説いてどうするんですか。嬉しいですけど…。だいたいまだお仕置きは終わっていないんですよ。本当は佑人さんをもっと怯えさせて、泣くまで怖がらせてあげようかと思ったんです。でも、さすがにもう見ていて可哀そうになっちゃいました。」

 有妃は少し悲しく笑った。すると、先ほど怯えていた時には感じる余裕が無かった屈辱の思いが沸き起こってくる。俺は憐れまれたのだ。でも次の瞬間、有妃は俺の頭を胸に抱き優しく撫でさすった。その心地よさに頭の中がとろりと溶ける。そしてちっぽけなプライドも一緒に溶けて行った。

「大丈夫ですよ。もう何も怖い事はしませんからね。ふふっ。これからは、とーっても気持ちいいお仕置きの時間ですよ。佑人さんの頭の中を快楽で一杯にしてあげて、私の事以外全く考えられない様にしてあげますね。」

 有妃は子供をなだめるように言うとなおも俺の事を優しく愛撫した。惚れた女の情けは男にとって最大の屈辱。と言ったのは誰だっただろう。でもいまはそんな言葉はどうだっていい。ただ有妃の与える安らぎに溺れていたい。

「あらあら。とろんとしていてとっても可愛い顔をしていますよ。本当はもう終わりにしてあげたいんですけれど、私もこれから先の事が色々不安になってしまって…。
 ごめんなさい。私がもっと心の広い女なら良かったんですけれど。あなたが浮気でもしてしまうんじゃないかと思ったら気持ちが抑えきれないんです。」
 
 そういう有妃自身もどことなく夢見るような表情だ。だが、その奥に焦燥感というか不安感らしきものもうかがえた。そうだ。俺の行動は結果として有妃の引き金を引く事になってしまったのだ。

「いや。いいんだよ。それで有妃ちゃんが安心するなら。俺を心の底から君のものにして欲しい。」
 
 俺も異様な興奮状態に陥りそんな事を囁いた。そう…。いつかはこうなる事はわかっていた。喜んですべてを受け入れよう。白蛇の婿になった時から、彼女に徹底的に支配される事は決定していたのだ。それがとても甘く優しいものであるにせよ。

「そんな事まで言ってくれるなんてありがたいです。心配しないでいいですよ。佑人さんは快楽に身を任せていてくれればいいんですからね。」

 有妃は嬉しそうに言うと右手に炎めいたものを生じさせた。大きさは人の頭ほどでぞっとするような青白い色をしている。これはあの…

「白蛇の炎…。」

 俺は思わず口に出した。

「当然ご存知ですよね。炎とはいっても私の魔力の塊ですので全く熱くありませんから。ご安心くださいね。」

 白蛇が嫉妬心に駆られると強烈な魔力を男に注ぎ込む事は知っているし、ネットで経験者の話も読んでいた。気が変になるぐらいの性欲に襲われ目の前のメスを犯す事しか考えられなくなる、とか、魔力を注がれて以来ずっと白蛇の彼女に依存してしまっている、とか、さらには異常な精神状態になって延々と犯し犯され続けた、とか思わず震えてしまう様な話が多く、二度とあれは経験したくない。という意見が圧倒的だった。

 だが、いざその時を迎えると、俺もいよいよその時が来たか、とは思ったものの恐怖心はほとんど無かった。むしろようやく有妃と心から一つになれる、という期待感の方が強かった。何のことは無い。魔力を注がれる前から、俺はもう有妃に魅了されつくされて堕ちていたのだろう。

「御存じだとは思いますけれど、これを注がれると佑人さんは私以外の女には全く関心を持つこともなく、欲情することも無くなってしまうでしょう。そしていつも私に依存して甘えて、完全に私無しではいられない体になってしまいます。」

 俺は思わずごくりとつばを飲み込んだ。だが、なぜだろう。ふいに頭に冷静さが戻ってきた。
 するとたちまち疑問と言うかつっこみたい所を見つけて思わず口にしてしまった。

「あのー有妃ちゃん…。さっきは俺の当り前と、君の当り前は違う、って事を認めてくれた君が、俺の心まで支配しようとするのはどうなのかな…なんて…。」

 有妃はそれには答えずただ黙って微笑みを浮かべていた。その沈黙がなぜか薄気味悪い。俺は知らず知らずのうちに有妃の瞳を見つめていた。
 また有妃を怒らせて、さっきみたいに暗く冷たい目で凝視されたらどうしよう…不意にそんな思いが心を襲う。すると、たちまち俺は恐怖に包まれ有妃に詫びを入れていた。

「悪かった有妃ちゃん。変な事を言ってごめん。今言ったことは頼むから忘れて!」

 我ながら情けないが悲鳴に近い声だったと思う。有妃はそんな俺を見て十分満足したと言わんばかりに笑った。

「あらあら。どうやらお薬が効きすぎたようですねえ…。でも怖がらないで下さいな。私はそんな事で怒ったりなんかしませんよ。」

 俺を安心させるかのように有妃はにっこりとすると優しく頭を抱きかかえた。そして何度も額にキスをする。頭を包む暖かさと、額に触れる唇の柔らかさに、俺の恐怖心は消え再び安らぎに包まれた。

「佑人さん。それはそれ、これはこれ、です。理屈では分かっていても、気持ちでは納得出来ないんです。大切な佑人さんの事になると余計にそうなんです。
 私はあなたを絶対に離しません。佑人さんの心を縛ってでも私の傍にいてもらいますからね。」

「有妃ちゃん…。」

 甘く、切なく、情愛を込めた有妃の言葉に、俺はうっとりとして我を忘れそうになる。
 そうだ。俺は有妃に支配される事を望んでいたはずだ…。有妃のしたいことをしていい。そう何度も言っていたはずだ。

「でも、それでいいんです。だってあなたを甘えさせたり、お世話をしたり、気持ちよくしてあげたり、精を膣内に注がれたりするのは私だけでいいんです。そのかわり私は佑人さんを幸せにできるし、最高の伴侶になる自信があります。他の女なんかいらないんですよ。」

 有妃も相当興奮状態にいる様だ。目はどろりとした怪しい輝きを帯び、いつも以上に甘く妖艶な声で俺を誘惑する。

「もちろん日常生活に影響が出る様な酷い事はしません。ちゃんと仕事にも遊びにも行けますよ。もっとも私と一緒でなければ遊びには行きたくなくなるでしょうね。っていうか私と一緒に遊んでくれなければ怒っちゃいますからね。」

 そういって有妃はクスクスと笑う。俺はそんな彼女を心から可愛いと思った。

「今から佑人さんは完全に私だけのものになるんですよ。もちろん私もあなた専用のものですから…。これからもずっと守ってさしあげますから…。大好きですよ。佑人さん…。」

 有妃の右手が優しく俺の胸に触れた…。












24/01/02 21:26更新 / 近藤無内
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■作者メッセージ
次章に続きます。

長くなりそうなので前後編に分けます。
今回もご覧頂きありがとうございます。

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