第4章 ふたりの馴れ初め 5
帰ろうとしたその時だった。凄まじい速さで伸びてきた白く長い物体が俺の体に巻き付いた。えッ！！なんだ…これ？そうだ、これは有妃の尻尾だ。それが離すまいとばかりに絡みついているのだ。あまりの事に動揺した俺を有妃が優しい声で引き止めた。
「待ってくださいよ。森宮さんだけ一方的にお話して帰られるなんてずるいです。私はまだ全然話して無いんですよ。」
有妃の顔は愛らしい笑顔だった。俺を蔑むような表情は全く見られなかった。むしろ憐れむような切ない目をしており、思わず見とれそうになった。だが、その瞳の奥には妙に思いつめた様な光があり、はっとして我に返る。
「森宮さん。寂しかったんですね…。でも、もう大丈夫です！これからはわたしがずっと一緒に居てあげます！」
「寂しいって…。いやいや。たまにそう言われるけれど、別に寂しいわけじゃなくて…。って、これからはずっと一緒ってどういう事？」
慌てて否定し疑問を呈したが、それに構わず有妃はしゃべり続けた。そして俺に絡みついた蛇体を優しく引き寄せようとする。思わぬことに驚き抗おうとしたが、想像をはるかに超える怪力で全く抵抗できない。
そして、俺を有妃の隣に無理やり座らせると優しく手を握った。とても柔らかく、そして暖かい手だ。ラミア属はもっと冷たい手をしているのかと思ったが思わぬ心地よさだ。だが…一体この人俺をどうするつもり？
「ちょっと待ってくれ川瀬さん！いったいどうしたの？」
「いいんです！何も心配しないでいいんですよ。私に全部任せてください…。」
有妃は俺を安心させるような様な声で語りかける。でも人の話を全く聞こうとせず、自己完結したかのような態度に少々恐怖を感じてきた。穏やかだがどことなく虚ろな瞳だ。よく『レイプ目』と言われる表現法があるが、感覚的にはあれに近い。
あまりの予想外の行動に混乱している俺をよそに、有妃は、ああそうだ、と言わんばかりに手を叩いた。
「そうですね。それじゃあ早速帰りましょうか。森宮さ…いいえ佑人さん。」
「帰るって、一体どこに？」
「もちろん『私達』のおうちに決まっていますよ。一緒に今後の事を色々語り合いましょうね。」
私達のうち？今後の事？そして俺の事を名前で呼んでいるし…。一体なんで？俺はどこでどう間違えてこんな事態に陥ったんだ？この人絶対変だ………。そうだ。そういえば彼女は『白蛇』だった…。
信頼している社長の紹介だからと言う事であまり意識していなかったのだが、白蛇と言えばその嫉妬深さと思い込みの激しさで良く知られている。種族の性格としては『嫉妬深いが温厚かつ献身的で無理やり男を襲う事は無い』とされているのだが、ネットを見るとなぜかそれに反する話が多い。突然拉致監禁されて堕ちるまで犯され続けた、とか信じがたい様な話もある。
もしかして気が付かないうちに有妃のヤンデレスイッチを押してしまったのか？でも、それにしてもおかしい。有妃の様な立派な女性が俺の様な男を好きになる要素は無いはずだ。こんな無気力で社会に背を向けている男など、好かれるはずがないのは自分で良く分かっている。だが、そうか…。ここでようやく俺は思い当たった。
そうか。有妃は俺の精が目的なのかもしれない。事情は分からないが彼女は精が必要で、それで一時しのぎに俺を必要としているのかと…。成程。これでようやく辻褄が合った。納得すると困惑と動揺は消え、妙に悲しくそして虚無感にも似た感情が湧いてきた。
「ねえ川瀬さん…。早い話精が欲しいだけなんだろうけれど、俺みたいな駄目人間の精は絶対にまずいよ。悪い事は言わない。他の立派な男の…ッ！！」
最後まで言葉を言えなかった。有妃が俺の胴体に巻き付いた蛇体をきゅっと締め付けてきたからだ。痛くは無いが急な圧迫を受けて、思わずうっという呻き声を漏らしてしまった。よく見たら有妃は不快な表情を浮かべている。
「佑人さん。それはどういう事ですか？私が精だけを目的としてあなたに近づいたとでも思っていらっしゃるのですか？失礼ですがそれはあまりに酷いお言葉と言うもの…」
「だってそうじゃないか。さっきも言っただろ。俺はぼーっとすることが好きで、毎日平穏無事に過ごせればいいと思っているだけの無気力な人間なんだよ。川瀬さんの様な立派な女性に好かれるなんてありえないのは良く分かっているんだよ。」
厳しい声音で俺を非難する有妃だったが、それに負けじと苛立った調子で反論した。自分なんか好かれる要素は無いのはわかっている。わかってはいるが、精のためだけに非常食めいた扱いをされた事への憤りは抑えきれなかったからだ。
俺たちは暫くの間見詰め合った。というか睨み合いに近かったかもしれない。普段はこんな「眼を付ける」様な事は絶対にしないし出来ないのだが、ぶつけ様も無い思いが俺を支えていた。いつまでこんな事が続くのかと思ったその時、有妃はため息をつくとふっと表情を緩めた。
「佑人さん。お互いに誤解が重なってしまったようですね。どうでしょう？最初からまたお話ししませんか？あなたの様な素敵な方と知り合えたのに、このまま終わるなんて絶対に嫌です。」
有妃は瞳に儚げな色を浮かべて悲しく微笑んだ。そして先ほどと同じように俺の手を優しく握りしめる。その温かさが苛立った心を優しく鎮めた。こんな切ない顔をされては何も言えないし、色々申し訳なくなってくる…。
「いえ…。こちらこそ酷いことを言ってしまったみたいで。申し訳ありません…。」
たまらなくなって詫びる俺を見て、有妃は良かった、とつぶやくと嬉しそうに笑った。一体なんでこんな素敵な笑顔が出来るんだろう。と、今日何度目になるか知れない恍惚とした目で見てしまった。
「佑人さんには何度も立派と言って頂きましたが、私は全く立派では無いんですよ。どうしてそう思われたのですか？」
穏やかに語りかける有妃を見て、駄目な生徒を優しく教える先生の様だと思う。
「だって、川瀬さんは企業の役員まで務めたんだろ？聞けば結構有名な企業じゃないか。きっとアグレッシブで前向きで意識を高く持って情熱的でプラス思考で…とにかくそんな人と俺となんかじゃ釣り合わないよ…。」
社長から聞いた所によると有妃は某ベンチャー企業の創立メンバーで、株式の上場時にストックオプションを行使して退社したそうだ。そして今では悠々自適の生活を送っているとの事だ。
この話だけ聞くと俺の様なしがない一会社員とは、すべての面で正反対の人としか言いようがない。色々夢を持っているんだろうな…。意識高い系じゃなくて、本当に意識が高い人なんだろうな…。と相当気後れしてしまう。
有妃が立派でないと言うならならこんな俺はいったいどうなると言うのだ…。今でもからかわれているのではないかという気持を抑えきれない。
「やめてください。私はそんな典型的な自己啓発書にある様な女じゃありませんよ。私はただの魔物娘です。男の方と淫らな毎日を送りたいだけの魔物なんですよ。」
訝しげな俺の表情を見て有妃は慌てて否定する。そんな事ないです、と言わんばかりに手を振る仕草がとても可愛い。
「じゃあ。どうしてそんな立派な会社に…。」
「はい。それはもちろんお金を稼ぐためです。将来一緒になる旦那様には生活面で思い悩まずに暮らして頂きたかったからです。それにはどうしてもお金が必要ですよね。もちろん魔界に移住するのなら話は別でしょうけれど。」
潔いぐらいの真っ直ぐな即答に相当意外な思いだった。てっきり新しいビジネスモデルを構築したいとか、頭の悪い俺では理解不能な答えが返ってくるものだとばかり思っていたからだ。
「それじゃあ起業して新しいビジネスを始めようとか…」
「御冗談を。そういった事は全く考えた事もありませんよ。私は自分が魔物だと言う事を隠して会社勤めをしていたのですが、そのせいか当時は色々言われました。
お前の将来の夢や目的はなんだと問われ、素敵な旦那様と毎日エッチしてのんびりと暮らしたいと答えると、必ずと言っていいほどお説教されました。もっと意識を高く持て、とか上を目指さなければ駄目だ、とか低俗な事に囚われずに夢を持て、とか…。でも私はそう言われて困ってしまいました。」
困った顔をして眉をひそめた有妃だがとても愛らしかった。でも、まあ、のんびり暮らしたいは良く分かるけれど、毎日エッチしたいは人前で言う事じゃないな…。皮肉な思いを抱いて俺は有妃の話に相槌を打つ。彼女はそれを敏感に見抜いたのか、魔物学を講義するかのように語りだした。
「魔物の価値観は人間の価値観とは明らかに異なっています。私達にとって素敵な旦那様の精を頂き、ずっと爛れた毎日を送る事は絶対に叶えたい夢であり目的なんですよ。
でもそれは『下』だと言うのです。それでは『上』とはいったいなんでしょうか。そもそもどんな基準で上下を決めるのでしょうか。決まったとしていても一体だれが判断するのでしょうか。私にはわかりません。」
有妃はそう語り終えるとかぶりを振った。正直目が覚める思いだった。それなりに魔物について知識は持っていたつもりだったのだが、結局俺は人としての目で彼女達を見てしまっていたのだ。そしてこんな俺では好かれるはずはないと自縄自縛に陥っていたのだ。
『魔物は人間男性と交わり精を得る事を再優先する』『魔物は欲望に忠実で倫理や道徳に縛られることを嫌う』という図鑑の一節を思い出す。
有妃は温和な表情で見つめている。俺が彼女を見つめ返すと、何も心配しないでいいんですよ、と言いたげに微笑んでくれた。そうだ。こんな駄目な俺でも彼女なら受け入れてくれるかも…。
「それと佑人さん。あなたは随分と自分の事を卑下していらっしゃいますが、私にとってはとても素敵な方だとしか思えませんよ。」
「それこそ御冗談をだよ…。」
今度も心を見抜いたかのような有妃は力強くうなずく。だが、さすがに素敵な方と言うのは過大評価だ。俺は力なく首を横に振る。
「ふふっ。ご存知かもしれないですけれど私たちはとーーーっても嫉妬深いんですのよ。愛する男の方にはいつも私だけを見ていてくれなければ許せないんです。
その点あなたは色々な物事に関わりを持たずにいらっしゃる。地位や名誉や金銭欲、女性の愛情を得る事も捨てているとお見受けします。そんな淡い方だからこそ、私という色に染め上げてしまえばずっと私だけを見て頂けるでしょう。
その割には魔物娘への欲望は並外れておいでのようですし…。本当に理想のお方です。」
目に若干嗜虐的で戯れるような色を浮かべた有妃はひそやかに笑った。俺が彼女をうっとりと眺めていた事が見抜かれたのか？エレンの時と同じだが、心に秘めた思いを完全に消して相手を見るなんて、そんな器用な事は出来ない。思わずため息をつく。
だが、それはそうと、有妃は俺の事を都合のいい奴だと思っているって事か？今の言葉はそうとしか思えない。少々むっとなってこう言い放つ。
「色々な物事を捨てているからこそ将来は川瀬さんを捨てる事もあり得るかもよ。それに、さっきも言ったけど俺は幼女向けアニメが大好きな変態なんだ…。」
「ごめんなさい。気分悪くなさったようですけれど誤解しないで下さいね。私と佑人さんは一緒に居たらお互いに良い関係になれると言いたかったのです。
愛する人と一緒にのんびりと暮らし、ひたすら性の喜びに満ちた毎日を送る事は私の夢です。あなたにとっても静かで穏やかな毎日を送る事は望みなんですよね。それと魔物と色々エッチすることも。私達はとっても気が合うと思いますが。」
有妃は申し訳なさそうな顔をすると優しい声でなだめた。俺も怒るつもりは無かったので笑いながら気にしないでと言う。
でも先ほどからエッチしたいとか性の喜びとか、有妃の口から際どい言葉が次々と出る。お淑やかな外見に似合わない言葉にさすが魔物と実感するが、そんな彼女を見てつい心に欲望が沸き起こってしまった。
今有妃は俺の胴に蛇体を巻き付けて優しく手を握ってくれているが、もし蛇体を全身に絡みつかせて、この柔らかい手で愛撫されたらどれほどの快楽だろうかと…。
あ、こんなこと考えたらまた見抜かれる。そう思う間もなく有妃は今までとは想像もつかない淫らな微笑みを見せると言葉を続けた。有妃のこんな表情をもっと見てみたい…。
「それと私は変態さんも大好きですよ。もしよろしければそのナントカというアニメのコスプレでもしますか？」
有妃はからかう様に笑った。何にもわかってない！俺はコスプレには興味は無い。二次元の魔物娘に興味があるんだ。と一瞬思ったが不思議とそんな思いは消えて行った。
「そ、それに俺はつまらない人間なんだよ。川瀬さんを楽しませることなんか出来ないし。絶対退屈して嫌になっちゃうよ。」
俺は気恥ずかしさを隠すように取り繕った。そんな姿を見た有妃は慈しみに満ちた笑顔を見せるとかぶりを振る。本当になんでこんな素敵な笑顔で俺を見るんだろう…。
「佑人さんにはそんな事は全く望みません。私と一緒にずっといて下さい。そしてその瞳に私だけを写していて下さい。それだけで大満足なんです。」
語り終えたその瞬間、有妃の瞳に暗く狂気じみた光が浮かんだ。俺は突然の事に驚いたが、すぐにそれは消えて元の優しい笑顔に戻った。この様な有妃の怖く優しい面を後に思い知る事になるのだが、当時は全く想像も出来なかった。
「ごめん。でもそれはちょっと無理かな。一応親兄弟の事も大事だし…。」
「ふふっ。正直な方ですね。でもそれは当然です。私だって父母の事は大事ですから、身内に冷たくしろだなんて事を言うつもりはありません。そうですね。もっとはっきり言いましょう。つまり私以外は『女』として見ないで欲しいのです。たったそれだけの事なんです。」
私だけを見ていて欲しいという重い言葉に当惑して本当の気持ちを打ち明けた。だが有妃は全く気にしていないかのように明るくふるまうと、俺の瞳を切なくそして真正面から見つめる。
血を思わせる鮮やかで神秘的な赤い瞳。信じ難いぐらい美しい…。こんなにまじまじと有妃の瞳を見るのは初めてだった俺は、思わず虜になりそうな感覚に陥る。ずっと見つめてもらいたい…。
「先ほどは佑人さんに失礼な事をしてしまいました。あなたが私の理想通りだった事で興奮してしまって…。申し訳ありません。気分悪くなさったと思いますが…でも…どうでしょう？月並みですがお友達からと言う事で始めて頂けませんか？」
有妃はとても穏やかな声で哀願するかの様に語りかけた。そして先ほど見せた儚い微笑みを浮かべている。だが……相変らず蛇体を優しく俺に巻き付けている事に変わりはない。試みに体を動かしたが全く解かれる気配はない。言葉とは裏腹に絶対にお前を逃がさないという捕食者の意思表示だろうか。
だが、そんな事はどうでもいい。今は有妃の穏やかで、切なく、優しく、淫らで、そんな笑顔を見ていたい…。有妃と『お友達』になれればそれも叶うのだ…。そう思うと心の中の何かが切れる感覚が襲う。後はもう堕ちて行くだけだった…。
一瞬『魔物娘と付き合う＝結婚』と言う言葉が浮かんだがたちどころにそれは消えた。
「わかりました。よろしくお願いします。川瀬さん。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。あ、それと、私の事は有妃って呼んでくださいね。」
俺は笑って有妃に頭を下げる。下らない拘りから解放されたようで何か清々しい。彼女も、ぱあっと華やかな笑みを見せると嬉しそうにしてくれた。なんだろう。こんな心が沸き立つような感触は今まで知らなかった。
「うん。有妃…さん」
「そんな、さんづけなんて他人行儀な言い方しないで下さい。」
「ええと。有妃……ちゃん。」
「仕方ないですねえ。それで良しにしてあげます。」
照れる俺を見て楽しそうにくすくす笑うと、有妃はまた優しく手を握ってくれた。そして透き通るような赤い瞳で俺を見つめてくれる。それがとても暖かく心が落ち着く。俺も知らぬうちに、にこにこしてしまう。
「それじゃあ電話番号の交換しましょうね。ええと…佑人さんSNSは？」
「ごめん。やっていないんだ。」
「そうですか。それではメルアドも交換しましょう。」
俺と有妃は互いの電話番号とメルアドを交換する。女性とこんな事するなんて今まで経験が無かった。これでようやく人並みに一歩近づいたようで嬉しかった。その時だ。
有妃が突然俺の事をきゅっと抱きしめてきた。蛇体もそれに呼応するかのようにぐるぐる巻きにする。当然初めての経験だ。すべすべして、柔らかく、暖かい。そして甘く切ない様な有妃の匂いを嗅ぐと、頭の中がはじける様な恍惚感が襲った。
「これから素敵な毎日になりますよ。ね！佑人さん。」
そう言った有妃は妖艶でとろけるように笑うと、俺の頭を優しく胸に抱いた。豊かで温かい胸の感触が頭を包むと、意識がどろどろに溶解していくのを感じた。
と、まあ、こうして俺は有妃との勝負に完敗するという結果に終わったのだったが、その後の事は良く覚えていない。有妃に抱きかかえられて店の外に出た時の、レジにいたエレンの悔しそうな顔だけは覚えている。
外の肌寒い空気を浴びて俺の意識は目覚めたが、頭の中にはただ一つの事しかなかった。とうとう有妃に（性的に）食べられる…。いや、食べてほしい…。蛇体でぐるぐる巻きにして、思い切り搾り取って欲しい…。白蛇の炎を注ぎ込んで気絶するまで犯してほしい…。
心が締め付けられるような思いに囚われた俺は、優しく肩を抱いている有妃にそっと身を寄せた。
「どうしました？佑人さんは甘えんぼさんですねえ…。でも、とっても素敵な顔をしていますよ。かわいい………。」
「…………………………。」
愛らしい笑みを浮かべて頭を撫でてくれる有妃だったが。俺は何も言えずに彼女を見つめてしまう。
この狸茶屋の隣にはホテルがあり、両方とも同じ刑部狸が経営している。喫茶店でカップルになった二人が我慢できずに利用する様で、なかなか繁盛している様だ。
俺も今からここに連れ込まれるのか…。そう思うと有妃に会う前と同様、いやそれ以上に鼓動が早くなっているのが分かる。だが、その時だった。
有妃は通りかかったタクシーを呼び止めると俺を優しく乗り込ませた。えっ…。違うの…。期待と不安で張り裂けそうになっていた思いが急速に萎んでいく。
「それでは佑人さん。今日は本当にありがとうございました。またメール下さいね。私も連絡しますから。」
「えっ…。はい…。こちらこそ…ありがとうございます…。」
当惑した眼差しで見つめる俺を知ってか知らずか、有妃は丁寧に頭を下げると小さく手を振った。そしてタクシーが走りだす。俺は茫然として小さくなって行く有妃の姿を見つめていた…。
「待ってくださいよ。森宮さんだけ一方的にお話して帰られるなんてずるいです。私はまだ全然話して無いんですよ。」
有妃の顔は愛らしい笑顔だった。俺を蔑むような表情は全く見られなかった。むしろ憐れむような切ない目をしており、思わず見とれそうになった。だが、その瞳の奥には妙に思いつめた様な光があり、はっとして我に返る。
「森宮さん。寂しかったんですね…。でも、もう大丈夫です！これからはわたしがずっと一緒に居てあげます！」
「寂しいって…。いやいや。たまにそう言われるけれど、別に寂しいわけじゃなくて…。って、これからはずっと一緒ってどういう事？」
慌てて否定し疑問を呈したが、それに構わず有妃はしゃべり続けた。そして俺に絡みついた蛇体を優しく引き寄せようとする。思わぬことに驚き抗おうとしたが、想像をはるかに超える怪力で全く抵抗できない。
そして、俺を有妃の隣に無理やり座らせると優しく手を握った。とても柔らかく、そして暖かい手だ。ラミア属はもっと冷たい手をしているのかと思ったが思わぬ心地よさだ。だが…一体この人俺をどうするつもり？
「ちょっと待ってくれ川瀬さん！いったいどうしたの？」
「いいんです！何も心配しないでいいんですよ。私に全部任せてください…。」
有妃は俺を安心させるような様な声で語りかける。でも人の話を全く聞こうとせず、自己完結したかのような態度に少々恐怖を感じてきた。穏やかだがどことなく虚ろな瞳だ。よく『レイプ目』と言われる表現法があるが、感覚的にはあれに近い。
あまりの予想外の行動に混乱している俺をよそに、有妃は、ああそうだ、と言わんばかりに手を叩いた。
「そうですね。それじゃあ早速帰りましょうか。森宮さ…いいえ佑人さん。」
「帰るって、一体どこに？」
「もちろん『私達』のおうちに決まっていますよ。一緒に今後の事を色々語り合いましょうね。」
私達のうち？今後の事？そして俺の事を名前で呼んでいるし…。一体なんで？俺はどこでどう間違えてこんな事態に陥ったんだ？この人絶対変だ………。そうだ。そういえば彼女は『白蛇』だった…。
信頼している社長の紹介だからと言う事であまり意識していなかったのだが、白蛇と言えばその嫉妬深さと思い込みの激しさで良く知られている。種族の性格としては『嫉妬深いが温厚かつ献身的で無理やり男を襲う事は無い』とされているのだが、ネットを見るとなぜかそれに反する話が多い。突然拉致監禁されて堕ちるまで犯され続けた、とか信じがたい様な話もある。
もしかして気が付かないうちに有妃のヤンデレスイッチを押してしまったのか？でも、それにしてもおかしい。有妃の様な立派な女性が俺の様な男を好きになる要素は無いはずだ。こんな無気力で社会に背を向けている男など、好かれるはずがないのは自分で良く分かっている。だが、そうか…。ここでようやく俺は思い当たった。
そうか。有妃は俺の精が目的なのかもしれない。事情は分からないが彼女は精が必要で、それで一時しのぎに俺を必要としているのかと…。成程。これでようやく辻褄が合った。納得すると困惑と動揺は消え、妙に悲しくそして虚無感にも似た感情が湧いてきた。
「ねえ川瀬さん…。早い話精が欲しいだけなんだろうけれど、俺みたいな駄目人間の精は絶対にまずいよ。悪い事は言わない。他の立派な男の…ッ！！」
最後まで言葉を言えなかった。有妃が俺の胴体に巻き付いた蛇体をきゅっと締め付けてきたからだ。痛くは無いが急な圧迫を受けて、思わずうっという呻き声を漏らしてしまった。よく見たら有妃は不快な表情を浮かべている。
「佑人さん。それはどういう事ですか？私が精だけを目的としてあなたに近づいたとでも思っていらっしゃるのですか？失礼ですがそれはあまりに酷いお言葉と言うもの…」
「だってそうじゃないか。さっきも言っただろ。俺はぼーっとすることが好きで、毎日平穏無事に過ごせればいいと思っているだけの無気力な人間なんだよ。川瀬さんの様な立派な女性に好かれるなんてありえないのは良く分かっているんだよ。」
厳しい声音で俺を非難する有妃だったが、それに負けじと苛立った調子で反論した。自分なんか好かれる要素は無いのはわかっている。わかってはいるが、精のためだけに非常食めいた扱いをされた事への憤りは抑えきれなかったからだ。
俺たちは暫くの間見詰め合った。というか睨み合いに近かったかもしれない。普段はこんな「眼を付ける」様な事は絶対にしないし出来ないのだが、ぶつけ様も無い思いが俺を支えていた。いつまでこんな事が続くのかと思ったその時、有妃はため息をつくとふっと表情を緩めた。
「佑人さん。お互いに誤解が重なってしまったようですね。どうでしょう？最初からまたお話ししませんか？あなたの様な素敵な方と知り合えたのに、このまま終わるなんて絶対に嫌です。」
有妃は瞳に儚げな色を浮かべて悲しく微笑んだ。そして先ほどと同じように俺の手を優しく握りしめる。その温かさが苛立った心を優しく鎮めた。こんな切ない顔をされては何も言えないし、色々申し訳なくなってくる…。
「いえ…。こちらこそ酷いことを言ってしまったみたいで。申し訳ありません…。」
たまらなくなって詫びる俺を見て、有妃は良かった、とつぶやくと嬉しそうに笑った。一体なんでこんな素敵な笑顔が出来るんだろう。と、今日何度目になるか知れない恍惚とした目で見てしまった。
「佑人さんには何度も立派と言って頂きましたが、私は全く立派では無いんですよ。どうしてそう思われたのですか？」
穏やかに語りかける有妃を見て、駄目な生徒を優しく教える先生の様だと思う。
「だって、川瀬さんは企業の役員まで務めたんだろ？聞けば結構有名な企業じゃないか。きっとアグレッシブで前向きで意識を高く持って情熱的でプラス思考で…とにかくそんな人と俺となんかじゃ釣り合わないよ…。」
社長から聞いた所によると有妃は某ベンチャー企業の創立メンバーで、株式の上場時にストックオプションを行使して退社したそうだ。そして今では悠々自適の生活を送っているとの事だ。
この話だけ聞くと俺の様なしがない一会社員とは、すべての面で正反対の人としか言いようがない。色々夢を持っているんだろうな…。意識高い系じゃなくて、本当に意識が高い人なんだろうな…。と相当気後れしてしまう。
有妃が立派でないと言うならならこんな俺はいったいどうなると言うのだ…。今でもからかわれているのではないかという気持を抑えきれない。
「やめてください。私はそんな典型的な自己啓発書にある様な女じゃありませんよ。私はただの魔物娘です。男の方と淫らな毎日を送りたいだけの魔物なんですよ。」
訝しげな俺の表情を見て有妃は慌てて否定する。そんな事ないです、と言わんばかりに手を振る仕草がとても可愛い。
「じゃあ。どうしてそんな立派な会社に…。」
「はい。それはもちろんお金を稼ぐためです。将来一緒になる旦那様には生活面で思い悩まずに暮らして頂きたかったからです。それにはどうしてもお金が必要ですよね。もちろん魔界に移住するのなら話は別でしょうけれど。」
潔いぐらいの真っ直ぐな即答に相当意外な思いだった。てっきり新しいビジネスモデルを構築したいとか、頭の悪い俺では理解不能な答えが返ってくるものだとばかり思っていたからだ。
「それじゃあ起業して新しいビジネスを始めようとか…」
「御冗談を。そういった事は全く考えた事もありませんよ。私は自分が魔物だと言う事を隠して会社勤めをしていたのですが、そのせいか当時は色々言われました。
お前の将来の夢や目的はなんだと問われ、素敵な旦那様と毎日エッチしてのんびりと暮らしたいと答えると、必ずと言っていいほどお説教されました。もっと意識を高く持て、とか上を目指さなければ駄目だ、とか低俗な事に囚われずに夢を持て、とか…。でも私はそう言われて困ってしまいました。」
困った顔をして眉をひそめた有妃だがとても愛らしかった。でも、まあ、のんびり暮らしたいは良く分かるけれど、毎日エッチしたいは人前で言う事じゃないな…。皮肉な思いを抱いて俺は有妃の話に相槌を打つ。彼女はそれを敏感に見抜いたのか、魔物学を講義するかのように語りだした。
「魔物の価値観は人間の価値観とは明らかに異なっています。私達にとって素敵な旦那様の精を頂き、ずっと爛れた毎日を送る事は絶対に叶えたい夢であり目的なんですよ。
でもそれは『下』だと言うのです。それでは『上』とはいったいなんでしょうか。そもそもどんな基準で上下を決めるのでしょうか。決まったとしていても一体だれが判断するのでしょうか。私にはわかりません。」
有妃はそう語り終えるとかぶりを振った。正直目が覚める思いだった。それなりに魔物について知識は持っていたつもりだったのだが、結局俺は人としての目で彼女達を見てしまっていたのだ。そしてこんな俺では好かれるはずはないと自縄自縛に陥っていたのだ。
『魔物は人間男性と交わり精を得る事を再優先する』『魔物は欲望に忠実で倫理や道徳に縛られることを嫌う』という図鑑の一節を思い出す。
有妃は温和な表情で見つめている。俺が彼女を見つめ返すと、何も心配しないでいいんですよ、と言いたげに微笑んでくれた。そうだ。こんな駄目な俺でも彼女なら受け入れてくれるかも…。
「それと佑人さん。あなたは随分と自分の事を卑下していらっしゃいますが、私にとってはとても素敵な方だとしか思えませんよ。」
「それこそ御冗談をだよ…。」
今度も心を見抜いたかのような有妃は力強くうなずく。だが、さすがに素敵な方と言うのは過大評価だ。俺は力なく首を横に振る。
「ふふっ。ご存知かもしれないですけれど私たちはとーーーっても嫉妬深いんですのよ。愛する男の方にはいつも私だけを見ていてくれなければ許せないんです。
その点あなたは色々な物事に関わりを持たずにいらっしゃる。地位や名誉や金銭欲、女性の愛情を得る事も捨てているとお見受けします。そんな淡い方だからこそ、私という色に染め上げてしまえばずっと私だけを見て頂けるでしょう。
その割には魔物娘への欲望は並外れておいでのようですし…。本当に理想のお方です。」
目に若干嗜虐的で戯れるような色を浮かべた有妃はひそやかに笑った。俺が彼女をうっとりと眺めていた事が見抜かれたのか？エレンの時と同じだが、心に秘めた思いを完全に消して相手を見るなんて、そんな器用な事は出来ない。思わずため息をつく。
だが、それはそうと、有妃は俺の事を都合のいい奴だと思っているって事か？今の言葉はそうとしか思えない。少々むっとなってこう言い放つ。
「色々な物事を捨てているからこそ将来は川瀬さんを捨てる事もあり得るかもよ。それに、さっきも言ったけど俺は幼女向けアニメが大好きな変態なんだ…。」
「ごめんなさい。気分悪くなさったようですけれど誤解しないで下さいね。私と佑人さんは一緒に居たらお互いに良い関係になれると言いたかったのです。
愛する人と一緒にのんびりと暮らし、ひたすら性の喜びに満ちた毎日を送る事は私の夢です。あなたにとっても静かで穏やかな毎日を送る事は望みなんですよね。それと魔物と色々エッチすることも。私達はとっても気が合うと思いますが。」
有妃は申し訳なさそうな顔をすると優しい声でなだめた。俺も怒るつもりは無かったので笑いながら気にしないでと言う。
でも先ほどからエッチしたいとか性の喜びとか、有妃の口から際どい言葉が次々と出る。お淑やかな外見に似合わない言葉にさすが魔物と実感するが、そんな彼女を見てつい心に欲望が沸き起こってしまった。
今有妃は俺の胴に蛇体を巻き付けて優しく手を握ってくれているが、もし蛇体を全身に絡みつかせて、この柔らかい手で愛撫されたらどれほどの快楽だろうかと…。
あ、こんなこと考えたらまた見抜かれる。そう思う間もなく有妃は今までとは想像もつかない淫らな微笑みを見せると言葉を続けた。有妃のこんな表情をもっと見てみたい…。
「それと私は変態さんも大好きですよ。もしよろしければそのナントカというアニメのコスプレでもしますか？」
有妃はからかう様に笑った。何にもわかってない！俺はコスプレには興味は無い。二次元の魔物娘に興味があるんだ。と一瞬思ったが不思議とそんな思いは消えて行った。
「そ、それに俺はつまらない人間なんだよ。川瀬さんを楽しませることなんか出来ないし。絶対退屈して嫌になっちゃうよ。」
俺は気恥ずかしさを隠すように取り繕った。そんな姿を見た有妃は慈しみに満ちた笑顔を見せるとかぶりを振る。本当になんでこんな素敵な笑顔で俺を見るんだろう…。
「佑人さんにはそんな事は全く望みません。私と一緒にずっといて下さい。そしてその瞳に私だけを写していて下さい。それだけで大満足なんです。」
語り終えたその瞬間、有妃の瞳に暗く狂気じみた光が浮かんだ。俺は突然の事に驚いたが、すぐにそれは消えて元の優しい笑顔に戻った。この様な有妃の怖く優しい面を後に思い知る事になるのだが、当時は全く想像も出来なかった。
「ごめん。でもそれはちょっと無理かな。一応親兄弟の事も大事だし…。」
「ふふっ。正直な方ですね。でもそれは当然です。私だって父母の事は大事ですから、身内に冷たくしろだなんて事を言うつもりはありません。そうですね。もっとはっきり言いましょう。つまり私以外は『女』として見ないで欲しいのです。たったそれだけの事なんです。」
私だけを見ていて欲しいという重い言葉に当惑して本当の気持ちを打ち明けた。だが有妃は全く気にしていないかのように明るくふるまうと、俺の瞳を切なくそして真正面から見つめる。
血を思わせる鮮やかで神秘的な赤い瞳。信じ難いぐらい美しい…。こんなにまじまじと有妃の瞳を見るのは初めてだった俺は、思わず虜になりそうな感覚に陥る。ずっと見つめてもらいたい…。
「先ほどは佑人さんに失礼な事をしてしまいました。あなたが私の理想通りだった事で興奮してしまって…。申し訳ありません。気分悪くなさったと思いますが…でも…どうでしょう？月並みですがお友達からと言う事で始めて頂けませんか？」
有妃はとても穏やかな声で哀願するかの様に語りかけた。そして先ほど見せた儚い微笑みを浮かべている。だが……相変らず蛇体を優しく俺に巻き付けている事に変わりはない。試みに体を動かしたが全く解かれる気配はない。言葉とは裏腹に絶対にお前を逃がさないという捕食者の意思表示だろうか。
だが、そんな事はどうでもいい。今は有妃の穏やかで、切なく、優しく、淫らで、そんな笑顔を見ていたい…。有妃と『お友達』になれればそれも叶うのだ…。そう思うと心の中の何かが切れる感覚が襲う。後はもう堕ちて行くだけだった…。
一瞬『魔物娘と付き合う＝結婚』と言う言葉が浮かんだがたちどころにそれは消えた。
「わかりました。よろしくお願いします。川瀬さん。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。あ、それと、私の事は有妃って呼んでくださいね。」
俺は笑って有妃に頭を下げる。下らない拘りから解放されたようで何か清々しい。彼女も、ぱあっと華やかな笑みを見せると嬉しそうにしてくれた。なんだろう。こんな心が沸き立つような感触は今まで知らなかった。
「うん。有妃…さん」
「そんな、さんづけなんて他人行儀な言い方しないで下さい。」
「ええと。有妃……ちゃん。」
「仕方ないですねえ。それで良しにしてあげます。」
照れる俺を見て楽しそうにくすくす笑うと、有妃はまた優しく手を握ってくれた。そして透き通るような赤い瞳で俺を見つめてくれる。それがとても暖かく心が落ち着く。俺も知らぬうちに、にこにこしてしまう。
「それじゃあ電話番号の交換しましょうね。ええと…佑人さんSNSは？」
「ごめん。やっていないんだ。」
「そうですか。それではメルアドも交換しましょう。」
俺と有妃は互いの電話番号とメルアドを交換する。女性とこんな事するなんて今まで経験が無かった。これでようやく人並みに一歩近づいたようで嬉しかった。その時だ。
有妃が突然俺の事をきゅっと抱きしめてきた。蛇体もそれに呼応するかのようにぐるぐる巻きにする。当然初めての経験だ。すべすべして、柔らかく、暖かい。そして甘く切ない様な有妃の匂いを嗅ぐと、頭の中がはじける様な恍惚感が襲った。
「これから素敵な毎日になりますよ。ね！佑人さん。」
そう言った有妃は妖艶でとろけるように笑うと、俺の頭を優しく胸に抱いた。豊かで温かい胸の感触が頭を包むと、意識がどろどろに溶解していくのを感じた。
と、まあ、こうして俺は有妃との勝負に完敗するという結果に終わったのだったが、その後の事は良く覚えていない。有妃に抱きかかえられて店の外に出た時の、レジにいたエレンの悔しそうな顔だけは覚えている。
外の肌寒い空気を浴びて俺の意識は目覚めたが、頭の中にはただ一つの事しかなかった。とうとう有妃に（性的に）食べられる…。いや、食べてほしい…。蛇体でぐるぐる巻きにして、思い切り搾り取って欲しい…。白蛇の炎を注ぎ込んで気絶するまで犯してほしい…。
心が締め付けられるような思いに囚われた俺は、優しく肩を抱いている有妃にそっと身を寄せた。
「どうしました？佑人さんは甘えんぼさんですねえ…。でも、とっても素敵な顔をしていますよ。かわいい………。」
「…………………………。」
愛らしい笑みを浮かべて頭を撫でてくれる有妃だったが。俺は何も言えずに彼女を見つめてしまう。
この狸茶屋の隣にはホテルがあり、両方とも同じ刑部狸が経営している。喫茶店でカップルになった二人が我慢できずに利用する様で、なかなか繁盛している様だ。
俺も今からここに連れ込まれるのか…。そう思うと有妃に会う前と同様、いやそれ以上に鼓動が早くなっているのが分かる。だが、その時だった。
有妃は通りかかったタクシーを呼び止めると俺を優しく乗り込ませた。えっ…。違うの…。期待と不安で張り裂けそうになっていた思いが急速に萎んでいく。
「それでは佑人さん。今日は本当にありがとうございました。またメール下さいね。私も連絡しますから。」
「えっ…。はい…。こちらこそ…ありがとうございます…。」
当惑した眼差しで見つめる俺を知ってか知らずか、有妃は丁寧に頭を下げると小さく手を振った。そしてタクシーが走りだす。俺は茫然として小さくなって行く有妃の姿を見つめていた…。
17/03/06 23:53更新 / 近藤無内
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