第五十八話〜Vore〜
動物が持つ原始的な恐怖の内の一つに、捕食されるかもしれないという物がある。
原始において弱者は強者による捕食対象となり、常に強者に怯えて過ごすことになる。
おそらくはここいら辺が被捕食恐怖の始まりだという事だ。
これに関しては人間ですらも例外ではない。人間が猛獣に対する対抗手段が無かった時代……そう、本当に猿だった時代にはせいぜいが木に登るとかその程度しか対抗手段が無かった。つまり、普段は忘れているかもしれないが人間が捕食されるという恐怖を持っていないのはおかしいのだ。
何が言いたいかって?今回俺が言いたい事はたった一つだ。
食われるの滅茶苦茶怖えぇ。
冒険者ギルド ロビー
「んと……これと……これ!」
テーブルの上に広げられたトランプをアニスちゃんがめくる。
一枚目がスペードの4、二枚目がハートのJだ。
「残念、そんじゃ次は俺の番だ。」
「う…………」
右上の方と中央近くをめくる。ダイヤの3とクラブの3。さらに次々とめくっていって的中させていく。
もっとも、視線は常に動かしてある。その動かした先にあるものは何枚も撮られているスクリーンショットの数々。ようするにカンニングだ。
「っと……これで28組目か。俺の勝ちだな。」
「おにいちゃんがちっともてかげんしてくれない……」
そりゃそうだ。一日遊んで欲しい程度のお願いならば俺だって手の抜きようがある。
しかし、彼女が提示した勝利時の賞品が『お嫁さんにして欲しい』だったのだ。
確かにアニーは可愛い。嫁に来るとかそういうのを抜きにしても普通に一緒に暮らせたら眼福が毎日やってくるという物だ。
しかし、いつか俺が現世界に戻らなければならないとすると……間違いなく彼女も連れていかなければならない。
次元を突き破るにせよ、もしくは跳躍するにせよ危険は付き物だ。そのリスクは全て目を瞑るとしよう。
彼女が魔物だ、という事も一切度外視する。異星人との婚姻であれば移民船団の連中がいるからな。一切問題ない筈だ。
最大の問題は……フェンリルのメンバーへの紹介だ。
「向こうでできた嫁さんだ。」
「おにいちゃんのおよめさんです♪」
まず真っ先に姉さんにフルボッコにされた上にみっちりと再教育(洗脳)されるだろう。
さらに、おやっさんにはほぼ毎日からかわれるだろうな。あの人も人の事言えないと思うんだけどなぁ……あの合法ロリ医とか。
問題なのは二人だけではない。間違いなく他のメンバーにも冷やかされる毎日が続くだろう。
あぁ、それ以前にラプラスの問題もあったな。あいつだったら24時間365日フルタイムで俺をチクチクといじくり倒すだろう。
もう心労で過労死という笑えない未来しか想像できない。
「おにいちゃん!もういっか……」
「は〜い、そこまで。アニーには残念だけど彼に仕事が入ったわ。その勝負はまた今度ね。」
手を鳴らしながらミリアさんが割り込んでくる。
アニスちゃんはというとほっぺたを膨らましながら渋々とどこかへ行ってしまった。
帰ったらどこかへ連れて行ってやろうかな……。ニケのキッチンあたりでストロベリーサンデーでも奢ってあげようか……美味しいらしいし。
「で、俺に直接言いに来るって事は……アレ絡みか?」
「さぁ?私は怪しいとは思っているけど……正直言ってなんとも言えないわね。」
彼女に渡されたクエストの依頼書をざっと眺めてみて、確かになるほど。
『怪しいとは思うが関係があるのかがわからない。』というのが納得できた。
〜クエスト開始〜
―人食いダンジョンの調査―
『つい先日にあるダンジョンの魔物達が一斉に外に出てくるという事態が発生した。彼女達曰く、「嫌な感じがする」との事。
調査へと赴いた冒険者1パーティも未だに帰還せずに音信不通。ダンジョン内の宝箱へのポータルも完全に塞がれている事から内部の様子がどうなっているのか全く分からず、現在該当するダンジョンは完全に閉鎖中となっている。
もしも我こそはという冒険者が居たら是非とも調査へ赴いて欲しい。
冒険者ギルド本部 』
「要するに中にE-クリーチャーがいる可能性が高いと。」
「えぇ。但し生還者はゼロ……内部の情報は無いに等しいどころか皆無よ。本当であればそんな危険な所に一人では行かせたくないのだけれど……」
ミリアさんが言い辛そうに口ごもった。なんとなくだが……理由が推測できた気がする。
『複数人で行って全滅した時の損害が大きすぎるから、ですか。』
「はっきりと言うのね、ラプちゃん。そうよ、冒険者というのはギルドの手足であり財産でもあるの。それをいくつも潰したとなると損害が大きすぎるわ。」
「そこで……俺にお鉢が回ってきたと。」
正直言って俺はどこの馬の骨かも分からない奴がいきなりギルドに入ってきたような物だ。
育成費がかかっていない分損失も一番小さい……という訳だ。使い捨ての駒みたいな物だな。
「私の見解から言うと……アルテア、貴方はもう既に腕利きの冒険者の一個小隊分ぐらいの価値はあると思うの。総合的な火力、各種センサーを使用した索敵能力、そして……問題の解決能力。正直言って貴方は使い捨ての駒にするには高すぎるのよ。」
彼女が何時になく熱弁を振るう。常日頃の他人をからかうような態度は成りを潜め、完全にシリアスモードだ。
そして、俺の手を取って強く握ってきた。
「ねぇ、任務の事なんて全部忘れて……こちらの世界で暮らさない?難しいクエストなんてやらなくていい。アニスだってそっちの方が喜ぶし……あの子、貴方が危険な任務に行く度に凄く心配そうな表情で待っているのよ。それに……」
うつむき加減で更に手に力が篭る彼女。見ているこっちが痛ましくなってきた。
「私としても貴方はお気に入りなのよ。それを私の一言で送り出して死なせてしまったら……私が耐えられそうにない。」
「…………」
それができたらどんなに良いだろうか。
クエストを少しずつこなして、体が動かなくなったら貯めた金でゆったりと暮らす。
その時、隣にアニスちゃんなどの魔物がいたらインキュバスになってさらに寿命が延びるだろう。
畑仕事をしてみるのもいいかもしれない。何かを壊すことでしか生きられなかった俺が何かを作る事で生きるというのも中々乙なものだろう。しかし……
「悪いが……無理な相談だな。」
「………………」
「なんともふざけた話だが俺の肩にはあちらの全人類の命という馬鹿みたいに重たい荷物が背負わされているらしい。それを全て投げ出して自分の幸せを取るほど……俺は無責任にはなりきれないよ。」
「そう……ね。ごめんなさい、こんな事言って。」
気にするな、と手を振ってギルドを後にする。
さて……ダンジョンをつついて鬼が出るか蛇が出るか……はたまたE-クリーチャーが出てくるか?
「あの〜すみません。こっちにシアちゃんが来ていませんか?」
アルテアがギルドを出た少し後。カウンター横の宝箱が開いて中からミミックが出てきた。
但し、このギルドを担当するシアでは無いようだ。
「シアちゃんって……いつもうちに荷物を届けに来る子?」
「はい……本部には居ないし……こっちにも来ていないかぁ。一体どこ行ったんだろ?」
ぶつぶつとあーでもないこーでもないと呟きながら再び宝箱の中へと戻っていくミミックの少女。
普通であればどこかへフラフラと行ってしまった友人を探しに来た少女が立ち寄った程度の認識しか無いだろう。
しかし、ミリアは知っていただけに邪推してしまうのだ。
「ダンジョンの中の繋がらない宝箱……ミミックは空間を操るのが得意……まさか、ね。」
〜遺跡発掘の街 セレニア〜
問題となるダンジョンはこの街の近くにあるそうだ。
普段は冒険者や遺跡調査の学者などで賑わっているこの街では、ダンジョンの発掘などで生計を立てている部分が多い。
そのため、探索不可能なダンジョンが一つ潰れるとかなり痛手を受けるらしい。
「で、ある程度情報を集めてみた訳だが……」
『はっきり言って情報と呼べる代物ではありませんね。』
目的のダンジョン……クァンティムダンジョンというらしい。
今の所入っている情報と言えば入っていった奴が全く帰ってこないという事と、暫くは戻りたくないという魔物達の証言のみだ。ちなみに何度か誘拐されかけた。
「中にいる魔物と結ばれて二度と出てこないというならば説明はつくが……そもそも中には魔物いねぇしなぁ。」
実はこの街でダンジョンに潜るには役所で届出が必要だ。
そして、出る時は必ず成果物の報告と帰還報告をしなければならない。
また、魔物と結ばれてダンジョンの中で暮らすことになっても必ず一度は報告に戻らなければならないらしい。破ると恐ろしい罰則が課せられるのだとか……。
「一体どうなってんだろうな、これ。」
『益々きな臭くなってきましたね。一体中で何が起こっているのでしょうか。』
教団が中の魔物を殲滅して待ち伏せをしているという可能性は全排除。そもそも現在の冒険者ギルドには魔物の人員もインキュバスも数多くいる。そう簡単には遅れを取るはずがないのだ。
「とにかく潜ってみなきゃ話にならん。百聞は一見にしかず、だ。」
『百聞どころか全部合わせても一言程度にしかなりませんけどね。』
〜クァンティムダンジョン〜
という訳で入り口までやってきた。
セレニアからは約5分。駅前並の近さだ。
「見た目は普通のダンジョン……まぁ本格的なダンジョンなんて潜ったこと無いから何が普通かなんて分からないんだけどな。」
『ローマにあるカタコンベなどは比較的ダンジョンに近いものだと思われます。魔物はおろか幽霊すら出ませんがね。』
喋っていても始まらない。初めの一歩を踏み出そうとして、うっと息が詰まった。
異臭とか悪臭とかそういった感じの物ではない。
なんというか……動物的第六感がここに入るなと警告している。
「なんだ、ヤバくないか?ここ。」
『センサー、目視共に異常は見られません。が、私も概ね同意見です。』
恐る恐る石畳の上に足を載せるが、特に反応はなし。
飛び跳ねてみても普通の床だ。
「……気のせいか?」
『完全に安全とは言い切れませんが……今の所は問題無さそうです。先へ進みましょう。』
こうしておっかなびっくりダンジョンの奥へと進むことに。
あぁ、本当に俺ってチキンだなぁ……
「なぁ」
『何ですか?』
壁や床を叩きつつ、慎重に奥へ奥へと進んでいく。
途中に点々と宝箱があったので好奇心に負けて開けてみたが……中身は完全に空っぽだった。
ミミックがいればこのダンジョンの状況でも聞けたんだろうが……そういや宝箱へのポータルが無いって言ってたっけ。
「いやに静かすぎねぇ?」
『ですね……人や魔物はおろかネズミ一匹見当たりません。』
そう、本当に何も、誰もいないのだ。
魔物の一人でも残っていれば状況の確認もできたのだが、何も居ない。
生活の跡があった部屋には人っ子一人おらず、家具だけがぽつんと中にあった。
「静かすぎて耳が痛くなってきたな。」
『音楽でも聞きますか?少しはマシになるかと思いますが』
「いいね。何がある?」
365歩のマーチ
「消せ」
『贅沢ですね。』
どっこい食品 ハロー大豆の歌
「何であるんだ。」
『趣味です。』
般若心経
「正直お前がわからなくなったよ。」
『理解してもらおうとも思いませんが。』
姉さん、ラプラスが反抗期です。
マッピングをしながらダンジョンの内部を進んでいく。
今現在は地下の2階あたり。確か全部で3階層だったはずなので、丁度中心部あたりだろうか。
少し開けた大部屋みたいな場所までたどり着いた。
部屋の中心にはぼうっと光る大きな光の玉のような物が浮かんでいる。
事前情報ではこんな物は無かったはずだが……
「ん……待て、中に何か……」
よくよく目を凝らしてみると、球体の中に人影のような物が見える。
大きさから言って子供程度だろうか。うずくまるようにして浮かんでいる。
「あれ……あいつどこかで……」
『警告。巨大なエネルギー反応あり。パターン……E-クリーチャーです。』
途端に床の色が変色し、肉の塊が隆起してきて光の玉を包み込んだ。
同時に壁、床、天井が同じように肉のような質感を持っていく。足元に感じる感触も硬質な石ではなく、柔らかく粘性のある物質へと……それこそ粘膜か何かのように変化していった。
さらに床から何か白く細いものが吐き出されていく。あれは……
「骨!?人骨!?」
『危険。全方位に生体反応確認……いえ、これは個別といっては差支えがあります。』
ドクンドクンと脈打つように部屋全体が脈動していく。
そう、それはまるで……体内。
『このダンジョンそのものがE-クリーチャーのようです。おそらくは撤退は不可能……この場で倒すしかありません。』
「ったく……今まで何度も反則くせぇ反則くせぇとは言ってきたが……一番反則じみてるじゃねぇか!」
俺はもうこの時点で相手の腹の中である。それはつまり、このままじわじわと消化されていくしかないというわけで……ぶっちゃけ現在進行形で食われているという事だ。
取り敢えず肉塊でできたコアに向けて鵺を構える……が、ようやくあの光の玉の中にいた人影の正体に思い当たった。あれは……
「シア……なのか?」
『彼女、ですか。一体何があったのでしょうか。』
そうなるとなおさら救出しなければならないだろう。彼女には何度もお世話になっているしな。
「行くぜ、ラプラ……」
兵装を展開しようとした直後、壁や床から霧状の何かが吹き出してきた。
こいつは一体……
『ADフィールド展開。』
間髪入れずにラプラスが対防塵フィールドを張る。フィールドに当たって霧状の何かが防がれる……って、何だこれは。
『危険だと判断して展開したのはいいのですが……これは一体……』
ふと、近くに落ちた骨を見ると、なにやら様子がおかしい。
霧が付着して表面に泡が立っている……?
「……うげ……!」
『これは……いただけません。』
なんと、骨がドロドロと溶けてしまった。と言うことはこの霧……まさか。
「強酸性溶液……それを霧状にして部屋に充満させているのか。」
『迂闊にフィールドを解くと大変な事になりそうですね。』
恐らくはこの強酸で肉を一旦柔らかくしてから吸収し、骨を排出。
さらにその骨も酸で溶かして再度吸収するという事だろう。
これが無かったら俺もそこの骨の仲間入りをしていたという事か……ぞっとしない話だ。
「ラプラス、エクセルシアの位置を割り出してくれ。今回は動き回られない分楽なはずだ。」
『りょうか……!?』
宣言も無しにシュバルツコードが展開され、その刃が縦横無尽に振るわれる。
前回はこの無数の刃を自分で操っていたが、本来これはラプラスが操作するもので、あの形態はEXLOAD時における特別な物らしい。
そして、刃に切り裂かれた何かがバラバラと落ちてきた。
これは……肉の塊?
『触手、ですね。恐らくは体内の随所でこれを使って調査に入った冒険者を捕らえていたのでしょう。』
話している間にも再び触手が襲いかかってくる。ラプラスはそれを一辺に相手するのに精一杯のようだ。
『コードの操作で処理が追いつきません。自力で探し当てて下さい。』
「自力でって……この荒れ狂う触手と酸の嵐の中を探して歩けと?」
とは言えラプラスが忙しすぎるのは言われないでもわかる。
フィールドの維持とシュバルツコードによる触手の迎撃。本来であれば特別な才能を持った奴が使うような兵器をこいつは膨大な計算の繰り返しで行なっているのだ。下手をしたら処理落ちしてもおかしくはない。
「しゃあねぇな……迎撃は任せたぞ。」
フィールドの範囲内に入れば霧による視界の妨げは無くなるが……あまり壁などに近付き過ぎたくない。なにせ触手が出てくるのは床やら壁やら天井やらと場所を選ばないのだ。
「ラプラス、Xレイビジョンは使えるか?」
『これ以上負荷をかけろと言いますか……良いですよ、やりましょう。』
視界が四角く切り取られて全体的に黒っぽい視界へと変化する。
その中に赤く光を放つ一点が存在した。場所は中央の巨大な肉塊があった場所。恐らくは……あれだ。
「見つけた。HHシステムを。」
『……一つ問題が。』
彼女が問題というのであれば余程の事なのだろう。それも、とてつもなく悪い予感がする。
「言うだけ言ってみろ。」
『HHシステムは負荷が強く、現在展開しているフィールド、もしくはシュバルツコードのどちらかを消して処理に余裕を作らなくては使用ができません。』
つまり、触手に襲われて食われるか、強酸に肌を焼かれながらもエクセルシアを狙うかのどちらかを取る必要があるらしい。
どうあがいても絶望とはまさにこの事だろう。
視界の中では今もコードがフィールド外の触手を迎撃し続け……ん?
「……ラプラス、そのコードは酸に触れても大丈夫なのか?」
『肯定。ナノマシンの構造組み換えによって酸に耐性を持たせています。』
「そのナノマシンで薄い膜を作って……俺の全身を覆う事はできるか?」
『……なるほど、それならばフィールドを消しても問題は無さそうですね。問題は……残された数本のコードのみで迎撃しきれるかという事だけですが。』
自身が無さそうに黙りこむラプラス。いやはや、こいつのこういった反応を見るのはかなりレアだな。
「その位は気合で何とかしてみろ。こっちだって前が見えない状況で狙いを付けるんだ。」
『機械相手に根性論とは……非合理的この上ありませんが……』
コードの数本が俺の体に絡みついていく。その1本1本が薄く伸びていき、まるでラバースーツか何かのように俺の体を覆っていった。
やがて顔面すらも覆い尽くし、視界が真っ暗になった。呼吸もできないので早急にケリを付ける必要がある。
『その考え方は嫌いではありません。HHシステム起動。』
ラプラスがディスプレイに大体の位置を表示したので、それに向けて構える。
やり直しのチャンスはそうそう無いだろう。
『チャージ完了。コントロールをそちらへ……いつでもどうぞ。』
「…………!」
発射準備が整うと同時にトリガーを引く。
くぐもったような発射音と同時に着弾時に肉を突き破るような音が聞こえてくる。
『エクセルシアの固定を確認。ワイヤーを巻き取るので衝撃に備えて下さい。』
グイと体が引っ張られる感覚。片足を前に付き出して衝突を防ぎ、同時に引きぬくための足がかりにする。
声を出せないので満足な力は出せないが……肉質から言って引き抜くのにさほど力は必要ないだろう。
少し力を込めると、ずぶずぶという感触と共にあっさりとエクセルシアが抜けた。
あまりに呆気なかったので勢い余って尻餅を付く。ナノマシンに覆われているとはいえ……痛いものは痛いな。
『ADフィールド再展開。』
立ち上がると同時にシュバルツコードによるスーツが剥がれていく。
うむ、新鮮ではないが空気が美味い。
「っと、のんびりしている暇はないな。」
急いで崩れつつある肉塊へと近寄っていく。
中からはシアが出てきた。……全裸で。
まぁ平常時じゃロリボディには欲情しないけどな。
まだ強酸の霧は晴れていない。魔物が住むダンジョンである以上空調はしっかりしているはずだから暫くすれば消えていくはずだ。
「よ……っと。」
気絶したままのシアを抱き上げる。しかし……体に傷ひとつ無いな。
全体の大きさを考えれば針に刺された程度しか傷はないって事か。
「場所を移すぞ。少なくとも中心部じゃなきゃ霧も収まっているだろう」
『来る道すがらベッドが設置されている部屋を見つけています。酸による被害が無い所を見ると少なくともあそこであれば安全なはずです。ナビゲート開始。』
視界の右上にミニマップが表示され、そこへ至るまでの経路が描かれる。
ここから目的地までは5分とかからない。俺は見た目以上に軽いシアを担ぎ直すと、目的地まで歩み始めた。
「っと……これでいいか」
担いでいたシアをベッドに寝かせて自分はその辺にあった椅子へと座る。
この部屋の主には悪いが……すこしばかり使わせてもらうとしよう。
『エクセルシアの格納を行いますか?』
「あぁ、やってくれ。」
杭に絡め取られてそのままになっていたエクセルシアが鵺へと格納される。
さて、ここからが正念場だ。
『エクセルシア格納完了。任務の第一段階、フェーズ10を────』
格納と同時に音声が途切れる。
次に聞こえてきたのは途切れ途切れながらも聞こえてくる呻き声のようなもの……恐らくは、シアの声。
『───h&wq空m──na我hf────m$oべr%─────────』
一体彼女はどんな心の傷を抱えているというのだろうか。
俺にその傷を癒すことは出来るのだろうか……いや、しなければならないのだろう。
頭に走る鈍い痛みと共に、俺の意識は闇へと沈んでいった。
原始において弱者は強者による捕食対象となり、常に強者に怯えて過ごすことになる。
おそらくはここいら辺が被捕食恐怖の始まりだという事だ。
これに関しては人間ですらも例外ではない。人間が猛獣に対する対抗手段が無かった時代……そう、本当に猿だった時代にはせいぜいが木に登るとかその程度しか対抗手段が無かった。つまり、普段は忘れているかもしれないが人間が捕食されるという恐怖を持っていないのはおかしいのだ。
何が言いたいかって?今回俺が言いたい事はたった一つだ。
食われるの滅茶苦茶怖えぇ。
冒険者ギルド ロビー
「んと……これと……これ!」
テーブルの上に広げられたトランプをアニスちゃんがめくる。
一枚目がスペードの4、二枚目がハートのJだ。
「残念、そんじゃ次は俺の番だ。」
「う…………」
右上の方と中央近くをめくる。ダイヤの3とクラブの3。さらに次々とめくっていって的中させていく。
もっとも、視線は常に動かしてある。その動かした先にあるものは何枚も撮られているスクリーンショットの数々。ようするにカンニングだ。
「っと……これで28組目か。俺の勝ちだな。」
「おにいちゃんがちっともてかげんしてくれない……」
そりゃそうだ。一日遊んで欲しい程度のお願いならば俺だって手の抜きようがある。
しかし、彼女が提示した勝利時の賞品が『お嫁さんにして欲しい』だったのだ。
確かにアニーは可愛い。嫁に来るとかそういうのを抜きにしても普通に一緒に暮らせたら眼福が毎日やってくるという物だ。
しかし、いつか俺が現世界に戻らなければならないとすると……間違いなく彼女も連れていかなければならない。
次元を突き破るにせよ、もしくは跳躍するにせよ危険は付き物だ。そのリスクは全て目を瞑るとしよう。
彼女が魔物だ、という事も一切度外視する。異星人との婚姻であれば移民船団の連中がいるからな。一切問題ない筈だ。
最大の問題は……フェンリルのメンバーへの紹介だ。
「向こうでできた嫁さんだ。」
「おにいちゃんのおよめさんです♪」
まず真っ先に姉さんにフルボッコにされた上にみっちりと再教育(洗脳)されるだろう。
さらに、おやっさんにはほぼ毎日からかわれるだろうな。あの人も人の事言えないと思うんだけどなぁ……あの合法ロリ医とか。
問題なのは二人だけではない。間違いなく他のメンバーにも冷やかされる毎日が続くだろう。
あぁ、それ以前にラプラスの問題もあったな。あいつだったら24時間365日フルタイムで俺をチクチクといじくり倒すだろう。
もう心労で過労死という笑えない未来しか想像できない。
「おにいちゃん!もういっか……」
「は〜い、そこまで。アニーには残念だけど彼に仕事が入ったわ。その勝負はまた今度ね。」
手を鳴らしながらミリアさんが割り込んでくる。
アニスちゃんはというとほっぺたを膨らましながら渋々とどこかへ行ってしまった。
帰ったらどこかへ連れて行ってやろうかな……。ニケのキッチンあたりでストロベリーサンデーでも奢ってあげようか……美味しいらしいし。
「で、俺に直接言いに来るって事は……アレ絡みか?」
「さぁ?私は怪しいとは思っているけど……正直言ってなんとも言えないわね。」
彼女に渡されたクエストの依頼書をざっと眺めてみて、確かになるほど。
『怪しいとは思うが関係があるのかがわからない。』というのが納得できた。
〜クエスト開始〜
―人食いダンジョンの調査―
『つい先日にあるダンジョンの魔物達が一斉に外に出てくるという事態が発生した。彼女達曰く、「嫌な感じがする」との事。
調査へと赴いた冒険者1パーティも未だに帰還せずに音信不通。ダンジョン内の宝箱へのポータルも完全に塞がれている事から内部の様子がどうなっているのか全く分からず、現在該当するダンジョンは完全に閉鎖中となっている。
もしも我こそはという冒険者が居たら是非とも調査へ赴いて欲しい。
冒険者ギルド本部 』
「要するに中にE-クリーチャーがいる可能性が高いと。」
「えぇ。但し生還者はゼロ……内部の情報は無いに等しいどころか皆無よ。本当であればそんな危険な所に一人では行かせたくないのだけれど……」
ミリアさんが言い辛そうに口ごもった。なんとなくだが……理由が推測できた気がする。
『複数人で行って全滅した時の損害が大きすぎるから、ですか。』
「はっきりと言うのね、ラプちゃん。そうよ、冒険者というのはギルドの手足であり財産でもあるの。それをいくつも潰したとなると損害が大きすぎるわ。」
「そこで……俺にお鉢が回ってきたと。」
正直言って俺はどこの馬の骨かも分からない奴がいきなりギルドに入ってきたような物だ。
育成費がかかっていない分損失も一番小さい……という訳だ。使い捨ての駒みたいな物だな。
「私の見解から言うと……アルテア、貴方はもう既に腕利きの冒険者の一個小隊分ぐらいの価値はあると思うの。総合的な火力、各種センサーを使用した索敵能力、そして……問題の解決能力。正直言って貴方は使い捨ての駒にするには高すぎるのよ。」
彼女が何時になく熱弁を振るう。常日頃の他人をからかうような態度は成りを潜め、完全にシリアスモードだ。
そして、俺の手を取って強く握ってきた。
「ねぇ、任務の事なんて全部忘れて……こちらの世界で暮らさない?難しいクエストなんてやらなくていい。アニスだってそっちの方が喜ぶし……あの子、貴方が危険な任務に行く度に凄く心配そうな表情で待っているのよ。それに……」
うつむき加減で更に手に力が篭る彼女。見ているこっちが痛ましくなってきた。
「私としても貴方はお気に入りなのよ。それを私の一言で送り出して死なせてしまったら……私が耐えられそうにない。」
「…………」
それができたらどんなに良いだろうか。
クエストを少しずつこなして、体が動かなくなったら貯めた金でゆったりと暮らす。
その時、隣にアニスちゃんなどの魔物がいたらインキュバスになってさらに寿命が延びるだろう。
畑仕事をしてみるのもいいかもしれない。何かを壊すことでしか生きられなかった俺が何かを作る事で生きるというのも中々乙なものだろう。しかし……
「悪いが……無理な相談だな。」
「………………」
「なんともふざけた話だが俺の肩にはあちらの全人類の命という馬鹿みたいに重たい荷物が背負わされているらしい。それを全て投げ出して自分の幸せを取るほど……俺は無責任にはなりきれないよ。」
「そう……ね。ごめんなさい、こんな事言って。」
気にするな、と手を振ってギルドを後にする。
さて……ダンジョンをつついて鬼が出るか蛇が出るか……はたまたE-クリーチャーが出てくるか?
「あの〜すみません。こっちにシアちゃんが来ていませんか?」
アルテアがギルドを出た少し後。カウンター横の宝箱が開いて中からミミックが出てきた。
但し、このギルドを担当するシアでは無いようだ。
「シアちゃんって……いつもうちに荷物を届けに来る子?」
「はい……本部には居ないし……こっちにも来ていないかぁ。一体どこ行ったんだろ?」
ぶつぶつとあーでもないこーでもないと呟きながら再び宝箱の中へと戻っていくミミックの少女。
普通であればどこかへフラフラと行ってしまった友人を探しに来た少女が立ち寄った程度の認識しか無いだろう。
しかし、ミリアは知っていただけに邪推してしまうのだ。
「ダンジョンの中の繋がらない宝箱……ミミックは空間を操るのが得意……まさか、ね。」
〜遺跡発掘の街 セレニア〜
問題となるダンジョンはこの街の近くにあるそうだ。
普段は冒険者や遺跡調査の学者などで賑わっているこの街では、ダンジョンの発掘などで生計を立てている部分が多い。
そのため、探索不可能なダンジョンが一つ潰れるとかなり痛手を受けるらしい。
「で、ある程度情報を集めてみた訳だが……」
『はっきり言って情報と呼べる代物ではありませんね。』
目的のダンジョン……クァンティムダンジョンというらしい。
今の所入っている情報と言えば入っていった奴が全く帰ってこないという事と、暫くは戻りたくないという魔物達の証言のみだ。ちなみに何度か誘拐されかけた。
「中にいる魔物と結ばれて二度と出てこないというならば説明はつくが……そもそも中には魔物いねぇしなぁ。」
実はこの街でダンジョンに潜るには役所で届出が必要だ。
そして、出る時は必ず成果物の報告と帰還報告をしなければならない。
また、魔物と結ばれてダンジョンの中で暮らすことになっても必ず一度は報告に戻らなければならないらしい。破ると恐ろしい罰則が課せられるのだとか……。
「一体どうなってんだろうな、これ。」
『益々きな臭くなってきましたね。一体中で何が起こっているのでしょうか。』
教団が中の魔物を殲滅して待ち伏せをしているという可能性は全排除。そもそも現在の冒険者ギルドには魔物の人員もインキュバスも数多くいる。そう簡単には遅れを取るはずがないのだ。
「とにかく潜ってみなきゃ話にならん。百聞は一見にしかず、だ。」
『百聞どころか全部合わせても一言程度にしかなりませんけどね。』
〜クァンティムダンジョン〜
という訳で入り口までやってきた。
セレニアからは約5分。駅前並の近さだ。
「見た目は普通のダンジョン……まぁ本格的なダンジョンなんて潜ったこと無いから何が普通かなんて分からないんだけどな。」
『ローマにあるカタコンベなどは比較的ダンジョンに近いものだと思われます。魔物はおろか幽霊すら出ませんがね。』
喋っていても始まらない。初めの一歩を踏み出そうとして、うっと息が詰まった。
異臭とか悪臭とかそういった感じの物ではない。
なんというか……動物的第六感がここに入るなと警告している。
「なんだ、ヤバくないか?ここ。」
『センサー、目視共に異常は見られません。が、私も概ね同意見です。』
恐る恐る石畳の上に足を載せるが、特に反応はなし。
飛び跳ねてみても普通の床だ。
「……気のせいか?」
『完全に安全とは言い切れませんが……今の所は問題無さそうです。先へ進みましょう。』
こうしておっかなびっくりダンジョンの奥へと進むことに。
あぁ、本当に俺ってチキンだなぁ……
「なぁ」
『何ですか?』
壁や床を叩きつつ、慎重に奥へ奥へと進んでいく。
途中に点々と宝箱があったので好奇心に負けて開けてみたが……中身は完全に空っぽだった。
ミミックがいればこのダンジョンの状況でも聞けたんだろうが……そういや宝箱へのポータルが無いって言ってたっけ。
「いやに静かすぎねぇ?」
『ですね……人や魔物はおろかネズミ一匹見当たりません。』
そう、本当に何も、誰もいないのだ。
魔物の一人でも残っていれば状況の確認もできたのだが、何も居ない。
生活の跡があった部屋には人っ子一人おらず、家具だけがぽつんと中にあった。
「静かすぎて耳が痛くなってきたな。」
『音楽でも聞きますか?少しはマシになるかと思いますが』
「いいね。何がある?」
365歩のマーチ
「消せ」
『贅沢ですね。』
どっこい食品 ハロー大豆の歌
「何であるんだ。」
『趣味です。』
般若心経
「正直お前がわからなくなったよ。」
『理解してもらおうとも思いませんが。』
姉さん、ラプラスが反抗期です。
マッピングをしながらダンジョンの内部を進んでいく。
今現在は地下の2階あたり。確か全部で3階層だったはずなので、丁度中心部あたりだろうか。
少し開けた大部屋みたいな場所までたどり着いた。
部屋の中心にはぼうっと光る大きな光の玉のような物が浮かんでいる。
事前情報ではこんな物は無かったはずだが……
「ん……待て、中に何か……」
よくよく目を凝らしてみると、球体の中に人影のような物が見える。
大きさから言って子供程度だろうか。うずくまるようにして浮かんでいる。
「あれ……あいつどこかで……」
『警告。巨大なエネルギー反応あり。パターン……E-クリーチャーです。』
途端に床の色が変色し、肉の塊が隆起してきて光の玉を包み込んだ。
同時に壁、床、天井が同じように肉のような質感を持っていく。足元に感じる感触も硬質な石ではなく、柔らかく粘性のある物質へと……それこそ粘膜か何かのように変化していった。
さらに床から何か白く細いものが吐き出されていく。あれは……
「骨!?人骨!?」
『危険。全方位に生体反応確認……いえ、これは個別といっては差支えがあります。』
ドクンドクンと脈打つように部屋全体が脈動していく。
そう、それはまるで……体内。
『このダンジョンそのものがE-クリーチャーのようです。おそらくは撤退は不可能……この場で倒すしかありません。』
「ったく……今まで何度も反則くせぇ反則くせぇとは言ってきたが……一番反則じみてるじゃねぇか!」
俺はもうこの時点で相手の腹の中である。それはつまり、このままじわじわと消化されていくしかないというわけで……ぶっちゃけ現在進行形で食われているという事だ。
取り敢えず肉塊でできたコアに向けて鵺を構える……が、ようやくあの光の玉の中にいた人影の正体に思い当たった。あれは……
「シア……なのか?」
『彼女、ですか。一体何があったのでしょうか。』
そうなるとなおさら救出しなければならないだろう。彼女には何度もお世話になっているしな。
「行くぜ、ラプラ……」
兵装を展開しようとした直後、壁や床から霧状の何かが吹き出してきた。
こいつは一体……
『ADフィールド展開。』
間髪入れずにラプラスが対防塵フィールドを張る。フィールドに当たって霧状の何かが防がれる……って、何だこれは。
『危険だと判断して展開したのはいいのですが……これは一体……』
ふと、近くに落ちた骨を見ると、なにやら様子がおかしい。
霧が付着して表面に泡が立っている……?
「……うげ……!」
『これは……いただけません。』
なんと、骨がドロドロと溶けてしまった。と言うことはこの霧……まさか。
「強酸性溶液……それを霧状にして部屋に充満させているのか。」
『迂闊にフィールドを解くと大変な事になりそうですね。』
恐らくはこの強酸で肉を一旦柔らかくしてから吸収し、骨を排出。
さらにその骨も酸で溶かして再度吸収するという事だろう。
これが無かったら俺もそこの骨の仲間入りをしていたという事か……ぞっとしない話だ。
「ラプラス、エクセルシアの位置を割り出してくれ。今回は動き回られない分楽なはずだ。」
『りょうか……!?』
宣言も無しにシュバルツコードが展開され、その刃が縦横無尽に振るわれる。
前回はこの無数の刃を自分で操っていたが、本来これはラプラスが操作するもので、あの形態はEXLOAD時における特別な物らしい。
そして、刃に切り裂かれた何かがバラバラと落ちてきた。
これは……肉の塊?
『触手、ですね。恐らくは体内の随所でこれを使って調査に入った冒険者を捕らえていたのでしょう。』
話している間にも再び触手が襲いかかってくる。ラプラスはそれを一辺に相手するのに精一杯のようだ。
『コードの操作で処理が追いつきません。自力で探し当てて下さい。』
「自力でって……この荒れ狂う触手と酸の嵐の中を探して歩けと?」
とは言えラプラスが忙しすぎるのは言われないでもわかる。
フィールドの維持とシュバルツコードによる触手の迎撃。本来であれば特別な才能を持った奴が使うような兵器をこいつは膨大な計算の繰り返しで行なっているのだ。下手をしたら処理落ちしてもおかしくはない。
「しゃあねぇな……迎撃は任せたぞ。」
フィールドの範囲内に入れば霧による視界の妨げは無くなるが……あまり壁などに近付き過ぎたくない。なにせ触手が出てくるのは床やら壁やら天井やらと場所を選ばないのだ。
「ラプラス、Xレイビジョンは使えるか?」
『これ以上負荷をかけろと言いますか……良いですよ、やりましょう。』
視界が四角く切り取られて全体的に黒っぽい視界へと変化する。
その中に赤く光を放つ一点が存在した。場所は中央の巨大な肉塊があった場所。恐らくは……あれだ。
「見つけた。HHシステムを。」
『……一つ問題が。』
彼女が問題というのであれば余程の事なのだろう。それも、とてつもなく悪い予感がする。
「言うだけ言ってみろ。」
『HHシステムは負荷が強く、現在展開しているフィールド、もしくはシュバルツコードのどちらかを消して処理に余裕を作らなくては使用ができません。』
つまり、触手に襲われて食われるか、強酸に肌を焼かれながらもエクセルシアを狙うかのどちらかを取る必要があるらしい。
どうあがいても絶望とはまさにこの事だろう。
視界の中では今もコードがフィールド外の触手を迎撃し続け……ん?
「……ラプラス、そのコードは酸に触れても大丈夫なのか?」
『肯定。ナノマシンの構造組み換えによって酸に耐性を持たせています。』
「そのナノマシンで薄い膜を作って……俺の全身を覆う事はできるか?」
『……なるほど、それならばフィールドを消しても問題は無さそうですね。問題は……残された数本のコードのみで迎撃しきれるかという事だけですが。』
自身が無さそうに黙りこむラプラス。いやはや、こいつのこういった反応を見るのはかなりレアだな。
「その位は気合で何とかしてみろ。こっちだって前が見えない状況で狙いを付けるんだ。」
『機械相手に根性論とは……非合理的この上ありませんが……』
コードの数本が俺の体に絡みついていく。その1本1本が薄く伸びていき、まるでラバースーツか何かのように俺の体を覆っていった。
やがて顔面すらも覆い尽くし、視界が真っ暗になった。呼吸もできないので早急にケリを付ける必要がある。
『その考え方は嫌いではありません。HHシステム起動。』
ラプラスがディスプレイに大体の位置を表示したので、それに向けて構える。
やり直しのチャンスはそうそう無いだろう。
『チャージ完了。コントロールをそちらへ……いつでもどうぞ。』
「…………!」
発射準備が整うと同時にトリガーを引く。
くぐもったような発射音と同時に着弾時に肉を突き破るような音が聞こえてくる。
『エクセルシアの固定を確認。ワイヤーを巻き取るので衝撃に備えて下さい。』
グイと体が引っ張られる感覚。片足を前に付き出して衝突を防ぎ、同時に引きぬくための足がかりにする。
声を出せないので満足な力は出せないが……肉質から言って引き抜くのにさほど力は必要ないだろう。
少し力を込めると、ずぶずぶという感触と共にあっさりとエクセルシアが抜けた。
あまりに呆気なかったので勢い余って尻餅を付く。ナノマシンに覆われているとはいえ……痛いものは痛いな。
『ADフィールド再展開。』
立ち上がると同時にシュバルツコードによるスーツが剥がれていく。
うむ、新鮮ではないが空気が美味い。
「っと、のんびりしている暇はないな。」
急いで崩れつつある肉塊へと近寄っていく。
中からはシアが出てきた。……全裸で。
まぁ平常時じゃロリボディには欲情しないけどな。
まだ強酸の霧は晴れていない。魔物が住むダンジョンである以上空調はしっかりしているはずだから暫くすれば消えていくはずだ。
「よ……っと。」
気絶したままのシアを抱き上げる。しかし……体に傷ひとつ無いな。
全体の大きさを考えれば針に刺された程度しか傷はないって事か。
「場所を移すぞ。少なくとも中心部じゃなきゃ霧も収まっているだろう」
『来る道すがらベッドが設置されている部屋を見つけています。酸による被害が無い所を見ると少なくともあそこであれば安全なはずです。ナビゲート開始。』
視界の右上にミニマップが表示され、そこへ至るまでの経路が描かれる。
ここから目的地までは5分とかからない。俺は見た目以上に軽いシアを担ぎ直すと、目的地まで歩み始めた。
「っと……これでいいか」
担いでいたシアをベッドに寝かせて自分はその辺にあった椅子へと座る。
この部屋の主には悪いが……すこしばかり使わせてもらうとしよう。
『エクセルシアの格納を行いますか?』
「あぁ、やってくれ。」
杭に絡め取られてそのままになっていたエクセルシアが鵺へと格納される。
さて、ここからが正念場だ。
『エクセルシア格納完了。任務の第一段階、フェーズ10を────』
格納と同時に音声が途切れる。
次に聞こえてきたのは途切れ途切れながらも聞こえてくる呻き声のようなもの……恐らくは、シアの声。
『───h&wq空m──na我hf────m$oべr%─────────』
一体彼女はどんな心の傷を抱えているというのだろうか。
俺にその傷を癒すことは出来るのだろうか……いや、しなければならないのだろう。
頭に走る鈍い痛みと共に、俺の意識は闇へと沈んでいった。
12/04/02 20:41更新 / テラー
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