第二十三話〜羨望〜
〜???〜
『羨ましい……』
声が聞こえる。いつものように、何も無い空間。暗い空間。
『男の人に声をかけようとした……気付かれて、モタモタしていたら逃げられた。慌てて後を追ったらその人とマンティスが交わっていた……』
浮かんだ景色には背中を向けて逃げていく男の姿。
後を追った先に男に覆いかぶさるマンティス。
『他の人に声をかけようとした……別のアラクネにその人を先に持って行かれてしまった。』
次の景色は、糸でぐるぐる巻きにされた男を連れて行くアラクネの姿。
『なんとか男の人と話すことが出来た……目を離した隙にやっぱり他のアラクネに持って行かれた……。』
誰もいない光景が映る。景色が少し歪んでいた。
『歩いていた人に服を渡そうとしてみた……気付かれずに通りすぎてしまった……。』
男が歩いて行く。自分の手には、白い服が乗っていた。
『他のアラクネ達が男の人と楽しそうに話しているのを見た……羨ましかった。』
楽しそうに話している男とアラクネ。
『誕生日……私の家には、誰もいなかった。知り合いのアラクネは今日デートらしい。』
誰もいない部屋が映し出される。
『勇気を出して男の人を誘惑してみる。大胆な服を着て、精一杯アピールした。』
『でもその人にはもうメデューサのパートナーがいた。男の人は石にされて引っ張られて行ってしまった。』
石になった男を引っ張るメデューサが見える。
『もっと勇気を出して、男の子を押し倒してみる。泣かれてしまって、慌てたら逃げ出してしまった。』
走り去る男の子。視界は若干うつむき気味だ。
『羨ましい……パートナーがいる子が羨ましい……妬ましい……』
ビシビシとひび割れる空間。色褪せる景色。
『そうだ……奪ってしまおう……手に入らないなら……取ってしまおう……』
『ソシテ、ゼンブヲワタシガテニイレテ、ミンナウバッテ、ウバッテ、ウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテ』
『そして、周りには誰もいなくなる。お前に奪われたくないからな。』
景色がガラリと入れ替わる。ここは、目の前のアラクネの家なのだろう。
『デモ、ソウシナイトワタシハナニモテニイレラレナイカラ……』
『そうか?お前は奪われた奴の気持ちがわからないのか?わからないわけないよな?』
『……。』
俺は言葉を続ける。
『お前は現に何回か目の前の男を奪われている。でもな、それはお前の行動が遅かったがゆえに起こった。』
『努力をした?あれは努力じゃない。ヤケだ。勝負をしたいならありのままの自分をさらけ出せばいいし、抵抗力の低い子供を襲う必要もない。』
『ワタシハ……』
『お前、どうせ自分なんかとか思ってるだろ。自分自身の姿を鏡で見たことあるか?』
俺はイメージする。目の前の全てを映し出す。鏡の存在を。
すると、目の前に姿見が現れた。
『これが、お前だ。綺麗なもんだろ?』
彼女に姿見を見せる。蜘蛛の足が恐怖を誘うが、その上半身は美人と言っても差支えがないほど美しかった。
『もっと自信を持ってみろよ。押しが弱いと思うならその押しの弱さを武器にしてもいいんじゃないか?気弱な美人ってのも結構モテそうだぜ?庇護欲をそそってさ。』
彼女はうつむいている。
『ナラ……』
『ん?』
彼女が顔を上げる。目が、赤く光っていた。
『ナラ、アナタハワタシヲダキシメラレル?』
『そんなもん決まってるだろ。』
俺は彼女に歩み寄り、思い切り抱きしめた。
『こんな放っておくだけで折れそうな奴を、抱きしめられない訳がないだろ……。』
『ア……』
彼女の瞳から、一粒の涙が零れ落ちる。
『もう自分を貶すな。もう自分に縛られるな。お前は、もっと自由に生きてもいいはずだ。』
俺は彼女をさらに強く抱きしめた。
『もし、それでも自分を縛る鎖を付けるというのなら……俺がその鎖を断ち切ってやる。』
『あ……あぁぁ……うぅぅぅぅ』
彼女は俺の肩に顔を押し付けると、涙を流し始めた。
心の鎖に縛られない、自由を噛み締めながら。
『臭かったですよ……セリフ。』
『言うなよ……自覚しているんだから。』
泣き止んだ彼女は、何か汚い物でも見るように俺を見てくる。
『その口先で一体何人の女性を落としてきたんですか?』
数えてません。
『口が上手すぎて……落とされる私のほうが恥ずかしくなってくるじゃないですかぁ……』
真っ赤になって顔を胸に押し付けてくる彼女。
俺の肩を力なく拳でぽすぽすと叩いてくる。
『ときめいちゃった?』
いたずらっぽく言う俺。俺ってこんなに軽かったっけな。
『心臓がドキドキしっぱなしですよ……こんなの初めてで……』
顔が真っ赤だ。余程こういうことに耐性がないらしい。
『少しは経験を積めば改善されるんじゃないか?たとえばさ……』
元々顔との距離は近かったので、キスをしてやる。
彼女は口を離してからも暫くはキョトンとしている。
やがて何が起きたか把握できたのか、ボンッという音が聞こえそうなほど赤面した。
『あわ……あわわ……いま、今の、今の』
『キスだな。もう一回するか?』
彼女がブンブン首を振るが、
『ほれ。』
頭を押さえてキス。
『%#$0@j!b?%!?!?!?!?』
もはや何を言っているのかすらわからない。
『ほら、そんなんじゃ何時まで経っても慣れないぞ?』
『でもだってほら私達恋人同士でもないし初めて会ったばかりだし私だってなにがなんだかわからなむぐぅ!?』
煩かったのでもう一度口を口で塞ぐ。抵抗できないようグダグダにするため舌で口の中も撫で回してやることにした。
『んぅ!?ん〜〜〜〜!?……ん』
しばらくジタバタしていたが、頭の中が蕩けてきたのか抵抗が少なくなる。
『んむ……チュ……はむ……』
おずおずとだが、舌を絡めてきた。その舌を優しく舐めまわしてやる。
『れる……あむ……れろ……』
舌を絡ませ、唾液を交換し、口内を舐めまわしていると、背中をタップされる。
『ぷは……苦しいですよぉ……』
半ば涙目だ。その綺麗な姿と気弱な性格が合わさってこの上ない魅力となる。
『少しは慣れたか?』
『慣れません……けど嫌じゃないです。』
それを世間一般では慣れたと言うんじゃないのか?
『で、どうする?これ以上のこともしてみたいか?』
『うぇ!?えと……えと……』
彼女は狼狽えている。まぁ俺が狼狽えさせたのだけれども。
『ま、今は早いか。もう少しこうして抱き合っているだけでも……。』
と、そこで視界が回転した。押し倒されたのだと言う事に気づいたのは彼女が上から眺めてきたからだ。
『私だって……魔物なんですよ?これだけ無防備な人がいたら食べちゃうんですから……』
『でだ、俺はなんで糸で簀巻きにされているんだ?』
押し倒された俺は、彼女の糸で簀巻きにされていた。彼女が器用に8本の足で俺を簀巻きにしていく手際は、なかなか見事だったと付け加えておく。
『だって、動いたら怖いじゃないですか。これなら……』
そう言うと、彼女は俺にのしかかって来た。ちなみに下半身の方でだ。
『変に手出しできませんし、私も恥ずかしくありませんから♪』
彼女は俺の股間の部分の糸をずらすと、ジーンズのチャックを下ろし、トランクスから俺のモノを取り出した。それは何故か、既にいきり立っていた。
『わ……もうこんなに大きくなってますよ?縛られて興奮したんですか?』
グリグリと手でモノを弄り回される。しかし、
『(本当に経験が無いんだな……さほどキツくはないか)』
まだまだ余裕があったので、どこか反撃できそうな場所を探す。
『(ん……?)』
蜘蛛の腹の先端に突起のようなものがある。手は拘束されているため、舌でそれを突付く。
『きゃ!?どこを舐めて……・』
舐めまわしていると、糸が舌に絡みついてしまった。
『そこは……舐めるとことじゃ……ひぅ!?』
それでもまだ舐める。口の中が糸でいっぱいになってしまった。
『ん〜……』
それが歯やら舌やらそこかしこに引っかかり、口が開けられなくなる。アホか俺は。
『くす……♪口が開かなくなっちゃったんですかぁ?』
今度は口周りと目をぐるぐる巻きにされた。
『貴方はおとなしくしていてくださいね?これは私の『食事』なんですから。』
余裕が出てきたのかアラクネ本来のSっぽさが垣間見える。
……なんだかゾクゾクするんだが。
『さぁ……食べちゃいますからね……ん……』
見ることは出来ないが、彼女の秘部が息子に触れるのがわかる。
彼女は手でモノを支えると、そのまま腰を落としてきた。
『んはぁ……♪これが男の人の……♪』
膣内は柔らかく、特に抵抗もなく俺を飲み込んでいく。
『ふふ……♪処女じゃなくて残念ですか?』
そう言うと彼女は腰を動かしてきた。しかし、やはりどこか動きがぎこちない気がする。
『寂しくて……ん……自分で鎮めているうちに破っちゃっていたんですよ……♪』
しかし、俺は口が開けないので何も言い返すことができない。
もがいてみても糸は頑丈で引きちぎることはできないようだ。
『動きたいですか?見たいですか?』
挑発するように囁きかけてくる。
『でも駄目ですよ♪音と感触だけで楽しんでくださいね♪』
その時、図鑑の一節を思い出す。抵抗すればするほど、彼女達は燃えると。
ならば、「誘い受け」だ。俺は形だけでも抵抗の意思を見せるため、グネグネともがき始めた。
傍から見たら蚕か何かが蠢いているように見えただろう。
『ほらぁ……暴れちゃだめですよ?貴方は私の餌なんですから……』
一層強く抑えつけて腰を振り立てる彼女。掛かった。
『こうやって……っ。いっぱいぐちゅぐちゅしてあげますからね〜……♪』
卑猥な水音が聞こえ、しかし何も見えず身動きも取れない。倒錯的な状況にどんどん追い詰められる。俺ってM気質もあったのか……。
『ん……おちんちんがピクピクしてきましたよ?出そうなんですか?』
聞こえて来る水音とか、優しくもいじめるように囁く彼女の声とか、動きたいのに動けない体とか、見たいのに見れないもどかしさとか。そんな物がないまぜになって、我慢の限界があっという間に来てしまった。
『いいですよ〜?私の中でぴゅーって出してくださいね〜……♪』
しかし、彼女の腰使いは逆にゆっくりとなり、刺激が鈍くなってしまった。
『ほらぁ……頑張って出してください?中で出しても構いませんからぁ……』
何時までも焦らすようにゆっくりと刺激を続ける彼女。口を塞がれて何も言えず、ねだることも出来ない俺。自分で突き上げようにも身動きできない体。
『苦しそうにピクピクしてぇ……そんなにイきたいんですか?』
ようやくYESかNOかで答えられる質問をしてくれる彼女。俺は迷わず首を縦に振っていた。
『あはぁ……♪それじゃあイかせてあげますね?』
そう言うと、彼女はズルズルとモノを引き抜いていく。俺焦る。
『ん〜……えい♪』
と、中を締めながら一気に腰を落とされた。
中をかき分けて進む亀頭と、ねっとり絡み着いて来る膣壁と、亀頭にぶつかる子宮口の感触で、俺は抵抗することもできずにイってしまった。
焦らしに焦らされた怒張は、大量の精を彼女の中に吐き出していく。
『は〜い、上手に射精できましたねぇ♪えらいえらい♪』
彼女は俺を抱きしめて俺の顔に胸を押し付け、頭を撫でてくる。
優しい言葉と意地悪な言葉攻めのギャップがクセになりそうだった。
『あの……すみませんでしたっ!』
『あははは……気にするな。あれがアラクネの習性なんだから……』
行為の後、糸を解かれた俺は彼女に物凄い勢いで謝られていた。
『なんだか貴方を縛って触っているうちに楽しくなってきてしまって……本当にごめんなさい……』
この謝罪が彼女を縛り付けるのだろうな。
『はいストップ。これから謝るの禁止。』
『え……でも、』
『でもも無しだ。君は愉しむことが出来た。俺は気持ちが良かった。ここで言うべきことは何だ?』
彼女に、呪縛を解く言葉を気付かせる。至極簡単なことなのだ。
『えと……はい。ありがとうございました。』
にっこりと笑って、彼女が礼を言う。
『あぁ、俺からも有難う。それと、笑っている方が綺麗だし可愛いぜ?』
彼女はやはり真っ赤になってしまった。
『あぅ……卑怯です、それ。』
光が強くなってきた。
『これは……何が起きているんですか?』
『もうすぐ目が覚めるって事だな。いいか、忘れるなよ?』
俺は彼女に最後の言葉を言い渡す。
『お前は自分が思っている以上に魅力的な女性なんだ。自信を持って、前に進め。お前に迫られて、拒む男はいない。ただ、人の物を盗るのはやめような?』
彼女の肩に手をかけ、笑いかける。
『……はい。……はい!』
最後に見た彼女の表情は、曇り一つ無い笑顔だった。
「っがぁ!?……っつぅ……。」
現実世界へ戻り、頭痛に顔を顰める。しかし、痛い頭とは裏腹に頭の後ろから伝わってくる感触は柔らかい物だった。
「気がついた……?」
目を開けると、空にはチャルニの顔が。頬には涙の後が付いている。
止血のつもりか、太腿には手ぬぐいがきつく巻きつけられていた。
「アル……いきなり叫んで倒れてさ。怖かったよ、死んじゃうんじゃないかって。アタシを一人にしちゃうんじゃないかってさ。」
まさかあの空間でアラクネとイチャついていたなんて言えるはずがない。
「倒れている暇はない……すぐに始まるぞ。」
「始まるって……何が?」
巨大蜘蛛の体が縮み、アラクネの形を取っていく。
「うそ……魔物だったの?」
彼女が真っ青になっている。が、俺には大事にならないという確信があった。
「今回はまだ余裕があるさ。」
倒れているアラクネに近づく。人間の方の腹には破けた後があったが、極小さい物だった。
「クリーチャー状態の時に体が大きかったのが幸いしたんだろうな。これなら俺だけで処置できる。」
『肯定。パラケルスス、アポロニウス、ADフィールド展開。』
右手には傷を癒す科学の篭手が、頭上には命を照らす太陽の子が。そして、周囲の不浄を吹き散らす大気のカーテンが辺りを包み込む。
『スキャン完了。全身に軽度の打撲。筋繊維断絶無し。腹部大動脈に亀裂無し。内蔵壁に亀裂なし。腹部裂傷の消毒と縫合を行いましょう。不安ならば再生ナノの注入も提案します。』
「いや、ナノはいらないだろう。洗浄と縫合だけ行うぞ。」
『了解。』
洗浄液を掌から噴射。傷口を洗い、汚れを洗い流す。
「体が頑丈だったのもいい方向に働いたな。あの高さから落ちて内臓破裂も無いってことは幸運意外の何物でもない。」
傷口を縫い合わせ、ダーマを張れば術式完了だ。
『まだです。次はマスターの負傷を治療しなければなりません。』
「そうだな……やるか。」
俺は止血していた手ぬぐいを解いてジーンズを脱ぎ、傷口を露出させる。
「これは酷いな……」
傷は意外と深く、傷口周りの肉は溶けかけている。
「溶解液か。俺の方を先に処置したほうが良かったかな。」
『溶解速度はさほど早くはありません。まずは創傷部の洗浄をしましょう。』
掌から洗浄液を出し、傷口を洗い流す。しみるが、無視。
『洗浄完了。再生ナノを塗布し、ダーマを貼りつければ術式完了です。』
親指を患部に向け、ナノマシンを霧状に飛ばして塗布。傷口を寄せて縫合する。
『処置完了。落石警戒のため、この場からの退避を推奨します。』
「よし、ここでの処置は終了だ。とりあえず安全な場所までこいつを運ぶぞ。」
背中側に左腕を差し入れ、蜘蛛の腹の下部分に右腕を差し入れて、持ち上げる。
「ぐ……!こ、こいつ無茶苦茶重いぞ!人間の体重じゃねぇ!」
『彼女は人間ではありません。』
そういやそうだった。
「おいチャルニ!手伝ってくれ!」
彼女に助け舟を求める、が。
「……」
「お〜い!ボサっとしてないで手伝ってくれ!」
どうにも上の空だ。
「あ、あぁごめん。」
彼女も同じように手を差し入れると、二人で持ち上げて森の外縁部まで運んだ。
持ってきた携帯食料を二人で齧る。アラクネの女性はまだ目を覚まさない。
『危機的状況を脱したため報告。
今回のエクセルシア回収により一部機能の回復。
オクスタンライフルの出力が若干回復しました。現在出力は50%程度です。
支援砲撃兵器<マイクロミサイル>リンク回復。充填速度に障害発生中。24発/dayです。
火器管制システムが一部復旧されました。兵装の2種同時展開が可能です。
報告を終わります。』
障害復旧も順調に進んでいるようだ。自己修復機能にエクセルシアが干渉しているのか、取り入れるたびに修復速度が上がっていく。
「ねぇ。」
不意にチャルニが話しかけてきた。
どこか思いつめたような表情をしている。
「この子ってさ、さっきの蜘蛛の状態の時に取り出したアレの所為でバケモノになってたんだよね?」
「そうだな。」
そりゃ薄々とは気付くだろう。
「この子、元に戻ったらお腹が裂けていたよね……。」
「あぁ。」
「……もしかしてさ、アタシもこんな風になっていたの?」
沈黙。静寂が肌に痛い。
「……そっか。ごめんね、アル。」
「何を謝っているんだ。」
彼女は、自分が覚えていない時に俺を傷つけたことを後悔しているのだろうか。
「この人がこうなったってことはさ、アタシもアルの事を……」
「言うな。」
それ以上は言わせたくない。
「でも……」
「言うな!」
「っ!」
俺は強く遮る。突き詰めて言えば、俺の世界が原因なのだ。彼女は悪くない。
「あの物質……取り出した奴はな、俺の世界から飛んできたんだ。」
「……何を言っているの?」
「俺は……この世界の人間じゃない。」
風の音しか聞こえない。鳥はおろか、虫すらも息を潜めている気がした。
「俺達の世界からな、特に力の強いあの物質……エクセルシアって言うんだけどな。それがこの世界へ飛ばされちまったんだ。俺はその回収員。」
事実は、隠すことが出来ない。ここまで気づいたら隠す方が彼女を傷つける。
「だから、お前がクリーチャー化したのは最終的に俺達の責任なんだ。だから、お前が謝る必要はないし、気に病む必要はない。むしろ、謝らなきゃならないのは俺達の方なんだ。」
俺は、拳を握りしめる。握っていた携帯食料が粉々になった。
「だから、ゴメン。俺達がお前らを巻き込んでしまった。こんな辛い事態に巻き込んで、傷つけてしまった。」
彼女は、何も言わない。
暫くすると、彼女が痺れを切らして言い放つ。
「謝らないで……謝らないでよ。」
彼女の答えは、拒絶だった。
「アル達の世界が面倒事を持ち込んだとしても、そんなの関係ない。」
毅然として、彼女は俺に言う。関係ないと言い放つ。
「もし、そのエクセルシアっていうのがこの世界に来なかったら。アタシは自分で自分の命を絶っていたと思う。アルとも、会えなかったと思う。だから、謝らないで。」
彼女は、俺達の世界を赦すと言う。ただ、俺に逢えたからと。
「謝られたら、アルがアタシに逢って申し訳なく思っているみたいに聞こえるじゃない……。」
「そうだな、ごめん。いや、ありがとう。俺たちを赦してくれて。」
だから、俺が言うべきは謝罪ではない。それは、感謝だった。
「でもさ、アタシが怪我している時……というか怪我をして目が覚める前さ。」
マズい。
「言うな。」
「アタシ、アルと何かしていた様な気がするのよねぇ……。」
「言うな……!」
それ以上は言わせたくない。俺の生命の危機的な意味で。
「……ねぇ、今回も何かしてたの?」
「……黙秘権を行使する。」
口を閉じる俺。ジト目で見てくるチャルニ。
「何していたのかな〜?ウリウリ♪」
頬を指でツンツンつつかれる。
「しゃべらないと今度ギルドのロビーでロリっ子3人衆にフィーさんとミリアさん勢揃いさせてアルを弄るよ?」
卑怯だ。
結局俺は、何があったのかを話す羽目になった。嫉妬に燃えた彼女が後ろから俺の頭をグリグリと拳で押しつぶしてきたのは、流石に堪えた。
「……ん……あれ……?」
アラクネの女性が目を覚ましたのは、夕方近くになっての事だった。
俺達は彼女が目を覚ますまでの間、目に付かないように落ちていた死体を隠した。
街まで帰ったら役所に死体を隠した場所を教えようと思う。
「気がついたか?」
「私は一体……いつ……」
顔をしかめて身を捩らせる。そういやかなり高い場所から叩き落としたんだっけ。
「暫くは大人しくしていろ。傷に響くぞ。」
起こした焚き火に薪をくべながら言う。
「あの、貴方達は?」
起き抜けで混乱しているのだろう。質問しかして来ない。
「この付近に採掘に来た、ただの冒険者だ。腹に怪我をしているあんたを治療して、休ませるためにここでキャンプを張った所だ。」
「(うわ〜……誤魔化すのに手馴れているねぇ……)」
うるせぇ。
「私は……今まで何を?」
「知らん。俺はここで倒れていたお前さんを助けただけだ。」
彼女は何も知る必要はない。知らなくていいならそれに越したことはない。
これは、俺達が持ち込んだ問題だ。
「今日はここで野宿だ。街に帰るのは明日になるだろうな。」
彼女が何をしていたかという話題を打ち切るため、これからの事を話す。
「食料は携帯食料があるから問題ないだろう。大して美味いわけじゃないが、腹は膨れるはずだ。水もそれなりにある。」
携帯食料の紙包みと水の瓶を取り出して並べる。
「夜の見張りは俺とコイツが交代でやる。お前はしっかりと寝ていろ。」
親指で隣のチャルニを指差す……が、
「幼女三人(ボソ)」
「と、思ったが夜の見張りは俺一人でやる。やっぱチャルも寝てろ。」
泣きたい。
話し合いも終わり、各自が寛いでいたその時、突如地響きが轟く。
「今度は何だ!?」
『警告、先程のジャベリンの直撃で脆くなった岩盤が崩れた模様。至急この場から退避を。』
俺はアラクネの女性を引っ張り上げようとするが、
「っ……!」
顔を顰めて身をこわばらせる。
おそらく打撲により全身に激痛が走っているのだろう。
「こりゃ動けそうもないな……何か崩落を止める物は無いか!?」
『新規E-Weapon<バインディングネット>が該当。剛性の高い拘束網で崩落の軽減が可能。バインディングネットを展開します。』
先端が開き、出てきたのは大口径の砲身。丁度アンカーバルーンの砲身に似たものだ。
『散開ポイントは着弾地点。射出強度はこちらで調整します。』
「危険な橋には慣れているが……なっ!」
トリガーを引くと、放物線を描いてミサイルのようなものが飛んでいく。そのミサイルが壁面に着弾すると、蜘蛛の巣状の赤いネットが飛び出し、崩落する岩盤を受け止めた。
『バインディングネットは非常に剛性の高い捕縛網で出来ていますが、岩盤を放置し留めておく事は推奨できません。』
「放っておけばまた落ちてくるって事か……どうするんだ?」
ウィンドウが開いて俺の全身に肩と大腿部に追加装甲が取り付けられた物が表示される。
『マイクロミサイルで破砕を推奨します。』
「オーケー、どの道ここで夜を明かすんだ。もう一度の崩落に怯えるぐらいなら壊して安全確保だ!」
『了解。マイクロミサイル展開』
俺の肩と大腿部に黒色の追加装甲が光の粒子を纏って展開される。
両肩両脚に3門ずつ、計12発のミサイルハッチ付き装甲だ。
岩に視線を向けると複数のレティクルが表示され、各所を次々とロックオンしていく。
「マルチロック、よし!吹っ飛べ!」
トリガーを引くと高圧ガスで飛ばされた無数のミサイルが数メートル進み、空中で推進剤に点火。拘束中の岩盤目がけて飛んでいく。
<ッドオオオオオン!>
岩盤は一瞬落ちかけたが、ミサイルが次々命中。粉微塵に砕け散った。
『岩盤の除去完了。』
「ヒヤヒヤしたな……全く。」
見ている間に網が光の粒子に包まれて消えた。
おそらくブリッツランスと同じ回収方法なのだろう。
額の汗を拭っていると、
『警告。先程の爆発で再度崩落発生。』
素直に逃げてりゃ良かった。
一際大きい岩がこちらへ転がってくる。
「っ!クラスターランチャー!」
『間に合いません。至急退避を。』
「出来るわけねぇだろ!怪我人がいるんだぞ!」
俺はアラクネの女性を振り返る。
「……逃げてください。」
「お前……何を言って。」
彼女は穏やかな表情で、自分を見捨てろと言う。
「私が邪魔なら、私を置いて逃げてください。」
「ふざけるな!折角助けたんだぞ!?折角生きているんだぞ!?何で見殺しにしろとか言うんだよ!」
彼女は首を振る。
「私は、貴方を縛る鎖にはなりたくありません。」
俺は、彼女を縛る鎖を断った。しかし彼女は、俺を縛る鎖になりたくないという。
睨み合う二人。と、その時。
「わ〜〜〜〜〜〜」
何か場違いな声を上げて小さい物が俺の側を通り抜けて行った。
「わ〜〜〜〜〜〜」
その小さい物は転がる岩の進路に立ちはだかると、
<ズン!>
岩を受け止め、地面に痕をつけながら後退し、
「とま……った?」
ピタリと静止した。
その岩を受け止めていたのは……。
「お前……あの時のホブゴブリンか?」
乗合馬車襲撃事件の時に異様に懐かれたあのホブゴブリンであった。
彼女は岩から手を離すと、とてとてとこちらへ走って抱きついてきた。
「あに〜。」
そのまますりすりごろごろ。俺もアラクネの女性もチャルニも唖然。普通潰されるだろ。
「おやぶ〜ん!どこ行ったんスか〜!」
「ですか〜」
「か〜」
ゴブリン3人娘も後からこちらへ駆けてきた。
「ありゃ、アニキはまだ帰ってなかったんスか……って誰ッスか?その人。」
帰ったときにはいなかった彼女をみてパチクリと目を瞬かせている。
「あ〜……」
俺は彼女を見る。彼女もどう言ったものか困っているようだ。
><恋人だ><
<怪我人だ>
<他人だ>
「コイツは俺の恋人だ」
「うぇ……?えええええええええええええ!?」
「え……え……?」
ゴブリンが驚愕し、アラクネの思考が停止する。
「……アル?」
<ズグシャ>
俺の腹から何かが突き出ている。赤い染みが広がっていく……あぁ、これは……俺の……血……か……。
―You are Die!!―
なんてことになるだろうな。
<怪我人だ>
><他人だ><
「他人だ。」
「そうなんスか。良かったッスね?おやびん。」
ホブゴブリンは嬉しそうにグリグリと額を押し付けてくる。
「そんな……他人だなんて……酷い!」
<グサッ>
ぶつかってくるアラクネ。腹に熱い衝撃と鈍い痛みが襲いかかり、何かが流れだしていく……。あぁ……これは……俺の……血……か……。
―You are Die!!―
これも怖いな。
「怪我人だよ。倒れていた所を助けたんだ。」
「ありゃ?アニキは医者だったんスか?」
「真似事程度だよ。あまり酷いと手の施しようがない。」
彼女も首肯して同意してくれている。
「それにしてもデカい岩ッスね〜……何があったんスか?」
ホブゴブリンによって止められた大岩を一瞥して訊いてくる。
「爆発の衝撃で落ちてきた。以上。」
「アニキ爆弾なんか持ってないじゃないスか。」
ウソは言ってないんだけどなぁ。
「とにかく助かったよ。恩に着る。」
「〜〜〜〜♪」
俺は抱きついているホブゴブリンの頭を撫でてやる。あれだけの怪力を持つにも関わらず、その感触は幼い少女のそれと同じ物だった。
「また……また幼女に出番を持って行かれた……」
ガックリうなだれるチャルニ。不憫すぎる。
時刻は夜9時頃。焚き火を囲んで俺達は休息を取っている。
大抵の奴は寝ているか、はぜる焚き火を見つめている。
ホブゴブリンのメイ(彼女達から教えてもらった。)は俺の膝の上で携帯食料をチマチマ齧っている。
チャルニは手に入れたリヴァイアスの牙にこびりついている土を丁寧に削りとっていた。
俺の視界に入る角が大きく揺れる。
「眠いか?」
メイが船を漕いでいた。俺はバックパックの中から毛布を取り出すと、彼女ごと俺に巻きつける。
「そのまま寝ちまえ。俺のことは気にしなくていいから。」
そう言ってやると、メイは俺の手を握って寝息を立て始めた。
「随分優しいね?そいつらアタシ達を襲撃したやつらなんだよ?」
チャルニが不満そうにこちらを睨みつけてくる。
「今は命の恩人だ。無碍に扱うことなんてできねぇよ。」
俺は空いている手でメイの頭を撫でている。
「そんなんだから……いっつも誰かが寄ってくるんだよ……」
何かをブツブツ言っていたが、よく聞き取れなかった。
「もういい、寝る。おやすみ。」
「あぁ、おやすみ。」
そして、起きているのは俺一人になった。
暗闇に聞こえるのは寝息と焚き火の音、谷を抜ける風が独特の甲高い音を奏でている。
「ふぁ……あ」
眠気覚ましに遠方を見ると、
「へぇ、綺麗だなこれは。」
谷に挟まれるようにして満月が浮かんでいる。
星が輝き、谷の間に見えるそれは星空の滝とでも言えそうな風景だった。
「……う〜……」
膝の間で身動ぎをするメイ。どうやら起こしてしまったようだ。
「起こしたか?悪かったな。」
彼女は俺の膝の上なので、自然と同じ場所を見ることになる。つまり……
「わぁ……」
俺が見ている星空の滝が、彼女も見えているということになる。
二人して静かにその光景を眺めていると、彼女が膝の上でモゾモゾと動き出した。
「ん?どうした?」
彼女は毛布の中でこちらに向き直ると、俺の顔を覗き込んでくる。
「あに〜?」
何か言いたげだ。
「どうした?」
彼女は背筋を少し伸ばした……ってまさか。
「ん……」
「……」
やはりキスされました。
「調子に乗るなっての」
姿勢を戻した彼女の頭に顎をグリグリと押し付けてやる。
「や〜♪」
それでも彼女は嬉しそうにじゃれついてくる。
「あにって事はお前は俺のことを兄貴とか言いたいってことか?」
「うんうん!」
どうやらそうらしい。俺は溜息をつく。
「やれやれ……つくづく俺は小さい女に好かれる体質らしい……。」
そう言えばゴブリン達も俺のことをアニキとか呼んでいたか。
「そういやお前、年齢はいくつなんだ?」
せめて年齢だけでもセーフな年代であって欲しい。
彼女は広げた掌を『片方だけ』突き出してきた。
「……そうか、50歳か。」
「ん〜〜〜〜!」
その唸りで俺の逃げ道を叩き潰さないで下さい。
「はぁぁぁぁぁ……あのさ、言っておくけどな?」
「ん〜〜?」
俺はあくまで一線を引いておく。無駄かもしれないけど。
「俺はお前に手を出すつもりは一切無いからな?絶対に押し倒したりするなよ?」
「?」
彼女は首をかしげてる。
「わからないならいいんだ。まだ夜は長いからな。早く寝ちまえ。」
彼女の頭を腕の中に押さえて頭を撫でていると、すぐに寝息が聞こえてきた。
「(やれやれ……こいつがまだ男女のなになにを知らなくて良かった……)」
もし知っていたらこのまま押し倒されて抵抗できなかっただろう。
……力的な意味でだぞ?理性的な意味でじゃないぞ?本当だぞ?
〜AM5:00〜
ようやく空が白み始めた。迫り来る睡魔と戦うこと数百回。やたら柔らかいメイの胸の感触の誘惑と戦うこと数十回。
「ふ……勝った。」
『何にですか。』
「もう動けるか?」
アラクネの女性に確認を取る。
「一応は。ゆっくりとならば歩けなくもないです。」
彼女の体調がよくなったのを確認すると、ゴブリン達の様子をみる。
「お前らは……」
「こらー!それあちしの干し肉〜!」
「あちしの〜」
「あ〜の」
自分達の持ち物の干し肉を取り合っていた。
「大丈夫そうだな。」
「アタシには聞いてくれないの?」
チャルニが後ろから抱きついてきた。当たってる当たってる。
「お前のことも気になっていたんだ。羽は大丈夫か?結構無理させちまったけど。」
落としテクじゃないぞ?本気で心配しているんだからな?
「大丈夫。あのぐらいなら何とも無いって♪」
「そりゃ良かった。」
全員の体調確認も終わった。後は街を目指すだけだ。
「よし、街へ戻るへぶっ!?」
街の方へ歩き出そうとしたら、思い切り木に鼻をぶつけてしまった。
「〜〜〜〜〜〜!!」
「……大丈夫?」
『寝不足による注意力の欠如が見られます。』
そりゃ寝てないしな。
『自動哨戒機能があったのですが何故使わなかったのですか?』
………………………………………………
「そんなもんあったのか?」
『肯定。不審者接近時は警報で通知が可能。倉庫作業時も使っていた筈ですが?』
「………………あ”」
そういやそんなもんもあった気がする。
「今度からは使わせてもらう事にするよ……(泣)」
「まぁ、頑張って。アル。」
そして、俺は寝不足の頭で街へと戻っていった。
〜織物職人の街 シルク〜
ゴブリン達とは街の外で別れた。あいつらもカタギの職に付きゃ堂々と街を歩けるだろうに。
「それじゃ、きちんと医者に見てもらえよ。」
街に着くと、彼女と別れる。どことなく寂しそうに見えるのは見間違いではないだろう。
「はい、お世話になりました……」
俺達は、背を向けて歩き始める。
「あの!」
呼び止められて歩みを止める。
「お名前……聞かせてもらってもいいですか?」
後ろ手に手を振りながら、俺は名乗る。
「アルテア。アルテア=ブレイナーだ。縛るのも縛られるのも好きじゃない、ただの冒険者だ。」
それは、自由の象徴。どこまででも歩いていける自由人の証。一人の冒険者の名前だった。
『マスターにはM気質があると思っていたのですが。』
その縛るじゃねぇよ。
〜モイライ冒険者ギルド支部 ロビー〜
俺は頭を抱えていた。精神的な頭痛によるものだ。ツインピークバレーの行方不明事件も解決し、役所には死体を引きとってもらい、あの街の事件は解決した。怪物は、俺が跡形もなく焼き尽くした事になっている。
アラクネの女性からは手紙が届いて、元気になった事が知らされた。パートナーもできたらしい。
チャルニから槍作りの手伝いを頼まれたが、さほど難しい事じゃなかったのであまり気にすることではない。
問題なのは……。
「まて〜!」
「キャハハハハ!」
「まて〜〜」
ギルドのロビーを走りまわるゴブリン三匹。
「あに〜♪」
椅子にすわっている俺に擦り寄って来るホブゴブリン一匹。
「おにいちゃん……またなの?」
「あんたもよくやるよね……。で、今度は誰に手を出したの?全員?」
「兄様に何人寄ってこようとも兄様はわしの物なのじゃ!」
好き勝手言っているロリっ子3人衆。
「おいチャルニ。このロリ三人衆+ゴブリン4匹はお前の手引きじゃないよな?」
ジト目+ダークオーラを放ちながらチャルニを睨んでやる。
俺のテンションが凄まじい勢いで急降下しているのが嫌でも自覚できるような気がする。
「そんな自分の首を締めるような事をする訳ないでしょうが……。」
彼女も向かい側の席で顔を覆っている。
「はぁ……所属ギルド変えようかな……。」
そんな事を本気で考えてしまう俺だった。
〜織物職人の街シルク ミーシャの家〜
「シチューができましたよ〜」
「あぁ、この服の仮縫いが終わったらそっち行くよ。」
ここはアルテアが助けたアラクネの家。
彼女はあの後、密かに思いを寄せていた男性に服をプレゼントしたらしい。
彼の方も実は彼女のことを想っていたのだった。
「おいしい?」
「あぁ、とっても。」
夜の静寂の中、夕飯を食べる二人。見つめ合うと、自然と笑みが溢れる。
「私、自分に臆病になっていたんだと思うんです。」
「どうしたんだい?いきなり。」
彼女が独白する。
アラクネの癖に気弱な自分に自信が持てなかったこと。
その自意識薄弱のせいで自分に魅力がないと思っていたこと。
「でも、誰かが私のことを綺麗だって言ってくれたんです。気弱なところも庇護欲をそそるって……」
「へぇ……よく君のことを見ているね。少し、妬けるかな。」
彼の言葉に慌てる彼女。
「わ、私は貴方一筋ですよ!?ただ、そういう事があったっていうだけで!」
「わかっているよ。でも、誰に言われたんだい?」
そう言われると、よく思い出せない。まるで、夢の中の出来事だったような……。
「わからないんです……名前どころかその人の顔すら思い出せなくて……。」
「そっか……。もし、僕がいなかったら君は彼の所に行っていたのかな……。」
また、彼女を困らせるような事をいう彼。
「そんな事ありませんって!」
「困ってる困ってる。可愛いな、君は。」
「もう……。」
顔を赤くしてむくれる。こういう仕草が彼を喜ばせているのだが、まだ彼女はそれに気づかない。これから先も気付くことはないだろう。
「でも名前も顔もわからないんですけど、彼には感謝しているんですよ。」
どことも言うわけでもなく、彼女は見上げる。
「あの人がいたから、今の私がいる。彼が私を縛る糸を断ち切ってくれたから、私は前に進めたんです。」
『羨ましい……』
声が聞こえる。いつものように、何も無い空間。暗い空間。
『男の人に声をかけようとした……気付かれて、モタモタしていたら逃げられた。慌てて後を追ったらその人とマンティスが交わっていた……』
浮かんだ景色には背中を向けて逃げていく男の姿。
後を追った先に男に覆いかぶさるマンティス。
『他の人に声をかけようとした……別のアラクネにその人を先に持って行かれてしまった。』
次の景色は、糸でぐるぐる巻きにされた男を連れて行くアラクネの姿。
『なんとか男の人と話すことが出来た……目を離した隙にやっぱり他のアラクネに持って行かれた……。』
誰もいない光景が映る。景色が少し歪んでいた。
『歩いていた人に服を渡そうとしてみた……気付かれずに通りすぎてしまった……。』
男が歩いて行く。自分の手には、白い服が乗っていた。
『他のアラクネ達が男の人と楽しそうに話しているのを見た……羨ましかった。』
楽しそうに話している男とアラクネ。
『誕生日……私の家には、誰もいなかった。知り合いのアラクネは今日デートらしい。』
誰もいない部屋が映し出される。
『勇気を出して男の人を誘惑してみる。大胆な服を着て、精一杯アピールした。』
『でもその人にはもうメデューサのパートナーがいた。男の人は石にされて引っ張られて行ってしまった。』
石になった男を引っ張るメデューサが見える。
『もっと勇気を出して、男の子を押し倒してみる。泣かれてしまって、慌てたら逃げ出してしまった。』
走り去る男の子。視界は若干うつむき気味だ。
『羨ましい……パートナーがいる子が羨ましい……妬ましい……』
ビシビシとひび割れる空間。色褪せる景色。
『そうだ……奪ってしまおう……手に入らないなら……取ってしまおう……』
『ソシテ、ゼンブヲワタシガテニイレテ、ミンナウバッテ、ウバッテ、ウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテウバッテ』
『そして、周りには誰もいなくなる。お前に奪われたくないからな。』
景色がガラリと入れ替わる。ここは、目の前のアラクネの家なのだろう。
『デモ、ソウシナイトワタシハナニモテニイレラレナイカラ……』
『そうか?お前は奪われた奴の気持ちがわからないのか?わからないわけないよな?』
『……。』
俺は言葉を続ける。
『お前は現に何回か目の前の男を奪われている。でもな、それはお前の行動が遅かったがゆえに起こった。』
『努力をした?あれは努力じゃない。ヤケだ。勝負をしたいならありのままの自分をさらけ出せばいいし、抵抗力の低い子供を襲う必要もない。』
『ワタシハ……』
『お前、どうせ自分なんかとか思ってるだろ。自分自身の姿を鏡で見たことあるか?』
俺はイメージする。目の前の全てを映し出す。鏡の存在を。
すると、目の前に姿見が現れた。
『これが、お前だ。綺麗なもんだろ?』
彼女に姿見を見せる。蜘蛛の足が恐怖を誘うが、その上半身は美人と言っても差支えがないほど美しかった。
『もっと自信を持ってみろよ。押しが弱いと思うならその押しの弱さを武器にしてもいいんじゃないか?気弱な美人ってのも結構モテそうだぜ?庇護欲をそそってさ。』
彼女はうつむいている。
『ナラ……』
『ん?』
彼女が顔を上げる。目が、赤く光っていた。
『ナラ、アナタハワタシヲダキシメラレル?』
『そんなもん決まってるだろ。』
俺は彼女に歩み寄り、思い切り抱きしめた。
『こんな放っておくだけで折れそうな奴を、抱きしめられない訳がないだろ……。』
『ア……』
彼女の瞳から、一粒の涙が零れ落ちる。
『もう自分を貶すな。もう自分に縛られるな。お前は、もっと自由に生きてもいいはずだ。』
俺は彼女をさらに強く抱きしめた。
『もし、それでも自分を縛る鎖を付けるというのなら……俺がその鎖を断ち切ってやる。』
『あ……あぁぁ……うぅぅぅぅ』
彼女は俺の肩に顔を押し付けると、涙を流し始めた。
心の鎖に縛られない、自由を噛み締めながら。
『臭かったですよ……セリフ。』
『言うなよ……自覚しているんだから。』
泣き止んだ彼女は、何か汚い物でも見るように俺を見てくる。
『その口先で一体何人の女性を落としてきたんですか?』
数えてません。
『口が上手すぎて……落とされる私のほうが恥ずかしくなってくるじゃないですかぁ……』
真っ赤になって顔を胸に押し付けてくる彼女。
俺の肩を力なく拳でぽすぽすと叩いてくる。
『ときめいちゃった?』
いたずらっぽく言う俺。俺ってこんなに軽かったっけな。
『心臓がドキドキしっぱなしですよ……こんなの初めてで……』
顔が真っ赤だ。余程こういうことに耐性がないらしい。
『少しは経験を積めば改善されるんじゃないか?たとえばさ……』
元々顔との距離は近かったので、キスをしてやる。
彼女は口を離してからも暫くはキョトンとしている。
やがて何が起きたか把握できたのか、ボンッという音が聞こえそうなほど赤面した。
『あわ……あわわ……いま、今の、今の』
『キスだな。もう一回するか?』
彼女がブンブン首を振るが、
『ほれ。』
頭を押さえてキス。
『%#$0@j!b?%!?!?!?!?』
もはや何を言っているのかすらわからない。
『ほら、そんなんじゃ何時まで経っても慣れないぞ?』
『でもだってほら私達恋人同士でもないし初めて会ったばかりだし私だってなにがなんだかわからなむぐぅ!?』
煩かったのでもう一度口を口で塞ぐ。抵抗できないようグダグダにするため舌で口の中も撫で回してやることにした。
『んぅ!?ん〜〜〜〜!?……ん』
しばらくジタバタしていたが、頭の中が蕩けてきたのか抵抗が少なくなる。
『んむ……チュ……はむ……』
おずおずとだが、舌を絡めてきた。その舌を優しく舐めまわしてやる。
『れる……あむ……れろ……』
舌を絡ませ、唾液を交換し、口内を舐めまわしていると、背中をタップされる。
『ぷは……苦しいですよぉ……』
半ば涙目だ。その綺麗な姿と気弱な性格が合わさってこの上ない魅力となる。
『少しは慣れたか?』
『慣れません……けど嫌じゃないです。』
それを世間一般では慣れたと言うんじゃないのか?
『で、どうする?これ以上のこともしてみたいか?』
『うぇ!?えと……えと……』
彼女は狼狽えている。まぁ俺が狼狽えさせたのだけれども。
『ま、今は早いか。もう少しこうして抱き合っているだけでも……。』
と、そこで視界が回転した。押し倒されたのだと言う事に気づいたのは彼女が上から眺めてきたからだ。
『私だって……魔物なんですよ?これだけ無防備な人がいたら食べちゃうんですから……』
『でだ、俺はなんで糸で簀巻きにされているんだ?』
押し倒された俺は、彼女の糸で簀巻きにされていた。彼女が器用に8本の足で俺を簀巻きにしていく手際は、なかなか見事だったと付け加えておく。
『だって、動いたら怖いじゃないですか。これなら……』
そう言うと、彼女は俺にのしかかって来た。ちなみに下半身の方でだ。
『変に手出しできませんし、私も恥ずかしくありませんから♪』
彼女は俺の股間の部分の糸をずらすと、ジーンズのチャックを下ろし、トランクスから俺のモノを取り出した。それは何故か、既にいきり立っていた。
『わ……もうこんなに大きくなってますよ?縛られて興奮したんですか?』
グリグリと手でモノを弄り回される。しかし、
『(本当に経験が無いんだな……さほどキツくはないか)』
まだまだ余裕があったので、どこか反撃できそうな場所を探す。
『(ん……?)』
蜘蛛の腹の先端に突起のようなものがある。手は拘束されているため、舌でそれを突付く。
『きゃ!?どこを舐めて……・』
舐めまわしていると、糸が舌に絡みついてしまった。
『そこは……舐めるとことじゃ……ひぅ!?』
それでもまだ舐める。口の中が糸でいっぱいになってしまった。
『ん〜……』
それが歯やら舌やらそこかしこに引っかかり、口が開けられなくなる。アホか俺は。
『くす……♪口が開かなくなっちゃったんですかぁ?』
今度は口周りと目をぐるぐる巻きにされた。
『貴方はおとなしくしていてくださいね?これは私の『食事』なんですから。』
余裕が出てきたのかアラクネ本来のSっぽさが垣間見える。
……なんだかゾクゾクするんだが。
『さぁ……食べちゃいますからね……ん……』
見ることは出来ないが、彼女の秘部が息子に触れるのがわかる。
彼女は手でモノを支えると、そのまま腰を落としてきた。
『んはぁ……♪これが男の人の……♪』
膣内は柔らかく、特に抵抗もなく俺を飲み込んでいく。
『ふふ……♪処女じゃなくて残念ですか?』
そう言うと彼女は腰を動かしてきた。しかし、やはりどこか動きがぎこちない気がする。
『寂しくて……ん……自分で鎮めているうちに破っちゃっていたんですよ……♪』
しかし、俺は口が開けないので何も言い返すことができない。
もがいてみても糸は頑丈で引きちぎることはできないようだ。
『動きたいですか?見たいですか?』
挑発するように囁きかけてくる。
『でも駄目ですよ♪音と感触だけで楽しんでくださいね♪』
その時、図鑑の一節を思い出す。抵抗すればするほど、彼女達は燃えると。
ならば、「誘い受け」だ。俺は形だけでも抵抗の意思を見せるため、グネグネともがき始めた。
傍から見たら蚕か何かが蠢いているように見えただろう。
『ほらぁ……暴れちゃだめですよ?貴方は私の餌なんですから……』
一層強く抑えつけて腰を振り立てる彼女。掛かった。
『こうやって……っ。いっぱいぐちゅぐちゅしてあげますからね〜……♪』
卑猥な水音が聞こえ、しかし何も見えず身動きも取れない。倒錯的な状況にどんどん追い詰められる。俺ってM気質もあったのか……。
『ん……おちんちんがピクピクしてきましたよ?出そうなんですか?』
聞こえて来る水音とか、優しくもいじめるように囁く彼女の声とか、動きたいのに動けない体とか、見たいのに見れないもどかしさとか。そんな物がないまぜになって、我慢の限界があっという間に来てしまった。
『いいですよ〜?私の中でぴゅーって出してくださいね〜……♪』
しかし、彼女の腰使いは逆にゆっくりとなり、刺激が鈍くなってしまった。
『ほらぁ……頑張って出してください?中で出しても構いませんからぁ……』
何時までも焦らすようにゆっくりと刺激を続ける彼女。口を塞がれて何も言えず、ねだることも出来ない俺。自分で突き上げようにも身動きできない体。
『苦しそうにピクピクしてぇ……そんなにイきたいんですか?』
ようやくYESかNOかで答えられる質問をしてくれる彼女。俺は迷わず首を縦に振っていた。
『あはぁ……♪それじゃあイかせてあげますね?』
そう言うと、彼女はズルズルとモノを引き抜いていく。俺焦る。
『ん〜……えい♪』
と、中を締めながら一気に腰を落とされた。
中をかき分けて進む亀頭と、ねっとり絡み着いて来る膣壁と、亀頭にぶつかる子宮口の感触で、俺は抵抗することもできずにイってしまった。
焦らしに焦らされた怒張は、大量の精を彼女の中に吐き出していく。
『は〜い、上手に射精できましたねぇ♪えらいえらい♪』
彼女は俺を抱きしめて俺の顔に胸を押し付け、頭を撫でてくる。
優しい言葉と意地悪な言葉攻めのギャップがクセになりそうだった。
『あの……すみませんでしたっ!』
『あははは……気にするな。あれがアラクネの習性なんだから……』
行為の後、糸を解かれた俺は彼女に物凄い勢いで謝られていた。
『なんだか貴方を縛って触っているうちに楽しくなってきてしまって……本当にごめんなさい……』
この謝罪が彼女を縛り付けるのだろうな。
『はいストップ。これから謝るの禁止。』
『え……でも、』
『でもも無しだ。君は愉しむことが出来た。俺は気持ちが良かった。ここで言うべきことは何だ?』
彼女に、呪縛を解く言葉を気付かせる。至極簡単なことなのだ。
『えと……はい。ありがとうございました。』
にっこりと笑って、彼女が礼を言う。
『あぁ、俺からも有難う。それと、笑っている方が綺麗だし可愛いぜ?』
彼女はやはり真っ赤になってしまった。
『あぅ……卑怯です、それ。』
光が強くなってきた。
『これは……何が起きているんですか?』
『もうすぐ目が覚めるって事だな。いいか、忘れるなよ?』
俺は彼女に最後の言葉を言い渡す。
『お前は自分が思っている以上に魅力的な女性なんだ。自信を持って、前に進め。お前に迫られて、拒む男はいない。ただ、人の物を盗るのはやめような?』
彼女の肩に手をかけ、笑いかける。
『……はい。……はい!』
最後に見た彼女の表情は、曇り一つ無い笑顔だった。
「っがぁ!?……っつぅ……。」
現実世界へ戻り、頭痛に顔を顰める。しかし、痛い頭とは裏腹に頭の後ろから伝わってくる感触は柔らかい物だった。
「気がついた……?」
目を開けると、空にはチャルニの顔が。頬には涙の後が付いている。
止血のつもりか、太腿には手ぬぐいがきつく巻きつけられていた。
「アル……いきなり叫んで倒れてさ。怖かったよ、死んじゃうんじゃないかって。アタシを一人にしちゃうんじゃないかってさ。」
まさかあの空間でアラクネとイチャついていたなんて言えるはずがない。
「倒れている暇はない……すぐに始まるぞ。」
「始まるって……何が?」
巨大蜘蛛の体が縮み、アラクネの形を取っていく。
「うそ……魔物だったの?」
彼女が真っ青になっている。が、俺には大事にならないという確信があった。
「今回はまだ余裕があるさ。」
倒れているアラクネに近づく。人間の方の腹には破けた後があったが、極小さい物だった。
「クリーチャー状態の時に体が大きかったのが幸いしたんだろうな。これなら俺だけで処置できる。」
『肯定。パラケルスス、アポロニウス、ADフィールド展開。』
右手には傷を癒す科学の篭手が、頭上には命を照らす太陽の子が。そして、周囲の不浄を吹き散らす大気のカーテンが辺りを包み込む。
『スキャン完了。全身に軽度の打撲。筋繊維断絶無し。腹部大動脈に亀裂無し。内蔵壁に亀裂なし。腹部裂傷の消毒と縫合を行いましょう。不安ならば再生ナノの注入も提案します。』
「いや、ナノはいらないだろう。洗浄と縫合だけ行うぞ。」
『了解。』
洗浄液を掌から噴射。傷口を洗い、汚れを洗い流す。
「体が頑丈だったのもいい方向に働いたな。あの高さから落ちて内臓破裂も無いってことは幸運意外の何物でもない。」
傷口を縫い合わせ、ダーマを張れば術式完了だ。
『まだです。次はマスターの負傷を治療しなければなりません。』
「そうだな……やるか。」
俺は止血していた手ぬぐいを解いてジーンズを脱ぎ、傷口を露出させる。
「これは酷いな……」
傷は意外と深く、傷口周りの肉は溶けかけている。
「溶解液か。俺の方を先に処置したほうが良かったかな。」
『溶解速度はさほど早くはありません。まずは創傷部の洗浄をしましょう。』
掌から洗浄液を出し、傷口を洗い流す。しみるが、無視。
『洗浄完了。再生ナノを塗布し、ダーマを貼りつければ術式完了です。』
親指を患部に向け、ナノマシンを霧状に飛ばして塗布。傷口を寄せて縫合する。
『処置完了。落石警戒のため、この場からの退避を推奨します。』
「よし、ここでの処置は終了だ。とりあえず安全な場所までこいつを運ぶぞ。」
背中側に左腕を差し入れ、蜘蛛の腹の下部分に右腕を差し入れて、持ち上げる。
「ぐ……!こ、こいつ無茶苦茶重いぞ!人間の体重じゃねぇ!」
『彼女は人間ではありません。』
そういやそうだった。
「おいチャルニ!手伝ってくれ!」
彼女に助け舟を求める、が。
「……」
「お〜い!ボサっとしてないで手伝ってくれ!」
どうにも上の空だ。
「あ、あぁごめん。」
彼女も同じように手を差し入れると、二人で持ち上げて森の外縁部まで運んだ。
持ってきた携帯食料を二人で齧る。アラクネの女性はまだ目を覚まさない。
『危機的状況を脱したため報告。
今回のエクセルシア回収により一部機能の回復。
オクスタンライフルの出力が若干回復しました。現在出力は50%程度です。
支援砲撃兵器<マイクロミサイル>リンク回復。充填速度に障害発生中。24発/dayです。
火器管制システムが一部復旧されました。兵装の2種同時展開が可能です。
報告を終わります。』
障害復旧も順調に進んでいるようだ。自己修復機能にエクセルシアが干渉しているのか、取り入れるたびに修復速度が上がっていく。
「ねぇ。」
不意にチャルニが話しかけてきた。
どこか思いつめたような表情をしている。
「この子ってさ、さっきの蜘蛛の状態の時に取り出したアレの所為でバケモノになってたんだよね?」
「そうだな。」
そりゃ薄々とは気付くだろう。
「この子、元に戻ったらお腹が裂けていたよね……。」
「あぁ。」
「……もしかしてさ、アタシもこんな風になっていたの?」
沈黙。静寂が肌に痛い。
「……そっか。ごめんね、アル。」
「何を謝っているんだ。」
彼女は、自分が覚えていない時に俺を傷つけたことを後悔しているのだろうか。
「この人がこうなったってことはさ、アタシもアルの事を……」
「言うな。」
それ以上は言わせたくない。
「でも……」
「言うな!」
「っ!」
俺は強く遮る。突き詰めて言えば、俺の世界が原因なのだ。彼女は悪くない。
「あの物質……取り出した奴はな、俺の世界から飛んできたんだ。」
「……何を言っているの?」
「俺は……この世界の人間じゃない。」
風の音しか聞こえない。鳥はおろか、虫すらも息を潜めている気がした。
「俺達の世界からな、特に力の強いあの物質……エクセルシアって言うんだけどな。それがこの世界へ飛ばされちまったんだ。俺はその回収員。」
事実は、隠すことが出来ない。ここまで気づいたら隠す方が彼女を傷つける。
「だから、お前がクリーチャー化したのは最終的に俺達の責任なんだ。だから、お前が謝る必要はないし、気に病む必要はない。むしろ、謝らなきゃならないのは俺達の方なんだ。」
俺は、拳を握りしめる。握っていた携帯食料が粉々になった。
「だから、ゴメン。俺達がお前らを巻き込んでしまった。こんな辛い事態に巻き込んで、傷つけてしまった。」
彼女は、何も言わない。
暫くすると、彼女が痺れを切らして言い放つ。
「謝らないで……謝らないでよ。」
彼女の答えは、拒絶だった。
「アル達の世界が面倒事を持ち込んだとしても、そんなの関係ない。」
毅然として、彼女は俺に言う。関係ないと言い放つ。
「もし、そのエクセルシアっていうのがこの世界に来なかったら。アタシは自分で自分の命を絶っていたと思う。アルとも、会えなかったと思う。だから、謝らないで。」
彼女は、俺達の世界を赦すと言う。ただ、俺に逢えたからと。
「謝られたら、アルがアタシに逢って申し訳なく思っているみたいに聞こえるじゃない……。」
「そうだな、ごめん。いや、ありがとう。俺たちを赦してくれて。」
だから、俺が言うべきは謝罪ではない。それは、感謝だった。
「でもさ、アタシが怪我している時……というか怪我をして目が覚める前さ。」
マズい。
「言うな。」
「アタシ、アルと何かしていた様な気がするのよねぇ……。」
「言うな……!」
それ以上は言わせたくない。俺の生命の危機的な意味で。
「……ねぇ、今回も何かしてたの?」
「……黙秘権を行使する。」
口を閉じる俺。ジト目で見てくるチャルニ。
「何していたのかな〜?ウリウリ♪」
頬を指でツンツンつつかれる。
「しゃべらないと今度ギルドのロビーでロリっ子3人衆にフィーさんとミリアさん勢揃いさせてアルを弄るよ?」
卑怯だ。
結局俺は、何があったのかを話す羽目になった。嫉妬に燃えた彼女が後ろから俺の頭をグリグリと拳で押しつぶしてきたのは、流石に堪えた。
「……ん……あれ……?」
アラクネの女性が目を覚ましたのは、夕方近くになっての事だった。
俺達は彼女が目を覚ますまでの間、目に付かないように落ちていた死体を隠した。
街まで帰ったら役所に死体を隠した場所を教えようと思う。
「気がついたか?」
「私は一体……いつ……」
顔をしかめて身を捩らせる。そういやかなり高い場所から叩き落としたんだっけ。
「暫くは大人しくしていろ。傷に響くぞ。」
起こした焚き火に薪をくべながら言う。
「あの、貴方達は?」
起き抜けで混乱しているのだろう。質問しかして来ない。
「この付近に採掘に来た、ただの冒険者だ。腹に怪我をしているあんたを治療して、休ませるためにここでキャンプを張った所だ。」
「(うわ〜……誤魔化すのに手馴れているねぇ……)」
うるせぇ。
「私は……今まで何を?」
「知らん。俺はここで倒れていたお前さんを助けただけだ。」
彼女は何も知る必要はない。知らなくていいならそれに越したことはない。
これは、俺達が持ち込んだ問題だ。
「今日はここで野宿だ。街に帰るのは明日になるだろうな。」
彼女が何をしていたかという話題を打ち切るため、これからの事を話す。
「食料は携帯食料があるから問題ないだろう。大して美味いわけじゃないが、腹は膨れるはずだ。水もそれなりにある。」
携帯食料の紙包みと水の瓶を取り出して並べる。
「夜の見張りは俺とコイツが交代でやる。お前はしっかりと寝ていろ。」
親指で隣のチャルニを指差す……が、
「幼女三人(ボソ)」
「と、思ったが夜の見張りは俺一人でやる。やっぱチャルも寝てろ。」
泣きたい。
話し合いも終わり、各自が寛いでいたその時、突如地響きが轟く。
「今度は何だ!?」
『警告、先程のジャベリンの直撃で脆くなった岩盤が崩れた模様。至急この場から退避を。』
俺はアラクネの女性を引っ張り上げようとするが、
「っ……!」
顔を顰めて身をこわばらせる。
おそらく打撲により全身に激痛が走っているのだろう。
「こりゃ動けそうもないな……何か崩落を止める物は無いか!?」
『新規E-Weapon<バインディングネット>が該当。剛性の高い拘束網で崩落の軽減が可能。バインディングネットを展開します。』
先端が開き、出てきたのは大口径の砲身。丁度アンカーバルーンの砲身に似たものだ。
『散開ポイントは着弾地点。射出強度はこちらで調整します。』
「危険な橋には慣れているが……なっ!」
トリガーを引くと、放物線を描いてミサイルのようなものが飛んでいく。そのミサイルが壁面に着弾すると、蜘蛛の巣状の赤いネットが飛び出し、崩落する岩盤を受け止めた。
『バインディングネットは非常に剛性の高い捕縛網で出来ていますが、岩盤を放置し留めておく事は推奨できません。』
「放っておけばまた落ちてくるって事か……どうするんだ?」
ウィンドウが開いて俺の全身に肩と大腿部に追加装甲が取り付けられた物が表示される。
『マイクロミサイルで破砕を推奨します。』
「オーケー、どの道ここで夜を明かすんだ。もう一度の崩落に怯えるぐらいなら壊して安全確保だ!」
『了解。マイクロミサイル展開』
俺の肩と大腿部に黒色の追加装甲が光の粒子を纏って展開される。
両肩両脚に3門ずつ、計12発のミサイルハッチ付き装甲だ。
岩に視線を向けると複数のレティクルが表示され、各所を次々とロックオンしていく。
「マルチロック、よし!吹っ飛べ!」
トリガーを引くと高圧ガスで飛ばされた無数のミサイルが数メートル進み、空中で推進剤に点火。拘束中の岩盤目がけて飛んでいく。
<ッドオオオオオン!>
岩盤は一瞬落ちかけたが、ミサイルが次々命中。粉微塵に砕け散った。
『岩盤の除去完了。』
「ヒヤヒヤしたな……全く。」
見ている間に網が光の粒子に包まれて消えた。
おそらくブリッツランスと同じ回収方法なのだろう。
額の汗を拭っていると、
『警告。先程の爆発で再度崩落発生。』
素直に逃げてりゃ良かった。
一際大きい岩がこちらへ転がってくる。
「っ!クラスターランチャー!」
『間に合いません。至急退避を。』
「出来るわけねぇだろ!怪我人がいるんだぞ!」
俺はアラクネの女性を振り返る。
「……逃げてください。」
「お前……何を言って。」
彼女は穏やかな表情で、自分を見捨てろと言う。
「私が邪魔なら、私を置いて逃げてください。」
「ふざけるな!折角助けたんだぞ!?折角生きているんだぞ!?何で見殺しにしろとか言うんだよ!」
彼女は首を振る。
「私は、貴方を縛る鎖にはなりたくありません。」
俺は、彼女を縛る鎖を断った。しかし彼女は、俺を縛る鎖になりたくないという。
睨み合う二人。と、その時。
「わ〜〜〜〜〜〜」
何か場違いな声を上げて小さい物が俺の側を通り抜けて行った。
「わ〜〜〜〜〜〜」
その小さい物は転がる岩の進路に立ちはだかると、
<ズン!>
岩を受け止め、地面に痕をつけながら後退し、
「とま……った?」
ピタリと静止した。
その岩を受け止めていたのは……。
「お前……あの時のホブゴブリンか?」
乗合馬車襲撃事件の時に異様に懐かれたあのホブゴブリンであった。
彼女は岩から手を離すと、とてとてとこちらへ走って抱きついてきた。
「あに〜。」
そのまますりすりごろごろ。俺もアラクネの女性もチャルニも唖然。普通潰されるだろ。
「おやぶ〜ん!どこ行ったんスか〜!」
「ですか〜」
「か〜」
ゴブリン3人娘も後からこちらへ駆けてきた。
「ありゃ、アニキはまだ帰ってなかったんスか……って誰ッスか?その人。」
帰ったときにはいなかった彼女をみてパチクリと目を瞬かせている。
「あ〜……」
俺は彼女を見る。彼女もどう言ったものか困っているようだ。
><恋人だ><
<怪我人だ>
<他人だ>
「コイツは俺の恋人だ」
「うぇ……?えええええええええええええ!?」
「え……え……?」
ゴブリンが驚愕し、アラクネの思考が停止する。
「……アル?」
<ズグシャ>
俺の腹から何かが突き出ている。赤い染みが広がっていく……あぁ、これは……俺の……血……か……。
―You are Die!!―
なんてことになるだろうな。
<怪我人だ>
><他人だ><
「他人だ。」
「そうなんスか。良かったッスね?おやびん。」
ホブゴブリンは嬉しそうにグリグリと額を押し付けてくる。
「そんな……他人だなんて……酷い!」
<グサッ>
ぶつかってくるアラクネ。腹に熱い衝撃と鈍い痛みが襲いかかり、何かが流れだしていく……。あぁ……これは……俺の……血……か……。
―You are Die!!―
これも怖いな。
「怪我人だよ。倒れていた所を助けたんだ。」
「ありゃ?アニキは医者だったんスか?」
「真似事程度だよ。あまり酷いと手の施しようがない。」
彼女も首肯して同意してくれている。
「それにしてもデカい岩ッスね〜……何があったんスか?」
ホブゴブリンによって止められた大岩を一瞥して訊いてくる。
「爆発の衝撃で落ちてきた。以上。」
「アニキ爆弾なんか持ってないじゃないスか。」
ウソは言ってないんだけどなぁ。
「とにかく助かったよ。恩に着る。」
「〜〜〜〜♪」
俺は抱きついているホブゴブリンの頭を撫でてやる。あれだけの怪力を持つにも関わらず、その感触は幼い少女のそれと同じ物だった。
「また……また幼女に出番を持って行かれた……」
ガックリうなだれるチャルニ。不憫すぎる。
時刻は夜9時頃。焚き火を囲んで俺達は休息を取っている。
大抵の奴は寝ているか、はぜる焚き火を見つめている。
ホブゴブリンのメイ(彼女達から教えてもらった。)は俺の膝の上で携帯食料をチマチマ齧っている。
チャルニは手に入れたリヴァイアスの牙にこびりついている土を丁寧に削りとっていた。
俺の視界に入る角が大きく揺れる。
「眠いか?」
メイが船を漕いでいた。俺はバックパックの中から毛布を取り出すと、彼女ごと俺に巻きつける。
「そのまま寝ちまえ。俺のことは気にしなくていいから。」
そう言ってやると、メイは俺の手を握って寝息を立て始めた。
「随分優しいね?そいつらアタシ達を襲撃したやつらなんだよ?」
チャルニが不満そうにこちらを睨みつけてくる。
「今は命の恩人だ。無碍に扱うことなんてできねぇよ。」
俺は空いている手でメイの頭を撫でている。
「そんなんだから……いっつも誰かが寄ってくるんだよ……」
何かをブツブツ言っていたが、よく聞き取れなかった。
「もういい、寝る。おやすみ。」
「あぁ、おやすみ。」
そして、起きているのは俺一人になった。
暗闇に聞こえるのは寝息と焚き火の音、谷を抜ける風が独特の甲高い音を奏でている。
「ふぁ……あ」
眠気覚ましに遠方を見ると、
「へぇ、綺麗だなこれは。」
谷に挟まれるようにして満月が浮かんでいる。
星が輝き、谷の間に見えるそれは星空の滝とでも言えそうな風景だった。
「……う〜……」
膝の間で身動ぎをするメイ。どうやら起こしてしまったようだ。
「起こしたか?悪かったな。」
彼女は俺の膝の上なので、自然と同じ場所を見ることになる。つまり……
「わぁ……」
俺が見ている星空の滝が、彼女も見えているということになる。
二人して静かにその光景を眺めていると、彼女が膝の上でモゾモゾと動き出した。
「ん?どうした?」
彼女は毛布の中でこちらに向き直ると、俺の顔を覗き込んでくる。
「あに〜?」
何か言いたげだ。
「どうした?」
彼女は背筋を少し伸ばした……ってまさか。
「ん……」
「……」
やはりキスされました。
「調子に乗るなっての」
姿勢を戻した彼女の頭に顎をグリグリと押し付けてやる。
「や〜♪」
それでも彼女は嬉しそうにじゃれついてくる。
「あにって事はお前は俺のことを兄貴とか言いたいってことか?」
「うんうん!」
どうやらそうらしい。俺は溜息をつく。
「やれやれ……つくづく俺は小さい女に好かれる体質らしい……。」
そう言えばゴブリン達も俺のことをアニキとか呼んでいたか。
「そういやお前、年齢はいくつなんだ?」
せめて年齢だけでもセーフな年代であって欲しい。
彼女は広げた掌を『片方だけ』突き出してきた。
「……そうか、50歳か。」
「ん〜〜〜〜!」
その唸りで俺の逃げ道を叩き潰さないで下さい。
「はぁぁぁぁぁ……あのさ、言っておくけどな?」
「ん〜〜?」
俺はあくまで一線を引いておく。無駄かもしれないけど。
「俺はお前に手を出すつもりは一切無いからな?絶対に押し倒したりするなよ?」
「?」
彼女は首をかしげてる。
「わからないならいいんだ。まだ夜は長いからな。早く寝ちまえ。」
彼女の頭を腕の中に押さえて頭を撫でていると、すぐに寝息が聞こえてきた。
「(やれやれ……こいつがまだ男女のなになにを知らなくて良かった……)」
もし知っていたらこのまま押し倒されて抵抗できなかっただろう。
……力的な意味でだぞ?理性的な意味でじゃないぞ?本当だぞ?
〜AM5:00〜
ようやく空が白み始めた。迫り来る睡魔と戦うこと数百回。やたら柔らかいメイの胸の感触の誘惑と戦うこと数十回。
「ふ……勝った。」
『何にですか。』
「もう動けるか?」
アラクネの女性に確認を取る。
「一応は。ゆっくりとならば歩けなくもないです。」
彼女の体調がよくなったのを確認すると、ゴブリン達の様子をみる。
「お前らは……」
「こらー!それあちしの干し肉〜!」
「あちしの〜」
「あ〜の」
自分達の持ち物の干し肉を取り合っていた。
「大丈夫そうだな。」
「アタシには聞いてくれないの?」
チャルニが後ろから抱きついてきた。当たってる当たってる。
「お前のことも気になっていたんだ。羽は大丈夫か?結構無理させちまったけど。」
落としテクじゃないぞ?本気で心配しているんだからな?
「大丈夫。あのぐらいなら何とも無いって♪」
「そりゃ良かった。」
全員の体調確認も終わった。後は街を目指すだけだ。
「よし、街へ戻るへぶっ!?」
街の方へ歩き出そうとしたら、思い切り木に鼻をぶつけてしまった。
「〜〜〜〜〜〜!!」
「……大丈夫?」
『寝不足による注意力の欠如が見られます。』
そりゃ寝てないしな。
『自動哨戒機能があったのですが何故使わなかったのですか?』
………………………………………………
「そんなもんあったのか?」
『肯定。不審者接近時は警報で通知が可能。倉庫作業時も使っていた筈ですが?』
「………………あ”」
そういやそんなもんもあった気がする。
「今度からは使わせてもらう事にするよ……(泣)」
「まぁ、頑張って。アル。」
そして、俺は寝不足の頭で街へと戻っていった。
〜織物職人の街 シルク〜
ゴブリン達とは街の外で別れた。あいつらもカタギの職に付きゃ堂々と街を歩けるだろうに。
「それじゃ、きちんと医者に見てもらえよ。」
街に着くと、彼女と別れる。どことなく寂しそうに見えるのは見間違いではないだろう。
「はい、お世話になりました……」
俺達は、背を向けて歩き始める。
「あの!」
呼び止められて歩みを止める。
「お名前……聞かせてもらってもいいですか?」
後ろ手に手を振りながら、俺は名乗る。
「アルテア。アルテア=ブレイナーだ。縛るのも縛られるのも好きじゃない、ただの冒険者だ。」
それは、自由の象徴。どこまででも歩いていける自由人の証。一人の冒険者の名前だった。
『マスターにはM気質があると思っていたのですが。』
その縛るじゃねぇよ。
〜モイライ冒険者ギルド支部 ロビー〜
俺は頭を抱えていた。精神的な頭痛によるものだ。ツインピークバレーの行方不明事件も解決し、役所には死体を引きとってもらい、あの街の事件は解決した。怪物は、俺が跡形もなく焼き尽くした事になっている。
アラクネの女性からは手紙が届いて、元気になった事が知らされた。パートナーもできたらしい。
チャルニから槍作りの手伝いを頼まれたが、さほど難しい事じゃなかったのであまり気にすることではない。
問題なのは……。
「まて〜!」
「キャハハハハ!」
「まて〜〜」
ギルドのロビーを走りまわるゴブリン三匹。
「あに〜♪」
椅子にすわっている俺に擦り寄って来るホブゴブリン一匹。
「おにいちゃん……またなの?」
「あんたもよくやるよね……。で、今度は誰に手を出したの?全員?」
「兄様に何人寄ってこようとも兄様はわしの物なのじゃ!」
好き勝手言っているロリっ子3人衆。
「おいチャルニ。このロリ三人衆+ゴブリン4匹はお前の手引きじゃないよな?」
ジト目+ダークオーラを放ちながらチャルニを睨んでやる。
俺のテンションが凄まじい勢いで急降下しているのが嫌でも自覚できるような気がする。
「そんな自分の首を締めるような事をする訳ないでしょうが……。」
彼女も向かい側の席で顔を覆っている。
「はぁ……所属ギルド変えようかな……。」
そんな事を本気で考えてしまう俺だった。
〜織物職人の街シルク ミーシャの家〜
「シチューができましたよ〜」
「あぁ、この服の仮縫いが終わったらそっち行くよ。」
ここはアルテアが助けたアラクネの家。
彼女はあの後、密かに思いを寄せていた男性に服をプレゼントしたらしい。
彼の方も実は彼女のことを想っていたのだった。
「おいしい?」
「あぁ、とっても。」
夜の静寂の中、夕飯を食べる二人。見つめ合うと、自然と笑みが溢れる。
「私、自分に臆病になっていたんだと思うんです。」
「どうしたんだい?いきなり。」
彼女が独白する。
アラクネの癖に気弱な自分に自信が持てなかったこと。
その自意識薄弱のせいで自分に魅力がないと思っていたこと。
「でも、誰かが私のことを綺麗だって言ってくれたんです。気弱なところも庇護欲をそそるって……」
「へぇ……よく君のことを見ているね。少し、妬けるかな。」
彼の言葉に慌てる彼女。
「わ、私は貴方一筋ですよ!?ただ、そういう事があったっていうだけで!」
「わかっているよ。でも、誰に言われたんだい?」
そう言われると、よく思い出せない。まるで、夢の中の出来事だったような……。
「わからないんです……名前どころかその人の顔すら思い出せなくて……。」
「そっか……。もし、僕がいなかったら君は彼の所に行っていたのかな……。」
また、彼女を困らせるような事をいう彼。
「そんな事ありませんって!」
「困ってる困ってる。可愛いな、君は。」
「もう……。」
顔を赤くしてむくれる。こういう仕草が彼を喜ばせているのだが、まだ彼女はそれに気づかない。これから先も気付くことはないだろう。
「でも名前も顔もわからないんですけど、彼には感謝しているんですよ。」
どことも言うわけでもなく、彼女は見上げる。
「あの人がいたから、今の私がいる。彼が私を縛る糸を断ち切ってくれたから、私は前に進めたんです。」
11/06/04 11:26更新 / テラー
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