第一章 外・暗がりの底、闇の淵
所変わってアーサー王子、リザードマン達を追い出した洞窟の中に、彼らは居た。本来漂うべき暖かい空気は、血塗られた、冷え切った悪意に塗りつぶされていた。
「ちっ。リザードマンの集落も、こんなものか」
呆れた様に兵士の一人が元は人間であった屍を蹴り飛ばす。そもそも、この集落は“帰って来た”リザードマンたちの住処であり、決して軍事拠点として使える様な規模ではない。だからこそアーサー王子一派が占拠出来たのだが。それに関してはこの兵士は気付いていないらしい。仮に軍事拠点として扱えるほどの規模ならば逆に彼らが全滅していただろう。
「油断はするな。あくまでこれは第一歩なのだ。慢心していては成功する事も失敗しかねん」
しかし、それを覆すのがアーサー王子の才覚だ。先ほどの戦闘でもサラマンダーの左腕と右目を奪い、多くの戦果を挙げている。オズワルドにすら勝るだろうその才覚に、心酔する兵士は少なくない。出来るだけ連れて来たかったが、それは叶わなかった。オズワルドに塞国を抜け出す直前に感づかれたのは痛手だったが、それも暫くの辛抱だ。如何に監視が厳しくとも抜け穴はある。そこから心酔する兵士たちは抜けてくる。アーサーが必要とする物資を持って。
「リチャードでは塞国の王は務まらん、だが父上の信頼が篤かったオズワルドが居る以上、リチャードが王になる事はまず避けられない。そこでだ」
「――敢えて、オズワルドに国内を任せ、機会を伺うのですね」
「恐らくオズワルドは私を病気で臥せっている、とするだろう。ここまでは読んでいる。そして、ここで――」
広げた地図のある地点を叩く、そこはつい2日程前にリチャードがリザードマンの群れと遭遇した場所。
「リチャードを派遣する。これは妨害しない。オズワルドの兵は強い。リザードマンも居る以上、ここで暗殺を仕掛けても勝ち目は薄いだろう。と、こう動いた場合、恐らくオズワルドはリザードマン共を蛮族共に押し付ける」
「成程、それなら魔物軍への対策をする時間を稼ぐ事が出来る」
「当面の脅威を殲滅する事なく封殺することで時間を稼ぐ、アレらしい野蛮な手だ。仮にも人間の前線に立つ以上、魔物は殲滅以外有り得ん。それまでの辛抱だ。決着を付けるのはそれからにしてやる。精々首を洗って待って居ろ。オズワルド」
「しかし――殿下を直接探しに来る、という事は……?」
兵士の尤もな質問に、アーサーは嗤って応える。
「アレは自身の価値を良く知っている。故に、動かん、動けんのだ。つまり、我々は塞国での地位は失っただろう――」
「――だが、自由は得た。アレと戦うためにはこの戦線が膠着している間に動く必要がある。ここを得る事が出来たのは僥倖であった。私の指揮、諸君らの勇敢さは魔物共の姦計に嵌り、堕落した人間などに、魔物どもの暴虐などに屈しない事は証明できた。まずはこれをしっかり確たるものにすることが最大の仕事だ。判るな?」
「はっ」
お褒めの言葉を受け、兵士たちが歓喜の色を露わに、応える。
「しかし、当面の問題は、どこと手を組むか、だな。諸君に良い考えはないか?」
アーサーは周囲から意見を募った。すると、一人の兵士が地図を指さして答える。
「この拠点から、北に半月程進んだ先――竜の顎の要国と組むのがよろしいかと思われます。ただ……」
「進軍ルートが問題か。確か“顎”の近辺にはワームが居たな?」
「確かにあそこには多数のワームが居ます。もしやそれを使うのですか?」
ああ、と頷いて肯定する。
「ワームはドラゴンに比べれば力は強いが頭が回らん。誘導するなり使い潰すなり幾らでも出来る。所詮は亜竜(侮蔑的にドラゴンの亜種を指す言葉)よ」
「しかし、ワームはリザードマンとは異なります。曲がりなりにも竜の一種です。油断すれば……ヒィッ!?」
ギロリ、射殺すがごとく睨まれた兵士が震え上がる。
「たかが馬鹿力だけが取り柄の獣だ。何を恐れるのだ? 適当に小男でも捕まえて食わせれば良い。我らの目的は、最終的には魔物の殲滅へと移行するのだ。ここで討ち取った魔物が一匹二匹増えようが大した問題ではない」
「差し出がましい様ですが、教団とは?」
「支配下に置くなら別だが、あれと組むことにメリットはない。現に多数の勇者を投入しているが、一行にその勢力を減じる事が出来てはいないではないか、寧ろあれが勇者を投入する度に魔物の勢力を増す結果にしかなっておらん。だが、勇者を取り込む。という事に関しては考慮に入れておこう。諜報からもたらされた情報によれば、余り出来の良くない勇者らしい。我らが試験的に手駒として扱うには十分だろう――」
「――それに、教団と手を組んだ結果、代償として塞国を軍事拠点に作り替えられては元も子もない」
――判り切った事を、何故聞く。結局は愚物か。
アーサー王子の心境を表すならば、こう表現するのが良いだろう。しかし、それを表に出す事はしない。侮蔑を向けるべき相手を良く知っているからである。
――教団製の勇者がいつまでたっても魔王を滅ぼせないのと同様に、私一人が足掻いたところで魔物の勢力は変わらん。何処かで出来るだけ国家を巻き込むしかあるまい。その打って付けの国は、凡愚が治めると評判の要国だろう。
アーサー王子の思考は、既に要国を如何に手中に収めるかに移っていた。不可能な事は考えず、出来る事から着手する。冷徹な判断力である。
――秘密裏に魔物を手引きし、それを返り討ちにする。
――デメリットが大きいな。第一魔物が私たちとの関与を話す恐れがある。戦闘になれば魔物に備えるどころではなくなる。
――しかし、国力を削がずに手に入れる為にはこれが良いだろうが、国王だけ堕落させ、そこを踏み込むべきか?
――いや、これもリスクが大きい……一つ手段があるな。これが良い。
ふと、ある出来事が脳裏に浮かんだ。これならば、怪しまれる事はない。
「まずは、この一手だ」
暗闇の中、静かにアーサー王子は呟いた。
15/10/09 21:04更新 / Ta2
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