連載小説
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3月5日〜いつもの日常〜

煩い。
頭の中に浮かんできた最初の言葉はそれだった。
それもその筈、目覚まし時計が起床時刻を朝の勤めとばかりに喚き立てる。
あぁ、はいはい起きますよ。
目覚まし時計のアラームを止め、文字盤を見ると現在時刻は7時。
着替えて歯を磨いて顔を洗ってのんびり朝食を食べても悠々間に合う程度の時間。

「ん、ん〜〜〜〜〜……」

起き抜けに伸びを一つ。
体を解したら深呼吸を一回。
3月だけあって朝はなかなかに肌寒いけれど、真冬の最中よりはよほど過ごしやすい。

寝間着を脱いで制服に着替えると自室から出る。


………………?


ふと、違和感を覚えて辺りを見回す。しかし、見慣れた自宅の廊下以外の何物でもない。
うん、いつも通り。

「デジャヴュ……とはちょっと違うかな……?」

そんな妙な感覚を覚えつつ、顔を洗って食卓へ。

「おはよ、父さん母さん」
「おはよ。もう朝ごはんできてるから食べちゃいなさい」
「はーい」

テーブルの上には出来立てのハムエッグと白ご飯、そしてお味噌汁。
自分の席に座る。


……………………


おかしい。
いや、何もおかしくはないのだけれど。
僕の他には父さんがテレビのニュースを眺めながらご飯を食べている。
母さんはというと幸せそうに味噌汁を啜っていた。

うん、何もおかしくはない。
いつも通りの3人家族の風景だ。

「……ごちそうさま〜」
「おそまつさま。陽介はコーヒー飲む?」
「ん、飲む〜。カバン取ってくるから淹れといて」

やはりここでも妙な違和感に襲われる。
既視感、というより『有り得ない物』を見ているという感覚に似ているんだけど……。

「(……何なんだろうな)」

仮説として何か日常と違う所があるのではないかと疑っては見たものの、その違いがわからない。
気味が悪いとは思ってもどうしようもない……かな?

「(ま、わからなくて困る程なら表面に現れるよね)」

結果的に『放置して様子を見る』という消極案しか取ることができず、その朝は普通にコーヒーを飲んで学校へと行った。



まだまだ寒風吹き荒ぶ通学路をとぼとぼと歩いて行く。
頭上には蕾を付けた桜の木が今か今かと開花の時を待ちわびている。
時折すれ違うクラスメイトと挨拶を交わしながら歩いていると、はやり同じように違和感が襲ってくる。

「(あ〜……もやもやする)」

イライラとは少し違う、しかし焦燥感にも似た感情が自分の中を駆けまわる。
そんな折、前方をのらりくらりと歩く見知った背中を見つけた。晴彦だ。
少し手前にはゴミ捨て場。そこにはおもちゃのネズミーマウス(仮名)のお面が捨ててあった。
暇つぶしとも憂さ晴らしとも取れるような事を思いつき、ゴミ捨て場からお面を拾ってこっそり晴彦の側まで忍び寄って肩を叩く。そして、振り向く方向にお面を向き合わせると……

「あん……どうあ!?」

よほど驚いたのか素早く飛び退る晴彦。だがしかし彼の背後に電柱が……
飛び退った勢いのまま後頭部をぶつけ、痛みに悶えて蹲るバカ一人。

「大丈夫?」
「心配している振りしながら笑いを堪えてるんじゃねぇよ……」

あら、バレだ。

「しかしまぁなんだな……こうしてお前とつるんでガッコ行くのも久しぶりな気がするな」
「そう?晴彦って僕以外に一緒に登校する相手いたっけ?」
「そりゃお前……。あれ?俺今まで誰と登校してたっけ?」

晴彦が首を傾げて不思議そうに唸り声を上げている。
そういえば……僕はこの一年誰と一緒に学校へ行っていたんだろうか?
誰かが隣にいた気がするのだけど、その顔が思い出せない。
いや、そもそも誰かが隣にいたのかすらもあやふやだ。

「なんか……スッキリしねぇなぁ」
「……うん」

本当に、何なんだろうね。
どうにもスッキリとしない気分を抱えたまま学校へと向かう。
頭の上では、桜の蕾が膨らみかけて開花を今か今かと待ちわびていた。



昼食時。教室の自分の机でお弁当を開いてもそもそとつつく。
なぜか、まったく美味しくない。
いや、味そのものはいつもと全く変わらない。料理が上手な母さんの味だ。
でも、味気ない。その味気なさの理由もわからず、不景気な顔をして弁当を啄き続けていた。

「あれ?陽介くん今日は一人?」

そんな具合に不味そうにお弁当をつついているとクラスメイトの女子が話しかけてきた。
え〜と……名前を忘れちゃった。Aさんでいいか。

「今日は晴彦は学食だって。だからお弁当もってきた僕は教室で一人って訳」
「ふ〜ん……。ね、一緒に食べていいかな?」

これといって拒否する理由もないので了承しようと口を開きかける……が。

「(……?)」

言い知れぬ気持ち悪さ、というか。
何故かそうすることに躊躇いが起きる。一緒に御飯を食べる事に忌避感を覚えるほど僕って硬派だったかな?

「ごめん、ちょっと気分が乗らないや……」
「え〜……だって一人だとつまんないよ?ほら、一緒に食べよ?」

そう言って半ば強引に隣の机をくっつけて向かい側に座るA子さん。
その後はなんだか言い知れぬ罪悪感に身を苛まれながら食べることになった。
なんなんだろうなぁ……もう。



帰りに携帯電話が鳴る。
どうやら母さんがお使いを頼みたいとのこと。
買ってくるものを軽く頭の中に叩きこんでスーパーへと寄り道。
必要な野菜や調味料を籠の中に放り込みながら買い物を進めていると自然にお菓子売り場に足が運び、ひとつのお菓子を手に取っていた。
ポアロチョコ。色は灰色のくせに何故かイチゴ風味の奇妙なチョコレート菓子。別に好きでもない筈なのに何故無意識に手に取ってしまったのだろうか。

「……」

棚に戻そうと手を動かした途端、隣の小さな男の子と目が合ってしまった。
なんだかそのまま戻すのも気まずくなり、チョコを籠の中に放り込んだ。
全く、今日の僕は……どうかしている。



今朝からどうにも調子が出ない。
というより、何かがおかしいと感じているのにそれを言葉にすることができない。
心が不安定になってそのままへし折れてしまいそう。
ふと、目を向けた先には行きつけの喫茶店である『アラビア』の看板が。

「コーヒー、飲もうかな」

扉を押し開けるとドアベルがカラカラとリズミカルに音を立てる。
カウンターには玲衣奈さんが座ってコーヒーを飲んでいた。心なしか元気が無さそうだ。

「あぁ、いらっしゃ……よう坊!?」
「わ……っと、どうしたんですか?玲衣奈さん」

何故か跳ね起きるように席を立つ玲衣奈さん。そのままずかずかと僕の方へと近づき、肩を掴まれた。

「心配したんだぞ!?あれから一度も来てくれないし……はっ!?今日は一人……だな?誰も一緒じゃないな?」
「え、えぇ……今日は学校の帰りで一人ですけど……」

それを聞いた途端一気に顔色が良くなっていく玲衣奈さん。
いつものでいいな、とせっせとコーヒーを淹れ始め、香ばしいコーヒーの匂いが漂ってくる。
なんだか、嬉しそうでこちらも元気が湧いてきた。
尤も、今朝から続く奇妙な不安定感は未だに拭うことができていないけど。

「おまたせ。エスプレッソで良かったな?」
「はい、有難うございます」

小さなカップから少量すすって濃い風味と香りを楽しむ。
晴彦曰く、こんな苦いものを嬉々として頼むお前は変態じみている、だそうだけれど。

「と、所で……今日は本当に一人、なんだな?」
「そのつもりですけど……誰か来るんですか?」

先程からチラチラと出入り口を気にしているのは誰かが来ると思っているからなのだろうか。

「いや、よう坊がいるからおまけで一人付いてくるかと……たとえば、姉……とか」

ドクリ、と。心臓が嫌なでんぐり返しを打つ。何故だろう。

「嫌だな、玲衣奈さん。僕に姉なんているわけがないじゃないですか」
「あ……あぁ。そう、だな?」

なぜ、彼女は首を傾げているのだろう。
なぜ、僕は自分の言った事に対してこれほど苛立っているのだろう。
胃の中がムカムカする……。

「よう、坊……?」
「何?玲衣奈さん」



「お前、泣いているのか?」



泣いている……?何故……?
目元に手を当てると、確かに生暖かい水で濡れていた。
視界が、滲んでいた。確かに僕は、泣いていた。
訳も分からず。悲しくもないのに、痛いわけじゃないのに。

たしかに僕は、泣いていた。

玲衣奈さんが何も言わずに店の入口にかかっている看板をひっくり返す。
そして僕の側まで近づいてくると軽く肩を叩いてくれた。

「今日はもう店じまいだ……。ゆっくりしていけばいい」

そして僕は、涙の理由もわからずに、泣いた。



「ただいま……」
「おかえり〜。って、どうしたの?随分やつれているけど……」

家に帰ると、やはりというかなんというか母さんに心配された。
玲衣奈さんの所で結構泣いちゃったからな……恥ずかしい。

「なんでもないよ……はい、頼まれてた奴」

買い物の袋を押し付けて自分の部屋へと行こうとした。
しかし……

「待ちなさい、陽介」

一歩を踏み出す前に腕を取られて引き止められてしまった。

「貴方、自分の中に溜め込む癖があるから……。爆発する前に母さんに相談してみて?きっと力になるから」
「……」

母さんは、何でもお見通しだ。
小さな頃から僕の事を本当によく知っている。そして、こういう言い方をされると、僕は抗うこともできずに相談してしまう事も。

「何も、無いんだ」

何もない、とは。何でもない事を指す言葉じゃない。

「ぽっかり心に穴が開いたみたいで。いつもと同じ一日のはずなのに、いつもと同じじゃないんだ。何が違うかわからないのに、気持ちは何かが違うって騒ぐんだ」

自分の中の形にならないものを母さんにぶつける。
それが何かわからないから。自分では処理しきれないから大人を頼る。
仕方ないからというつもりはないけど、僕は子供なのだから。
結果的にいつもそれは正しい。僕は、まだ生まれて十数年程度しか経っていない若造なのだから。

「わからない……わからないんだよぉ……!」

我ながら情けないと思う。子供とはいえ、男がわけも分からずに喚いているのだから。
それでも、母さんは相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。それだけでわずかながらでも落ち着くことができた。

「もう、無理かもね……」
「無理……って?」

あの問いかけに対してこの答え。全くチグハグな言葉の応酬なのだけど、母さんは諦めというか、観念というか……もしかしたら何か知っているのかもしれない。

「陽介はこの一年間どんな景色を見てきたの?」
「景色?」

ますます意味がわからない。なぜ今景色の話になるのだろう。

「貴方が一番印象に残った景色……多分そこに求めている『答え』があるはずよ」
「印象に……?」

なんだろう……。それそのものに意味があるとは思えないのに、妙にひっかかる。
そして、頭の中で鮮明に浮かんだ光景。

─夕焼けの空─
─たなびく銀髪─
─夕日をバックに佇む後ろ姿─

「っ!!」

体がひとりでに動く。
いや、僕自信の衝動が突き動かしている。
カバンを放り投げ、玄関で靴を履いて自転車に跨って走り出す。
心臓がうるさいぐらいにドクドクと跳ねまわる。
全速力で僕が向かった先は、学校。
校門の所で自転車を乗り捨てて昇降口で上履きに履き替える。疲労で足がうまく動かない、しかしここで足を止めてしまうと取り返しが付かなくなりそうで……大切な何かが消えてしまいそうで。
無理やり足を動かして階段を駆け上がる。二階……三階……そして、屋上前の扉まで駆け上がった。
心臓がバクバクとデタラメに跳ねまわり、息が切れてうまく呼吸ができない。

「ハァッ……ハァッ……ふぅ……」

膝に手をついて何度も呼吸することでようやく息が整った。
目の前には屋上へと出る鉄扉がある。
多分、この扉の向こうに僕が探していたものがある。

「……よし」

以前、僕はこの扉を開けたことがある気がする。その時は……何かに突き動かされていたような感覚があった。
でも今回は自分の意志で開ける。
かつて、僕の一年はここから始まった。
そして、もう一度……ここから僕『達』の時間が始まる。
ドアノブに手を掛け……押し開く。

夕日が一瞬だけ僕の視界を遮る。そして……
14/03/02 23:36更新 / テラー
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■作者メッセージ
続きはタイトルと同じ3月5日に

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